ドイツの徹底的な分別収集をみて思ったことなど
リ・サイクル、とポイ!の民族性について
 
(写真)ドイツの分別ごみ箱のいろいろ


 もし、皆様がもうすぐ御飯時という時分なら、あとでお読み戴ければと思います。
 いや、以前たいそうなヒンシュクを買ったことがありましたので。
 二年前の冬だったか、暴風雨のために、地獄のように揺れる釣り船で大酔いしたときのことです。朝3時からのビールとメンマ入りラーメンが悪かった。ぐぐっとこみあげてきたゲロを押し止められず、そこは釣り人のマナー、身を船縁から海に落ちるくらいに乗りだし、吐いてしまった。だが、海面から吹き上げるような烈風のために、どろどろになった麺と胃液混じりのゲロしぶきが、甲板に並んだ釣り人たちの顔に満遍なくかかって上空へと飛散し去った情景を書いたことがあります。
 勿論のこと、愛読していてくれた釣り仲間から、抗議のメールが殺到しました。「先に言え!オレは飯の前だったんだ」という訳です。
 え?「先に言え!」ですと?そうですか。ま、そういう訳で、もうしばらくおつき合いください。
 釣り船でのゲロは天然自然の理に則っている、と抗弁しても罰はあたらないでしょう。しかし、街の至る所で見かける、ゴミをポイ捨てする若者(&オヤジ)、狭山丘陵あたりの山中に大量の産業廃棄物を投棄しにくる無灯火のトラック、恥知らずな警察官僚、池袋や渋谷の駅界隈を徘徊しているガングロ、政治屋をやっているヨタ者たち、走る車から空缶を放り出すヤツ、とまあ書いているだけで血圧があがるほどの不法、無法が溢れる国に私たちの日本はなってしまった。
 この国は山紫に身を修め水明に心を清め、夕暮れに袖がふれた見知らぬ人にも気遣いを忘れず、雨の路地のすれ違いには傘を傾け、一言交わす挨拶が互いの思いを通わせていた、そんなたおやかな国ぶりだった、はずだった。

 殺伐たる現代の精神性を時代のせいだ、と抽象的概念的に片づけていいものでしょうか?先人が長い歴史の中で築きあげてきたものを知る勉強もせず、受け継ぐ努力もせず、昔を「悪い」時代とひとくくりに否定し去った教育の責任は大きいと、年寄りの繰り言ながら言いたくもなります。
 
 ドイツの分別収集の徹底についてよく報じられます。しかし、もともとドイツにすばらしい環境保護の精神があったわけではない、と聞いています。かって、ドイツの工業汚染によってライン川の生態系は壊滅し、一つの村が完全に絶滅したこともあったらしい。だが、ドイツ人はやはりドイツ人だ。環境破壊の愚と国家民族の将来への禍根に気が付いた途端、徹底した環境保護を国策とした。
 この国は一端決めたらもう止まらない。民族的美質というかやりすぎというか、いま、ドイツの環境保護に関する法的規制は非常に厳しく、またそれを国民が当然と認識し、政策を支持し、自ら遵守している。違反者への罰則も峻烈といいます。

 東西ドイツの統合を成し遂げ、NATO参加国の義務という名分のもとドイツ国防軍の域外派遣も辞さぬ国家意思を確固としてもっているドイツ。その一方で、ユーロ統合を積極的に推進して全欧の安定と成長に貢献する姿勢でヨーロッパ各国の信頼と尊敬を勝ち得ているドイツ。国連憲章にいまだに敵国として日本と並んで名を連ねるドイツの、日本との違いに思いをいたし、そしてこの国のこれからを考えると、寒々しい気持ちになります。

 かってよく通った船宿がある。海の釣りを始めたのもここだった。ビシ(おもり)とテンビンを逆に付けてしまった小生に笑いながらも親切に教えてくれた大船長は、もう海には出ていない。その息子が舵をとっている。当時、船着き場で遊んでいたちびっ子は、今は金髪で片耳にピアスのリッパな若者に育った。19才のその若船長、ゴミを海に放る客がいると静かな声で、しかしはっきりと棄ててはいけないと注意し、タモをとりだしてそのゴミを波の間からすくう。10年前の東京湾の釣り船では絶対に見ることの無かった風景だ。
 人の行為が、善し悪し問わず将来に何を残すかを考えなくてはならないと思う。

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