平成13年3月の手控えです。
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手控え欧州篇
260話 13.3.31
楽しく、美味しく、本格焼酎
 本格焼酎という呼称が、ごく一般的になってきた。結構なことだと、本格の焼酎ファンはそう思います。昔は、「焼酎乙類」というのが普通だった。でもね、甲乙を普通に比較すれば「甲」のほうが「乙」より優れているイメージではありませんか。税法上というきわめて官僚的な差別的名称に甘んじずに、「本格焼酎」という呼称を勝ち取った先人に感謝したいと思います。

 ここで、ちょっとだけ甲類焼酎と本格焼酎について整理。
 甲類焼酎は、廃蜜糖(サトウキビの絞り粕)を連続蒸留してアルコールを抽出したもの。無味無臭の産業用アルコールだ。これに様々なフレーバーを加えたり、あるいはレモンや梅干しを混ぜて飲む。ホワイトリカーともいいますね。溶かし込むものによって、味わいはもちろん変わる。たとえば梅干しのアルコール溶液などは馴染みが深いのではないだろうか。
 これにたいして、本格焼酎は原料にこだわり、麹や酵母菌、水などにもこだわって造る酒だ。清酒との造りのちがいは最終過程に蒸留があるということになる。原料のうま味をいかすために、一回しか蒸留しない(単式蒸留)。蒸留機も木製の桶にこだわる杜氏もいて、様々な味わいの焼酎原酒が、蔵の数だけ、そして造りの数だけ産まれるのです。

「紅葉を見たことがない」「子供の運動会に行ったことがない」というのは、芋焼酎を造る蔵の杜氏。   芋焼酎は原料の鮮度がいのちなので、サツマイモが収穫できる季節にしか仕込むことができない。夏の終わりから仕込みを始め、深い秋が終わり冬へと時が流れるころまでは、それこそ寝る暇もない忙しさだ。「焼酎の奴隷です」という杜氏もいる。
 発酵したもろみを蒸留して、最初の滴りがおちてくるとき、自分の子供が産まれたような感動を受けるという。この最初の焼酎を「初溜(しょりゅう)」あるいは「ハナタレ」という。アルコール度数は70度を超える原酒の原酒だ。だが、度数を感じさせないふくよかな味わいは、言葉には尽くせない旨さ。

 以前、薩摩の「萬膳庵」のハナタレを戴いたことがある。蔵元さんの満足げな笑顔を眺めながら盃を手に取った。ひとくち啜る。華やかな黄麹の酒の味わいが高速度撮影下の大輪の開花のように広がって、言葉もない。さらにひとくち味わう。緩やかに熱くなる旨味に、この酒の気骨が太い柱のように聳えているように感じた。
 ハナタレ、これは蔵人だけが味わえる酒。税法上、本格焼酎は45度未満と定められているからなのだ。蒸留後、カメやタンクに貯蔵されて数ヶ月、仕込み水で加水されアルコール濃度を調整されてはじめて、出荷用の製品となる。

 ところで、ひるね蔵酒亭のダラダラコンテンツのなかに、「ダイヤメ日記」というものがあります。出来るだけ見ないで欲しい飲兵衛日記。それでもご覧いただいた方から、ダイヤメって何?と聞かれることもあります。
 で、ですね。唐突ですが、「味噌なめて・・・」と始まる歌があります。「・・・晩飲む焼酎に毒はなし」と続く。毒はなし、という表現は、古い用法で、体にいいということの逆証だ。
 鹿児島の焼酎飲みを歌ったものだけれど、この全文を書くのには危険を感じる。柳眉を逆立てる女性がいらっしゃるかもしれないからね。でも、けっきょくは書いてしまうんだけれど。
 さて、このあとの文章を加えて全文を書き出すと、こうなります。
「味噌なめて 晩飲む焼酎に毒はなし 煤(すす)けかかあに酌をさせつつ」
 典型的な薩摩の「ダイヤメ」の風景。
作物も豊かに収穫できた。日中の農作業の疲れを、カミさんと差しつ差されつの晩酌で癒す。明日への元気が湧いてくるな、というほどの意味であると理解したい。
ダイヤメというのは、「ダレ=疲れ」を「ヤメ=止め」るということで、晩酌のことなのだ。ダレヤメが音韻変化して、ダイヤメとなったわけですね。

