ひるね蔵 蔵守日月

けふの手控え

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第160話 3月29日 

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  ■Intellectual Property

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 わが「ひるね蔵-けふの手控え」は開始以来、アナログ、いやアナクロの極みと、軽侮とヒンシュクを戴いていることは諸兄の既にご存じの通りであり、管理人兼筆者としてまことに嬉しい事である。

 だが、時代の趨勢はその奔流をとどめるあたわざる勢いで流れているのであり、とうとうここにも上記の通り英米の言葉が表題として登場することとなった。本邦の文化的変質もって瞑すべしである。

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 くだらぬことを縷々愚痴ておっても仕方のないことだから、本題にはいりませう。

 表題は、もちろん夷荻のことば(い、いかん)もとい、英語で「知的財産権(所有権)」を意味する。わが国でも権利関係へのクールな対応を必要とするビジネス環境が急速に進行しているが、とりわけインターネットに代表されるデジタルコンテンツのボリュームが激増してくるに従い、たとえばホームページなどにおける著作権などの問題が取りざたされるようになった。1998年1月公布の改正著作権法では、インターネットという新しいメディア、っていうかコミュニケーション手段に対応して「公衆送信権」「送信可能化権」が規定された。

 この種の法務的単語は、精神がまともでは理解できない特異な難度をもっているが、まともでない人にはもっと難しいかもしれないから早まってはいけない。要するに、従来の著作権の解釈による適用よりは明確にサイバーコンテンツの保護を打ち出したと考えればいい。

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 あなたが自分のサイトのために作った「ボタン」や「マーク」を知らぬ間に大嫌いな奴が勝手に使っていたからといってもそれは法的には問題がない。エチケット(ネチケット)違反であって著作権法違反ではないのだ。

 自分の「写真」や「似顔絵」を無断で使われたら、即座に訴えることが可能。この場合、一億円の賠償を取ることも(理屈上)可能だし、被告を死刑に・・・これは不可能だな、やっぱり。

 江戸時代の錦絵や、切り絵図(地図)を引用することは問題ない。著作権は作者の死後50年で消滅する。その場合でも、著作者人格権(=勝手に内容を変える等の行為)は残るのだが。注意しなくてはならないのは、オリジナルから画像データを作るのなら問題はないのだが、博物館の図鑑や、雑誌や写真集からの二次的引用だ。そこに介在した二次著作権を侵害することには留意する必要があるのだ。

 また、ポパイのように著作権が消滅したキャラクターを自由に使って良いかというと、これがそうではないのだ。著作権は50年で消滅するが、商標権は10年毎の更新でその保護期間は永久なのだ。

 わが国社会では、彼我の間で、阿吽の呼吸で意思を充分に疎通させてきた経緯がある。だが、安全と水で例えられると同様、特許、実用新案、意匠などの工業所有権、著作権、出版権、トレードシークレットなどあらゆる知的所有権へのリスクマネジメントなしには身は守れない。外夷はこの種のことに敏感で表裏の技に長けている。ゆめゆめ油断してはならぬ。訴訟になると我がほうに勝ち目はない。

 現実的にアメリカの判例では、数十億という賠償金支払いが発生している。

 このところ体力も意欲も希薄になっているわが国の企業なら、即刻破産は免れぬ事態だ。この面でのグローバリゼーションも現実となっている。

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 なんだか、今日は、漢字の多い手控えになったな。国際化時代というに、これでは遺憾。


第159話 3月24日 早暁

  ■ことばの正しい使い方

 理解できないことば、というとまずは「渋谷センター街うんちすわりネーチャン&ニイーチャン」に代表されるある種の若者らの話し言葉じゃないだろうか。

 たとえば、と例をあげるだけでも血圧があがるので止めておく。

 同じ理解できない言葉でも、わが国の各地方に残る(っていわなくてはならないのが哀しいが)方言は、実は深い民俗学的、文化社会学的、人類学的な味わいと興味に充ちている。

 もっとも理解しにくいといわれる九州地方の方言のなかでも、県外(藩外?)の人に理解するのが至難の技といわれる薩摩弁が、そのルーツを、たおやかなこと限りない京都の古い言葉に発していることを知る人は少ない。

「あん おんじょどん は おかべを たぼい やっど かい」

 これは、鹿児島弁でこういう意味だ。

「あの 御爺殿(=様) は お壁(しろかべの意=豆腐のこと) を お食べに(たぼる=やっどを加えて、古語的な敬語表現となる) なられるだろうか?」

 なんと風雅な話し言葉だろうか!薩摩に生まれて良かったという文化的満足を覚えるのはこういうときである。が、しかし、そんなことを仕事場で若い者たちに言おうものなら、

「なにいってんだかア、チョー、フルー」と鼻でわらうのも、鹿児島女子短大卒の21才だったりするんだな〜、これが。

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もっと解らないのは政治屋の言葉である。前向きに善処(=何もしないもんね)とか、事務当局に確認させている(=時間を稼いでいるうちに、みんな忘れるさ)とか、重大な問題と受けとめ(=今夜の宴会の料亭はどこかのう)とか、誠に遺憾に思う次第(=あの秘書はクビじゃ)とか、ほとんどが空嘘な単語の羅列だ。税金をはらうのに忙しい国民の代わりに、政治をやらせて貰っているんだから、もっと真面目にやってほしいものだ。

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 謝った言葉の用法の例が、昨夜から今朝にかけて新聞やテレビに溢れた。

「自衛隊が不審船に威嚇射撃」というやつだ。

「威嚇射撃」というのは、「言うことを聞かなければ、今度は本当に撃つぞ〜」というやつであって、「停船命令を聞かなくても、逃げちゃう迄ずーっと威嚇を続けるぞ〜、決して本当には撃たないぞ〜」というのは、威嚇とは言わない、ただの税金と弾の無駄遣いという。

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 正しい用法は、「自衛隊の護衛艦(デストロイヤー=駆逐艦をこう呼ぶこと自体、欺瞞的だな)が、停船命令を無視して逃走する北朝鮮の工作偽装船に、決して当たらないように射撃を続けている」ではないだろうか。

