全体戦略としての標準化と個性の魅力

「テーブルウエアと焼酎・・・だって?な〜んとお上品なこったい」という声が聞こえてきそうだ。(^^;).......焼酎はカッコつけて飲むもんちゃうがな、とか、飲み方にこだわりなんかなかとよ、生のままごいごいいくが男たい、とか、割水しておいて湯煎なんち能書きなんぞせからしかあ、焼酎はくらしの酒たい、ポットでじゃばじゃばお湯ば注いで飲むもんにきまっとるぅ〜、とか、まことに正しいご意見が聞こえてきそうな気がする(^^;)でもまあ、難しく考えずとも、美味しくのむための工夫が焼酎への関心につながっとなら、それはそれでよかこっかもね?

このところ、芋焼酎を飲ませる店が増えた。小生がふらつく薄暗い日比谷や新橋のガード下の店も例外ではない。チューハイが不動の一位を占めてはいるが、ちゃんと薩摩の芋焼酎が単品でメニューにある。もちろんここが肝心なのだが、一杯あたりの量が多くて、値段が安い。イス代わりのビールケースに腰を下ろし、チューっとお湯割りを飲み干して月が昇った空を見上げると、そこには高層ホテルのラウンジの輝きが天を圧するように広がり瞬いている。夜の底に座り込んですする芋焼酎も、天空の城で優雅にお飲みになる酒も、酒に変わりはあるまいよ・・・とぶつぶつ呟きながら飲んでいたら、「なーに、あそこでも芋焼酎がいま一番やわ」と連れのTが言った。

「なに?お前あんなとこで焼酎飲んだのか?ったく、カッコつけて・・・」
「へ、へへ。彼女と一緒やったさかい、な」
「それで、どうだった?」
お上品にワイングラスかなにかで飲んだのかと聞いたら、Tが首を横に振って言った。
「ソムリエが一升瓶を持ってきた」

大きなやかんで焼酎の燗をつけて、「からから」に入れたり、直接ガラスコップで客にデリバリーするという伝統的習俗は、まさにわが憧憬の風景である。だが、場所がどこでも、状況がどうであれ、なんでんかんでんそうでなくてはならぬということはない。居酒屋でうんちくを語り、「・・・でなくてはならぬ」調にふるまうのは愚かなことだ。だがまあ、ホテルのレストランにやかんを持ち込む愚もそれと全く変わることはないわけで、空間に応じた佇まいというものは他の酒同様に焼酎にも確かにあると思う。

さて、一升瓶はその堂々たるカタチもいいし、ホテルのテーブルに「どんっ」と置いても絵になるにはなる。小生の好きな「祥南フォント」の「堂々楷書」のごとき重厚な雰囲気は、ワインやブランデーなど、他国の酒を圧する迫力をもち、つい愛国心を刺激されるほどである。
だけれども、テーブルに置くにはいささかデカすぎるきらいがある。正面に座っているのが嫌なハゲあたまの上司なら最適だが、可愛い女性だったりすると威風堂々の一升瓶はコミュニケーションの邪魔でしかない。
このページのトップの写真、前列左から「よんよん」「御神火平兵衛」「流鴬」ひとつおいて「カンゴシナ」「白石原酒」「紅椿」「風に吹かれて」・・・。そのすぐ後ろに「伊佐錦1999」の瓶もみえる。特製・既製を問わず、いずれもデザイン的によく考えられたボトルである。これがワインなら、例外はあるけれどほとんど同じフォルムの瓶が並ぶということになる。造り手の気持ちが瓶の選択にも映えている。まことに多様な楽しさがあるといっていい。

さて、写真中央のちいさなボトルだけれど、これは「手作り一品もの」だ。三角錐のカタチをしたガラス瓶に漆喰の衣を着せて、そこにとても精緻な模様が彫り込んである。栓はコルクだ。生成の細い紐でガラス瓶の口に留められている。ボトルのガラス面と漆喰の面を赤茶のリボン状のラベルが横切っていて、そこに「gojinka tsubakijou 2000」と英文字が白く抜いてある。
谷口酒造のサイト「御神火」のカウンターでキリ番を踏んで、その記念にいただいた「麦焼酎」なのだ。
グラフィックデザイナーでもある谷口夫人のデザイン・制作だとお聞きした。
記念品をいただいたことの嬉しさもさりながら、このような「遊びごころ」に「こだわって」、プレゼントの品を手作りされたその気持ちの豊かさに感動したのだった。

「テーブルウエア」という。これは食卓のコーディネートを意味するだけの言葉ではないとこのごろよく思う。お客や家族や友人やあるいは連れ合いでもいい、食卓に着く人々を心からもてなし、思いやる心の寫しではないだろうか。

(この項つづく)

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