平成13年3月の手控えは、「過去の手控え」でご覧ください。
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 from1998
過去の手控え
手控え欧州篇
263話 13.4.30
お店やさんのたたずまい

居室やクルマを見れば、その持ち主のことはたいがい分かる。
たとえば私がいかに整頓好きで清潔をこのむか、ということについて、当人である私自身がどんなに主張しても、カミさんは、ゼンゼン信用しないし、わたしの部屋を0.5秒見れば誰もがカミさんの意見に賛成するだろう。わたしの愛車を一目見て、乗り手の疑わしき人格がわかるといった悪友もいる。まあ、こいつのほうがよっぽど胡散臭い人間なので、この言葉は信用するにたらぬ。が、まあ、ことほどに、人はその微かな痕跡にすら、全人格のDNAを露(あらわ)にしているものだ。


武蔵藤沢の「ナボシ屋」さんの店頭。暖かい人柄が店先からもうかがわれる。

ましてや、店は(酒販店でも、業務店でも)店主さんの存在の反映といっていい。店頭が舞台であれば、そこに展開される総てはプロデューサーである店主さんの存在そのものに他ならない。扱う商品についての考え方ももちろん店頭から見えてくる。従業員を媒介にして、店主の輪郭がはっきりしてくる。ましてや、店主さん自身の語られた言葉からは、その心までが見えてくる。


良い食品の四条件
なにより安全、おいしい事、適正な価格、ごまかしがない。

<良い食品づくりの会>
いつの日にか、食品についてなんの知識を持たない子供が、
特別になんの勉強もしていない小売店に行き、何気なしに買
った食品が四条件を充たす世が、ごく当たり前の事として見ら
れる日が早く来ることを願ってやみません。
・・・・・・・・

つくる人の心を伝える店「掛田商店」 掛田勝朗  

・・


このごろ町を歩いていて、酒屋さんがあるとついのぞき込むクセがついてしまった。陳列台を眺めて、もしそこに「いい○こ」や「大○郎」が陳んでいればさっさと通り過ぎてしまうのだが、常圧の芋焼酎のラベルが目にはいったりしたら、もうダメだ。あとさき考えずに、即座にお店にはいってしまう。値札を見、試飲コーナーを探し、店員さんに話しかける。5分で出てしまう店もあるし、長々と話し込み、満足心と一升瓶を抱えて帰ることもある。

からっぽの「萬膳」の瓶を並べていた店もあった。25000円の値札を付けたまま埃を被っている「森伊蔵」が棚のてっぺんで泣いていた店も見た。
お酒を商っている店だぜ、美味しさや楽しさを商っている店ではないのかな?酒屋さんなら、店自体が楽しくなくては。お客さんを楽しくさせてあげなきゃあ。
こういう店を見るといつも思うのだ。

この店は、何を売っているのだろうかと。
何のための商売をしているのだろうかと。


【手作り木製棚&看板】
手作りの陳列棚。奥様の手になる木製の銘柄表示看板が暖かい。
「酒のこばやし」店頭

【囲炉裏の演出】
焼酎の楽しさが伝わってくるディスプレイだ。扱っている商品への愛情が感じられ、お客への動機つけ効果はおおきい。
「酒のこばやし」店頭

酒はつまり人である、と言った方がおられる。造る人、扱う人、それぞれの高い志が共鳴して薩摩の本格焼酎の健全な元気な広がりを醸しだして行って欲しいものだ。もちろん、われわれ飲んべえはどうでもいいというわけではない。焼酎を知れば知るほど興味がつのり、味わい方もまた一層広く深くなる。プレミアム価格などに手を出さない節度というものもハッキリしてくる。この種の健全なインタラクティブ性が、薩摩の本格焼酎のマーケットにはまだまだ期待できると思う。


