お茶はぬるめの


 紀子は毎日一度だけ、この時間に茶をいれる。

 父の幹夫は午後3時に紀子が運んでくるこのお茶を一杯だけ飲み、それ以降は水物を口にしない。茶を飲むと眠れなくなるし、水を飲むと夜中にトイレに起きることになるからだ。

 紀子はちょっと男好きのする容貌だという理由だけで、夫に結婚を申し込まれたのだ。レストランを経営する夫が、紀子の料理を食べようとしなくなったのは、結婚してすぐのことだった。理由は簡単だ。彼女が嫌々ながら作るメシは、たまらないほどにまずかったのである。
 義父の幹夫は、それでもしばらくの間は紀子の味付けに文句を言っていたが、やがて黙ってしまった。

 夫は2年前に死んだ。紀子は、老夫婦との3人暮らしになったが、その義母も昨年の冬に逝った。

 いま義父の幹夫は72才。義母の位牌といっしょに、離れの別棟でひとりで暮らしている。
中学を出て横浜の中華飯店に雇われ、皿洗いから叩き上げて、従業員50人を抱える中華レストランを築き上げたほどの働き者だったから、体は頑丈だし、足腰も強い。だが、息子と連れ合いを立て続けに亡くしてから急速にボケが進行して、物忘れも酷くなった。

 嫁の立場としては幹夫は文句のつけようのない存在だ。朝晩の食事は離れの厨房で自分で作っている。紀子の暮らしぶりに口をはさむこともない。妻の位牌を守り、朝晩自分で炊いたご飯を供えて、静かに毎日を暮らしている。その義父に一日に一度だけ、お茶をいれて持って行くのが嫁としての紀子の、ただ一つの仕事だった。茶は義父が自分で吟味した薩摩ものだ。湯の温度もこまかく紀子に指示していた。

「ボケ爺さんに、お茶の味なんかわかるもんか」

 そうたかをくくっていた紀子は、いつもはおとなしい義父に
「妙なにおいがする」と厳しく叱られたことがある。
 義母が亡くなって四十九日の法要が済んだ日の午後、幹夫のためにいれたお茶のなかに、ある薬を耳掻き一杯ほど溶かし込んだときである。それは、毒とは言えないほどの毒だった。数億にのぼるという幹夫の資産を2年でも3年でも早く相続したい紀子は、薬剤師の男友達から、遅効性の「毒薬」を入手し、義父の茶に溶かし込んだのだった。

 いま、紀子が薩摩茶に入れているのは、無臭無味の「毒薬」である。長く投薬すると心臓肥大を起こし、一見自然死のようにその死期を早めることが出来るのだ。

「焦ることはないんだしね、まあ、ゆっくりとね」

 紀子は茶請の和菓子を添えてお盆に乗せ、離れに向かった。茶請はいつものように、猫屋の練菓子だ。アーモンドの実を細かくまぶし、ゼラチンの表面にあしらった創作和菓子で、紀子も大好きだった。

「なかなか上手になったね。このぬるめのお茶が一番だよ」

 満足そうな義父の笑顔をみていると、この人の死期を早めて、夫や義母のもとに送ってやることが、なんだか嫁としてのつとめのように紀子には思えた。

「あのひともおかあさんも、わたしがこの手で送ってあげたのだから、おとうさんも、ね」

 そんなことを思うと、遺産のことを忘れて、紀子は功徳を積んでいるような幸せな気持ちになるのだった。

「紀子さん、ひとつどうかな」

 いつものように、幹夫が楊枝で和菓子の一切れを刺して紀子に勧めた。

「このおいしいのを、いつもよく買ってきてくれるねえ。この暑い中をね」

 たしかに猫屋の練り和菓子は一日に数巻しか作らない逸品として知られている。朝早くから並び、やっと一巻を売って貰えるのだ。買い置きがきかないから、紀子は毎日、隣りの町の猫屋まで出かけていくのだった。

「ありがとうございます。じゃあ、遠慮なくいただきます」

 そういって紀子は幹夫にもらった菓子の一切れをつつましく食べるのだった。


 秋がきて、木枯らしの季節となり、やがて雪が白い海のような空から落ちる頃、幹夫は床についてめったに起きあがらなくなった。一日中布団の中で過ごすことも多くなった。

 しかし、先に死んだのは、嫁の紀子だった。

「どんな薬でも、茶以外のモノがはいっていりゃあわかるってもんだ。お前たちの仇はとってやったからな。これでやっと、そっちに行けるよ」

 仏壇を見上げて幹夫はそう小さくつぶやき、楊枝を楊枝入れから一本抜き出して口にくわえた。
 数日後、布団の中で死んでいた老人が発見されたが、死因についてはなんの疑問も持たれないままに親戚の手で葬られた。
 あの陶製の楊枝入れは、離れの縁側の外に放り出され、砕け散っていたが、底に仕込まれていた青酸系の毒薬のアーモンドの匂いは、数日来の雨に打たれてその片鱗も残ってはいなかった。

おわり