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 城山ヒルズからスエーデン大使館の脇を抜ける小道に、よく手入れされた植え込みがある。ここのソメイヨシノのつぼみももう開花まぎわだ。

きょうは暖かい、よい天気になりそうだからもしかすると最初の一輪を今日は見ることができるかもしれないな。


第158話 3月13日

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  ■なんといっても、寿司

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二日酔いもすっかり醒め、同時に、朝方心に誓ったはずの「反省」も夕日と共に消え果てて、またぞろ夜の町にさまよい出てゆく懲りないひとびと。たまに早く仕事のケリをつけて仕事場を出る時間が早くても、うちに帰り着く時間との因果関係はおおかた怪しいものだ。

だがこのご時勢である。バブリーな「銀座のクラブでご接待」系の方々も一部にはまだ生存しているのだろうが、ほとんどのおとっつあんたちは、きょうの仕事のストレスを発散して、なんとか無事にあすの仕事に向かう元気を維持しようと、髪の毛同様に薄い財布の中身を気にしつつ夜の町へと足を運ぶのだ。(ストレスの元が、これから帰らんとする家庭だというひともいるかもしれぬ。その場合は酩酊度と帰宅の時間がもっと深くなる)

わが職場もご他聞にもれず「まっすぐ帰らないひとびと」が多い。いや、小生が知っている限り、仕事がおわるやまっすぐ帰ってしまうのは、ギックリ腰と痛風の持病を持っている40代半ばのマーケターだけである。痛みが酷いときには、つえに頼ってよろめきながら歩くので正確には「まっすぐに」帰るとは言えないが。

この男は麦酒を浴びるほど飲み、脂っこいものが大好きだったのだ。自業自得というべきか、一時小康を得たが、油断してまた麦酒と美食に浸ってしまってこのザマとなった。フラフラ、ヨタヨタと帰っていく彼の後ろ姿を見送り、彼の行く道我の行く道などと自戒しながらも、オヤジ同士誘い合って、仕事場を後にする。

お前と晩飯に行くと、選択肢が3つしかないからなあ、とつぶやきながら、釣り仲間でもある新聞部長が指を折る。「イチにすし、二にすし、三にすしだもんな」

「い〜や、そんなことはない!三と四は中華だ」と小生は断固として彼の偏見を正すのであるが、われわれの足はすでに仕事場近くの寿司屋に向かっているのだ。

なに!寿司だって?バブリーな!と誤解を受けるとマズイので断っておく。雑誌「太陽」4月号で特集しているような偉そうな寿司屋には、小生らは断じて行かぬ。いや、行けぬ。金がないから。それよりなにより、寿司屋が偉そうにしているのは小生は嫌いなのである。もともと寿司は今でいうファーストフードだった。江戸時代の屋台の寿司屋でこはだと鯵を2カンずつ食べても32文。かけそばが一杯16文だから、ピアス野郎もウンチすわりのヤンキーもいなかったころの江戸時代の寿司は、ちょうど今の安い回転寿司と思えばいいだろう。しかも本当の江戸前の、ダイオキシンも重油汚染もない海でとれた魚を使っていたのだ。 

い、いかん。年のせいか繰り言が多いな。

九州は長崎、大村の出身という大将のいる寿司屋ののれんをくぐった。安いとはいってもそこは夜の寿司屋だ。財布と時計と相談しながら小さな声で注文する。大将はすべて心得ていて、上質のネタで握って出してくれる。ときには同情という名の海苔で巻いたおまけの寿司やつまみを、黙ってわれわれのテーブルに届けてくれる。そう、われわれはカウンターには坐らないのだ。貧民には貧民のマナーあり。たまにバブリー風の女連れ金満オヤジがカウンターでふんぞり返っていると、大将がめくばせすることもある。そういうときの勘定は、大きな声ではいえないが、決まって安いのだ!

雑誌「太陽」の寿司特集は、近寄りがたい寿司屋の紹介が多かったのだが、掲載された写真はシズル感に充ちていて素晴らしかった。ツバを湧かせる料理の写真というのは実はなかなかお目にかかれないものだ。

きょうは土曜日。午後早い時間に、街道沿いの新潟直送お魚センターに行って寿司ネタ用の魚を買い込んできた。ネタの下ごしらえをすませ、寿司メシを炊く。高血圧だから、ちょっと塩分控えめが哀しいが。大食らいの子供たちがいるため、シャリは8合。小生はホントは自分で釣った魚しか捌きたくはないのだが、「太陽」の写真のせいで小生の頭の中は寿司一色。で、きょうの晩飯は家族揃ってオヤジが握る寿司を食べることとなったわけである。

メニューは、中トロ、赤身、あじ(中鯵をすこし塩と酢で〆て握る)、ネギトロ(めばちの中オチとアサツキで叩く)巻き、ほたて、うに、いくら、などなど・・・

カミさんと子供らにとって、きょうの晩餐は天国となるか、はたまた迷惑か。


第157話 3月7日

  ■ふたたびジープのこと

 ジープは夏は暑く、冬は寒い。完全冷暖房システム完備の車輛である。そう、ジープを「クルマ」などと、カタカナで言ってはいけない。ただしく「車輛」と呼んでいただく。「ラグジュアリーな」「走りを極めた」「大人の」「シティな」と、舌を噛むか赤面しそうなキャッチが付く凡百の箱型クルマと一緒にしてはならない。

 小生のジープは、昭和四十五年製のJ3に四十二年製のJH4エンジンを換装、1952年タイプのM38に改造したものだ。特筆すべきことだが、この車輌にはマイコンチップや、プラスティック素材などが一切使われていない。もちろん、縫いぐるみも積んではいない。ジープを構成するのは、鉄とガラスとゴムと木だけである。まさにリサイクルの極致といえよう。

 燃料は有鉛ガソリンと操縦手用の麦酒(モルツが最適であるがエビスでもよい。寿司を添加するとさらに効果がある)。 

 このジープ、焼酎を舐めながら眺めるオブジェとしての価値だけではない。驚くべきことにちゃんと走る。小生が釣りに出かけるときの足として活躍しているのだ。往復6時間もかかる三浦半島への釣行、これは時速七十キロを誇るジープでも辛い行程である。今となっては信じられない暴挙というべきだが、遥か伊豆半島の先端、下田港まで遠征したこともある。ただし3回に一回は途中で故障するので、路肩で修理するか、釣りを諦めることになる。

