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談話室 / Conversation Room

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[4283] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Aug 17 19:48:34 2025

8月の3連休中日10日は、雨の中、午後に渋谷宮益坂上へ。 共産政権下の1960年代から活動するストップモーション・アニメーションと実写を交えたシュールレアリズム的な作風で知られる映像作家 Jan Švankmajer の、 シアター・イメージフォーラムでの最新作上/映と それに合わせた特集上映『ヤン・シュヴァンクマイエル レトロスペクティヴ 2025』から、 この2本を観て来ました。 1980年代までの短編はDVDも持っており上映でも観たことがありますが、長編は観たことが無かったので、これも良い機会かと。

Něco z Alenky [Alice]
『アリス』
1988 / Condor Features (CH) / 86 min.
scénář a režie [writer and director): Jan Švankmajer
hraje [cast]: Kristýna Kohoutová;
animace [animation]: Bedřich Glaser; kamera [camera]: Svatopluk Malý; střih [editor]: Marie Zamanová.

Švankmajer 初の長編映画は、Lewis Carroll: Alice's' Adventures in Wonderland 『不思議の国のアリス』 (1985) に基づくもの。 主人公の Alice をほぼ実写で撮る一方、それ以外の登場人物をほぼ人形アニメーションで描いています (豚などの一部を除く)。 アリスが夢を観ているのがピクニック先の野外ではなく、ウサギの剥製や人形が雑然と置かれた物置のような場所で、 そこ置かれていたものが夢の中で動き出す、という設定の違いはあれど、 その時代の風刺となるような翻案は感じられず、比較的ストレートな映画化でした。 むしろ、屋外の場面をほとんど無くして屋内の閉鎖的な空間の中に場を移したこと、 人形の少々グロテスクな造形、建物や家具などの古びて薄汚れた質感などが、 オリジナルの物語に既にあった不条理感を、より不気味に際立たせていました。 特に A Mad Tea-Party「気違いのお茶会」の場面など、庭園では無く地下の一室に場を移したことで、逃げ場のない密室的な不条理さを醸し出していました。

Hmyz [Insects]
『蟲』
2018 / Athanor (CZ), Česká televize (CZ), PubRes (SK) / 98 min.
scénář a režie [writer and director]: Jan Švankmajer
hrají [cast]: Kamila Magálová (Ružena), Ivana Uhlířová (Jituška), Jan Budař (Václav), Jaromír Dulava (režie), Jiří Lábus (Borovička), Norbert Lichý (Kopriva).
kamera [camera]: Jan Růžička, Adam Oľha; animace [animation]: Martin Kublák, Ondřej Fleislebr, Bedřich Glaser; zvuk [sound]: Ivo Špalj; střih [editor]: Jan Daňhel; kostýmy [costumes]: Veronika Hrubá.

Švankmajer 最後の劇映画とも言われるこの映画は、チャペック兄弟 (Bratři Čapkové: Kerel Čapek a Josef Čapek) の戯曲 Ze života hmyzu 『虫の生活』 (1921) に着想したもの。 アマチュア劇団が『虫の生活』の第2幕の稽古をする様子を、Švankmajer が劇映画化する様子も交えて映画化しています。 劇中劇の『虫の生活』、アマチュア劇団の稽古というドラマ、そして、それを映画化する様子を捉えたドキュメンタリーという、二重にメタな構造を持つ、実写を主とする映画です。

アマチュア劇団の稽古の話はシームレスに劇中劇とも混じり合った登場人物の妄想の描写とシームレスに繋がっており、その関係はマジックリアリズム的で、登場人物の妄想やそこへの繋ぎにストップモーションアニメーションが活用されています。 『蟲』というタイトル通り、大量の虫を使ったゾワゾワするような映像も多用されます。 劇団員のうち2人がドラマの途中で死にますが、何も無かったように稽古がはけ、そもそもこの2人自体が登場人物の妄想だったかのよう。 一方、映画化ドキュメンタリーの部分は、実際の場面に先立ち種明かしするかのように挿入されることが多く、むしろドラマの世界への没入を妨げる異化効果の強いものでした。 一見複雑な構造を持つ映画ですが、強面の難解な映画ではなく、やる気も技術も伴わない劇団員の稽古のドタバタな様を軸に力の抜けたユーモアが楽しめました。

演劇にアニメーション技法などを活用してメタな構造を加えて映像化している所に、 León & Cociñ: Los Hiperbóreos [The Hyperboreans] 『ハイパーボリア人』 (2025) [鑑賞メモ] や 人形劇やアニメーションを交えたマルチディシプナリーな舞台作品との共通点も感じられ、その点を興味深く観ました。 その一方で、ドキュメンタリーの部分で自ら言っていたように Jan Švankmajer の意図とは思いますが、 社会風刺が薄く、その点が少々物足りなくも感じました。

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[4282] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Tue Aug 12 22:25:46 2025

国立映画アーカイブでは上映企画『返還映画コレクション (3) ――第二次・劇映画篇』が開催中 [第1回, 第2回の鑑賞メモ]。 戦後に民間情報教育局の覚書「非民主的映画の排除」によって上映を禁止されアメリカに接収され1968年の第二次で返還された、戦中期1937-1944年の劇映画の特集上映です。 7月31日午後と8月9日晩に、まずは、この3本を観てきました。

『召集令』
1935 / 日活多摩川 / 73 min. / 35 mm / 白黒.
監督: 渡邊 邦男; 原作口演: 東家 樂燕.
中田 弘二 (松岡 幸三), 中野 かほる (松岡の妻お種), 広瀬 恒美 (金子巡査), 大原 雅子 (巡査の妻), 高木 永二 (小田), 黒田 記代 (小田の娘), 星 ひかる (亀吉), 沢村 貞子 (亀吉の妻), etc.

軍事浪曲『召集令』というものがあり、その浪曲が無声期から多数映画化されていたということを、この特集上映で知りました。 そもそも浪曲映画というものを初めて観ましたが、この映画ではナレーション的に浪曲が使われていました。 病臥の妻に子二人と貧しく高利貸しに追われる忠義心強い男に召集令状が届くが、思い詰めた妻が自死したことにより高利貸しは反省改心し、巡査に子を任せ、男は心残りなく応召出征するという話です。 貧苦の描写と浪曲の組み合わせはもちろん、時折挟まれる洋式な軍歌とのコントラストも興味深く感じられました。

『進軍の歌』
1937 / 松竹大船 / 50 min. / 35 mm / 白黒.
監督: 佐々木 康; 原作: 岩崎 栄; 脚本: 斎藤 良輔.
佐分利 信 (安藤 俊作), 川崎 弘子 (妻お千代), 広瀬 徹 (遠山 次郎), 桑野 通子 (お雪), 水戸 光子 (政代), 河村 黎吉 (塩瀬), 奈良真養 (署長), etc.

幼馴染の仲ながら、安藤は労働条件の改善を主張する労働者の代表として、遠藤は社長の息子であり経営陣の一人として、対立する関係にあります。 二人は同時に同じ部隊に召集され中国戦線に派遣され、戦場での危機的な状況の中で和解するものの、安藤は戦死します。 一方、遠藤に片思いする芸者 お雪は、夫の出征後に子を抱えて苦労する安藤の妻と偶然に知り合い、彼らを遠藤家に引き取らせる一方、自身は従軍看護婦に志願します。 従軍看護婦となったお雪は、軍事病院で偶然に安藤の死に立ち会い、遠藤とも再会しますが、互いの任務のため再び別れます。

浪曲は使われておらず、モダンで都会的な男女が織りなすドラマとなっていますが、 召集を契機として貧富の対立を和解し一体化を訴えるテーマは『召集令』と共通して、広義の「召集令もの」と言える映画です。 メロドラマ的な要素も少なめでプロパガンダ色濃いストーリーはさておき、 女性映画の松竹大船が「召集令もの」を作ると、流石に女性陣の心情描写も丁寧です。 佐分利 信、桑野 通子に、川崎 弘子、水戸 光子 など当時の看板俳優が出演しており、その点も楽しめました。 松竹大船は戦場や工場など現場の場面が苦手という印象がありましたが、 『進軍の歌』の戦場シーンはなかなかのもので、松竹でもこういう場面が撮れるのか、という驚きもありました。

この映画が公開された1937年というのは、盧溝橋事件で日中戦争に突入した年です。 映画中の中国での戦闘シーンは、その時局を反映したものでしょう。 1937年の松竹大船が公開した映画といえば、島津 保次郎 『婚約三羽烏』 [鑑賞メモ]、 小津 安二郎 『淑女は何を忘れたか』 [鑑賞メモ]、 清水 宏 『恋も忘れて』 [鑑賞メモ] で、 これらの映画ではそんな時局を全く感じさせません。その一方でこんな映画も公開されていたのか、と、感慨深いものがありました。

『愛國の花』
1942 / 松竹大船 / 96 min. / 35 mm / 白黒.
監督: 佐々木 啓祐; 脚本: 長瀬 喜伴; 主題歌「愛国の花」作曲: 古関 裕而.
木暮 実千代 (戸倉 綾子), 佐野 周二 (守山 徹夫), 関 操 (戸倉 文三 (綾子の父)), 若水 絹子 (妻春子 (綾子の義姉)), 雨宮 一 (その子勇吉 (綾子の甥)), 坂本 武 (三吉), 山城 美和子 ((三吉の) 娘かよ), 三村 秀子 (静江 (徹夫の婚約者/妻), 葛城 文子 (守山 たき (徹夫の母)), etc.

綾子は長野の旧家の娘で、父 文三は商船の艦長を引退し隠居暮らし、母は既に亡く、航空機の試験パイロットだった兄も事故で亡くしています。 文三は引退を止め輸送船の船員への徴用を志願しますが、その前に娘の結婚を望みます。 そこで、文三も信頼し、綾子も密かに思いを寄せていた兄の親友 守山 へ縁談を持ちかけますが、守山は半年前に婚約しており、縁談は断られます。 傷心の綾子は従軍看護婦を志願し、やがて南方へ派遣されますが、軍事病院で目を負傷した 守山 と再会し、看病することとなります。 その後、東京へ帰還した 綾子 は 守山 の妻と会い、守山の快復を伝え、和解します。

恋の不成就と従軍看護婦志願、軍事病院での再会というパターンは『進軍の歌』中のお雪のプロットと共通し、女性の献身を訴える「召集令もの」の女性版のような一つの類型でしょうか。 そんなプロパガンダ色も強い映画ではありますが、 前半の娘の縁談話を軸とする父娘の話は、大庭 秀雄 『むすめ』 (1943) [鑑賞メモ] や 五所 平之助 『伊豆の娘たち』 (1945) [鑑賞メモ] の人情喜劇、さらには、戦後に 小津 安二郎 が洗練させた父娘ものを思わせます。 お互い密かに好意を寄せたお嬢様と苦学の男の成就しない縁談話は、もったいないと男が他の女性との縁談を決め、お嬢様がタイミングを逸して振られるという展開を含め、 大庭 秀雄 『花は僞らず』 (1941) [鑑賞メモ] のよう。 松竹大船が得意としたホームドラマ&メロドラマの要素も盛りだくさんです。

主人公の旧家のお嬢様〜従軍看護婦を演じるのは木暮 実千代。 清水 宏 『暁の合唱』 (1941) [鑑賞メモ]といい、 戦後とはまた違った健気なお嬢様キャラクター (ちょっと 三浦 光子 と被りますが) を楽しみました。 一方、男優陣は守山を演じた 佐野 周二 に比べてライバル相当の福田の役の影が薄すぎて、メロドラマとしてはちょっとバランス悪かったでしょうか。 密かに好意を寄せ合う 綾子 と 守山 のさりげないやりとりや、綾子の縁談話が成就せず傷心の様子など、台詞に頼らないきめ細やかな女性の心情描写もさすが松竹大船、メロドラマチックです。 プロットに合った演出で、とてもよく出来た映画でした。

『進軍の歌』では従軍看護婦の派遣先は中国でしたが、『愛國の花』の派遣先は南方です。 父の輸送船船員徴用もそうですが、 真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まって南方へ進出中という1942年の時局の反映でしょう。 ちなみに、この映画の主題歌「愛國の花」は「海行かば」とのカップリングでレコード化されています。 1930年代後半から1940年代初頭にかけての松竹大船の映画を観ても戦時色をほとんど感じられないと思っていましたが、 『進軍の歌』、『愛國の花』と観て、これらのような戦時プロパガンダ色濃い映画は今ではなかなか上映機会が無いだけだと、思い至りました。

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[4281] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Aug 11 21:22:44 2025

先々々週末に続いて先々週末、先週末と3週末連続土曜は昼に高円寺へ。 座・高円寺で、夏の親子向けプログラム 『世界をみよう!』 の後半C, Dプログラム2作品を観てきました [A, Bプログラムの鑑賞メモ]。

ディマス・ティヴァンヌ 『ンカマ~とき~』
座・高円寺1
2025/07/26, 13:00-13:30.
Auteur, compositeur, interprète: Dimas Tivane
Collaboratrice artistique: Emilie Saccoccio; Accompagnement chorégraphique: Satchie Noro; Regard extérieur: Guillaume Martinet; Musicien/compositeur: Exxos Metkalola; Regards extérieurs jonglage: Tom Neyret et Anthony Salgueiro; Conseille à la musique: Leedyah Barlagne et Marius Pelissier.
Production déléguée: Les Noctambules
Création: 2024Creation 2020

モザンビーク出身でフランス拠点に活動するミュージシャン兼ジャグラー兼ダンサーによるソロです。 ヴォーカル・パーカッションや足踏みを交えつつ、踊るような身のこなしで、 身近なものをジャグリング風味にマニピュレーションしつつの叩いてリズムを刻んでいきます。 ジャグリングでは技を見せる程ではなく、踊るようにパーカッショニングする流れに組み込まれていました。 観客の参加はあまりありませんでしたが、最後は観客席に降りて盛り上げました。 タイトルは彼のルーツであるモザンビークから南アフリカにかけて住む民族シャンガーン (Changan, Shangaan) の言葉で「時」という意味で、 そのルーツに立ち戻ったプログラムだったようです。 シャンガンというと南アフリカ側ですが2010年代前半に流行った音楽 Shangaan Electro を思い出しますが、 むしろ電化される前のより伝統的なものを参照していたようでした。 木製の椅子を歩くように動かすことで脚でリズムを刻んだり、 頭の少し上くらいに放り上げで座面を叩いたりという、 椅子を操作しながらリズムを刻む展開が好みでした。

カンパニー・ソン・ドゥ・トワル 『さあ!』
座・高円寺1
2025/08/02, 13:00-14:00.
Conception artistique: Simon Filippi; Composition et écriture: Simon Filippi et Julien Vasnier.
Interprétation: Simon Filippi, Rémi Leclerc.
Création: 2011.

フランス南西部アキテーヌ地方のボルドーのカンパニーによる、 2名のパフォーマーによるボディ&ボーカル・パーカションのショーです。 2人の間でコミカルなやりとりをしながら、また、観客に拍手やヴォーカル・パーカッションを促しつつ、展開していきます。 声や足踏みでリズムを刻むのはもちろん、顔や手足はもちろん身体のあちこちを叩いて音を出していきます。 ヒップホップ的なリズムが基調にあったと思いますが、 口に水を含んで歌う曲はクラシックの Ravel の Boléro やオペラの歌でしたし、 Queen の We Will Rock You で拍手したりエアギターしたりとロックのネタもあったりと、 ネタにもバラエティを感じました。

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[4280] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Aug 4 21:50:54 2025

7月最終日木曜は休暇を取得。午後に京橋で映画を観た後に三軒茶屋へ。この公演を観てきました。

世田谷パブリックシアター
2025/07/31, 18:00-19:00.
Conceived of and directed by Shayna Swanson.
Zoë Sheppard, Sarah Tapper, Rachel Webberman, Linnea Ridolfi, Sarah Tapper, Heather Dart.
Premiere: 2018-10-06 at 3324 W. Wrightwood, Chicago.

