14.4.7の手控えより
時に棲むもの
なんでも「一人前」になるには時間が必要だ。人間ももちろんそうだし、たとえば酒そして味噌、醤油にしても社会や経済の都合でインスタントに出来上がるものではない。(大企業の管理された工場で、高速醸造されるプロダクトはあるけれど)酒造りなら、麹や酵母が仕事をするのには必要な環境と必要なだけの時間がかかる。醤油のもろみが熟成するのにも長い眠りの時間が必要だ。その必要な時間に人が手を貸して最後のカタチをつくってゆく。
「金(かね)本位制」に堕落した現代日本の社会的価値観から「もの」を造ることへの「魂」が消えてひさしい。そして同時に「考える」スパンが短縮されたことも情けないことである。時間をかけなくては出来ないことを「現代」はその価値観から亡失してしまった。かすかに手造りの職人たちが、その「時間」を大切に受け継いできてはいる。薩摩を筆頭に、九州全域で500年続く焼酎造りの伝統もそうだ。そして焼酎と同じくらい長い伝統を伝える醤油造りもまた同じである。

昨日はよく晴れて気持ちのいい土曜日だった。午後からカミさんと一緒に、小江戸と呼ばれて親しまれている埼玉県川越市に出かけた。蔵造りの町並みを見に行ったのだ。行きは小生が運転、帰りはカミさんというワークシェアリングだ。どっかの議員さんとちがい、不透明性のない役割分担だ。そう提案したら、「どーせ、昼酒が目当てでしょ」とカミさんのするどい追求が・・・・・・^^;
カミさんや愚娘たちは、なんども来ているらしいけれど、川越の蔵造りの町並みを見るのは初めてだ。オリンピックと高度経済成長と役人によって滅茶苦茶に壊された東京の町には「もう、江戸の風情などというものは、ない(故池波正太郎氏)」けれど、それが川越には色濃く残っていた。もともと蔵造りは、防火を目的とした江戸の町屋形式だ。この残存する蔵造りの町並みをここの人々が地元の活性化のために積極的に活かそうと努力しているのが、そぞろ歩いて見物している小生たちにもよくわかった。町興しはインスタントにはできない。蔵造りの町並みを往時の様子に復元改修するにも、今風の建物を昔風に改装するにも、費用や納得や合意などと共に、長い時間がかかったにちがいない。そしてこれからも町の吸引力を確保するには継続的な努力が必要なのだろう。


川越蔵造りの町並み
川越ラーメンと芋餃子で昼飯をすませて(もちろん、昼ビールも)、仲町通りの醤油蔵、松本醤油商店に向かった。川越についてすぐに「たまり漬け」を買いに行ったのだが、そのときに見学の可否を聞いたら、「きょうは団体の見学客があるので、一緒に見学できますよ」と言われていたのだ。店先で団体の到着を待っている担当のかたと色々お話ししているうちに、団体の到着時間を過ぎてしまった。が、現れない。連絡もないらしい。20分過ぎたとき、「お待たせしてすみませんね。それでは、ご案内しますから、どうぞ」と担当の方がおっしゃった。恐縮しながらあらためてご挨拶した。ご案内くださったのは、松本商店の番頭さんで、内田さん。松本商店の前身となった蔵は、天保元年の創業というから、いまから170年ほど前だ。蔵の中をみせていただいた。大豆を蒸かす機械、小麦を煎ってザラメ状に砕く(カッサイ)装置、そしてそうやって拵えた原料を入れ、種麹(コクハンモヤシ)を付けて48時間で麹を作る山崎式自動製麹機などが配置してある。
蔵の奥まったところに、巨大な木桶がおびただしく並んでいた。
「この木桶のなかに塩水をいれておくのです」二日二晩で出来た麹を、塩水の入った木桶に入れ、発酵させ、熟成させるのだという。「この木桶は、どのくらいの容量なのですか」「30石です」カミさんが、30石って?と聞いたので、一升瓶で3000本と答えたら納得したらしい。
さすがにカミさん、一升瓶は見慣れている^^;
「何年前から使用しているのですか」
「170年です。はい、創業以来ということになります」
「新しく作った木桶はないのでしょうか」
「あたらしい、といってもずいぶん前のことです。近年にはないですね。職人がいないのですよ」そのずいぶん前、というのが何十年も前のことだろうとは察しがついた。さっき、お店で販売を担当していた中年のご婦人に同じ質問をしたのだったが、ご婦人は記憶にないとのことだった。
「なにしろ塩分がありますから、タガが錆びて腐ります。それを補修するにもなかなか」
「竹のタガなら腐食しないのではないですか」
「そうですね。でも、100年以上たつとこうなってしまうのですよ」内田番頭さんがゆびさした木桶をみるとたしかにタガが緩んで下がっている。
その木桶を補強している鉄のタガは崩壊寸前の錆びようだった。鉄部だけではない。木桶の表面もぼろぼろだ。
オケの底部には7トンもの圧力がかかるという。大丈夫なのだろうか?蔵の高い梁、棟木を見上げると、がっしりとした太い木材で組まれていた。年月を感じるその蔵の奥や木組みには、たしかに生き物の気配がする。
「ここには50種以上の酵母が棲み着いています。名前がわかっている酵母だけで38種類です」内田さんがそういって、「蔵の癖といいますか、うちの醤油の香りやうま味を造ってくれるのは酵母たちなのですよ」
しみじみと蔵の中を見渡した。

