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談話室 / Conversation Room

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[3449] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jul 24 23:22:02 2016

1ヶ月ぶりのCD/DL聴取メモは、 ブラジル出身ながらニューヨークの jazz/improv 文脈で活動する打楽器奏者 Cyro Baptista 絡み2タイトル。

(Tzadik, TZ4014 / Spectrum 14, 2016, CD)
1)Menina 2)Trovao 3)Kong 4)Bala 5)Tarde 6)Hammer 7)Aguidavi 8)From The Belly 9)T Rex Constitution 10)Love Song 11)Under The Influence 12)Menina Interlude
Recorded 2014-2015.
Cyro Baptista (percussion, vocals), Vencent Segal (cello), Ira Coleman (bass), Tim Keiper (kamel ngoni, drum set); Romero Lubambo (guitar) on 4; Kevin Breit (mandoline archestra) on 3,6; Ikue Mori (laptop) on 9; Brian Marsella (shahi banjo, andes #25F, fender rhodes) on 5,7; Cabello (percussion) on 7; Cadu Costa (guitar, clarinet) on1,4,5; Leni Stern on 8; Amir Ziv (drums) on 9; etc.

Cyro Baptista はブラジル出身ながら1980年代以降ニューヨークで活動するパーカッション奏者。 John Zorn の Tzadik レーベル界隈を中心に jazz/improv の文脈での活動が目立つが、 よりメジャーなミュージシャンのセッションにも多く参加している。 この新作は4tetを核にしたセッションを集めたもの。 その 4tet のメンバーとしてフランスの cello 奏者 Vincent Segal が参加している。 Bumcello [鑑賞メモ]、 最近は Ballaké Sissoko とのデュオ [鑑賞メモ] で知られる Vincent Segal だが、 その独特な cello の響きが十分に楽しめる。 kamel ngoni の音色あって西アフリカ風に聴こえたり、 澄んだ acoustic guitar にブラジルっぽさを感じたり、 ゆったり弓引きの cello の曲に地中海の音風景が浮かび上がるようだったり、と、 時には percussion の中心のアブストラクトな展開もあったり。 どこかのようでどこでもない jazz/improv 的な前衛 folk/roots アンサンブルとして楽しんでいる。

New Zion w. Cyro
(RareNoise, RNR065, 2016, CD)
1)BrazilJah 2)Chalice Pipe 3)Mystics 4)Sunshine Seas 5)Growing Grow 6)Onda 7)Ranking 8)Lamb's Bread 9)Samba Jahmekya
Produced by Jamie Saft and Christian Castagno. Dub Mixes by Christian Castagno.
Jamie Saft (keyboards, guitars, electric bass), Cyro Baptista (percussion, vocals), Brad Jones (acoustic bass), Craig Santiago (drums, nyabinghi drum); Vanessa Saft (vocals) on 4.

やはり、John Zorn の Tzadik レーベル界隈を中心にニューヨークの jazz/improv の文脈での活動する Jamie Saft 率いる New Zion Trio。 彼らの3作目に、Cyro Baptista が参加している。 ジャズピアノトリオをヘビーにダブワイズな音処理を美しく合わせ込んだ音楽で知られる New Zion Trio で、 この新作でも “Growing Grow” や “Lamb's Bread” など、そういう曲も楽しめる。 しかし、この新作はピアノの澄んだ音がほとんど聞こえない展開が増え、 そういう所では Bill Laswell / Jah Wobble あたりのプロジェクトに近くなってしまったよう。 一方で、“Chalice Pipe” や Vanessa Saft の歌をフィーチャーした “Sunshine Sea” など Cyro Baptista の持ち込んだブラジル風味も生きた曲もあり、こういう曲をもっと演って欲しかった。

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土曜は動き出しが遅れたこともあって所用二件を済ませたら夕方。 その後、軽く銀座のギャラリーを巡ったのですが (多くは語らない)。 資生堂ギャラリー石内 都 『Frida is』 は Frida Kahlo の遺品を撮った写真で、 確かに 石打 都 らしい写真で美しくもあるのだけど、もう一歩ひっかかりに欠けたような……。

どうも疲れが抜けないので、日曜は大人しく休養にあてたのでした(弱)。

[3448] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Jul 21 0:10:25 2016

土曜の疲れもあって、日曜は昼過ぎまでゆっくり。 夕方に池袋へ出て、この舞台を観てきました。

『ロミオとジュリエット』
Company Derashinera: Romeo and Juliet
東京芸術劇場 シアターイースト
2016/07/17, 18:00-19:30.
原作: William Shakespeare: Romeo and Juliet. 翻訳: 松岡 和子.
演出: 小野寺 修二; 美術: 石黒 猛.
出演: 斉藤 悠, 崎山 莉奈, 王下 貴司, 大庭 裕介, 藤田 桃子, 小野寺 修二.
初演: 高知県立美術館, 2011.