 ある夏の午後、江ノ島近くの狭い道でエンジンが止まったことがあった。原因はスロージェットの詰まりだったのでキャブレターを分解掃除して十分ほどで修理は終わったのだが、その時、神奈川県民の気の長さには感心した。修理が終わるまでクラクションひとつ鳴らさずに、後続車数十台が黙って停まって待っていてくれた。ま、あれがジープではなくオデッセイだったら同じように親切だったかは知らないが。

 きのう、車検にだしていた老ジープが帰ってきた。

 貨物車扱いで昭和45年登録だから、もちろん毎年車検である。車検の請求書の封をきるたびに痛感するのだが、この不景気のご時世にジープを動態保管するのは結構大変。だが、カミさんとの約束で、ジープの維持費はすべて小生のとぼしい小遣いからと決まっている。

 それでもこの爺いジープを手放すつもりは全くない。


第156話 3月1日

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  ■ネットのむこうから

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 未知の人からメールを貰った。立て続けに2件である。

 ホームページを持っているという東さんとは、その次の週には相互リンクを張り、もう一人の内藤さんとはこの火曜日に六本木で宴会することになった。

 小生との共通項は東さんが「釣りが甚だしく好き」、内藤さんが「高校の後輩で業界が近い」という点である。そして、お二方に(ってことは小生含めて3人に)共通するのは、鹿児島県出身ということ。

 ネットサーフィン(多分釣りのサイト)中に当ひるね蔵にたどりついたので、とメールをいただいた東さんは、小生の故郷鹿児島の、国分という町のご出身。東さんのサイトを見に行って驚いた。小生より7才も若い人なのに、小生の爺さん(鉄砲撃ちと魚の漁が大好きだった)と同じ様な、鹿児島の田舎の、楽しい狩猟生活経験をてんこもりに綴っておられる。

 エイを釣りに行って鮫をつったはなし(エイをふつう釣りに行きますかね〜)、100m飛ぶ野生化したニワトリを捕まえに山に登ったはなし(ニワトリのほうが上手だったらしい)、ブリ釣りのはなし(錦江湾のブリ釣りは、ちょっと面白いのです)、ご父君から無鑑札の鉄砲を貰い(時効だろうなあ)、猟に行った想いでなど、まるでロビンソンクルーソーか、15少年漂流記を髣髴とさせる、あくまで青く明るい、南国の夏の空のようなサイトだった。

 関西に単身赴任中という東さんは、毎週関東に帰る度に釣りに行ってますと仰る。うらやましいことではある。

 海の釣りも、渓流の釣りも楽しんでいるという東さんとは、いつか釣りにご一緒したいものだ。

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「某プロダクションで、キャラクターを管理運営しています」とメールをいただいたのは、高校の12期後輩になる内藤さん。発行されたばかりの同窓名鑑で小生のメールアドレスをご覧になったという。わが仕事場では、アニメのキャラクターを広告のキャラクターとしてクライアントに提案することも結構多い。早速資料や会社案内を送っていただき、CD(クリエイティブディレクター)やCM部に回付した。

内藤さんは北京に留学の経験があるらしい。「台湾と大陸の違いはありますが、和田さんとの共通点ですね」とおっしゃるが、小生のは短期の遊びみたいなものだったから、ちゃんと勉強した人から、共通点ですね、などといわれると赤面する。

 3月2日の火曜日あたり、高校の同窓ということで一杯いかが?とメールを打ったら、水曜日には北京に出張ですが、なに午後の便だし構いませんよ。是非!という返事が直ちに帰ってきた。楽しみである。

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 ネットの、様々な話題が連日紙面を賑わせている。

 その殆どが匿名性(実はそんなものは無いのだが)に隠れて不善をなす連中がらみのことだ。

 しかし、コンピュータとインターネットの発達によって、コミュニケーションの在り方は従来と全く変わった。なにより、時間と空間とコスト(要は全て)の面で、便利になったし、アメリカに較べて立ち後れているインフラ面でも改善がすすみ、これからさらに便利性は拡大してゆくだろう。

コミュニケーション手段も、小生がなりわいとしている広告表現の技術と手段も、2年前には想像もつかなかった速さで進んでいる。そして、こういったことは、決して後戻りしないのだ。4、5年前に一台のマックを購入したことと、1996年にインターネットに接続、次の年にホームページを作ったことを、今さらながら、とても良かったと思っている。それによって何人もの人と知り合えたし、いまもなお、東さんや内藤さんとのように、日々あらたな出合いがあるのだから。ネットのむこうに。

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第155話 2月15日

  ■歯医者に行った

仕事場のあるビルの西側、20階からはスエーデン大使館の瀟洒な建物が見える。

その左側にどどーんと建っているビルは、テレビ東京が入居している城山ヒルズだ。気のせいかテレビ朝日がはいっているアークヒルズと較べると、田舎っぽく感じる。それは10チャンネルと12チャンネルを比較してしまう偏見のためだろう。これがお台場の8チャンネルのビルになると、もう宇宙的というか馬鹿というか得体の知れない建造物なので、小生はだまってしまうより仕方がない。フジテレビの社員にはなりたくないものだ。ま、なれないが。フジテレビの局担にもなりたくはない。あんなところに毎日通うと考えただけで、所沢の農協に転職したくなる。あ、ダイオキシン問題で無様な姿を晒したから、それもまずいな。

ほとんど神経分裂症的な妄想を次々と思い浮かべているのには、じつは理由がある。

小生は、まともな給与生活者だから、ほんとうはこんな雑念とは無縁の生活をしているのだ。しかし、きょうはひたすら「気を散らす必要」があった。理由は、歯医者に行ったから。城山ヒルズの中にある歯医者にかけこんだのは、右奥歯が突然欠けたからだ。正確に言えば、5年前に治療した歯の詰め物がはずれてしまったのだった。

