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Review: Бахтиёр Худойназаров [Bakhtyar Khudojnazarov]: Братан [Brother] 『少年、機関車に乗る』 (映画); Бахтиёр Худойназаров [Bakhtyar Khudojnazarov]: Кош ба кош [Kosh ba kosh] 『コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って』 (映画); Бахтиёр Худойназаров [Bakhtyar Khudojnazarov]: Лунный папа [Luna Papa] 『ルナ・パパ』 (映画); Бахтиёр Худойназаров [Bakhtyar Khudojnazarov]: Шик [The Suit] 『スーツ』 (映画); Бахтиёр Худойназаров [Bakhtyar Khudojnazarov]: В ожидании моря [Waiting for the Sea] 『海を待ちながら』 (映画)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2023/06/20 (06/27追記)

渋谷ユーロスペースで、 中央アジア・タジキスタン出身で1993年に内戦の故郷を離れベルリンへ移住した 映画監督 Бахтиёр Худойназаров [Bakhtyar Khudojnazarov] の特集上映 『再発見!フドイナザーロフ ゆかいで切ない夢の旅』 が開催されました。 20余年前に Лунный папа [Luna Papa] を観て [鑑賞メモ] 気に入っていたものの、他の作品を観ていなかったので、これを機会にまとめて観てきました。

Братан [Brother]
『少年、機関車に乗る』
1991 / Таджикфильм [Tajikfilm] (CCCP) / B+W / 1:1.33 / 98 min.
Режиссёр [Director]: Бахтиёр Худойназаров [Bakhtyar Khudojnazarov]

ソ連崩壊直前の1991年に公開されたモノクロの長編第1作です。 母は亡くなり田舎の母方の祖母に預けられた兄弟が、機関車に乗せてもらい、都会に住んでいる父に会いに行くというプロットです。 兄は十代後半に差しかかり、独り立ちするには、面倒見ている弟が疎ましくなってきています。 そこで、父に弟を任せようと、運転手に頼んで機関車に乗せてもらい、弟を連れ都会へ向かいます。 父に会ってみると、知らない女性と暮らしており、弟を父に任せようにも断られ、気持ちもすれ違っていきます。 そして、父の元に弟を置いたまま行きに乗った機関車で帰ろうとするも、いつの間にか弟も貨車の荷台に忍び込んでいて、結局一緒に戻ることになります。

そんな兄弟や親子の間の意志や気持ちの微妙なすれ違い、ギグシャクした関係やその変化を、 説明的な会話や描写を抑えて、しかし象徴的な場面の描写によって、詩的に描いています。 また、機関車で田舎から都会へ向かう行程では、 途中で乗ってきて降りていく旅人や沿線の人々とのメインのストーリーとは関係しないエピソードを、 説明的な演出をせずに通りすがりの体験ように少々謎めいた余韻を残したまま、淡々と、しかし少しユーモアを加えて描いていきます。 列車の運行といっても組織的で正確なものとは程遠く、機関車は小型のディーゼルで貨車やタンク車を2〜3両引くだけ、 兄弟だけでなく他の旅人も正式な旅客というより運転手に便宜を払って乗せてもらっているよう。 機関車の運転手は、自分の家の所では駅でもないのに止めて家族とやりとりしたり、 信号所で要修理と嘘をついて途中で乗ってきた愛人と貨車で愛を交わしたり。 中央アジアの砂漠に近い荒野やオアシスの集落の狭い路地や切り通しを抜けて走っていく車窓の景色もよく、 運転手の気ままに運行しているトラックかバスのように鉄道を行く機関車を舞台としたレイルロードムービーのようでした。

モノクロの映画ということで、戦前日本の 清水 宏 の映画、 『風の中の子供』 (1937) [鑑賞メモ] や 『有がたうさん』 (1936) [鑑賞メモ] を連想させられました。 このような映画、大変に好みの映画です。

Кош ба кош [Kosh ba kosh]
『コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って』
1993 / Sunrise AG (CH), Vyss (RU) / colour / 1:1.66 / 96 min.
Режиссёр [Director]: Бахтиёр Худойназаров [Bakhtyar Khudojnazarov]

タジキスタンはソ連崩壊後の1992年から内戦に突入するのですが、内戦下の首都ドゥシャンベで撮影された映画です。 ソ連崩壊直後の混乱もあってかロシア住まいだった若い女性 Мира [Mira] が父を頼って故郷ドゥシャンベに戻ると、 賭博にのめり込んだ父に自分は借金のカタにされています。 彼女を保護しようと名乗りでた賭博仲間の若いロープウェイ運転手 Далер [Daler] と恋に落ちます。 Далер と一緒に過ごしたり、やはり父の元に戻ったりするものの、父が死に、Мира は Далер と別れてロシアに戻ることにします。 そんな Мира のドゥシャンベでの滞在を描いた映画です。

