城郭都市の石畳、石の家
路地、空間、そして意外性について
 関西大学で中国古典文学の教鞭を取られる森瀬教授は、そのエッセイ「ヨーロッパの空間」(HP:網絡平水亭所収)の中で、「ザルツブルグ、ルーヴェン、アムステルダム、そしてロンドンのような町には、そこかしこに不思議な空間、心惹かれる空間というものがまるで泰西名画のように存在し続けている」と書いておられる。たとえば相対に平面的な日本の城郭に較べ、欧州の空間は縦と横に同じように複雑で、まるで船の中の構造のようだというその同じ思いを、実は今回のヨーロッパ訪問で強く感じた。
 城郭だけでなく、都市そのものの複雑な構造が、実は戦争に備える防備の戦略であることは論を待たないが、実際に石造りの建築物に挟まれた狭隘な石畳の路地を辿り、迷い歩いていくと、それを実感できた。建築物の窓は例外なく高めの位置にあり、堅牢な鉄格子が住む者を守っている。ここには城郭都市という概念のなかった日本の風土からは想像もできない、他者を峻烈に排除する思想の顕現を見たような気がした。
 その迷路は、今は一種不思議な空間的演出となっている。フランクフルトの狭苦しい旧市街の露地を歩いていて、喉が乾いたなあと思った瞬間、ビヤホールの看板が出現したり、路地から路地へと迷い込んだミラノでは、とつぜん目の前に碧眼の美人が出現したりした。曲がり角の先に待っているのが何かは、運と心がけ次第だが、たとえそれが犬のクソだったり、辻強盗だったりしても、不可思議な空間に充ちているこの意外性が、ヨーロッパの古都の魅力のひとつなのだろう。

 そういえば、ロンドンで昼飯を求めて歩いていたら、露地の角に釣り具屋を発見してしまった。この店でルアーやロッドをいじり回しているうちに、午後の仕事の時間になってしまい、昼飯を抜くはめになったのは、自業自得なんだろうな、やっぱり。


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