ひるね蔵 蔵守日月

けふの手控え

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8月27日

■デジタルが可能にした

 歴史的古典にして20世紀でもっともおぞましいあの書物をまねていうなら、「デジタルという怪物がわれわれの周りを徘徊している」ということになるだろうか。

 この3年で仕事の、というより暮らしの環境自体が大きく変わってきた。仕事場のデスクには得体の知れない数列や文字列が流れる白い箱があふれ、人はその画面(あるいは画面に貼ったメモ用紙)のみを見つめて一日を過ごすようになった。その箱は売れに売れたため、アメリカでは大統領と同じ呼名の詐欺師がインドの国家予算と同額の年収を稼いだという。

 3.1とか95とか98とか、この頃では2000とかの数字のときはまだ良かった。アクロバットはリーダーだけじゃなくてディスティラーからピーディーエフファイルを作る環境が必要だとか、シーディーアイフォントならエンベントができるとか、出力センターに持ってゆくのはジェイペグじゃなくてティフかピクトだとか、制作部門以外の人々にとってもこれら火星語の理解が必要な状況になってしまった。

 デザイナーたちは、製図板の上で版下に被せたトレペに色見本を貼ったり、指定を書き込む作業から、デスクトップと称するマックの画面上でキャリブレーションに悩みつつも自在に色を変換し試用して気に入ったデザイン制作物を作り上げてゆくようになった。かってのハンドメイドの職人たちもおぼつかない手つきでマウスを操っていたがやがてマウスはかれの手となり、デスクトップに現れる様々のツールを使いこなすようになっていった。もちろん、そうならなかった人もいる。そうしなかった人もいる。しかし、広告クリエイターは、作家ではなく、仙人でもないから環境の変化に対応できなくては生きてゆけない。産業としての広告制作の場では生産効率性と環境的変化に対応しなくては仕事にならないのだ。これはデザイナーだけではない。それをディレクションするクリエイティブディレクターにはさらにデジタル化への認識と、なによりスキルが要求されるようになった。そうなったので自分でパソコンを買い込み、それがじつはウインドウズマシンだったりしたのでクリエイティブ業界で笑われたという事例も多く起こった。

 ともあれデジタルの流れはもう後戻りしない。むしろデジタル化してゆく社会の変質がなにを招来するか考えるべきかもしれない。あたらしい仕事のカタチが広がってゆくことはとてもすばらしいことではないだろうか。たとえば成熟した業界がデジタル化によってふたたび活性を取り戻したりもするだろう。DTP、印刷などそしてクリエイティブ制作関連など。もちろん、競争へのモラルを刺激されて活性をあげる企業や人もいる反面、モラルが落ち新しい流れを活用する意欲を失いあるいははじめから持とうとせずに、戦線を離脱してゆく人もいる。

 仕事だけではない。デジタルによって広がる趣味、楽しみの領域もある。いま一部で流行していると聞くデジタルペインティングなどはそのいい例かもしれない。紙も画材もペンも筆もいらず、何枚でも描いては消し描いては消し。デスクトップの中のバーチャルがいやになったら出力すればいい。描いてゆく過程を自分のサイトで紹介してくれる貴重な方々もいる。ホームページはボランティアで成り立つというが、その好例だろう。

 企業対個人という関係も変化している。東芝事件などティピカルな例だろうが、デジタルによって、情報発信者と受け手が、一対一の関係になってきたということだ。

one to oneマーケティングコンセプトによる木目の細微なプロモーションが、拡散するマスマーケットのセグメントと個別のアプローチを可能にしている。マーケティングはデジタルによって根本から変質し、プロダクトからコミュニケーションまでの広汎にわたってのパラダイムシフトを実現しつつある。

 今日はまじめな内容になったな〜。


第177話 8月15日

■ズレている!

