本格焼酎ひとりごと

「酒がまとうもの」


本格焼酎の需要が逓減し流通滞貨が問題となり、いささか焦っているひとたちが増えている。たしかに一時のブームは終焉した。
というまでもなく、ブームと捉える限り終わりがあるのは当たり前だ。それを見据えていたかどうかが今のそれぞれの状況を招来した。

都内の一等地に出店し、一日一万の来客があると豪語していた店。まあ、小生にはそのころでもそうは思えなかった(仕事場が近かったのでわかる)。いまは見る影もない。
店内には、いつのまにかワインや日本酒が増えてきた。ま、それはそれでいい。しかし、おかしいなあと思うのは、焼酎全盛のころの、その店の雰囲気と今のそれがあまり変わらないということ。

その店にはおびただしい酒がある。
産地毎に或は原料毎にジャンル分けされていて、それはそれはりっぱな店頭だ。
しかし何かが違う。本格焼酎や清酒の、本当のファンが知っている酒屋さんとは決定的にちがうところがある。

それは、店にならぶビンの中に酒がはいってはいても、結局それだけでしかないということ。その酒たちは何も話さないのだ。そういう店ではないのだ。

酒は地酒である。
これは世界のどこでも変わる事はない。その酒がいわばメジャーなブランドになり他の土地を歩き始めてもそれはそれでいい。たったひとつ、その産地、造られた土地の人々の暮らしを映しているならば。

酒は土地のものだ。
その土地の文化(広い意味の歴史といっていい)を削ぎ落として、コマーシャリズムなラベルだけで歩き回る酒は浮遊するしかない。

酒は産まれた土地の人と暮らしそして大気までもまとってなくてはならないと思う。
酒のまとうそのようなものを伝えるのは商う店の店主、そしてスタッフだろう。
発信は造る人、扱う人。すべて人、人である。
ブームがなんたらという人が多くなったいま、そんなことをよく思う。

(平成22年2月2日改訂)

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