薩摩帰国手控え
平成20年9月20日〜25日

9月20日午後三時半、 JAL1871便は予定よりやや遅れて鹿児島空港に着陸。
刀剣を預けていたので空港を出るまでに多少時間を要した。その間、たまたま同じ便だった佐多宗二商店の社長と少しだけ立ち話。話題はもちろんあの「米」が巻き起こしたことなど。蔵元さんたちは一様に深くそして遠い目線をもって考えていると感じたのだった。

空港前で待っていてくれた薬丸自顕流顕彰会萩原師範の車で一路大隅へ。
風景はずいぶん変わってしまったけれども変わらないものもある。岩川の小学校と校庭のすみに設えられた土俵は昔のままの配置だった。学校の裏山の上の八幡神社から見下ろすと、生まれた家のあった場所がすぐにわかった。


(左)八幡神社にある戊辰の戦い、十年のいくさの慰霊記念碑(右)私領五番隊隊長大津十七

同行してくださった大隅あつみ会の澤会長、焼酎「私領五番隊」の生みの親、生産農家の竹下さんたちが、
「ああ、あそこは○○さんのとこいじゃったいなあ」
と話していた。
四歳でここを離れた小生にはその人を知るはずもないが、半世紀以上の時間を通して昔の風景を幻視したような気がした。
萩原師範と澤会長の自宅でしばらく語り辞去。そのまま鹿児島市内へ。

老父母の住むマンションで、弟夫婦その長女たちとの食事。
酒は「相良」。この酒の濃醇さ、重ねの厚さは半端ではない。お湯割りでいただいた。


21日午前9時、薬丸自顕流の同門一同は池之上町の薬丸宗家宅に集合。
県庁差し回しの大型トラックに叉木と横木、それに打ち棒を積み込む。
演武する市立玉龍中学校の生徒は二年生全員120名。道具の数も半端ではない。
この道具だてを揃えるのに力を貸していただいた多くの方々に衷心より感謝。
この日、鴨池の陸上競技場で行われた「ねんりんピック2008」のリハーサルは、時折襲来するスコールの合間を縫っての展開となった。



現場で工夫を惜しまないディレクターや、おもに演武構成の面からの意見を出すわれわれの意図を理解し咀嚼して生徒たちにどう伝え、どう動かすかを考え実行する中学の先生がた。
非常に良いリレーションの中で、午後三時、リハはなんとか終了したのだった。
トラックや人員の移送、道具の整理を終えて宗家宅で細部の打ち合わせ。
このプロジェクトの中心となって頑張ってくださっている西原理事は体調のまだ完全でない中、獅子奮迅の働き。誠に頭が下がる。
お父さん介護の密命(?)を帯びて、愛娘のまりちゃんが心配そうな表情で手伝っている姿がけなげだった。

夜、南洲神社下の居酒屋「ロッキー」で有志による懇親会。気の置けない人々と話しつつ芋焼酎を飲むのは楽しい。飲み放題で料理もたっぷり。これで3000円。「桜島」と「小松帯刀」をお湯割りでいただいた。



22日昼前に市内中心部にある宝納酒店。
所用のついでに伺ったのだった。店主の若松さんは丁度他出されたところでお会いできず残念。
奥様としばらく話した。
中国から輸入した汚染米の偽装流出の被害についてなど。西酒造の広告の話もでた。
リスク広報としてタイミングを間違うことなく、なにより真摯さが伝わってくるメッセージは、一酒造場だけでなく南九州の芋焼酎全体の信頼につながったのではないか。

夕刻、名山堀「鷹」、薩摩精酎組のアプさんのご母堂のお店だ。
mixiではいつもお会いしているが実際にはなかなかお目にかかれないメンバーとの宴。あたらしいマイミクさんの縁も二人いただいて楽しい飲み会になった。
アプさんが用意してくれたのは、かねて買い置きの「薩摩宝山」と「田苑」。お湯割りで芳醇極まりない味わいを堪能。



23日午前九時半、南洲神社。
社務所の二階にある「四方学舎」に同門一同集合。「西郷どんの遠行(せごどんのえんこ)」で由来の場所を練り歩いた子供たちが最後にやってくるのがここ南洲神社。昔ながらのイチョウの大木のある広場で薬丸自顕流の体験を子供たちにしてもらうのだ。
大河時代ドラマ「篤姫」の効果だろうか、昨年より遥かに多い子供たちが、自分からすすんで列を作り、繰り返し体験した。指導する同門たちもその熱気に驚き励まされたくらいだった。

