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「欧州手控え篇」をアップしました。

198話 12.25

プレスリー

 いまから、そう、3光年くらいは昔のことだが、釣りオヤジにも紅顔の少年時代はあった。いや、あったはずだ。うむ、あったと信じたい。鏡を見ながら髪の毛を整える時には特にそう思う。
  あるバテレ・・いや、キリスト教系の中学に進学したとき、小生はすこし戸惑った。その学園は基督教を生徒に強制することはなかったのだが、毎週の「倫理」の時間は、どうみてもその教義の講義だったからだ。「神」を「神さま」と言って、フランス人の(宣)教師に怒られたり(なぜかは、いまでもわからない)、もの珍しさから、礼拝堂で行われていたミサに紛れ込み、柏手(かしわで)をかましてヒンシュクをかったことなどを思い出すたびに、真面目な教師や信者の生徒たちには悪いことしたなと思う。
 この、海辺にあった小さな私立学園では、クリスマスの月になると教師たちが教室にバスケットを持ちこむのだ。われわれ生徒は、そのバスケットにきれいに洗った衣類や、わずかな小遣いで買ったお菓子などを入れる。教師たちはそれを世界中の貧しい子供たちに、彼らの宣教師会を通じて送るのだった。
 そういう敬虔な幼少時代を送った小生は、クリスマスは基督者たちの聖なる夜であり、決して六本木や銀座で、オヤジやアベックたちが騒いだりべちゃべちゃしたりするイベントではないことを知っている。

 はなしは変わる。

 大学を出るとき、小生は陸上自衛隊幹部候補生を志願した。試験には合格したが、理由あって兵士にはならなかった。だからいまの仕事をしている。自衛隊に行っていたら、うちのカミさんとも出会うことはなかったろう。これは結果よしである。

 70年安保の時代に、麻雀にあけくれたり、歩道の石をはがして機動隊に投げる学生は多かったが、軍人を志願する学生はあまりいなかった。いや、たぶん全然いなかったと思う。昭和維新の歌とインターナショナルを愛唱し、チェ・ゲバラとゲッペルスを研究するという、たしかに「変な」若者だったんだろう。

 カミさんになるひとと出会ったとき、「プレスリーが好きです」と聞いて、戸惑った。いくらガチガチの軍人志望だった小生でも、プレスリーは知っていた。ま、それがお菓子や齧歯類の小動物の名前などではないことくらいは。
 はじめて二人で見に行った映画はプレスリーの後期のステージを描いた記録映画だった。そのときプレスリーについて感じたことをいま思いだそうとしているのだが、どうがんばってもカミさんの顔しか思い浮かばない。ま、しかたないな。こういう場合、だれでもそうなんじゃないか。

 そのあと、プレスリーの映画は何度もみた。CDも聴いた。冷静な感想を申し述べるとですね、この、たぐい希なるアーティストは、天才であることは当然としても、カリスマ性という点でも例を見ないほどの重さがある人だと思う。

 髪の毛をいじったり、編み物を教えたり、道ばたで教訓を垂れたりするカリスマが今もてはやされている。しかし、ホントのカリスマというのは、そういない。間違いなくプレスリーがその名にふさわしいことは、没後何年たってもCDが発売され、イベントが行われ、極東の小国ですら毎年記念式典が実施されるということが証明している。
 いま、ELVIS BALLADS をMacで聴きながらこれを書いている。彼の声それ自体がカリスマ性に充ちているということがよくわかる。

 小生を民族主義者だと非難する人がいる。ま、小生にとっては賛辞に聞こえるのだけど。もともと小生、アメリカの押しつけがましい態度は大嫌いである。原爆というホロコーストを強いたアメリカ、憲法という桎梏を強いたアメリカ。今でも世界最強の軍を自負するアメリカ。これら政治的アメリカは、小生にとっては唾棄すべき点があまりにも多い国だ。しかし、好きなものがある。本当に好きなもの、それはジープとプレスリー。つけ加えれば、ジッポーライターかな。プレスリーが徴兵されて軍人生活を送っていたころの映像は、健全なアメリカの青年そのものだった。徴兵忌避のクリントンには望むべくもないかっこよさだ。

 彼の生誕祭は、毎年一月に、軍人会館(現九段会館)で行われている。
 カミさんがそのイベントに連れて行ってくれるというので、小生、実は楽しみでしょうがない。

 


