平成13年6月、7月の手控えです
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過去の手控え
手控え欧州篇
270話 13.7.29
女優とキンメ
金曜の午後のことだ。築地にある某大新聞社に「デジタル送稿」の件で打ち合わせに行った。デジタルばやりの昨今だ、アナログおやじの極みというべき小生には難しいことが多すぎる。「デジタル制作とオンライン送稿環境におけるカラーマネジメントなんたら」というのがその会議のテーマだった。2時間余りの会議を終えてロビーに出たときには、「EPS」や「ADF」や「DDCP」や「CTS」のせいですっかり頭が幻惑されてしまっていた。すこし休まなくては社会復帰できないぞ、そう思って近くのコーヒー店に入り、ソファにへたりこんだ。

そのとき、「よっこいしょ」と声がして、男が隣のテーブル席に座った。わが職場の同僚、Aだった。以前、嵐に揺れる小舟でも酔うことなく次々と鯛を釣り上げていたことから、「三半規管のない男」と評したとおり、わが釣り仲間でもある。

「おー、どうした?」
元気なデカい声だ。こっちのあたまに響く。見ると手に時刻表を持っている。わが仕事場から築地に行くのには時刻表は必要ない。そう、Aは「てっちゃん」、つまり鉄道マニアでもあるのだ。時刻表は、彼の愛読書というわけだ。しかーし、いいのか?仕事はどうした?

「そーか、そーか。実はオレも会議が終わったばかりでな、一息つこうと思っていたんだ」そういって時刻表を広げ、セルフサービスのコーヒーをすすった。

「肥薩線にもしばらく乗っていないなあ」

Aは神奈川県民だ。だが、鹿児島と熊本の県境を走る鉄道について語らせたら、一晩中かかっても語り足りないということを小生は知っている。下手に相槌を打ったりしたら、危険なことになる。

「さて、仕事場に帰るか・・・」
小生が腰をあげると、Aが時刻表を閉じて言った。
「ついでだ。市場の中を通っていこうぜ。こんな時間だけど、外市場ならけっこう開いている店も多いしな」
忘れていたが、Aはマーケットフェチでもあるのだった。国内の魚市場なら知らぬ処はないといって過言ではない。ちなみに、釣りに行って釣れない場合(ボウズという)に、鮮魚を買い求めるのが彼の対家族(就中かみさん)対策なのだが、「この港ならあの店とあのマーケット」という具合にリサーチも行き届いているのだ。まあ、小生も市場は嫌いではないので、Aのあとにくっついて市場の中の狭い路地に入った。

その女優の名前をすぐには思い出せなかった。
干物を扱う店と、刃物を並べている店の間の路地に曲がり込んだとき、Aが突然たちどまったのだ。そして、その目線の先には、ひとりの女性がいた。
Aは格別ストーカーではない。それどころか職場の女の子たちには結構人気のある渋い中年だ。彼がじっと凝視しているのは一人の女性、たしか真野なんとかという女優だった。
プライベートな買い物らしく、友人らしき女性とふたりで干物屋の店先に立っていた。背筋が伸び、顔が小さく、すっぴんにもかかわらずハリのある表情をしている。やがてAが目線をすっとはずして歩き始めた。小生も続き、裸電球の灯る路地を抜け、やがて晴海通りの明るい光の中に出た。

「さすがに女優ってのは、化粧なしでもオーラがあるよな〜」と小生。
「へ?なんのことだ?」
「さっきのあれ、たしか女優の真野○子だよな?」
「なに、真野○子がいたのか?どこで、いつ見た?オレ、けっこうファンなんだぜ」
「彼女をみていたんじゃなかったのか?あの干物屋の前で・・・」
「いや、○○屋(店名をAは知っていた)にいたのかい?気がつかなかったな」
「じゃあ、何をみてたんだい?じっと睨んでいたから、てっきり・・・」
「あー、あそこの干しキンメ、いつもは2千円するんだが、きょうは1000円の値札だったんだ。モノがよければ買ってみようかと思ってさ」

Aは、ビキニの娘達がウヨウヨいるビーチでも、きっと砂底に棲むメゴチやキス(魚)しかイメージしないのだろうな。それがAのいいところでもあるが。

Aが時刻表をウチワのように扇ぎながら言った。
「ところで、列車にキハ、とか書いてある文字の意味ってわかるかい?キは気動車のキでな・・・」
Aがまた危険な方向へと向かい始めた・・・