「あ〜、こりゃあダメだな」

「え?」

「ブリッジは壊れているし、治療の後ももう虫歯になっていますな」

「で?」

「気長に治療して、治さなくてはダメですな」

「へ?」

そのとき、小生の高速回転する頭には、某氏のインゴット(だったかな)の治療にン百万円かかった、しかも痛かった、そのうえしばらく何も食べられなかったことが浮かんできたのだ。

「せ、センセイ。保険で、保険でお願いしますよ!」

受付回りの装飾といい、美人ぞろいの看護婦といい、そこはバブリーな方々を顧客としているような歯科医院に思えたから、小生はあわてて言った。いや、叫んだ。

「はいはい、わかりました。保険ですな」

なんとか貧民コースでの扱いを了承して貰ったようなのですこし心安くなったが、今度は隣の治療台で呻いている患者の声が気になってきた。横目で見ると、足がひきつるように空に浮き、歯を削っているモーター刃の轟音に合わせて震えている。考えてみると5年間歯医者に来たことはないのだった。思い出せば痛いことばかりだ。額に汗を浮かべて待っていると、医者が言った。

「ここはとりあえず詰め物をしときましょ。それより、左の奥はこりゃあ悲惨な状況だな、よし、ちょっと削って土台を作りなおそうか」

そういうと、小生の口にモーター刃をつっこんで回し始めたのだ。椅子の肘掛けをしっかり握りしめ、有りとあらゆる雑念を総動員してやがて到来する激痛に備えた。だが、激痛はやってこなかった。全く痛くなかった。モーター音だけがおどろおどろに轟音をたてるだけで、痛みはなかったのである。

「は?」

「痛くないでしょう?あなたの歯はね、もう神経が抜いてあるから、痛む道理がないんですよ」

「ん?」

「としですな、年。もう殆どの歯に神経がないんですよ、ふふ」

そういって、その歯医者は熱いゴムを削った歯にかぶせようとした。そのとたん、「あち〜っつ」と小生は叫んでしまった。その歯医者は熱せられたゴムを、小生の舌の上に落っことしたのだ。

神経のないのは、こいつのほうだ!


第154話 2月10日

■河川改修とか、河口堰建設とか。

■ダイオキシン濃度を測定するとか、結果を公開するとか。

□要は権力保身責任回避の官僚たちと、無能にして無意識無知の政治屋たち。

□そういう連中の徒衣徒食を看過し、選出し、喰わせて甘やかしている、国民。

■そして、血圧があがってしまうオヤジのための、イメージ血圧降下術。

もうずいぶん昔のような気がする。長良川の河口堰が閉じられたのは。

建設省の小役人が「ぜんぜん環境には悪影響はありません。大和しじみも、天然遡上のあゆも、サツキマスも、ぜんぜん、だいじょうぶ」と言っていたのも、もう500年くらい前のような錯覚に陥る。

長良川は、もうだめになった。上流の郡上八幡吉田川あたりでも大変な影響がでているらしい。大和しじみは絶滅した。建設省は「漁協にあがる漁労高は変わらない」というが、それはよそで養殖したものを短期間移植して産地表示を糊塗しているにすぎない。こういうことを詐欺といい、強弁する者を詐欺師という。

四国の吉野川に江戸時代からある堰をとりこわし、あらたな河口堰を建設するという。いくつかのダムも上流につくるらしい。治水、農産を考えた、住民を思う行政の施策と説明するが、当の住民は明確に反対だともいう。

行政がその恐竜ほどの脳味噌で考えついた利権策を強行し、住民が我慢するという図式がまたぞろ出現している。

日本の川はもうダメになった。釣り師にはそれがよくわかる。あの開高健氏の釣りの弟子筋、姓名の二文字を足すと「あまご」になるという希有の女性釣り師、天野礼子さんは、長良川の河口堰とそれが象徴する建設省の河川行政のめちゃくちゃな悪業を指摘し論破し抗議し抵抗し啓蒙しているひとだ。

天野さんは「行政は長良川の河口堰を5年間モニターし、問題があれば見直すといったけれど、モニターのメンバーは御用学者だし、その会議すらもほとんど開かれないし、結果も秘密になっています」という。しかも、「先生方は問題ないとおっしゃっています」という建設省の官僚に、大臣は「あ、そう」というのみ。

東大卒の頭でっかち秀才と、集票利権への動物的才覚にのみ秀でた馬鹿たちに、この国をちゃんとした姿に戻すことを期待するほうが愚かなのかも知れぬ。

所沢のダイオキシン問題は、あのニュースっていうか下世話番組で、キャスターっていうか、芸能人がしゃべりまくるずっと前から存在した。何年も前から、埼玉県にも所沢市にも国にもこの問題についての働きかけは続いていたはずだ。あの立花隆が「恐怖の所沢」と書いているくらいだから間違いない。

行政も無策というより無関心だったが、住民の危機意識も希薄だった。小生が当地に引っ越ししてきた10年前ならまだしも、あの番組がオンエアされるまでこの問題で農家が表立って動いたことはない。いまさら抗議文をテレ朝や政治屋や官僚に出したからってどうなるものでもないだろう。税対策のみで農地を確保しているエセ農家に同情の余地はない。気の毒なのは本格の農家である。零細も大中規模も、野菜もお茶も、所沢狭山かいわいの農業は多分壊滅するだろう。JAというふざけた名前に変わった農協や行政がダイオキシンの濃度を発表しても、もうだれも詐欺師たちの言葉を信用しないだろう。

この国は根本的に治癒することはもうないのかもしれない。少なくとも普通の手段では。

ところで、先日うちに帰ったら、「とーちゃん、血圧を下げるいい方法をビデオにとっといたよ」と娘が言った。

象を見ると高血圧の人にはいい、というTV番組だった。

で、今日の朝、通常に測った血圧が、「高145 低105」だったのだが、頭の中で象がゆっくり歩いているイメージを浮かべながら測ったら、なんと「高120 低95」に下がっていた!

