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短編ミステリー【8人の淑女】 その3

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春 奈 ◆ 湯気のような一夜

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 雪は静かに降り続けていたが露天風呂に沈めた体は暖かく、湯気のなかにストレスがとけてゆくようだった。

 しまった、お酒を頼んでくるんだったわと春奈は後悔した。

「お湯に浮かべて飲む酒は・・・最高なのに」

 湯から上がって部屋に帰ったら、女中が布団を敷いているところだった。春奈がお酒を頼むのを忘れたとぼやくと、

「でもね、温泉の中でお酒を戴きすぎると大変なことになりますよ」

 今朝も丹前姿の死人が半分凍った側溝で見つかったらしい。

「酔っぱらって、夜の街を歩いて雪の中で寝込んでしまったらしいのよ」

 そういって女中は、近くの商店街にお土産を探しがてらいってみたら?抽選で商品券が当たるらしいわよ。大売り出し中だってと春奈にすすめた。

「こんな雪の温泉郷まできて、売り出しっていってもね。でもまあ、雪景色の中を散歩するのもいいかもね」そう思って春奈は出かけることにした。

 その抽選は、仕出し屋の隣の空き地に建てられたバラック小屋の景品交換所でやっていた。

 手書きのポスターが貼られてある。

『100万円分の商品券が当たる!しかも10名さまに!』筆で太くかかれた文字の横に、豆腐のようなカットが描き添えられてあったが、それは豆腐ではなく、札束のつもりらしかった。

「公正取引委員会なら黙っていないところね。景表法違反だし、それより詐欺の気配がするわね・・・」春奈は首をかしげた。

「100万円が10本?って、1000万円よ。このこのさびれた商店街で出せっこないわ。それに景品総額って総売上げのたしか2%以内のはずだわ。セール期間中に5億円どころか2億円もいかないでしょうよ。いいえ、1億円だってあやしいものだわ」

 春奈は都内にある広告代理店のマーケティングセクションに勤めている。販促企画を担当しているからこういうことには詳しいのだ。

 抽選所の裸電球の下に坐っている初老の男は、手持ちぶさたな様子で、週刊誌を読みふけっている。その隣には、大きな木製の手回し抽選箱があった。

「なにこれ。原始的ね。ガラポン抽選器だわ」

春奈の視線を感じて、その男が週刊誌から目をあげた。

「お嬢さん、せいぜい買い物して抽選してよ!お土産ですぐ一万円くらいは使っちゃうよ」

「え?1万円以上買わないと抽選できないの?」

うさんくさいわねえ、絶対インチキよと春奈は思った。

「アタリは、何色の玉なの?」

「え?そうだね、ああ、金色だったかな」

 男は慌てていった。聞かれるとは予想もしていなかったという感じだ。

「もう何人かアタリが出たのかしらね」

「そうだ、もう6人でたが、あと4人分残ってるぞ。いまのうちだよ」

「ほんとにあと4つ、金色の玉がはいってるのね?」

「なんだよ、変なことを聞くなあ。ここの商店街の売り出しで、インチキでもやってるってのかい?」

 返事もせず背中を向けて歩き出した春奈を、その男はじっと見つめていた。

 土産物を買った合計が2万円を越えていたので、春奈は抽選所に足を運んだ。さっきとは違う老人が抽選所にすわっていた。もう仕舞うところだったよ、とその老人がいって抽選券を春奈からひったくり、抽選箱のほうをあごで示した。

「さあ、はやく頼むよ。2回だよ」

 一回目は白い玉だった。老人が6等だとつぶやいた。タオルだという。

 そして、春奈が二回目を回したとき、輝く金色の玉が転がって出た。

「やった!100万円だ!信じられないわ!」

 抽選係の老人は、きょうはもう商店街事務所は閉まっているから、あしたまたきてくれといって、抽選所のドアを出て外から鍵をかけた。そのまま行こうとする老人の袖を春奈は引っ張った。