二人の恋は、周囲の反対や困難な状況を跳ね除け突き進むような情熱的なものではなく、 Мира からすると半ば成り行きで始まったお試し的なもので、 Далер からしても女好きという性格から始まったよう。 ロシア暮らしで西洋的な価値観を持ち自立した女性の (Далер の周囲からはそれを好ましくは思われていない) Мира と、 女性は男性に従うべきという伝統的な価値観を持つ Далер の、 情熱的にぶつかり合うというより、お互い少し様子見するかのような恋愛模様を描いたロマンチックな映画でした。 Братан [Brother] 同様に説明的な演出は控え目です。 しかし、まだマジックリアリズム的な所まではいっていませんが、 ソ連時代の古ぼけたロープウェイなども象徴的に使い、少々極端でユーモラスな場面設定なども感じられました。 内戦下ということで、街中では度々銃声・砲声が響き、夜には砲火が煌めく時もあり、装甲車が道を行き交い、夜には戒厳令になり、街中には難民の姿もあります。 しかし、あくまでそれは背景で、2人の運命を左右するようなものとしては描いていませんでした。

Братан [Brother]Кош ба кош [Kosh ba kosh] は、 いずれも音楽に Ахмад Бакаев [Achmad Bakaev] がクレジットされています。 2つの映画とも、ECMレーベルを思わせるギターの響きと中央アジア的なパーカッションの相性もよく、 中央アジアの風景を捉えた詩的な映画映像にとても合っていました。 オリジナルサウンドトラックをリリースされていれば、と、思います。

Лунный папа [Luna Papa]
『ルナ・パパ』
1999 / Pandora Film (DE) / colour / 1:1.66 / 110 min.
Режиссёр [Director]: Бахтиёр Худойназаров [Bakhtyar Khudojnazarov]

長編3作目は、それまでのドキュメンタリ的な面も感じさせる作風から一転、フィクション色濃い作品になります。 舞台は中央アジアの架空の街 Фархор [Farkhor]。 タジキスタンに同名の街があるようですが、そこでは無く、中央アジアの様々な街の特徴を集めて作った街をセットで作ってそこで撮影されています。 18歳の女優志望の女性主人公 Мамлакат [Mamlakat] は、母は亡く、父と戦争後遺症で知的障害を負った兄との3人暮らし。 シェイクスピアを観劇しそこねた夜に俳優だと言う声の男に顔もよく見ぬままレイプされ、妊娠してしまいます。 そんな、父のわからない子を妊娠してしまった女性の直面する不条理を、 ユーモアを忘れずコメディとして、マジックリアリズムのタッチで描いていきます。

シリアスに悲劇的な描写も可能な物語ですが、非現実的と感じるような表現も交えてユーモラスに描いています。 身寄り無く詐欺まがい稼業をしていた Алик [Alik] と恋に落ち結婚することになるものの、 結婚式の最中に空から牛が降ってきて、父と Алик を亡くすなど、 リアルというよりも不条理と感じるような不幸が、主人公の Мамлакат を次々と襲っていきます。 また主人公 Мамлакат を演じる Чулпан Хаматова [Chulpan Khamatova] の演技もコミカルでとても魅力的で、 そんな不条理に風刺や寓意を感じるような説得力を与えています。

ソ連崩壊後、内戦や紛争により治安が悪化した中央アジアの状況を思わせる描写もあります。 主人公の名 Мамлакат も国という意味ということで、 近代以降の不条理な歴史を歩んできた中央アジアの歩みの寓意的な面も込められていそう。 読み取りかねた所もありましたが、細部にもいろいろな寓意を込めてそうな作りの映画です。

中央アジアの伝統的な音楽的要素も活かした Далер Назаров [Daler Nazarov] の映画音楽も良く、 当時、オリジナルサウンドトラック Bande Originale du Film - Luna Papa (Universal Music France / EmArcy, 159011-2, 2000) がCDリリースされました。 そんな音楽と、マジックリアリズム的な演出の面白さに、主人公を演じる Чулпан Хаматова のチャーミングさも合わせて、 記憶以上に魅力的な映画だったと再確認しました。

今回観る前は、20余年前に観た記憶が美化されているだけでは、とも思っていたのですが、杞憂でした。

Шик [The Suit]
『スーツ』
2003 / Pandora Film (DE) / colour / 1:1.85 / 92 min.
Режиссёр [Director]: Бахтиёр Худойназаров [Bakhtyar Khudojnazarov]

長編4作目は、Ray Bradbury の短編 The Wonderful Ice Cream Suit 『すばらしき白服』 (1958) の自由な翻案で、 ポスト・ソ連の中央アジアに近い雰囲気を感じる港町 (ロケ地はクリミア) で、 ラグジュアリーなホテルやブティックが並ぶ富裕層の「シック」 (原題の Шик は Chic のこと) な街と、 貧しい庶民の町、そして、その2つを繋ぐ連絡船が舞台となっています。 そして、庶民の町に住む Гека (Geka), Штырь (Shtyr), Немой (Mute, 日本語字幕ではダンボ) という仲の良い若者3人組を核とする群像劇映画です。 問題を抱えた貧しい家から抜け出したい (「シック」になりたい) と願う3人が、 共同で手に入れた Gucci のピンストライプの高級スーツ (この服を着ている間は「シック」になれる象徴的な衣装) を着て、 何とか「シック」な生活を手にしようとする、そのままならなさを描いた、ほろ苦い寓話コメディです。 3人のそれぞれのエピソードはぼほ独立していて、貸し借りして着る高級スーツが接点となるものの、絡み合うことはありません。 オムニバス的にも感じられましたが、3つのエピソードのそれぞれが面白いものでした。