不思議なことも、ある。



第152話 1月26日

  ■風邪が猛威

  ■国会の中継

 しかし、今シーズンのインフルエンザの威力はものすごい。

 日本中で死者が続出しているという。特に抵抗力の弱いお年寄りには深刻なまでの猛威をふるっているらしい。わが家でも風邪ひきさんが居ない期間のほうが短いほどだ。いまも先日遊びに来たカミさんの妹が急に発熱して昨夜から寝込んでしまった。わが家のビールスに感染したとすればすまんことだ。

 流行っているのは、インフルエンザ香港シドニーA型という面妖な名前らしいが、こいつの猛烈な威力も、つぎに控えているB型にくらべれば、まだ可愛いものだと聞く。お年寄りと子供を中心に、もうかなりの犠牲者がでているらしい。まず弱い者、大きな声を持たぬ者から被害は始まる。いつものことだ。ったく、いいかげんにしろ!ともいいたくなる。対策はうがい励行、手洗い徹底・・・しかないのも情けないな。

 はじめ情けなくて、やがて腹が立つことというのはこれはたくさんある。血圧があがるのでそんなことは見ず聞かずに徹しているのであるが、昨夜うちに帰ったらニュースをやっていた。たまたま国会中継のシーンだった。

 あ、いかん!と思ったが既に遅し。質問者に対してオブチ総理やノナカ官房長官(だったよな?)が答えるという図式だった。しまった、政治屋の顔をみただけで血圧が急上昇してゆく〜

 それは、多国籍軍に参加した場合の、自衛隊の武器弾薬輸送に関する論議だった。いろいろな表現はしていたが、要はこういうことだ。

「弾が飛んでくるような危ない場所での任務は(憲法上)できません」

「危なくない場所での武器弾薬の輸送は(憲法上)可能です」

 これは政府側の答弁。

 手足をしばり、恥を押しつけて政治的思惑のために自衛隊を送り出す。この愚行にいつになったら支配者共は気がつくのだろうか。多国籍軍の総指揮をとる司令官の立場からは「こんなつかえん軍隊なぞ、家に帰って遊んでいろ!」というのがホンネだろう。確かに友軍が攻撃されても(憲法上)救援できない軍隊など、想像もできないはずだ。

 政治屋も官僚も法律の条文をあげつらい、政治的思惑を弄んでいるだけだ。その結果地に這い屈辱に耐える将兵の気持ちは完全に見失っている。かって大東亜戦争のときの戦争指導者がそうであったと同じだ。

 戦争は「人類の犯罪」である。しかし、戦う勇気と武器と理性を持たない国が、平和を謳歌することができないのも歴史的事実なのだ。

「政府の答弁は、二枚舌ですね、二枚舌!」といったのは、民主党の管代表だった。下半身二枚舌男のおまえに言われたくはないよな。べつにオブチなんてどうでもいいけれど。

テレビに向かって毒づいていたら、娘が言った。

「みなきゃいいじゃん、血圧があがるよ」娘は冷静だ。「関西弁でいらち、というらしいよ、とーちゃんみたいなの」


第151話 1月20日

以前、iMacを買った男の話を書いた。

買ったばかりなのに、すぐにカラーバリエーションが発表され、しかも追い打ちをかけるようにiMacが値下げされるというニュースに、顔色をブルーにしたり、真っ赤にしたりして仕事場を走り回っていた同僚の話だった。

その男が、さっき白い顔をしてやってきた。よく色の変わる男だ。

「こんどは何だい?」

かれはしろい顔に赤いくちびるを震わせて言った。

「きもちわりいんだ。ちょっと早いけれど、メシに行こう!う、ぷぷ」

うぷぷというのは、ゲップを飲み込んだ音である。

「新北海苑の中華丼をくいたい。あれは二日酔いに効くんだ、うぷ」

どうみても、二日酔いというよりまだ酔っぱらっている最中といってほうがいい顔色だった。

中華丼がアルコール中毒に効くなんて聞いたこともないが、小生は中華が大好きである。中華と寿司なら24時間ウエルカムである。

因みに新北海苑というのは仕事場の近くの中華屋である。

いつぞや書いた、小女のいる地味な中華屋とちがい、大規模華僑経営といったかんじの大きな構えの店である。

「いいよ。行こう!でも、中華丼より汁もののほうがいいんじゃないの」

「いや、中華丼だ、ぷぷ」

この男、47才。年は小生よりひとつ下だが、仕事場では先輩だ。先輩に礼を尽くすは社会人としての本分だ。しかもものすごい頑固オヤジなのだ。意見しても無駄というものだ。

「了解しました。5分後に受付で」

「わああった、5分後な、ぷ」

受付の女の子が顔をそむけて息をひそめているにもかかわらず、機嫌良くしゃべっている彼を受付のカウンターから引き離し、ひきずって外に出た。外にはもう春のような風が暖かく吹いていた。

「タンメンのほうがいいですぞ」という店主に、い〜や、中華丼を!と回らない舌で注文した彼は、それでも水とお茶をガブガブのみ、運ばれてきたスープもすぐに飲んでしまった。

真っ赤な顔で中華丼をかき込むように食べ終わった彼に、

「どうだい、気分は?」と聞いたら

「うん、効いた。いま、二日酔いになった」


第149話 1月12日

それを買えば、「後悔」ももれなくついてくる。

もちろん、パソコンのことである。

アップルのホームページに5色のiMacの記事を見つけたその夕方には、ブルーのiMacを買ったばかりの同僚がブルーになっていた。こんな色があればいいのにと思っていたカラーが、ハードディスクを1.5倍に増やして登場とは!そういって泣いている。

「いま、Hディスクをどのくらい使っているの?」と聞くと、

「ファイルは全部スーパーディスクに入れているんだけれど」

「で?」

「えっと、30kくらいかな」

「4ギガあれば、多分一生もつんじゃないの」

彼はグラフィックを扱うわけではない。エクセルと、ワープロ程度で十分だという。4ギガって、いわば太平洋だよ。6ギガはそれに大西洋をたしたようなものだ。で、あんたが必要なのは、三浦海岸くらいじゃないの?そう茶化すと、

「気分の問題だよ。ったく!」と悔しがっていたが、そんなもんなんだと最後には納得したようだった。が、次の日、顔を怒りで夕陽のように赤く染めて小生のデスクに飛んできた。