2005年設立のアメリカ・シカゴの現代サーカス・カンパニー Aloft Circus Arts の来日公演です。 ステージの上での上演を客席から観るのではなく、テントの中で上演を観るというスタイルのでの公演です。 劇場以外のスペースでの上演を想定したスタイルのようで、初演時はカンパニーの拠点でもある築110年の教会で上演したようですが、今回の公演では劇場の舞台上にテントを立てての公演でした。

フライヤで観客の参加をうたっていたので期待していたのですが、 確かに薄い布で覆われたエアリアル用の櫓を立てる作業はもちろん、ポールの支持などに観客を使いましたが、大道芸などでよくあるレベルでした。 むしろ、櫓の足をそのままフレームとして使った狭いテントの中に約100人の観客を入れ、 その中でシルク・エアリアルや三段タワー・アクロバットはもちろんシルホイール、ジャグリング、フープなどのパフォーマンスをする、という所に面白さがありました。 観客とパフォーマーの距離が近いことによるスリルや、テント内という空間の作り出す没入感というより、 表情や息遣いに間近で触れることによる親密さや一体感が最も印象に残りました。

初演時は男性パフォーマー1名を含む7人のパフォーマーでの上演だったようですが、 今回の公演では男性パフォーマーが抜け、6人全員女性でした。 といっても、アクロバットのポーター役のガッチリした体型から、フライヤー向きの小柄な体型、ダンスも映えるすらっと長身の体型まで、多様さを感じるもの。 ポーターの体型のパフォーマーもエアリアルやダンスへ加わるなど、多様ながら一体となるようなパフォーマンスで、親密さや一体感を作り出していました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

この公演は月曜から水曜までの平日のみのスケジュールだったので、 仕事の予定がはっきりしてから行く日を決めようと様子を見ていたら、あっさりチケット完売。 席追加とかで当日券が出るような上演スタイルではないので諦めてかけていたところ、 追加公演が出たので、とりあえずチケットを押さえたのでした。 その後、仕事の予定に目処も立ったし、仕事帰りが厳しい開演時間だったので、休暇にしたのでした。 夏の余裕のある時期というのもありますが、平日の晩だからと躊躇せずにチケットを取るという勢いも必要だと、つくづく。

[4279] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Aug 3 18:14:52 2025

先週末土曜の晩は初台へ。この公演を観てきました。

新国立劇場オペラパレス
2025/07/26, 18:30-20:30.
Chorégraphie, décors et costumes: Alexander Ekman
Musique: Mikael Karlsson
Costumes: Xavier Ronze; Lumières: Tom Visser; Vidéaste: T.M. Rives; Assistante du chorégraphe: Ana Maria Lucaciu; Conseillère stratégique et dramaturge: Carina Nildalen; Assistante aux décors: Claire Puyenchet.
avec: Stéphane Bullion (danseur étoile), Muriel Zusperreguy (première danseuse), Vincent Chaillet (premier danseur), et le Corps de Ballet de l’Opéra national de Paris.
avec: Calesta «Callie» Day, Karmesha Peake (chanteuse), Julien Chatellier (saxophone soprano), Géraud Etrillard (saxophone alto), Adrien Lajoumard (saxophone ténor), Pascal Bonnet (saxophone baryton), Arnaud Nuvolone (premier violon) Marianne Rivière (second violon), Benoît Marin (alto), Eric Villeminey (violoncelle), François Gavelle (contrebasse), Frédéric Vaysse-Knitter (piano), Adélaïde Ferrière (percussions),
Silvia Saint-Martin (première danseuse), Florent Mélac (premier danseur), Letizia Galloni, Caroline Osmont, Lydie Vareilhes, Ida Viikinkoski, Alexandre Boccara, Mathieu Contat, Axel Ibot, Michaël Lafon, Cyril Mitilian, Fabien Révillion, Marius Rubio, Nikolaus Tudorin (Sujat), Apolline Anquetil, Victoire Anquetil, Laurène Lévy, Charlotte Ranson, Claire Teisseyre, Jennifer Visocchi, Milo Avêque, Yvon Demol, Théo Ghilbert, Maxime Thomas, Hugo Vigliotti (coryphée), Sarah Barthez, Lisa Gaillard-Bortolotti, Marion Gautier de Charnacé, Nathan Bisson, Jean-Baptiste Chavignier, Manuel Giovani, Julien Guillemard, Loup Marcault-Derouard, Anastasia Gallon, Margot Gaudy Talazac, Diane Saller, Seojun Yoon, Baptiste Bénière, Françis Leblanc, Eric Pinto-Cata (quadrille).
Première: 6 décembre 2017, Palais Garnier, L'Opéra national de Paris.
主催: MASTER MIND LTD.; 協力: キョードー東京; 特別協力: 新国立劇場.

パリ・オペラ座バレエ (Ballet de l'Opéra national de Paris) のコンテンポラリーの演目での来日公演です。 演目 Play は、ストリーミング (NHKオンデマンド)、映画館上映 (パリ・オペラ座バレエ シネマ) で観る機会がありましたが [鑑賞メモ]、 コンテンポラリーの演目での来日は稀なので、生で観る良い機会と足を運びました。

6万個の緑のボールが降る場面など、確かに、生の迫力と臨場感は格別でした。 ただ、それだけでなく、映像のストリーミングや上映で観るのとは印象が異なる場面もあり、そこも興味深く思いました。 映像では宇宙服姿はかなり大きくフィーチャーされているように感じられたのですが、 生で観ると、クリノリン様のスカートを履いて2人のダンサーを犬のように連れた男性ダンサーの方が目に付きました。 そして、字幕の投影された場所が目に入りやすい舞台下という絶妙さだけでなく、 演じている人がすぐ目の前にいるという効果もあ理、 競争の中で合目的的で効率性を求める生き方に対し生きる本質としての「遊び」を述べる 後半始まりでナレーションされるメッセージが、映像より届いたように感じられました。 前半と後半の演出のコントラストも、このメッセージに沿って付けられていたのか、と。

生で観てそんな気付きもありましたが、その一方で、 サクソフォンのカルテットやゴスペル歌手を使うという音楽の狙いについては、 やはりよくわかりませんでした。 それ以外の要素もありますが World Saxophone Quartet feat. Fontella Bass など連想させられるその音楽自体は、かなり好みではあるのですが。

万単位のボールだけでなく、40名のダンサーと10数名のミュージシャンを使っての、力技な作品とは思いましたが、 生で見ても視覚的にシュールで美しい舞台といい、合目的的で効率性を求める社会に対するメッセージ性といい、さすがに見応え抜群の作品でした。

主催としてクレジットされたMASTER MIND LTD.に覚えがありませんでしたが、 ファーストリテイリング (ユニクロ) の創業者の次男にして取締役の 柳井 康治 が2020年に立ち上げた個人プロジェクトのプロダクション (会社設立は2021年) で、 「THE TOKYO TOILET」プロジェクトや、それを映画化した Wim Wenders: Perfect Days (2023) もプロデュースしているようです [「ユニクロ柳井康治氏「渋谷トイレプロジェクト」 映画化の舞台裏」, 『日経クロストレンド』, 2023-12-27]。

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土曜の午後イチには座・高円寺で『世界をみよう!』の公演も観たのですが、 その後、この公演まで時間があったので、炎天下の新宿でカフェ難民となって消耗したくない、と、一旦、自宅へ帰って休憩しました。

[4278] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jul 28 22:23:30 2025

先週末三連休中日日曜は昼に恵比寿へ。これらの展覧会を観てきました。

TOP Collection — transphysical
東京都写真美術館 3階展示室
2025/07/03-2025/09/21 (月休; 月祝開, 翌火休). 10:00-18:00 (木金-20:00; 8/14-9/19木金-21:00)

総合開館30周年を記念してのコレクション展の第2弾です。 第1弾 [鑑賞メモ] に続いて学芸員4名の共同企画で、 「撮ること、描くこと」、「dance」、「COLORS」、「虚構と現実」、「ヴィンテージと出会うとき」の5つのテーマ展示 (「COLORS」が4人の共同企画で他はそれぞれの企画) の組み合わせです。 第1弾の開館記念展の再現のようなわかりやすさはありませんでしたが、 第1室に展示されたHenry Peach Robinsonの合成印画法と第5室に展示されたAnsel Adamsの技法Dodging & Burningに発想の近さを感じるなど、個々の企画を超えて意外な相関に気付かされました。

個別の作家では、ニュージーランド出身で戦間期はロンドンで活動した Len Lye の純粋映画的なアニメーション、 1970年代後半に南カルフォルニア Zuma Beach の廃住居に抽象的なグラフィティなど手を加えてカラーで撮った John Divola: Zuma Series など、 芸術運動的な文脈から見落としがちな作家に目が止まりました。 日本の作家では、液晶絵画的な映像作品の液晶モニタに実際のペインティングをオーバーレイした exonemo: Heavy Body Paint (2016) に引かれました。

Luigi Ghirri: Infinite Landscapes
東京都写真美術館 2階展示室
2025/07/03-2025/09/28 (月休; 月祝開, 翌火休). 10:00-18:00 (木金-20:00; 8/14-9/19木金-21:00)

測量技師としてのキャリアの後、コンセプチャルアートの影響下で1970年代から1992年まで活動したイタリアの写真作家の展覧会です。 といっても、意識して観るのはこれが初めてで、イタリアの写真史もしくは現代美術史の中での位置付けなど、表現の文脈も把握できていません。 やはり日本と米英仏独程度しかちゃんと観てこなかったのだなと、反省させられました。

正面性の強い構図で絵を描くかのようにパンフォーカス気味に撮った写真が多く、 鑑賞者も入れ込んで美術館の中の絵画を撮ったものなど Thomas Struth など連想させますし、 いわゆる Becher Schule のドイツの写真に近いものを感じました。 その一方で、そこまで即物的でクールではなく、彩度を抑えたほんのり色温度低い画面作りに人間の体温を感じられるようでした。

B1F展示室では『被爆80年企画展 ヒロシマ1945』 [Hiroshimada 1945 — Special Exhibition 80 Years after Atomic Bombing]。 2023年に報道機関と広島市が共同でUNESCOの「世界の記憶」[Memory of the World] への登録を申請した「広島原爆の視覚的資料 ― 1945年の写真と映像」 (写真1532点、映像2点) を基に構成した展覧会です。 この前の展覧会『ロバート・キャパ 戦争』もそうでしたが、 今までにも本やTVドキュメンタリーなどで観たことのある写真もありましたし、 個々の写真の持つ迫力ももちろんありますが、写真約170点という量にも圧倒されました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

三連休最後の月祝日は、家事や近所での買物などはしましたが、どこにも出かけず完全休養にまる1日あてました。 母が倒れて入院して以来1ヶ月余り、週末は潰れていたのですが、急性期からリハビリ病院へ転院して、少し落ち着きました。ひといき。

[4277] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jul 27 21:59:24 2025

先週末三連休初日土曜は午前に高円寺へ。 座・高円寺の夏の親子向けプログラム 『世界をみよう!』 は サーカスやマイム、人形劇などの小規模ながら味わい深い作品を揃えていて、楽しみにしています [一昨年の鑑賞メモ]。 去年はスケジュールが合わず行かれませんでしたが、今年は、まずはA, Bプログラム2作品を観てきました。

シアター・ブリック 『わたしのねがい』
座・高円寺 阿波おどりホール
2025/07/19, 11:00-12:40.
Medvirkende: Lisa Becker (Skuespiller), Claus Carlsen (Musiker).
Instruktion: Gertrud Exner; Kostumer: Trine Walther; Scenografi: Holdet; Ide: Holdet.
Creation 2020

デンマークを拠点に活動するカンパニーによる男女2人による、生演奏とライブペインティングのショーです。 生演奏の Claus Carlsen は soprano saxophone や bass clarinet、accordion、cuatroなどを持ち替え、 旋律で情景を描くようにではなく、むしろ Lisa Becker の動きに合わせて即興でフレーズを繰り出します。 一方の Lisa Becker は淡々とというより、少々デフォルメされたマイムと表情を交えつつ描きます。 描き方はざまざまで、小ぶりの白いボードを6つ六角に輪状にしてそこに描いたり、ロールの厚紙を伸ばしながらそこにパンチで小さな穴を空けたり、 ラストはフロアに伸ばした長い帯状に乗って大筆で描きもしました。 抽象的なストロークを基調としつつ、そこに動物や人物の絵を交えます。 音楽もペインティングも抽象度高めでシリアスにもできる所を、そこはかとなく可愛いらしい雰囲気に落とし込みます。 ウイッシュリストとしてロールの厚紙にパンチするところから、その厚紙に光を透かして星の川としてみせ、最後はその厚紙をオルゴールに読ませて音として響かせる、という流れが特に印象に残りました。

座・高円寺1
2025/07/19, 13:00-13:40.
作・演出・出演: ゼロコ (角谷 将視, 濱口 啓介)
舞台監督: 西山 みのり; 音響: 吉田望 (ORANGE COYOTE); 照明: 萩原 賢一郎; 音楽: anata ensemble; 小道具: 定塚 由里香; 舞台写真: 梁 丞佑.
初演: 2024年7月13日, 座・高円寺 『世界をみよう!』

大道芸でも活動する日本のマイム2人組による、去年の演目の再演です。 大道芸というか野外での上演は今年の『ストレンジシード静岡』で観ましたが [鑑賞メモ]、劇場公演は初めてです。 ブラックボックスに黒い衝立2つ、グレーやベージュのシンプルな服装と小道具は小旗とロープ程度というミニマリスティックな舞台で、 2人組の山登り、お化け屋敷探検、船から落ちての海底でのドタバタを演じていきます。 最低限ながら効果的な照明使いなどの劇場ならではの演出も加え、野外よりもシュールで幻想的な舞台でした。 キャラクターや舞台設定は抽象化されていて見た目は違いますが、 そのドタバタの展開に Hanna-Barbera (Tom & Jerry, etc) や Tex Avery (Bugs Bunny, Duffy Duck, etc) など 20世紀半ばアメリカの Looney Tunes 界隈のカートゥーン・アニメーションを思い出させるものがあり、少々懐かしくもツボにハマりました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4276] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Wed Jul 23 22:27:35 2025

先々週末土曜は午後遅くに与野本町へ。この公演を観てきました。

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
2025/07/12, 17:00-18:40.
『アルルの女』
約1時間
演出振付: 金森 穣.
音楽:Georges Bizet, L'Arlésienne; 衣裳: 井深 麗奈; 木工美術: 近藤 正樹; 映像: 遠藤 龍.
井関 佐和子 (ローズ (フレデリの母)), 山田 勇気 (常長 (ローズの父)), 糸川 祐希 (フレデリ (ローズの息子)), 太田 菜月 (ジャネ (フレデリの弟)), 兼述 育見 (ヴィヴェット (フレデリの許嫁)); 中尾 洸太, 坪田 光, 樋浦 瞳, 松永 樹志 (村の男たち), 庄島 さくら, 庄島 すみれ, 春木 有紗, 平尾 玲 (村の女たち).
初演: 2025年6月28日, りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈劇場〉
『ボレロ – 天が落ちるその前に』
約20分
演出振付: 金森 穣.
音楽: Maurice Ravel, Boléro; 衣裳: 堂本 教子, 山田 志麻.
出演: Noism1: 井関 佐和子, 中尾 洸太, 庄島 さくら, 庄島 すみれ, 坪田 光, 樋浦 瞳, 糸川 祐希, 太田 菜月, 兼述 育見, 松永 樹志, 春木 有紗.
コンサート版初演: 2023年12月31日, りゅーとぴあジルベスター・コンサート, りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈コンサートホール〉; 劇場版初演: 2025年6月28日, りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈劇場〉

りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 の劇場付きダンスカンパニー Noism Company Niigata [鑑賞メモ] の2025年夏の公演は、 Alphonse Daudet 作、Georges Bizet 音楽の音楽劇 L'Arlésienne (1869) に基づく新作物語ダンス作品『アルルの女』を含むダブルビルでした。 ちなみに、L'Arlésienne は1974年に Roland Petit がバレエ化しています。

原作の舞台は南仏ラングドック地方ですが、衣裳や舞台美術は抽象度が高く、時代は場所の設定はかなり抽象化され、 常長と名付けられた父役や、太刀薙刀を使う場面もあり、むしろ近世日本に舞台を置き換えているように感じられました。 原作や音楽劇にあったの嫉妬という面を無くし幻想の女への叶わぬ恋の物語としている点は Petit のバレエに近いように思いますが、 原作にある家族のエピソードも大きく取り入れ、その構造は多層的です。

闘牛場で見かけた幻影の女 (アルルの女) を忘れられずも結婚する男の悲劇という基本線は残しつつ、 むしろ、そんな男と結婚することになる許嫁 ヴィヴェット の悲劇という面をはっきりと描きます。 さらに、息子に執着する毒母 (井関の存在感からこれが最も強く出ていたようにも感じられました)、因習に囚われる家長としての父、村の男女などが、そんな悲劇を一層悪化させていきます。 舞台の全体を囲うプロセニアムも明示するだけでなく、縦長の大きなものや高さ2 m幅4 m程度のものなど可動式の枠の使い方がそんな悲劇の多層性に符号するようでもあり、 シルエットを使った演出も幻影に囚われているということを象徴するようでした。 フレデリだけでなく、ヴィヴェットも父も次々と死んでいくのですが、その死の表現にオーケストラピットを使うというアイデアも、良かったでしょうか。

前半のフレデリと許婚、村人たちによる群舞の時に母(井関)を存在感大きく舞台前方に立たせたり、 太刀薙刀演武のようなカッコいい群舞の前に祖父・弟のコミカルな演技を配したりという、 舞台で踊られている踊りを単なる美しいもの、かっこいいものとしないようとする異化演出も印象に残りました。 その一方で、白痴である弟のジャネは、トリックスターというよりも、むしろ、真実の目撃者としての愚者という面の強い使われ方でした。 そんな演出の妙も多層的な悲劇の構造を捉えやすく提示していて、物語るダンス作品としてとても楽しめました。

休憩を挟んで後半は、コンサート版として振付た Boléro を劇場版として再演出したもの。 Noism のといえばコロナ禍下で制作した『BOLERO 2020』 [鑑賞メモ] が秀逸で印象が強く残っていて、 それに比べると Maurice Béjart を踏まえたオーソドックスな演出とは思いましたが、祈念するダンスとしてよりストレートに感じられました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

この日は熱はすっかり下がっていたものの、その前の水曜から木曜にかけて39度超えの発熱。 どうしようか少々悩んだのですが、午前に病院で診察してもらったところ、抗体検査でコロナもインフルも陰性という結果になりました。 体調はほぼ通常に戻っていたので、観に行くことにしたのでした。

[4275] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jul 21 18:16:11 2025

6月最後の28日土曜は午後に上野へ。このコンサートを聴いてきました。

Kronos Quartet plays <with> Terry Riley
東京藝術大学奏楽堂
2025/06/28, 15:00-17:20
«Salome Dances For Peace - 5. Good Medicine: Good Medicine Dance» (1985-86), «Welcome Piece for Gabriela & Ayane» (new work), «Cadenza on the Night Plain» (1983).
improvisation: Terry Riley & Sara, improvisation: Terry Riley, Sara & Kronos Quartet.
Terry Riley, Sara [宮本 沙羅]; Kronos Quartet: David Harrington (violin), Gabriela Díaz (violin), Ayane Kozasa [小笹 文音] (viola), Paul Wiancko (cello).