 あなた、ちょっとズレているのじゃない、そう言われたりしておりませんかな?いや、股関節や脊椎やあごの骨のはなしではありませんぞ。そっちが気になるのなら医者にいったほうがいい。いや、小生が聞いたのは、感覚とか感性とか、そういう方面のズレのことです。

 小生がズレているのは経済感覚と事務処理能力、それに平衡感覚と音感だけで、それ以外は全く問題ないのだが、ただ一つ「ファッション」に関してはまったく家族からの信用がないのです。大層にファッションというほどのことでもない。単なる着るもの全般について完全にズレてると言うのですよ、家族みなが。小生にいわせれば、これは事実無根、濡れ衣というやつです。ズレているのはむしろあっちのほうだ。

 先日バイトに出かけようとしたわが娘の出で立ちがどうもおかしかった。上下の配色がアンバランスなのですな。娘の恥は家の恥に他ならぬ。これは、家長として見過ごすわけにもいかん。聞くは一時の恥、聞かざるは一生の恥ともうす、そう前置きしておまえのファッションは配色が変だ、配色も変だがなによりポリシーがないと指摘したところ、無礼にもわが愚かなる娘はこう言い放ったのです。

「とーちゃんには、言われたくはないね」

 小生、仕事着としての背広は濃い紺か黒に決めております。Yシャツは濃い灰色。靴は黒。ネクタイは灰色や濃い茶。なに、要するに典型的なオヤジルックじゃないかって?ふ、ふふん、青いな。これは究極の通勤着なのだよ。ね、何がいいってクソ忙しい朝の時間に着ていくものの取り合わせを考えなくてすむ。上下の組み合わせを間違っても、自分も他人もどうせわからぬ。それでも、クソ暑いのに上下を着込み、おまけにクビを締め上げて出かけるのは、それも給料のうちと諦めているからだ。だいいち仕事でなきゃ、好き好んで誰が背広なんか着るものですか。

 え?いまなんと言われた。じゃあカジュアルはどうしているんだとお聞きになったのですかな。ならばお答えしましょう。まず、小生はカジュアルというものは食ったことがない。え?仕事着以外の着るものをカジュアルというのか。知らなかった。であれば、ひととおりのものは持っております。まさかうちに帰って寝るまで背広姿というわけにはいきませぬからなあ。休みの日には山や海にも参りますしな。そうですな、雨合羽をはじめとする釣り支度一式と、車輌整備用のツナギの菜っぱ服と、野営用に払い下げて貰った迷彩服と、それに夏冬の寝間着というところ。あとは和服くらいかな。どっかに袴もあったかもしれぬ。足拵えはというと、雪駄と、ゴム長と、半長靴がある。どうです、カジュアルは仕事着に較べて充実しとるでしょうが。え?やっぱりズレていると。ズレておるのはそっちのほうだ。医者にいったほうがいいですぞ。しかし、まあ、毎年夏のこの時期になるとセミのように鳴きまくる「平和主義者」たちのズレ加減にくらべればましというものだが。


第176話 8月6日

■人生をコンテに

 話題になったダンシング・ベイビーのCMプランをもし絵コンテとテープのサウンドでプレゼンしていたらどうなっていたんだろう?ただのブキミなキャラクター提案として端物扱いされ、アイデアとして認められず、かえって怒られ、テレビCMとしては日の目を見なかったかもしれない。

 あの奇妙な「おとな顔の赤ちゃん」の動きとサウンドの面妖なマッチングは、CGによるビデオコンテを使ったプレゼンで初めて説得性を持ったのじゃないだろうか。(採用したクライアントもえらいと思うが)

 CMのプランニングはアイデアを形にすることから始まる、と思う(カタチにするアイデアがなくてはそもそも仕方がない)。人に説明できないアイデアにはなんの意味もないし、形にしなくてはそのストーリーを他人に伝えることはできないからだ。したがって世の中にひとつのTV-CMを生み出す、という「物語」の始まりにあるのがコンテということになる。

 コピー用紙やレイアウトペーパー、あるいはチラシの裏や江戸半の箸袋や住生のメモ用紙などに描き込んだラフアイデアから、コンテ屋さんに描いてもらうカラーの提出用のものまで。そして実際の製作では細かな部分まで説明できる演出コンテが必要になる。最初にアイデアをかたちにするのはラフな絵のことが多いわけだが手法はいろいろだ。CMではないけれど、ウエッブ系の映像プランの場合などCDライターで焼き込んだものを持ってくるクリエイターもいる。

ちなみに江戸半というのは仕事場のちかくにある、やすい旨い寿司屋である。

「最初からパソコンのデスクトップの中でカタチを作っていくほうがいいです」という人も増えてきた。もちろん、デジタルデザイン系のクリエイターは100%そうだ。ラフの提出はメールかウエッブ、自分のサイトを開きそこにラフの映像や画像をアップする人も多い。グラフィックデザインを志す人たちもすでに溝引きという言葉さえ知らず、烏口とかコンパスはもちろん、ポスターカラーもセメントも消しゴム使ったことがない世代になっている。それらは全部マックの中にあるからだ。