小野寺 修二 (ex-水と油) 主宰のカンパニーデラシネラの2011年初演の作品。 2011年にIID世田谷ものづくり学校で観ているのですが [鑑賞メモ]、 良い印象が残っておらず、 再演を繰り返していたのは知っていましたが、見切ってしまっていた感もありました。 しかし、5月の静岡の『「まちは劇場」プロジェクト ストレンジシード』での良い評判を目にしたので、 再見することにしました。

前に観たときは元学校の教室という狭い空間で、身体の動きもこじんまりとしてしまっていましたが、 劇場の広い空間を得て、ダンスやマイムの動きものびのびと、遥かによく感じました。 動きとセリフを別のパフォーマーに振り分けたり、ダンスやマイムでの象徴的な動きで場面や心理を表現しながら、 異化を狙うというより、想像が促されるよう。そこが良く感じられました。 演劇の間にダンスシーンがあるのでもなく、ダンスの合間にセリフで場面や背景を説明するのでもなく、 そんな区別のない身体的な表現を駆使した抽象的な演劇に感じられました。 海外の演劇を観ているとそう感じる作品も少なくなく、 例えば2010年に観た Runar Hodne / Nationaltheatret: En Folkefiende [鑑賞メモ] を連想しましたし、 最近観たものでは、ライブ・ビューイングですが、 Marianne Elliott / Royal National Theatre: The Curious Incident of the Dog in the Night-Time [鑑賞メモ] での鉄道や地下鉄の場面の描写を思い出しました。 カンパニーデラシネラは、こういった演劇表現に日本で最も近い所にいるカンパニーかもしれません。

この『ロミオとジュリエット』は「『劇場』ではない場所での空間の持つ特性を生かした作品」ということで、 初演は美術館のエントランスでの上演でしたし、今年5月の静岡も市役所の玄関前での上演、 今年6〜7月には全国の小中学校を回るツアーをしています。 今回は劇場での公演ということで少々変則的な所もあったのかもしれません。 しかし、ハンディライトやスポットライトを使った演出など、照明をコントロールできる劇場ならではの演出も楽しむことができました。 劇場ではない場所ならでの観客参加型の演出もこの作品の謳い文句になっていて、 確かに、舞踏会の場面での観客を舞台に上げてのダンスや、結婚式の場面で観客に祝福させたりと、観客参加が楽しめる所はあります。 しかし、作品全体から見ると観客が参加する場面は作品に不可欠な要素というより補助的なものでした。

初演から5年上演し続けていた作品ですが、ここまで練度が上がっているとは思いませんでした。 オリジナルの脚本ではなく古典的名作に基づいているということもレパートリー化に向いているのかもしれませんが、 レパートリー化して再演を重ねることの意義を見たようにも思いました。

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池袋西口広場では、恒例となった 『にゅ〜盆踊り』 をやっていましたが、そこまで気分が上がらないので、 いきつけのジャズ喫茶に直行して大人しく過ごしたのでした。

先週は月曜から金曜まで出張続きの死のロード状態。土曜も三島日帰り旅行。 日曜はまだもっていたのですが、さすがに疲れが出て、祝日の月曜は使い物にならず。 気になるイベントが無いわけではなかったのですが、休養していました……(弱)。

[3447] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Jul 18 23:54:38 2016

土曜は朝には家を出て、特急踊り子号で伊豆長岡へ。 「明治日本の産業革命遺産」を構成する近代化遺産として世界文化遺産となった 韮山反射炉を観てきました。 ミュージアムはまだ建設中で展示が充実しているとは言い難かったのですが、 反射炉ビアの直営レストランでランチしてとりあえず満足。

韮山反射炉といえば、映画 『伊豆の娘たち』 (五所 平之助 (dir.), 松竹大船, 1945) [鑑賞メモ]。 町中のロケは大仁だったと聞きますが、反射炉の近くのロケ地である、 長女 静江 (三浦 光子) と宮内 (佐分利 信) が町内の仕事の合間に二人で休んだ 韮山反射炉や蛭ケ小島を見渡せる土手でも探してみようかと思っていました。 しかし、家が立ち並んでそんな見通し良い場所がないうえ、そもそも区画整理もされたようで、すっかり景観が変わってしまっていました。 ということで、ロケ地探しは断念。