コロナ禍でアメリカへ帰ることができなくなったことを契機に日本を拠点としている作曲家・演奏家 Terry Riley の、 長年 Riley の曲を演奏してきた Kronos Quartet を迎えての、90歳誕生日を記念したコンサートです。 前半約1時間は Kronos Quartet による Terry Riley の曲の演奏で、Kronos Quartet 新メンバー2名に宛てた新曲を挟んで、1980年代の曲から。 80歳を記念したアンソロジー One Earth, One People, One Love: Kronos Plays Terry Riley (Nonesuch, 538925-2, 2015) を通してある程度予想はしていましたが、 いわゆるミニマル・ミュージック的な反復要素はすでにかなり後退しており、ヴァイオリン属ならではの微分音やグリッサンド使いもあって、 むしろ北インド古典音楽などのモーダルな音楽に近い印象を受ける演奏でした。

後半は即興演奏。まずは、Riley と日本拠点後の共演者 Sara [宮本 沙羅] によるキーボード、タブレットのデュオ、 というよりも Sara は Riley のアシスタント的な演奏で、実質、拡張された Riley のソロでしょうか。 即興といってもアブストラクトなものではなく、インド的なモードにジャズのスタンダードのフレーズを交えた演奏は、モーダルというかスピリチュアルなジャズのようにも感じられました。 最近はこんなことをやっているのか、と。 最後は Kronos Quartet も加えての大団円的なフィナーレで、 こちらは初期の曲 «A Rainbow In Curved Air» (1968) に基づく即興でした。

Steve Reich, Philip Glass と並ぶミニマル・ミュージックのパイオニアと見做されることが多い作曲家ですが、 今回のコンサートを聴いて改めて、今はそこからはかなり外れた所にいるのだな、と実感しました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

この日は昼過ぎまで母の入院した病院へ行ったりとバタバタしていたのですが、昼食抜きにはなりましたが、なんとか開演に間に合いました。 前売りを無駄にしたくないというモチベーションもありましたが、やればなんとかできるものだ、と。

[4274] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jul 20 21:36:11 2025

約1ヶ月前の土曜6月19日は午後に与野本町へ。

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
2025/06/21, 14:00-16:20.
Director/Choreographer: Akram Khan.
Creative Associate/Coach: Mavin Khoo; Writer: Tariq Jordan.
Dramaturgical Advisor: Sharon Clark; Composer: Jocelyn Pook; Sound Designer: Gareth Fry; Lighting Designer: Michael Hulls; Visual Stage Designer: Miriam Buether; Art Direction and Director of Animation: Adam Smith (YeastCulture); Producer/Director of Video Design: Nick Hillel (YeastCulture); Rotoscope Artists/Animators: Naaman Azhari, Natasza Cetner, Edson R Bazzarin.
Dancers: Maya Balam Meyong, Bea Bidault, Ferghas Clavey, Harry Theadora Foster, Filippo Franzese, Bianca Mikahil, Jasper Narvaez, Max Revell, Elpida Skourou, Jan Mikaela Villanueva, Lani Yamanaka.
Coproduced by Curve Leicester, Attiki Cultural Society – Greece, Birmingham Hippodrome, Edinburgh International Festival, Esplanade – Theatres on the Bay Singapore, Festspielhaus St. Pölten, Internationaal Theater Amsterdam, Joan W. and Irving B. Harris Theater for Music and Dance – Chicago, Lincoln Center for the Performing Arts – New York, Maison de la Danse / Pôle européen de création – Lyon, National Arts Centre – Canada, New Vision Arts Festival – Hong Kong, Orsolina28, Pfalzbau Bühnen – Theater im Pfalzbau Ludwigshafen, Romaeuropa Festival, Stanford Live / Stanford University, Teatros del Canal – Madrid, théâtre de Caen, Théâtre de la Ville – Paris.
World Premiere: 7 April 2022, Curve, Leicester.

コンテンポラリーダンスの文脈で活動するバングラディシュ系イギリス人振付家 Akram Khan の久々の来日公演です、 2018年に子供向けの Chotto-Desh 公演 [鑑賞メモ] はありましたが、 実質、2013年の Desh [鑑賞メモ] ぶりです。 Disney がアニメーション化もしているイギリスの作家 Rudyard Kipling の児童文学短編集 The Jungle Book (1894) の “Mowgli's Brothers” と “Kaa's Hunting” をベースに 主人公 Mowgli を少女に、舞台を温暖化による海面上昇で水没しつつある廃墟となった都市と置き換えて自由に翻案した物語を、 今回は自身は踊らないものの、11人のダンサーを使いスケール大きく物語ダンス作品としていました。

廃墟となった都市で母親とはぐれた少女 Mowgli のサヴァイヴァル冒険譚ですが、その世界はまさにポスト・アポカリプス (終末後の世界)。 狼の群れに育てられた後、黒豹 Bagheera と熊の Baloo を保護者的な相棒として冒険に出ます。 途中、Bandar-log のサルのたちの国に攫われてしまいますが、そこはまさにディストピア。 Bagheera や Baloo、敵か味方が微妙なニシキヘビの Kaa らに救出されますが、Mowgli は人間の世界へ戻ることにします。 しかし、銃撃で Bagheera や Baloo は殺され、更に水没が進んで人々は高台へ逃れ、と、厳しい将来を予想させつつ終わりました。 そんなディストピアに抵抗するポスト・アポカリプス物の展開に、そこまでハードでは無いものの Furiosa: A Mad Max Saga [鑑賞メモ] 味を感じてしまいました。 また、水没する都市や紛争のイメージに、数十万人の犠牲者がでた1970年バングラディシュのボーラ・サイクロン (1970 Bhola cyclone) による高潮と、その後のバングラディシュ独立戦争を連想もしました。

バングラディシュの森を思わせる線画アニメーションを使った演出は Desh を思わせるものがありましたし、 半ばテクスチャ化されたセリフやナレーションに合わせてのダンスに Zero Degree [鑑賞メモ] を思い出しもしました。 マーシャルな動きを使った戦闘シーンはもちろん、主人公以外は動物ということで動物の動きに着想したダンスが多用されていましたが、そこは特に動物に拘らなくてもよかったのでは無いかと思ってしまいました。 一方で、Akram Khan が得意とするカタック (kathak) 的な動きは印象に残りませんでした。 斬新な表現手法を試みているというより、地球温暖化による海面上昇や大規模な生物種絶滅、社会の分断などの現代社会の問題を The Jungle Book を通して語るために、今までの作品で培ってきた様々な表現手法を駆使しているように感じられました。

最近の Akram Khan は English National Ballet への振付演出の仕事もしていますが、 ストリーミングで観る機会のあった Giselle (2016) [鑑賞メモ] や Creature (2022) [鑑賞メモ] も、現代的でダークなディストピアの物語として古典的な物語を翻案した物語バレエでした。 Akram Kahn 振付でも English National Ballet でもないですが、 Northan Ballet による Jonathan Watkins 振付・演出の 1984 (2015) [鑑賞メモ] というのもありました。 今回の Jungle Book reimagined はバレエのイデオムはほぼ全く使っていませんでしたが、 翻案物の物語バレエ/ナラティブダンスに連なるような作品、物語バレエに強いイギリスの伝統に連なる作品なのかもしれません。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

この日は、この後、渋谷へ。 公園通りを登った辺りにあるエル・スール・レコーズ (El Sur Records) が、 この週末で渋谷での最終営業ということで、顔を出してきました。 最近でこそ足が遠のきがちでしたが、 量販店では扱いの悪い非英米圏のレコード・CDに強い貴重なお店で、また、なかなか得難い客のコミュニティがあるということで、 1990年代半ばのトルコ料理店の入ったビルの2階にあった時から、 1953年竣工の旧宮益坂ビルの10階へ移転した2000年代まではかなり頻繁に通い、お世話になっていました。 渋谷での最後の週末営業ということで、多くの常連客が集い、店内は宴会状態。 久々に会う方も多く、楽しいひとときを過ごせました。 結局、閉店ではなく移転ということで、9月頃には江戸川橋地蔵通り商店街で営業を再開することのこと。 お店が続くということで、良かったです。

しかし、まだユーロスペース/シネマヴェーラとイメージフォーラムがあるとはいえ、 行きつけのジャズ喫茶 (メアリージェーン) がなくなり、馴染みのバー (Li Po) がなくなり、 そして、馴染みのレコード・ショップがなくなり、と、 渋谷は自分とは縁の無い街に変わってしまったな、と。

そして、この翌日曜早朝、母が倒れたと救急から電話が入った、ということで、色々節目がきていると感じざるを得ません。

[4273] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jul 14 0:22:46 2025

約1ヶ月前の土曜6月14日は昼に立川へ。 2017年から静岡県掛川市で開催されている野外音楽フェス FESTIVAL de FLUE のスピンオフ企画として 2022年に始まった都市型の音楽フェス FESTIVAL FRUEZINHO。 それなりに気になるラインナップですし、野外ではなく着席でゆっくり聴くこともできそうで、 最近めっきり足が遠のいてしまっているライブのリハビリに良いかもしれない、と、 6月14日に立川ステージガーデンで開催された FESTIVAL FRUEZINHO 2025 へ足を運びました。

立川ステージガーデン
2025/06/14, 12:00-13:20
石橋 英子 (vocals, keyboards, etc), ermhoi (chorus, synthesizer, etc), Jim O’Rourke (guitar), 山本 達久 [Tatsuhisa Yamamoto] (drums), 松丸 契 [Kei Matsumaru] (alto saxophone), 西口 明宏 [Akihiro Nishiguchi] (tenor saxophone).

12時に会場に着いて入場列待ち後のホール入りだったので、冒頭の15〜20分程は聞けませんでした。 まだ空いていた1階席の後方で座って鑑賞しました。

石橋 英子 というと漠然と映画のサウンドトラックの印象が強かったのですが、聴いた範囲ではほぼ全曲歌あり。 それも抽象的なボイスではなく、むしろ、エセリアルかるテクスチャルな dream pop に近いものでした。 未聴で臨んだのですが、今年3月リリースの新作 Antigone (Drag City, 2025) のライブとでもいう内容でしょうか。

立川ステージガーデン
2025/06/14, 13:50-15:10
John McEntire (drums, keyboards), John Herndon (drums,keyboards), Dan Bitney (keyboards,drums), Doug McCombs (bass), Jeff Parker (guitar).

そのままの席でゆっくりのつもりが客が増えて後方まで実質立席状態になったので1階を退散。 まだぽつぽつとしか客がいなかった3階正面近くの席に座って、ゆったり鑑賞しました。

シカゴのバンド Tortoise をよく聴いていたのは Millions Now Living Will Never Die (Thrill Jockey, 1996) など1990年代後半の post-rock の文脈で、2000年代に入ってからの活動についてはすっかり疎くなっていました。 そんなことから、ツインドラムで rock イデオム強い出だしには、post-rock って何だったのだろうという気分にもなりました。 しかし、やがて glockenspiel / xylophone を交えるようになるとそれらしい展開になり、 Jeff Parker もマレットを手に加わり、Steve Reich 流 minimal music 風の曲を演奏もしました。 最後には複合した複雑なリズムの手拍子を刻むことを観客に促し会場を盛り上げてフィニッシュしました。 石橋 英子 のバンドにいた Jim O'Rourke が飛び入りするかもしれないと期待しましたが、それはありませんでした。

立川ステージガーデン ホワイエ (2階席後方)
2025/06/14, 15:20-16:00
小暮 香帆 [Kaho Kogure] (dance), Billy Martin (drums, percussion).

ステージでやるのかと勘違いして会場に着くのが遅れ、最初は人垣越しに遠目に、そのうち比較的余裕があり雨にも当たらない2階客席側から観ました。

日本のコンテンポラリーダンスの文脈で活動するダンサー 小暮 香帆 と、トリにも出演するドラム/パーカッション奏者 Billy Martin (Medeski, Martin & Wood) のデュオです。 このような構成では比較的狭い空間で音に反応し対話していくような動きになりがちですが、 空間を広く取り少々厚目の長いフロアシートを使ったりと、空間を描くような動きも組み込まれていたのは、よかったでしょうか。 それだけに、雨で滑りが悪くなったか重くなってしまったかフロアシートの取り回しを使った演出がうまく行かなかったように見えたのは残念でした。

立川ステージガーデン
2025/06/14, 16:30-17:50
Mônica Salmaso (vocals, percussion), André Mehmari (piano).

ホワイエからの流れで席に座れたので、2階正面の席から観ました。

Mônica Salmaso といえば1990年代後半に Pau Brasil 関連のミュージシャンのバッキングでのソロ作や ビックバンド Orquestra Popular de Câmara で注目されたブラジル・サンパウロの女性歌手です。 2000年前後に少々後追いで録音を追いかけていた頃がありましたが、最近はすっかり疎くなっていました。 今回は、ピアノ奏者の André Mehmari との Elis & Tom (Philips (Brasil) / Verve (US), 1974) トリビュートのライブでした。 Salmaso の歌の伴奏に Mehmari に徹することなく流麗な演奏で、Salmaso もパーカッションを手に少し渋みの効いた落ち着いた歌声で、2人で対等に組み合って作り上げていくよう。 ミニマリスト的というほど音数少ないわけではないけれども無駄なく端正に聴かせました。

立川ステージガーデン ホワイエ (2階席後方)
2025/06/14, 18:00-18:40
Fabiano do Nascimento (guitar, electronics, vocals), 小暮 香帆 [Kaho Kogure] (dance).

ブラジル出身でアメリカ・ロサンゼルスと東京を拠点に活動するミュージシャンです。 2000年代から活動するミュージシャンですが、自分が知ったのは2020年代に入って、 Sam Gendel / Leaving Records 界隈の録音です。 リバーブ深めなアコースティック・ギターに微かにエレクトロニクスを効かせ、テクスチャ的な歌を軽く添えます。 半屋外の人垣の中でというより観客の少なめのギャラリー的な空間でのライブがハマりそう、と。 後半、小暮がダンスで絡みましたが、ギリギリまで人垣が迫ったような状態だったので、少々厳しかったでしょうか。

立川ステージガーデン
2025/06/14, 19:20-21:00
John Medeski (keyboards), Billy Martin (drums, percussion).

