以下は、本判決に関してNY在住のジャーナリスト北丸雄二氏が書いた文章です。本判決に対する、きわめて的確な批判です。

 

ゲイ団体などが長く支援してきたイラン人同性愛者のシェイダさんの難民認定裁 判 で、2月25日、東京地裁の市村陽典裁判長、および石井浩、丹羽敦子の両陪席 裁判 官がシェイダさんに「死刑」に等しい判決を下しました。私は鳥肌が立ちま した。
朝日のサイトから引用します。

「同性愛は死刑」とイラン人の難民申請、東京地裁退ける

 「同性愛者の自分が強制送還されると本国で死刑になる」と言って、イラン人 男 性(40)が、政府に強制退去処分の取り消しなどを求めた訴訟の判決が25日、 東京 地裁であった。市村陽典裁判長は「公然と同性間の性行為をしない限り刑事 訴追さ れる危険性は相当低く、迫害を受ける恐れがあるとは言えない」と述べて 本国への 送還を適法と判断し、原告側の請求を棄却した。
 同性愛者を難民と認めるかについて初の司法判断となった。原告側の代理人 は、 欧米では、自国での同性愛者に対する迫害を理由に難民と受け入れる例が相 次いで いるのに、人権を無視した判決だとして控訴する方針を明らかにした。
 判決によるとイラン人男性は91年に来日。そのまま不法残留し、00年に出入国 管 理法違反容疑で逮捕された。このあと強制退去処分の手続きが始まったため、 難民 認定を申請したが認められなかった。
 市村裁判長は、イラン刑法では男性同士が性行為を行い、それが4人以上の目 撃 証言で裏付けられると死刑になるとし、最近も2件の死刑が報道されたことを 認定 した。
 しかし、男性が来日前は同性愛者であることを隠して普通の生活を送っていた こ とを踏まえ「訴追の危険を避けつつ暮らすことはできる」と指摘。「自分が望 む性 表現が許されないことをもって難民条約にいう迫害にはあたらない」と判断 し、原 告側の主張を退けた。

 様々な所与の環境をすべて認定した上での本国送還。市村裁判長、石井・丹羽 裁 判官の認識になにが欠落していたのか。それは、「自分が望む性表現が許されないことをもって難民条約にいう迫害にはあたらない」という文言からわかるよ うに、 同性愛を、望んだり望まなかったりできる「性表現」でしかないと信じて いることの誤謬なのだと思います。

 朝日の記事にない部分の判決文で、それはこう言われています。「国民の性表 現 について、いかなる規制を設けるべきであると考えるかは、当該国における風 俗、 習慣、社会情勢などを背景として形成される国民全体の価値観によって異な るもの であるから」と。

 私は目を疑いました。これとじつによく似た日本語表現を、かつて何度も目に し たことがあるからです。それはいずれも猥褻裁判の判決文でした。つまりこれ は、 裁判でポルノを定義するときの常套句なのです。
 同性愛とポルノを同じ次元で論じる? いったいどこの国のいつの時代の話な のか?

 ポルノは「性表現」ですが、同性愛は「性表現」ではありません。その辺の基 礎 的な認識の、取り返しのつかない間違い。あるいは、認識自体の不在。ほんの ひと かけらの知性と想像力があれば、裁判の過程で披瀝された性指向としての同 性愛 が、性指向としての異性愛と対になっている存在であるということがわかろ うもの なのに。市村さん、あんた、異性愛者にも同じことを言えますか? 女が 好きなこ とを、決して表現してはいけないと、おなじそのツラ下げて言うおつも りか?

 「公然と同性間の性行為をしない限り刑事訴追される危険性は相当低く」とい う のは、無知です。米国でのソドミー法の例をとるまでもなく、ソドミー法とい うの は一般に、「同性愛」という頭の中のことを裁けないがために、その“次 善”の策 として、同性間性行為を裁こうというものです。頭の中を裁けるものな らやつらは ほんとうはこの愛を裁きたい。だからオスカー・ワイルドは裁判でそ の愛を名前で 呼ぶことを避けたのです。あえてその名を呼ぶことをしない愛 (The love that dare not speak its name)、とはそういうことなのです。

 そうしてソドミー法はその刑罰の対象である性行為をはるかに突き抜けて、そ の 人間全体を否定するように機能するのです。そこにあるのは神への罪です。大 文字 のSINです。このSINNERに対して、迫害がない? 訴追の危険を避けられ る? 避けてそこにあるのは、法ですらないリンチです。よもや日本でも大きく報道されてい る保守派の巻き返し著しいイランの最新情勢を知らぬわけではありますまい。また、駐日イラン大使館がこのシェイダさん裁判に注目していないと はどの頭をもってしても言えますまいに。

