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過去の手控え
手控え欧州篇

ひるね蔵 けふの手控え

たまに更新していますので、リロードしてください。
これまでの手控えは、「過去の手控え」でご覧ください。

216話 4.30

2000年のGW

 ゴールデンウイーク二日目。天気は下り坂という。  昨日はよく晴れたがきょうは午後の時間がゆくにつれ、穏やかに薄い雲が空を覆いはじめた。ちょうど花曇りと言った風情で、これはこれでなかなかいい。
 今年の連休は暦通りだ。きょうはなんの予定もないのでゆっくり起きた。コーヒーを飲みながらテレビを見ると、客で大混雑の成田空港の絵が映っていた。

 このGWに海外にでかける日本人は過去最大とか。不景気に喘いでいるのは中高年労働者ばかりなのだろうか。円高基調になっているが、それが海外からの負圧となって海外旅行者の吸引に直結するという単純構造では、この国の経済の先が思いやられる。

そういえば、首相が海外歴訪に出かけたと聞いた。と、聞いたのだが、あまり印象がないのはその旅にテーマがなく、必然性もほとんどないからだろう。報道によるとこの外遊、「とりあえずの挨拶」の旅だそうだ。これではGWの海外旅行者と同じで、外国歴訪ではなく「漫遊」というべきだろう。税金を使っているだけ、一般国民の旅より無駄といえる。

 政治屋さんたちには、自前ということを心得て欲しい。意味のない外遊、料亭やゴルフ、偉そうなスモークガラスの公用車、演説や質問の草稿書き、こんなものを全部自前にしたらどうだろう。まあ、彼らは呼吸不全になって、きっと全滅してしまうだろうな。ついでにすぐ間近にあるテロ国家への血税投入も止めて欲しいぞ。女手品師を無事に(ホントか?)返したからといって油断してはいけない。

 昨日、ツタヤから借りたビデオ3本。

「ソルジャー・魂の銃弾」 「ペイバック」 「エネミーオブアメリカ」
あとの2本は、ハリウッドらしいご都合主義の楽しい映画だった。最初の奴は、ボスニア・ヘルツゴビナを舞台に、セルビア人、クロアチア人、ムスリムの友情・憎悪・運命・殺戮などをドキュメントタッチに描いた、ちょっと重い作品。

 昨日を禁酒日としたので、今夜は焼酎をいただくことにする。普通は手に入らない地の焼酎が、「酒のこばやし」さんのおかげで、まだたんまり残っている。さっき、カミさんが産直センターに行っていろいろ買い込んできた。なにか他にもご馳走を用意している様子だ。今夜は、とうとう大台に乗ってしまった小生を慰める会を、家族で開いてくれるらしい。

春の野に可愛しきいのちかさね咲く   秘剣


215話 4.22

創る、ということ

 鈴木輝一郎さんという時代小説作家(現代ものも書く)がいる。
 確実な文章力と安定したプロットで、しっかりとファンを掴んでいるひとだ。

 この人が、こんなことを言っていた。
「文章はね、なんでもいいから毎日必ず書くことです。雑文でも、日記でも」


 
 鈴木さんは、自分のホームページをほとんど毎日更新している。糸井重里サンのように、スタッフに更新させるのではなく、自分でやっている。取材旅行の時など、モバイルでFTP(サーバーへの転送)をしているらしい。

「お忙しいでしょうに、よくホームページの面倒までみられますね」と感心すると、

「いえ、大した内容じゃないし。テキストだけですからね。それに・・・」
 直木賞作家でもない自分の本は、宣伝しなきゃ売れないしね、著作のプロモーションのための更新ですよ、と照れていう。
 鈴木氏の連日といっていいサイトの更新は、実は「毎日、なにかしら文章を書く」ためであると小生は思っている。そして、鈴木氏の文章には技巧だけでなく、生き方の作法がちゃんと顕れていることにも気づいている。その作法を鍛え、練り上げ、彼の作品に登場する多くの主人公のように、臆せず躊躇わず果敢な人生を送ろうと志しておられることが確かなこととして、そこから窺える。

