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それでも、たまには更新していますので、リロードしてください。
192話 11.27

リ・サイクル、とポイ!について

 
(写真)ドイツの分別ごみ箱のいろいろ


 もし、お宅様がもうすぐ御飯時という時分なら、あとでお読み戴ければと思います。
 いや、以前たいそうなヒンシュクを買ったことがありましたので。
 二年前の冬だったか、暴風雨のために、地獄のように揺れる釣り船で大酔いしたときのことです。朝3時からのビールとメンマ入りラーメンが悪かった。ぐぐっとこみあげてきたゲロを押し止められず、そこは釣り人のマナー、身を船縁から海に落ちるくらいに乗りだし、吐いてしまった。だが、海面から吹き上げるような烈風のために、どろどろになった麺と胃液混じりのゲロしぶきが、甲板に並んだ釣り人たちの顔に満遍なくかかって上空へと飛散し去った情景を書いたことがあります。(文末の剣崎沖ゲロ戦記参照(^^;))
 勿論のこと、愛読していてくれた釣り仲間から、抗議のメールが殺到しました。「先に言え!オレは飯の前だったんだ」という訳です。
 え?「先に言え!」ですと?これは申し訳ありません。ま、そういう訳で、もうしばらくおつき合いください。
 釣り船でのゲロは天然自然の理に則っている、と抗弁しても罰はあたらないでしょう。しかし、街の至る所で見かける、ゴミをポイ捨てする若者(&オヤジ)、狭山丘陵あたりの山中に大量の産業廃棄物を投棄しにくる無灯火のトラック、恥知らずな警察官僚、池袋や渋谷の駅界隈を徘徊しているガングロ、政治屋をやっているヨタ者たち、走る車から空缶を放り出すヤツ、とまあ書いているだけで血圧があがるほどの不法、無法が溢れる国に私たちの日本はなってしまった。
 この国は山紫に身を修め水明に心を清め、夕暮れに袖がふれた見知らぬ人にも気遣いを忘れず、雨の路地のすれ違いには傘を傾け、一言交わす挨拶が互いの思いを通わせていた、そんなたおやかな国ぶりだった、はずだった。

 殺伐たる現代の精神性を時代のせいだ、と抽象的概念的に片づけていいものでしょうか?先人が長い歴史の中で築きあげてきたものを知る勉強もせず、受け継ぐ努力もせず、昔を「悪い」時代とひとくくりに否定し去った教育の責任は大きいと、年寄りの繰り言ながら言いたくもなります。
 
 ドイツの分別収集の徹底についてよく報じられます。しかし、もともとドイツにすばらしい環境保護の精神があったわけではない、と聞いています。かって、ドイツの工業汚染によってライン川の生態系は壊滅し、一つの村が完全に絶滅したこともあったらしい。だが、ドイツ人はやはりドイツ人だ。環境破壊の愚と国家民族の将来への禍根に気が付いた途端、徹底した環境保護を国策とした。
 この国は一端決めたらもう止まらない。民族的美質というかやりすぎというか、いま、ドイツの環境保護に関する法的規制は非常に厳しく、またそれを国民が当然と認識し、政策を支持し、自ら遵守している。違反者への罰則も峻烈といいます。

 東西ドイツの統合を成し遂げ、NATO参加国の義務という名分のもとドイツ国防軍の域外派遣も辞さぬ国家意思を確固としてもっているドイツ。その一方で、ユーロ統合を積極的に推進して全欧の安定と成長に貢献する姿勢でヨーロッパ各国の信頼と尊敬を勝ち得ているドイツ。国連憲章にいまだに敵国として日本と並んで名を連ねるドイツの、日本との違いに思いをいたし、そしてこの国のこれからを考えると、寒々しい気持ちになります。

 かってよく通った船宿がある。海の釣りを始めたのもここだった。ビシ(おもり)とテンビンを逆に付けてしまった小生に笑いながらも親切に教えてくれた大船長は、もう海には出ていない。その息子が舵をとっている。当時、船着き場で遊んでいたちびっ子は、今は金髪で片耳にピアスのリッパな若者に育った。19才のその若船長、ゴミを海に放る客がいると静かな声で、しかしはっきりと棄ててはいけないと注意し、タモをとりだしてそのゴミを波の間からすくう。10年前の東京湾の釣り船では絶対に見ることの無かった風景だ。
 人の行為が、善し悪し問わず将来に何を残すかを考えなくてはならないと思う。