 さて、そのダイヤメであるが、薩摩ではお湯割り焼酎が主だ。もちろん芋焼酎。たしかに麦や米の焼酎もあります。造ってもいる。いるんだけれど、たとえば麦焼酎のほとんどはタンクローリーで大分に運ばれてブレンドされ、超有名なブランドとして出荷されるのだ。その時点で課税されるから、鹿児島で造っていても統計上は大分産ということになる。ご存じの方も多いかと思いますが、いわゆる桶買いというやつですね。灘の清酒なぞほとんどが桶買いで成り立っているらしい。

 手をかけ、杜氏の魂を注ぎ、時間の熟成をまって完成する「本格焼酎」。近頃では血栓溶解効能も認められて健康によい酒という評価も高い。でもね、健康の為に飲むわけではない。とにかく本格焼酎は、美味しい酒なのです。マスコミや芸能人が取り上げたためにプレミア化した銘柄もあるけれど、そんなのは本道ではない。薩摩にはそして九州には何百という銘柄があり、おびただしい美酒が隠されています。そのなかなから自分の好みの一本(二本でも三本でも十本でもいいけれど)を探しだして、座右の酒とするのもまた楽しいこと。
これからも、ご一緒に焼酎を楽しんで参りましょう。 

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259話 13.3.18
仰天ということ

こんなステレオタイプはいないと思ったが、いるんだね〜
 去年の3月12日の手控えに、こんなことを書いた。
日暮さんというイラストレーターがおられる。 
ビッグコミックの表紙に著名人の似顔絵を30年間描いておられる日暮さんは、じつは著名なイラストレーターであり、装幀画家でもある。以前、わが仕事場でもお世話になったことがある方だ。

日暮「政治家ってのは、もう、品格のなさ、どろどろした欲望、複雑怪奇な性格なんてものが、モロに顔にでますね」
「・・・」

 週刊新潮か文春だったか忘れたが、「夜に蠢く政治屋どもの、食欲と権力欲」という特集記事を読んだ。タイトルから見てたぶん新潮のほうだろう。文春なら「相も変わらぬ料亭政治。国民の呆れ顔がみえないか?」とでも書くところかな?

 赤坂の「若林」や「口悦」(この二軒の料亭はほとんど隣り合っている。以前の小生の通勤途上にあった)に連夜脂ぎった顔を寄せて密談にふける政治屋たちの蠢動を、その特集記事は克明に暴いていた。利用回数や金額まで取材していたが、それを見る限り、センセイ方、どうもホントに連日連夜の美食・飽食三昧らしい。
 生命力が強靭なんだろうな。脂肪肝とか痛風とか胃潰瘍とかにならないのかな。まあ、政治屋たちはおおむね長生きだ。ボケすぎて国益を損じるような発言までしゃーしゃーと垂れ流す、恍惚の財政担当大臣もいる。年間800万円ほどのフグ料理代金を料亭に支払うという、人品卑しい顔つきで知られる某党幹事長もいた。赤坂の料亭地帯に廊下があれば、鳶のように飛び回るところだろうが、そのかわり黒塗りの車で走り回る。たったの100mしか離れていないんだぜ。そのたびに白い手袋の運転手にドアを開けさせて車に乗り降りする。
 小生、毎夜のごとくそんな風景を横目で見ながら仕事場から帰っていた。この連中には良識とか脳とかだけではなく、親に貰った手までないのかと呆れながら。

「阪神大震災の犠牲者」「開発・伐採・汚染で悲鳴をあげる国土」「<法匪に守られるテロ集団>による被害者」「覇権国家による内政干渉」 「北朝鮮に拉致された人々」「ハワイで米国潜水艦に沈められた高校生」など、彼らに本当の関心がないことは(どう言い訳しようが)しれている。
 永田町と赤坂のちんまりした地域にだけ棲息できる連中だ。サル程度の常識があれば、政治的には既に死んでいる首相を海外に送り出し、首脳会談とやらの席にさらすかね?したたかな相手に軽蔑されながらとことん利用されるのがオチだと、なぜ理解できないのだろう。いや、ホンネでは分かっているのかもしれないな。であれば、もう立派な国民に対する犯罪だ。しかしこのイキモノたちを、選挙で選び(選ばされ)、喰わせてやり、威張らせているのは我々自身なのだと思うときに、タイトルの如き心境となり溜息をつくのだ。
去年の手控えは、こう結んでいた。
 先日の地下鉄事故で亡くなった方々のなかに、若い高校生と新婚まもないご婦人(鹿児島の方で、南日本新聞社東京支社のOLだった!)の名があった。罪無きこの犠牲者たちのかけがえのない命を、永田町に巣くう妖怪ども1ダースと取り替えられるならと、つい天を仰いでしまった。いや、そんなものでは足りないか。
きょう購入した「藤沢周平のすべて」(文春文庫)から
「物をふやさず、むしろ少しづつ減らし、生きている痕跡をだんだんに消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終わることができたらしあわせだろうと時々夢想する。  藤沢周平」
同じく、きょう購入した「考える犬」(第16最終巻・講談社)から
「キサマは何がイチバンの力か知っているか?腕力?どんな強腕も鉄砲一丁にかなわん!権力?欲しがる奴の気が知れん!自分以外の誰かをシアワセにする力、これがイチバンの力だ。  大門寺大吉」

