焼酎寸言

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雄山一 原酒 OYAMAITI
 
三宅島酒造  東京都三宅島三宅村神着1198番-1        report 2011/2/10 
(麦焼酎。白麹仕込み。麹は米、アルコール度数は40度) 日本は火の国だ。国史を紐解けば至る所にその痕が見いだせる。富士山は古代からこの国の象徴的火山だったから遠く延暦19年(西暦800年)、平安時代が始まってまもない昔の記録が残る。
三宅島の噴火の記録は応徳2年(1085)以降、鎌倉、室町、江戸そして明治、昭和と続く。そして記憶に鮮烈に残る平成12年(2000)の大噴火となった
9月の全島避難の時に、この島にあって酒を造り続けていたただひとつの蔵「伊ヶ谷酒造」もその活動を止めたのだった。
平成17年に避難解除となった三宅島、その二年後の平成19年、酒を造る人々がふたたび立ち上がった。それが蔵を新築移転を機に改名した「三宅島酒造」であり、造る酒が「雄山一」である(改名は20年)。この原酒は平成21年夏に蔵出しされた。三宅島島民の復興へのほむらが閉じ込められているような思いがする。

東京七島の焼酎造りは、抜け荷(密貿易)の責めを負って八丈島に流された薩摩の商人、丹宗庄右衛門に始まる。穀類で酒を造る事を幕府に禁止された島の人々に、薩摩から原料芋と製造道具を持ち込んで教えた。19世紀半ばの事だ。薩摩藩の経済改革、いわゆる天保の改革にあたった調所笑左衛門広郷の活動時期と重なる。つまりは薩摩にとっては大事な人材だったのだろう、薩摩藩のバックアップなしで出来たとは思えない。島の酒はほかの島々にも伝搬し、そのひとつの流れが三宅島の伊ヶ谷酒造に到達した。大噴火のあと、避難解除から二年を経た平成19年秋、三宅島の浅沼さんからメールをいただいた。そこにはようやくこの暮れに稼働できそうだと書いてあった。翌年の秋11月には島内での販売を始めたとあった。まだまだ酒質には不満でさらに試行錯誤しながらよいものを造っていきたいのですがと自問自答されておられたその回答がこの「雄山一」の原酒だった(と、勝手に思い込んでいます)。三宅島酒造の浅沼M美さん、鹿児島県加世田にルーツを持つ方である。

■米麹の丸みにローストしたような麦香が寄り添う。独特の美味さ。

白麹仕込みの酒。麹は米である。
東京七島の酒は芋焼酎、麦焼酎を問わず麦麹が主流だ。というか、三宅島酒造だけが米麹を使う。したがって香味に米麹特有の深みと広がりを持っている。

開栓する。穏やかな麦焼酎独特の香りがたつ。
ローストした麦のような香ばしさがその香りに沈潜しているが、強烈ではない。グラスに注ぎ、さらに香りを上立たせる。すこし口に含む。苦みが微かに感じられる濃醇さの底に、カカオのようなオイリーさが静かに潜んでいる。
口の中で広げてゆく。膨らみのある麦の味わいと豊かな静謐ともいうべき佇まい。喉越しはスムーズで余韻はすっと切れる。極めて上質のダークチョコレートを思わせる酒である。


(グラッパグラスで香りをきく。深い麦の香ばしさが抑制的に漂う)

この酒、ストレートでいただくのが最適だろう。ゆっくりとチビチビと時間を咀嚼するように楽しんでゆくのがこの雄山一原酒にはよく似合う風景だと思う。
レギュラーの「雄山一25度」について。
これは造り手さんがどう仰るかはわからないけれど、お湯割りでいただいた時に味わいのふくらみが一番豊かになった気がします。
まあ、飲み手の好きずきと言えばそのとおりですが。


(左:700ml 25度のもの〜三宅島酒造ホームページより)


 
 
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(c)hiken@2011.2.10