参照(しないほうが、いいです)釣行記(剣崎沖ゲロ戦記)

191話 11.21

路地、空間、そして意外性について

 関西大学で中国古典文学の教鞭を取られる森瀬教授は、そのエッセイ「ヨーロッパの空間」(HP:網絡平水亭所収)の中で、「ザルツブルグ、ルーヴェン、アムステルダム、そしてロンドンのような町には、そこかしこに不思議な空間、心惹かれる空間というものがまるで泰西名画のように存在し続けている」と書いておられる。たとえば相対に平面的な日本の城郭に較べ、欧州の空間は縦と横に同じように複雑で、まるで船の中の構造のようだというその同じ思いを、実は今回のヨーロッパ訪問で強く感じた。
 城郭だけでなく、都市そのものの複雑な構造が、実は戦争に備える防備の戦略であることは論を待たないが、実際に石造りの建築物に挟まれた狭隘な石畳の路地を辿り、迷い歩いていくと、それを実感できた。建築物の窓は例外なく高めの位置にあり、堅牢な鉄格子が住む者を守っている。ここには城郭都市という概念のなかった日本の風土からは想像もできない、他者を峻烈に排除する思想の顕現を見たような気がした。
 その迷路は、今は一種不思議な空間的演出となっている。フランクフルトの狭苦しい旧市街の露地を歩いていて、喉が乾いたなあと思った瞬間、ビヤホールの看板が出現したり、路地から路地へと迷い込んだミラノでは、とつぜん目の前に碧眼の美人が出現したりした。曲がり角の先に待っているのが何かは、運と心がけ次第だが、たとえそれが犬のクソだったり、辻強盗だったりしても、不可思議な空間に充ちているこの意外性が、ヨーロッパの古都の魅力のひとつなのだろう。

 そういえば、ロンドンで昼飯を求めて歩いていたら、露地の角に釣り具屋を発見してしまった。この店でルアーやロッドをいじり回しているうちに、午後の仕事の時間になってしまい、昼飯を抜くはめになったのは、自業自得なんだろうな、やっぱり。


190話 11.14

再び、美味しいこと

 チビ、ハゲ、メガネ、デブなオヤジはまず例外なしに女の子には嫌われる。しかし、チビとハゲとメガネは生来の遺伝学的な理由によるものであって本人のせいではない。怠慢や怯懦や自制心のなさを原因とする「オヤジ」的なものではないのだから、ブスを理由に嫌われる女性となんら変わることはなく、これは理不尽というべきだ。性格ブスが嫌われて当然のように、オヤジの場合の「デブ」は四種混合の嫌われる理由のなかではちょっと筋が違う。疾病を原因としない肥満は、単に運動不足と飽食の当然の結果だろう。

 グルメブームと言われて久しい。リッチなOLたちは世界中のレストランから、秘湯の山菜料理まで飽きず食べ歩き、その知識と体験たるやすさまじいという。日比谷の高架下でインチキ焼酎(乙類焼酎以外のすべてを指す)に梅干しを溶かしてすすっていたオヤジたちも、11月になると鼻の穴を膨らませて「ボジョレヌーボーがなんたら」と口走る恐ろしい時代になってしまった。粗衣粗食の薩摩的伝統を尊重する小生は、グルメブームなぞ接待ゴルフや料亭政治屋や銀座のクラブのきんきらババアと同様に大嫌いである。一本ん万円というワインや、金に糸目はつけない成金でなくては味わえない(と称する)料理など、時代が許せば焚書坑儒ものだ!(血圧が上がってしまうなあ。それにしても、例えが古いな、我ながら・・・)