一旦外に出て、カフェにて軽食で小腹を満たしつつの休憩。 その後、ホールに戻っても席が難しいかなとも予想したのですが、あっさり座れたので、2階正面の席から観ました。

1990年代にジャムバンドとして注目されたニューヨークのバンド Medeski Martin & Wood です。 Friday Afternoon In The Universe (Gramavision, 1995) など独立系レーベル時代は好んで聴いてましたが、 1998年のメジャー (Blue Note / Capital EMI) 移籍以降は疎くなってしまっていました。 今回の来日はベースの Chris Wood 抜きのデュオの編成ですが、Wood が脱退してしまったというわけではないようです。 オルガンのフレーズもグルーヴィなジャムバンドらしい演奏と 彼らのバックグラウンドであるフリーなジャズ/即興の抽象度高めの演奏を行き来する展開でした。 グルーヴィな展開の時の方が観客は盛り上がりますが、 アウトな展開でのMedeskiのオルガンのSF映画のサントラのようなスペーシーな響きや、Martinのエフェクト効かせた小型フレームドラムの細かく刻む音を楽しみました。

最近好んでよく聴いている、というより、昔よく聴いていたけれども最近は少々疎くなっていた音楽で、 行くまでどこまで楽しめるか未知数でした。 最悪退屈してしまったら、音楽を聴きながら読書でもいいかな、と思ってましたが、会場で読書することはありませんでした。 体力的にもさほど厳しくなく、12時過ぎから21時頃までの約9時間、休憩を挟みつつもライブ音楽漬けの1日を楽しむことができました。 しかし、Tortoise や Medeski Martin & Wood は1990年代後半、Mônica Salmasoも2000年前後、と、あれから四半世紀経ってしまったのかという感慨に浸ってしまいました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

金曜 (7/11) は、急性期の病院からリハビリ病院の母の転院の予定だったのですが、 その前々日水曜午後から急速にそして夜に39.2度という最悪なタイミングで体調を崩してしまいました。 何とか、随行の代理を含め各方面調整でき、金曜に転院させることができました。 最近また新型コロナが流行加速傾向で、39度超の時はついに罹ってしまったかと覚悟しましたが、 土曜 (7/12) 朝イチに行った病院での新型コロナ抗体検査結果は陰性でした。 コロナ禍が始まった2020年以来、今のところまだ罹患を免れてます。 しかし、既に厳しかったところで体調を崩してしまい、趣味生活も含め公私とも色々崩壊してます。 このサイトへの鑑賞メモの更新も大幅に遅れていますが、こんな状態ですので、ご理解ください。

[4272] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jul 7 21:12:41 2025

6月7, 8日土日の京都旅行の話の続きです。 土曜は夜までフル稼働だったので、日曜午前はホテルで休息。 午後はバスに乗って洛西の沓掛へ。 関西エアリアル沓掛スタジオヴァーティカルダンスを体験してきました。 講師はストレンジシード静岡2025にも出演していた Co.SCOoPP のAsamiさん。 関西エアリアル / Co.SCOoPP の活動にはそれ以前から気になっていましたが、 今年のストレンジシード静岡の投げ銭タイムでお話する機会があり、それをキッカケに訪問することになったのですが、 単に見学するだけでは面白くないということで、クラス受講を申し込んだのでした。

全くの初心者でしたが、丁寧な指導のおかげで、壁に横立ちして、少し前後に移動し軽くジャンプできるくらいになれました。 自身では大きくジャンプしようとしているつもりですが、撮ってもらった動画を見ると少しだけですね。 意識してコントロールしないと足が下がりがちで、 もちろん、バランス、タイミングを崩して制御不能になることも少なからず、です。 体幹を鍛えないと空中姿勢が保てないと痛感しました。 ヴァーティカルダンスの前にまずは普通のダンスなどで体幹や手足の動きを鍛えないと、横立ちより先になかなか進めなさそうです。

2010〜12年に当時、世田谷パブリックシアターでやっていた土曜プレイパークという一般向けワークショップに度々参加していたこともありましたが [その時の話: 2010年, 2011年, 2012年]、 こういうことを体験するのもそれ以来です。 観客として観るだけでなく、たまにはこういう体験をするのも面白いものです。

ちなみに、関西エアリアル沓掛スタジオでは、今回自分が受講したヴァーティカルダンスのクラスだけでなく、シルクやフープなどエアリアル各種のクラスを開講しています。 関西エアリアルのツイートでTV取材が紹介されていますが、 大人になってからバレエやフィギュアスケートを始める (再開する) 「大人バレエ」や「大人スケート」が話題になったりしますが、大人エアリアルというのも全くアリですね。

そもそもは Anselm Kiefer: Solaris 展 [鑑賞メモ] を観るために行くと決めた京都ですが、 せっかく行くのであれば、と、サファリ・P 『悪童日記』観劇 [鑑賞メモ] など他の予定を入れたら、 結局盛りだくさんとなって何が主目的だったのかわからない状態に。しかし、充実した週末が過ごせました。 詰め込み過ぎはよろしくないと反省しつつ、やはり、首都圏で完結せずにフットワーク良く関西などに遠征するのも良いものです。

しかし、その後、独居していた母が倒れて入院し、そのサポートをしつつ、リハビリ病院探しや介護申請などに奔走する日々になってしまいました。 今から思うと、あのタイミングで京都に行けて良かった、と、つくづく。現状では一泊遠征など無理です。

[4271] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jul 6 22:00:51 2025

6月7日土曜の京都での話の続きです。午後イチに舞台を観た後は、二条城へ。この展覧会を観てきました。

Anselm Kiefer
『アンゼルム・キーファー:ソラリス』
元離宮 二条城 二の丸御殿台所・御清所
2025/03/31-2025/06/22 (会期中無休), 09:00-16:30.

(西)ドイツで1960年代から現代美術の文脈で活動するAnselm Kieferの大規模な個展は、 回顧展ではなく2010年代以降の作品で構成された、美術館・ギャラリー以外の場所を使っての展覧会です。 20世紀の作品を美術館の収蔵品展示で観たり、 この展覧会の主催者でもある Fergus McCaffrey の Tokyo ギャラリーで最近の作品の個展を観る機会はありましたが [鑑賞メモ]、 この規模の個展を観るのは初めてです。

会場となったのは1994年に「古都文化の文化財」の一つとしてUNESCO世界遺産 (世界文化遺産) 登録された元離宮 二条城。 といっても、1600年前後の桃山文化の絢爛さを残す国宝の二の丸御殿を展示に使ったわけではなく、 展示会場はその隣の1626年築と言われる台所・御清所、豪華絢爛とは対照的な装飾を排した壁、板戸、柱や梁からなる内部を持つ、二の丸御殿の舞台裏とでもいう性格の建物です。

二条城の豪華絢爛な金箔地の襖や壁と Anselm Kiefer の金字の絵画の類似がこの会場へ導かれるきっかけ [『美術手帖』の記事] という一方、 ステートメントで谷崎 潤一郎『陰影礼賛』の一節を用いた [『Tokyo Art Beat』の記事] といいますが、 『陰影礼賛』を二の丸御殿が象徴する豪華絢爛な桃山文化と関係付けるのには無理がありますし、 結局、二の丸御殿とは対照的な空間を展示場所としていますし、 サイトスペシフィックな展示における場所の文脈を考えると釈然としない所が多い展示でした。 会場でPDF配布された展覧会概要の「IV 江戸、そして時の河」のテキストの、 狩野派と琳派 (尾形光琳) と浮世絵 (印象派へ影響を与えた) が日本美術として一括りとされているような記述も引っかかってしまいました。

しかし、大人数の宴席の調理を目的とした機能的で飾り気ない広い土間や板の間が広っており、 日本家屋にしては現代美術の大きな作品の展示に向いた大規模な空間です。 作品や展示の文脈を読み込むことを促されるような展示ではありませんでしたが、空間の雰囲気を展示込みで楽しむことができました。

ホワイトボックスというよりブラックボックスに近い展示空間に、 ほぼ照明を使わず開かれた戸や障子ごしの自然光を生かした展示は、抽象表現主義にも近い粗いテクスチャの画面の凸凹や金色の煌めきを際立たせていましたし、 大判な絵画も狭苦しく感じず、その展示空間の光の趣も含めて楽しみました。 特に、台所の板の間が広がる空間を使い、障子こしの柔らかい光をオブジェに対して逆光というか背景光とする展示が気に入りました。

台所の入り口前、土蔵に囲まれた場所に置かれた高さ10m近い鉛、スチール製の Ra (2019) などは空間に対する異化作用の方が大きく感じられました。 しかし、19世紀半ば風の女性のドレススカートを樹脂や鉛で模った上に象徴的な立体を載せた Maât-Ani (2018-24) や Margarethe von Antiochia (2024) のようなシュールレアリスティックな立体作品を白川砂敷きの庭や土間に配した展示や、 板の間いっぱいに金の麦畑を作った Morgenthau Plan (2025) は、 Joseph Beuys のヴィトリーヌ (vitrine) 作品の影響を感じる Kiefer のガラスケース作品の 日本家屋の部屋や庭園を使ってスケールアップした変奏のようにも感じられました。

Anselm Kiefer: Solaris を観た後、このギャラリーにも足を運びました。

Taka Ishii Gallery Kyoto (Yoda-cho)
2025/05/03-2025/06/21 (日–水・祝休), 10:00-17:30.

Cerith Wyn Evans はウェールズ出身、1980年代は映画監督 Derek Jarman のアシスタントして 映画だけでなく Throbbing Gristle、The Smiths や Pet Shop Boys のミュージックビデオを、 また自身が監督として The Fall のミュージックビデオを手がけるなどの活動をした後、 1990年代以降はコンセプチャル・アートの作風で現代美術の文脈で活動しています [VICE 誌のインタビュー記事, 2010]。 といっても、British Young Artists とは微妙に文脈がズレることもあってか、現代美術作家としての作品を観る機会は無く、今回、初めて観ました。

会場は京都の築約150年の町屋をほぼ築当時の状態に復元して使うという形で2023年にオープンしたギャラリー。 そのギャラリーに入り、建物の内部を眺めても、一見、展示があるようには見えません。 注意して見ると、壁際に透明なガラス板が立てかけてあります。 障子やガラスの窓や戸を越して入ってくる光をそのガラスが反射するささやかな煌めきを、 陰影深い近世日本建築である町屋の空間と合わせて楽しむインスタレーションでした。 内藤 礼 のインスタレーション [鑑賞メモ] にかなり近い鑑賞体験でした。

それ以外にも、床の間を使ったインスタレーションや、ギャラリー内を撮影したフォトグラビュール (フォトエッチング) 作品もありましたが、 インスタレーションで体験する陰影のあわいに比べると趣に欠けるものでした。

このギャラリーへ足を運ぶのは2024年の Sterling Ruby: Specters Kyoto [鑑賞メモ] に続いて2度目。 今回は Anselm Kiefer: Solaris と続けて、 計らずしも『陰影礼賛』を参照した展示を観ることになりましたが、 力技の感もある Kiefer よりも、ひっそりささやかな Evans の方が、今の自分には合っていました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

展覧会を2つ観た後はホテルへ。真夏日ではないもののそれに近い暑さに参っていたので、荷物を置いて、ひと休み。 その後、バスで河原町三条へ。新京極商店街にあるレコードショップ、 パララックス・レコード (Parallax Records) を覗いてきました。 ノイズや実験音楽に強いと知られるお店ですので、どんな店なのかという興味もあり。 1980年代から1990年代にかけてよく足を運んだ雑居ビルの一室を使ったレコード店の雰囲気を残していて、 かつ、自分も最近は行っても disk union 程度、と実店舗からかなり足が遠のいていたので、とても懐かしく感じました。 記念に何か買って帰ろうと棚を漁りつつ、昔はこういう所での出会いが大きかったなあ、と。

その後、夕食代わりに一杯やろうかと夜は居酒屋営業もしているというジャズ喫茶に電話してみたのですが、満席で残念。 仕方ないので、錦市場の人混みを避けつつ、それなりに店のある蛸薬師通を西へ歩きつつ店探し。 路地裏のさらに奥にあった比較的地元客の多そうだったワインバーでまずは夕食。 さらに、2軒目は烏丸通りを超えた所にあった比較的新めのジャズ喫茶/バーに入ってみました。 音にもこだわった雰囲気の良い店で、ヨーロッパの現代ジャズやピアノ・トリオなど最近の洗練された音をチョイスされているようでした。 が、調性のあるメロディアスなもので、自分の普段の興味関心の方向性とは直交した感も。 こういう時は「そんなものもあるのか」とお店のチョイスの音楽と店の雰囲気に任せて聴くのも良いものなのですが、 他の客がほぼいなかったこともあり好みに合わせてかけてくれようとしてくれて、少々ぎごちないやりとりをすることになってしまい、申し訳なかったです。 「ヨーロピアンジャズ、特に北欧ものが好きです」などと言ってしまったのが失敗で、むしろ、「ジャズはよくわからないのでお任せで」と言えばよかったかしらん、と反省しました。 自分の聴くジャズ (に限らず音楽) が世間のトレンドと大きく外れてしまっていることを実感した夜でした。

[4270] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jun 29 22:46:02 2025

6月7日土曜は朝に家を出て昼前には京都入り。午後イチにこの舞台を観てきました。

2025/06/07, 13:00-14:10.
原作: アゴタ・クリストフ 『悪童日記』 (Ágota Kristóf: Le Grand Cahier, 1986; 堀 茂樹 訳, ハヤカワ文庫, 1991/2001)
脚本・演出: 山口 茜; 出演: 芦谷 康介, 佐々木 ヤス子, 達矢 (以上 サファリ・P), 辻本 佳, 森 裕子 (Monochrome Circus).
初演: 2017年.

2015年から京都を拠点に活動するカンパニーの、2017年の第2回公演で初演して以来 リクリエーションを繰り返している作品の公演です。 ストレンジシード静岡2024で観たことがある程度の予備知識でしたが、劇場公演を観る良い機会かと、足を運びました。

原作は、枢軸国に加わりドイツ軍の影響下にあった第二次世界大戦中からソ連軍占領を経てハンガリー動乱までのハンガリーの20世紀半ばを、 夫殺しを疑われ町外れで独居する祖母の家に疎開で預けられた男子の双子の視点からミクロに描いた小説です。 その双子の日々を記したノートという形式の小説なのですが、少々アレンジされていたもの舞台作品中でも度々引用されていた 「作文の内容は真実でなければならない、というルールだ。ぼくらが記述するのは、あるがままの物事、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない。」 という作文のルールに従った、登場人物の内面描写を排した文体で書かれています。

その舞台の演出は、この作文のルールを置き換えたかのようなものでした。 6台の踏み台と後方への字幕投影程度の舞台美術に衣裳もモノトーンのミニマリストティックなもの。 複数人で一人の役を演じるようなことは基本的になく役と演者の関係こそ固定的でしたが、 リアリスティックな感情の演技は排され、ダンスやマイムをベースに様式的な動きと 5人の演者によって6台の踏み台の配置を変えていくことで状況を抽象的に描きだしています。 そんな演出を通して、社会の不条理さや双子の少年の心情をうっすらと浮かび上がらせていました。

個性を見出しづらいミニマリスト的で抽象度の高い演出ということもあると思いますが、 Simon McBurney / Complicite [鑑賞メモ] や 小野寺 修二 / カンパニーデラシネラの原作のある作品 [鑑賞メモ] などの マイム/フィジカルシアター的な舞台作品を連想する所も少なからずありましたが、 様式的な動きをベースとしたミニマリスト的な演出と内面描写を排した原作との相性も良く、好みの舞台作品でした。 むしろ、ストレンジシード静岡でも、この舞台作品に近い演出でスタイリッシュに上演してもよかったのでは、と。

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[4269] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sat Jun 28 23:22:19 2025

5月最後の土曜31日、初台で展覧会を観た後は、隣の劇場へ移動。この舞台公演を観てきました。

ブルノ国立劇場ドラマ・カンパニー, シュチェパーン・パーツル (演出), カレル・チャペック (作) 『母』
新国立劇場 小劇場
2025/05/31, 18:00-20:00.
Autor [Author]: Karel Čapek
Režie [Direction]: Štěpán Pácl
Obsazení: Tereza Groszmannová (Matka (Dolores)), Tomáš Šulaj (Otec (Richarde)), Roman Blumaier (Ondřej), Martin Veselý (Jiří), Vojtěch Blahuta (Kornel), Viktor Kuzník (Petr), Pavel Čeněk Vaculík (Toni).
Dramaturgie [Dramaturgy]: Milan Šotek; Scéna [Stage design]: Antonín Šilar; Kostýmy [Costume design]: Zuzana Formánková; Jazyková spolupráce [Language cooperation]: Eva Spoustová; Asistentka scénografie [Assistant of stage design]: Tereza Jančová; Asistent režie [Assistant of direction]: Vít Kořínek; Asistentka kostýmní výtvarnice [Assistant of costume design]: Julie Ema Růžičková; Hudba [Music]: Jakub Kudláč.
日本語字幕翻訳: 広田 敦郎.
Production: Národní divadlo Brno / Činohra
Premiéra: 8. dubna 2022 v divadle Reduta (Národní divadlo Brno)

チェコの演劇を観る機会は稀で、それに加え R.U.R. 『ロボット』 (1920) 等で知られる Karel Čapek (カレル・チャペック) の戯曲のオリジナルのチェコ語での上演を観られる、 という興味で、この新国立劇場・演劇部門の久々の海外招聘公演を観てきました。

上演された Matka 『母』は第二次大戦に向けての緊張が増す1938年に、それに先立つスペイン内戦 (1936-1939年) を受けて書き上げられた戯曲です。 オリジナルの時代設定は明示的ではないものの戯曲が書かれた戦間期と思われますが、それを現代に置き換えていました。 主人公は夫 Richarde をアフリカでの戦争で失った5人の子の母 Dolores です。 長男 Ondřej がアフリカへ医者として赴任して死亡した後から話が始まり、 続いて、パイロットの次男 Jiří が冒険飛行に失敗して死亡、 やがて、国内で発生した抗議運動がエスカレートして内戦状態になる中、 鎮圧する部隊にいた三男 Kornel、抗議運動へ加わった四男 Petr の双方とも死亡します。 内戦に乗じて外国の侵略が始まり、残された五男 Toni を失いたくない母は、防衛隊へ Toni を参加させまいとします。 しかし、やがて、子供達も侵略の犠牲になっていることを知り、母は Toni を防衛隊へ送り出します。

夫も4人の息子も、亡くなった後も亡霊となって登場するのですが、 亡霊であることを示すような演出は特に無く、まるで生前と同じよう。 亡父の書斎の中で繰り広げられるオーソドックスな密室劇の会話劇かのように演出されていました。 主人公 Dolores は老母として演じられることが多いそうですが、今回の演出では状況の中で葛藤する中年の女性として演じられていました。 現代の欧州の都市での暴動の映像やそれを伝えるニュース映像がTVに写し出される形で使われることで、 クリエーションを始めた時はロシアのウクライナ侵略以前で初演がその直後となったとのことですが、演じられている内容が現在の不安定化する国際情勢へ直結されたようなリアリティを感じるところもありました。 そして、比較的オーソドックスな演出が続いただけに、ラストの光の中へToniを送り出すような演出も印象的でした。

亡霊となった夫や息子たちを登場させる内容から幻想的な演出もあるかと期待したところもありましたし、 もう少し抽象的な演出の方が好みかなとは思いましたが、 時代を現代に置き換え映像なども使いつつ奇を衒い過ぎずに要を得た現代演出でした。

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[4268] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Wed Jun 25 23:30:03 2025

5月最後の土曜31日は午後遅めの時間に初台へ。この展覧会を観てきました。

東京オペラシティ アートギャラリー
2025/04/26-2025/06/22 (月休; 5/7休; 4/28,5/5開), 11:00-19:00.

