平成12年9月の手控えです。
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過去の手控え
手控え欧州篇
235話 9.24
そら耳アワー
  仕事場に、美貌の女子社員がいる。
 フェリスとかいう女子大を出た令嬢で、数年前結婚したが、その容色さらに鮮やかに、社内の若い男性諸君の憧憬を集めているらしい。
 まじめな顔で黙々と仕事をしているときは、中山美穂かイングリッド・バーグマン、笑ってしまうと高島礼子(の、お笑いバージョン)か森口博子になるという、珍しいキャラクターでもある。
 雑誌部というセクションに勤務しているのだが、これが小生には有り難い。
 小生が時代小説のファンと聞いて、ときどき雑誌を恵んでくれるのだ。
  おそらく、(このオヤジ、いつも貧乏してるからなあ)と同情してくれているのであろう。
 さて、先週彼女が届けてくれたある雑誌に、逢坂剛氏の時代短編が掲載されていた。これが実に面白い作品だった。
 通路ですれちがったとき、このO女史にご挨拶した。礼には礼を以てなさねばならぬ。つぎの雑誌を届けてもらうためにも、これは是非に及ばず欠かしてはならない儀礼であろう。

「あ〜、雑誌いつもありがとう」
「え?」
「あの月刊○○、面白かったよ」
「はあ、(このオヤジなにいうてはるン?)」
逢坂剛の短編、良かったよ」

で、彼女がバーグマンの顔で言った。

「え?おさけ五合とタンメン?」

                  (ほぼ実話です(^^ゞ)

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234話 9.17
「あ、香りがちがう」
 「あ、香りが違うわね」
 利き酒用のミニカップを差し出された途端、カミさんがつぶやいた。
「上品な、お芋の香りがする」そういって軽く味をみて、頷く。この焼酎、芋麹で仕込んだ、芋100%の焼酎なのだ。開発に成功して3年。以来、造れば完売という。また、製造年を明記して出荷する、希有な本格焼酎としても評判が高い。(とくに大手メーカーの焼酎では、新古酒をブレンドして出荷するため、年度を明記することはできない)
 池袋東武の催事フロアで開催されていた「鹿児島物産展」に、先月の鹿児島焼酎取材でお会いした蔵元さんが出展されると案内をいただき、カミさんと出かけてきたのだ。
 10階のフロアは大変な人込みで混雑していた。その喧噪の中に鹿児島弁を聞き、豚骨やツケアゲ、それに知覧茶の香りに包まれて、まるで「鹿児島より鹿児島みたいな感じ(カミさん)」を堪能してきた
 目指す焼酎の蔵元さんのコーナーは、会場の隅、鹿児島弁で言うと「すんのくじら」に押しやられていた。突然声を大にしていうけれど、(ちと単純?)鹿児島の焼酎の販売高は600億円に登る。先々週も書いたが、これは米の500億円、大島紬の100億円に比較しても格段に大規模の基幹産業ではないか。それを非常口近くの片隅に追いやるとは何事か!
「こんどは、鹿児島物産展ではなく、薩摩大焼酎展をやるべきでしょう」小生がそうほざくと、若い蔵元氏は穏やかに微笑み、そうですねえと静かに答えた。

 鹿児島で造られる本格焼酎についてついでに書いておこう。県内で造られる焼酎の約三分の一は県内に出荷される。また三分の一は県外に課税出荷される。つまり製品としての出荷だ。そして、のこりは「未納税出荷」として、タンクローリーに積み込まれて県外の大メーカーに輸送される。そして、例えば、われわれが東京や大阪の料理屋・居酒屋でよく目にする「大メーカーの麦焼酎」として製品化されるわけだ。
 イモ焼酎は仕込み時期が限定される(大体9月から11月一杯)から、それ以外の時期も蔵を稼働させるという意味からは、財務上歓迎すべきことなのかもしれない。だが、鹿児島の蔵が自力のブランド構築力を持ち、流通をキチンと管理し、消費者の手元にその製品を届けられるように育つならば、当然ながら上記の出荷割合は変化してくるだろう。待ち遠しいことではあるが。
 物産展ではつい色々買い込んでしまう。この日もツケアゲ、茶、寿司、おかしなど様々買い込み、重い荷物を抱えて帰った。勿論、焼酎も一升瓶で2本買った。芋100%の焼酎と、樫樽で熟成した芋焼酎だ。とうとうわが書斎兼物置には合計12本の銘酒の瓶がならぶ始末となった。


