アートと福祉を巡って

アートセラピーについて


アートセラピー(芸術療法・芸術心理療法)と呼んでいるものには、美術・音楽・ボディーワーク(身体表現)etcいろいろなジャンルがあり、またその中も、いくつかの領域に分かれているようだ。


そしてその対象も、身体に障害をもつ人・知的障害をもつ人・老人・
治療の一環としてのリハビリを受けている人・こころの病を患っている人・
ストレスを感じている人等多種多様である。



ただ、私には、ちょっと気になっていることがある。
それは、”セラピー”という言葉の定義が、
あまりに広義で曖昧であることだ。

本格的な治療、療法といえるものと、癒し(ヒーリング)の意味で
用いられるときと、アーティストと交流する活動そのものをも
指す場合もあるようだ。また、カウンセリングとの境界線も
近くにある。


治療するということは、目的があり、効果を期待する
意味があると思う。



私は、芸術に関してセラピーとか療法という用語を用いるのは
どうもしっくりこない。
というのは、そもそも芸術はひとのこころに働きかける作用を
もっているからだ。
そしてその作用は、ひとりひとりの個性に応じて、決して
画一的ではないはずだ。
感性とはそういうものだと思う。



芸術にふれることで、ひとは様々な感情がわきあがる。
ある人は、それで遠い日の悲しみがわき、ある人は、それで
希望がもて、そしてある人は、その結果、たまたま
病状が好転しただけのことではなかろうか。



私の勉強不足故、こんな大ざっぱに考えてしまうのかも
しれないが、ともかく私は、アートに関して
”○○は、「「にこんなに効果があるんですよ。”
というニュアンスで語るのはとても気恥ずかしいのである。


----もし、私の気持ちを理解して下さる方があれば、
もっとピッタリする言い回しを、
考えていただけないでしょうか?----------





いずれにせよ、”セラピー”については今のところ、
定義も資格制度も曖昧で、手探り状態なのかもしれない。

しかし、”セラピー”が、ちょっとしたブームにもなりかねない
今こそ、各々の領域できちんとコンセンサスをとっておく必要が
あるのではなかろうか?



セラピーを必要としている人たちが、芸術活動とふれあい、
交流し、体験することが有意義であることは、誰しも
反論の余地のないことだと思う。



そもそも人と人がふれあうときには、こころのキャッチボールが
相互にひろがっていくものだ。
決して押しつけの一方通行であってはいけない。
そこには、セラピスト自身の本来のセンスが不可欠のものと思う。
そして、最低限の知識も、当然必要とされるだろう。

元来、それほどセンシティブな行為だと思う。



各々の病気の種類、程度、そして、その時のその人の要求に
合致したものこそ、セラピーと呼べるのではないだろうか。



セラピストと称する人は、----勿論みなそれぞれ、よかれと
思ってやっていらっしゃることは、十分承知の上での
ことだが----今後、混乱を招かないためにも、
自らの背負える範囲を明示し、受ける側も、
自分にあったものを選択できるようになることを
願っている。





余談になるが、アーティストの社会的役割について
考えていたときがあった。


アーティストと社会との接点は、ふつう、その作品を通じての
ものである。
しかし、その多くは、様々な娯楽の発達もあって、
とても小さな接点になってしまったような気がする。
(特に現代○○というジャンルにおいては・・・!)



領域を越えたアートの交流は、昨今よく行われていると思うが、
(いわゆるコラボレーション)、アーティストは、本来の
各自の芸術活動だけでなく、もっと領域を広げ、福祉・医療・
教育・科学などと、まじりあうことで、大きな力を発揮できると思う。
そうして、お互いの積極的な交流は、互いの理解を深め、
ダイナミックな相互運動が生まれてくるのではないだろうか。
  


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