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手控え欧州篇

ひるね蔵 けふの手控え

たまに更新していますので、リロードしてください。
これまでの手控えは、「過去の手控え」でご覧ください。

211話 3.25

しずかに休め

 老愛犬のロッキーを、カミさんが愛犬病院から連れて帰ってきた。点滴のため毛を剃りあげた右足に血の痕が痛々しい。

 12才。人間の年でいえば64、5才ということになるらしい。つい一週間前に急にエサを取らなくなり、表情も平坦になってきていた。春一番の強い風によろめいたのに異常を感じて愛犬病院に連れていったら、腎不全と診断された。尿毒が出ていて、助かるまいという。点滴で、すこしでも体調が戻れば、今しばらくは命をつなぎ止めることができるかもという獣医の言葉に、その処置をして貰うことにして、預かってもらったのが、4日前だった。

 もう脳に毒素が回っていて、歩けないし、誰が誰かもわからないでしょうがと医者は言ったが、檻の前にカミさんが案内されたとき、目を閉じてうずくまっていたロッキーが頭を上げた。そして檻から出されると、ゆっくりとドアの方に歩き始めたという。うちへ帰ろう、うちへ帰ろうよというように。

 

 散歩に行こうと激しく尻尾を振りながら小屋を飛び出し、期待に目を輝かせるロッキー、男らしく耳をピンとたてて、キャンプ場のテントの前に座るロッキー。この十年以上ともに過ごした光や風の中のロッキーをこの稿を書きながら想い出している。

 いま、彼は自分の小屋で眠っている。さっき小屋の前に行き、声をかけたら、目をうっすらと開けた。いかにも辛そうに。よし、もう邪魔はしない。ゆっくりと、自分の家で、静かに休め。

210話 3.20

花といへば酒

 鹿児島の飲み屋で「お銚子」と注文する。でてくるのは、もちろん焼酎だ。水で割ったものに燗を付け、黒ぢょかという酒器で供される場合もあるし、コップにいれた焼酎に、お湯をどぼどぼと注ぎ込んで「待たっしゃげもした(お待たせしました)」とカウンター越しに手渡しされる店もある。
 県外からの客が「日本酒」を飲みたいのであったら、ちゃんとそう言わなくてはならない。鹿児島の飲み屋は日本酒の燗つけには未熟だから、だいたいにおいて火傷しそうな熱いのが登場する。常温で、と注文するのが無難だろう。だがね、せっかくの鹿児島の夜だ(昼でももちろんかまわない)、うまい焼酎を味わってみたらどうだろうか。

 郷にいらば、という。コーヒー党の小生も、紅茶の国の首都、倫敦に出張するときはちゃんと朝も昼も紅茶を飲む(イギリスのコーヒーが、クソまずいからという理由からだけではない)。
 もちろん夜はアイリッシュバーで麦酒とウイスキーに馴染むべく努力する(宿にかえれば持参した焼酎があるにもかかわらず、である)。
 現地に馴染もうとする小生の努力は、内輪のパーティにうつつを抜かす在外政府公館のアタッシェたちの比ではない。ともあれ、鹿児島を訪れた客人のかたがたには、せっかく焼酎王国薩摩の地を踏んだのだから、ぜひ焼酎を堪能していって欲しいものだ。

 ところで、ここでいう焼酎つまり薩摩の焼酎は、かってホワイト革命と称してブームとなった「焼酎」とは違う。飲料用アルコールにいささか味をつけ、マーケティングの仕掛けをほどこして流通システムに乗せた「甲類ブランド焼酎」とは全く別次元のものであり、役人的分類によれば乙類などとなる。と、なるのだが、ここはちゃんと本格焼酎と言い切っておきたい気がする。だいたい、徴兵検査でも操行でも、乙より甲がいいに決まっている!梅干し無しでは飲めないようなまがいもの焼酎を「甲」、伝統に裏付けされた薩摩の焼酎を「乙」などとよく言えたものだ。