 今はCGなしのCMなどは考えられない(CGを使っていないように見せるCMはある)時代なのだ。DTV環境が急速に低価格化、一般化したこともその背景にあるだろう。そういえばダンシング・ベイビーのプランナー、坂井@電通氏のデスクにはMacのG3が確かに置いてあった。

手法はいろいろだけれど、実のところそれはどっちでもいいことだ。

藤井達朗という人物がいる。いや、いた。

 サントリーレッドのシリーズCMに大原麗子を起用したひとだ。このひとの絵コンテは秀逸だった。ちょっと古いタイプの漫画絵なのだが、彼のコンテはキャラクターの表情や背景のテイスト、企画の狙うところをあたかもフランス人のように優しく描きだしていた。彼の説明は休暇中のイタリア人のように柔らかく丁寧であり、第三帝国のドイツ人のような鋼鉄の意志と主張と要求を巧みに被っていた。大原麗子は賢い女優だから藤井@博報堂氏の柔和な笑顔には惑わされず、氏の手になる絵コンテと正面から対峙して「レッドの女」を作っていったのだろう。

 コンテは「過程」に過ぎないかもしれない。だが、コンテについて、たかがとか、されどとかは言いたくはない。力のあるコンテはしばしば出来上がったCMとは別の完結した作品であり得るからだ。藤井氏の絵コンテがそうだった。

 コンテは「CMの完成予想図」といったひとがいる。だが、予想と現実の狭間には時として大きな距離や時間や錯誤があらわれる。CMという制作作品においてもそうだし、ひとの人生という長い尺の作品でもそれは同じことかもしれない。

 かって藤井氏は「日清どん兵衛」のCMに川谷拓三を起用し、川谷はこれで一気に人気者となった。藤井氏は85年、48才で急逝し、川谷拓三ももうこの世のひとではない。


第175話 7月16日

■ コンピュータで絵を描くこと

フォトショップでブラシをいじりながら簡単に絵らしきものを描いたり、イラストレーターでペジエを使ってマンガ(同じく、らしきもの)を悪戯したりはしていた。しかし、フォトショップですこし混みいった絵をかき込んだりすると、マックの非力さがそのまま線や面の描写速度の遅れにあらわれ、そのうち嫌になってコマンド+A、そしてdeleteのくり返し。

ホームページを立ち上げたときのLC3、そしてその後継機のLX-100はもちろん、パワーブック180Cなど今となっては懐かしいマック達ではとても絵を描くところまではいかなかった。そのあと、中古の7500/100を購入。CPUは601、クロックは100という、いまこれを書いている新しいパワーブックの性能に比較すると大人と子供、ojisanの財布と小生の髪の毛、釣果でいうと偽剣さんと小生というくらいの圧倒的な違いがあった。ま、高さや厚さ、容量などが比較にならないということですな。だが、この7500系のマックは匡体の開けやすさやカードでのCPUのアップグレードが容易なことからいまでも人気が高い。小生も秋葉原で発見した中古の604カードを差し、つぎにG3カード(の一番安いやつ)をオンライン通販で購入して差した。そのとき気がついたのだ、下手な絵でもなんとか描写スピードが追い付いているではないか。

 ところで、いろんなサイトを覗きに行ってみるとマックだけでなく窓機使いの人々も様々なCGを描いている。3Dっぽい、いかにもボクはコンピュータで描いているんだもんねというのから、パッと目には、完全手描き水彩絵という風情の作品まである。これなど、さりげなく使っているフィルターから、その絵がコンピュータで描かれたものだとわかるのだ。小生が密かに師匠と私淑している大阪方面ののんべ絵師さんや、新進気鋭の神奈川在住ののんべCG作家さん(たしか、以前はDTPや翻訳の仕事をしていた方のような気が・・・)たち、そしてそのかたがたの周りに集まっているサイバー絵師さんがた。そんな方々の作品をみるにつけ、何かが違うぞと気がついた。

