焼酎寸言

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莫祢氏(あくねし) 
.....大石酒造  222.....鹿児島県阿久根市波留1676 電話0996-72-0385     (平成14年9月14日記)


王冠に「アクネ 美味いネ 自然だネ」と特産標語が書かれてある。地元の焼酎であってなお域外のファンも多い。
鹿児島市内から国道3号線を北上して出水に向かう。川内川を渡り鹿児島本線と並行して約10キロ。湯田口の先からは、道は海に添って走る。西に東シナ海をみながら約16、7キロメートル。延々と続く絶景を堪能しながら阿久根の町に入る。ここには大石酒造がある。「蔵純粋」「がんこ焼酎屋」など、個性的な焼酎を造る蔵だ。


阿久根の海。絶景だ。

大石酒造の焼酎との出会いは、「がんこ焼酎屋35度」を「鹿児島焼酎台帳2000版(当時)」さんから取り寄せたのがはじめてだった。もう2年も前になるだろうか。
「兜釜式蒸留機」で蒸留した酒だと、この「がんこ焼酎屋35度」のことを聞いたとき、なんという古式回帰だと驚いたことを覚えている。社長の大石啓元氏が復刻(といっていい)したこの兜釜式蒸留機はそのシンプルな構造にもかかわらず濃淳な芋の香味を重厚に正面にだした酒を産んだ(ジョイホワイトを使用した焼酎としては例外的なほどのインパクトを持つ焼酎だ)。「莫祢氏」はこの蔵の代表銘柄。レギュラー酒といっていい。黒麹で仕込む芋焼酎25度。こたえられない程の飲み応えを堪能させてくれる秀逸な焼酎だ。

■飲んでみた

北薩のレギュラー酒といっていい焼酎。大石酒造には「鶴見」という銘柄があり、これまた美味しい芋焼酎だけれど、今は「莫祢氏」が大石さんを代表する銘柄になっている。1.8リットルで、千円台半ばのプライス。驚きだ。
この酒の個性は、まず芋焼酎とは思えないほどのフルーティさにある。このファーストインプレッションは、いま流行りの飲みやすい焼酎を評していうフルーティさとは全く違うものだ。
がんこ焼酎屋や蔵純粋に通じる良質の芋焼酎特有の香ばしさが余韻に潜み、くちあたりの柔らかさやのどごしの滑らかさに驚いたあとに、押さえ切れぬ喜びを伴奏して芋香が重低音でやってくる。まさしく本格派の芋焼酎だ。
これを書いているのは、14年9月14日。午後4時半。テキストをタイプしながらつい小さなグラスでいっぱい(^^;)
栓を抜いただけで芳香がさっと広がる。アルコール特有の刺激など一片たりともない、たまらないまろやかな味わいには感動すら覚える。この焼酎、穏やかな表情の奥に、言い尽くせないほどの美味さを秘めている。
お前はいつも誉めてばかりだ、冷静な評価というものができないのか、とお叱りを受けそうだが、そのとおりだから言い訳できない。冷静にして意のこもった論評は、加世田の焼酎伝道師にして薩摩精酎組の組長、にっしーさんのレポートをご覧ください。

この「莫祢氏」、命名の由縁を知れば一層味わい深くなるに違いない。阿久根市の歴史紹介の一節を、同市のサイトから引用してご紹介しよう。


阿久根の地名が日本の歴史上初めて見られるのは、延喜式の「英祢(あくね)駅」であるとされ、平安時代の前期、西暦901年から922年の頃になります。当時の薩摩の国における主要道路上の宿駅で交通機関である「伝馬」と「駅馬」が置かれていました。当時は「英祢院(郷)」と呼ばれ、平安時代末期には阿久根の最も古い豪族、平家の一族神崎太郎成兼が「英祢氏」を名乗り、院司として支配していました。市内の波留地区と山下地区の中間、南方神社北側一体に英祢氏の集落があったと思われています。
鎌倉時代には「英祢氏」は「莫祢氏」となり、地名についてもその様に表記されるようになりました。
以後は島津一族の支配下にあり、1451年、莫祢氏(九代良忠)は薩州島津家の家老として仕え、家名を「阿久根」とし、地名も「阿久根」に改めました。


阿久根市ホームページ「阿久根の歴史」より

 
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