197話 12.19

年賀状

 朝早く電話が鳴った。

 休日の朝、遠慮無く電話のベルを鳴らすのは、となり町に住んでいるN氏以外にはいない。

「おい、どうすんだよ。な、忘れていたけどさ、年賀状つくんなきゃあ。いま行くから」
 いつも不景気だと溜息ばかりついているこのオヤジ、いやに元気な声で言った。

 そう、まいとしこの時期になるとN氏は突然やってきて、年賀状を小生に作らせるのだ。マックに向かう小生の横に座り込み、あーでもない、こーでもないと指図する。

 めんどくさいので「家族の写真とかあるだろ、写真屋に持っていけば作ってくれるよ」と小生がいうと、

「なに、写真の年賀状なんか貰ってもうれしかないよ。やっぱ、手描きのイラストとかのほうがいいんだ」
と口を尖らせてうるさく言う。ま、そのイラストを描くのは小生なのだが。

 このN氏は古いジープに乗ってとなりの町からやってくる。昭和45年製の小生の三菱ジープJ3よりさらに18年ほど古いアメリカ製のCJ3Aという民間型のジープだ。車体は鮮やかなブルー、タイヤのホイールは純白に塗られている。もちろん仲間内ではとても評判が悪い。遊園地の乗り物みたいなのだ。

 この車、じつはN氏のものではない。あるクロスカントリービークル誌の編集長I氏が所有している、この世界ではかなり有名な車輌である。

 N氏は以前、軍用のジープM38に乗っていた。だが、この不景気だ。仕事も思うようにはいっていなかったらしい。N氏には彼の子供とは思えないほど頭のいい息子がいる。その子の進学費用を捻出するために売ってしまったのだ。カメラとジープが命というN氏に「手放して後悔しないかい」と小生が聞いたら、「仕方がない。だが、いつかまた必ずジープに乗るんだ」哀しそうにそう答えたのが、今年の春の終わり頃だった。

 いさぎよいぞN氏!

「うーむ、可哀想だが仕方ないな。なに4、5年すれば子供も独立するだろうし、それまでの我慢だよ」と小生は同情したのだったが、なに、同情して損をした。

 押しの強さと営業力では定評のあるN氏だ。いつの間にかその雑誌の編集部に入り浸り、編集長と昵懇となり、編集長のガレージが数台の車で一杯になっていることを探り出し、メンテナンスを欠かさないという条件でこのジープを借り出してしまったらしい。

 ある日嬉しそうにそのジープでやってきたN氏に、

「いつまで借りられるんだい」と聞いたところ

「ずっと」と短く答えてN氏はにやりとした。

 彼が自分のジープを再び手に入れるまで、ずっと乗っていていいと編集長が言ってくれたというのだ。

 このオヤジ、この不景気をかならず乗り切るだろうなと小生は確信した。

 電話があってまもなく、ロングストローク特有の安定した排気音が聞こえてきた。 ゴーデビルエンジンの響きだ。玄関でカミサンに「おっはよう!」と大声で挨拶し、小生の部屋に入ってきたN氏は月桂冠の辛口を一本下げていた。

 ここ数年、正月には見覚えのある年賀状を受け取るようになったのだが、今日描くのはその6枚目になる。やれやれ。


196話 12.12

いい枝ぶりの木・・・って?

「あともう一本」とか、「あともう一軒」とかいうセリフを積み重ねて最終電車を見送った人は多いだろう。次の日が休日ならまだましだ。懲りない飲み助は飲むほどに気が大きくなり、記憶はファジーになる。 こんな飲兵衛の未練心が次の一日を左右する。北国の雪空のような重い頭を抱え、ひたすら黄昏に身を隠す時を待つか、なんとか二日酔いをまぬがれて1日の給料分の働きくらいはちゃんとできるかの差となるのだ。時節柄これはかなり大事な分岐点だと思う。一日どころか人生を左右したりもするからね。
 このところ、「未練心のもう一杯」に引きずられる飲兵衛がずいぶん少なくなってきた。理由は簡明。不景気だから。
 倒産やリストラの話題が世間に溢れている。身近なところも既に死屍累々だ。昔の農民は一揆や打ち壊しに走った。今の給与生活者はハローワークの長い列に我慢強く並んで順番を待つ。
 社会全体に元気が希薄になっている。元気のもとが見えなくなっている。バブルの元気がむなしく弾けたあと、実は自分の元気もその実体はなかったのだとたくさんの人たちが気付いた。
 たぶん冗談で「てごろな枝ぶりの木はないか?」と挨拶代わりに聞く奴がいた。もちろん、盆栽の話しじゃない。ぶら下がるのにいい木はないかと聞いたつもりなのだ。でもよく話しをしてみると、そいつにはちゃんと元気の元(もと)があった。娘や猫のミュシャやカミサンや(順不同(^^;))ローンが終わった家。そんなものより彼にとっての元気は「カメラ」だった。小生には本格カメラの趣味がない。だから、今日の朝、勢い込んでやってきた彼が見せてくれた「ブリキで作ったようなラッパ型の傘」が、実はなかなか手に入らない「ライカ」のレンズフードだと聞いて驚いた。そのものに驚いたのではない。彼の「元気」が「そんなものによって」急速の復活をみせたことに驚いたのである。