とつぜん「おやっとさあ」と声をかけてきたスリムな紳士。
振り返ると精酎組組長のにっしーさんだった。昨夜は同窓会ということで鷹に顔を出せなかったとのこと。
この時間にここにいるということは?と聞いたら、
「朝までのんじょいもした」さすが組長。


子供達の列が終わらない。そのはず、なんども並びなおす子が多い。女の子が元気。

24日午前中、篤姫関連の展示を見にゆく。
この大河ドラマは非常に出来がよく視聴者をひきつけるポイントを弁えていると思う。大河としては女性を中心とする熱烈なファンを獲得し、視聴率も25%前後と例のない高視聴率と聞く。
脚本もいい、役者もまたいい。だが惜しむらくは劇中に登場する薬丸自顕流の「技」である。
子供たちが稽古するシーン、寺田屋で同門同士が斬り合うシーン、生麦で奈良原喜左衛門がイギリス人リチャードソン(馬上)を斬るシーン、すべて技の考証の跡がない。支離滅裂である。

現場ディレクターは実際にビデオを持参して取材にきたし、体験もしてもらったのだが、それがまったく活かされていない。不思議だ。


午後二時、福昌寺。
すでに稽古していた同門藤井くんと合流。夕方に神戸からの修学旅行中学生たちが見学に来るというので早めにその準備にかかった。
五基の叉木・横木をセットし、打ち棒を用意した。
稽古場を帚で掃く。帚目をゆっくりとつけてゆくうちに、次第に心も静かになってゆくと感じるのはいつものことである。
今回の演武見学は神戸の甲南中学二年生たちが対象である。
校長先生の「どうしても薬丸自顕流を見学させたい」との意向だという。



知覧の特攻記念館から大型バス四台に乗った中学生たちが到着したのは午後六時を回っていた。
同門6人での演武だった。
簡単に歴史や技、その意味についての解説を加えながら実施した。
最後の打ち回りを激しく終えた時には拍手が沸いた。宵闇が迫り、最後の光が次第に消えてゆく中で中学生たちにすこし体験をしてもらった。彼らの心の中に、薩摩の自顕流がしっかりと残ったのであれば嬉しいのだが。


午後七時、名山堀「のり子」。
南日本新聞社のメンバーとの飲み会。
南日本新聞社の本社がこのすぐそばにあったころお目にかかった方とも再会。名前を「ツツミ」さんと仰る方だった。
「○○高校の○期生なんですよ」と仰る。
「なんちね、あたや○期生じゃっど(ツツミさんより一年先輩だった)」
「あら、そいなら、うちの姉がおまんさあと同じ期ごわんど」
それで合点がいった。
端正な容貌のツツミ氏は、高校生時代のマドンナ、ツツミ○子の弟だった。
「姉にはもう大きな子供が二人おいもす」
そうだろうねと時間の速さを実感したのだった。
この店は焼酎の銘柄を言わない。
白金さんの白麹の味わいだったが、さてどうだろう。お湯割りでいただいた。アテはガランツ、納豆豆腐、にがごい(ゴーヤ)の炒め。まことに正しい薩摩のノンカタ。


25日午後一時半、ふたたび玉龍中学。
本番直前に全団体で行う通しリハまで今日一日しか稽古日は残っていない。
到着した時には宗家と西原理事が、20組の道具のメンテナンスの作業中だった。
薬丸自顕流顕彰会の面々は(宗家を先頭に)自ら黙して、できることを淡々と会のために行っている。これは本部はもちろん、東京でも同じ。武道を志す者としてつねにそうありたいと思う。
ときどき小雨が混じり、あるいは強い日差しが照りつけるという変な天気だった。
生徒たちを動かす工夫として応援団から借り出してきた「太鼓」を使用した。その合図は指導の先生にお願いした。これが非常に良かった。若い先生がうちならす太鼓は、勇壮な雰囲気をいやおうに高めていた。


午後三時半稽古終了。
宗家宅にて着替え、挨拶して辞した。
萩原師範が車でリムジンバスのターミナルまで送ってくれたのでスムーズに空港へ。

飛行機が遅れて羽田到着は午後十時。
おまけに西武線が人身事故で乱れ、自宅帰着は零時を過ぎていた。
荷物を整理し、汗を流して軽くかみさんとビール。
なんと、この一週間かみさんは酒を飲んでないという。
禁酒一週間、小生なら死んでいる。

羽田の売店で買った週刊文春をチェック。
52〜53P見開きに、一月ほど前に書いた拙文が掲載されていた。
と、いっても四人の選者による「今週のベスト10」企画なので、原稿は取材聞き書き風に編集されていた。
まあ、こんなものでしょうか。

10月2日号  

一週間の薩摩はこうして終了。
お会いし、お世話になった沢山の方々に感謝。




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