ダイヤメの徒然 北京編

平成17年8月1〜6日

酒、中国語、人また人。
仕事以外の事をだらだら綴ったダイヤメの徒然です。

8月1日(月曜日)
パスポートを放り投げる
曇り空の成田。JAL781便は定刻1025に離陸、約三時間の飛行の後北京首都空港に到着した。
いつも思うのだが、入出国検査官の応対はその国のファーストインプレッションだ。不法入国者などに厳しくあるべきなのは当然だが、それにもやり方があるのではないか。
これまでで最も感じが良かったのはニュージーランドの入国審査官だった。次がイタリア。中国のそれが非効率で無愛想で横柄なのは国柄だろうけれど、高層ビルを台湾と競って建てたり、街をライトアップするだけではなく中身のホスピタリティをも考えないとやがてくるオリンピックの時に外国客たちにお里が知れてしまう。


焼酎ダイニング・バーの小姐。(お店は下の方で紹介しています)
ちゃんとお湯割りを作る。一升瓶を「振る」ともっといいよと教えたのでした。


タクシーの客引きの手を振りほどき、正規タクシー乗り場へ。
珍しく穏やかなハンドルさばきの運転手だった。おとといの雨で北京は涼しくなったと嬉しそうに言う。たしかに空港を出ても懸念していた熱暑は気配もない。28度ほどか。
高速から東三環北路に入り朝陽路との交差点にあるホテルに到着。チェックインをすませて徒歩で北京事務所へ向かう。この一帯は開発中のエリアで、そこかしこ家が取り壊され、道が掘り返されている。当然ながら道はデコボコでほこりっぽい。
「東京オリンピック前の東京と同じ風景だよ」と、東京の新宿に実家があった同僚Dが言った。仕事を終えて(なにしろ「ダイヤメの徒然」なので、そうなります)、朝陽門外大街の「旺市百利」にある北京料理「大菜楼」へ。安くて美味い店と聞いていた(ホントにそうだった)。

ここは個室宴会場もある大きな店だが、団結湖の北と東直門内大街にもコンセプトの違う店があるらしい(団結湖北斗条の店には北京最後の夜に行った)。
同僚達とこの店で10時過ぎまで真面目な話しで過ごす。
宿に帰り、部屋でお湯を沸かし、持参したパック焼酎「黒白波」のお湯割りを二杯。
テレビの画面には「抗日60年」の文字・・・。


世界反ファシスト戦争勝利60周年記念・・・


8月2日(火曜日)
時間を楽しむすべを知りたいもの

相変わらず涼しい朝だった。
午前中は約束の時間に一時間半遅れた来客との会議。午後は車を飛ばして北京の郊外といっていい昌平区へ。

ここでの打ち合わせを終えて事務所に帰りレポート作成。終わってホテルに徒歩で帰る。モウモウとホコリがたっている朝陽門外大街をゴミや痰を避けながら歩く。車が右側通行ということをつい忘れて道を横断。トロリーバスに轢かれそうになった。
それにしても大通りを信号など関係なしに横断する(過馬路)技術では中国人の右にでるものはないだろうなと感心する。 


朝陽門外大街の通勤風景

ホテルのロビーで待っていてくれたのは「チャイナ・ラジオ・インターナショナル」の日本班に勤めるS嬢。
我々の年代には、「北京放送」といったほうが分かり良い。東京駅ガード下の焼酎バー「熊'S」のマスター、熊さんの昔からの知り合いである。
北京を知り尽くしている放送人との情報交換には計り知れない意味があると期待していたのだった・・・が、眼前に登場したのはあの爺さんマスターの知り合いという勝手な先入イメージとはかけ離れた美人女史だった。又聡明又可愛・・・と中国語の会話例文には必ずでてくるフレーズがアタマをよぎった。
とりあえず気を取り直した同僚Dと小生は彼女の案内で夕食に出かけた。天安門前門の路地を通って視界が開けたところに一軒の古い建物があった。看板に「第一楼」とある。


風情のある店構え・・・



食後、その胡同の商店街を歩く。老北京という言葉がぴったりの夜の風情だ。
この古い街の夜はいやになるほど長い。その時間を楽しむすべを知ればさらに良いのだろうが、ただの出張者にはなかなか叶わない。
「ここは美味しい小籠包を出すんですよ」とS女史。
この店、キャッシュオンデリバリー。
「ビール、二本!冷えたのをね!」と小姐に注文すると即座に「20元!」と返事。注文した燕京純生ビールと一緒にレシートとお釣りが来た。一本10元、約135円くらいか。
大きな蒸籠に詰め込まれた二種類の小籠包がやってきた。この文章を書いていても涎がでそうなほど美味かった。ほかの料理も実に美味しい。台湾のディンタイフォン、上海の預園、いずれも有名だが、この店は前門の胡同エリアという雰囲気もありさらに美味佳菜という風情だ。