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269話 13.7.8
空と海の会うところ ....
甑島(こしきじま)に行った。実家への帰省と、郷土の焼酎蔵への訪問と、海での釣りという欲張った目的を隠し持って小生が搭乗したのは全日空630便。天罰が当たることもなく無事定刻に鹿児島国際空港に降り立った。
この日は空港から霧島の山中にある手作りの蔵に直行。この模様は【霧島の蔵、瀬音】にまとめた。次の日は薩摩半島南部を縦走、4箇所の蔵元さんを訪れた。同じく【南薩の光と風】に掲載した。そしてその次の朝、船で甑島に渡った。
(左)上甑島里港からすぐの岩礁エリア

お尋ねする蔵元さんはひとつ。蔵に泊めていただけるのでなぜかゆっくりと海など眺めていたら、「さて、お昼は海でといきましょうか」そう言って蔵元さんがクルマに乗れと促す。目の前の港にもやってある船に乗り込むと、見事な操舵ぶりを見せて船は無人の小島が点在する海域へ。そらの色は群青、海の色は玉のように透明な緑。言葉を失うほどの風の中を走って着いたのは思いがけず静かな入江だった。蔵元さんと船に同乗していた若い衆がウエットスーツを身につけて 海に潜る。まもなく船に揚がった獲物は魚や貝などたっぷりだ。包丁を借りて魚をさばき、デッキに並べる。ビールが開けられる弾けるような音が次々と続き、昼の宴が始まった。お腹がくちくなると、こんどは釣竿を借りて釣り。関東の海ではない。コマセなど使用せずともさっきの魚のアラをハリに刺して海に放り込むとすぐにアタリが。竿を絞ってあがってきたのはでかいアジ。そして30cmちかいカサゴ(鹿児島ではアラカブという)だ。ここちよい日焼けの痛みとともに満足心をいただいて帰港したのはもう夕方。蔵のお風呂を使わせて貰う。お風呂場のひろい窓から東シナ海とそこに浮かぶ島々がパノラマのように見える。村にひとつしかない信号機を越えるとすぐに居酒屋があった。ご案内いただいたこの居酒屋は「漁師板前」を標榜。並べられた海鮮の魚はこの島の蔵が造る焼酎の最高の肴だった。翌朝、早めに目が覚めた。静かに外にでると、そこは霧の海だった。戦没者慰霊碑があるという古城跡の裏山に登る。碑には夕べいっしょに飲んだひとたちと同じ姓名が刻み込まれていた。内外の戦役だけではない、昔から幾たびの飢饉や災害によって島民は本土への移住を強いられてきた歴史を持っている。
霧が晴れて、海が透明に輝き始めた。まもなく船がでる時間だ。明るくなった山道を蔵へと降りた。フェリー乗り場では昨日からご一緒させていただいた方々が、姿が見えなくなるほどの時間、岸壁で見送って下さった。この島でのことは【光の中の甑島】に心を込めて書いた。


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268話 13.6.24
娘の酒、オヤジの酒 ....
渋谷に新しく開店した焼酎バー。カウンターの隅に座ってロックの古酒を啜っていると、若い男女三人がはいってきた。座ってドリンクメニューを指さしながらなにやら話し合っている。気になるので右の耳をダンボにして聞きいった。インターネットの掲示板でこの店の開店を知り、男友達を誘ってやってきたのは二人の女性のほうらしい。
 渋谷区円山町、あたりはあやしげなホテルだらけだ。男一人に女二人という組み合わせは絶妙だ。まず誤解されないでこの界隈を歩くことが出来るからなぁ。はじっこに座らされた若い男の子クンは「ボクは、なんでもいいです・・・」と小さな声でつぶやいている。「わたし、あれにする」マスターの後ろの棚を指さして松たか子似の女性が言った。え?あれは辛いぞ。地元のオヤジ達が飲む酒だぞ・・・。