そう、彼等彼女等の絵の線には力がある。強弱がある。え?マウスでこんな線の表情なんてだせないぞ、とおもっていると、ある上品なサイトを覗いていて(危険なサイトだったかもしれない)それはタブレットという仕掛けを使うんだとわかった。

 タブレット?なんなんだ、それって?いかにも面妖な響きではないか。小生は年だから、四文字熟語つまり疾風怒濤とか、一所懸命とか、七生報国とか、魑魅魍魎とか、生々流転とか、鬼畜米英とかなら親しみ深く理解はできる。だが、タブレットなどという食い物も機械仕掛けも聞いたことはない。しかし、まあ、その仕掛けを使うとあたかも聿やペンを使うように絵が描けるという。これはほってはおけない!

その次の給金をもらった日、さっそくゼロワンショップというところに駆け付けたのである。

「ごめん、タブレットひとつ包んでくれんかな」にこやかに、すべて知っておるという風情でそこの店の女にいいつけた。するとその娘は眉一つ動かさず「USB対応のものはまだ入荷しておりませんが、よろしいので?」というではないか。ふ、ふふん。小生もすこしは勉強しておる。「なに、旧型のマックだからそれでなくてはね」と余裕の答えをかましたのだ。

(アンタくらいの年の客は、だいたいアイマックを買ったばかりってのが多いんだよな〜)という目つきで彼女はレジに向かった。「いんてぃおす、一丁。はい、二万五千円!ありあしたあ〜」

はっきりいって、コンピュータで絵を描くってのは、はまる!会社を出てからうちにつくまでこれまでは5時間くらいかかっていたのに1.5時間でまっしぐらに帰宅するようになってしまった。

まず「傭兵クリーシーの養女(わかる人はわが友!ごちそうしたいくらいだ)」を支那娘に置き換えた絵を描いた。描くほどに、自分にデッサンの力が欠如していることに気がつく。ある画家が鏡で作品を映してみながら修正するといっていたのを思い出し、そこはコンピュータのえらいところだ、左右反転をくり返してなんとかドラフトをでっちあげた。

次にその支那娘が発砲している絵。じつは最初の銃とちがい、こんどはM1911A1という古い自動拳銃を持たせたのだ。しかし、手の表情がでない。デッサンがあかんのやな、と自覚してスケッチすることにした。マックの裏の棚からコルトをとりだし(勿論、モデルガンです。通報しないように!)「ちょっとこれを持って、銃口をまっすぐにこっちへ」と呆れ顔のかみさん(の手)をモデルにした。同時に側でお菓子をパクついていた大学1年の娘に「バレーボールを床に押さえ付けている手の感じで」と注文をつけ左手のモデルに。

ハゲおやじの頭をおさえながら、敵に反撃する支那娘の絵はこうやって完成したのでした。

 ところで、きょうは一枚のCD17曲をMPEG3におとして保存した。それをききながら書いている。一枚のCDがたったの70MBにおさまった。CD10枚保存しても1GBにもならない。そしてハードディスクはまだ何GBも余っている!しかし、小生の最初のノートブックマックはたぶんそのくらいのハードディスクしか内蔵していなかった。80だったか180だったか、どっちでも変わらないほどの容量の小ささだった。いま7500に積んでいるメモリが300MBとちょっと。ほんの数年前のHDはそれより小さかったのだなあ。いや、生々流転、日進月歩!夫婦善哉!あ、さいごのは今MPGのなかで石川なんとやらが歌っているタイトルでした。え?年をとると話も長くてまとまりがない、まるで馬の○。んべんだなって?ん、そう、そういうものです。



第174話 7月10日

■相模湾ふたたび

スケジュールソフトのタグを「釣り」にしてみた。きっしり書き込まれたスケジュール表がたちまち真っ白に変わる。去年の12月まで遡ったらやっとその月の後半に書き込みがあった。そうだ、もう海を最後に見てから半年過ぎたのだ。

わがページ「ひるね蔵」はお粗末ながら釣りをテーマにしている、ハズだった。この手控えも主に釣りに関わるエッセイというか、釣行記が主体になるべきものであった、はずだった。潮風と釣果をレポートする格調高いフィッシャーマンのページとしてささやかな読者の方々に貴重な(あまり役立たないとか、無意味だとか、信用できないという人もいるが)情報を提供する場であるはずだった。それがいまやほとんどヨタばなしといっていい駄文を連ね、サーバー容量の無駄遣いと云われるまでおちぶれてしまった。これでいいはずがない。魂よ覚醒せよ。竿を執れ。一筋の糸で結合した海中の荒ぶる魂との戦闘の高揚を想起せよ。

時は七夕。ついに相模湾三浦半島西岸沖にふたたび奇跡は舞い降り、海は炸裂した(かな?)

