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  短編ミステリー【8人の淑女】その1

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 たか子 ◆ 出社には及ばない

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 たか子は、同期どころか先輩も飛び越して、女子総合職のトップを走っている。

 キャラクターグッズで大ヒットした、ステーショナリーメーカーの総務局人事部長に昇格したのが2年前。そして今は次の総務局長の地位を狙っているのだ。

 たか子の会社は一時は業界シェアの3割を占有するという好調な時期が長く続いた。だが、不況の影響は避けられず、世間ほどの切迫感はないものの、外資系銀行との提携も役員会議で検討されている。経営体質の改善のためと称して、中高年のリストラの計画も進んでいた。

「この際、使えない社員の掃除をしなくちゃ」とたか子は思っている。

「特に、先代社長時代からのロートルたちを整理しなければね。あの甘えたオジサンたちをいつまでも抱えていたんじゃこれからの時代には対応できないわ」

 その日も、たか子はディスプレイに表示された社員プロフィールに見入っていた。たか子の目の前に、哀れな中高年たちの履歴ファイルがつぎつぎと開かれる。

 何人目だっただろうか、たか子の目がキラリと輝いて、マウスを持つ手が止まった。

 その男は48才、営業部の特別職だった。3年前には、営業部員だったたか子の隣の課で主任をやっていたはずだ。

 たか子はプロフィールのリンクから、この男の人間ドッグの診断結果を開いてみた。

 痔持ちだ。少し糖も出ている。血圧も高めだ。

「なにこれ」

 ハゲだし、おまけに子供が4人もいる。

「どうりでね、いつも爺臭い格好をしていたわね。そういえば、この男のフトコロ具合って、頭の毛やその中身とおんなじで、いつも寒そうだったものね」

 たか子はステーショナリーメーカーの社員らしくもない、その男のさえない風采を思いだしてニヤリと笑った。

 デジタル時代なのにパソコンもできなかったし、いまでも多分変わりはないはずだ。

「趣味は釣りですって。まったく、オヤジ度120%ね。時代の遺物といっていいわ」

 たか子は、この男を含めて、6人分のプロフィールを別のフォルダーに入れた。 

 リストラ策の第一段階として、彼らを整理することにしたのだ。

 このリストラ作戦、かならず成功させてみせるわ。それが次期総務局長への第一歩よ。そう、たか子は心に決めた。

 たか子の仕事は早い。まず、かれらの経費精算を徹底的にチェックした。交通費の明細と打ち合わせ相手の確認。そして、毎日の勤務記録との照合。これだけで、たちまち5人の精算書に矛盾を発見したのだ。

 たか子はそれを口実にすぐさま彼らを配置転換した。交通費のごまかしとはいえ、本来なら背任行為なのだ。やがて辞めてもらうことになる。

 しかし、その男だけはたか子の思惑と違った。

 その男には、これといってミスがないのだ。交通費の矛盾を見つけようとしても、その男はタクシーを使わないし、地下鉄の回数券の使用状況と営業日報の内容とは完全に一致していた。交際費の明細を調べようとしたが、営業先とのつき合いもほとんどしていない。無断欠勤もなかった。営業成績は大したことはないが、会社に損害も与えてなどいない。

「なにもしないこと自体が問題なんだわ」

 とたか子は意地になった。

「こんな社員がはびこっているから、社内のモラルがあがらないのよ」

 たか子は一策を講じた。デジタル化への対応なんてこのオヤジには無理だろうから、そこにつけこめないだろうか。

 たか子は、商品開発プログラム室から人員増加の要請が来ていたことを思いだした。

「あのセクションは、マーケティングの知識がなくてはやっていけない部署だし、コンピュータを使ってデザインする能力も必要だしね。ふ、ふふ。あのロートル、ひと月もつかしら」