「はい、真鶴ですね。ロックで?」「はい、お願いします」
「あれ、佐藤黒もあるわよ。いつもあれ飲んでいるのにサ、いいの?」とメニューを見ていたもうひとりの女性、加藤あい似のほうが言った。
「だって、見たこと無い焼酎だもの。試してみたいし」
松たか子が手に持っていた雑誌をカウンターの上に広げた。
 な〜んと、柴田書店の「薩摩焼酎 奄美黒糖焼酎」だ。「じゃ、わたしは佐藤ね。お湯割りでお願い」と加藤あいが言って、これも手にしていた雑誌を広げた。dancyu7月号、焼酎特集号だ。
 う〜む、彼女たちにとっての焼酎は、こじゃれたレストランの食べ歩きや秘湯を巡る旅と同じなのだろうか?これではただのブームぢゃないか・・・。

 まだ早い時間だったが、なぜか滅入ってしまったオヤジは、そうそうにそのバーを立ち去り、古い町、飲んべえオヤジの聖域、新宿荒木町へと向かったのだった。
いつもの焼酎居酒屋の扉を開けたら、そこはもうオヤジの聖域ではなくなっていた。
 十数席のカウンターが若い女性でいっぱいだ。かろうじてはじっこに席を貰って座った。彼女たちを見ると屈託のない笑顔ばかり。手元にはさっきのバーで見たのと同じ雑誌やムックを置いているのもいる。え?あの白い表紙は「焼酎楽園」ぢゃないか!あのマニアックな焼酎雑誌を、まるでananやhanakoのように手にして、かって花柳街だったこの界隈を、彼女たちは闊歩しているのだろうか?

「そうです。若い女性が増えましたね、たしかに」と亭主が言った。増えたって?ほとんど女ばかりぢゃないか!「薩摩茶屋」をお湯割りでいっぱいだけいただき、悄然として店をあとにした。営団地下鉄への階段を降りながら、つらつら考えた。女たちにとって、焼酎って何なのだ?酒とは何なのだろうと。

「酒について考える場合、女性の存在を軽視することはできない。いや、それどころか、つねに社会の中心と周縁にアンビバレントなかたちで存在して来た近代の女性たちこそが、我々の暮らしのこれからの鍵を握っていることは疑いない」そう力強く仰るのは、エッセイストの玉村豊男さん。
 氏が所長をつとめる酒生活文化研究所のリサーチによると、女性は男性よりもはるかに軽やかに酒を楽しみ、ネットワーク構築のツールとして活用しているという。(酒文レポートNumber3「女性のお酒が語るもの」より)

 男性より女性のほうが酒を楽しんでいた時代ってのはさすがにないと思う。ただ、わが国史の中で、女性と酒が強制的に隔離されたこともない。むしろ近代化以前においては、ごく普通に酒は女性にとっての楽しみであったし、暮らしになくてはならないものだった。
 江戸時代の文献を見ると、沖釣り(船の釣り)を楽しみながら酒をのむ旗本の奥方や、墨堤(大川=隅田川の土手)で花見に興じながら酒宴をたのしむ庶民の男女の姿もある。酒だけでなく、タバコ(煙管)もよく吸っている。われわれが考える以上に、ご先祖たちはおおらかな暮らしを楽しんでいたようだ。だが、これが明治になるとちょっと具合が悪くなる。

 進歩的で禁欲的な女性たちが、「お酒って、くさーい」とか「タバコを吸うなんて、やばーん」とか言い始めるのだ。近代工業国家をめざす明治政府にとっても、焼酎を飲んで元気をつける農家のかかあ連中より、進歩的職業婦人たちのほうが利用しやすかったのだろうな。かくして、労働力として農作を担っていた女性たちと酒、という図式は進み行く工業化社会のなかで朝霧のように希薄になり、やがて消えていった。

 さて、かっての土着的酒文化は地縁文化だが、インターネット時代、ケータイ時代の「酒」はどうだろう。一部の酒豪さんたちの間で、土曜の夜に行われているらしい「よくろいチャット」などというものがあるらしい。九州の海岸で宴会している飲んべえが、東京や関西で飲んでいるよくろぼたちと話す「よくろぼモバイル」なるものもあるとか(^^;) 