 写真の左はパリのシテ島の公園でランチをとっていた学生。友人と楽しそうに話しながらパンに食らいついていた。そう、楽しく食べるのが一番だと小生は思う。きんきらババアの店でロマネコンティを舐めながら出前の焼きソバをすすりこみ、人のカラオケを聴くというのがなにより好きだというヤツ(信じられないことに現存する!)は別だが。おっと、ずっと昔のこと、演習後の兵隊食堂で馬鹿話しを交わしながら空きっ腹に詰め込んだ麦と味付き澱粉の晩飯の旨さを、唐突だがいま思い出した。うん、あらゆる食事には、楽しい相手と空腹こそが最良の付け合わせなのだなあとしみじみ思う。

 次の写真はパリの宿でのルームディナー。近くのスーパーで150円のチーズ、350円のワイン、100円のパン、200円のスモークドハムを買ってきてレポートを書きながら取ったバンメシだ。これはホントに美味かった。うまくてそして安かった。

 バッカスの像やシャンパンの写真はドイツのスパークリングワインのトップメーカー「ヘンケル社」でのもの。マーケティング研修のはずだったが、最後の試飲会が一番充実していた。右のワインのあるテーブルの写真はミラノのレストラン「トプカピ」でのスナップ。ピザやパスタとワインの夕食なぞ日本では考えもしない(外食の選択肢は1が寿司、2が中華、3が中華、4が寿司の)小生だが、これは良かった。しかも安かった。予約が必要なクラスのリストランテなのに六本木の一杯飲み屋の勘定より安かったのだから、東京のグルメコストやおそるべし。

 小生すっかりワイン党になってしまった。今日の昼はパンだったのだが、隠していたワインを持ち出し、カミサンと一杯づつ注ぎわけてランチ。食後ワインはあえなく没収されてしまったが、いや、うまかった。



189話 11.10

濡れた石畳

 たぶん北杜夫の「ドクトルまんぼう航海記」を読んだときからだろうか、雨に濡れた古い石畳の小道とそれに映える街灯のある風景の中に、いつかは自分で立ってみたいと思っていた。

 この本を読んだのは中学生の時だから、もう30年以上も前のことになる。以前撮影の仕事で出張したオークランドにも石畳の道はあった(ような気がする)が、それは小生のノスタルジックな憧憬の世界とはやはり異質だった。ヨーロッパに出張しろと命令されたとき、持病の血圧や痔が悪化するんじゃないかと心配するかたわら、四半世紀以上にわたる夢が叶うかもという期待はあった。そして期待は裏切られなかった。
 わが幼少のみぎり夢に舞うように読みふけったヘルマン・ヘッセの世界がそのまま眼前に広がっていた。道も建物も圧倒されるような石造りだった。石畳の小道のかどを曲がると、あのさまよえるクヌルプに出会いそうな錯覚すら覚えるほどだった。たまのオフに仲間とでかけた観光名所でももっぱら足元の石畳ばかり撮影していた。朝食の前と仕事がおわった後は時間を惜しんで街を歩き石畳に手で触れて回った。犬の糞が至る所に落ちているパリとミラノでは注意が必要だったが。なかでもフランクフルトの居酒屋街は絵に描いたような石畳の街でもあった。Sachsenhausen(ザクセンハウゼン)、18世紀の佇まいを色濃く残すこの街は中世の夢と、ホロコーストの記憶が塗り込めた地域でもある。小生が訊ね歩いて行った時、石畳は冷たく無言で夜の雨に濡れていた。

188話 11.3

ホスピタリティ

 ちょっと朝寝してしまった。もう8時前だ。外では愛犬のロッキーが、ときおり一声だけワンと吼えて、さんぽに行こうと催促している。一声だけ吼えて、しばらく黙っているのはこちらの様子を窺っているのだが、まあ、連続して吼えると怒られるからでもある。12才になる老犬だが、まだ足腰は達者で昔ほどではないけれど急に走り出したりして散歩に連れて行くカミさんを驚かせるらしい。休みの日は小生が散歩係だ。たしかに数年前にくらべてツナを引く力も弱っているし、目もよく見えないようだ。涎を延々と垂らしているのも老犬らしいもの悲しい風情。このごろ話題にのぼる老人介護のことをつい考えたりしてしまう。

(左の写真をクリックすれば大きい画像が出ます)

