14.12.22の手控えより
宮崎アニメの教えるもの
2002年4月3日号の「News Week」の特集は「世界が宮崎アニメのとりこになる日」だった。
それから約10ヶ月たったいま、なんと宮崎アニメにアカデミー賞か?という声が聞こえ始めた。
1999年、ディズニーが全米に配給した「もののけ姫」は興行的には失敗だった。300万ドルの宣伝費に対して興行収入が230万ドルしかなかったというから仕方がない。その直後に公開された「ポケモン」のアニメ映画は7000ドル近い収入を上げたというから、宮崎アニメは惨憺たる結果に終わってしまったわけだ。
ディズニーに代表される、マニュアル的に完成された商品としてのアニメと違い、(アメリカのショービズ界では受け入れられない)「個人技」の宮崎アニメには、「もののけ姫」の失敗以来、バイヤーは近寄りもしなかったらしい。だが、アメリカはヨーロッパの文化的権威・評価に対しては本質的に弱いものを持っている。「ポケモン」や「セーラームーン」の商品価値に群がっていたアメリカ人たちは、ことし2002年、東から欧州に吹き寄せた「職人の魂」を大西洋越しに感じ、アメリカに上陸するや飛びついた。
2月のベルリン映画祭で「金熊賞」を受賞し、「東からの強い風」と絶賛された宮崎アニメ、「千と千尋の神隠し」である。9月にアメリカで公開されたこの作品は、全米映画批評会議(12月4日)、ロサンゼルス映画批評家協会(14日)から、それぞれアニメ部門の最高賞を受けた。
そしてこの16日、ニューヨーク映画批評家協会が、今年の同協会賞の最優秀アニメーション作品にこの宮崎アニメを選んだ。アカデミー賞長編アニメ部門への道が見えてきたといっていい。

宮崎駿はアニメ映画に強烈なこだわりを持っている。アメリカの映画監督のように、「興行的成功」に向けて「マニュアライズ」されたアニメ商品を「作らされる」ことなどまっぴらごめんと思っているに違いない。彼は自分の思いをテーマとして数少ない信頼できるブレーンの手を借りて「作品」を造りだしている。マニュアル化した「商品」が必然的に光を失ってゆく運命にあることとは全く別の次元で、魂を綾なして織り上げたような映画の職人の「作品」の放つ輝きは、造り手が不変である限り不滅だと思う。

ここで拙文の「アニメ」を「焼酎」に、「興行的成功」を「大量市場化実現」に置き換えて考えてみると、なぜか文意が完璧に一貫してしまうんですね〜^^;。商社や甲類メーカーなどのマーケティングに乗って「生産」体制を取ったメーカーにはそうなさざるを得なかった事情があったのだと思うけれど、マスマーケットを前提とする以上そのプロダクトはマスプロでなくてはならない。そしてマス・プロダクトはライン工場の効率性規範によって管理され評価されるのが必然だ。
乙類焼酎が農業に根っこを置く製造業であるかぎり、工場生産のマスプロになりようはないのだが、「クリエイティブ」と「プロダクト」の刃境にラインがあるとすれば、それがここにごく薄く引かれているように見えてしまうのだ。
海外をとりこにしようがしまいが、宮崎さんのアニメの本質は不変だろう。同様に、九州の地でこつこつと自ら思う造りによって焼酎を産み出している人たちにとって、現在のブームは彼らの(彼女らの)本質・本然を変えうるものではないと思うのだけれど・・・。


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