◆四. 亜 矢 ラッキーガール

 亜矢は二十八才。都内の広告代理店に勤めるOLだ。テレビ媒体局デスクの女性三人のチーフ的な立場にある。 

 チーフといっても、年齢が一番上というだけで他に理由はないし、責任も特権もない。

 きょうの昼、女子休憩室でおしゃべりしているとき、亜矢はとうとう同僚の女子社員たちに「そのこと」を話してしまった。じつは、話したくて仕方なかったのだ。

「わたし、いまユーガットメールやってんの!ぐ、ふふ、ふふ」

(作者注:ユーガットメール = Eメールを通じて知り合った、そう若くはない二人の恋愛をテーマにした映画。メグ・ライアンを可愛く見せるだけのために作られたという説もある。共演はトム・ハンクス)

 なにそれ?と、女子社員の一人が反応した。

「亜矢、あいては、だれよ?社内?まさかクライアントじゃないわよね」

 この女も、まだひとりものだ。

「旅行情報のBBS(掲示板、チャット)でね、わたしとなんとなく気があった人なのよ。30才くらいの男性としかわからないの。メグの映画じゃ、トムは同じ業界の人だけど、あの旅魔王さんはどうも全然ちがう業界らしいわ。そうそう、ハンドルネームは、旅魔王っていうのよ、ロマンチックね」

「バーカ、なにがロマンチックよ。ダサイわね、亜矢。でも、同業者じゃないって、なぜわかるのよ?」

「わたし媒体担当だと言ったのよ。ふつう媒体って言ったら、広告代理店って思うわよね」

「その彼、旅魔王さんは、どう思ったというの?」

「売対かと思ったって!」

「え、なにその売対ってのは?」

「わたしにもわかんないわよ。聞いたら彼って、ボクと同じ業界の人かと勘違いしてしまったんだってとぼけてたわ」

「きっと売上げ対策ってとこね。スーパーかデパートの販促セクションとみるわね、あたしなら」

 亜矢の向かい側に座って5本目のタバコに火をつけた女子社員が、思わせぶりに顎をしゃくって言った。

「亜矢、それでどうするの?」

「それでってなによ、なにを期待してるの?おたくたち」

「会うの?って聞いているのよ、もちろん。その旅魔王というトムハンクスにさ!」

 まさかあ、と亜矢は笑って言った。

「こういうことって、映画のようにうまく行きっこないわ。あそびよ、あそび」

「ふーん、あやしいものね。ま、いいわ。でもね、自分を紹介するときには正直になったほうがいいわよ」

「どういうことよ、それ」

 正直にいわなきゃ、もし会うことになったときに、あんたがあんただってわかんないわよ、その同僚はそうくどく言って、タバコをチェーンスモークした。

「ふん、憎まれ口をきくわねえ。悔しけりゃ、あんたたちもやってみなさいよ!」

 亜矢がつい本気を出して言い返したとき、午後一時の時報が鳴った。

「おー、怖いこと!あら、もうこんな時間ね。タバコを消して仕事、仕事!」

「マシュマロマンに怒鳴られるわよっ、遅れると」

 マシュマロマンというのは、彼女らの上司だ。色白の肥満体で、通風持ちだ。血圧が高いのに、よく怒る男なのだ。

 女子休憩室から、タバコ臭い集団が溜息と煙に包まれて出てきた。また午後の退屈な時間が始まる。

 同僚の女子社員たちには黙っていたが、実は昨夜のメールの最後の行に、あのセリフが書いてあったのだ。

「会おう!」

 やった!でもすっぽかされたり、映画みたいに、実は知っている男だったなんてのはマッピラよ。そうつぶやきながら、亜矢は返信をタイプした。

「いつ、どこで?」

 そのとたん、メールがオンラインになった。リアルタイムで返信が届いた。

「今度の連休に、南アジアの海に旅するつもりなんだ。どう、一緒にいかない?」

 おっと速球できたわね。それも豪速球だわ。亜矢はちょっと首をかしげて考え、返信を打った。

「こうしたらどうかしら。現地についてから、時間を決めて会うってのは?」

「それって、いいね。別々にチケットをとろう。お互いに相手がわかっても、現地に着くまで知らない振りをしていること」

「ふうん、それもドラマチックね。いいわ」

 亜矢は毎年2、3回は海外旅行に出かける。パスポートも、バッグ類もいつでも出発オッケーという状態で用意してあるのだ。美しい海で有名なM国には数回遊びにいったこともある。