 高齢化社会の介護問題を考えつつロッキーの散歩から帰ってきたら、娘が居間でテレビを見ていた。朝っぱらから、バラエティ系のタレントがアホな笑い顔をアップで見せてくれている。カメラがパンし、スタジオに集まった若者たちの顔を映し出した。そいつらも同じアホな顔つきだった。おいおい、今日は文化の日だぜ。ちっとは文化的なことでもやったらどうだ。テレビを見る小生の目が険悪になってしまったのだろうか、不穏な空気を察知した娘はさっさとテレビを消し、バイトにいってきま〜すと言って部屋を出ていった。

 カミさんが書斎に運んでくれたコーヒーをすすりながら、昨夜仕事から帰ったら机の上に置いてあった封書をとりあげ、開けた。ベルギーからの手紙だった。手紙の発信人はGer van de Pol君。ヨーロッパの国際大陸鉄道ユーロスターのビュッフェに勤務している背の高い若者だ。

 10月6日の朝、ロンドンを後に、ベルギーへと向かう日。ブリュッセルまでは鉄路の旅だ。10時27分、ユーロスターはウオータールー駅を出発した。ロンドン郊外の、いかにも英国の郊外らしいなだらかな草原が続く風景の中を、ドーバー海峡のトンネルに向かって列車は走る。6号車がビュッフェというので、ベルギービールを求めてさっそく行くことにした。3号車の端の席に、二人連れのユダヤ教徒がいた。黒づくめの格好。不思議な帽子。紙袋の中のなにやらあやしい食物を食べている。さすがに国際列車だ。車内にはいろんな民族やファッションがあふれていて、見て飽きることがない。

 ビュッフェは混んでいた。アメリカ人らしい老観光客がなにやら女性従業員にクレームをつけている。その肩越しにメニューを指さして大声で注文する中近東系(そんなのあるか?)らしい若い男。後ろに並んでいる人の列を気にもせずに、カウンターに肘を突いてゆっくりとメニューに見入っている男女。個人主義もこうなると考えものだ。小生はビュッフェの隅でしばらく待つことにした。カウンターの中で立ち働くのはいかにもベルギー人といった風情の髭オヤジと背の高い若い男、それに老クレーマーににこやかに辛抱強く応対している女性。もうひとりの若い娘はハムスターのように動き回っては注文をこなし続けていた。小生は見ていて感心した。厨房の中の二人の男性スタッフと女性従業員の阿吽(あうん)の連携作業の見事なこと!

 チームワークも見事だが、彼と彼女たちの笑顔にホントの自然なホスピタリティを感じて、じつは驚いた。こういってはなんだが、小生、馬の目どころかメダカの目だって抜いてしまう広告業界で、伊達に長い飯は食っていない。作られた、そして強制された笑顔と、その人の本然の笑顔は0.2秒以内で区別がつくのだ。

 ビュッフェの隅で待っている小生を見て、髭のオヤジが片目を瞑ってうなづいた。ごらんのとおりさ、わるいけれど、ちょっと待っていてくれるかいと、その目が言っている。フランス語を理解しない小生にも100%その意味は伝わった。日本の外国語教育も、妙な文法よりウインクでも教えたほうがいいかもしれぬ。
人波が去って6号車が静けさを取り戻すと、さっそく年上のほうのウエイトレスが声を掛けてくれた。「ムッシュ〜、・・・」この・・・のところはよくわからなかったが、ま、注文を聞いたのだろう。小生はビールを頼んだ。カウンター越しに差し出されたのは、「STELLA ARTOIS 」ベルギーのビールだ。

 LEUVEN STRONG CONTINENTAL LAGER PREMIUM LAGER BEER BELGIUMS ORIGINAL BEER と書いてある350mm缶。1ポンド70ペンス。2ポンドあげて、つりはチップ。ちょっと多いのかも知れない。しかし、彼と彼女たちは「オー」と叫び、とても嬉しそうな顔をした。。30ペンスは約60円。なんだか素朴だ。しばらくカウンターで髭オヤジと雑談。客が減ったので暇になったのか、にこやかに相手をしてくれた。とにかく話し好きで明るい。背の高いほうも加わり、らちもないビールやお菓子の話しで盛り上がる。写真をとろうといったら、二人のウエイトレスを大声で呼び集め、カウンターのなかでポーズをとってくれた。撮影した写真をプレビューすると「おー、デジタル!」と叫んぶ。ほんとに素朴だ。Ger van de Pol君が、我々4人に一枚づつ送ってくれないかと言う。小生が、この後ドイツとイタリアそしてフランスを回って、東京に帰るのはすこし後になるけれど、かならず送るからと返事すると4人ともホントに嬉しそうに笑顔を見合わせていた。