 地縁、血縁、社縁に対して、自分が選ぶ個の世界を「選択縁」と名付けたのはフェミニズムの旗手、あの上野千鶴子センセイだ。
 それにしても、学者ってのはワーディングが上手だね〜。鳴海邦碩氏の言う「第三の空間=自由空間」とほぼ同意のカテゴリーだと思う。(怒らないでください、上野センセイ。このへん、前出の酒文レポートの第4巻を参考にしています)

「選択縁」をほとんど無限の空間にまで拡大したのがインターネット。これについては酒亭の「本格焼酎ひとりごと」にも書いたことがある。逃避や平癒のための空間ではなく、さらにアクティブにテーマを追いかけてゆく同志たちが、距離を超えてリンクできるのがインターネットの強みだろう。わが薩摩の文化であり、基幹産業でもあり、そして多くの課題を包含する「本格焼酎」にとっても、インターネットは歓迎すべき変革をもたらしたと言えるのではないか。

 造り手と扱い酒店と飲んべえが同じ課題を同時に共有できるのは情報格差のないインターネットならでは。このところ、本格焼酎に関する雑誌やムックが矢継ぎ早に出版されており、その制作を多くの女性たちが担っている。読者もまた、好奇心旺盛な娘たちがかなりの部分をシェアし、したがって焼酎居酒屋は若き女性たちで溢れ、残業が終わってやってくるオヤジ達にはもう座る席が残っていないということになるのだ。悄然として家路につくオヤジ達に必要なのは、馴染みの居酒屋でのむ一杯の焼酎だというのに・・・(^^;)

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267話 13.6.10
爺さんの夢 ....この文章は「岸壁湯沸かし隊」の今週の一言コーナーに寄稿したものです。

 横須賀走水の船宿、関津丸。

 常連の阿爺は三日にいつぺんはこの船で釣る。釣り座はいつも大艫だ。
別にズルしているのぢゃないよ。なんといつても阿爺の家は船宿から歩いて3分。
前の晩に船に来てクーラーを置いていくのだ。

阿爺は酒が好きだ。釣り座の支度を慣れた手つきで整える阿爺。
その目の前には透明の平たひガラス瓶が置かれている。

船が岸壁を離れた。
鴎が上空で騒ぐ。今日の釣り場は大津沖、猿島まわり。
船長はここで釣るときはアンカーを打つのだ。

スパンカがかすかな風に鳴って、朝の眩しひ光が舷側にはじける。
阿爺が例のガラス瓶の蓋を捻つて開けた。分厚い手のひらに数滴の酒を落とした。
天に、海に、指で酒をはじいた。ケチだなあ。
天津神、海津神への祈念の御神酒としてはね。
阿爺はつぎに紙コップをとりだした。
左の席、つまり大艫二番のロッドホールにコップを押し込み、酒を注いだ。
天と海に捧げた酒の100倍くらいの量だ。
たつぷりと注がれたその酒は阿爺が飲むためのものと誰もが思ふ。
だが、一通りの儀式が終わると、阿爺はガラス瓶から直接飲み始めた。
一口のんでうまさうに溜息をつく。阿爺の左手はリールを押さへ、仕掛けは船縁にちやんと並べてある。船長のアナウンスがあれば、まつさきに投入し、最初に海底を撃つのはいつも阿爺の100号の行灯ビシなのだ。

船長が合図した。
釣り人たちは一斉に仕掛けを投入した。

このポイントは30メートルだちだ。
底から1メートルでコマセを振り、2メートル上げて待つ。
まもなくアジ特有の小気味の良ひアタリが竿先にでた。
阿爺はゆつくりと巻き始めた。巻きながら、隣を見る。
大艫二番では日除けをかぶつた老人が阿爺とおなじやうにゆつくりとリールを巻いている。
つひ一年前にその席で釣りながら死んぢまつたともだちだ。
あひかわらず、阿爺は一緒に釣つている。これからもずつと一緒に釣る。

船はお昼ちやうどに沖あがりとなつた。
第5関津丸はゆつくりと、もとの港に接岸した。
老船頭の熟練の操船だ。ぴたりと横付けしてロープが飛んだ。

左の胴の間にいた若い男女の釣り客がクーラーを持つて船から下りた。
二人だけの客を見送った老船頭は、艫の方を見て優しい目になった。
「阿爺、佐婆、どうだったかな・・・楽しかったかの」

                         をはり

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