目覚めた!走った!釣った!(といえるかな?)そのレポートをアップしました。ここです


第173話 7月3日

■いつのまに・・・

 尻のポケットに突っ込んだ携帯電話が突然震えたので、反射的に飛び上がってしまった。比喩ではない、ホントに10センチいや1メートルは飛び上がっただろう。いや驚いた。こんなことなら携帯の着信音をバイブレーションモードにしなけりゃ良かった。他人に迷惑をかけまいとする小生の気遣いがかえって裏目に出てしまった。そういうもんなんだよな。人生を舐めたヤツが旨く世の中を渡り、小生のような小市民が静かに生きて行こうとするとだいたいうまくゆかないものだ。とび上がった場所が会議室で、飛び上がったのが会議の真っ最中だったのも良くなかった。役員や局長様がたの怪訝なそして冷たい凝視を素直な海綿体のように受け入れて、小生は携帯をズボンのポケットから取り出し、みんなに見えるようにそっとスイッチを切った。けっして小生がなにかの発作をおこしたわけではないことをそれで理解して貰えただろう。誰よりまっとうに業務に貢献している小生だが、そう思っていないすこし知能の足りない同僚もいるので十分に気を付けた処世が必要なのだ。ん、見てないだろうな。

会議のあと、留守伝をチェックした。電話は聞き慣れない若い男の声だった。その声には会社訪問の学生の軽薄も売り込みの業者の慇懃もましてや商品取引営業マンの詐術といっていい粘着も感じられなかった。また電話しますといって音声は切れていたが、ハシモトレイスケですというつつましやかな名乗りに、小生は懐かしいひとりの人物、大学時代の先輩を思い出したのだ。(彼のことは、復帰前の沖縄で米軍司令官に頭を下げさせたただ一人の日本人として当時の新聞にも報道されたことがある。その代償は死の一歩手前の負傷だったが。長身、容貌端正、のち結婚した奥方は薩摩美人であった。小生は、めっそうもない青春記時代に、同期の友人たちと共に大変な世話になった)

それはその先輩の子息ではなかったか。もう12、3年も前になるが先輩の北関東にあるお宅に遊びに行ったとき、三人の男の子と生まれたばかりの女の赤ちゃんが、雑然とした居間を走り回り転がっていた風景が、夜明けを迎える山の稜線のように次第にハッキリと思い出されてきた。

橋本怜資クンはその三男だった。小生には、電話の向こうに洟垂れ小僧のイメージしか出来なかったのだが、なんと彼はいま18才だという。高校3年生だ。小生は時間の過ぎゆく速さをいまさらに感じた。

「いま、タレントの・・・タマゴをやってます。いろいろお話しをお聞きしたいと思って電話しました」という。聞くと、当時まだおくるみの中で寝ていた妹も同じ事務所に所属しているという。

かっての先輩、というより義兄弟の兄貴分の子供らだ、小生にとっては義理の甥っ子と姪っ子といってもいい。

日を決め、時間を決めて小生の仕事場に呼んだ。クリエイティブディレクターのKに「オーディションのこっち側からの」話しをしてもらうことにした。Kはこういうことには非凡な才能を示す。学校の先生になったほうが良かったかも知れないと思うほどだ。人相さえ良ければいまからでも遅くはないのだが。

彼ら兄妹が連れだって小生の仕事場にやってきたのは、昨日の午後だった。あの洟垂れ小僧と居間に転がって寝ているだけだった赤ん坊がこんなに大きくなっていた。(写真参照)

Kは期待にたがわず丁寧なアドバイスをかれらに与え、すこし恫喝し、さらに励まして、がんばりエネルギーをいささか注入してくれた。怜資クンと晴香クンには、焦らず自分たちが自ら希望した道を弛まずに歩いていって欲しいと思う。

えー、彼らの真剣さ素直さは小生が保障しますので(え?それがあてにならないって?)その節は、東京児童劇団(スペースクラフトエンターテインメントグループ〜有森也美や吉野紗香の事務所)の橋本怜資と橋本晴香をよろしく!