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258話 13.3.11
考える犬

なぜサイドカーが・・・。約20年前の写真
スズキGS400に自作のカーを付けて。

 漫画である。講談社の『モーニング』に連載されたものだ。作者は守村大。1巻から10巻までを昨夜一気に読み、先ほど15巻を読了した。え?11巻から14巻はどうしたのかって?はい、この日記を読んで戴ければわかりますです。
大門寺文左衛門(凄い名前だな)は大衆週刊誌と思われる『サンライズ』の編集長だ。ポールニューマン風でクール。仕事はデキるわ女性編集者たちにはモテるわ男性編集者からも深く信頼されているわとすっごいキャラクターなのである。ヨメはすこぶるつきの美人で、三人の娘たちもそれぞれ素晴らしい性格。ここまで読んで嫌になったあなた、そう、いくら作り話とはいえ守村サン、やりすぎと思うでしょう?
 ところが、ここに犬が登場してくる。なんとかいう巨大犬種だ。主人公の文ちゃん(彼は家族にそう愛称されているのだ)が自分で拾ってきた捨て子犬だった。みるみる巨大化していった紋次郎(これまた凄い名だ)というこの犬、恩人であるハズの文ちゃんを家族の序列の最下等に位置づけている。
 
 この漫画、家族の厚い信頼と愛情とのなかで、なかなかの男ぶりを見せる文ちゃんを描いて深いものがある。絵も達者だ。バイクの描写には、乗っていなくては描けないリズムもきちんと表現されている。紋次郎の蔑視と家族の愛情との狭間に棲む文ちゃんを、ユーモアと時にペーソスを感じる筆致で描いて読者を飽きさせない。と、ここまでは10巻を読了して分かった。だが普段ビッグコミックしか読まない小生が、ビニ本状にラッピングされた漫画単行本を10冊(その本屋にあったすべて)買い込んだのには理由がある。

「なんだ、また焼酎がらみかよ?」ってお考えのあなた、そうです。正解です。
 実はこの漫画で「鹿児島の本格焼酎」が取り上げられているからだ。本格焼酎の応援サイトを運営している個人さん(ハンドル名)が某所の掲示板にそう書き込んだのを見て、ちょっと気になっていた。白金酒造が実名で登場するよと聞き、ちょうど「石蔵」を買い込んだばかりだったので、思い立って本屋に走ったのだ。
 拙速は巧遅にまさる、というが、この場合裏目に出た。個人さんのサイトには、焼酎が登場するのは第15巻目だとちゃんと書いてある。それを確認せずにとりあえず全部買ってきてしまった。だが、10巻まで読み切っても、焼酎の二文字がない。ぜんぜん、ない。

 鹿児島の友人が当ひるね蔵酒亭の掲示板で、「15巻目ぢゃっど」とご親切に教えてくださったので、どうにも我慢できずにまた本屋へ。三軒目でやっと15巻を発見して購入した。さきほど読了。
 感想を結論的にいうとですね、「わっぜえすばらしか取材とその結果」を楽しませていただきました。

 鹿児島県出身者として「本格焼酎」をあらためて誇りと思い文化と信じる気持ちを掻き立ててくれた、そんなお話に仕上がっていた。なんといっても、白金さんの蔵がちゃんと描かれている。漫画に登場する杜氏さんの名は黒瀬としか書かれていないが、もちろん「石蔵」の黒瀬東洋海氏だ。平成12酒造年度の優等入賞者リストにその名前が、その酒とともにあった。
 西酒造の蔵の様子や、陽一郎専務も実名で登場していた。氏とは、金曜の夜たまたまとはいえ同席して飲んだばかりだったから、印象ひときわの感があった。