 関東に住み着いた薩摩出身者にとって、本格焼酎を入手するのはかってはなかなか困難だった。
 小生も鹿児島から直送してもらったり、電通のマーケティングのせいで不味くなった「白波」を、しかたなく買ってしまったこともある。日比谷に薩摩の物産を集めた「薩摩遊楽館」が出来てからは、ちょっと便利になった。だが、焼酎を買いに仕事の帰りに立ち寄ると、もういけない。このビルの二階が薩摩料理屋になっていて強力な吸引力を発揮しているので、ついつい高くついてしまうのだ。家族は、のまなきゃいいのにと非難するが、そうはいかないのだ。自慢してもよいと思うのだが、小生は自制心は強い。その小生が掴まってしまうのだから悪いのはこの店のほうである(・・・と、いっておこう)。

 しばらく前から、インターネット通販で焼酎を買うようになった。わが「ひるね蔵」にただひとつの営業用ホームページのリンク、「酒のこばやし」からである。便利だからという理由からだけではない。この店の酒に対する情熱、こだわりというものにいささか感ずるものがあったからだ。居酒屋や料理店の店主で、銘酒にこだわる人物は多い。しかし蔵元を探訪し自前のサイトで情報を発信しているリテイラーはそうない。この正月の挨拶状に「好きな道」と題してこうあった。

「・・・無名な蔵でも、色・味・香り・のどごし、それらすべてにおいて、第一級の評価を戴ける最上のもの、皆様にご満足いただける<酒>を、これからも探しだし育ててみたいと思います。店主敬白」

 この店の扱い商品には、清酒、本格焼酎ともに店主のこの姿勢がはっきりと投影されている。「魔王」はもちろん極上の味わいであり、「天誅」は(じつは名前に惹かれたのだが)米麹の風情が穏やかな、めずらしい風味の味わい深い焼酎だった。そして、先日はじめて注文して飲んだ本格焼酎「佐藤(黒麹)」は(突然声を大にしていうが)、まさしくうまい!のひとことで足りる。ま、ひとことではどう旨いのか分からないから、書いてみるとこうなる。

 芋焼酎のうまみをしっかりと醸し出しつつ、くちあたり、のどごし、残滓の芳香どれをとっても透明感のある、「うまい」本格焼酎。なにより、その透明感には厚みがあり、薩摩の風土を一升瓶のなかに焼酎作品として封じた傑作(・・・というところかな)。

 鹿児島の孤島で、家族で一本一本手作りしているという焼酎「百合」を予約した。小林昭二氏のおかげで、薩摩出身者も知らない隠れた銘酒に出会うことができる。これはまさにインターネットというコミュニケーションと人の人のコラボレーションだと思う。そういえば、今日は春一番が吹いた。お花見もそろそろだ。酒のうまく飲める季節になってゆくなあ。

209話 3.12

この千年紀

「とーちゃん、この1000年で一番に挙げられる政治家って、誰か分かる?」
 息子が新聞をみながら聞いた。
「うむ、わが国ならば元侵略軍を打ち払った北条時宗。異国ならば、まあナポレオンあたりだろうな」
「ちがうね。一番は、坂本龍馬だって」
「え?竜馬は政治家じゃなかろう。それに竜馬のランキングが高いのは、たぶん小説やテレビの影響だぜ」
「うん、そう書いてある。司馬遼太郎の竜馬像だろうって。でも、政治家の分類になってるよ」
「・・・」

 確かに竜馬には、経政済民への深い志はあっただろう。彼は、欧米列強のあからさまな侵攻に対抗する能力も意思も持ちえなかった徳川幕府を倒して、新しい日本を作ろうという情熱家であり、そして冷静なプランナーでもあった。しかし、竜馬は政治家ではなく革命家だ。「政治家」の冠を被せたら怒るにちがいない。

