平成13年3月4日の手控えより
杜氏たちの宴
 鹿児島県で毎年行われる焼酎鑑評会のことを前に書いた。
 その入賞銘柄を眺めていて、あらためて思うことがある。
 

貴匠蔵-黒瀬康美
八幡-高良武信
さつま寿-黒瀬貞美
桜島-黒瀬安信
黒瀬杜氏-黒瀬宏樹
養老-黒瀬和吉
利右衛門-黒瀬和吉
不二才-黒瀬矢喜吉
紫尾の露-黒瀬一海
石蔵-黒瀬東洋海
高砂-木場修一
黒粋華奴-宿里正治
島乃出水-黒瀬勉
薩摩茶屋-村尾寿彦
百合-塩田将史
(平成12酒造年度の入賞から一部抜粋)

 このリストに、黒瀬姓を9名見ることができる。
 鹿児島県川辺郡笠沙町黒瀬は薩摩半島の南西の端、野間半島の山間に位置する集落だ。 狭隘な地形には耕作に充分な農地があるはずもなく、農閑期には男たちは出稼ぎに村を離れるのだった。県内だけでなく、九州一円に散り、様々な職についたと聞く。
 そして黒瀬の名を長く伝えてきたのは、焼酎杜氏としての働きだ。
 焼酎造りはサツマイモの収穫期である夏の終わりから始まる。仕込みの季節になると身内から信頼できる蔵子を連れて様々な蔵へと出掛けて行く。蔵子はやがて杜氏となりまた次の世代へと黒瀬杜氏の技を伝え続ける。麹、酵母、水、温度、蔵に通す風にいたるまで自然・生き物をあいての仕事だ。黒瀬の酒造工たちが特別の職能集団として蔵元に厚遇されたのは当然だっただろう。
 だが、本来もっとも人の手と技・経験が反映されたはずの麹造りが自動製麹機の発明によって機械化されてから、杜氏の役割が変わり、数も減少してきたという。また農大醸造学科で学んだ後継者ないし社員の採用によって蔵自身から杜氏を産む傾向もある。これは造りの技の企業化という動きに他ならない。人と土地に伝承されてきた黒瀬杜氏の技、願わくば生きた技として継承されて欲しい。

 萬膳酒造の杜氏、宿里利幸氏は黒瀬杜氏の長老だ。氏が霧島山中の手造りの焼酎蔵で、甥にあたる万膳利弘氏に伝えつつあるもの、そしてそのあり方こそが、静かな輝きを放っているように思えてならない。

 ところで、この稿のタイトルの意味について書く。
 先日、杜氏たちの宴という話しを薩摩郡出身の友人から聞いた。
 県内各地の蔵での仕事が終わると、杜氏たちは故郷の村に帰ってくる。それぞれ自分が造った焼酎を下げて。
 蔵の話し、造りの話し、半年ぶりの懐かしい顔だ。焼酎を酌み交わしながら、話題は尽きないだろう。そして、彼らがこの年の焼酎について「鑑評」しあうだろうとは誰しもが思うことだ。杜氏による相互鑑評会、その結果が発表されたり、銘柄が表彰されたりということはない。しかしこれほど実質のある評価はないだろう。
 平成12酒造年度の、杜氏たちの宴で行われた「鑑評会」での入賞はどういう酒だったのか興味は尽きない。

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