 マーケティングに掣肘される点では作家とは違うが、広告のクリエイターも文字どおり創造者であるはずだ。作り手としてのこころざしは、そのあるなしを含めて制作物に反映されるのは当然だと思う。作品にそれを見たとき、嬉しい気持ちになるのは小生だけではないだろう。

 オンエアは終わったが、総理府の「ノーマライゼーション」というTV-CMがある。 この作品からは、作り手の志が伝わって余りある。お役所の担当者との戦いに耐え抜いて完成させたという内情は、このCMの制作を担当した若いCMディレクターから聞いた。

 ハンディキャップをもつ人たちを、そしてその人たちの希望と夢を正面から捉えたこのCM、クライアントの狙いを遥かに超える、強い力を持った作品となった。

 こころざしを、それと意図せずにコミュニケートできるような、絵を描き、文章を綴りたいものだと、本当にそう思う。

 そういっておいて、なんだけれど、以前書いた「いわなの冬」という短編(と呼ぶも恥だが)に挿し絵をつけた。タブレットとペインター、フォトショップのコラボレーションのおかげで、貧弱な表現力しかない小生でも、絵の楽しみを拡大することができる。ありがたい世の中になったものだ(爺臭いなあ)。

214話 4.16

フレームの外の外

 一枚の写真がある。古びた、モノクロの写真だ。かろうじて印画紙に定着させたような微かな光の中の画像は、手術台の上で横たわる患者に医師や看護婦が外科的措置を施しているように見える。そして、その写真を掲載したページのキャプションには、大意、こうあった。

「日本軍による中国人捕虜に対する人身実験、解剖」

 その真偽を疑う人はいなかった。少なくとも物証によって事実が証明されるまでは、それはキャプション通りの風景だった。

 事実はひとつしかない。しかしそれは、現代の多様化したコミュニケーション手段によって、いくつもの「事実」として増殖してゆく可能性を持っている。そして、その事実にどういう光を投げ与えるかによって、見え方、見せ方が変容するのだ。この点では、事実はたとえば料理の素材となんら変わることがない。

 北朝鮮、イラク、中国・・・独裁国家が、宣伝国家であることはナチスドイツの例を引くまでもないが、自由主義社会においては、メディアそのものが権力構造を強化してゆくというのもまた必然の現象である。共通するのは、独裁は批判を許さず、モラル面での自律性を喪失したまま、必然的に腐敗してゆくという点だろう。

 ひるね蔵の表紙に臨時リンクした「テレビの正しい見かた」には、ある意思をもって事実報道をコントロールした(これを捏造という)メディアの姿勢に対する一貫した姿勢を見ることができる。

 これは、トルコ地震の被災民への仮設住宅援助を取材したNHKの自虐的報道姿勢の問題を捉え、この件で発言されている慶応大学の草野厚教授の問題提起サイトだ。小生は、この種の情報操作は、国史における自虐史観同様に許さざるべきものと思う。草野教授の歴史観その他はよく存じ上げない。しかし、トルコ現地に飛び、自分の目で事実を見て発信された情報の確かさ、説得力の強さには敬服する。

 テレビのフレームの中は、メディアの提供するインターフェイスだ。そのフレームの外を見抜く力が、権力無き民には必要だろう。インターネットの発展で、メディアの権力も質的に変化している。声無き民が声を、武器無き大衆が武器を手にすることができる時代になってきた。ひるね蔵においでになる魚臭い釣りオヤジたちが、マウスのクリックひとつでトルコの現場に飛べるのだ。BBSに書き込むこともできる。ウエッブ上でコラボレーションすることもできる。(残念なことに、釣り師の特性として酒は飲むが、文章は書かないのが多いのだが・・・(^^;))