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233話 9.10
護るもの

photo(c)hiken
 首都の上空を往く輸送ヘリ、チヌークの大編隊。都心繁華街に進入する陸自の装輪装甲の指揮偵察車。なんといっても驚いたのは、新式迷彩服2型を着込んで営団地下鉄に乗り込み、作戦地に移動する普通科の兵士たちの姿だった。
 都知事の災害出動要請に対応した自衛隊の救援出動の演習風景である。さる防災の日にテレビ各局がおおきく報道したシーンだ。
 こんなこと言って大丈夫かねえと心配になるほどのスピーチにも驚いた。
「(防災訓練に反対する)サヨクの馬鹿ども(ママ)は、孤立し、都民の冷笑を浴びていますよ」
 感情的にも思えるような、この都知事の発言は、マスコミを始めとする「世論」から猛反発を食うかと思われたが、拍子抜けするほどの無抵抗のまま都知事の圧勝に終わったように思える。
 サーフェイスを見るだけなら、民族派と目される都知事の思想的な姿勢のあらわれかと思える。しかし、この「サヨク」に関する都知事の発言は、実は政治的なものでも思想的な背景があったからでも、実はない。
 阪神大震災。何千人もの市民が業火に焼かれたあの出来事を想起すると理解できるだろう。あの時、神戸市長も兵庫県知事も、その「サヨク」的な考え故に、自衛隊に救援依頼することを躊躇った。つまらないイデオロギーの為に、救援活動は時を逸し、罪なき市民のおびただしい生命が空しくなったのだ。犠牲者の墓標の前で、当時の知事と市長が何回屠腹しようとも絶対に許されない罪である。都知事は上空を舞うヘリと、燃上を想定した銀座のビルの屋上に、ロープで渡ってゆく隊員の姿を見ながら、かの神戸の惨劇を念頭に浮かべていたのかもしれない。灼かれて逝った市民たちの叫びを、安まらざる魂の声無き声を、石原慎太郎は鎮魂の祈りを込めて、代弁していたのかもしれない。


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232話 9.3
秋 立ちて
 予報では、きょう日中の気温は摂氏36度となっていた。燻蒸機のなかに閉じこめられたような昨日の暑さの中でこの予報を見たので、ほとほとうんざりしていた。が、昼前から風が出てきた。低気圧の影響だろう、インターネットで釣り情報を見ると、沿岸部は暴風のようだ。とても釣りに出るような状況ではない。アジ釣りに行こうかと考えていたが延期するとしよう。
 部屋のドアをあけ、窓を開くと多少の熱気をはらんではいるが強い風が吹き抜けてゆく。扇風機でゆだった空気をかき混ぜながら、ひたすら耐えていた昨日よりはずっと過ごしやすい。
先週の手控えにも書いたが、夏休みの4日間は鹿児島で過ごした。
 関東の暑さとはケタの違う熱暑のなかで、墓参し、友人らに会い、夜は宴を楽しんだ。また、ちょっとだけ堤防から竿を出した時には、今更ながら錦江湾が豊穣の海であることに瞠目した。
 この夏の薩摩行きにはもう一つ、本格焼酎について踏査するという目的があった。え?要するに居酒屋で焼酎を飲むということかって?
 短絡なやつは嫌いだ。
 鹿児島の基幹産業といえば、「焼酎」ということになる。じつは10代終わりに上京した小生は、あまり焼酎のことを知らなかった。もちろん「酒造組合連合会」が唱う「お酒は二十歳になってから」というキャッチフレーズのとおり、飲酒行為は上京したのちのことである(と、記憶している)。
 すこし焼酎について調べてみた。
 鹿児島県の本格焼酎の年間生産量は約111,300kl、酒造生産額は年間約610億円で、県内の米の粗生産額500億円、特産の大島紬の生産額100億円と比べても、規模の大きさが違う。そして業に携わる15,000人の人々の生活を支えている。その人々の核になっているのが、焼酎の蔵元。そして酒販店。小生の実家の周囲にも業界に関係するたくさんの人たちがいる。
 そういう人々に会い、造る側、売る側の話しを聞こうと思った。
 飲む側の人々の話しも、聞くには聞いたが、まあ聞くに耐えない話しが多かった。
 この一週間、鹿児島レポートを書くために、仕事が終わるとまっすぐに自宅に帰っていた。本屋にも、飲み屋にも、花にも(中華屋です)、丸川(寿司屋です)にも、そしてアングル(内緒です)にもよらずに、残業する同僚、飲み屋に直行する同僚たちを横目に見てさっさと帰宅していたのだ。え?お前の家は埼玉の奥地だから片道一時間半はゆうにかかる、さっさとは言えないだろうって?
 余計なお世話だ。
 金曜日の夜から今朝がたにかけて、テキストを書き上げ、タグを打ち、サイトにアップした。取材相手のあることだから、内容へのご了解を貰い、サーバーに上げたあとの細かな修正作業をして、いちおう完成したのが今朝の9時。あー、疲れた。いっぱい行きたいところだが、今日は禁酒日。
 おひまな折りに酒亭「鹿児島酎行紀」をごらんください。