松本醤油商店店舗正面


ご案内くださった内田さん

竹や鉄のタガばかりか、表面にも年代が。
「造りでは何が一番気を使うところでしょうか」とお聞きしたら、すぐに返事が返ってきた。「温度管理です」そして、夏の間は、木桶の中の塩水の温度が上がりすぎてモロミの発酵がコントロールできない、仕込みができないので、蔵の仕事は搾りと瓶詰めなのですよとおっしゃった。自然とともにある仕事なのだ。酒造りと変わることはないのだなとしみじみ思う。
一般に醤油は一年以上の熟成を必要とする。この蔵では熟成には二年という時間を与えるのだと言う。搾りは清酒蔵のものと同じ「船」にモロミを入れる。搾りたての醤油はどうなのでしょうかと聞いたら、「甘いです」とのお答え。いろいろな菌が生きて活動しているので、甘く感じるのだとか。火入れしてはじめて醤油の味になるらしい。85度で30分の火入れが終わり、放熱して濾過するまでにさらに10日かかる。
170年のあいだ働き続けている木桶の中で、二年間熟成してやっと光を浴びるモロミが醤油となり、最後にポンプで運ばれるのは蔵の二階だ。ここに貯蔵された醤油は「自然落下方式で、瓶詰め機械に流れてくるんです」とか。
小規模な蔵である。瓶詰め機械も、薩摩の焼酎蔵でみたのとほとんど変わらない小さなものだった。
ここが蔵の出口だった。
すでに通常の見学時間の倍、一時間ほど過ぎてしまっていた。 蔵の溶暗と言っていい暗さに慣れた目に、外の光が眩しかった。内田番頭さんにご挨拶したとき、販売所のほうからご婦人が駆けてきて、
「団体さんが見えました、いま」

気の毒な番頭さんはそれでもにこやかに、また見学コースの入り口に向かっていかれた。長い時間ありがとうございました。

お店のほうでご婦人がお茶を出してくださった。たまり漬けを試食しながらお茶をいただいていたら、店内に不思議なものがあるのに気付いた。大口の郡山八幡神社の木簡を思わせる書き付けだ。
タテに長い木片に墨痕鮮明に何かが書いてある。
よくみると醤油の木桶を作ったオケ職人が桶を組む板の側面(組んだら見えないところ)に自分たちの名前を書いたものらしい。天保二年(1831)の日付がある。ふ〜む、老中水野忠邦が登場して江戸やその近隣の都市が火の消えたような不景気になるにはまだ時間がある。(内輪話題ですが、かの船越平二郎が任務を終えて隠居したころ。まだまだ時代も明るく、ご先祖様たちが江戸の暮らしを楽しんでいたころだ)この蔵の、創業二年目の年である。
蔵に勢いがあり、木桶もどんどん作っていたに違いない。
ふと、木を削り、タガを打ち込む小気味のいい音や、職人の威勢のいい声が一瞬聴こえて、消えた。

時代、ひと、自然、作るということ、守るということ、いろいろなことを考え感じさせてくれた一日だった。お土産に超特撰はつかり醤油のミニチュア瓶をいただいて蔵を後にした。
この下のほうに、職人の名前が書き付けてある


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