 同じ理由で、西郷隆盛も教師であり革命家であり求道のひとであった。そういう人たちが、政治を考え、また政治の場に立ったということだ。

 維新革命を戦い抜いた人たちは、やがて凶刃に倒れ、あるいは廟堂を追われた。彼らが野に隠れ、地に帰ったあと、この国の政治を担った人たちは、明治から大正へ、そして昭和前期へと時が移るに従って、質が落ち、品格も貪となっていった。で、戦後はもういけない。政治はこころざしではなく、権力欲と金銭のために購うものとなりはて、政治家たちは、腐敗した官僚たちの隠れ蓑であり走狗に等しい位置づけとなった。このところ、警察高級官僚たちの悪事や、政治家たちの対応能力の無さが暴露されつつあるが、驚くにあたらない。

 日暮さんというイラストレーターがおられる。 
 ビッグコミックの表紙に著名人の似顔絵を30年間描いておられる日暮さんは、じつは著名な広告イラストレーターであり、装幀画家でもある。以前、わが仕事場でもお世話になったことがある方だ。

「政治家ってのは、もう、品格のなさ、どろどろした欲望、複雑怪奇な性格なんてものが、モロに顔にでますね」
「・・・」

 彼らはタフだ。しぶとい、といったほうがいいかもしれない。我執の強さが老醜に加わり、ふためと見られない顔になっていることに、自ら気がつかない。分厚い脂肪と皮膚の下に、既に腐臭が立ち上がっていることに頓着しない。そういえば、死に損ないの元総理が、半年も世間から隠れていながらいまだに影響力を持っているとも聞く。

 先日の地下鉄事故で亡くなった方々のなかに、若い高校生と新婚まもないご婦人(鹿児島の方で、南日本新聞社東京支社のOLだった!)の名があった。罪無きこの犠牲者たちのかけがえのない命を、永田町に巣くう妖怪ども1ダースと取り替えられるならと、つい天を仰いでしまった。いや、そんなものでは足りないか。


208話 3.5

ふきのとう

 金持ちという人種についてはよく分からないが、土地持ちというのは、間違いなくケチである。これは言い切っても良い。

 拙庵の近在にまだまだ農家があるのだが、そのかなりが税金面での優遇のみを目的に、農業を続けている。 

 栗の木を植えてはいるが、実を収穫しない農家のことは以前に書いた。だが、イガが開き、つぎつぎに地面に落ちてゆく栗を放置しているこの農家の主は、近所の子供らが拾おうものなら烈火のごとくに怒り、泥棒扱いするらしい。


  また別の農家は、栗ではなく梅を植えている。青梅が結実しても収穫しないのは栗のほうと同じだが、じつは早春、この梅の木が数本立っている空き地に蕗の薹がでる。これまた地主が摘みにくるでもない。やがては蕗の群に、この土地は鬱蒼と覆われるのだ。散歩の時など、夕食の彩りにでもとちょいとこの蕗の薹を摘むと、どこからみているのか、怒鳴り声が飛んでくる。

 昨日の午後、風も日差しも柔らかく暖かかったので、カミさんと一緒に愛犬ロッキーの散歩にでかけた。その蕗の薹が出ている空き地(といいたい)に来ると、すでにことしも鮮やかな緑色が、黒い土をはじくようにおびただしく噴き出している。

「右よし、左よし」これは、小生。
 作戦の成功は、敵影をいかに早く発見するかにかかっている。
「ちいさいのをすこし。ま、春のしるしということで、お許しいただきましょうかの」
 片手で持てるくらいの小振りの蕗の薹を、4つばかりいただいて、なぜか小生、早足で歩き始める。
「あら、こんなところにビニール袋が」とカミさんがコートのぽけっとからスーパー袋を取り出した。
「あ、これはキレイな蕗の薹ね」そういってひとつ摘んだカミさんはそれを小生のと一緒に袋におさめ、「蕗の薹だって、食べてもらいたいでしょうねえ」
 嬉しそうに言い、悠然と空を見上げた。青い空の高みを風が渡っていく。南西の方角を望むと、霞のなかに優しく狭山丘陵が広がっている。
 春だね〜。





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