Штырь (Shtyr) は母と2人暮らし。母は元ハープ奏者だったものの、チェブレキ屋台で生計を立てています。 ハープのコンサートの機会を得るものの全うできず、精神的にも壊れてしまいます。 そんな Штырь は、家族を捨て富裕層向けの仕立て屋をしている父を、高級スーツ姿で訪れ、 最初は復讐を試み、その後、和解しつつ母を救ってくれと頼もうとしますが、結局は逃げられてしまいます。

Гека (Geka) は実母無く細やかな写真館を営む父と富裕層の街のホテル付きレストランで働く継母 Ася (Asya) と暮らしていますが、継母に馴染みません。 Гека は高級スーツを着て Ася の働くレストランに客として入りますが、彼女とうまく話できず、トラブルを起こして店から叩き出されてしまいます。 さらに、仄めかすような彼女の言葉もあって、レストランで働きつつ金のために愛人になっている (もしくは売春している) と父は嫉妬・猜疑心に苛まれ、 連絡船で帰宅途上の彼女を刺してしまいます (まるで Woyzeck)。 刺されて倒れている Ася を見つけた Гека は、彼女を救い、現場に残っていた物から父の犯行と気付きながら、その罪を負おうとします。 それを知った Ася は、検事を籠絡し Гека を不起訴にして、自分は街を去ります。

Немой (Mute) には両親はおらず祖母と暮らしていますが、 Штырь や Гека と比べ暴力や才覚で劣るものの家庭に問題を抱えている程ではありません。 大きな生簀で売る鮮魚店で働きつつ美術学校でヌードモデルの仕事もするユダヤ系の Дина [Dina] に恋しており、配達人として店に入りこみます。 最初は彼女に言い寄るクルーザー持ちの男を避けるための口実として使われる程度でしたが、 高級スーツを着ての不器用ながらの告白もあって、次第に彼女から好意を持たれるようになります。 しかし、盗み読んだ手紙から、母が精神病院にいてイスラエルへの移住もままならないという彼女の身の上を知ることになります (Немой のエピソードは、相手が家族の問題を抱えている形に逆転している)。 結局、嫉妬したクルーザー持ちの男に殺されてしまいます。 そして、残された Штырь と Гека が船でこの港町を出て行くところで映画は終わります。

主人公3人組を含め、遵法意識は低く、金か暴力、詐欺師的な才覚がないと虐げられてしまう社会として描かれてました (冒頭の3人組が虐められている老人を救う場面で、この世界観を設定していました)。 現実のポスト・ソ連の社会は流石にここまではないと思われ、この点は、かなりコミカルにデフォルメされていたとは思います。 しかし、Лунный папа [Luna Papa] と比べ幻想的な飛躍が控えめに感じられたのは、 社会の不条理といっても、「シック」な生活の夢に対するままならなさ、超えがたい社会階層・貧富差の悲哀がテーマだからでしょうか。

(Шик [The Suit] 分は2023/06/27追記)

В ожидании моря [Waiting for the Sea]
『海を待ちながら』
2012 / Entre Chien et Loup (BE), Қазақфильм [Kazakhfilm] (KZ), Pallas Film (DE), ZDF/Arte (DE/FR), Тоҷикфилм [Tajikfilm] (TJ) / colour / 1:1.85 / 110 min.
Режиссёр [Director]: Бахтиёр Худойназаров [Bakhtyar Khudojnazarov]

2015年に49歳の若さで亡くなることになる監督が、最後に撮った長編映画です。 開発による環境破壊で干上がってしまったカザフスタンとウズベキスタンにまたがるアラル海を舞台とした物語です。 まだアラル海が豊な塩湖だった時代、 船長 Марат [Marat] は無理な出漁をして嵐に巻き込まれて難破、自分は一命を取り留めたものの、一緒に乗っていた妻や船員を失います。 その罪を問われての服役を終え、Марат が街に戻ると、湖は干上がっています。 湖が干上がり地上に現れた自分の船へ行き、妻や船員を取り戻すべく、干上がった荒野の中を人力で湖へ向けて船を進めていく、そんな Марат を描いた映画です。

Марат に片想いを寄せる妻似の義妹 Тамара [Tamara] との微妙な関係や、 彼女と三角関係を成す Марат の旧友 Бальтазар、義父の赦しと死など、 メロドラマチックな要素も無いわけでは無いですが、描写はかなりドライ。 Лунный папа [Luna Papa] 同様のマジックリアリズムの映画なのですが、 ユーモアも控え目で、不条理な行為に情熱を傾ける Марат の非現実的な設定は、寓意を感じる以上、もはや神話のよう。 ソ連崩壊に環境破壊が加わり荒廃し治安も悪化した世界は、 Mad Max: Fury Road [鑑賞メモ] を連想させるポストアポカリプスの世界でした。