「わたしが100万円に当たったという証拠を貰わない限りだめよ。あたりまえでしょ」と叫ぶようにいう春奈に、じゃあと言って老人が名刺を取りだした。

 春奈は、商店会副会長の名刺に、100万円の商品券をこれと引き替えに渡すと書いて捺印したものを受け取った。大事に財布に入れ、丹前の袖に仕舞う。

「まったく、きょうこの時間になってからアタリが出るとはなあ」副会長の老人は、そうつぶやきながら歩き去り、やがて闇のなかに姿を消した。

 春奈が歩き出したとき一人の少年が近寄ってきた。自転車の荷台にカゴが縛ってあり、なかには野菜が積み上げるように沢山はいっていた。

「うちの野菜を買ってくれ。おいしいよ、おねえちゃん」

「バカね、観光客よ、わたし。野菜なんか買ってどうしろっての?あっちにいけば」

 うなだれて去っていく少年を見送って、春奈は頭の横で指をくるくると回した。

「どうかしてるわよ」

 その時、さっきのお嬢さんじゃないか、と春奈のすぐ側で声がした。驚いた春奈に、

「頼むから、わしの店でなにか買ってくれんか。街でたった一軒の電気屋なんだ」

 そう声を掛けたのは、さっき抽選所で週刊誌を読んでいた初老の男だった。 

 店から身を乗り出して、春奈を手招きしている。

「ほら、そのパソコンなんかどうだい、やすくしとくよ」

 男が指さす先には、リンゴのマークが描かれたノートブックパソコンがあった。

「パワーブックの2400Cか。ちょっと古いわね。ま、値段次第ってとこかしら。そうね、いまなら10万円は切って貰わないとね」

 男は頷いて、10万円ちょうどでいいよ、良かったら外出し用にモニターもつけるよ、14インチだけれどと言った。春奈はすこし古いが欲しかったそのマックを買うことにした。

「お宅に送るよ。10万円は明日でいいからね」

 あすまた来てくれるね、そう確かめるように言って、電気屋が頭を下げた。春奈は嬉しさを隠して店を出た。

「やったね!2400Cってもう売ってないし、あっても20万はするわね。ふ、ふふ」

 宿に続く橋の近くに来たとき、さっきの物売りの少年が近づいてきた。まだ重そうに自転車を押している。道の左側は深い谷になっていて、そこだけはガードレールがなかった。あぶないわね、と春奈は慎重に下駄を履いた足を運んだ。

 その途端、少年の自転車の前輪が小石を踏んで横にずれ、バランスを崩した少年が春奈のほうに倒れかかってきた。

「あぶない!」

 少年の手を放れた自転車が、春奈の脇をかすめるように谷底へ落ちていった。そのはずみにハンドルで脇腹を打ってしまった春奈は、たまらず谷川側に足をすべらせてしまった。

「あ、ああっ!」

 あわてて伸ばした手が路肩にあった枯れ木の根本をつかみ、春奈は宙づりになった。

「た、たすけて!」

 叫ぶ春奈の顔を見て、駆け寄った少年が歯を見せた。

「ひきあげてやってもいい。10万円だ」

 そんな、でもしかたがないと春奈は必死でうなずいた。

「よし、ひっぱるよ」と少年が春奈を引き上げた。

 荒く息をつく春奈の目の前に、少年が手をだしている。

「さあ、10万円もらうよ。約束だ」

 春奈は金切り声をあげた。どうかしてるわ、まったく。

「馬鹿いうんじゃないわよ!そっちが悪い癖に!なんなのよっ」

「10万円払うっていったじゃないか!」と怒る少年にかまわず、春奈は真っ赤な顔で息をつきながら、宿へと歩き始めた。その春奈の丹前の袖を少年が引っ張る。

「くれよ、10万円。助けてやったんだ」

 春奈は財布から出した1万円札を投げるように少年に渡して叫んだ。

「あっちへおゆき!これ以上つきまとうと警察を呼ぶわよ」

 行く手に、居酒屋のあかりが見えた。引き戸の曇りガラスから黄色い明かりが漏れ、また降り出した雪を照らしている。

「ゲンなおしに一杯やってゆこうかしらね。まったくとんでもない町ね」

 ぐちりながらも、当たった100万円のことを思い浮かべて、春奈は薄く笑った。引き戸を開け、醤油の焼ける香ばしい香りをかぐともうツバが湧いてきた。

「勘定は10万円です」

 ここちよい酔いが一瞬にして醒めた。なんだって、10万円!