・・・・・・・・・・・2・・・・・・・・・

 「困ったなあ」

 金曜日の夜、いつものように早く帰ってきた男は妻にこぼした。

 妻はその声の暗いのに驚いた。いつも脳天気にお風呂で演歌を歌うのが好きな夫が、風呂にも入らず、食事もすすまず、いつになく落ち込んでいる。

 聞くと、長い間営業一筋に勤めてきたが、こんど新しい部署に異動になったというのだ。

 明日はおやすみでしょ、気晴らしに釣りにでもいってきたら?そう妻は言ったが、夫は力無く頭を振った。

 夫はそれ以来、好きな釣りにもいかなくなった。休みの日も、パソコン関連の本を読みふけっている。パソコンができなくては仕事にならない部署だという。

 どうもリストラを目的にしたイジメのようね、と妻はうすうす気がついている。しかし、何事にも気が回らない夫は、

「地道にやっていけばなんとかなるかも」

 といいながら、自費で近所のパソコン教室に通いはじめた。

 会社では残業を禁じられているらしい。

 外回りがないのだからと携帯電話もとりあげられたという。

「ひどいわね。きっとイジメに違いないわよ。日本の会社ももう外国並みね、ったく!」

 結婚前には、外資系の金融機関でセクレタリーの経験がある妻は、そういきどおっ

ている。

 夫が釣りに行かないので、妻はしかたなくスーパーで魚を買うようになった。

 彼女は、釣りが好きという夫の一言で結婚を承知してしまったほどの魚好きなのだ。

 だが、腹をたてながらも、4人の子供と、まだ12年残っている家のローンのことを

思って、

「あなた、頑張ってね」と心のなかでつぶやいた。

「常務がお呼びだ」

 総務局長がたか子のデスクにやってきて言った。

 たか子は電話中だったが、総務局長に目で頷いた。

「いま、ちょっと忙しいので、後でまた」

 電話の相手にそう言って、たか子は受話器を置いた。口元がすこし笑っている。

「どうした、嬉しそうだね。なにか、いい話でもあったのかい」と総務局長が言った。たか子はあわてて、いえ、ちょっとした知り合いなんですと言葉を濁した。

「ところで、常務からキミにおよびがかかっているよ。15分後に役員室にいってくれたまえ」

 総務局長がうらやましげにそう告げた。

「常務が?きっと私の報告書をよんでいただいたのね」

 順調に進んでいるリストラ策に対して、たか子は密かに役員からの賞賛を期待した。

 しかし、その期待は裏切られた。

 役員室にはいったたか子は、椅子もすすめられずに立ち尽くしている。

 常務が難しい顔でたか子を見て、言った。手にはたか子の報告書が握られている。

「この5名についても、すこし強引すぎたんじゃないのか。それに、最後のこの男、使えない社員らしいが、キミの報告書に書いてある理由だけで辞めさせるわけにはいかん」

 常務は声を高めた。ほとんど怒声に近い口調だ。

「パソコンを使えないなら、教育すればいい。人事部にはカリキュラムがあるはずだ。適用しているのか。それからあの異動だが、よりによって、マーチャンダイジングセクションに行かせるとは、一体なにを考えているのだね」

「い、いえ。しかしですね・・・」

 たか子は焦った。このことは総務局長を通じて役員には報告し、了承されているはずだ。

「それにだ、どうみても適正な人事配置とはいえないな。これでは個人的な理由でもあるのかとかんぐられるぞ。ま、確かにこんな旧世代の人間は整理してゆく必要はある。だがね、うちはイメージ産業だ。社外ユニオンなんかにかけ込まれてみろ、大変なことになる。君にはそんなこともわからんのかね」

 午前中、常務はある週刊誌記者の取材を受けていた。

<許せない!と悲痛な叫び。メルヘン産業の、ドロドロの内幕>という記事が来週号に掲載されるという。その裏付け取材だった。あの5人のうち、先週退社した1人が情報ソースだったのだが、たか子はそのことを知らない。

「まったく、あの役員だって旧人類だわ。わかっていないのはそっちじゃない!」

 くちびるを震わせながら、たか子はデスクにもどった。そういえば、商品開発プログラム室からも苦情がきている。もともと無理だったんだ、頭数だけ揃えればいいなんて、人事は何を安易に考えているんだと。おまけにきょうでもう4日間、あの男は会社を休んでいるという。

