「きばっど!網界本格焼酎党」

マネージャーの憂鬱の巻

 どっかで見たことがある人だなあとHちゃんは思った。
 そこは東京神谷町にあるTX(テレビ東京)の本社一階のティーラウンジだった。サービス カウンターの近くのソファで打ち合わせをしている男性3人。肩に白いセーターをはおっている男の人に見覚えがあった。なんていうタレントさんだったかな?
ハタチそこそこの娘にしては Hチャンは芸能ネタにうとい。競馬シンブンは隅から隅まで舐めるように読むが、女性誌などには関心がない。

 ま、いいか。Hチャンはそのことはすぐに忘れて用事をすますとさっさと仕事場へもどった。Hチャンの会社は社員4人のデザイン事務所だ。駆け出しと言っても任されている作業はたくさんある。おつかいにあまり時間をとられては仕事にならないのだ。

 Hちゃんがその役者さんの名前を知ったのはその週末、例によって本格焼酎党の定例会議が開かれた夜だった。
 赤坂のテレビ局に勤めているKクンが言った。
「Hチャンが見たのはタレントのCさんだな、きっと」
 それでHチャンは思い出した。刑事ものや時代物でよくみるタフなイメージのタレントだ。豪快な笑い声と剽軽な表情が女の子たちにも人気のオジサンだ。

 ここは六本木。思いのほか静かな一角にある江戸前寿司屋だ。カウンターの脇の棚には清酒がディスプレイされている。その中に壱岐の麦焼酎も見える。だが大隅出身のJ氏が店主に耳打ちしたとたん、党員の面々のテーブルに「国分」の一升瓶が出現した。
「伊佐美もあっどんねえ」J氏が言った。「きょうはHチャンの入党歓迎会だ。国分にしよう」
Hチャンの実家は国分市の海にちかいところにある。ラベルに書かれた「国分」の文字を見たとき、広い海水浴場で真っ黒になって遊んでいた幼いころを思い出し、Hチャン、つい目が潤んでしまった。
「Cさんって、まだ禁煙しちょっのかねえ」O嬢がタバコをまた一本取り出して火をつけた。紫煙が一筋、O嬢の形よく尖ったハナの先をかすめてたちのぼってゆく。
「う〜ん、しばらく会っちょらんどん、いけんかねえ」J氏が国分のお湯割りを一口飲んで言った。
 広告の仕事が長いJ氏は、以前Cさんの出演するCMの制作に関わったことがある。Cさんのマネージャーがなかなか面白い人でJ氏とおなじく釣りファンでもあった。そのマネージャー氏がしみじみと語ったことがあるんだと、J氏が話し始めた。
「あのタレントさんはタフなイメージで売っちょっどん、じつは繊細な人ぢゃっと。持病もあるし。医者からはタバコはダメち言われっせえね。あの事件の後は、CMの契約書にも禁煙の条件を書いたくらいぢゃっよ」
「Cさんは絵も上手だったちね」とO嬢。
「驚くくらい、味のある水彩を描いてっくれたこっがあったよ」J氏は頷いた。
「玉にキズちゅうのがタバコでね。チェーンスモーカーというのを初めてみたのがCさんぢゃった」
 タバコが短くなると脇にスタンバイしている付き人の青年がさっと新しい一本を差し出す。絶妙のタイミングで火をつけて旨そうに深々と吸い込む。J氏が感心して眺めていると、マネージャー氏が「いつかは倒れると医者は脅しているんですがね」と憂鬱な表情で言ったそうだ。
 そして倒れた。雪の北海道からその知らせが届いたときJ氏は真っ青になった。次のCM撮影は再来週だ。しかも海外でのロケ。季節商品のCMだから、延期するだけですむ事ではない。CM素材の局入れの期限もオンエア予定もすべて決定している。J氏はスタッフを北海道の病院に飛ばした。病室にそのスタッフが顔を出したとき、C氏は意外と元気そうな顔色で、しかし痛切な表情で詫びたという。
「結局すこし遅れてのロケで、なんとか予定通りにオンエアできたとじゃっどんねえ、あんときは胃がひっくり返りそうぢゃったよ」
 さいわい大事に至らずに復帰したCさんは、タバコをきっぱりと止めて健康には人一倍気を使うようになったらしい。マネージャー氏の憂鬱もちょっとは晴れたわけだ。

「お酒は飲んでもよかったの?」O嬢がJ氏に聞いた。「うん、尿酸値も高かったからビールを止めて焼酎にしろと医者には言われたらしどんなあ」
 そう応えながらJ氏は、Cさんに本格焼酎を送ってあげようと思った。
 たしかにそげんですねと博多出身のT氏が言った。「健康あっての焼酎くさ」
 その言葉にKクンが頷いた。
「気を使う仕事で、時間が不規則、しかもストレスが多い。そげな仕事をしちょってタバコを離さん衆(し)は、心筋梗塞になりやすかたっど」
 脅すようにそう言ったKクンの顔を見てHチャンがそっとタバコの火を灰皿で消した。自分の仕事場の事を言われているような気がしたのだろう。
「ま、そげんゆてん、そんときにならんと反省せんのが人間の業ちゅうもんじゃっよねえ」
 刹那的すぎるO嬢のつぶやきが紫煙とともに吐き出され、またまた男たちは無口になってしまったのだった。
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