「冗談じゃないわ、ぼるつもりなのね。わたしを観光客の小娘だとバカにしてるの?警察にかけ込むわよ!」

 そう啖呵を切って春奈は店を飛び出した。1万円札を土間に投げ出し、音をたてて引き戸を閉める。これ以上一分もこの町に居たくないわ、宿に帰って寝て、明日金を受け取ったらすぐに帰るのよ。店を出るとき下駄を飛ばしてしまい、春奈は片足が裸足のままだった。もう一方の下駄も捨てて、春奈は宿へと向かった、はずだった。

 雪が強くなっていて春奈は迷ってしまったらしい。だんだんと白く消えて行く風景の中で、春奈は突然足の切れるような冷たさに気がついた。

 その時、どうしたんじゃ、道にでも迷ったのかのうという声が後ろから聞こえた。振り向くと、手拭いを頭に巻いた、腰の曲がった老人が立っていた。

「ちょっと道を聞きたいんだけれど、迷ったみたいなのよ、わたし」

 春奈は心の中でホッとしたが、この油断のならない町のことを考えて、すこし冷たく答えた。

「いいよ、教えてあげるとも」指を一本立てて、「すこし小遣いをくれないかね」と爺さんがいった。

「タバコがほしいのだよ」

 春奈は今度こそホッとした。

「あのガキも、フザけた居酒屋もこのくらい可愛ければね」

 この道をまっすぐいって、最初の角を右へ曲がってな、あとはまっすぐじゃ。この草鞋をはいていきなさるがいい。そういって老人が渡してくれた草鞋を履き、春奈は財布をとりだした。

「助かったわ、お礼よ」

「なに、その草鞋はサービスでいい。じゃあ、約束通り10万円貰おうかの」

 笑いながら春奈は千円札を老人に渡した。まただわ、なんてとこなの。

「千円だと。わしは一本といったはずじゃ。一本と言えば10万円に決まっている」

「馬鹿いってるわね、あんたも。爺いのくせにあいつらとおんなじね。一体どうなってるのよ。ここ?」

 千円札を老人に投げ与えて、春奈は歩き出した

 後ろ姿を見送りながら、老人がつぶやいた。

「あ、右というたかなあ、わしも惚けたな。反対じゃった。あれでは、あのおなごは、山のほうへずっと歩いて行くことになるぞな」

 そのとき、どこからともなく低い話し声が響いてきた。

「おいおい、まだちょっと早いんじゃねえのか。まだ半分以上の60万円分の猶予があるはずだが」

 その声を打ち消すように、

「いや、あの女はもうダメだろう。ここらでツケ売りは打ち切りだ。そういえばパソコンの送り先をまだ聞いていなかったな。現金を貰った訳じゃないし。ま、いいか。ふ、ふふ」

 その短い話し声が春奈の耳に聞こえるはずもなかった。外はすでにごうごうと吹き荒れる雪嵐になっていた。

 雪が止んだ。朝の日差しが障子を貫いて、部屋の中程まで差し込んでいた。 

 宿の女中が、使われなかった布団を畳みながらひとりごとを言った。

「あのお客さんも同じだったね。まだ100万円を使いきった人がいないのねえ」

 女中の耳に歌声が聞こえてきた。

 朝湯の湯気の中で、少年と爺さんが歌を歌っている。

 そのとき、宿の玄関先に車が止まる音がした。お客が着いたのだ。

 さ、きょうの客はどうかな。