「きばっど!網界本格焼酎党」

O嬢、闇の酒商人を追う の第三巻

 午後5時を過ぎたのにまだ明るい。それでも川面には微かな夕闇がただよい始めて、川向こうの町屋の灯りがひとつ、ふたつと点き始めた。
 流石に九州だ、海から吹いてくる風は暖かい潮の香りをたっぷりと含んでいた。Hチャンは国分の海辺で暗くなるまで遊んでいた子供の頃をふと思い出した。

 Hチャンがこの川岸沿いのベンチに座り、スケッチブックを広げたのは午後まだ早い時間だった。河口にひろがる小さな三角州に白い鴫が餌を探している。その向こうには海が広がっていた。デザインではなく洋画を専攻していたHチャンの鉛筆さばきは堂に入っている。水彩色鉛筆で素描したものを水を含ませた筆で広げ、水彩画風の作品に仕上げてゆく。だが、Hチャンは少々焦っていた。遅すぎるのだ。あの部屋のドアが開くのが遅すぎる。

「思ったより年輩の男だったから、店でもエラい立場ぢゃっとかねえ。はよ出てこんね」
 Hチャンは、O嬢が突き止めたオークション出品者の住所を尋ね当てていた。マンションの3階だろうというJ氏の推理は当たってもいず、外れてもいなかった。マンションではなく二階建てのアパートだった。一階の角の家がそのアパート名の管理人室であり、その表札にはO嬢に連絡のあった男の名前が記されていた。姓はホークスの選手と同じだったが名前のほうは違った。

 Hチャンは筆をティッシュで拭き、スケッチブックを閉じた。遙かな海を眺めて背伸びしたとき、アパートの角の部屋からその男が出てきたのが左目のすみに見えた。Hチャンはリュックにスケッチブックとポットをしまい込み、ベンチから立ち上がった。足早に橋を渡って行く男を追う。駅のある川向こうが、この小さな町でも賑やかな一帯であることは確認していた。筑前○○駅。思いがけず小さな町の小さな駅。駅を降り立ったとき、Hチャンは潮の香りを感じて嬉しくなったのだったが・・・・・・
「まこちね〜。こげな良か町にきて、くのいちみたいな事をすっとはね〜」

 東京の池袋の雑踏ではない。人影も少ない海辺の小さな町だ。Hチャンは男の姿を見失うこともなく尾行を続けた。
 橋を南から北に渡り、5分ほど歩いたところにその店があった。もう暖簾を出していた店の中に男の姿が消えた。
 その店のスタンド看板には、大衆割烹○○海亭一号店、地の魚と地酒の店と書いてあった。Hチャンは暫く佇んでいたが、やがて思い切って店の前に近づき、中を伺った。
 間口は小さいが奥行きはそこそこある。ガラス戸の桟をとおしてカウンターの向こうにあの男が立っているのが見えた。料理人だ。
 Hチャンは大きく息を吐いて、かえろうとつぶやき、その場を離れた。
 今夜は佐賀の友人の下宿に行く。そして明日は佐賀競馬場のレースが待っている。廃止されようとしている佐賀競馬場。Hチャンはそのことを考えると哀しくなるのだった。


 東京。武蔵小山の焼酎居酒屋。
「そいで、どげんしたと?」とKクンが黒ぢょかを取り上げ、O嬢のそらきゅうに百合のお湯割を注いだ。
「う〜ん、いけんもしはならんどん、オークションの経緯と、そん店の名前を蔵元さんに連絡したとよ。多分蔵元さんが特約店さんに連絡しておいやっち思どんなあ」
 O嬢はそらきゅうをくいっと空けた。そしてT氏に差し出して「あいがと。Tさんの推理のとおりぢゃった。ま、一杯いっくいやんせ」
 驚いたというより驚愕したといったほうがいい表情でT氏は盃を受けて、おそるおそる口を付けた。
「Tさん、ぐいっち、いかんね。ぐいっち」O嬢が真っ白な歯を見せた。
「Hチャンは、きゅ(今日)はまだね」とJ氏。
「この前、3日間も休んだもんぢゃっで、きゅは残業ぢゃっち。ぐらしかなあ(かわいそう)」とO嬢が答えた。
「Hチャンから連絡をもろた時は、ひったまがったがよ(凄く驚いたよ)」ぢゃっどん、と声を落としてO嬢が続けた。「一部銘柄をありがたがる風潮はいけんかせんないかんがね。自分で飲んで味わってみて、そいで納得して美味しいち思う酒、こいが一番ぢゃっよ。そげな美味しかしょちゅは、ずんばいあっがね。もうブランド信仰はてげてげにせんな。そげんすれば、あげな汚い商売をする人間も居なくなっぢゃろどんねえ」
 O嬢が今度はKクンにそらきゅうを差し出した。
「きゅは、飲んが。おてちき(徹底的に)のまんならね〜。Hチャンが駆けつけるまではあたいは帰らんよ。よかねえ、Kクン」
 O嬢の酌をそらきゅうに受けながら、Kクンはただ頷くだけだった。

( 終わり )

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