「え、どうしてくれるのよ!iMacが5万円も安くなったらしいぞ!去年の暮れに買ったばかりだってえのに」

そういって、またブルーになった。よく色の変わる男だ。

「だから、パソコンを買えば、もれなく後悔もついてくるんだって」

かって、LC2、LC3、PB145、PB180C、LX-100、7500/100と遍歴し、いつも悔しい思いと、長大なローンを背負った経験の豊富な小生は、そう呟くように諭したのである。

パソコンの迷い道は迷宮の魔窟に続いていることに早く気がつくべきなんだろうなあ。

小生はもう新しいのは買わない!たぶん。しかし、G4ってのは・・・


第148話 1月8日

数日前、カミサンの運転するクルマが脇見運転の若者のクルマにぶつけられ、後部ドアが破損した。

ほとんど徐行状態での衝突だったので、人に怪我はなかったのだが、事後処理でさまざまな葛藤、煩瑣、いらち、諦観を味わうことが出来た。正月早々、勉強になってしまったし、血圧もあがってもうたです。

右折しようとしたカミサンのクルマに、路地から出てきた乗用車が一時停止(こっちが優先道路だった)したものの、左右を確認しないまま発進し、わがファミリア(ジープではありません。ジープならぶつけられても気にしたことはないのですが)の右後部ドアにぶつかり、へこませたのである。

かみさんによると、乗っていた二人の若者は真っ青になり、近くの交番で素直に状況を話したらしい。しかし、その後の連絡は一切取れなくなり、当方は保険会社に連絡。なんとしたことか、

「保険屋さんは、当人同士で責任分担を相談しろ」という。

まてよ、そのための保険ではないのか。

相手が普通の人だったらいいかもしれない。

相手が組織暴力団の鉄砲玉だったら、そしてそのクルマが彼のアニキの外車だったら、それでもファミリアに乗った主婦が「当人同士の相談」をしなくてはならないのだろうか。

あまりにおかしいので、保険の代理人に連絡したら「それは、おかしい」と、当然の反応。

あとは、保険屋に任せることにした。それにしても、まだファミリアはでこぼこ状態(ま、もともと中古のガタのきたクルマではありますが)。

この二人は学生で、運転していたクルマは学生たちのクラブの監督の会社の名義だったらしい。

いまどきの学生が運転する、法人名義のクルマ。まったく責任体系の希薄な環境下での事故だった。

学生らは、ファミリアはウインカーを出していなかったといったとか。交番では言わなかったことを、保険屋経由でいってきたらしい。幹線道路から対向車を待って右折し路地にはいるときに、ウインカーを出さないやつはふつういないよ。しかも、ぶつかった位置をみれば、ボケ学生が嘘をついていることは一目瞭然だ。

情けないのは、そのボケ学生らが早稲田だったということ。ま、小生以後でも22万人の卒業生と4万人の在学生がいるのだから、そこに情けないアイデンティティを感じることもないんだが。

東大卒のキャンガールも、犯罪人も(あ、これは多いな)いますものねえ>ojisan


第147話 1月7日

検視官ドクタースカーペッタシリーズ最新作「業火」を読了。

あいかわらず血生臭い、おどろな内容だ。小生ひそかにファンを自認しているマリーノ警部もいよいよたそがれた初老の独身者として描かれていた。

しかし、オドロもここまでくるとたまらないな、というのはその猟奇殺人の風景である。もっとも、リアルなシーンとして描かれず、モルグで解剖にあたる検視官たちの会話で描き出されるところに、一片の良識があるのだろう。

しかし、人口80万人の地方都市で、年間120件の殺人事件(これは事実に基づくデータらしい)というのは、おいおいちょっとアメリカってのはすごすぎるぞ、という感じだ。

小生の故郷鹿児島市が40万人。単純比率でゆくと、一月に5件の割合となる。傷害事件などその何倍にものぼるだろうから、やはりアメリカは世界に冠たる犯罪国といってもだれも文句は言わないだろう。

国の成り立ち自体が違うのだから、四面海もて囲まれたわが国から非難してもしかたがないことではある。

そう、成り立ちがちがうんだな。

わが国には固有の文化風土があるように、異質の文化があると思えばいいのかもしれない。

「業火」のようなクールな描写は、わが国では読まれはしても生まれはしないし、それは「カラーコンタクトを目に貼り付けて、髪を汚らしく染めて、キチガイのようなロックもどきを巻き舌でがなる」若者が決して異人になれないのと同じ道理である。

え、ちがうって?


第146話 1月6日

仕事始めから2、3日は、日本中の会社が「挨拶回り」で仕事にならない。

いや、これはこれで大切な仕事なのだから、無駄なことというわけではない。

日本的慣習をすべて廃しさえすればわが国は近代国家となるとか、封建主義を抹殺すればわが国は平和国家となるとかいうたわごとが、環境ホルモンに脳を侵されたような若者を生んだのであるからして、第二第三のイザムやローリー寺西や西川の出現を防止するにはそんな痴れごとに耳を貸すわけにはいかぬ。

なに、西川って誰だって?家具屋ではない、TMリボリューションという、あの奇矯な格好で舞い唱う小男のことである。だが、この中では、まだ西川はましだ。ひとりで頑張っておるのだから。それに、おぞましさ200%といえるローリー寺西であっても、「英語混じりの白痴的なまでに無内容の歌詞を巻き舌で歌う二の線」よりははるかにましである。

いや、正月から、われながらあぶないなあ。

ま、ルナシーや福山のファンであるカミサンはインターネットに全く関心がないので、ここを読んだりしないので安心だ(でなきゃいわぬ)。

えっと、なにを書こうとしていたのか。そうそう、挨拶回りのことだ。

年初の3日間くらいに消費されるカロリーを計算すると、おそらく膨大な数値になるだろう。クルマが消費する化石燃料、人が移動するカロリー、果ては偉いさんの人件費まで合計すると、実は張り子の虎状態であるわが国防軍といえども、北朝鮮をあいてに2日間くらいは継戦できる程度の防衛費には匹敵するかも知れない。

