これが、はじまりだった
業務命令「旅の支度をせよ!」

 ある日、役員に呼ばれておそるおそる出頭した。
「キミ、パスポート持ってるかね」
「い〜え、持っていません(失効していた)」
「英語はどう?」
「ジスイスアペンくらいら・・・」
「健康は問題ないね」
「痔がすこし、それに血圧が・・・」

もういい。行く前には会社を受取人にした保険に入って貰うよ、きまりだから」
「へ?」

 今週末から出かける出張は、二週間の間に会議が10回あり、そのほかに3回のミーティングがある。5ヶ国、10拠点。すべてが業界関連のガイジンさんたちとの会議なのだ。
 気ままな旅がいいという人がよくいる。
 それはまあ当たり前だから、そうですねと頷くだけで、議論にならない。でも、仕事の旅でも、かなり気楽なことはある。それは、ただ一点、「スーツが要るか要らないか」にかかっているのだ。
 ニュージーランドの北島での10日間は、CM(しかも釣りメーカーのCM)の撮影だったから、ほとんどの時間を川の中や岸辺で過ごした。もちろんスーツなぞ持ってきてはいない。Tシャツとジーンズ、それに釣りに使うゴム長靴で通したのだ。打ち合わせは会議室ではなく、河原でと決まっていた。 中国での8日間も、某新聞社の北京支局長と情報交換したのが会議といえば会議だった。支局長はアロハだったから、ポロシャツにジーンズ姿のこちらも気後れすることはなかった。
 思えば仕事にしては、気楽な旅が多かった、のかもしれない。
 しかし、天は見逃さない。その罰がとうとうやってきた。
 背広を着て、ネクタイをして、革靴をはいて行く、わからぬ言葉が飛び交う会議だらけの出張! 

 冬物のスーツを一着新調した。えらい出費だ。パソコンは会社のパワーブックを持って行くから重いだけですむけれど、モデムの電流チェッカーとかワールドコネクターとかの必要機材は、自己負担となってしまった。背広を持っていくのでスーツケースも買う羽目になった。おまけにショルダーバッグなどという、持ったこともないモノも必要だというので買った。パスポートを取るのに印紙代がかかり、これも自己負担。これはまあ、しかたない。
 買い込んできたものを小振りのスーツケースに詰め、会議用の資料をショルダーにしまい込み、なんとか支度できたかなと息をついたら、背広を入れるのを忘れていた。え?ケースはパンパンだ。もう何も入らないぞ。

 


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