手控え(14.9.15)より
ほっとしよう
γ-GTPの値が900という酒飲みの知人がいる。茨城出身の豪快な奴だ。学生時代、寮で同部屋だった。一時600まで下がったらしい。「このごろまた飲んでるからなぁ、またちょっと上がったかもしれないな」と言う。900が600でも、はたまた300に下がったとしても、ハッキリ言って病気だ。本人にはその自覚がない。会社が別だから直接には知らないのだが、人づてに聞くと、昼間の彼はうつらうつらと寝ている時間が長いそうだ。彼は小生と同年だ。先日、お昼に会って話した。久しぶりだった。皮膚が赤い。吹き出物も多く、肝臓が悪いと一目でわかる。

(ひるね蔵酒亭表紙より)
「どのくらい飲んでるんだい?一日に」と聞いた。
「5合くらいだな」
25度換算で、だそうだ。500mL缶二本飲むビールは勘定にはいっていない。
このごろ本格焼酎、とくに芋焼酎に目覚めたというので聞くと、
「ロックで2合ばかり飲んで、あとはペットボトルなんだ」
「え?ペットボトル?」
「大五郎とか、な」
「甲類か。なにか混ぜて飲むのかい?」
「いや、そのままだよ」

彼の酒は静かだ。決して荒れない。
饒舌だが、うるさいということはない。
飲兵衛としては上質だ。
しかし、飲み方もその量も異常だ。γ-GTP値はさらに異常だ。彼には妻と、来年大学を卒業する息子と、まだ中学三年生の娘がいる。

甲類なんかのまないでさ、芋をお湯割りでゆっくり飲むのが美味しいよ。二合ばかりを時間をかけて飲むぶんには心配ないと思うけれど。いろいろ言っては見たが、なにも聞かない。聞き入れない。自分が飲み過ぎという自覚がないのだから、しかたがない。
「肝硬変で死なないでね」と言って別れた。

「何が嬉しいかといってね・・・」とその蔵元さんは自分の酒が評された最高の言葉を教えてくれた。なにげないその言葉がいまでもどんな論評より嬉しいのだという。
「この焼酎は、なんだかほっとするんだよな〜」と、ある焼酎の会でお客がつぶやいた言葉。この言葉が蔵元さんの脳裏に張り付き、屋根裏の酵母菌のように繁殖し、焼酎造りの季節を迎える時にはかならず思い出すのだそうな。
製法がどうの、麹菌の種類がどうした、薩摩が球磨が、飲み方はまず・・・などと論うこともない、飲兵衛が一日の仕事が終わってカミさんと一杯やり、「ほっ」とする酒。これが最高。そんな感想をつぶやいた飲兵衛氏に幸あれと祝福したい。
思うに焼酎のみならず、アルコールの意味はそこにあるのだろう。一日の疲れを癒し、あすへの活力を湧き上がらせてくれる「晩酌」にこそ。
これを鹿児島では、「だいやめ」という。
一日の疲れ(=だれ)を癒し(止め)てくれるのが一杯の焼酎なのだ。
もちろん休日の昼、ゆっくりと酒を飲む幸せはなにものにも替えがたい。だがそれも普段の生活あってのこと。理屈のための議論と同様に、ただ漫然と飲むために飲むような行為に走っては先が知れている。

酒は一日の疲れを癒す量で足る。わかってはいるが、その量で足りなくなるのも飲兵衛の業というものだ。
カバをやって、過ごして、翌日機能不全におちいることは誰しもある。
そういうこともあるけれど、やっぱり長く楽しく焼酎とつき合ってゆくには、「ダイヤメ」の飲み方が理想だ。
美味しい焼酎で一日を終えて、ほっとしよう。
あしたがんばるぞという気持ちが湧いてきたらそれでいい。
今日一日気張った。家族も元気だ。美味しい焼酎があってよかった。
嬉しさと感謝の気持ちで盃を重ねる。
そして言う。
「まっこち、よか晩な〜」

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