 次の月初めの連休初日、亜矢は成田空港のロビーで、出発便の受付を待ちながらコーヒーを飲んでいた。

「旅魔王さんって、来ているかしらねえ。ちょっとドキドキするわね」

 亜矢はコーヒーカップを口に運びながら、ちらちら周りの人を見回した。お目当ての人物はすぐ見つかった。白いジャケットとグレイのパンツ。背が高く、三十三才という年にしてはしっかりした顔つきをしている。

「あ、なかなかじゃん。ビンゴ!ってとこね」

 亜矢がじっと見つめていたためか、その男は亜矢のほうを向いたのだが、すぐに目をそらした。

「可愛いわね、約束通り知らない振りをしているわ」

 ま、これで一安心ね。亜矢がそうつぶやいてコーヒーカップをとり上げたとき、スミマセンと声をかけて、アジア系外国人らしい若いカップルが近づいてきた。二人とも大きなバッグを重そうに下げている。

 男のほうが結構達者な日本語で亜矢に言った。

「新婚旅行でM国から日本にきたのですが、お土産、買いすぎました。たったの2キログラム。オーバーしてしまういわれましたね。おかあさんが楽しみにしてくれるのでもって帰りたいのです。もし同じ飛行機なら、このラジカセを預かってくれませんか」

 夫の横で、新婚の妻がにっこり笑って頭を下げた。

 アツアツね、いいわねえ。わたしもきっと近いうちに!

 亜矢はこの二人に微笑んで言った。

「いいですわ。これだけのために重量オーバーで追加料金を取られるのでは可哀想だもの」

 別に自分で運ぶ訳じゃないしねと、亜矢は女のほうが大事に抱えていたラジカセを受け取り、スーツケースにしまった。空港でお渡しすればいいのね、亜矢がそういうと、新婚の二人は気の毒なほどに何度も頭を下げ、礼を言って亜矢から離れていった。

 あの白いジャケットの男がこちらを見ている。

 驚いたように目をまるくしていた。しかし、すぐに目をそらせてしまった。

「やった!アイ、ガット、ポイントね、これ」

 ちょっとした親切でこんなに気持ちがいいなんて。あとで彼と話すネタもできたしねと亜矢は心の中でにんまりした。

 フライトは天気に恵まれ、快適だった。

 M国の国営航空会社のサービスも、文句の付けようがない。機長は例外なく空軍のベテランパイロット出身だ。亜矢の乗ったジェット機はM国首都空港に満点のランディングを決めた。

 M国首都空港の入国審査カウンターはホスピタリティの高い客扱いで、旅行者には評判が高い。

 だが、彼女が開けた手荷物と機内預かりのスーツケースを見たとき、入国審査官の目が光った。

 小柄な審査官は、亜矢がスーツケースの衣類の上においた小型ラジカセをじっと見ている。

 そう、こんなものをわざわざ旅行に持ってくる日本人旅行者はいないのだ。

 審査官は、言葉は丁寧だが有無を言わさない態度で彼女を列の外に誘導した。

「なに!どうしたっていうの?」

 亜矢が小さく叫んだ。しかし、審査官はとりあわない。厳しい顔でケースからラジカセをとりあげ、裏蓋をはずし、中を点検した。ふん、とつぶやき、後ろも見ずに片手をあげる。