 日本に帰ってきて4日目、出力したプリント4枚をGer van de Pol君宛に送った。彼の手紙に、2日前に戴いたとあるところをみると、1週間かかって着いたらしい。返事には、「ブリュッセルはEVERYTHING OK.日本も同じように平穏でありますように」と癖のある字で書いてあった。4人とも写真をものすごく喜んでくれたようだった。Ger van de Pol君はさっそくアパートの壁に掛けましたという。彼の手紙にはまた「何が嬉しいと言って、ムッシューがユーロスターでの旅が楽しかったと手紙に書いてくれたのが一番でした」とあった。

187話 10.30

強い心臓

 心臓が弱い、といっても狭心症や弁膜症という訳ではない。毛唐、いや外国人たちのようにディベート向きの根性に乏しいということだ。古いヤツだとお思いでしょうが、(古いなあ、こりゃ)奥ゆかしさとか控えめとか聞き上手とかそういう本邦の民族文化的美風を小生は大事にするほうなのだ。争いごとや議論、自己主張といったものはホントに苦手なんである。チクチクと相手を言い込めるなどということはとてもできない。それくらいなら一気に斬り捨てたほうがいい。

と、そんなことを書こうとしたのではなかった。歳をとるとくどくていけない。

 

 ロンドンの3日目の夕方、ハロッズ百貨店にお茶を買いに行った。行って食料品売場を見渡すと、日本橋三越がハロッズのレプリカ(というも恥ずかしいが)ということがよくわかった。食料品売場の紅茶を扱っている一角は壮観だ。さすが、紅茶の国。焼酎の国のひとは感動した。従業員もしつけ教育がしっかりしている。

ブレンドして貰った紅茶の包みをかかえて宵闇の中を街へでた。中華屋がならぶ一角へ向かう。

 麺屋の看板のある一軒の飯店にあがった。無愛想で乱暴でモノを投げてよこす店員のいる(つまり中華スタンダードの)店だった。運ばれた品は、どれも独特の味と風味だ。日本だったら遠慮したい味なのだが、なぜか旨いと感じた。場所がそうさせたのかもしれない。となりの中国人のおばさん二人連れが、ひそひそ言っているのが聞こえた。「きっと日本人よ」

 中国語で「そう、日本人ですぜ」といったら、驚いた顔をして、「いつ来たんだ」とか、おいしいかと聞く。

 旨い、とほめると、そのおばさんは、ここはまずいねと言い返した。驚いたことに、ウエイターを呼んで強い口調でなにやら抗議している。聞くと、まずいから交換しろといったのよというではないか。おばさん、もうドンブリの半分は食ってしまってるぞ!そのドンブリを、うらめしそうにウエイターが運んで行ってしばらくしたらほんとに別の料理がやってきた。信じられない。日本人もこの強い心臓が必要だろうな。

寒風のなかをケンジントンの宿まで帰った。近くのコンビニで缶麦酒とミネラルウオーターを買い(2ポンドと少し、400円位か?)部屋で焼酎(持参していた(^^;))のお湯割りを作ってやっと人心地がついた。さすがにお茶の国だ。お湯を沸かすセットが完備しているので、焼酎の国のひとは助かった。

テレビニュースがパディントン駅の死傷事故を伝えている。宿のすぐ近くだ。

186話 10.28

美味しいこと

 午後早めに仕事場を出た。カミさんと銀座で待ち合わせ、築地に食事に行ったのだ。銀座四丁目からゆっくりと歩いて向かったのは、釣り仲間の新聞部長に教えてもらった「丸川」という安くて旨い寿司屋。

