短編ミステリー【8人の淑女】その6

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  園 子 ◆ ドランカー

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 園子さん、お酒を召し上がってらっしゃるの?すこし匂うけど、と姑(しゅうとめ)が眉をひそめた。

「あなた、お酒はだめだったはずよね」

 ご近所のお通夜に行ってきたばかりなんです、と園子は答えた。

 駅には案内の人も出ていただろうし、家の前の電柱にも案内のビラが貼ってあったから姑も目にしたはずだ。

「世話役のかたにお清めだからって勧められたんです。たったお猪口一杯で、わたくし頭が痛くなりましたわ」

「そう、近所づき合いも大変ねえ」

 壁に掛かっている園子の喪服を横目で見ながら、姑はそう答えたが、だからといって別にお酒を飲まなくてもいいでしょうにとぼそぼそつぶやいたのが園子に聞こえた。

「突然来るんだもの、驚いたわねえ」

 同じ町内だからというだけで、別に付き合いもない家のお通夜だったのだが、

「不謹慎だけど、ちょうどお通夜があって助かったわ」

 そう言って園子はひとり笑いをした。

「昼間っから飲んでいたなんてバレたら大変・・・」

 園子の夫は都心にある百貨店の警備室に勤務している。毎週土曜日が遅番の勤務だ。

 姑が帰っていった後、夜遅くかえってくる夫のために、夜食のしたくをしながら、園子は缶ビールを開けた。

「もう7時だわ。酔いをさましとかなくちゃ。このビールでお仕舞いにしましょ」

 それでおしまいになるわけもなかった。

 毎週土曜日は夫の遅番の日だ。

 きょうも園子は夫のために夜食の準備をしながら一杯やっている。

 飲む理由があるから飲むのよ。それがホントになくなったら、お酒なんてすぐ止められるのよ、と園子は思っている。

 そういう園子には恐いものがあった。

 姑にバレてしまうことである。

 姑は、酒で体を壊してしまった舅の看病で疲れはて、園子の夫にもかたく酒を禁じているほどだ。夫は、じつはいける口なのだが、決して酒の香を帯びてうちに帰ってくることはない。一駅隣りの町に住んでいる姑が、抜き打ち的にやってくるからだ。

 だが、園子が一番恐れているのは、姑ではない。それは、飲む口実がなくなることだった。

 風邪が治ったから一杯。

 天気がいいし、気分がいいから一杯。

 お隣さんから戴きものがあったから一杯。

 夫が遅くなる日、ひとりでご飯を作りながら一杯、食べながら一杯。

 その一杯がおいしいので、もう一杯。

 これでは、口実がなくなるわけがない。

 だから、いつまでもお酒はやめられない。

 どのくらいの時間が過ぎたのだろう。ハッと気が付くと、園子は右手に包丁を持ったまま、台所に立ちつくしていた。

 右手に包丁、そして左手にもっているのが魚や野菜なら問題はなかった。

 しかし、その時、園子が左手に持っていたのは、そんなものではなかった。

 遅くなる夫のために、園子は夜食の準備をしながら、ビールをすこしづつ飲んでいたはずだった。

 どのくらいの時間が過ぎてしまったのか。

 ハッと気が付いたとき、園子は右手に包丁を持ったまま台所に立ちつくしていた。そして、園子が左手に持っていたのは、野菜でも魚でもなく、2合入りの焼酎のビンだった。

 包丁で魚をさばきながら、左手をのばして、焼酎のビンをとり、ビンからじかに飲みつづけていたのだった。

 まな板のうえの魚はすでにミンチ状になっていた。

「塩焼きにするつもりだったのに」

 おいしいね、このアジのつみれ。夫が誉めている。

 園子は野菜を盛りだくさんにした小鍋にアジのつみれを入れながら、

「でしょう。鮮度のいいアジがあったのよ。野菜もたくさんとらなきゃね」

 そういって笑った。

 次の土曜の夕方、また遅くなるという夫のために簡単な夜食の用意をしようと園子は台所に立っていた。

 まだ、暗くなるまでは間がある時間だった。赤みをおびた夕日が、台所の窓から明るく注ぎ込んでいて、気持ちのいいひとときだった。

 こんな気持ちのいい時間には、一杯いかなきゃね。

 

 ハッと気がつくと、もう、明かりなしでは手元も見えないほど暗くなった台所に園子は立っていた。右手には包丁をもっている。

 そして、左手の感覚が妙だった。

 おいしいね、きょうのつみれも。ちょっと骨っぽさが残っているところが、味わいだね。と夫が誉めた。

 園子は爪をほとんど削(そ)ぎ落としてしまい、ひりひりと痛む左手の人差し指と中指を押さえながら、

「でしょう。カルシウムもとらなきゃあね」と言った。

 その次の土曜日は雨だった。肌寒いほどの気温である。

 台所で食事の準備をしながら、園子は、一度は缶ビールを手に取ったが、

「ビールを飲むにはちょっとねえ。日本酒なら冷やでもいいわね」と思い直した。

 

 どのくらい時間がたったのだろうか。ハッと気が付くと、雨は豪雨となり、轟音をたてて台所のガラスを打っていた。もう暗くて何も見えない。

 揚げ物鍋の油が煮え立っている。右手には包丁を持っていたが、また爪を削いでしまったらしい。左手の指先が熱っぽく痛む。

明かりをつけると、台所の床に日本酒の5合ビンが空っぽになって転がっていた。そしてまな板の上には・・・

 まな板の上のものが朦朧とした園子の目に次第にはっきりと見えてきた。それとともに、左手の痛さがつのってくる。

 こんな時は強いのでないとね、そうつぶやきながら、園子は流し台の下からブランデーのビンを取り出した。コルク栓を歯でぬきとり、喉にその強い酒を流し込んでゆく。 

 園子はまたひとつ口実を見つけてしまった。

 だからお酒って止めたくてもやめられないのよね。

 チャイムが鳴った。

「ただいま」

 夫の声がした。

 園子はあわててまな板の上のものを揚げ物油の鍋にほうりこみ、

「お帰りなさい。はやかったわね」と玄関にむかって叫んだ。

「うん、おふくろと駅で会ってね、一緒に帰ってきたんだ。お、いい匂いがしているね」

 玄関のドアが閉まった。