第172話 6月27日

財布も髪の毛も薄いが、釣りへの情熱はあついと書いたのはもう10年くらい前のような気がする。だがこの手控えを書き始めたのが去年の五月だからそう昔のことではない。ではないのだが、その情熱がすこし醒めたというより鎮静しつつあるらしい。

たとえば天気予報のおねえさんが「台風が近づいている」と云えば、以前なら台風→底荒れ→荒食い→大漁と連想し、ついでに刺身、塩焼き、ズケまで連想(っていうかほとんど妄想)していた。考えるだけではなく、実際に行っていた、ような気がする。しかしいまではそうではない。渋茶をすすりながら窓の外をながめ、「しばらくは釣りにならんな。どれ酒でものむか」ということになる。

雨が降り始めると、活性が上がる瞬間の魚を狙って、渓流竿を掴むや奥多摩に走った頃もあった。だが今はその軽快なフットワークも消え去って、二階のベランダに干した洗濯物の心配が先に立つしまつだ。

だが、ものは考えようだ。物事にこだわるようではしょせん人間もまだまだじゃないのか。髪の毛や財布の中身に固執していては本当の人生の妙味を味わうことはできないと小生は思うのだが、釣りにおいても同じではないだろうか。であれば、南の風が潮の香りを運んできても、静かに頭をめぐらせて頷き「海はわが心の内にあり」とつぶやく。この枯淡の境地こそ本当の釣り人が到達すべきシャングリラとは言えないか。などと思いを深め、思索の時間を楽しんでいたら、電話が鳴った。房総の船宿に居続けている釣りオヤジからだった。

「釣れてるよ!大きなイサキが入れ食いだあ」外道に3キロの鯛もでたよと叫んでいる。

柔軟性を持ち続けることが老化を防ぐことに繋がるという。さっきまで盃をなめなめ枯淡の境地に遊んでいた小生は、すみやかに車庫から自転車をひっぱりだし、近くのキャスティング(釣具屋)に走った。(ジープだと酒気帯びになってしまうからだ。このへん、冷静だな)

ハリスを数種類買い、ついでにテンビンとコマセ篭をショッピングカートに放り込み、創刊されたばかりの雑誌「つり丸」をぱらぱらとめくって見て、これも買う。この雑誌は、フィッシングMLでお世話になっている盛川氏の父君が編集長で、編集スタッフには以前「海づりクラブ」編集部にいた大塚女史の名前もあった。小生、女史からは「海づりクラブ」廃刊の時に多分の原稿料を戴いて恐縮したことがある。感謝の意味を込めて「つり丸」を20部くらいは買いたかったのだがキャスティングには2部しかなかったので、1部だけにした。

うちに帰り、ジープの荷台を片づけ、クーラーを積み込み、カッパや長靴も放り込んだ。いや、久しぶりの釣りだ。晴れて欲しいな。

だが、われに利あらず!

朝方、ベランダを打ち壊すような、ものすごい雨の音で目が覚めた。窓を開け空を見上げる。強い南の風が吹いているのだろう。真っ黒な嵐の雲が次々とちぎれ飛んでいく。気象情報を確認するまでもない。南風に吹きまくられて波の高さは3m以上にはなるだろう。こんな風の時に船を出すところはない。

以前の小生ならとりあえず港までは行って状況をみていただろう。だが、一度枯淡の釣りの味を記憶した神経中枢は小生に出撃中止を命じたのだ。で、日曜日なのに朝早くからコーヒーを煎れ、マックを起動し、これを書いている。え?また寝ればいいじゃないかって?

いや、なにしろ枯淡のわかる歳だから、一度眼が覚めるともうだめなのじゃよ。それに朝早い時間に、ヘレン・メリルのハスキーなジャズボーカルを聴きながらマックに向かうのもなかなかのもの。どれ、そろそろ酒にしようかな。あ、きょうは禁酒日だった。