 それが合図だったのだろう、空挺用のマシンガンを肩から下げた空港警備隊の兵士が二人、拳銃を持った女性将校に率いられて彼女に駆け寄った。

「なんなのよ!あなたたち。私はなにも悪いことはしてないわ」

 女性将校が、左手に開いて持った亜矢のパスポートに目をやって、片言の日本語で亜矢に言った。

「麻薬持ち込みの現行犯で逮捕する」

 年は亜矢と同じくらいだろうが、その厳しい表情は今の日本ではお目にかかれない種類のものだ。

「麻薬ですって!そんな!」

 女性将校がラジカセの中から白い粉を密封したビニールの小さな袋を取り出し、亜矢の目の前で小さく振った。

「現行犯ということ、これでわかっただろう」

「それは私のじゃないんです。そのラジカセは、あの・・・」

 そう叫ぶように言いながら、彼女は回りを見渡してあの若いカップルを探した。

 隣の列の五人ほど後ろにあの二人がならんでいる。

「あの人たちよ、あの二人に頼まれたの。わたし、この国の人に騙されたのよ、悪いのはそっちのほうじゃないの」

 一人の兵士が亜矢の指さした二人に近寄って、何かを聞いた。二人は最初は驚いたように目をまるくしていたが、やがて笑って首を振った。兵士もうなずき返している。

 その兵士から耳打ちされた女性将校が亜矢の目を見て言った。

「彼らはわが国の国民ではない。パスポートを確認したが、中国人よ」

 おまけに、と彼女が続けた。

「おまえの言うように、彼らは新婚旅行に日本に行ったわけではない。日本支社を経由してわが国の駐在事務所に赴任する途中の、北京政府系企業の副総経理(副社長)と秘書よ。わが国の経済にとっては重要な進出企業幹部である」

 え、そんなばかなと亜矢が二人のほうを見ると、あの二人がこちらを指さしながら何かを叫んでいる。

「なんていってるのよ!あの連中。あのウソつきたちは!」

 亜矢が女性将校に怒鳴った。

 女性将校が、静かに答えた。

「日本人はアジア人に罪をなすりつけるのが得意だなと言っている」

 兵士たちに引き立てられていきながら、亜矢は空港ロビーを必死に見渡した。あの旅魔王さん、どこにいるの!助けて!

 事務所に押し込まれる寸前、空港ロビーの回転ドアを出て行こうとする「彼」の白いジャケットが見えた。こちらを振り向きもせず、まっしぐらに外へ出ていこうとしている。

「どうしたの、なぜ助けてくれないの?」

 この騒ぎだ。気がつかないわけがない。

「わたしが勝手に思いこんでいただけで、旅魔王さんって、あの人ではなかったの!」

 亜矢は絶望的な気持ちになって、兵士に押されるままに大きなデスクの前に立った。

 デスクの向こうには妙に色白で小太りの軍人が座っていた。尊大な顔つきをしている。

 警察軍の司法将校だというその男が、亜矢の顔の前に指を突きつけて言った。

「おまえたち日本人は他国の実状への認識がない。お前たち麻薬シンジケートがわが国だけでなく、自分の国をも汚染していることをなぜ知ろうとしないのだ」

 だって、といいかけた亜矢を遮って、司法将校は演説口調で続けた。

「お前は裁判にかけられる。もちろんわが国は民主国家だから日本の大使館へは連絡してやるし、弁護士もつけられる。だが、わが国では麻薬の所持は死刑と決まっている。おまえの場合、現行犯だから控訴はできない」

 亜矢は血の気が引いた。足から力が抜けていく。

「し、し、死刑ですって?まさか、そんな馬鹿なことがあってたまるものですか」

「バカなのはお前だ、日本人。おまえは国家の主権ということを知らないのか。おまえはこの国の法を破り、この国で逮捕され、この国で裁判を受けるのだ。考えてみろ、おまえたちの国の直ぐそばにある非民主国家なら、即決死刑なのだ。法治国家であるわが国で、正当に裁判を受けられるのが幸せと思うべきだ」