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231話 8.28
夏休み最後の一日

南日本焼酎ファンの館
 お盆には人と会う仕事があって、当初取るつもりだった夏休みを一週間延期した。で、この23日から4日間にわたって鹿児島に帰り、遅い墓参りをしてきた。
 もうひとつの目的は、鹿児島の基幹産業である本格焼酎の製造・流通・消費実態を踏査し、見聞し、そして堪能して(^^;)くることにあった。この重大プロジェクトには故郷の有力新聞である南○本新聞社で重責を負う立場にある友人が、現地情報の提供ということで協力してくれた。主に消費実態についての現地踏査が主体であった。ついでに焼酎の現物も提供してくれたのでとても楽しかったと感謝しておかなくてはならない。そういえば、わが実家は同新聞社の創業時代からの購読者でもある。一応念のため。
 また、鹿児島県庁の方からも貴重な意見を寄せられて、大いに参考になった。ついでに晩御飯にも寄せていただいたので大いに楽しかったと言っておかねばなるまい。
 地元酒販店の方々からは流通実態に関する生の声を聞きくことができた。また、酒販店さんでは、豊富に用意してあった試飲用の焼酎を実際に調査させていただくこと頻繁で、つい酩酊してしまったこともたびたびであった。調査への熱心のしからしむるところとご寛容いただきたい。
 そして天文館ではおもに業務店(飲み屋ですな)での消費行動を踏査。もちろん味覚実査も敢行(^^;)。
 お世話になった方々には、こころからお礼を申し上げたいと思う。
 なかでも、仕込み時期を迎えて多忙な中、丁寧にご案内いただいた「国分酒造協業組合」の笹山護氏と「佐藤酒造有限会社」の佐藤誠氏には、深く感謝いたしたい。
 国分酒造を訪問した日は、「いも麹 芋」の初蒸留の日で、なんと飲兵衛の垂涎のマトである、初垂れ(ハナタレ)を戴くことができた。笹山さんの知性的な物腰の中に強靭な焼酎造りへの意志を感じ、「新機軸への挑戦、さもありなん」との印象を持った。その真剣にして真摯な姿勢には、わが身を振り返って、大きな感銘を受けたのだった。
 佐藤さんは、パワフルな行動力と酒の造り手としての確固とした哲学を持った蔵元さんだった。酒文化の中での姿勢の正しさに対する確信と、自ら考え造り出す焼酎への情熱を感じ、感銘したのだ。
 この二つの蔵を訪問して感じたのは、薩摩の本格焼酎の将来を支える若い力の強さだった。今回の鹿児島での最大の収穫は、このことを感得したことと言っても過言ではあるまい。
「鹿児島酎紀行」と題したレポートを書いている。まず蔵元訪問記。いま蔵元さんに内容の確認を戴いているところだ。今週末には「天文館焼酎夜話」などと一緒にアップできるだろう(何と言っても小生は給与生活者なので、執筆と更新作業は週末の休みの日になるのだ)。
 ところで、今回の薩摩焼酎紀行でゲットした地元ならではの焼酎6銘柄(この中には、以前手控えに書いた「紫美」もある。無くなった蔵のラベルで去年の仕込みとわかる)。どれも宅急便でうちに送った。秋深まる頃、良い日を選んで、利き酒会を開きたいと思っている。(まあ、ただの飲み会になるんだろうけど(^^;))


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