 新聞部長は昼前になるとよく「朝日新聞社に行ってくらあ」と言って出かけるのだが、実はどうもこの店に直行している気配がある。一度ならずご馳走してもらったので、これ以上は書かない。
 カミさんと築地の市場の中を冷やかして歩き、丸川に着いたのはもう12時半を回っていた。地下のテーブル席に落ちついて麦酒を頼みメニューを眺める。
 ところで、釣り人としては、光り物が美味しい寿司屋は信用できるといっていい。 この店はいわしもアジもサバも合格点。生意気なようだが、アジやサバを釣るのが好きな小生のような釣り人にとってはこれが寿司店の格付けの確実な指標なのだ。ほかの高価なネタについてはサッパリわからないけれど。ま、なによりリストラ旋風のなかで身を竦めている給与生活者にとっては、活きがいいというのと同様に安いというのが必要条件ではないだろうか。その点もこの店は合格だった。いや、ほんとに安かった。
 安いと言えば、フランクフルトの居酒屋も安かった。なにより麦酒が旨く、マスター(っていうのかな)がものすごく気持ちのいいもてなしをしてくれた。濡れた石畳を踏んで宿から歩いて15分くらいのその居酒屋街にむかったのは10月8日の夜。ホテルを出ると外は雨だった。部屋でレポートを書いていたのだが、小腹が空いたのでうわさに聞くライン川沿いのその居酒屋に出かけたのだった。
 その店では絵で注文した。ビールジョッキの絵、ソーセージ二本とキャベツ、適当なつけあわせの絵をレポート用紙にかいて初老のマスターに渡したら、しばらくたって厨房から大きな笑い声が起こり、シェフ(というのだろうか?)が小生のテーブルにやってきて「まかせろ」というようにまた笑った。やがて出てきた皿をみてびっくりした。小生が描いた絵の通りに料理が皿にのっている。適当に描いた付け合わせはポテトだったし、キャベツの盛り合わせかたまで絵の通りになっていた。まったく洒落た料理人だ。レポートを書きながらビールとソーセージに取り組んでいると、マスターがスープの皿を運んできた。「これはうちの自慢のスープだ。ビーフスープ」
 注文してないぞとドイツ語で言おうとして、ドイツ語で大学を留年した事を思い出し、諦めた。しばらくしてパンをてんこもりにしたバスケットが運ばれてきた。食えという。ヒャー、こっちはもう腹一杯だ。なんとかソーセージとパンの一切れを腹に納め、勘定をたのんだ。初老のそのマスターが持ってきた勘定書きを見てまた驚いた。安い!しかもさっきのスープは勘定されていなかった。
 おつりをチップに置いたら、実に嬉しそうに笑い、ちょっと歌を口ずさんで小生を送り出してくれた。こんな居酒屋や丸川のような寿司屋が小生は好きである。座って何万円とかいうキンキラのばばあがいるクラブや政治屋が出入りするような料亭なぞとは一生縁を持ちたくはないな。ま、持てないだろうが。


185話 10.23

パリのナイフ屋

 歩いて15分のところに美味しいパンを作っている店がある。きょうの午後はやい時間に、散歩がてらバケットを一本買ってきた。パンとチーズをナイフで切り、ローストビーフやハム、レタスと一緒にはさんでサンドイッチを作る。刃を立てたばかりのこのナイフはパリで見つけたものだ。質実堅固な作りが気に入って買った。オイル仕上げのグリップがよく手になじんで、とてもいい。仕上げは素朴だが、しっかりと作ってある。

 シャンゼリゼを西に向かって登り詰め、凱旋門を地下道でくぐり抜けたところにあった白いテント村。それは骨董市だった。高価な古い絵や家具、得体の知れない金具などが雑然と並べられていた。そのはずれのほうに古い看板をポールにくくりつけた小さなテントがあった。そこでひとりのオヤジがナイフを並べて売っていた。
 その古びた看板にGEOPARDと書いてあったので、ドイツか?と聞くと、そのイカついオヤジは憤然として看板を指さした。よく見ると、1827年/フランス、と書いてある。170年以上の伝統を持つフランスのナイフ屋としての誇りを傷つけられたと思ったのかも知れない。オヤジの扱っているモノがモノだ、あわててオー、フランス!と感嘆したフリをした。
 ナイフを手にとってみた。グリップのかしめもしっかりしている。フレードも厚い。ハリはずしのついた鱗落としが付いているから、おそらくこの鍛冶屋のオヤジが、釣り好きな農民のために作り続けているものだろうと勝手に想像した。自分と釣り友達のために4本購入した。さっき憤然として怒ったオヤジが笑顔になった。値段はここには書かない。ただ、小生が持っているナイフのうちでは安価な部類だといっておこう。まるで昔から使っているように手になじむこのナイフ、いい相棒になりそうだ。