 亜矢は言葉を失った。

 法務将校が続けた。

「死刑は公開で行われる。親族を日本からよんで立ち会わせてやってもいい。費用はおまえ持ちだが。先月逮捕されたアメリカ人は、発狂したまま銃殺された。そう、銃殺だ、死刑の方法を言っていなかったな。わが国では銃手4人による銃殺と決まっているのだ。安心しろ、とどめに銃隊長が拳銃で後頭部を打ち抜いてやるから確実に死ねる」

 亜矢は、目の前が白くなった。全身から力が抜けて、立っていられない。

 薄れていく彼女の意識の片隅で、白いジャケットの男が笑っていた。亜矢は、旅魔王さんとつぶやくように言って、床に崩れ落ちた。

 その時、ドアが開いて若い兵士が入ってきた。

「法務官どの、日本大使館員を同道して、わが警察軍司令閣下がお見えです!」

 兵士の言葉が終わる前に、ドアが大きく開け放たれて、3人の男がはいってきた。

 亜矢が気がついたとき、ベッドの中だった。

「ここは、もうあの世なの?わたしって、もう死んでしまったの」

 白い服の男が、ベッドサイドに立って亜矢を見おろしていた。

「病院だよ、ここ。キミも仕方ないなあ、あんな連中にだまされるなんて」

 どういうことなの?何がナンだかわたしにはわからないのよ、と亜矢はその男に言った。

「キミにラジカセを渡したのは、国際的な麻薬シンジケートの売人で、インターポールを通して手配中の香港人だ。キミの逮捕騒ぎのあいだに逃げられては困るのでね、ちょっとキミを助け出すのは後回しにさせてもらったんだ。ごめんよ」

「あなた誰なの。どうして、こんなことに」

「ご存じ、キミのEメール友達、旅魔王だよ。キミと旅行先で会おうと約束したはずだがね」

「だって、あなたいま、彼らを追跡して行ったって言ったじゃない。わたしとの約束で来たんじゃなかったの?」

 亜矢の眉が次第につり上がってきた。

 男は人好きのする顔に笑いを浮かべていたが、亜矢の剣幕にあわてて手を振った。

「休暇をもらって空港へ行ったら、たまたまあの二人を発見したってわけだ。いや驚いたね、これまで手配にも全く引っかからない連中だった。おまけにボクの前で、ずうずうしくも素人運び人の調達にも成功したわけだしねえ」

 亜矢の眉がすこし下がった。

「なんの仕事しているの、旅魔王さん」

「厚生省の麻薬課に勤めている。ばいたいが主なしごとなんだ」

「なんなの、それ。ばいたいって」

 男が額に手を当てて笑った。

「あ、ごめん、業界用語だな、こりゃ。バイタイってね、売人対策のことなんだ。薬物のね。ところでこの国に対しては、キミはオトリ捜査の担当者ということにしてあるからね、話しをあわせてくれるかな」

 亜矢は男の笑いにつられて、にっこりした。

「で、成田空港ではわたしってすぐわかったの」

「キミということは、すぐにわかった。メールに書いてあったように、メグ・ライアンをちょっと太くした感じ、と言う点では文句があるがね。メグ・ライアンを太くしても、こうはならない」

「・・・・・・」

「しかし、ま、ぼくは痩せた女の人は苦手なんだ。うちの上司の女がとにかく口うるさくてね。彼女、がりがりに痩せたキャリアのおばちゃんなのさ。で、どう、仕事は終わったし、こんどはボクもトム・ハンクスになろうと思うんだけれど」

 亜矢はクスクス笑って言った。

「あなたがメールで書いていた、痩せたトム・ハンクスってのにも文句があるわ。彼が痩せてもここまではならないわよ」

「・・・・・・」

「でも、わたし太った男の人は苦手なの。うちの上司、あだながマシュマロマンっていうんだけれど・・・」

 亜矢がそう言ったとき、スコールの前触れだろうか、思いがけなく涼しい風が、病室の白いカーテンを揺らして部屋を通り抜けていった。

もどる