試飲・量り売り用瓶のディスプレイ
「ナボシ屋」店頭

お店のエントランスにバイアスに目線の高さでディスプレイされている。
重厚なボリューム感を感じさせ試飲への意欲を掻き立てられる構成だ。

試飲・量り売り用瓶のディスプレイ
「酒のこばやし」店頭

レジ回りでの工夫を試飲コーナーとして構築している。店主の熱心さは店の風情としてお客には感じられるものだ。「客」を作るのではなく「お店のファン」を作るのが最上。

【店頭の演出】
焼酎蒸留機ディスプレイ
「ナボシ屋」店頭

いまや酒販店さんや業務店さんが(メッセージ発信の場として)インターネットのホームページを持つ時代となった。ハウスオーガンを制作しデリバリーするのは大変だがウエッブサイトなら費用も少なくてすむし発信するタイミング、回数も自由だ。ウエッブサイト、店頭、そして対面コミュニケーション、こういったお店のマーケティングミックスには店主さんの個性が強く出るものだし、専門性の高いお店であればあるほど、それがまた店の個性として他店との差別化を可能にしてゆく。店主さんのメッセージを伝えて行くあたらしい時代の新しい手段として、もっと活性化してゆくべきだろうと思う。

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262話 13.4.22
「キリ番ゲット」ということ
この数日だけでみても、「百合」が来て、「黒の15」と「考える犬」が出て行った。思い出してみたら、ずいぶん色々なものが行ったり来たりしている。え?なんのことかって?
ホームページに訪問者数を表示するカウンターのあるサイトは多い。そのカウンター数のキリのいい番号、つまり55555とか、10000とか、888とかにちょうどぶつかった人に、そのサイトの運営者が記念の何かを贈る、そういう習わしがいつか定着してきた。(記念品を要求する運営者も、たまにいますが・・・(^^ゞ)

 小生が最初にキリ番をゲットしたのは、京にお住まいのジフアニメの巨匠、ぞーさんのサイト「象の小箱」。1998年の何月だったか、3000番をゲットした記念に画伯に造っていただいたのが、わがひるね蔵のたからもの、「軒先行灯」だった。ひるね蔵の表紙に明かりをともして、もう約3年になる。画伯のサイトのカウンターもすでに15000に近くなった。(ちなみに12345の時にも踏んだ。(ホントに偶然)こんどは酒亭の行灯を造っていただけるそうな。楽しみです)
そういえば、おなじくひるね蔵本体の表紙に掲載してある「侍の絵」、これもキリ番ゲット記念に、イラストの師匠と仰ぐ関西の絵師様からいただいたものです。師匠のサイトはここ。  (いま見てきたら、ここももうすぐいちまん!)

 酒亭を始めてもう八ヶ月過ぎた。時間は早いが得るものは少ない、髪の毛と金は無くなるいっぽうというのが中年男の人生の哀しい法則なのだが、酒亭に関してはこれが当てはまらないのだ。本格焼酎に関わる様々な方々との語らいからは、有形無形の宝物をたくさんいただいた。同時にカウンター数も増え、先日22222を達成。キリ番を踏んだのは、神戸の「りんりん」サン。さっそく記念の品をお送りさせていただいた。

 さて先日、酒のこばやしさんちで、掲示板の書き込みナンバーの隠しキリ番を今度は小生が踏んだ。これが1234。贈って戴いたのはなんと小生の好きな「百合」のグッズ。コップ、のれん、そして小林さんが蔵元さんに懇願(かつあげ、とも読む)してゲットしたという「百合原酒・蔵元手汲み」

 過ぎた歴史に「もし・・・」を言うのは益体もないが、あえて喜びを込めて言いたい。もし、ウエッブによるコミュニケーション環境がなかったら、これほどのめくるめく輝くようなコミュニケーションはあり得なかっただろうと。本格焼酎そのものとの真摯な邂逅もなかったし、同じテーマで語り合う友人達との出会いも無かったと思う。「薩摩焼酎 奄美黒糖焼酎」とも、そしてその編集スタッフとも出会うことはなかっただろう。一期一会が百にも千にもなってなお一期一会の魂を希釈することのない、そういうネットの力をあらためて思う。

(そういえば、ひるね蔵本体の55555をゲットしていただいたのは釣りびとにして、焼酎開眼のエコーさん、ありがとうございました。)