第171話 6月21日

たとえば糸井重里ならキャッチコピー一本で3桁くらいのギャラは請求してくるだろう。「おいしい生活」と一行書いてそうなら確かにおいしいにはちがいない。いまはもう、声優やCMタレント(たばこ飲みのバス釣りオヤジっていうアレです)に出世したからさらにおいしい生活をおくっているのかもしれない。昔、「金曜日にはワインを買う」とか「もめんと木」と書いて若者たちにコピーライターというかっこいい仕事があることを教えたのはツチヤさんという人物だ。四半世紀前、新宿の伊勢丹の宣伝部でよく見かけた。いまでもお元気で、広告界の集まりなどには長老格でお見えになっている。あ、いかん。つい話しがそれた。注意力が散漫になっている。年をとるとこうだからしかたがないな。

包丁いっぽん、さらしに巻いてという歌があるが、キャッチ一本メールで送りという歌はまだない。歌はないけれど、そういう人はもうたくさんいる。そんな世の中になってしまった。キャッチコピーひとつでアブナイ会社が生き返ることもあるのだからコピーライターの仕事ってのはあなどれない。「バザールでござーる」とか「胸もオシリもきゅうじゅうはち、九十八!」とか「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」とか「阿藤かい〜っ!」とか。因みに、さいごのヤツは、水虫の薬の広告。

キャッチ一行のおいしさを、刺身にたとえると、さしづめツマはボディコピーだろう。大根の千切りのほうが刺身本体よりボリュームはあるのだがそこはやはり刺身のツマ、どうしてもないがしろにされてしまう。このごろのコピーライターはキャッチをひねり出すのにつかれてしまい、ボディを書く元気がないようだ。もっとも電車の中のポスターなど、ボディコピーなどよまんでくれとばかりポイント数の小さいフォントで書かれてある。云ってみればグラフィックな処理要素としての意味しかない。そういう扱いしか受けていないから、だいたいの場合文章になっていないのだ。新聞や雑誌のようなメディアはともかく視覚の距離と時間に制限のある交通広告媒体や電波媒体ではきっちりした造り込みの仕事を目にすることが少なくなった。

先日、麹町駅で一枚のポスターを見た。ある自治体の観光ポスターだった。まず写真がよかった。海は高い陽の光に充ちていて、港の堤防の突端で釣竿をもって笑っている少年の顔もまた素晴らしかった。カメラマンがレンズのこちら側でどんな顔をしているのかすぐわかるような一枚の輝く絵になっていた。二日酔いでボケたわが目には眩しいほどの風景だった。たしかにそのポスターは、その一枚の写真と県名表示で完結していたといっていい。広告としての目的を十分に果たしていた。ただひとつ、青い空を横に白くブチ抜いて太いゴシック体のフォントで書かれたキャッチコピーさえなければ。おまけにキャッチの下にはとうてい読めないほどの小さな字で縦書きのボディコピーが十数行貼り付いていた。

ないほうがいいコピーというのも哀れなものだ。多弁だが無能な政治屋にもどこか似ているようで空しい。広告にも人間にも、寡黙な雄弁が欲しいものだ。きょうは我ながら真面目な内容になったぞ。え?無駄口が多いって?


第170話 6月6日

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■塵(ゴミ)

 モノが溢れると、ゴミもまた増える。そういう意味では小さい島国で数百万人が生きるだけのモノを生産し、消費し、また自然に還元して自給自足していた江戸時代の日本には、現代人がイメージするゴミなどは見つけたくとも無かった。木灰も馬の草鞋も無駄なく再生産に寄与していたし、着る物も普通の人々はもっぱら古手(古着)屋を利用し、洗い貼って仕立て直し、長く使っていた。屎尿すら、というより人間の糞尿こそ良質の堆肥として無駄なく土に返され、やがて野菜となってかっての主たちのもとに戻っていった。水も江戸市中の樋と井戸を巡った残りは水船に積み込まれ、水道のなかった大川の東岸に運ばれて無駄なく利用され尽くしていたのだ。

 ゴミの無かった社会には、ゴミを捨てる人間も居なかったろう。ということは、けたたましい音をたてながら車輪の付いた板っきれを乗り回しビンや缶を放り投げるボーダーも、ジュースの紙パックやタバコの吸殻、空き箱をまき散らして遊ぶセンター通りのウンチ座りねえちゃんも、ホームだろうが階段だろうがツバを吐き散らす土着座りの痔疾志願者としか思えない西武沿線のバカにいちゃんたちもいなかったに違いない。モノが溢れると、ゴミもまた増える。そのゴミをまき散らすこの連中も、何より始末におえないゴミというべきだろう。