 さて、鹿児島でも紋次郎をパッセンジャーに、サイドカーを駆って活躍した文ちゃん、(そうそう、忘れていたが、文ちゃんはサイドカー乗りなのだ)漫画の設定では、埼玉県所沢市にすんでいる。個人さんが「秘剣さんのキャラに似てるとちゃいます?」的なことを仰っていたが、所沢市民でサイドカー乗り(過去含む)という点はそう言えるかも知れない。ですがね、文ちゃんのサイドカーは絵から察するに、BMWのR100RSにオーストラリア製のモノコーチだ。家は航空公園駅近くの豪邸だ。と、ですね、この二点だけでもじぇんじぇん違う。仕事ができるという点でも、同僚部下上司の評判がいいという点でもこれまた違う。小生、むしろさゆりちゃん(文ちゃんの奥さん)の極道おやじとハーレーライダーの大吉さん(文ちゃんの父親)に憧憬を覚えるな。
きょうは禁酒日。あすのダイヤメは「石蔵」だ。

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257話 13.3.4
杜氏たちの宴
 鹿児島県で毎年行われる焼酎鑑評会のことを前に書いた。その入賞銘柄を眺めていて、あらためて思うことがある。
 ここには、小さな貧しい村から家族と別れ土地を離れて、酒造工として各地の蔵に働き、技を磨き、故郷の財産として伝承してきた男たちの長い物語りを見ることができる。
 

貴匠蔵-黒瀬康美
八幡-高良武信
さつま寿-黒瀬貞美
桜島-黒瀬安信
黒瀬杜氏-黒瀬宏樹
養老-黒瀬和吉
利右衛門-黒瀬和吉
不二才-黒瀬矢喜吉
紫尾の露-黒瀬一海
石蔵-黒瀬東洋海
高砂-木場修一
黒粋華奴-宿里正治
島乃出水-黒瀬勉
薩摩茶屋-村尾寿彦
百合-塩田将史
(平成12酒造年度の入賞から一部抜粋)

 このリストに、黒瀬姓が9名見える。

 鹿児島県川辺郡笠沙町黒瀬は薩摩半島の南西の端、野間半島の山間に位置する集落だ。 狭隘な地形には耕作に充分な農地があるはずもなく、農閑期には男たちは出稼ぎに村を離れるのだった。県内だけでなく、九州一円に散り、様々な職についたと聞く。
 そして黒瀬の名を長く伝えてきたのは、焼酎杜氏としての働きだ。
 焼酎造りはサツマイモの収穫期である夏の終わりから始まる。仕込みの季節になると身内から信頼できる蔵子を連れて様々な蔵へと出掛けて行く。蔵子はやがて杜氏となりまた次の世代へと黒瀬杜氏の技を伝え続ける。麹、酵母、水、温度、蔵に通す風にいたるまで自然・生き物をあいての仕事だ。黒瀬の酒造工たちが特別の職能集団として蔵元に厚遇されたのは当然だっただろう。
 だが、本来もっとも人の手と技・経験が反映されたはずの麹造りが自動製麹機の発明によって機械化されてから、杜氏の役割が変わり、数も減少してきたという。また農大醸造学科で学んだ後継者ないし社員の採用によって蔵自身から杜氏を産む傾向もある。これは造りの技の企業化という動きに他ならない。人と土地に伝承されてきた黒瀬杜氏の技、願わくば生きた技として継承されて欲しい。

 萬膳酒造の杜氏、宿里利幸氏は黒瀬杜氏の長老だ。氏が霧島山中の手造りの焼酎蔵で、甥にあたる万膳利弘氏に伝えつつあるもの、そしてそのあり方こそが、静かな輝きを放っているように思えてならない。

 ところで、この稿のタイトルの意味について書く。
 先日、杜氏たちの宴という話しを薩摩郡出身の友人から聞いた。
 県内各地の蔵での仕事が終わると、杜氏たちは故郷の村に帰ってくる。それぞれ自分が造った焼酎を下げて。
 蔵の話し、造りの話し、半年ぶりの懐かしい顔だ。焼酎を酌み交わしながら、話題は尽きないだろう。そして、彼らがこの年の焼酎について「鑑評」しあうだろうとは誰しもが思うことだ。杜氏による相互鑑評会、その結果が発表されたり、銘柄が表彰されたりということはない。しかしこれほど実質のある評価はないだろう。
 平成12酒造年度の、杜氏たちの宴で行われた「鑑評会」での入賞はどういう酒だったのか興味は尽きない。

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