「500年の技と和魂中菜」

平成15年11月15日


ブームの熱気の陰で目立たないけれど、大事な問題が市場の成熟に伴ってすこしづつ語られ始めている。「輸入冷凍芋」のことだ。中国で処理し冷凍したものを輸入して焼酎の原料にしているケースのことをこの一週間で様々な人が口に上らせるのを聞いた。焼酎は地酒。地産池消が本来の、土地の風土や文化に根ざした酒であることは勿論だ。だが市場が拡大すれば産業構造として需要に応える供給を要求されるのも当然。したがって設備投資、造石、芋の増産体制の整備などいくつもの施策が採られるわけだが、国産、輸入とわず冷凍芋を使用することも選択肢のひとつとなっている。
物事には善し悪しがある。課題を早くそして的確に見て、確実な対応をなすことの大切を思う。

現在焼酎の原料として「中国の冷凍芋」の使用を公表しているのは一部大手のメーカーだけである。そして公表してはいないけれど原料芋の不足に対応する方法として中国の冷凍芋を使用しているメーカーは実はけっこうある。
一概にこの選択を否定などできないのは、急速な拡大を見せるマーケットに安定供給する一つの選択肢であるからだ。
もちろん、芋焼酎をはじめとする本格焼酎がマーケットに受容された理由の根源は、文化性や風土性をしっかりもった酒であること、土地の暮らしに根付いた地酒であることだ。これを忘れてはいけない。

選択肢を拡大するのは供給が追いつかないという現状への対処手段と考えるのが基本だろう。
また、中国芋を現地で蒸しあげて冷凍し輸入することで原料芋を処理する工程が省力化できるし、コスト面でのメリットも大きい。国内産甘藷の生産に関わるリスクヘッジとしての意味もある。だが物事には常に両面がある。中国冷凍芋のメリットには、上記のように、本来の風土文化としての「焼酎」のアイデンティティが損なわれるのではという懸念も付帯する。また、一般消費者にとっては原料の正体がわからないという「信頼性」にかかわる課題が大きい。

市場が要求する量を供給するには昔ながらの季節限定操業という地場の鮮芋を使用した造りのカタチだけでは当面対応できないのは明らかだ。ここで二つの言葉が浮かぶ。トレーサビリティ(商品の履歴追跡可能性)とディスクロージャー(情報公開)である。いまどのようなプロダクトも、この概念がなくしてマーケットにポジショニングすることは出来ない。先日(平成15年11月12日)摘発された「大隅産直センター」による鹿児島黒豚偽装事件はこのタブーを二重に犯して鹿児島の一次産業全体の信頼性を傷つけたのだった。

生産履歴を明快に表示することでその商品の価格的妥当性は消費者に受容して貰えるし、信頼を獲得できるだろう。ダイヤメの酒とハレの酒が自然に分化してゆき、飲兵衛の選択肢は安心感とともに広がるとも考えられる。
輸入冷凍芋の使用で、芋焼酎の産地特性が喪失するという懸念もある。
日本中どこだって芋焼酎を造れるじゃないか、という声もあるだろう。だが、鹿児島の焼酎の歴史は500年である。長きにわたって練り上げられてきた造りの技があってこそ輸入冷凍芋を原料としても、キチンとした芋焼酎が誕生する。大事なことはメーカー側のハッキリとした情報開示と一歩進んだ広報だ。
中国冷凍芋を使用した「和魂中菜焼酎」、鹿児島産の芋を使った「薩摩焼酎」・・・明解な情報開示があれば、あとは飲兵衛の側が判断するということだろう。

原産地での検品加工処理にまでその技を注入することが現在なされているかは知らないがそうあるべきと思う。また中国とのつき合いにはカントリーリスクを考慮する必要もなおある。
生産地(畑)における残留農薬や、生産芋そのもののチェックなども必要になるだろう。それにかかるコストをどう見積もるかも課題ではある。

だがいずれにせよ、自分たちが出荷する「焼酎」の正体があいまいでは消費者の信頼を得ることができないし、消費者を納得させることも不可能である。

いま芋焼酎ブームといわれる狂熱のまっただなかである。この状況の中でこそ、「今の次」を冷静に考えて、なすべきことがあるのではなかろうか。

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