本格焼酎ひとりごと
「マーケティングでは造れない・・・終わりが始まり」



眠る地酒たち(大隅にて)
三年前(平成15年)の11月、こんなことを書いた。

「いま日本酒の落ち込みには酷いものがある・・・ブームまっさかりの<焼酎>のことをつい思ってしまう。
押さえなくてはならない視点は全く同様である。踏まえなくてはならぬ軸足と言っていい。
鹿児島の風土、文化そのものを薄っぺらなブランドにしてはいけない。肝要はなぜなすかである。そして「造る」ことそのものである。
マーケティングはその次の次の次ぎ。ブームがブームである限りはかならず終焉の時が来る。そこで残るもの、それが本質である(概意)」

その「焼酎ブーム」に、既にかげりが見えているのは各種統計データが示すとおりである。
つい先日の報道で「それでも、鹿児島の芋焼酎は順調」というのがあった。どこの段階で順調なのだろうか。流通滞貨が増えているだけでなければいいが。

この段階であらたに焼酎販売に乗り出す麦酒メーカーもある。
芋はコガネセンガン。そうパンフレットには書いてある。
芋と麦のふたつのラインナップで、コンセプトは「香り」のようである。麦は減圧、芋は常圧。計算し尽くしたこれらの酒の目標販売量は千石だそうな(間違っていたらすみません)。
産地は鹿児島だろうとは思う。さて、かの三徳利(中国語です、すみません)は串木野の蔵との関係が良く知られているが、この麦酒メーカーが提携した蔵があるとは聞かない。ただ千石のOEMを造れる蔵は(そしてそんな可能性があるのは)一場か、二場。
地酒の香りを消して(造り手の顔を消して)、全国に流通させる焼酎という主題は、マーケットに受容されるだろうか(とりあえず売れるかといえば、それは売れるだろう)。まあ、焼酎ファンの屯する場にせっせと足を運んでのんべえ達の話を聞くといった蔵との姿勢の違いは明解であるというか、もう別物だ(善し悪しの問題ではない)。

さて、ここにきて鹿児島の蔵の、貯蔵タンクに「芋原酒」が余りはじめている。
サツマイモ生産も調整が必要な段階にあるかも知れない。そんな現地からの声も聞える。

この「ブーム」の恩恵といっていいだろう、産地では蔵の新設もあった。再興もあった。
だが、日本酒の落ち込みに触れて三年前に書いたとおり、永劫にそれが続く保証はない。
外部環境に影響されるのはメーカーの経営として不可避であるが、焼酎造りの原点について言えばマーケティングではないと思うのだ。それは造りへの気持ち、造る酒への思いではなかろうか。

消費者インサイトとやらに整合させて多種多彩な製品を作り、効率の良い原価とロジスティックを構築し、インセンティブを強化した営業力などで販路を拡大してゆくといった一般的なマーケティングは「地酒」としての焼酎にはあてはまるまい。先週の日曜(18.7.9)に行われたまさるやさん主催の「酒人好の会」に参加の蔵は、小規模な蔵はもとより、大手の蔵もそのほとんどが「職人の魂と技」を第一の価値に置いている蔵元さんだった。

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