 どうせ、ズルして釣りにでも行っているんだわ、とたか子の顔は怒りでまっかになった。

「休暇届と、おまけに医師の診断書まで提出しているなんて、狡猾だわ、ゆるせない!」

 その時、たか子のデスクの電話が鳴った。深呼吸して、受話器を取り、耳にあてた。

 次第にたか子の顔が緩んで、表情がやわらかくなり、口元に笑いが浮かんできた。

「そうね、前向きに考えてみましょう。ええ、期待していただいても結構ですわ」

・・・・・・・・・・・・・・3・・・・・・・・

 その男は、朝から寝込んでいた。「頭がフリーズしそうだよ、おまえ」と弱音を吐いている。高熱で、顔があかく、目もうるんでいる。

「このオレがフリーズなんて単語を使うとは思わなかったよ」

 夫がふざけて言う口調も妻には痛々しく感じられた。

「こんなに頑張っているんだから、なんとかなるわよ。頑張っていきましょ」

 そういう妻の言葉に応えるように、

「起きて練習しなくちゃなあ」

 夫は体を起こした。熱のせいか節々が痛む。

 狭い部屋のすみでは、しばらく使っていない釣り道具が埃をかぶっている。  

 机の上には、生命保険を解約した金で買ったパソコンがのっていた。

 たか子は言葉もなかった。たか子のリストラ策は強引すぎるとして、総務局長から撤回を命じられたのだ。

 あの男はもとの営業部に戻す、そう一方的に通告された。

「キミのやり方はちょっと強引すぎたかもな」と局長がいった。

 なによ。あんただって、最初は賛成していたじゃないのと、たか子は頭に血が上った。

「じょうだんじゃありません!私には納得できませんわ」

 常務に直接お話しますわ、というたか子に局長が憤然として言い返した。

「これは役員の決定だよ。君は自分を何様だと思っているんだ!」

 たか子はもう我慢ができなかった。

「だから、あんたは局長どまりなのよ。役員に尻尾をふっても無駄よ。あんたは新年度前にリストラだってみんなが言ってるわ」

 総務局長の顔が怒りで青ざめた。

「おい、そこまで言ってただですむと思うなよ 」

「あんたとは違うわ。こんなくだらない会社なんか辞めてやる」

 そう啖呵をきったたか子に、

「この不況下で、ホントに辞められるのか。え?詫びるならいまのうちだぞ。土下座して謝れば、いまの言葉は無かったことにしてやる」

「ふん。あんた、シティ・ビー・バンクって知ってるかしら。うちの新規提携先よ」

「まだ提携が決まったわけじゃない。だが、それがどうしたっていうんだ。この馬鹿女」

「極東本社上級副社長にたいして、その言い方はないでしょ、え。」

「なんだって? 頭でもおかしくなってしまったのか」

「来週からでも出社してくれって云われてんのよ、わたし。あんたみたいなうすら馬鹿には理解すらできないでしょうけど」

「へ、ヘッドハンティングされたというのか」

「そうよ、あんたはそのうちクビにしてやるわ、楽しみに待ってなさいよ」

 ちょうどその頃、寝込んで唸っていた男は、電話で会社からの知らせを聞いた。聞いたとたんに飛び上がり、妻を呼んだ。二階のベランダで洗濯物を干していた妻が階段を駆け下りてきた。

「お、おまえ。またオレ、営業にもどれるって、いま、営業課長から電話があったんだ。良かった、良かったなあ」

 現金なもので、夫の熱はたちまち下がり、顔色もよくなってきた。

「あなた、ほんとに良かったわね。きょうはご馳走を作らなきゃね」妻が顔一杯の笑顔で言った。

 すっかり元気を取り戻した夫が釣り具屋にでかけたあと、妻は電話をとった。プッシュボタンをゆっくりと押す。

「あ、もしもし」

まるで、待っていたように、あの女が最初の呼び出し音で出た。

まるでエサをみつけた野良犬ね、と妻は思った。十日ほどまえに一度会っただけだが、二度は会いたくないタイプだった。

 女が電話の向こうで勢い込んで言った。

「決めました。あすからでも、そちらに出社できます。こちらには、もう通告しました。あなたのボスと働けるのが楽しみですわ」

「そう。でも状況が変わりました。出社には及びません」

 妻は静かに受話器をおいた。


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