 冒頭にあげた写真は、日本の赤十字医師団が、中国人の患者に献身的な治療を施している記録だった。
 森村誠一氏はこの著作で何を意図していたのだろうか。

213話 4.9

花と拳銃

 窓の外には、爛漫の桜の花びらが舞っている。まさに春本番だ。上野のお山や小金井公園など、桜の名所はもとより、町々のちいさな公園でも桜が咲いているところはもれなく花見の客で賑わっているだろう。

 数週前に「花といえば、酒」と題して手控えを書いた。その中で紹介したwebショップ、「酒のこばやし」から、さきに注文していた焼酎がおととい届いた。いつもの「魔王」(超人気銘柄になってしまい、品切れだったのだが、特別に一本取り置いて貰ったのだ)、「佐藤(黒)」、今回はじめての「なかむら」と「百合」の合計4本だ。
 

 重厚な「魔王」、こくの深い「天誅」そして、静かなうまみの「佐藤(黒)」などいずれも格別に美味しい本格焼酎だが、この「百合」には、またそれらとは違った味わいの深い印象があった。

 まず、常温で生で飲む。なめらかな口当たりの焼酎だなあというほどの感じを受ける。薩摩の芋焼酎のうまみをちゃんと持っているなとは思うが、さほどの変わった印象はない。次にお湯で割ってみる。

 お湯で割った途端に、香りが違うことに気づいた。お湯割りの一口目で、薩摩の芋焼酎とは思えないこのネーミングを納得してしまった。

 四割の湯で割った「百合」の味に感じたのは、たとえれば懐かしい故郷の春の野を揺らす微風とでもいえる暖かさだろうか。造り手の慈しみが味わいとして感じられる、そんな焼酎だった。聞くと、鹿児島の甑島(釣り人には垂涎のフィールドでもある)で、家族でささやかに造っている焼酎だという。特に、麹はその家のお婆さんが、ひとつひとつ手でもんで花咲かせているとか。

 82才にして矍鑠たる塩田妙さんに感謝しつつ、しばらくは楽しませていただこう。

 ところで、この手控えのタイトルは、何だ?え?
「拳銃」ってのは何の関係があるんだい!------と疑問のむきもあるでしょうな。  拳銃は、さきの手控え「花といえば、酒」の挿し絵に描いたキャラクター「芙蓉」のテーマでございます。今回もちょっと描いたものを掲げてみた。

 小生は軍用小銃は撃ったことがあるけれど(外国で、です。念のため)、拳銃射撃の経験はない。芙蓉のキャラ設定のためにちょっと研究してはみたが。だが、以前描いた絵を横目で見て笑った専門家もいた。13才の女児が、45口径のガバメントを横撃ちできるはずはないと指摘するのだ。こういうやつに反論してもしかたない。この次は芙蓉にRPGを撃たせて見ようか。(RPGが分かったあなたは、そうとう変)

212話 4.1

さくら

 木々を激しく揺らして強い風が吹いている。
 早朝、その風の音で眼が醒めた。

 六本木にある仕事場ちかくの桜は、昨日の昼にはひとつ、ふたつ咲き始めていたが、この風ではすこし心配だ。 だが、まだ咲き始めのさくらだ。だいじょうぶだろう。

 

 まさに咲こうとする蕾には、ためらいのない勢いがある。歓喜といっていい鼓動を感じる。
 薄紅色のさくらの花びらが天をおおうほどに咲き誇り、その律動に充ちたさくらの隧道を、さまざまな思いやあるいは無心が行き交う、そんな季節になった。 
 きのうは職場を去っていく方々を見送った。そして週明けには新たな笑顔を迎えることになる。
 そういえば、去年のさくらの季節には、多摩川の河原で愛犬のロッキーと遊んでいたような気がする。

 彼が残したのは12年間の思い出と、ぽつんと小屋に残った黄色い首輪ひとつ。
 彼は今年の桜を、もう天から見ている。
 お見舞いの言葉をいただいた方々に、お礼を申し上げます。


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