薩摩帰国手控え
ねんりんピック2008鹿児島」余談。
平成20年10月23日〜26日

10/23午後三時、JAL1871便は激しく揺れながら、ほとんどジェットコースターのように鹿児島空港に墜落もとい着陸した。飛行機は苦手ではないけれど、スッチーの緊張した声を聞くのは苦手だ。
羽田で買って機内で食したサンドイッチと麦酒が逆流しそうだった。


晩のダイヤメ用に、焼酎を仕入れに行った。
実家の前にある焼酎蔵「相良酒造」。たまたま社長と奥様がいらした。すこし話した。

「焼酎はたくさんの兄弟と一緒ごわんど」と社長。

兄弟でもそれぞれの性格があり顔つきも違う。おなじ米麹、芋を使用しても味わいは造りの数だけあるということか。含蓄。
今度、蔵を見学させて戴くことを約して辞去したのだった。

24日午前十一時、宝納酒店。
いつも優雅な語り口の奥様と話していたら店主の若松さんが汗を拭きながら登場。
突然の来訪、闖入者に暖かく丁寧にご対応くださった。

焼酎のこと、薩摩の人のこと、話は自顕流のことにまで及んだ。
若松さんは気骨のある方だ。
その姿勢には一切の揺るぎが無い。話していると、酒匠であり武士である、そんな気がいつもする。

若松さんと近くにあるラーメン「のぼる屋」。
昔と変わらない店内。代替わりしたけれど伝わるものは普遍、不変。



午後三時半、南洲神社。
神前に参拝し、社務所の二階にある四方学舎で薬丸自顕流顕彰会の本部スタッフ、東京道場からの同門との打ち合わせ。
あすの「ねんりんピック2008鹿児島」開会式での演武の手順を再確認したのだった。

ねんりんピックのことについては、薬丸自顕流のサイトに書いた。↓こちらです。
http://www.rivo.mediatti.net/~hiken/081025nenrin.html

学舎の窓から見る桜島が見事に綺麗だった。


打ち合わせを終えて午後六時に散会。
天文館ですこし買い物。まだ夏の香りが濃い薩摩もこの時間は涼しい。
今日鹿児島に入るカミさんとの待ち合わせまで二時間。これは飲むしか無い。
と、いうわけでそぞろ歩きながら市役所近くの名山堀へ。
ご存知、本格焼酎党の聖地「鷹」に向かった。

予感が走った。
きっと薬丸自顕流同門の堀内さんが飲んでいるのでは。
携帯を取り出してボタンを押した。

「はい、いま鷹ごわんど。きやっとですか?」

その一分後に引き戸をあけて鷹のカウンター。酒客アプさんのご母堂がいつもに変わらない笑顔で迎えてくれた。
隣り合った飲んべえ氏たちと歓談、また歓談。



ねんりんピックでの演武を終了したその夜、懇親会を実施した。
同門が店長をつとめる鳥料理の店。
持ち込みの焼酎、差し入れの焼酎。
どんどん供される地鶏料理の豊かさ。
語らいの弾みも嬉しい、すばらしい夜になった。

26日、同門たちは演武の道具整理やこの日に行われる妙円寺詣りにと忙しかったはず。小生は飛行機の時間が迫っていたので失礼したのだった。



鹿児島中央駅近くの空港バス乗り場まで、市電(いわゆるチンチン電車)に乗った。
乗って電車が動きだしたところで気がついた。
ポケットに小銭が無い。
5千円札しかない。

「ちょっと待ってくださいね」と運転士が丁寧に言った。そして信号待ちの時に、
「ご乗車のお客様、5千円を両替いただける方はいらっしゃいませんか?」
とアナウンス。乗り合わせた何人かのご老人たちが小生を見た。

「あわてもして、すったい忘れちょいもした」
そう言ったら、爺さん、婆さんたちがにこっと笑った。

運転士がまた言った。
「お客さん、もうすこし待っててくださいね」

山形屋のヨーロッパ風の建物が特徴の「いづろ」の電停で、何人か乗り込んできた。
運転士がまたアナウンスしてくれた。
若くはないが、まだおばさんと言うにはためらわれる年配の女性が財布を取り出した。
「両替、でくっよ〜」

小生は5千円札を広げてそのご婦人に差し出した。
「シワシワですみませんね」
ご婦人が千円札を数えながら差し出して言った。
「こちらもシワシワで、おあいこです」
小生は頭を下げて、
「お肌はツルツルごわんど」

ご婦人とその連れの女性たちが大笑いして電車の中が一瞬姦しくなった。

運転士がにこやかに見ていた。
鹿児島の人の思いやりや明るさ。
この国の人たちの最強の武器なのかもと思った。

JAL1868便は定刻をすこし遅れて離陸した。
午後五時半、自宅に帰着。
東京は薩摩より一足早く晩秋の景色を深めていた。





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