 前説はこのくらいにしておきましょうかね。

 きょうは釣りでもないのに、朝7時前には起きておりました。決して、高血圧だからというわけではないですぞ。きょうは相模川の河原にゴミ拾いに行く日だったのです。え?それって仕事かって?転職したのかだって?あんたもうおかえんなさいよ。

 年3回、相模川クリーン作戦なるものが実施されるのですが、この河原は何年も前から小生らのクラシックジープのキャンプに使わせていただいておるのです。恩を受けて返さざる、これを人非人という。世話になって知らぬ顔はできません。一ヶ月前からクラブのメンバー数人と連絡しあい参加することにしていたのです。天気もよし、そう暑いというほどのこともない。簡単に朝食とコーヒーをすませ、7時40分に出発。現着は8時50分。9時には参加登録を済ませ早速ゴミ拾いを始めました。

 小生は一般ゴミを担当。紙のゴミやカップラーメン容器の残骸などをひたすら拾っては透明のビニール袋に入れる。ビン、缶のリサイクルゴミを見つけたら、後から来るリサイクルゴミ担当が発見しやすいように目に付きやすいところに出しておく。袋が一杯になると集積場所に持っていき、新しい袋をもらってくる。

 それは3回目の袋を貰い、雑木の生い茂った場所をゴミを探しながら歩いている時でした。右手になにやら紺色のモノが見える。どうも古着らしい。低い雑木を踏んで近寄ってみてちょっと奇妙だなと思ったのです。

 それは女物のワンピースでした。風化というほどの古い感じはせず、胸元の小さな飾りボタンはメッキの金色がまだ光沢を失っていない。その胴の部分が妙にふくらんでいた。服の端っこを持って引っ張ってみると嫌に重いのです。動かしたはずみに、襟のあたりから茶色の小さな虫が飛び出して草むらに消えました。見ると何か濡れたように光っている。それはなめくじでしたが、なんとも気味悪い。もしかしてバラバラ死体でもはいっているのかと思いましたが、服が新しいのに炭水化物の腐敗臭(死臭)がしない。もっとも、死臭なんて嗅いだことはありませんが。

 そのままにしておくわけにもいかないので「神奈川の川を愛する会」からお借りした金ばさみで胴体部分を軽くつついてみた。あまり強く扱うと(夏場はとくに)放置死体は破裂することがあるのでそっと押してみたのです。今度はゴキブリが二匹飛び出してきましたが、中にはなにやら柔らかいのか、固いのかわからないモノが入っているようだ。こういうとき、糸井重里なら、やわらかたいとかなんとか言うのだろうな。ま、くわえタバコでバスを釣る奴なんぞ嫌いだから、どうでもいいが。

 あ、失礼。わたしはどうも自称文化人ってえのが大の苦手なんでして。ところであなた、「よかぶっせー」ってのはおわかりでしょうか?え?どうでもいいが、どうせ薩摩弁だろうって?それより早くその服の中身の正体を言えとおっしゃる?わかりました。申しましょう。

 思い切ってその服を、中身ごと茂みから引っぱり出してみましたよ。襟の中に真っ赤なものが見える。ドキッとしましたが、それはシャツでした。紅いポロシャツ、それも男物でした。中から出てきたのは、男物ばかり、シャツやパンツ(ちゃんとたたんであった)、でかいTシャツ(ハーレークラブ)などなど。変なこともあるものです。これでは、その女物のワンピースは、男物の衣料を詰め物にした枕ではないか。誰が何のためにこんなモノを捨てたのかと考えていても仕方のないことです。ビニール袋にもはいらないので、しかたなく死骸を引きずるようにしてそのゴミを集積所に持って行きました。

 都合5袋分くらいの一般ゴミと、ちょうど一台分の乗用車の下回り(プロペラシャフト、ダンパー、ブレーキ、バンパー、エンジンブロックの半分・・・)を拾って、きょうの河川敷クリーン作戦は状況終了となりました。それにしても、日本の河川敷にはどえらい量のゴミが捨てられているものです。我々も「歩く糞袋」のうちはいいが、ゴミ袋にはなりたくないもの。余計なモノは取り払ってシンプルな生き方をしなくてはと思った一日でした。いや、お疲れさま。長い与太ばなしを聞いていただいたあなたも、お疲れさまでしたな。

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