「アタマの中の江戸を歩く」

平成15年11月16日


突然晩秋が冬に衣替えした。

飯能市のハーブ園では紅葉が見頃だという。城山ヒルズでの打ち合わせを終えて外に出たら雨は止んでいた。
ちょうど昼休みに入ったばかりの時間だった。
スタバはOLやサラリーマンで一杯。仕事場のある新橋までは20分ほどだ。
散歩がてらに歩くことにした。

神谷町の駅を過ぎて御成門方向へと坂をくだってゆく。
江戸時代、この一帯は寺社地だった。
いまも青松院や青龍寺、光明寺などそのままに残る寺が多い。
寺や神社の屋根だけを見ていると古きよき時代に転時したかと錯覚する。
いま金地院は鹿島神伝直心影流の寄る辺となり、西久保八幡は薬丸野太刀自顕流の有志の方々の稽古場である。太刀を振るう気合いまでも聞こえてくるようだ。

坂の道沿いにはプラタナスの並木が続いている。
洗いざらした迷彩服のような幹色。
西新橋三丁目で歩道橋を渡る。この交差点には歩行者用の信号も地下道もない。
バリアフリーとかユニバーサルデザインとかいう時代なのにハンディを持つ人たちのことを何も考えていない。

御成門の交差点を渡り、日比谷通りを左折。
ここいらは大名屋敷が壮大な塀を連ねていた一帯。
裏側には大身の旗本の屋敷があった。
ここからはえんじゅの並木になる。
どんより曇った空を青い細かな葉が点描し高く伸びやかに広がっていた。
左手に見える慈恵医大病院は伊予松山藩の上屋敷跡だ。
因みに大使館やホテルなど大建築は、大名屋敷の広大な跡地に建っているケースが多い。
たとえばアメリカ大使館は常陸牛久藩(茨城)一万国の上屋敷跡、そのとなりのホテルオークラは、武蔵川越藩(埼玉)十七万国の上屋敷跡である。

人も車も混雑を極めるアスファルトの道を歩きながら、アタマの中で切り絵図(古地図)の道を辿って行くのはなかなか楽しい。
しかし目はしっかり現代の道を見ていないとクルマにひかれてしまうので用心が必要だ。

西新橋二丁目で右折して新橋駅方面に。
ホルトノキの低い並木は女子バレーの高橋選手のように青く元気だ。

赤レンガ通りに出て左折。ここはハナミズキ並木。
かなり葉は落ちているけれど鮮やかな紅葉を見せていた。

結局25分ほどで仕事場に帰り着いた。
昼休みの時間はまだたっぷりあるというのに媒体担当から電話。
某新聞社に入れる原稿のチェックを手伝ってくれとSOS。担当者が急に休んだのだという。
こうなるとセクションは関係無し。彼が差し出したMOを媒体本部のマッキントッシュに入れて開き、原稿をコピーし、チェックシートのデータを確認して作業完了。
さきまで浸っていた江戸の風情は液晶モニターのむこうに儚く消えました。

窓のそとには浜離宮。
そのすぐ向こうは切り絵図ではもう江戸の海だった。

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