京都服飾文化研究財団 (KCI, The Kyoto Costume Institute) 所蔵の衣装コレクションに現代アート作品を交えて構成した展覧会です。 衣装コレクションは、18〜19世紀は上流階級のドレス、 20世紀以降はいわゆるハイファッションのアトリエのものがメインで、コレクションで発表したものや舞台衣裳として作られた、作家性、作品性の高いものが展示されていました。 ファッション史を辿るような年代順の展示構成ではなく、願望の観点から5つのテーマを設定して構成されていました。

ハイファッションの衣装、特に舞台衣裳はコンセプチャルなものが多く現代アート作品に通じるものがあるというのはわからないではないのですが、 願望の反映としてのファッションという切り口と、むしろそういった物に対する批判的なアプローチを取る現代アートの相性がよろしくなく、 かといってその二者を衝突させるような企画でもなく、企画としては説得力に欠けるものがありました。

しかし、そんな企画を超えて、Comme des Garçons [川久保 玲] の 後に Merce Cunningham: Scenario (1997) [鑑賞メモ] の衣裳にもなった “Body Meets Dress, Dress Meets Body” と題された1997年春夏コレクションや、 Virginia Woolf: Orlando をテーマとした2020年春夏コレクションと Olga Neuwirth 作曲、Polly Graham 演出での Weiner Staatsoper によるオペラ化 (2019) での衣裳など、 ファッションと現代的なパフォーミングアーツ、現代アートの接続点をクリアに見せてくれたように感じました。

それ以外にも、現代演出のダンスやオペラの衣裳としてなら面白そうと楽しんで観た21世紀のファッションもありましたが、 むしろ、色々一回りして、ミニスカートなどが登場する以前の1950年代のこれぞモダンデザインなドレスは良いものだなあ、と、しみじみ感じるところもありました。

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4月半ばからの滲出性中耳炎で体調が優れず、集中力も落ちて筆が進まず鑑賞メモのバックログ山積しています。 6月下旬になってやっと中耳炎もかなり治ってきたかなと思ったところで、今度は身内が倒れてしまいました。 今年に入って厄災続き。さすがに、このサイトの更新も滞りがちになりそうです。

[4267] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jun 15 21:45:29 2025

一ヶ月近く前の話になりますが、5月22日木曜晩は、仕事帰りにふと思い立って初台へ。このコンサートを聴いてきました。

東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル, 初台
2025/05/22, 19:00-21:00
Felix Mendelssohn: The Hebrides overture, op. 26 (1830/1832)
Gustav Mahler: Adadio aus der Symphonie Nr. 10 Fis-dur (2014-15)
Georg Friedlich Hass: “... e finisci già” for orchestra (2011)
Georg Friedlich Hass: concerto grosso Nr. 1 for 4 alphorns and orchestra (2014)
Jonathan Stockhammer (conductor), Hornroh Modern Alphorn Quartet, 読売日本交響楽団 [Yomiuri Nippon Symphony Orchestra].

現代音楽 (contemporary classical) の作曲コンペに合わせて開催されるコンサート『コンポージアム』の審査員の曲の演奏会です。 今年の審査員となった作曲家 Georg Friedlich Haas はスペクトル楽派 (École spectrale) の流れを汲むとも言われるオーストリア出身の作曲家ですが、 今までCD/レコードも含め聴く機会はありませんでした。 そのような感じで特に予備知識はありませんでしたが、最近『コンポージアム』へ行けてなかったので、2022年以来の3年ぶりに足を運んでみました。

自作曲からなる後半の1曲目、10分弱の “... e finisci già” は、微分音も使い、倍音を意識してテクスチャを作るように音を重ねていくような曲でした。 この曲も興味深かったのですが、面白かったのは2曲目、約30分のアルプホルン4本とオーケストラのための concerto grosso Nr. 1。 アルプホルンは民族楽器的というよりむしろ低音の持続音発生装置のような使い方で、 音高をずらしたアルプホルンを持続音で鳴らすことで、うなりでウォンウォンと聞こえるようになります。 そこで、そのうなりに合わせるようにオーケストラが打楽器と弦楽器で Steve Reich も連想させるような反復するフレーズを脈動するように鳴らし、それを引き継いでいきます。 そして、それを再びアルプホルンのうなりへと返します。

パンフレットによると Haas はスコアの中でこれを「響きと連続体の幻影」と呼んでいるとのこと。 楽譜で書かれていても分解能低い自分の耳ではよくわからないことが多いのですが [鑑賞メモ]、この曲では本当にそう聴こえて、そのことにむしろ驚いてしまいました。 うなりの周期は周波数差によるので、正確なアルプホルンのピッチとオーケストラのテンポのコントロールが必要な演奏をしていると考えると、 自分にはオーケストラがこのように鳴ることを聴く機会など滅多に無いだけに、ますます面白く感じられました。 後半になると、コンチェルトらしくオーケストラの方がテクスチャ感強い音を響かせている中でアルプホルンが動き回ったりと、展開というか変化も感じられました。

前半は Haas 選曲による交響曲の抜粋2曲、合わせて30分余り。 おそらく、後半の自作曲に向けた意図あるとは思いますが、それを掴みかねました。 後半の2曲がかなり好みの音だったので、前半も Haas の曲を聴きたかったと思わせる、そんな演奏会でした。

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『コンポージアム』は度々足を運んでいますが、何が良いかというと、もちろんハズレが少ないというのもありますが、 満席で当日券が出ないということはまずなく、当日ふらりと観に行かれること。 なかなか平日晩の予定が立てづらいので、これはありがたいです。 長々とやることは稀で、大抵21時頃には終わる、というのも、体力的に優しいです。 ということで、これからも、気楽に聴きに行きたいものです。

[4266] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jun 2 21:46:00 2025

半月前の17日土曜は午後に乃木坂へ。この展覧会を観てきました。

Living Modernity: Experiments in the Exceptional and Everyday 1920s-1970s
国立新美術館 企画展示室1E, 企画展示室2E
2025/03/19-2025/06/30 (火休;4/29,5/6開;5/7休), 10:00-18:00 (金土 -20:00)

戦間期からミッドセンチュリーにかけての20世紀の住宅に焦点を当てた建築展です。 この時期に建てられてた傑作と見做される作家性の高い14邸を、 モダンな住宅と特徴付ける7つの観点 (衛生, 素材, 窓, キッチン, 調度, メディア, ランドスケープ) から読み解く展覧会でした。 14邸が強く順序づけられることなく置かれ、その中で資料を観点と紐づけられた色分けで示す展示です。 年代順や7つの観点ごとのような手がかりの薄い展示構成にしばらく捉え所無さを感じたのですが、 住宅に限らず建築はある1つの観点のみの問題解決をしているわけではなく、 14邸を核に多面的な解決を示しているということが腑に落ちてからは、むしろ回遊性の高さを楽しみました。

取り上げている時代からして展示されていたのは戦間期及び戦後のモダニズム色濃い設計の住宅ですが、 入り口すぐに置かれた Le Corbusier: Villa «Le Lac» (1923) や、 Ludwig Mies van der Rohe: Tugendhat House (1930) のような モダニズム本流のマスターピース的な邸宅よりも、そこから少し外れた建築に興味を引かれました。

そういう点で最も興味深く観たのは戦前日本の2邸、 藤井 厚二『聴竹居』 (1928) と 土浦 亀城『土浦亀城邸』 (1935) でした。 特に、『聴竹居』は和洋折衷というものですが、単に様式的な混交というよりも、 衛生面などモダンな解決がされたものだという点にに気付かされたり。 もちろんそれだけでなく、戦前の松竹や東宝のモダニズム映画の舞台にありそう、というか、 戦前のモダンな生活を垣間見るような興味深さもありました。

ほぼ欧米もしくは日本の男性の建築家ばかりの中、非欧米日本でかつ女性の建築家で取り上げられていたのが、 イタリア出身でブラジル・サンパウロで活動した Lina Bo Bardi による Casa di Vidro (1951)。 7つの観点から読み解いており女性的とされるような面は特に強調されていませんでしたが、緑との一体感は欧米とはかなり異なるセンスに感じられました。 また、資料の中にサンパウロのSESC (Serviço Social do Comércio, 商業連盟社会サービス) 関連のものがあったことも印象に残りました。 SESCはブラジルで芸術・スポーツ・文化の分野での公共サービスを提供している組織で、 特にサンパウロのSESC (SESC SP) は音楽やコンテンポラリーダンスの活動が盛んで、 その活動を (特にCDやレコードという形で) 垣間見る機会がありましたが、 建築・デザイン関連の面を垣間見ることができました。

モダニズム色濃い邸宅が揃う中、出口近くに展示された Frank Gehry: Frank & Berta Gehry House (1978) は典型的なポストモダニズム建築でした。 Matei Călinescu: Five Faces of Modanity (1987) の言うように、ポストモダニズムもモダニティの5つの顔の一つ、ということでしょうか。

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[4265] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jun 1 18:19:45 2025

残るゴールデンウィーク疲れもあって翌週末土曜は昼過ぎまでゆっくり。夕方遅めに銀座へ出て、この展覧会を観てきました。

『Any girl can be glamorous』
資生堂ギャラリー
2025/04/16-2025/05/18 (月休), 11:00-19:00 (日祝 -18:00)

資生堂ギャラリーの新進アーティストを対象とした公募プログラム shiseido art egg の第18回第2期は、即興音楽や現代美術の文脈で活動する すずえり [suzueri] (鈴木 英倫子) の展覧会です。 名に覚えはあるのですが、意識して作品を観るのは初めてです。

1914年オーストリア・ウィーン生で、1930年にウィーンで女優デビュー、1938年にハリウッドデビューした映画女優として知られる、 また、無線通信で広く使われている周波数ホッピングスペクトラム拡散方式の元となる周波数ホッピングによる秘匿通信技術を アヴァンギャルドの作曲家 George Antheil と共に発明した発明家としても知られる、 Hady Lamarr に着想した作品からなる展覧会です。 といっても、彼女に関してサーベイした資料を雑然と積み上げたような作品ではなく、 着想した造形作品を追う中に、彼女の一生の多面性や人生の困難が浮かび上って来るような作品でした。

作品としては、大きく分けて3つの作風からなり、 一つは、発明した秘匿通信技術の発想源となった自動ピアノに着想したトイピアノやアップライトピアノを改造した音が鳴る 「ピアノは魚雷にはのらない」 (2025) のような作品です。

もう一つは、発明家だった Hady Lamarr の秘匿通信技術を含む様々な発明を 3Dプリンタで造形して当時の資料や映像と組み合わせた作品 「暗号通信システムとコーラ・タブレット」 (2025) です。

三つ目は、Hady Lamarr に関係するインタビュー等の音源を電球の光にアナログ変調し 小型のソーラパネルに繋いだスピーカーで復調して聞かせる作品 「メルクリウス―ヘディ・ラマーの場合」 (2022-) です。 このインスタレーションが、視覚的にも美しく、ローファイな音の響きも良く、また、観客を能動的に動き回ることを促します。

この電球を使った作品が、自動ピアノに着想した作品や3Dプリンタの作品を繋ぎ合わせて、展覧会全体としてインスタレーションとしてのまとまりを作り出していました。 また、使われる音源の中で彼女の発明家だけではなくハリウッド女優としての面も取り上げることで、 彼女の生涯から当時の女性が取りうる選択の限界も見えるような、興味深いものとしていました。

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この後は日比谷へ移動。夕食を済ませた後、TOHOシネマズ日比谷で映画 Björk: Cornucopia 『ビョーク:コーニュコピア』 (Snowstorm Productions, S101 Films, Level Forward, 2025; Culture-Ville, 2025) を観てきました。 2023年の日本ツアーは観に行きませんでしたが、映画上映で観ておこうかと。 しかし、2016年に日本科学未来館で『Björk Digital ― 音楽のVR・18日間の実験』を観たときと同様、なんとも微妙な気分になってしまいました。 Biophilia (2011) とそのリミックス Bastards (2012) やライブ盤 Biophilia Live (2014) まではアルバムも買い続けていてそれなりに興味を持ってフォローしていたつもりですが、 Vulnicura (2015) 以降自分の興味関心からすっかり離れてしまった事に気付かされました。

[4264] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Thu May 29 23:28:51 2025

ゴールデンウィーク終盤、静岡から戻った翌5日は、さすがに疲れが出てぐったり。 しかし、天気が良いのにダラダラしてるのもよろしくないか、と、昼過ぎ遅めに池袋西口へ。 ゴールデンウィーク恒例の親子向けパフォーミングフェスティバル TACT (Theater Arts for Children and Teens) Festival は、 今年は東京芸術劇場が設備更新中で休館ということで、 劇場前広場やグローバルリングを使った野外フェスティバルとして開催されました。 そのプログラムとして、このサーカスを観ました。

Circus unARTiq: Circus unARTiq
東京芸術劇場 劇場前広場
2025/05/05, 15:00-15:30
Lisa Rinne & Andreas Bartl.

