「酒と火の出会い」資料準備室

ROOM / 12345

ただいま、準備酎です

1900年ごろに、朝鮮半島全羅道で製作されたもの。ヘレニズム型と中国型の折衷様式。
<取材協力:TaKaRa酒生活文化研究所>

年代 日本・琉球 中国・亜細亜 その他
~BC.1000 縄文・弥生初期 BC513魯の昭公が鼎鋳造 BC.3000メソポタミアでビール&ワイン醸造
~300 弥生文化 BC139張牽シルクロードを開く
BC133方士李少君武帝に錬金の言。BC112「酎金の罪」が史記に記載。
アリストテレス(BC384~322)4元素論によりワインの蒸留を記す。アレキサンダー大王エジプト征服。アレクサンドリア建設(BC331)以降7世紀のアラビア人による侵攻まで錬金術が隆盛。蒸留機は銅製でギリシア語で「アムビクス」というキャップあり。
~1000 平城・平安時代 618白楽天(唐代)が「焼酒初めて聞き、琥珀香ばし」とうたう。ただしこの焼酒が蒸留酒であるかは定説無し。
9世紀に、中国大陸にアラビアの寄港地が存在した。また唐の勢力圏は朝鮮から中央アジアに至った。
北宋中期(1000年ごろ)、田錫「麹本草」で、シャム(タイ)の蒸留酒を紹介。
7世紀(641)アラビア人によるサラセン帝国の拡大。「アムビクス」にアラビア語の冠詞「aI」をつけて蒸留機を「al-anbic~アランビック~」と呼ぶようになった。東西にまたがる蒸留機の名称のルーツ。しかし、アラブ・イスラムは酒はむかしも今も御法度。蒸留機と酒の「蒸留」は別々の道にあった。
~1300 1185鎌倉時代

1338室町時代

1271 元朝成立
アラビア伝来の蒸留機をモデルとしてカメと竹で組んだ蒸留機が登場。「飲膳正要」に「阿刺吉(あらき)という焼酒」が登場し、「居家必要事類全集」に製法の詳細がある。
1274マルコポーロ開平府到着
この時期とほぼ同時に朝鮮では「焼酒」の蒸留が知られるようになった。蒸留機「古里」によったかどうかは?である。
1277元ビルマ侵攻
1281元日本侵攻(弘安の役)
1347~50 ヨーロッパに黒死病流行

「生命の水」ブランデーの蒸留が盛ん。ただし、薬としてであり、のんごろ嗜好飲料となるのは16世紀以降。ほとんど日本とかわらない。
~1500 1404、1407 朝鮮から対馬に「朝鮮焼酒」が届く。1461 琉球王から朝鮮に「天竺酒」が届く。ココヤシの樹液を蒸留したもの。
この時代、中国との交易盛んなれど、輸入品目に「焼酒」なし
1477 漂流民による「李朝実録」により琉球諸島の「酒」に関する記述。沖縄本島には、「焼酒」ににた強い酒あり。
1516ポルトガル人広東に
1520タタール明に侵入
1494「アクアビッテ」という言葉が、スコットランドの公文書に初めて登場。ウイスキーの始まりだが、これも薬あつかい。

~1600 1515琉球「焼酒」島津公に
1546 山川にオラーカありの記述~アルヴァレスの日本報告(米焼酎か?)
1549 ザビエル鹿児島に
1559 薩摩の郡山八幡神社に「焼酎」の文字を記した木片
1632タージマハールの築造
1644明滅亡
1662清建国
1688外モンゴル清に降伏
1579 アクアビッテ(生命の水)がスコットランドで「酒」として盛んに飲まれる
1630 フランスコニャック地方でオー・ド・ヴィ(生命の水)生産が盛んに
~1700 1612〜島津氏、琉球「焼酎」を徳川将軍へ
1672 琉球焼酎を「泡盛酒」と書くようになる
諸国で「粕取焼酎」生産あり
1760清、東トルキスタンを侵略 1730 コニャックがごく普通に飲用される
~1800 1705 前田利衛門により薩摩に甘藷到来
1782橘南渓「いも焼酎はうまい!」(『西遊記』)
以降、鹿児島の焼酎は甘藷が主流に
1800清阿片を禁止
1831 イギリス人イアニス・コフィ、アイルランドで「連続式蒸留機」を発明
~1900 1853 丹宗庄右衛門、八丈島に甘藷焼酎の製法を伝える
文化文政時代 江戸の清酒100文、名酒300文、さつま焼酎500文、阿久根もの800文
1894(明治27)日露戦争
1895(明治28)連続式蒸留機登場
1899(明治32)焼酎の自家製造全面禁止
1910(明治43)日本酒精宇和島工場にて酒精式(新式)焼酎製造
1953(昭和28)奄美諸島返還で黒糖焼酎認可
1840阿片戦争
1842南京条約
~2002

「蒸留機」と「時代・エリア」

■アレクサンドリアのアランビック
アリストテレス(BC384~322)4元素論によりワインの蒸留を記す。アレクサンドリア建設(BC331)以降7世紀のアラビア人による侵攻まで錬金術が隆盛。アラビア人によるサラセン帝国の拡大。蒸留機を「al-anbic~アランビック~」と呼ぶ。ただし、錬金術師時代からサラセン帝国を通して、酒を蒸留したということは確認できない。
もしかして、アラビア人の目を盗んで、錬金術師が東洋の黄金国の酒からなにかレアメタルを取り出そうとしたかも?

■サラセン帝国の東征
705−715  アル・ワリード1世
スペイン〜北アフリカ〜中央アジア〜インダス川流域に至る最大版図を実現。

■しゃむろ(タイ)の蒸留酒
北宋中期(1000年ごろ)、田錫「麹本草」で、シャム(タイ)の蒸留酒を紹介。

■サラセン帝国と西征するモンゴルの出会い
1258 バグダード周辺に勢力を保つのみだったアッバース朝カリフは、フラグ率いるモンゴル軍に滅ぼされ、カリフ制も絶える。

アランビックとモンゴル式の出会い。そして、外だし、冷却システムの中国式への発展

■元の蒸留機〜アランビックの東洋化
 カブト式〜内取り式(モンゴル)、外取り式(中国)
 麹を使用するもろみの形態〜液体か、固体か〜蒸籠式か鍋式か、その折衷式か
1271 元朝成立
アラビア伝来の蒸留機をモデルとしてカメと竹で組んだ蒸留機が登場。「飲膳正要」に「阿刺吉(あらき)という焼酒」が登場し、「居家必要事類全集」に製法の詳細がある。

■朝鮮
 粒露式〜らんびきにつながるスタイル
1274マルコポーロ開平府到着
この時期とほぼ同時に朝鮮では「焼酒」の蒸留が知られるようになった。蒸留機「古里」によったかどうかは?である。
1404、1407 朝鮮から対馬に「朝鮮焼酒」が届く。1461 琉球王から朝鮮に「天竺酒」が届く。ココヤシの樹液を蒸留したもの。

大陸伝搬と、海洋伝搬とのルートは別々にあったような気がするがどうか?

■沖縄
1477 漂流民による「李朝実録」により琉球諸島の「酒」に関する記述。沖縄本島には、「焼酒」ににた強い酒あり。

■薩摩
1515琉球「焼酒」島津公に
1546 山川にオラーカありの記述~アルヴァレスの日本報告(米焼酎か?)
1549 ザビエル鹿児島に
1559 薩摩の郡山八幡神社に「焼酎」の文字を記した木片

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