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261話 13.4.15
クリスタル・レシーバーのむこうに
 たぶん少年雑誌の懸賞賞品だったのだろう。
 そのラジオはロケットのカタチをしていて、アンテナの具合によってはかなりよく聴こえた。
 私が小学校3年のころ、もう40年近く前の鹿児島の話だ。もちろんラジオは一家に一台の時代。子供が勝手にさわれないようにお茶の間の、神棚の横の棚に置いてあった。
 ケータイもテレビもパソコンも一人に一台づつの今とはちがう。枕元に置いて、一晩中聴き続けられるラジオ、これは魅力的だった。

 ゲルマニウム・ラジオだったはずだから、もちろん電源はいらない。だが、その時の私はあまり理科的なことがわからず、(まあ、今はもっと解らないが)ゲルマニウムが減りはしないか、電池が(どこにあるか分からなかったが)無くなりはしないかと愚かにも心配しつづけたのだった。

 電気的に増幅される音声ではない。クリスタル・イヤホンのはるか向こうから、聴こえてくるのはたとえばNHKだったり、南日本放送だったり、そして鹿児島弁とまがうほどの粗さで海を越えてたどり着く朝鮮語の放送だった。

 中学に入った頃、小さなラジオを買った。主にラジオ講座のためだったが、つまみをゆっくりと回すと、北京語や韓国語の放送が受信できた。短波ではどこともしれない外国の放送局からの電波をひろい、ときおり混じる空電音のなかに、東シナ海や太平洋の波の歌を聴くような気がしたことを覚えている。
 今から思えば、あのイヤホンから聴こえる音は、劣悪な音声でしかなかったのだろう。だが、昔の鹿児島の少年にとっては、それは世界への扉だった。自分の暮らしとはかけ離れた世界。みたことも、たぶん見ることも想像すらできない世界の音だった。

 赤胴鈴の助を聞きながら囲んだ夕食の卓、さざめく笑顔、タバコと焼酎の匂いがなぜか嫌ではなかった父のお客たち、幼い弟たちと競って登った玉龍山、懐かしい故郷の情景はあのクリスタル・レシーバーの向こうに微かに聞こえていた音のように小さく明滅し、そして消えた。

 そうそう、ロケット型のゲルマニウム・ラジオは、一晩で手元から去っていった。同級生から借りたものだったからだ。その友達が「あん、ラジオを返せっくいやい。ゲルマが減らんうちに、はよ」と言ったことを覚えている。彼も理科には弱かったのだろうな。 

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260話 13.3.31
楽しく、美味しく、本格焼酎
 本格焼酎という呼称が、ごく一般的になってきた。結構なことだと、本格の焼酎ファンはそう思います。昔は、「焼酎乙類」というのが普通だった。でもね、甲乙を普通に比較すれば「甲」のほうが「乙」より優れているイメージではありませんか。税法上というきわめて官僚的な差別的名称に甘んじずに、「本格焼酎」という呼称を勝ち取った先人に感謝したいと思います。

 ここで、ちょっとだけ甲類焼酎と本格焼酎について整理。
 甲類焼酎は、廃蜜糖(サトウキビの絞り粕)を連続蒸留してアルコールを抽出したもの。無味無臭の産業用アルコールだ。これに様々なフレーバーを加えたり、あるいはレモンや梅干しを混ぜて飲む。ホワイトリカーともいいますね。溶かし込むものによって、味わいはもちろん変わる。たとえば梅干しのアルコール溶液などは馴染みが深いのではないだろうか。
 これにたいして、本格焼酎は原料にこだわり、麹や酵母菌、水などにもこだわって造る酒だ。清酒との造りのちがいは最終過程に蒸留があるということになる。原料のうま味をいかすために、一回しか蒸留しない(単式蒸留)。蒸留機も木製の桶にこだわる杜氏もいて、様々な味わいの焼酎原酒が、蔵の数だけ、そして造りの数だけ産まれるのです。