なに、元気を取り戻すのは、簡単だ。もともと元気は君の中にあるのだから。


195話 12.5

老夫婦の時間

セーヌ川左岸、オルセー美術館近くのカフェのテーブルに、この老人は座っていた。

 仕事が終わって宿に向かう途中、小生はコーヒーを飲もうとこの店に入った。
 2秒間くらい迷った末、コーヒーではなく、ビールを注文し席に着いた。
 小生の右前のテーブルに、この老人が座っていた。虚空を凝視するような灰色の目は、揺れも瞬きすらもしない。テーブルの上には、まだ六分目ほどビールが残っているジョッキがひとつ。
 古びてはいるが、決して汚れてはいない服装。靴は皮ではなくスニーカーだった。
 小生が自分のビールを片づけて、ふたたび老人に目をやったとき、彼の目がゆっくり店の入り口のほうへと動いたのが見えた。
 一人のおばあさんが店に入ってきて、老人のテーブルに近づき、彼の手を取った。 老人がおぼつかない腰つきでたちあがった。
 お互いを支えるように、ゆっくりとした足どりで、ふたりは店をでていった。

 店の外とは別の時間が流れているのかと思えるほどの緩慢な空気の動き。老人の顔色のように、色彩を希釈した風景。

 店を出るとき、老婦人が振り向いてウエイターにちょっと笑みを送った。笑顔を返したラテン系らしい若い男も、間違いなくその時間の中にいた。小生は二杯目のビールを頼んで、時間の残滓を楽しむことにした。


194話 12.4

カミさんの誕生日

 きのうはうちのカミさんの誕生日だった。

 小生、すっかり忘れていたのだが、同僚の飲兵衛さんから「どう、帰りにいっぱい?」と誘われた途端、それを思いだしたのだ。いや、あぶない、あぶない。

 このところカミさんは下の脳天気むすめの勉強を台所のテーブルの上で見てやっている。「ボケ防止にいいわねえ」といいながら、自分でも頭をひねりひねり、子供の参考書のページを繰っている。鼻歌をうたいながら汚い字を書く中一の娘の頭をこづいたり、ガスレンジにかけた鍋の様子を見たり、なかなか忙しい。
 狭いダイニングに(この部屋だけストーブがあるので)上の娘も高校生の息子も腰を落ちつけて、試験勉強をしたり、漫画を読んだりしている。「ヒデ(誰だ?)」のCDをヘッドフォンで聴きながら試験勉強する隼人(長男)の脇で、さやか(上の娘)がテレビの歌番組を見ている。その音がテーブルで汚い字を書いているしづか(下の娘)の邪魔ではないかと、旧世代のオヤジは思うのだが、「ぜ〜ん、ぜ〜ん」気にならないのだそうな。彼女の頭の中には別の音楽(たぶんアムロか、MAX)が流れているに違いない。

「さあ、メシだぞ〜」と声を掛けると、娘たちが集まってきた。ヘッドフォン頭を叩いて息子にも知らせる。
子供たちは、箸を並べたり、お茶をいれたり、ご飯をよそったりと、それぞれの仕事(というほどのものかね?)をする。ワインを開ける。子供らが、どこかに隠していたプレゼントを出してきて、カミさんに渡す。小生のプレゼントはこの日の晩飯。(そして子らには言わないが、いつか休みのとれる土曜日の昼に、近所のイタリアレストランでご馳走すること)



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