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....宮崎県宮崎市大字田吉348

コンピュータメーカーでマーケティングを担当する松井啓雅(ひろまさ)氏が、昔の記憶を絞り出すように言った。
「遊び場は近所にあった暗い穴の底でした」

少年であった松井氏が友達とかくれんぼをして遊んだのは彼の実家の隣にある焼酎蔵だった。
古い木造の蔵の中にはいつも溶暗がたれ込め、床に深く埋め込まれた無数の(少年にはそう思えた)カメの底には闇が沈んでいた。
私の仕事場の同僚であり男たちのアイドルでもあった宮崎出身の才媛を妻とした彼は、作ったばかりの「ひるね蔵酒亭」を見て、一通のメールをくれたのだった。2000年9月18日のことである。

「実家は宮崎空港の近くで、JR空港線と日南線の合流駅、田吉駅横です。実家の隣に焼酎屋があります。落合酒造といいます。昔はロウソクを作っていたため、屋号は<ろうそくや>です。イモがとれる秋になると焼酎づくりが始まり、にから(焼酎カス?)が用水路に出てきたり、わが家の祖父を含めて近所の農家では、焼酎カスをもらってきて、草や藁と混ぜて牛に、あるいは残飯とともに豚に食べさせていました。」
この土地にはほかにも焼酎蔵や醤油屋、酢の製造場などがあった。

「水が良かったのです」と落合酒造場蔵元の落合一平氏。松井氏のかっての同級生である。
一平氏によると、むかしは焼酎蔵だけでなく、清酒蔵や、焼き物の窯元もあったという。里山からは小さな清流が流れ、清武の伏流水も良水をこの地に恵んでいた。
そして、いつしか里山は団地となった。
5、6キロ南にある清武川から用水路で水を引いて松井氏の実家のまわりに豊かに広がっていた水田も住宅地に変わってしまった。急速な時代の変化。その中で、落合酒造場は長く苦しい時代を持ち前の熱心な研究心と営業努力で克服してきた。
松井氏は1994年に御祖母の告別式のために帰省したおり、一平氏の兄、利朗氏とも顔を合わせた。はるか昔に、田吉の村の焼酎蔵で遊んだ仲間だった。
利朗氏は蔵の醸造技術を引き継いだ方で、とても研究熱心だったと言う。
一平氏は福岡でサラリーマンをしていた経験があったのではと松井氏。
それが市場のことをよく理解しておられる理由でもあろうか。ユニーク焼酎で知られる落合酒造場のマーケット攻略への原動力と申し上げてもいいと思う。



「最初に造ったのはよもぎ焼酎です」と一平氏。
私はてっきりピーマン焼酎の「Piment」がそうかと思いこんでいた。
落合さんの酒をいくつか寸言にアップしている。その中でかぼちゃ焼酎「香華」の文中にこう書いた。
「技術力のある蔵なのだろうと思う。二次仕込みという製法ゆえに、ピーマンや大根などを原料にできるとシロウトながら想像はできるのだが、実際には大変な研究・努力の末に実現したと聞く。」
このことは武蔵藤沢の酒販店、南星屋(なぼしや)の店主、福島さんからお聞きしたのだった。掛ける原料のことを研究し尽くし、原料の下処理にも、また蒸留にも気を配り心を砕いてはじめて落合さん独特の「ユニーク焼酎」が実現するのである。
よもぎ焼酎はその名を「天蓬莱(てんほうらい)」という。銘柄名は、1991年に田中博氏が福岡の「海鳥社」から上梓した「東海に蓬莱国あり〜徐福伝」に由来する。焼酎の伝来にまで話題が及ぶ一平氏の知識の広さ、関心の深さには感嘆するだけで言葉がない。この「天蓬莱」、原料の蓬を遠赤外線で焙煎するのだが、乾燥した蓬だから実際の原料の量としてはかなりのものになるという。
次に挑戦したのがカボチャ。フルーティな香を求めたその裏には、芋焼酎の「臭さ」で焼酎を嫌うひとたちに「焼酎への」開眼を促す気持ちもあった。
カボチャは果肉ではなく種を包む部分に、瓜科独特のフルーティな香の素がある。それを工夫のすえに取り出したという。

「しかしですね〜、ユニーク焼酎だけが取りざたされるマイナス面もあるのですよ」落合一平氏はそういって、こういう新しいチャレンジのイメージ上の問題を話された。
要するに、何でも掛けて珍しい焼酎を造り話題を集めるいい加減な蔵というイメージを持つ人がいるのも事実だそうな。
以前「寸言」に「山吹の里にごり」を書いた。「蒼い永劫」とともに、優れて深い味わいの芋焼酎である(永劫には米を絶妙にブレンドしてある)。また、麦の深みを味わうには最適の「赤江灘」もある。一平氏が「この酒を冬場に燗で飲んでみてください。素晴らしいですよ」と自信を持って勧める麦焼酎だ。米の長期熟成酒「残心」の静かなうま味の素晴らしさは言うまでもない。
落合さんのユニーク焼酎は、こういう銘酒を生むしたたかな製造技術がその基盤にあっての試みであることを銘記しておくべきだろう。

「本来焼酎はさまざまな楽しみ方ができる酒だと思うのです。気持ちに合わせ、季節に合わせ、いろいろな飲み方を選べるそんな酒なんです。」
そういう落合一平氏の柔和な眼差しには自らが企画した酒たちへの深い愛情と揺るぎのない姿勢が伺われた。

蔵をご案内いただいた。
松井少年がはるか昔暗闇にいささか気圧されながらも遊んでいた木造の蔵はもうない。昭和53年に現在の工場に建て替えられた。
48個のカメが地中深く埋め込まれてそこにあった。容量3石の和カメ。一次二次ともこのカメで仕込む。
三角棚は350kgの麹米を造る。小振りな棚である。
工場の反対側にはドラム式の製麹装置があったが、これは主に蒸米に使用しているとのことだった。まことに気持ちよい緊張感が充ちている蔵である。

落合酒造場はこれから造りが始まる。蔵は清掃され道具類が並べられてまもなくやってくる造りの時を待っていた。

一平氏の奥様、恵美子さんに松井氏のことを尋ねた。「お兄さんが確か教師をやっておられる松井さんでしょ?すぐ隣ですよ」 懐かしい顔になってそう仰った。
気がつくと予定を大幅にオーバーしていた。
帰りしなに一平氏がにこりと笑って、
「はい、これ。お燗で飲んでみてください」
差し出してくださったのは「赤江灘」だった。万歳。
「これから鹿児島です」と、外までお見送りいただいたご夫婦にお話した。
「お気をつけてどうぞ」と奥様。
うちの新企画の原点ですからと車に積んだバッグにそっと添えてくださった小箱。
「天蓬莱」だった。万万歳!

お忙しい中、お茶をなんども汲み替えてくださった奥様に、そして途中盛んにかかってくる電話の応対に汗しながらも懇切丁寧なご対応をいただいた一平氏に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

おわり。

【落合酒造場】
宮崎県宮崎市大字田吉348
電話:0985-51-6636


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