ドイツ拠点の2009年結成の男女ペアによるアクロバット, エアリアル, ジャグリングなどを組み合わせたショーです (『Happy Ever After』は邦題で、公式サイトでのショーのタイトルはカンパニー名と同じです)。 ステージトラスを高さ約10 mに組んだ物を足場に使い、その上でのクラブ・ジャグリング、 縄ハシゴを使ったエアリアル、トラスの柱を使ったヴァーティカル・ダンス的な動きに、 合間に Andreas ソロやペアでのハンド・トゥ・ハンドのアクロバットなども交えつつ、 最後は Lisa のダイナミックな空中ブランコ (swinging trapeze) で盛り上げました。

アーティなコンテンポラリーサーカスの劇場公演は最近も観続けていますが、 ちょっとロマンチックな男女の関係をコミカルに演じつつ技を見せていく 大道芸フェスの海外招聘枠で来るような野外サーカス・ショーを観るのは久しぶりでした。 このようなショーも楽しいものです。 しかし、この男女ペアは、コンテンポラリーサーカスのカンパニー Common Ground のメンバーとしても活動しています。このカンパニーでの公演も是非観たいものです。

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プログラムには大道芸や影絵芝居などもあったのですが、体力的に余力無く。 大道芸は少し遠目で観る程度で、無理せずこれだけを観て帰りました。 ゴールデンウィーク最終日の6日は降雨でTACT Festivalは中止。 5日に観に行ってしまって良かった。

実は4月12日頃から右耳の調子が悪かったのですが、20日頃から軽い頭痛や全身の倦怠感を感じるように、そして25日にはついに両耳の聞こえが悪くなってしまいました。 劇場や映画館、もしくは家で音楽を聴く時のような静かな中で音を聴くのはさほど気にならないのですが、 街中や飲食店内などのノイジーな環境では音がぼんやりと響いて聴こえるので、会話やアナウンスの声が聞き取りづらくなってしまいました。 これはまずいと5月1日に耳鼻咽喉科で診察してもらったところ、滲出性中耳炎でした。 「細菌感染を治療する薬」と「慢性副鼻腔炎でたまった膿を出しやすくする薬」を処方され、服薬し始めてすぐ頭痛や倦怠感が軽減され、17日には左耳の聞こえがよくなりました。 19日の診察で左耳の中耳炎は治ったとのこと。 薬を続ければ右耳も治る可能性があるとのことで、手術は見合わせになりました。 その後、服薬を続け、時々抜けるようになったので右耳の調子も上向いているような気がしますが、まだまだ不調です。 処方されている薬については酌等で軽く一杯飲んでも問題無いとは言われていますし、 美味しい料理には美味しいお酒を合わせたいので断酒まではしていませんが、 そもそも体調がすぐれないので、飲んでも休日に軽く一杯程度が限界となってしまっています。

1月の腎結石閉塞を伴う水腎症のため手術 (経尿道的尿路結石破砕術) 入院で始まった2025年でしたが、 そこからだいぶ復調したかと思ったら、今度は滲出性中耳炎。 4月に受けた人間ドックの結果も思わしくなく、今年に入って身体がガタガタです。

[4263] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun May 25 22:13:42 2025

SPAC-静岡県舞台芸術センターの ふじのくに⇄せかい演劇祭 改め SHIZUOKAせかい演劇祭 2025 の後半は、 3, 4日一泊で『ストレンジシード静岡2025』などを楽しんだ後[鑑賞メモ]、 最後に東静岡へ移動して、この舞台を観ました。

Théâtre national de Strasbourg, Caroline Guiela Nguyen
静岡芸術劇場
2025/05/04, 16:00-19:00.
Spectacle en Français avec des scènes en Tamoul, Anglais, langue des signes
Texte et mise en scène: Caroline Guiela Nguyen
Traduction langue des signes, anglais, tamoul: Nadia Bourgeois, Carl Holland, Rajarajeswari Parisot; Collaboration artistique: Paola Secret; Scénographie: Alice Duchange; Costumes et pièces couture: Benjamin Moreau; Lumière: Mathilde Chamoux, Jérémie Papin; Son: Antoine Richard, en collaboration avec Thibaut Farineau; Musiques originales: Jean-Baptiste Cognet, Teddy Gauliat-Pitois, Antoine Richard; Vidéo: Jérémie Scheidler; Motion design: Marina Masquelier; Coiffures, postiches et maquillages: Émilie Vuez; Casting: Lola Diane.
Avec: Dan Artus (Julien, patronnier; Présentateur radio; Contrôleur du travail), Dinah Bellity (Suzanne, mécanicienne, mère de Julien; Vera, Directrice du musée d’Alençon); Natasha Cashman (Dr. Villanova, médecin du travail; Claude, mécanicienne; Directrice du musée V&A, Ophtalmologue), Charles Vinoth Irudhayaraj (Abdul, brodeur; Mécanicien; Notaire; Convoyeur de fond du V&A), Anaele Jan Kerguistel (Camille, fille de Marion et Julien; Interprète; Assistante radio), Maud Le Grevellec (Marion, 1re d’atelier de la maison Beliana), Michèle Goddet (Thérèse, dentellière d’Alençon; Mécanicienne), Nanii (Sarah, sourceuse; Sophia, dentellière), Rajarajeswari Parisot (Anita, traductrice, Khadija, femme d’Abdul; Mécanicienne ; Dentellière), Vasanth Selvam (Manoj, directeur artistique de l'atelier Shaina; Alexander, Styliste de la maison Beliana).
et en vidéo: Nadia Bourgeois, Charles Schera, Fleur Sulmont; et les voix de Louise Marcia Blévins, Béatrice Dedieu, David Geselson, Kathy Packianathan, Jessica Savage-Hanford.
Production: Comédie de Genève.
Avant-premières du 14 au 18 mai 2024 au Théâtre National de Strasbourg.

作者であるフランス・ストラスブール国立劇場 (TnS, Théâtre national de Strasbourg) 芸術監督のCaroline Guiela Nguyen についての予備知識はありませんでしたが、 Festival d'Avignon 2024 で上演されたということもあり観でみました。

フランスの高級仕立服 (haute couture, オートクチュール) のクリエイションの現場を舞台にした作品です。 架空のパリのオートクチュール・メゾン Beliana の工房、ノルマンディ地方アランソン (Alençon) の王立工房に起源を持つレース工房、 ザリ刺繍 (Zari) と呼ばれる高度な伝統工芸で知られるインド西海岸ムンバイのレース工房、の3箇所を舞台とした群像劇で、登場人物も多く、上演時間も3時間にわたる長いものです。 主役は Beliana のアトリエ主任の Marion で、 Beliana が受注し Marion が任されたイギリスの王女のウェディングドレスのプロジェクトが失敗していく中で、 Marion の過重労働と夫 Julien からのDV、視力を犠牲に働くレースや刺繍の職人、 叔母が精神障害を持っていて授産としてレース工房で働いていことを知ることなど、様々な問題が浮かび上がり、 最後は Marion の自殺に至ります (冒頭の場面でも結果として Marion の自殺が冒頭でも提示されます)。 取材に基づくオリジナルの脚本で現実の社会統計の値なども提示されますが、 ドキュメンタリーではなく、少々メロドラマチックと感じるほどのドラマ仕立てでした。

登場する職人たちは高度な熟練技能を持ちそれに誇りを持って働いており、 第二次世界大戦後の欧州で整備されていった労働基準やそれに基づく職人たちの労務管理が遵守される中で、 非対称な力関係での契約ややりがい搾取といった形を通して浮かびあがる労働問題が描かれます。 非熟練労働者に対する収奪的な搾取が行われるファストファッションのスェットショップとは質が異なる一方、 むしろ、文化芸術分野での展覧会や公演などのプロジェクトはもちろん、科学技術分野での研究開発のプロジェクトに共通点が多くあるように感じられました。 自分の身近なものであれば、 無茶な要求をされても断れない重要なクライアントがいたり外面ばかりよく下に皺寄せするトップがいたりするという 典型的な大規模ITシステム開発のプロジェクト炎上案件の中でメンタルが壊れていく中間マネージャーに、 主役の Marion が被って見えて、他所ごととは思えませんでした。

パリ、アランソン、ムンバイの3つの工房という舞台を演技だけで切り替えられる程度には抽象化された舞台でしたが、 舞台の上にはサンプルのドレスや仕立てに関する道具に相当するものが並び、 ビデオ会議が頻繁に使われるということでそれを写し出すビデオのスクリーンが頭上に大きく掲げられています。 そんな舞台装置を駆使しての上演は、National Theatre Liveのように映像化しても映えそうです。 リアリスティックな演技で描いていたこともありTVドラマ数回分はあろうエピソードから置き去りにされることもなく、引き込まれて最後には思わず涙するほどでした。 しかし、舞台上の情報量が多い上に映像もあって、さらに字幕も加わり、目が迷いました。 もう少し抽象度高いミニマリスティックな演出が好みだとも思ってしまいました。

演劇祭前半の Comédie de Genève, Tiago Rodrigues: Dans la mesure de l'impossible 『〈不可能〉の限りで』とは、 題材をどこまでドキュメンタリー的に扱うかという点に違いはありますが、現実の社会問題に取材した多言語のオリジナル脚本という共通点がある演目でした。 そういう点にも演劇祭の方向性の変化を感じました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4262] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon May 19 0:44:09 2025

ゴールデンウィーク中は今年も3、4日に静岡で一泊。 去年 [鑑賞メモ] に引き続き、 ストリートシアターフェスストレンジシード静岡2025』と、 駿府城公園で開催されたSHIZUOKAせかい演劇祭2025』のプログラムを観てきました。

3日昼前に静岡入りして、まずは、呉服町商店街方面へ。

『ト(゛)リップ〜七ぶら編〜』
CITYエリア|七間町商店街(受付場所:CITYエリア インフォメーション)
2025/05/03, 11:30-12:00
作・演出: 村田青葉; 小道具: 工藤 早織; 衣装: 髙橋 響子; 制作: 菅野 未帆.
出演: 大和田 優羽, 佐々木 玲奈, 新沼 温斗, 藤原 慶, 村田 青葉, 菊池 佳南 (青年団/うさぎストライプ), 狩野 瑞樹 (三転倒立/ザジ・ズー).

岩手県盛岡市を拠点に活動する劇団による街の歴史に取材した作品で、 観客に街歩きガイドしつつ、歴史的エピソードを関連する場所で上演する作品です。 出発点は青葉シンボルロードの市庁舎側、そこから呉服町商店街を札の辻へ、七間町商店街を進んで、 青葉シンボルロードのもう一方の端の常磐公園がツアーの終点でした。

静岡は1995年に大道芸を観に初めて来て以来、秋の大道芸と春の演劇祭で何度となく通ってきた街で、 七間町に映画街がまだ残っていた頃をかろうじて知っていたものの、 老舗の婦人服店トンボヤ、十返舎 一九 の生家や、大火や戦災を生き延びた蔵など、この作品で気付いたことも多く、 演出としては少々ベタかとは思いましたが、新鮮に街歩きとそこでの寸劇を楽しみました。

終演後、常盤公園から長駆、駿府城公園 PARKエリアへ移動。

長岡 岳大 × 長井 望美
『ひろったものファンクラブ』
PARKエリア|二の丸橋から駿府城公園全域への回遊型パフォーマンス
2025/05/03, 12:50-13:35
作・演出: 長岡 岳大, 長井 望美, 濱口 啓介.
出演: 長岡 岳大, 長井 望美.

ホワイトアスパラガス [鑑賞メモ] としても活動する 長岡 岳大 (ex-ハチロウ) と、 人形劇団ねむり鳥主宰でサーカスアーティストとの共演も多い 長井 望美 [鑑賞メモ] の移動型のパフォーマンスです。 作・演出にゼロコの 濱口 啓介 が加わっています。

二の丸橋からスタートし二の丸御門跡広場を経由して富士見芝生広場の西側へ。 前半は「落とし物」 (といっても仕込みですが) を拾いつつ移動つつの 長岡 のジャグリングに時折 長井 が絡む展開でしたが、 富士見芝生広場の着いてからは木立の間に張った紐を使った人形劇的な展開へ。 長岡 を追いかける子供たちのリアクションが良くて、それ込みで楽しみました。

LINDA × 金光 佑実 × naraka
『とぶ...とばない...とぶ...とばない...と.....あっ。』
PARKエリア|児童公園 (駿府城公園 児童広場)
2025/05/03, 14:00-14:20
出演: LINDA; 音楽家: 金光 佑実; サウンドスーパーバイザー: 森尾 拓斗; セノグラファー: 原 良輔.

森尾 拓斗 × 演劇空間ロッカクナット の立体音響作品『naraka』を用いたパフォーマンスです。 『naraka』はセンサとホーン型のスピーカーを付けた立方体の金属枠で、そこにマイムのパフォーマンスが絡みます。 自分の耳の調子が悪かったこともあってか、立体音響の機微が野外では判りづらかったのが残念でした。

PARKエリア|児童公園 (駿府城公園 児童広場)
2025/05/03, 15:00-15:35
構成・演出: 宮田 直人.
出演: 江崎 遥, 上月 梓矢, 宮田 直人.

普段は劇場で公演している関西拠点のジャグリング・カンパニーで、野外はほぼ初めてとのこと。 タイトルから予想されるような借景を活用したサイトスペシフィックな演出というほどのものはなく、 かつての大道芸フェスティバルin静岡でオフ部門のパフォーマーを観ているような気分になりました。 しかし、男女混成でかつ3人組という編成や、台詞というか音楽に合わせてのラップのような語りを使う所など、 他の大道芸でのジャグリング芸ではあまりなさそうな特徴もあるパフォーマンスでした。

『まちなかサバ?リバイバル!』
PARKエリア|児童公園 (駿府城公園 児童広場)
2025/05/03, 16:30-16:50
演出: 安本 亜佐美.
音楽: 藤沢 祥衣.
出演: 板倉 佳奈美, 長野 里音, 藤沢 祥衣, 安本 亜佐美, リッカ.

去年 [鑑賞メモ] に引き続いて出場の京都のエアリアル/ヴァーティカルダンスのカンパニーですが、 今年は街中でのウォーキングアクトではなく、駿府城公園の児童広場にある大樹を櫓として活かしてのエアリアルをメインにしたプログラムでした。 もちろん、アコーディオンとトライアングルの生伴奏付き。 街中でのウォーキングアクトは異化作用の方が大きいのですが、 新緑の大樹はむしろ白いモコモコ姿と相性良く、まるで樹の精が現れたかのようなファンタジックな印象を受けました。

スケジュールに載った児童公園での上演だけでなく、 去年同様街中の方でも白いモコモコ姿でゲリラ的にパフォーマンスをし、 今年はそれに加えて呉服町商店街のビル壁でのヴァーティカルダンスもやったようでした。 行き交う人をグリーティングする様子は目撃できたのですが、 ヴァーティカルダンスを目撃できなかったのは、残念でした。

この後、ホテルへチェックインして荷物を置いたあと、再び駿府城公園へ。 『SHIZUOKAせかい演劇祭2025』かつ 『ふじのくに野外芸術フェスタ2025』のプログラムの公演を観ました。

駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場
2025/05/03, 18:45-20:30
構成・演出: 宮城 聰; 原作: वाल्मीकि [Vālmīki / ヴァールミーキ].
作曲: 寺内 亜矢子; 照明デザイン: 大迫 浩二; 舞台美術デザイン: 深沢 襟; 衣裳デザイン: 清 千草; 音響デザイン: 澤田 百希乃; ヘアメイクデザイン: 梶田 キョウコ.
出演 (S: 語り手; M: 動き手): 本多 麻紀 (ラーマ/S), 美理加 (ラーマ/M), 蔭山 ひさ枝 (シーター/S), 桜内 結う (シーター/M), 山本 実幸 (ラクシュマナ/S), ながいさやこ (ラクシュマナ/M), 舘野 百代 (ハヌマーン/S), たきいみき (ハヌマーン/M), 佐藤 ゆず (ジャターユス/S), 保 可南 (ジャターユス/M), 木内 琴子 (梵天/S), 池田 真紀子 (梵天/S), 吉植 荘一郎 (ラーヴァナ/S), 大高 浩一 (ラーヴァナ/M), 牧山 祐大 (ヴィビーシャナ/S), 加藤 幸夫 (ヴィビーシャナ/M), 貴島 豪 (インドラジット/S), 大内 米治 (インドラジット/S), 小長谷 勝彦 (ヴァールミーキ仙), etc.
初演: 2025年4月29日, 駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場 (ふじのくに野外芸術フェスタ2025).

恒例になっているSPACの駿府城公園での野外公演は今年も新作で、 ク・ナウカ時代の作品でSPACで再演した『マハーバーラタ 〜ナラ王の冒険〜』 [鑑賞メモ] に続きインド古典の叙事詩から。 予習不足で物語に付いていけるか不安がありましたが、 『マハーバーラタ 〜ナラ王の冒険〜』よりもシンプルな英雄の冒険譚で、 ヴァールミーキの講談調のナビゲーションもあって、とてもわかりやすく感じました。 様式的ながらアイデア満載のアクションシーン、小型トラックの荷台に載せて大きく移動する楽隊などの演出も楽しみました。 しかし、その一方で、去年の『白狐伝』 [鑑賞メモ] のようなメロドラマ的な物語の方が冒険譚より好みだとも、気付かされてしまいました。

ここ数年、せかい演劇祭でのSPACの公演は駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場が続いています。 特設会場の方が小型トラック使用等の自由度がありそうですが、 『マハーバーラタ 〜ナラ王の冒険〜』を思い出しつつ、 美しい夜の静岡県舞台芸術公園 野外劇場「有度」での上演で観てみたかったとも思いました。

3日はここまで。一泊後、4日も午前から青葉シンボルロードで ストレンジシード静岡2025』の続きを観ました。

『ベンチ』
CITYエリア|おまち3 (青葉シンボルロードB3区画)
2025/05/03, 10:00-10:30
作・演出・出演: 角谷 将視, 濱口 啓介.