8月3日(水曜日)
北京の暴風と豪雨そして雷鳴


打雷(カミナリ)。豪雨と雷鳴で午前四時ごろに目が覚めた。
北京で一番の高層ビルというこの宿全体が揺れている。カーテンを引き外を見ると何条もの雷光がひっきりなしに天から落ちて地を打っていた。カメラを構えたがマニュアルの銀塩カメラとは違いBモードがない。デジタルカメラの便利さは確実に創作の面白さを削いでいる。

雨の中を車を飛ばして北京北西部の海淀区。
距離的にはさほど遠くないが、訪問先の回りは学生街と田舎の渾然一体という風情。会議を終えて近くの潮州料理の店で昼食。味付けあっさりめの海鮮料理は日本人に向いている。

おいしくのむには笑顔がいちばんの肴1

見て回ったスーパー、地元商店、コンビニ・・・どこも10数年前に北京の国営友誼商店で感じたのとは別世界といっていいほどの売り子の愛想の良さ。
これがまさしく経済原則なのだろう。
王府井書店で「北京生活地図册」、「軍民両用汽車司機図册」を購入。
前者は自分の資料、後者は仕事場の同僚への土産(^^;)。

仕事を終えてホテルに帰り再びS女史と再会。日系超市(スーパー)の一号店、ローカルスーパーや商店街を見て回る。靴屋で安売りしていた革靴を買った。今朝の雨のために、朝陽門外大街の工事現場を歩いていてどろどろになり、あまつさえ底が抜けた靴をここで履き替えたのだった。6折(4割引)で90元と値札が付いていたが、「ドゥーアルチエン(いくら)?、便宣点アルba(すこし負けて)」と聞いた。もうすでに値下げしているからダメと小姐からは冷たい返事。約1200円ほどで購入したのだった。


お茶販売店の試飲コーナーを喫茶店代わりに・・・するひともいるらしい(^^;


タクシーを拾って北京市の東南、潘家園へ。
開店したばかり、というよりプレ開店の焼酎レストラン・バー「MANZO」。S女史とそのご友人たち三人との情報交換会(^^;)。相当年代の離れた合コンのようなものだねとは同僚Dのセリフ。現地の日系広告代理店で営業に汗を流しているO女史、北京で営業部長として活躍しつつ、・・・中国って不思議な魅力を秘めていて、心底腹立つことに数限りなくあっていながら、それでもここで暮らしたいと思ってしまうのです、とそのホームページ「北京de道楽」に書いたY女史。多彩な方々との時間は楽しくも有意義だった。


おいしくのむには笑顔がいちばんの肴2
この地で何年もの間くらし、働いている人の見識と判断は耳を傾けるに値する。
本や新聞を読むだけでは分からない沢山の「ファクト」をお聞きしたのだった。
この店はまだ焼酎の数は揃っていなかったが、棚には「白波」をはじめ、いくつかの酒が並んでいた。料理がすばらしく良かった。
たぶん(^^;午前零時ほどに解散。酒に弱い小生、飲むメンバーが美人でも部酢でも顔は紅くなるが、美人の場合飲み過ぎるのが反省の種である。


「MANZO」〜北京市朝陽区潘家園路YiLongTai公寓1F 010-8770-8767



8月4日(木曜日)
苦労の代償でしょう。


宿でお粥の朝飯をすませて事務所へ。午後、同僚Dと市内中心部にある某社を訪ねた。
ここでの会議は約二時間で終了。
日系企業現法であるその会社の社長が、
「人材ってのは、難しいです。ごく一部の優秀な人材と、圧倒的に多いそうでない人々でこの国は成り立っていますからね。中間がいないんです。育てる、ということが出来ないのは辛いものですよ」とため息をついた。

この国の危うさはここにもあるとあらためて思ったのだった。持参した秋田の日本酒を差し出したら、「これが、一番です!本当の日本酒でとことん飲みつぶれてみたいですなあ」と破顔一笑。相当ののんべえ氏とみた。現地生産の日本酒もあるのだが、味がいまいちなのだそうな。


小皿でビール
仕事を終えてホテルに帰る。同僚Dとバーでビール。
日系の某デザイン会社で働く仕事仲間のT嬢に電話する。
ことし留学先を卒業して勤め始めたばかりの日本人女性だ。撮影の進行全般をやっているとか。制作会社の現場進行担当はいわばなんでも屋である。自衛隊と同じく24時間勤務である。仕事で遅くなるけれど、ぜひ飲みましょう!と電話のむこうの声が明るい。意外にも仕事場は我々の宿のすぐ近くだった。

午後九時、T嬢と同僚のDの三人で、東直門内大街へ。
一軒の「酒 口巴(口と巴は一字)」(バー)でビールとワイン。
仕事の忙しさと量と言葉の問題で身が細るほど苦労しているという。たしかに「越来越(ますます)」細くおまけに美人になっている。苦労はするものである(ここ、見てないだろうな)。