 送還先のイランにあるのは準軍事組織までをも動員してイスラム体制の強化を図 る、それ以外の者たちへの排斥と私刑です。リンチ以上に卑劣な迫害の名を、 たったひとつの例でよい、歴史上、挙げられるものなら挙げてみてほしい。「4人以上 の目撃証言」など、それをねつ造することこそがアラーへの忠誠だと叫び 上げるよ うな社会に送り返すというのは、コロセウムで奴隷たちをライオンの前 に引きずり 出すのと同じ手口です。そうして彼らを殺したのは私ではなくライオ ンだと言い張 るのです。市村さん、あんた、その後でピラトよろしく手をすすぐ のか?

 判決文で、朝日の記事が刈りまとめた結論部分は正確には次のようなものでし た。
 「また、原告はイランにいた当時、同性愛者の権利擁護のための政治的な活動 を していたわけではなく、原告が主張する政治的主張を表明する行動をとったな らば 迫害を受ける恐れとは、将来イランにおいて、そのような活動を行った場合 には発 生するかも知れない仮定的なものに過ぎず、これをもって、難民条約1条 A2の規定 する『政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由の ある恐怖』 が存在すると認めることもできない。」
 なんという貧しい日本語でしょう。

 まず一つ。原告すなわちシェイダさんが、「イランにいた当時、同性愛者の権利擁護のための政治的な活動をしていた」らそもそもこの裁判は発生していませんでした。なぜなら、彼はいまごろ死んでいるだろうからです。したがってこれを前提として記述している判決文のこの部分は、その意味するところが著しく錯乱してい るといわざるを得ません。

 二つ。「原告が主張する政治的主張を表明する行動をとったならば迫害を受ける恐れ」とは、すでにこうして裁判を通して表明している「政治的主張」が存在するのだから仮定法で記述すべきではない既成の事実です。法廷の、自分たちの 目の前 で起きていることを認識することも記述することもできない裁判官とは いったい何 者なのか。

 三つ。さらにその「原告が主張する政治的主張を表明する行動をとったならば迫害を受ける恐れ」という部分と、「そのような活動を行った場合には発生する かも 知れない仮定的なものに過ぎず」という記述は、絵に描いたような同意反復文であ って、自分で仮定しておいてそれは仮定の話だと言っているに過ぎないおよそ意味のないものです。したがって、その回文の中で(どういうわけか)辿り 着いた「仮 定的なものに過ぎず」という結論めいた述語は、「難民条約1条A2の 規定する『政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある 恐怖』が存在す ると認めることもできない」という部分のなんらの理由付けにも なり得ないので す。

 したがって、二つ目で指摘したすでに仮定ではない「政治的主張」の事実に よっ て、この三つ目で指摘した結論はたちまちオセロゲームよろしくひっくり返りま す。つまり、「原告はすでに政治的主張をしており、その政治的意見を理由に迫害を受ける」と。これは解釈の問題ではありません。これは厳密な論理の問 題です。

 こんなに腹立たしく、こんなに情けなく、そうしてその貧相さゆえにこんなにも身の毛のよだつ判決を私は久しく知りません。「イランには同性愛者への死刑がない」というのではないのです。そういう種類の無知蒙昧ではない。「最近も 2件の 死刑が報道されたことを認定した」上での、確信犯的な無知の選択です。 アムネスティなど先進的国際社会がすでに明確に認定している事実への敢えての無視です。 もし頭の中を裁けるのなら、私は市村さん、私こそがライオンになって、あんたのその無知と怠慢と、そうしてその無知と怠慢をどうにもしようとしないあんたのそ の持続的な努力とを、この歯でぎたぎたに引き裂いてやりたい。 なぜならこのこねくられた判決文は、この国にいるすべての同性愛者たちに対する、この世界のすべ てのクイアたちに対する、あなたも死んだほうがよいのだという、じつにおぞまし い挑戦に他ならないからです

 シェイダさんは次のような声明を出しています。
 「人権が認められていないこの国で、私が裁判で勝訴判決を得ることが出来る と は、そもそも考えていませんでした。ですから、敗訴判決を受けたからといっ て、 私は何ら失望していません。今後は日本ではなく、難民の人権を守る国を探 したい と思います。」
 彼に失望さえさせなかった「この国」の裁判官に、私は深く怒っています。



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