短編ミステリー【8人の淑女】その7

美 香 ◆ 流星群の夜

「お、いま流れ星が見えた」

機長がコパイロット(副操縦士)に言った。

「ええ、いま私にも見えました。二時の方向に」

FE(航空機関士)が答えた。

 その大型ジェット旅客機は、高度1万メートルで東にむかって飛んでいた。

 朝日の最初の光条が、はるか眼下の地平線を赤く染めて昇るまでは、まだ時間があった。飛行機は自動航行システムによって順調な飛行を続けていた。

 フライトシステム自体の緊急チェック機能が、インジケーターを点滅させながら暴走し始めたのは、流れ星が一筋の條痕を輝かせて消え去ったすぐ後である。

「機長!左のエンジン出力がダウンしています」

コパイロットの緊張した声がコクピットに響いた。

「一番、完全ストール(失火)、二番出力50%。機首ダウントリム15度。ダメです。進路修正ができません!」

「操縦手動。危機マニュアルの手順通りにコントロールする。客席マイクスイッチオン」

飛行機は大きく傾き、どんどん高度を失いつつある。機長はマイクで客席にアナウンスを始めた。

 このジェット機には乗客と乗員520名が搭乗しているのだ。

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 美香はハッと目を覚ました。パソコンの前でついうたた寝してしまっていたのだ。〆切の迫った仕事に取り組み、徹夜覚悟で作業をすすめていたのだが。

 美香の四歳になる一人娘は、いま隣町の大きな病院に入院している。あす、いやもうきょうになってしまったが、午前中に手術を受けることになっている。

心臓に先天的な傷害があり、放置するともう半年の命といわれたときの衝撃を、美香は忘れることは出来ない。娘が生まれる直前に事故で亡くなった夫のたったひとつの形見なのだ。手術の成功の可能性は50%と聞いて、呆然としていた美香に、

「わたしまでいなくなったら、おかあさんがかわいそう」だから手術をうけたい、そう訴えた娘に、逆に励まされ、娘といっしょに運命に立ち向かう決心をしたのだった。  

美香は、毎日午前中は病院で娘と過ごし、午後からはほとんど寝ずに仕事に打ち込んでいた。

 根を詰めた作業に疲れてはいたが、きょうの手術のことを考えると、ベッドで休む気にもなれなかった。

キッチンにいって、コーヒーをいれよう。頭をすっきりさせて、もうひとがんばり! 

美香は立ち上がって、ガラス戸をあけ、ベランダに出た。夜明けまでまだまだ時間があるというのに、空は妙に明るかった。風もない。良く澄み切った夜の大気の中にかすかにオゾンの香りが漂っている。

美香はおおきくのびをした。そのとき、東の空に一筋の流星がはしったのが見えた。「あ、流れ星」

 見上げると、天空は驚くほどの星の輝きで満ちあふれていた。北の空には北斗の七つ星が柄杓の絵を下に向けてネックレスのように輝いている。いま流星が飛んだ東の空から南に目を移すと、オリオンの三つ星が、真珠のような淡い光を放つ星団を抱えて天頂に達するように屹立している。

 流れ星、お祈りしたかったわねえ、ちょっと惜しいなと美香は思った。

「もういちど、今度はもっと長い間飛んでくれないかしら」

願いが天に届いたらしい。

その美香の目の前の空に、ひときわ明るい光の尾を引いて、また流星がとんだ。

 美香はあわてて手を合わせた

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「また何かとんでもないことが起こるのかのう」

老天使がつぶやいた。

「ほら、見よ。地上に向かって星がしきりに降り始めたぞ」

 まったく、星が降り始めると、ろくなことがないんじゃと老天使は愚痴りはじめた。

「大虐殺とか、大事故とかな。いかんいかん、天使ともあろう身で悲観的なことばかり言っておってはいかんなあ」そういって、背後のホールの入り口からあふれるばかりに立てられて燃えている、無数のロウソクを振り返って見た。

「この中から、また消えて行くロウソクがおびただしくでるんじゃ。そして、あそこの門の前に列ができるんじゃよ。繰り返すのじゃなあ、なにもかも」

また、愚痴を繰り返している、その老天使に、ひとりの若い天使が、遥かな下の世界を指し示しながら、言った。

「ご老体のおっしゃるとおり、どうも、そのようですよ、ご覧なさい、あれを」

 彼の指先をたどって下界方向をみおろすと、確かにそうだ。一機の大型旅客機が上下動しながら迷走している。なにかまがまがしい事が起こることは間違いなかった。その飛行機を包むようにして青い輝きを引いて星が流れている。流星は次第に激しくなり、輝きも一瞬の命の燃えるさまににて、明るくなっていった。

「お話中、申し訳ないんですがね。急いでいるんで許して貰いますよ」そう甲高い声で言いながら、若い男が二人の天使の間に割り込んできた。

 なんだ、またあんたか。老天使が呆れたように言った。

「おたく、誰ですか。まだ、天使の資格は収得してないようだけど」若い天使がそう言うのに答えもせず

「うちの子が大変なんだ。今日が手術だというんだ、ちょっとロウソクを見せてもらいますよ」

かけ込もうとする若い男の袖をひいて、老天使が「あんたね、この前も強引にはいったね。おかげで、わしは天使長に怒られてしまったんじゃ」

「えい、はなしてくれ!あの子が妻の最後の宝物なんだ。もう妻を哀しませたくないんだ」

あ、ちょっと待って、待てといっとるんじゃ、という老天使の声を背中に聞き流しながら、若い男はホールにかけ込んでいった。

ローソクの間に足を踏み入れた若い男は、まっしぐらに、残してきた妻と娘のローソクの場所に駆け寄ろうとしたが、いやにくらいホールに不審を感じて立ち止まった。回りを見渡すと、一面に広がったおびただしい数のローソクの炎が勢いを失っている。どうしたのか。これは、いったい。