劇場公演も多いのですが、大道芸フェスティバルにも度々出演している、フィジカルコメディの2人組です。 その名は度々目にしていたのですが、タイミングが合わず、今回初めて観ました。

言葉を用いないパントマイム劇ですが、自身の動きを使って空間を変容させたり状況を描くことではなく、 客弄りというか観客を巻き込んで笑いを作り出す要素の強いクラウン芸的なもの。 と言っても、わかりやすくクラウン的な化粧服装をしていない所は現代的です。 状況に応じた即興的な対応が求められるパフォーマンスですが、 少なからず大道芸フェスティバル等の野外上演をしてきているだけあって、その捌きも巧みでした。

『シワノヴァパレード』
CITYエリア|おまち3 (青葉シンボルロードB3区画) から常磐公園への移動型パフォーマンス
2025/05/04, 11:00-11:30
作: 太めパフォーマンス; 舞台美術: 佐々木 文美; 制作協力: 市川 まや, 佐々木 文美; 音響プラン: 横田 奈王子.
出演: 乗松 薫, 市川 まや.
協力: 北九州芸術劇場; 初演: J:COM北九州芸術劇場 2024年11月.

福岡を拠点に活動する 乗松 薫 と 鉄田 えみ のダンスカンパニーです。 コンテンポラリー・ダンスの文脈で名を知ってはいましたが、観るのは初めてです。 彼女たちが街中でダンスながら移動する様子を観ながら追いかけるという展開を想像していたのですが、 彼女たちのダンスの見せ場はありましたが、むしろ、願いを書いた大きなしわくちゃの紙を観客の皆で持って移動する (パレードする) という、 観客参加型のパフォーマンスという面が強いものでした。

『音のある風景』
CITYエリア|ワークショップひろば[CITY] (葵スクエア) からARTIEへの移動型パフォーマンス
2025/05/04, 11:40-12:05
振付: 鈴木 ユキオ; 音楽: 辺見 康孝.
出演: 鈴木 ユキオ, 辺見 康孝, ほか大勢.

去年に引き続いての [鑑賞メモ] の出場ですが、 今年は駿府城公園ではなく呉服町と七間町という賑やかな商店街が舞台です。 時々動きを止めつつ何十人ものパフォーマーが踊りながら移動するという点は去年と同様ですが、 タイトルにも「音のある」とあるように、パフォーマーの中にミュージシャン (ヴァイオリン) が入り、生演奏が作くようになりました。 賑やかな街中を舞台としたこともあって大人数で風景を変えるという面はより穏やかになった一方で、 特にラストのARTIEなど音楽使いも観客の巻き込み具合も祝祭的な面がグッと出ていました。

呉服町での昼食の後、駿府城公園へ移動。

『儚きものの作り手たち』
PARKエリア|富士見広場 (駿府城公園 富士見芝生広場前)
2025/05/03-05.
Artist: Olivier Grossetête; Builder: Guillaume Gros and Thomas Paulet; 舞台監督: 川上 大二郎 (スケラボ), 守山 真利恵.

「なんだ?ワークショップ」のコアプログラムは、 フランスの作家によるその地の象徴的な建築物の段ボールと梱包用OPPテープで作った模型を、 ワークショップの参加者らと制作、建築、展示そして解体するプロジェクトです。 今回の静岡で制作したのは駿府城天守閣で、4月28日から5月2日の5日間のワークショップでパーツを制作し、 5月3日に現地で建築、4日、5日と展示した後、5日の15時から解体するというものでした。

作業の流れを把握して建築に参加するには、合間だけでは難しそうで、 3日は建築している様子をパフォーマンスを観る合間に見ていました。 4日に通りがかった時には完成していました。

駿府城公園 葵船
2025/05/04 14:00-15:00.
演出・台本: 渡辺 敬彦; 出演: 大内 智美.

SHIZUOKAせかい演劇祭2025』関連企画として、 駿府城公園の堀を一周する葵船を使い、 堀を一周しつつSPAC俳優が『ラーマーヤナ物語』にちなんだパフォーマンスをする、というものです。 3人の俳優が1人ずつ交代でパフォーマンスしました。 定員11名の小さな舟ですので、パフォーマンスと言っても動き回るようなものではなく、腰を下ろしての語り聞かせに近いものでした。 水面の風に吹かれつつ (少々強い時もありましたが)、インドの物語に耳を傾けたり、マントラ唱えたり。 テンション高めな『ストレンジシード静岡』などのパフォーマンスと対照的な、穏やかで優しい語りで、40分ほど異世界へ連れて行かれました。

『ストレンジシード静岡』等を観るのはこれでおしまい。駿府城公園を後にして、静岡芸術劇場へ向かいました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4261] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun May 11 23:30:07 2025

ゴールデンウィーク中盤5月1日は午後に竹橋へ。この展覧会を観てきました。

Hilma af Klint: The Beyond
東京国立近代美術館 企画展ギャラリー
2025/03/04-2025/06/15 (月休;3/31,5/5開;5/7休), 10:00-17:00 (金土 -20:00).

19世紀末から1930年代頃まで活動したスウェーデンの女性の美術作家 Hilma af Klint のアジア初の回顧展です。 2018年の Guggenheim Museum での展覧会 Hilma af Klint: Paintings for the Future や ドキュメンタリー映画 Beyond the Visible - Hilma af Klint (2019;『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』, 2022) で 抽象画の先駆者としての再評価が進んでいるという興味で、足を運びました (映画は未見ですが)。

キューレーションで強調されていたのかもしれませんが、予想していたより神智学・人智学からの影響を強く受けた表現でした。 19世紀末の王立芸術アカデミー在学中や挿絵作家としての作品もありましたが、 クリエイティヴ・ピークは1900s-01sの絵画やドローイングで、 1920s半ば以降は主に過去のノートの編集・改訂の作業となっていました。 神智学的な認識を図式として表現したダイアグラムとしての抽象表現ということで、 この時代のポスト印象派からキュビスムのような表現を経て抽象へ至るモダニズム的な色彩と形態の抽象化の流れとはかなり異なった系譜の抽象画でした。 同時代で似たものとしては初期 Bauhaus で描かれた教育の理念や体系を図式的に示したものなどを連想しましたが、 神智学的な認識が着想源という点では、むしろ、シュールレアリズム的な表現に近しいものを感じました。

Feminism and the Moving Image
東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
2025/02/11-2025/06/15 (月休;2/24,3/31,5/5開;2/25,5/7休), 10:00-17:00 (金土 -20:00).

コレクションによる小企画は、フェミニズム的な主題のヴィデオアート作品です。 女性の役割とされる料理を俎上に上げた Martha Rosler: «Semiotics of the Kitchen» (1975) を観ながら、 この頃のニューヨークから出てきたポストモダンな作風の女性作家の切れ味の良さを再確認しました [関連する鑑賞メモ]。 日本の作家では出光 真子 が大きく取り上げられていました。 以前もコレクションによる小企画で『女性と抽象』という企画をしていましたが [鑑賞メモ]、 やはり同じ学芸員の仕事なのでしょうか。

所蔵作品展の10室の手前のコーナーが「アルプのアトリエ」で、 アーティゾン美術館で開催中の展覧会 『ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ』 Sophie Taeuber-Arp & Jean Arp [鑑賞メモ] との連動しているのかと思いきや偶然同じタイミングになっただけのようで、アルプ財団から寄贈された新収蔵作品の展示でした。

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[4260] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun May 11 20:50:01 2025

ゴールデンウィーク中盤4月30日は午後に映画を観た後は、夕方に銀座1丁目界隈で美術展巡りしてきました。

ギャラリー小柳
2025/03/22-2025/06/14 (日月祝休,4/1休), 12:00-19:00.

カナダ出身の現代美術作家2人組の個展です。 立体的なサラウンド・サウンドを使ったインスタレーションでも知られますが、 小さなギャラリーでの個展ということで、小ぶりな壁付けのファウンドオブジェのアッサンブラージュ作品11点が展示されていました。 彼ららしく音が出る作品で、アッサンブラージュの造形も、またシュールレアリスティックで演劇的な時間展開が感じられるという点でも、 2017年に金沢21世紀美術展で見た個展 [鑑賞メモ] のミニチュア版のようでした。

小ぶりのスーツケースを持ち運びの人形劇場に仕立てた Suitcase Theatre (2020/2023) では、 1分程度の寸劇の上演の映像が数本、作品に組み込まれたスマートフォンで上映されます。 人形の造形も肩の力が抜けたユーモアが楽しい作品です。

他の作品はここまで演劇的な仕掛けがあるわけではないのですが、 作品に付けられたスイッチを押すと、数秒から数十秒の音が流れます。 作品に動きがあるというわけではなく、流れる音も明確な筋が作り込まれているわけはないのですが、 音により時間の進みが感じられるようになり、アッサンブラージュされたファウンドオブジェから物語がうっすら浮かび上がるよう。 ボタンを押すことで始まる超短編の人形劇/人形アニメーション観ているような、そんな楽しさを感じました。

鈴木 ヒラク 『海と記号』
Hiraku Suzuki: Ocean and Signs
ポーラ ミュージアム アネックス
2025/04/25-2025/06/08 (会期中無休), 11:00-19:00.

2000年代以降に現代美術の文脈で活動する作家の個展です。 グループ展で観たことはありますが、個展は初めてです [鑑賞メモ]。 この個展ではオブジェへ投影する映像作品もありましたし、インスタレーションなども制作しているようですが、 やはり良かったのは、展覧会のタイトルにもなった縦2m横1.5m程の大きな絵画16点組の『海と記号』。 少々ムラのある深い青の「海」の上に描かれた抽象的なシルバーの「記号」といった題ではあるのですが、 描かれている図像の要素がアクションペインティングでのドリップのようであり、照明の加減もあってか背景の色ムラもカラーフィールドペインティングのようであり、 抽象表現主義的な表現にグッと寄ったように感じられました。

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[4259] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun May 11 10:35:58 2025

ゴールデンウィーク中盤は4月29, 30日と2日続けて午後に京橋へ。 国立映画アーカイブでは上映企画『撮影監督 三浦光雄』が開催中。 1920年代サイレント期の松竹蒲田、1931年には松竹を離れ、1937年以降はP.C.L.〜東宝、 戦後も主に東宝で1950年代半ばまで活動した撮影監督です。 そんな中から、入江 たか子 主演作品を観て来ました。

『妻の場合[前篇・后篇]』
1940 / 東宝東京 / 150 min. / 35 mm / 白黒.
監督: 佐藤 武; 原作: 吉屋 信子.
入江 たか子 (俊吉妻 三千代), 藤田 進 (工藤 俊吉), 高田 稔 (新庄 遼一), 藤間 房子 (遼一母 志乃), 里見 藍子 (遼一妻 加奈子), 清川 玉枝 (加奈子母 龍子), etc.

『月よりの使者』 (入江ぷろ, 高田稔プロ, 新興シネマ, 1934) [鑑賞メモ] と同じく、 当時の人気女優 入江 たか子 と人気男優 高田 稔 を主演にした映画です。 佐渡から上京し大学を出てサラリーマンとなった工藤 (藤田 進) と、その妻 三千代 (入江 たか子)、工藤と同郷の学友で科学者の 新庄 (高田 稔)を巡る物語です。

貧しい出自という劣等感から失敗にかかわらず株にのめり込み新庄へ嫉妬する工藤、 佐渡の保守的な家と折り合わず実家へ帰ってしまった自分の妻と工藤の妻との間で心が揺らぐ新庄に対し、 三千代 はよく出来過ぎなほど気が回って心優しく、新庄に対して親切で工藤に対して貞淑で従順な女性として描かれます。 裕福ながら学者らしいリベラルさと優しさを持つ新庄に対し、ルサンチマンが強く女性観も保守的な工藤というのはバランスが悪いうえ、三千代がブレないので、 女性を挟んで2人の男性を配したメロドラマとして観ようとすると、その点がとても物足りません。

その一方で、モダンな資産家である新庄の妻の神戸の実家、裕福だけれど保守的な新庄の佐渡の実家、 妻の実家ほどではないが裕福でリベラルな新庄、苦学した東京のサラリーマン工藤、 というそれぞれの価値観やライフスタイルが鮮やかな対比で描かれていて、その点では興味深い映画でした。

この企画上映では 成瀬 巳喜男 (監督) 『女人哀愁』 (P.C.L., 入江ぷろ, 1937) [鑑賞メモ] も観たのですが、 『妻の場合』で三千代を通して描かれる女性のあり方を強いられる女性の葛藤を、『女人哀愁』は成瀬ならではのきめ細かな演出で描きます。そんな『女人哀愁』の良さに気付かされました。 『妻の場合』が作られた1940年は、ヨーロッパで第二次世界大戦が始まり、日中戦争は泥沼化し、太平洋戦争勃発前年という時期です。 『妻の場合』の中の直接的な戦時の描写は子供の歌くらいにしか見られませんでしたが、この映画の女性像はそんな時代の反映なのでしょうか。

鈴木 重吉 (監督) 『雁來紅(かりそめのくちべに)』 (入江ぷろ, 新興キネマ, 1934) [鑑賞メモ] も再見しましたが、 間があまり空いていないこともあり、見え方が変わった、新たな気付きがあったというほどではありませんでした。

併せて、この展示を観ました。

国立映画アーカイブ 展示室
2025/04/08-2025/07/27 (月休, 7/8-13休), 11:00-18:30 (4/25,5/30,6/27,7/25 -20:00).

1970年代末のいわゆる「アニメブーム」以降も取り上げられていますが、 それ以前の1960年代までのアメリカと1970年代までの日本のアニメーション映画のポスターで 展示の約半分を占めているというのは、国立映画アーカイブでしょうか。 その一方で、『1930s-1980s ヨーロッパ、社会主義諸国のアート・アニメーション』が約1割しか無かったのは、 日本でポスター宣伝するほどの上映機会が少なかったということの反映でしょうが、少々残念でした。

一時期生成AIで作られたジブリ・アニメーション風の絵がSNSを賑わしていましたが、 このようなジブリの画風のルーツは東映動画にルーツがあるとよく言われます。 しかし、展示されていた1960sの東映動画のポスター見ると、確かにルーツと思われる要素はあれど全体としては多様さを感じました。 むしろ、『アルプスの少女ハイジ』および以降の世界名作劇場の日本アニメーションの方が画期かもしれません。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4258] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Tue May 6 22:15:28 2025

ゴールデンウィーク中盤、祝日の4月29日は午後に京橋へ。この展覧会を観てきました。

Sophie Taeuber-Arp & Jean Arp
アーティゾン美術館
2025/03/01-2024/06/01 (月休;5/5開,5/7休), 10:00-18:00.

第一次世界大戦中のスイス・チューリヒでダダ (Dada) に参加、その後、シュールレアリズム (Surrealism) や Abstraction-Création の文脈で活動したアーティスト Jean Arp とその妻 Sophie Taeuber-Arp の2人を取り上げた展覧会です。 といっても、主役は Sophie の方で、Jean は Sophie との関わりの観点がメインといって良い内容。 ダダ参加前から1943年に一酸化炭素中毒による不慮の死を迎えるまでの彼女の活動を丁寧に追った展覧会で、 ダダの文脈で彼女の名は知るもののどのような作品を作っていたのか知る機会が無かったこともあり、 とても興味深く観ることができました。

1915年から1930年前後までの Sophie の仕事は、テキスタイルや服飾のデザインに始まり、 やがて家具や内装のデザインに仕事を広げていきます。 彼女の仕事がテキスタイルから始まるところに、 女学生は希望によらず織物工房に所属されたという Bauhaus の話 [関係する鑑賞メモ] を思い出させられますし、 Sophie の死後に Jean が編んだ彼女の作品リストにデザインの仕事がほとんど含まれなかったというエピソードに、当時のデザインの仕事の地位の低さを思い知らされました。

テキスタイルや家具・内装のデザインは、ダダ〜シュールレアリズムからの影響はほぼ感じられず、 同時代のアール・デコ (Art Deco) のような豪華さを感じさせるものとも異なる、 むしろ Bauhaus や構成主義 (Constructionism) に近い質実さを感じるデザインです。 人形劇 König Hirsch 『鹿王』のためのマリオネット (1918) にも、Bauhaus のマリオネットを思い出されました。 時期的には Sophie の方が Bauhaus のものより若干先行するくらいですが。

1930年代に入ると Sophie は絵画の作家としての活動に重心がうつります。 Jean もシュールレアリズムと決別して短期間ながら Abstraction-Création に合流。 有機的な曲線を使う Jean の抽象に対し、Sophie は構成主義からの連続性を感じる直線や円を多用した構成という、2人の対照を感じさせつつ、 コラボレーションもあって次第に作風が近づいていく感もありました。

Sophie の死後となる戦後は、Jean はレリーフや彫刻をメインに制作するようになるのですが、 Jean らしからぬ というか Sophie らしい構成主義的なドローイングをレリーフ化した作品に、 Sophie と Jean の最良のコラボレーションを観るようでした。

Dumb Type: Windows
Museum Tower Kyobashi 1Fオフィスエントランスロビー
2024/11/01-2025/06/30 (12/28-1/3閉館), 10:00-19:00.