8月5日(金曜日)
毎天「単面二個」。卵専門コックと馴染みに。


宿の食堂でパンと熱い豆乳。単面(片面焼きの目玉焼き)二個とベーコンの朝食。
午前中は書類仕事。昼食は事務所近くのラーメン屋で「拉面」の(小)と蒸し鶏の小皿。同僚Dと二人で20元(約270円)。これで腹一杯になる。子供連れやカップルが昼飯を取りにきていた。
拉面の(小)のはずが、「アルシイィ〜(21番)」と予約番号を呼び出されて取りにいってみればこれが、でかい。となりのネーちゃんが食べているチャーハンも日本の一般的なチャーハンの倍の量はある。
この国では人の話し声も、蝉の鳴き声も、そして食事の盛りつけもデカイ。
食事のあと次の会議までの二時間ほどを周辺を散歩して過ごすことにした。すこし南に歩いた一帯は大使館が密集しているエリア。自動小銃をもった兵隊がパトロールしている。舗道を曲がろうとすると兵隊が無愛想に手で遮る。しかたなく他へ回る。

思いついて、近くで路に座り込み腹をだして涼んでいたオヤジさんに「秀水市場はどっちですかね?」と聞いてみた。教えて貰ったとおりに、交通規制で通れない路を迂回して長安街にでた。
秀水市場はかって露店が街路沿いに集積していた場所だ。いまはひとつのビルになっている。中での商いは昔と変わらないのではと教えて貰ったことがある。
冷やかして歩き、すこしだけ討价還价(値段交渉)して小物を買った。こういう市場では、目的より方法のほうが面白い。

午後、車で豊台区。北京の西南のはずれである。ここでの打ち合わせを終えて同行してくれた中国人スタッフと別れ宿に帰った。もう日がとっぷりと暮れていた。CCTV番組のプロデューサーL氏とその同僚J氏とお会いしてメディア状況を聞く。話がすんだところで北京料理店へ。店は団結胡の北にある「大菜楼」。初日の朝陽門外大街の同店と同じ系列だ。客席は少ないがこぢんまりとしたよい店だった。料理も文句の付けようがない。場所を移してウイスキーを飲みながら暫く話した。あす番組の撮影をするので見学に来ないですか?とL氏。制作現場の何よりすきな小生、よろこんで応じたのだった。
宿に帰ってのダイヤメは「黒白波」のお湯割り。これしかないのでそうなります(^^;)。


8月6日(土曜日)
グッバイ、ベイジン。


宿をチェックアウト。「押金単収回(ya1 jing1 tan1 shou1 hui2)」というフロントの言葉が聞き取れず紙に書いて貰った。

前入れ金を精算するだけでも中国語だと苦労する。しかし、実際に当面したシーンで、聞いて分かった言葉は二度と忘れないだろう。

フロントには先だって北京を案内してくださったS女史から小さな包みが届いていた。日本にはない種類のスープと麺だった。同僚Dと、東京の「熊'S」バーの店主氏への包みとともに届けてくださったのだった。感謝感謝である。
チェックアウトしてまもなくロビーにL氏、J氏が登場。CCTVの番組制作を見学したのち空港に向かう段取りである。

長安街を西にまっしぐら。北京のはずれといっていいのだろう、五環路まで走った。田舎である。
十数年前とかわらない田舎の風景。
その中に建っている国営のスポーツセンターでの撮影だった。

エキストラの大学生がわらわらと集まっていた。制作進行を見ていると、やはり日本のそれとの違いが一目で分かる。あまり細かいことに頓着しない。
全体を統括するディレクターがいるはずだが、カメラマンたちはあまり言うことを聞かない。
それでもそんなことをいちいち気にしていては先に進まないとばかりにL氏は遠い目で眺めていた。まあ、これでなくてはやってゆけないのかもしれない。

五環路を、山手線的に言えば外回りに走って首都空港への高速公路に乗る。道は事故もなく空いていた。予定より余裕を持って北京首都空港に到着。
横柄、無愛想な係員、そして混み合った出国審査ゲートを抜け、機内持ち込み荷物の安全検査(北京空港はこういう順番。日本とは逆)へ。
制服の係員に「這個 イ爾的 口馬?(お前のか?)」とトランクを指さされた。開けろという。しまった、事務所の中国人スタッフLクンに買ってもらったハサミを入れっぱなしにしていた。「不要了」と言って彼らに渡し無事に通過したのだったが、Lクン、ごめん。

滑走路のコンクリートがはがれたので、という理由が放送され、出発は二時間遅れた。午後五時JAL782便は北京を飛び立ち東京へと向かった。まだ黄昏の明るさの北京から飛行機は東へと闇の中に帰ってゆく。東京に到着したのはすでに午後九時を回った時刻だった。
さまざまな人々に会い、話した一週間。仕事はもちろん、個人的な関心事にも応えてくれた一週間だった。持参した「黒白波」は四分の三ほど残してホテルに残してきた。置いてきた課題も沢山あったが、持ち帰ったものもさらに多かった。まるで軽井沢のような涼しさだった北京から較べれば東京は熱暑。人間まことに万事塞翁が馬、である。
お会いした方々に感謝。いつかまた、Beijing zai jian! 北京でお会いしましょう!


壊される家々

龍眼

 ひるね蔵酒亭