いやいや、これもあぶないなあ。

かくして、年初の数日が過ぎ、松が取れた辺りから日本の経済は動き始めるのだ。いや、今年はあまり動かないかも知れないな。不況だから。そういえば、この不況の原因でもある銀行の連中、いや、不良金融どもはどうしているのだろうか。倒産したのにもかかわらず、ばく大な退職金を手中にし、いまだにほおっかむりしている奴もいる。こんな連中のことを、ドロ的とか、ぬすっととかいうのである。

もう一つのおおきな原因、というより元凶の政治屋どもはあいかわらず権力闘争に懸命で、国家も国民も眼中にないかのようである。オブチさんはヨーロッパに恥をかきにいってしまったし(それ以外の結果が期待できるというひとがいるだろうか)、オザワさんは翁が顔面神経痛になったような顔をしているし(仕事場の隣の全●空ホテルで出会ったが、ありゃ悪相だな)。

いや、あぶないなあ。

ことしは、詩心あふれる山本書房のご亭主のような日記にしょう。


第145話 平成11年元旦

大晦日の昨晩は、晴れ上がった夜空にほとんど満月に近いおおきな月が、青白く透明に輝いていた。おせんべいを食べながら紅白を見ていた子供らが、あまりの外の明るさにおどろき、コートをはおって裏の原っぱにでて空を仰いでいた。

「月の光で、ほらこんなにはっきりと影ができてるよ!」と叫ぶ娘と、影踏みをしてしばらく遊んだが、さむいのでまた部屋に戻って焼酎のお湯割りをカミさんと飲んだ。

今朝は雲一つ無い日本晴れ。初日が堂々と東の空に昇ってきた。時計を見ると7時4分。横着して部屋の中から拝み、また寝てしまった(^^;;

8時半に起き出して、カミさんはおせちを重箱に詰める作業。小生は愛犬ロッキーを散歩に連れ出した。子供らは初日を見たあと又寝てしまい、いまでも起きては来ない。

原っぱの向こう、高台の下に沿って小川が流れている。生活排水でお世辞にもきれいとは言えない流れだが、それでも背黒セキレイや鴨の親子がやってきて目をなごましてくれる。この季節は、鴨も脂がのって太っているのだが、んむむ、鴨鍋にもいいかのう、などと考えたりはしないで暖かく見守っている。

ロッキーをつれて川縁を歩いていたら、紅梅のつぼみが風に揺れていた。透明な冷たい風に揺られて寒そうに見えたが、土

のなかにはもう春の命が流れ始めているらしい。

天地にひかりぞ充ちて初春を言祝ぐごとき風の微笑み

今年が明るい良い年でありますように。



第144話 12月31日

■かってないほどの、不況の嵐が猛り狂っている。暴虐といっていいほどの非道な爪痕をいたるところに残して、しかもなお去る気配がない。

弱い者は否応なしに倒れ砕け、強い者もまた倒れつつある。おおくの人々が傷つき、巨大な不安の陰の中で恐れおののいている。

パックスアメリカーナの一元支配となった世界構造は亜細亜、アラブそして世界中のあらゆる政治的民族宗教的相剋を熱源とした、かってよりも現実的な危機と戦火でこの星を包み込んでしまった。しかしてなお米国は「国家」たる意志を強大化し、信じて進み止むことがない。広島、長崎に原爆を投下して非戦闘員、赤ん坊、老人、生けるものすべて見境無しに虐殺した時と同様、世界支配への傲慢な姿勢はなにも変化していない。米国には第二次世界大戦時の独逸を非難する資格はまったくないのだ。これはフセインやカダフィ、金正日といった独裁的立場にある狂人とはまた別の意味で指摘されるべきであろう。

他国を傲慢だとか、政治的に狡猾だとか非難していてもなにも得るものはない。それに服従させられ、盲従を強いられ、謝罪と協力を約束させられ、国民としての尊厳を泥まみれにして恥じぬ、われらの政治屋、中央官僚らについてまず考えるべきだ。自自連立などという強大保守政治勢力の出現の背景に米国の工作があることは高校生でもわかるが、その国際政治、あるいは危機対応上の意味を考えると、わが国が「国家」としての実質を持たないまま米国の先兵あるいは盾となることほど危ういことはない。政治屋どもはサル山での権力闘争などしている場合ではないことを自覚しなければならないはずだ。

血圧が上がるので、この話題はこれまで。

■今年が色々な意味で大変な年であったのは確かだが(大変でなかった年なんてあっただろうか)、また、楽しいことの多かった一年でもあった。

あたらしい友人とのつき合いも増えた(40代後半になった企業人にとってはそういう機会は少ないのだ)。クラシック車輌(^^;;、釣り、ネットワーク、そしてイラスト、時代小説ファンなどなど。面白いのは、ネットでの情報が拡大するほどエリアが拡大すること。ハドソン川の今朝の釣りをお昼のメール情報で知ったり(何の役に立つかは又別のことですが(^^;;)、関西のジープファンからの設計図pdfファイルを添付文書で入手できたり、時代小説の感想メールの発信人の位置を調べたら、東北の大学生グループだったりする。この一年の「楽しさ」にはネットとくにメールと自分のサイトの存在が大きく関わっていると思う。

なんといっても、わが職場の先輩、プロフ山口氏がネットに登場する時代となったのだから・・・。

この環境進化のスピードは圧倒的に速い。わずか2、3年のあいだに、コミュニケーション環境は、劇的に変化したといえるだろう。

来年がどういう様相をみせるか、楽しみ、期待は刺激的なほどである。

多くの友人、先輩、先師たちに感謝してこの一年を総括し、みんなにとって来年がまた楽しい年であるように祈りたい。


第143話 12月22日

風をみたこと。

吹く風は気流だから、見ることができるわけではない。木の葉が舞い上がり、木々が葉裏を返して揺れ、川面をさざ波が走ってゆく情景をみて、風を見たと思うのだ。見た、というより「感じた」といったほうがいい。

日曜日はやや北の風が強く吹いていたが、思ったより海は荒れていず、ゆっくりと釣りを楽しむことができた。

と、悠揚迫らぬふうに書くと、お、「看板に偽りなしだな、さすが釣果より潮風」と思っていただくかたもいらっしゃるかもしれないな。(いないって?)