 若い無法者を追うのを諦めた老天使の眼下で、ジェット機が大きく上下するのが見えた。

「ジャンボの新しい機種なのに、故障だろうか」

若い天使がつぶやいた。

「よく知っとるな、そんなこと」

老天使がすこし驚いて言うと

「私はパイロットだったんです。ま、ここに来たのは、バイクの事故のせいなんですがね」

「あの飛行機は、もうダメかのう」

「ラダーが完全にイカレてますね。それに、あの左旋回は舵が全く効かないからだし、エンジンの出力調整でバランスをとろうとしているんでしょうが、そのエンジンがもう4発とも止まろうとしてます」

「だめか」老天使が悲痛な声で言った。

「ダメです。残念ながら」

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 また、流れ星が鋭く輝いて飛んだ。

 美香は目を閉じて、娘の手術の成功を一生懸命に、しかもすばやく祈った。

なんといっても流れ星に祈るのだ。ぐずぐずしていては、すぐに消えてしまう。そういえば、娘の病室には、同じ年頃のちいさい子供たちがベッドを並べていた。あの子たち、みんな手術を待っているんだと、看護婦長が話していたっけ。まだ生まれて何年もたたないのに、大人でさえ経験しない試練をじっと待っているんだわ。あの病室からおかあさんの元に再び帰ってこれない子供もきっといるんだろう。そう思うと、しっかりと閉じた美香の目元が熱くなってきた。

「もう一度流れ星を見たい。流れ星がもう一度見えたら、こんどはあの子たちのために祈るわ。あのこたちのおかあさんに代わって」

 美香がゆっくりと目を開けると、そこには輝くばかりの天空があった。おびただしい流星が地平から天頂まで縦横に飛翔し、輝き、次から次へと沸き上がっている。果てしのない願いを今夜だけは天が聞いてくれる、そんな驚きの中で、美香は祈った。

「この星の数だけ、輝き流れ墜ちる星の数だけ、いま苦しんでいる人、哀しい人、おそれている人、そんな人たちみんなに救いがありますように」

 そう祈って、美香は目を大きく見開いて、天を仰いだ。

 しだいに降る星が少なくなり、やがて、止んだ。

 輝く光の饗宴のようだった夜の空は、また、静かな冬の星空に戻った

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エンジンの出力が回復しています、とコパイロットが叫んだ。

大型ジェット機は、すでに高度120mまで落ち、這うように山腹にそって飛んでいた。コクピットのだれもが、もう希望を捨てていた。そのとき、力強いエンジン音が回復した。

「操縦桿が動くぞ!」機長が叫んだ。

 そのとき、機長の左側の窓から、ひときわ明るい流星が天に向かって走ったのを、コクピットの全員が見た。

 奇跡なんて信じなかった。これまでは。そう言って、機長がゆっくりと操縦桿を引くと、機首が上がり、推力が急激に強くなった。エンジンは最大出力をめざして咆哮し、天空の大鳥はふたたび空を飛ぶ意志の翼を取り戻していた。

 ぐんぐんと上昇をはじめた機内では、シートに座ったまま恐怖の闇の中で絶望していた乗員と乗客たちが、再び明るく点灯された機内灯の柔らかい光のなかで、エンジンの轟音にも負けない歓喜の叫びを上げていた。

「キミ、あの流れ星になにか、その、お祈りとかをしたかい?」

 おずおずと機長がコパイロットに聞いた。

「まさか、そんな余裕なんてありませんでしたよ」

 そうだろうとも、機長はコクピットの窓から、地上を見た。そこは都市郊外の私鉄沿線の街だった。星空を映したような小さな明かりがいくつも機長の目に映った。

「あの街のどこかで、誰かが祈ってくれたのかもしれない」

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妻のロウソクとそれに寄り添って立つ娘のちいさなロウソクが、元気に燃えていることを確認した若い男は、ホールから出ようとしてさっきの暗さがうそのように吹き払われているのに気が付いた。かすかな弱い炎だったロウソクも、全部勢いよく燃えている。 

なんだか嬉しい気持ちで男はホールを出た。出たところで、あの老天使につかまった。

「こまるんじゃよ、あんた。かってにロウソクをいじっては」

「え、別になにもしていないですよ。この前だって、触ってもいないじゃないですか。みただけ、見ただけです」

「じゃあ、なぜあの飛行機が助かったんじゃ?失われつつあるものを無理に救うのはタブーなんじゃよ」

老天使はそういったが、男にとっては、もうどうでもよかった。飛行機、なんのことだ?

妻と、娘がこれからも元気でいきてゆける、それが分かっただけで充分だ。

 男は、はるか地上界で一生懸命にいきている二人のことを、たとえあの爺い天使に怒られようとも、守っていくぞと堅く心に決めている。

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