余白
濡れた石畳
 たぶん北杜夫の「ドクトルまんぼう航海記」を読んだときからだろうか、雨に濡れた古い石畳の小道とそれに映える街灯のある風景の中に、いつかは自分で立ってみたいと思っていた。

 この本を読んだのは中学生の時だから、もう30年以上も前のことになる。以前撮影の仕事で出張したオークランドにも石畳の道はあった(ような気がする)が、それは小生のノスタルジックな憧憬の世界とはやはり異質だった。ヨーロッパに出張しろと命令されたとき、持病の血圧や痔が悪化するんじゃないかと心配するかたわら、四半世紀以上にわたる夢が叶うかもという期待はあった。そして期待は裏切られなかった。
 幼少のみぎり、夢に舞うように読みふけったヘルマン・ヘッセの世界がそのまま眼前に広がっていた。道も建物も圧倒されるような石造りだった。石畳の小道のかどを曲がると、あのさまよえるクヌルプに出会いそうな錯覚すら覚えるほどだった。

 たまのオフに仲間とでかけた観光名所でももっぱら足元の石畳ばかり撮影していた。朝食の前と仕事がおわった後は時間を惜しんで街を歩き石畳に手で触れて回った。
 犬の糞が至る所に落ちているパリとミラノでは注意が必要だったが。
 なかでもフランクフルトの居酒屋街は絵に描いたような石畳の街でもあった。Sachsenhausen(ザクセンハウゼン)、18世紀の佇まいを色濃く残すこの街は中世の夢と、ホロコーストの記憶が塗り込められた地域でもある。小生が訊ね歩いて行った時、石畳は冷たく無言で夜の雨に濡れていた。
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