 フランスで買ってきた最後のチーズを切りわけてパンにのせた。
 子供たちは部活やバイトででかけてしまったので、カミサンと二人の静かな昼飯になった。

184話 10.20

旅のあと

突然、睡魔ではなく、爆睡魔が襲ってくる。ははあ、これが時差というやつか。眠い眼をこすりつつ会社へ出すレポートを書いている。勿論仕事でのヨーロッパ出張だったから報告書を出すのはしかたない。業界紙にも記事を書くことになっている。コラムをかくのはちっとも苦ではないが、EURO統合後の汎ヨーロッパマーケティングについての小論を書くのは、ま、仕事みたいなものでちょっと気が重い。だから、それはちょっと脇に置いて、手控えくらいは雑多なヨーロッパ旅行記を書くことにしよう。

約束事として、1.なるべく短い文章 2.写真を載せる 3.毎日の更新 ・・・を自分に言い聞かせているが、3番目の約束はどうだろうか?

ヨーロッパの旅は「大型バス」の移動と「会議、また会議」だった。だから、合間をみてはひたすら歩き回った。朝は真っ暗な内から街をふらつき、夜は、当然だが、居酒屋関係の偵察にいとまを惜しまなかった。

この写真のご婦人方は、ミラノで小生に道を教えてくれた方々である。

そのとき、小生は道に迷っていた。目的地までは1キロもないはずだ。しかし、ミラノの市街は街路区画の整理など全く無縁な、中世のままの町並みである。石畳の小道がうねうねと街を巡り、直線的な道は全くない。地図を見ながらでも100メートル先にたどり着けないくらいだ。しかも小生は自慢じゃないが方向音痴。食い道楽と方向音痴で有名な、どこぞのデジタル系デザイナーさんにも負けないくらいである。

途方に暮れて石畳の小道に立ちつくしていたら、むこうからこのお二人が歩いてきた。高価そうなファッションと高価そうな毛皮をまとった黒い犬をつれて。若いご婦人とその御母堂さまらしい二人連れであった。

「エキュスキュウーズミー」とはなしかけたら、その娘さんのほうがにっこり笑って小生の手元をのぞき込んだ。地図を持っていたから道を聞くんだなとわかったんだろう。行きたい場所を示すと、二人が困った顔をした。どうもこういうことだったらしい。場所は直ぐ近くだが、説明する英語力は娘さんにはない。その母上は全く英語はわからない。二人とも困った顔をしていたが、やがて母上のほうが娘になにやら言い、相談しはじめた。やがて娘さんが頷いてハンドバッグを開け、中を探り始めた。紙に書いてあげるということらしい。小生が持っていたスケッチブックを広げ、娘さんにわたすと、それを母親が受け取り、取り出したペンでなにやら書き始めた。

今、いる道がここです。街路の通り名表示を指さしながら娘さんが説明してくれた。この通りの順番に辿り、曲がってゆくと、あなたの行きたい場所に行き着けますよという。もし、また迷ったら、これを誰かに見せてください。きっと次にどういけば良いかを教えてくれます。

彼女とその母親は、小生のために道順を書いてくれたのだ。そして、ふたたび迷った時のために、未知のイタリア人にあてて手紙を書いてくれたのだった。

小生は感動してしまった。イタリアの男はどうでもいいが、ご婦人方の麗しきこと!

一枚の写真を撮らせていただいて、別れを告げ、石畳の歴史を踏みしめる靴音と、水虫のかゆさとともに感じながら小生はダビンチ博物館へと確固たる足取りで向かって歩き始めた。そして、その五分あとには又迷ったのだが、結局、無事にたどり着けたのはいうまでもない。