「紅葉を見たことがない」「子供の運動会に行ったことがない」というのは、芋焼酎を造る蔵の杜氏。   芋焼酎は原料の鮮度がいのちなので、サツマイモが収穫できる季節にしか仕込むことができない。夏の終わりから仕込みを始め、深い秋が終わり冬へと時が流れるころまでは、それこそ寝る暇もない忙しさだ。「焼酎の奴隷です」という杜氏もいる。
 発酵したもろみを蒸留して、最初の滴りがおちてくるとき、自分の子供が産まれたような感動を受けるという。この最初の焼酎を「初溜(しょりゅう)」あるいは「ハナタレ」という。アルコール度数は70度を超える原酒の原酒だ。だが、度数を感じさせないふくよかな味わいは、言葉には尽くせない旨さ。

 以前、薩摩の「萬膳庵」のハナタレを戴いたことがある。蔵元さんの満足げな笑顔を眺めながら盃を手に取った。ひとくち啜る。華やかな黄麹の酒の味わいが高速度撮影下の大輪の開花のように広がって、言葉もない。さらにひとくち味わう。緩やかに熱くなる旨味に、この酒の気骨が太い柱のように聳えているように感じた。
 ハナタレ、これは蔵人だけが味わえる酒。税法上、本格焼酎は45度未満と定められているからなのだ。蒸留後、カメやタンクに貯蔵されて数ヶ月、仕込み水で加水されアルコール濃度を調整されてはじめて、出荷用の製品となる。

 ところで、ひるね蔵酒亭のダラダラコンテンツのなかに、「ダイヤメ日記」というものがあります。出来るだけ見ないで欲しい飲兵衛日記。それでもご覧いただいた方から、ダイヤメって何?と聞かれることもあります。
 で、ですね。唐突ですが、「味噌なめて・・・」と始まる歌があります。「・・・晩飲む焼酎に毒はなし」と続く。毒はなし、という表現は、古い用法で、体にいいということの逆証だ。
 鹿児島の焼酎飲みを歌ったものだけれど、この全文を書くのには危険を感じる。柳眉を逆立てる女性がいらっしゃるかもしれないからね。でも、けっきょくは書いてしまうんだけれど。
 さて、このあとの文章を加えて全文を書き出すと、こうなります。
「味噌なめて 晩飲む焼酎に毒はなし 煤(すす)けかかあに酌をさせつつ」
 典型的な薩摩の「ダイヤメ」の風景。
作物も豊かに収穫できた。日中の農作業の疲れを、カミさんと差しつ差されつの晩酌で癒す。明日への元気が湧いてくるな、というほどの意味であると理解したい。
ダイヤメというのは、「ダレ=疲れ」を「ヤメ=止め」るということで、晩酌のことなのだ。ダレヤメが音韻変化して、ダイヤメとなったわけですね。

 さて、そのダイヤメであるが、薩摩ではお湯割り焼酎が主だ。もちろん芋焼酎。たしかに麦や米の焼酎もあります。造ってもいる。いるんだけれど、たとえば麦焼酎のほとんどはタンクローリーで大分に運ばれてブレンドされ、超有名なブランドとして出荷されるのだ。その時点で課税されるから、鹿児島で造っていても統計上は大分産ということになる。ご存じの方も多いかと思いますが、いわゆる桶買いというやつですね。灘の清酒なぞほとんどが桶買いで成り立っているらしい。

 手をかけ、杜氏の魂を注ぎ、時間の熟成をまって完成する「本格焼酎」。近頃では血栓溶解効能も認められて健康によい酒という評価も高い。でもね、健康の為に飲むわけではない。とにかく本格焼酎は、美味しい酒なのです。マスコミや芸能人が取り上げたためにプレミア化した銘柄もあるけれど、そんなのは本道ではない。薩摩にはそして九州には何百という銘柄があり、おびただしい美酒が隠されています。そのなかなから自分の好みの一本(二本でも三本でも十本でもいいけれど)を探しだして、座右の酒とするのもまた楽しいこと。
これからも、ご一緒に焼酎を楽しんで参りましょう。 

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