なさけないが、「釣りを楽しむ」ということと「釣れた」ということとは<違う>ということを、ここをごらんの諸大人の皆様はとっくにご存じだろう。いや、むしろ「楽しんだ」などと釣り師がほざくときは、釣れなかったなと思って間違いない。

日曜日の釣りの狙いは、カワハギだった。、数こそそこそこだったのに、小さなサイズばっかりで、とても人様に言えるような釣果ではなかった。

ふつう、ワッペンサイズとか座布団サイズ(あ、これは平目のときだ)とか形容するのだが、この日は木っ葉サイズとでもいうべきだった。なんとつり上げると風にあおられて空を舞うありさま。

この日、小生は江戸湾の北風を、空に舞うカワハギに見てしまった。


第142話  12月13日

尾篭なはなしだが、おなかの調子が悪く、風雲急を告げる状態に突入したとき、そこがわが家の居間ならば何の問題もない。だが、そこが電車の中だったら。乗っている電車が通勤快速で、終着までずっと通過駅ばかりだったら。おまけに朝のラッシュで、しかも立っているときだったら。

そんなおそろしいことは想像もしたくない。

きょうの短編は、そこまで恐くはない。ありふれた通勤風景のひとこまを描いてみました。ここです


第141話 12月7日

ちょっと中休み、とか、弛(だ)れちゃうとかいうことがある。

そんなことがたまにある、というより、常時自堕落に弛れている小生としては、この頃わけあって書き続けている【ショートショート】をなんと20編近くも毎週書いていることに、今更ながらに気が付いて、驚いた。本当ならもう遥か前に、弛れきって、「もう、や〜んぺ」状態になっているはずなのだ。

毎週土曜日に着想して、日曜日にマックで一気に書いてしまう。短いフレーズでどんどん書いて行くが、あとでストーリーを構成しながらディティールを整えられるのがパソコンの良いところだ。文章力、構成力の極貧な小生でも、なんとか続けてきたのはマックあらばこそである。

理由(というほどのものじゃないけれど)はふたつ。

まず、日曜日を禁酒日にしている小生としては、なにかコンをつめるものがなくては「間が持たぬ」のである。といって、仕事を持ち帰ってきてやるのも、(よくあるが)哀しいことだ。

この頃では、短編をどんどん書いては、ネット上の賢人の方々のサイトに、ゴミとしてまき散らしにいくのが楽しみになった。

読んでいただいた方々からは、「目が腐る」とか「ん〜ん、ぺぺっ!」とか「片づけていけ〜」とかいう感想では(驚くべきことに)なく、あたたかい励ましのお言葉をいただいている。追い込んで本当の「アル中」にしてしまうと、寝覚めが悪いからだろうか。

しかし、今日のは、本当のゴミ。弛れきったおはなしになってしまった。

ふたつ、リンクします。

ここと、ここです。



第140話 12月2日

 頭の細胞ってのは、毎日膨大な数が死んでいくらしい。

 勿論、生まれる細胞の数もまた膨大なので、そうそう空っぽになるんじゃないかと心配する必要はないらしい。

しかし、まてよ、そろそろ心配しなくてはならないかもしれないぞ。死滅する細胞の方が多くなったら、いつかは空っぽになるはずだ。新しい細胞が生まれずに、死滅する細胞の数が加速度的に増えてきたら、その心配はさらに深刻だ。

 と、つまらない事を考えていても仕方ないので、昨日の午前中にビッグカメラのコンピュータ館に行って来た。

小生のマック7500/100はCPUこそ604/180に交換したもののハードディスクは1GBしかない。もう残りの容量は半分をきっている。まだ小生の頭の容量よりはましかも知れないが、いずれ空っぽになることは目に見えている。それで、外づけのハードディスクを買おうと思ったのだ。

売場にはかなりのHDが並べられてあった。

「なんだって、4.3GB!? そんなに何に使うんだ?本体と合わせれば5.3GBだ。これは困った」

 別に困ることはないのだが、広い家とか、広い部屋に縁のないくらしをしているから、こうも無限と言っていいエリアを与えられると、途方にくれてしまう。

 そういえば、4年前に清水の舞台から墜落する勢いで買ってしまったPB180Cのハードディスクが160MBだった。それの27倍も「広い!」

 値段も33000円と、なんとか買える値段だった。

 誰にも知られないようにデスクの陰でセッティングをしていると、後頭部に息がかかった。コーヒー片手にりんご病患者がのぞき込んでいた。い、いつの間に・・・。

「せっかく4.3ギガもあるんだから、パーティーションを切った方がいいよ、どれどれ」

 マック使いという奴には、おせっかいが多い。

「っせい!自分でやるんだ、あっちへいけ」

 小生のマウスに延びてきた手を払いのけた。しかし、パーティーションを切るってのは、良い考えかも知れない。システムホルダーをコピーしておけば、いざというときに安心だし。

 そう思ったのがまずかったかもしれない。

 パーティーションを切って、順調に動き始めたのは良かったが、ファイルを起動ディスク以外に置くというのは無理があるのだろうか(そんなことは無いと思いたいが)。

 うちのマックで、新しい事をすると必ずなのだが、またまたでました、フリーズの嵐。

 ワード98がフリーズする。インライン変換が出来なくなる。強制再起動すらできなく、電源を切るしかない状況が頻発する。ウイルスチェッカーとコンフリクトを起こしているのだろうかと思いそれをオフにしても同じだ。諦めて、ワードでテキスト文書を作るのは止めた。で、シンプルテキストでこれを書いている。この文書の容量はたぶん8kくらいだろうな。4.3GBもくっつけたというのに。これでは一生かかってもつかいきれんだろうな。

 ところで、この頃ものわすれがひどい。いよいよ小生の頭も容量が限界に近づいているのかも知れない。しかし、頭の外づけはできないからなあ。

 フリーズしたいマックくんには、フリーズさせておいて酒でものみにゆこ。


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