アーティゾン美術館の入るビルの1階オフィスエントランスロビー (美術館入口とは別の側にある) では、Dumb Type [鑑賞メモ] の作品が展示中です [ビルのお知らせ]。 バプリックアートは初とのことですが、そのための新たな要素が加わっているわけではなく、Dumb Type らしい映像を眺めることができました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4257] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Tue May 6 17:24:45 2025

ゴールデンウィーク初日土曜は日帰りで静岡へ。 SPAC-静岡県舞台芸術センターの ふじのくに⇄せかい演劇祭 改め SHIZUOKAせかい演劇祭 2025 の前半で、これらの舞台を観ました。

静岡芸術劇場
2025/04/25, 14:00-16:00.
Texte et mise en scène: Tiago Rodrigues
Traduction: Thomas Resendes; Scénographie: Laurent Junod, Wendy Tokuoka​, Laura Fleury; Composition musicale: Gabriel Ferrandini; Lumière: Rui Monteiro; Son: Pedro Costa; Costumes et collaboration artistique: Magda Bizarro; Assistanat à la mise en scène: Lisa Como; Fabrication décor: Ateliers de la Comédie de Genève.
Avec: Adrien Barazzone, Beatriz Brás, Baptiste Coustenoble, Natacha Koutchoumov et Gabriel Ferrandini (musicien).
Production: Comédie de Genève.
Première: 01 février 2022, Comédie de Genève - Grande salle.

Tiago Rodrigues はポルトガル出身ながら1997年にベルギーの tg STAN [鑑賞メモ] で活動を始め、 2003年に Madga Bizarro と設立したカンパニー Mundo Perfeit で評価を得、 2015-2021年はリスボンの Teatro Nacional D. Maria II の芸術監督、 2022年からは Festival d'Avignon の芸術監督に就任しています。 といっても、その評価や作風に関する予備知識は殆どなく、2023年の Festival d'Avignon での話題作という程度の関心で観ました。

人道支援団体で有る赤十字国際委員会国境なき医師団の一員として 紛争地や被災地で医療・人道援助に従事する人々との対話に基づく一種のドキュメンタリー演劇 (インタビューによるとドキュメンタリー演劇ではなく「記録に基づく演劇」という自認) です。 紛争の現場での壮絶なエピソードも含まれますが、その現場での現実というよりも、従事者の語りを通して、葛藤や矛盾も含みつつも取り組まれる医療・人道援助を描くかのような作品でした。

インタビューから特徴的な一言や、ある程度まとまった長短様々なエピソードを切り出し、 それを4人の俳優が観客向けて語っていきます。 それぞれのエピソードの並べ方は、ある一定の結論に向けて収束するようなものではなく、 かといって、エピソード間の矛盾や相違を際立たせるものでもなく。 「不可能」での極限的状況下の壮絶な体験やそこでの葛藤から、「可能」で感じる孤独、同僚の不正に対する憤りなど、 多様な状況で起伏を作るように緩く関係付けられていました。

対話の内容は抽象化、匿名化されていて、人名はもちろん、紛争地・被災地は「不可能」、人道支援団体の拠点となる先進国は「可能」、人道支援団体は「組織」とされています。 といっても、欧州の公共劇場の主な客層に対して想定できそうな、 人道支援に特段の関心があるほどでなくとも普段BBCのような公共放送局の国際ニュースを眺めている程度の前提知識があれば、 話のディテールから、どちらの組織での話か (例えば、遺体を収容しようとする住民が意味も組織もわからないが攻撃されないからとマークを使用していたというエピソードは、明らかに赤十字国際員会)、 「不可能」がどこか (例えば、50万人が人質になっているという言葉はガザ地区を暗に示していた)、 容易に推測できるエピソードも少なくありませんでした。 その上であえて「不可能」や「組織」と使うことで、個別具体的な問題としてではなくある程度普遍性を持った問題として提示しようとしているように、 また、英雄化・悪魔化を避けるために非属人化する意図を示しているように、感じられました。

人道支援活動の実際を垣間見るという点で興味深く、 また、身の危険に直面しつつつ限られた手段しか無い中での活動という壮絶なエピソードに心を打たれましたが、 そのようなエピソードがリアリスティックに演じられるのではなく、 手動で少しずつ変えられるテント様の美術、立ち位置や照明、drums と electronics の生演奏の音によるニュアンスが添えられる語りでそれが示されます。 美術や音楽のアブストラクトさはもちろん、落ち着いた色合いながら綺麗な色で無柄のミニマリスティックなシャツとパンツの衣装、様式的というほどではないもの抑制的な演技で配置を取りつつ時に歩きながらの語りなど、適度に抽象化された演出が美しい舞台でした。

2010年前後、Rimini Protokoll [鑑賞メモ] や Rabih Mroué [鑑賞メモ] を好んで観ていたものの、 最近はドキュメンタリー演劇、レエクチャーパフォーマンスの類を観てもピンと来なくなっていたこともあり、 実は今回の公演もさほど期待していませんでした。 久々に良いドキュメンタリー演劇 (作者はそうではないという自認のようですが) を観ることができました。

10余年前に Rimini Protokoll や Rabih Mroué を観ていた頃は、 東京国際芸術祭〜FESTIVAL/TOKYOがドキュメンタリー演劇に積極的な一方、 SPACのふじのくに⇄せかい演劇祭は Milo Rau [鑑賞メモ] などありましたが、 むしろドラマの力を信じた作品の揃いが良く、ディレクションが対照的だと感じていました。 SHIZUOKAせかい演劇祭に名が改たまっただけでなく、このような作品がフィーチャーされることになった事にも、時代の変化を感じます。

静岡県舞台芸術公園 野外劇場「有度」
2025/04/26, 18:30-19:10.
Chorégraphie, mise en scène & interprétation: Merlin Nyakam.
Création 2022.

カメルーン出身でフランスを拠点に活動する Merlin Nyakam によるソロダンスです。 SPAC-ENFANTS [鑑賞メモ] を通してSPACとは縁深いダンサー・振付家です。 2024年の演劇祭で グランシップ交流ホール で上演した作品の、野外劇場「有度」へ舞台を移しての再演です。 ダンサーならではの立ち振る舞いの良さはありましたが、音楽等に合わせたダンスの身体性の強度で見せるというより、 儀式のように蝋燭の火の光、半球状に割られた瓢箪などを舞台上に配置してそれを変えていくような、空間を振り付けるかのようなパフォーマンスでした。 そんなこともあり、日が落ちて次第に闇に包まれてゆく野外劇場「有度」の美しさを堪能できました。

といっても、前半は少々掴みに欠け、客弄りをする所などは半ばホームグラウンドである静岡での内輪ノリの感も否めませんでした。 そんなこともあって、終わり近くに観客を使って身体に描かせて始めた時は意図が掴めず冷ややかに観ていたのですが、 その後、自身で顔を真っ白にして踊り出すと、一転、アフリカの伝統的なフェイス&ボディペイントのようになり、 その激しい踊りと合わせ、なるほどそう転換するのか、と。 そんな最後に向けた転換が良かったので、観終わった後の印象が良くなりました。

アフリカのコンテンポラリーダンスを観る機会が少なくその多様性がわかっていないために共通点を見出してしまっただけのようにも思うのですが、 去年観た Germaine Acogny のソロ Homage to the Ancestors [鑑賞メモ] も儀式のような作品だったことを思い出しました。

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[4256] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Apr 28 22:12:17 2025

一週余前の週末の土曜は、昼に恵比寿へ。この展覧会を観て来ました。

TOP Collection — Continuity and Change
東京都写真美術館 3階展示室
2025/04/05-2025/06/22 (月休; 5/5開, 5/7休). 10:00-18:00 (木金-20:00)

総合開館30周年を記念してのコレクション展の第1弾です。 学芸員5人による共同企画で「写された女性たち 初期写真を中心に」、「寄り添う」、「移動の時代」、「写真からきこえる音」、「うつろい/昭和から平成へ」の5つのテーマ展示の組み合わせになっていました。 1995年の総合開館記念展『写真都市TOKYO』の再現を含む「うつろい/昭和から平成へ」で王道の30周年記念企画を押さえつつ、 誰かということだけでなく被写体の女性の姿勢、動きなどにも着目した「写された女性たち 初期写真を中心に」を興味深く観ました。

個別の作家では、インターセクションとして配された 山本 彩香 〈We are Made of Grass, Soil, and Trees〉 (2014-2015) の青みがかって幻想的な一連の演出写真が印象に残りました。 やはりインターセクションにあった〈版画集 トマソン黙示録〉 (1988) は、 Bernd and Hilla Becher を思わせるグリッド状の展示方法ながら被写体が無用の建築「トマソン」という所が可笑しく感じました。

砂丘を舞台とした家族を使った演出写真の印象強い 植田 正治 の違う一面も観られましたし、 集合住宅の通路の照明パターンをライトボックス化した畠山 直哉 〈光のマケット〉 (1995) を久々に観ることもできるなど、 企画を離れてコレクションの展示としても楽しみました。

Takano Ryudai: Kasubaba — Living Through The Ordinary
東京都写真美術館 2階展示室
2025/04/05-2025/06/22 (月休; 5/5開, 5/7休). 10:00-18:00 (木金-20:00)

1990年代から活動する写真家の個展です。 グループ展やコレクション展で観る機会はありましたが、個展で観るのは初めて。 観る機会の多かった〈In My Room〉のようなセクシュアリティをテーマとした写真という印象が強かったのですが、 〈CVD19〉のような手の造形の面白さを切り出すような抽象度の高い作品から、 〈毎日写真〉や〈カスババ〉のようなコンセプチャルなスナップ写真、 人影を写すフォトグラム〈Red Room Project〉、など、その多様な作風に気付かされました。 すっきりとしながら非線形に回遊させるような展示空間の作りもスタイリッシュでしたが、 多様な作風につかみどころの無さも感じてしまいました。

B1F展示室では 『ロバート・キャパ 戦争』 [Robert Capa: War]。 戦間期から戦後1954年まで活動した報道写真家 Robert Capa (元々はAndré FriedmannとGerda Taroの2人の共同の名で、Taroの死後Friedmannの写真家としての名となる) の、 東京富士美術館コレクションの Capa の写真約1000点のうち戦争に関する約140点からなる展覧会です。 歴史に関する書籍やTVドキュメンタリーなどで度々使われるような有名な写真が多く観られるのですが、個々の写真というより展示の量に圧倒されました。 今回展示されていた140点でも相当でしたが、Capa のコレクションは約1000点あるのか、と。

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[4255] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Apr 27 21:42:35 2025

2週前の週末の土曜は、午後遅めに鎌倉へ。この展覧会を観て来ました。

Iwatake Rie + Kataoka Junya, and the Museum Collection: An Illustrated Guide for Gravity and Materials
神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
2025/02/01-2025/04/13 (月休;2/24開), 9:30-17:00

2013年にユニットで活動を始めた 岩竹 理恵 + 片岡 純也 による展覧会です。 神奈川県立近代美術館のコレクションから選ばれた近世以前の日本美術とそれらに着想した新作を中心に、過去の作品も交えての展覧会です。 今までも『BankART Life』 [鑑賞メモ] や 『MOTアニュアル』 [鑑賞メモ] などのグループ展で 特に片岡によるその不条理で無用な機械とでもいう作風の作品を楽しんでいましたが、 美術館のコレクションを交えているとはいえ、個展を観るのは初めてです。

好みの作風の作家なのでどれも楽しみましたが、中でも最も気に入ったのは、片岡 純也 の 『Ghost in the Sellotape』 (2015/25)、『サークル管による輪郭の連続性について』 (2025)、『0から1へのアナログ変換』 (2025)を組み合わせてのインスタレーション。 薄暗いギャラリーの一面を使い数寄屋の壁の一面を外から見るかのようなのですが、 クレーター様の影の動きから満月が自転するのを観るかのようなセロテープを透過した円形の光や、 サークル管光源の光が回転する竹箒を抜ける際にピンホール効果で沸き立つような小さな円形の光となっての投影に、 障子窓越しに覗く茶器や掛け軸が組み合わさり、侘び寂びの雰囲気が生かされつつもそれが微妙にズラされるよう。 裏に回ってみると、茶器や掛け軸はインスタレーション中に配置されているというわけではなく、 展示ガラスケース中に通常の展示かのように展示されている、というのも面白く感じました。

このインスタレーションは光使いの妙ですが、 音使いという点ではインスタレーションというより小ぶりな立体作品、 『枝の曲りによる茶器の演奏』 (2025) や『茶筅による巻貝の演奏』 (2023)の細やかな音が印象に残りました。 茶室や茶器からの着想というのは、今まで観た作品では特に印象に無いので、 やはりコレクションから着想するという今回の企画ならではでしょうか。 そして、その着想の妙を楽しむことができました。

キャッチのある動く作品に何かと目が行きがちな展覧会でしたが、 郵便物などからスタンプや模様を切り出す岩竹の採集シリーズの繊細なペーパーワークも、印象に残りました。

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だいぶ緑が混じりつつありましたが、まだまだ桜の花が残っており、 小町通りを避けて鎌倉別館に向かう若宮大路や鶴岡八幡宮はかなりの賑わい。 さすが花見のシーズンと思ったのですが、夕方遅くに小町通りへ行くとこちらの混雑はさらに酷く、人を掻き分けないと歩けないほど。 桜の咲いている場所はそこまでの混雑ではなかったので、やはり花より団子な人が多いのだなあ、と。

晩は早めの時間に小町通りにあるカフェー・アユー縁の小料理屋で食事しつつ一杯やってから、二軒目はかつら小路のカフェ・アユーへ。 開店2周年特別企画「松山晋也ワールドミュージックセレクション」で、世界各地の音楽の一味違ったセレクションを楽し観ました。

[4254] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Apr 20 18:24:32 2025

4月最初の土曜は、昼に高輪台へ。この展覧会を観て来ました。

Back to Modern – Graphic Design from West Germany
東京都庭園美術館
2025/03/08-2025/05/18 (月休;5/5開,5/7休), 10:00-18:00 (3/21,22,28,29 -20:00)

ドイツのグラフィックデザイナーJens MüllerとKatherina Sussekが蒐集した A5 Sammlung Düsseldorfのコレクションに基づく展覧会です。 焦点が当てられているのは、第二次世界大戦後の西ドイツ、 継続性のある出版物などの中には1980年代のものがありましたが、 20世紀半ばのモダニズム色濃いデザイン (いわゆるミッドセンチュリー・モダン) から、 カウンターカルチャー, サイケデリックの影響が見え隠れする1970年代前半までのデザインの、 書籍、パンフレットなどの出版物とポスターをメインとしたグラフィックデザインです。 モダニズムならではの簡潔明瞭にしてスタイリッシュで見応えのあるデザインが楽しめました。

導入は、Hochschule für Gestaltung Ulm (ウルム造形大学) 設立者の1人のOtl Aicherによる LufthansaやMünchen 1972 Olympiadeのグラフィックデザイン。 そして、その時代を感じさせるKiel WocheやDocumenta, Kasselといったイベントの一連のポスター。 その後、年代順ではなく、幾何学的抽象、タイポグラフィ、イラストレーション、写真というデザイン技法をテーマに展示が作られていました。 作家性が強く出るようなデザインではないため、特に、前半の幾何学的抽象、タイポグラフィの展示は少々掴みに欠けたでしょうか。 イラストレーション、写真の章は公共デザインよりも映画ポスターなどが多めという点でもキャッチーで、 そこでの作品を観てから前半を見直して、その抽象の中にあるレイアウトの個性が腑に落ちたところがありました。

そんなこともあって、作家として印象に残ったのは後半のイラストレーションや写真を大きく使ったデザイン。 Hans Hillmann や The Beatles: Yellow Submarine で知られる Heinz Edelmann による映画ポスター、 Celestino PiattiによるDeutscher Taschenbuch Verlag (dtv)のブックデザインなどでした。 このあたりのデザインとなると、モダニズムに収まりきらない、むしろ1970年代のカウンターカルチャー, サイケデリックのデザインとの連続性も感じられました。

少々意外だったのは、レコードジャケットのデザインが少なかったこと。 レコードジャケットのデザインがグラフィックデザインの中で重要な位置を占めるようになるのは ロックやポップの分野でコンセプチャルなアルバムが制作されるようになる1960年代末以降、 つまりこの展覧会が焦点を当てている時代より後なのかもしれません。 そんなことにも気付かされた展覧会でした。

この展覧会は5月18日までですが、5月27日からはギンザ・グラフィック・ギャラリーで 『アイデンティティシステム 1945年以降 西ドイツのリブランディング』 というA5 Sammlung Düsseldorfのコレクションに基づく展覧会が始まります (7月5日まで)。 この展覧会とは違う観点からの展覧会のようですので、併せて観たいものです。

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ちょうど桜が満開で、天気も良いということで、展覧会というより庭園の桜を目当ての観客も少なからず。 といっても、混雑しているというほどでもなく、庭園を散策しながらの花見を楽しむことができました。