早々に三島に戻って、南口にある楽寿園駅前口広場で14時から SPAC 『古事記エピソード1 ヤマタノオロチ!』 を観ました。 SPACらしい神話を祝祭的に仕上げたパフォーマンス。 その後、軽く散策しつつ楽寿園を抜けて、中央町へ。このパフォーマンスを体験してきました。

三島市立中央幼稚園
2016/07/16, 15:20-16:20.
Concept and joint creation: Cía. Kamchàtka.
Artistic direction: Cía. Kamchàtka y Adrián Schwarzstein.
Adrián Schwarzstein, Cristina Aguirre, Maïka Eggericx, Claudio Levati, Andrea Lorenzetti, Judit Ortiz, Lluis Petit, Edu Rodilla, Santi Rovira, Gary Shochat.
Craation: 2010.

Cía. Kamchàtka はスペイン・カタルーニャ州バルセロナを拠点とする teatre carrer (street theatre, théâtre de rue) のカンパニー。 主宰の Adrián Schwarzstein は Commedia dell'Arte の学校で学んでおり、大道芸の演目 The Green Man や、 Circus Klezmer というサーカスのプロダクションもある。 Circus Klezmer は2007年の 『大道芸ワールドカップ in 静岡』 の「プレミアムサーカス」として来日している [鑑賞メモ]。 今回来日したこのストリート・シアターは、 SPAC静岡県舞台芸術センターの 『ふじのくに野外芸術フェスタ2016 in 三島』 のプログラムである。

Habitaculum (ラテン語で「住居」の意) は路上で繰り広げられるパフォーマンスではなく、 使われなくなった住居等を選び、そこにインスタレーションを施し、やってくる観客をもてなすという、サイトスペシフィックなパフォーマンス。 今回の公演では三島市中央幼稚園として使われていた建物を用い、『ライフ・アット・中央幼稚園』という邦題が付けられていた。 受付と待合室が設けられた市役所中央町別館から、3〜4名ずつの小グループで路地を会場の幼稚園の方へ向かうと、 日本の夏らしからぬ冬のジャケット姿のパフォーマーが待ち構えている。 そこは、会場に入る前の手荷物預り場でもあるのだが、言葉で丁寧に説明するのではなく、 身振りや視線で荷物を預けさせることを促すというもの。 ここが始まりで、ここから同じ班となった女性2人を荷車に乗せパフォーマーの男性と2人で引いて幼稚園へ向かった。

幼稚園の中では、6部屋でそれぞれパフォーマンスが繰り広げられており、歩き回りながら順不同でそれらを体験していく。 最初は砂を敷き詰めた部屋か、発泡スチロールの小玉を敷き詰め送風機で吹き上げている部屋。 そこで靴を脱がせられ、気づくと靴が下駄箱に隠されてしまい、あとは裸足で会場を巡っていく。 ある部屋ではバジルの葉を刻むように促され料理の真似事をさせられ、 ある暗幕で暗くした部屋では立ったまま寝るような姿勢を取らされぼんやり夢のような人形劇をみせられ、 ある部屋ではぬるま湯の入った風呂に足を付けさせられ観客同士で足をマッサージしあったりさせられる。 言葉は一切使わず、身振りや視線で観客に行動を促していく。 深くコンセプチャルな面を感じさせるようなものではなく、たわいないのだけど、 童心というかノスタルジックな遊び心を擽られ、小一時間楽しんでしまった。

カンパニーのプロフィールを見ても、所属のパフォーマーの多くが「クラウン」としてクレジットされている。 この観客体験型のパフォーマンスは、彼らのクラウニング、特に、サーカスの開演前にクラウンが観客弄りするグリーティングの技術を生かしたものだろう。 グリーティングの技をサーカス的なショーという文脈から抽出し、むしろ非祝祭的な住居空間の中でささやかな遊び心を引き出す技として使う。 コンセブチャルな面を表に出さず、観客の遊び心をうまく引き出そうという所が、観客参加型パフォーマンスの魅力だろう。

Cía Kamchàtka は、Habitaculum の他に、 2007年初演の Kamchàtka も邦題『三島の異邦人』として上演している。 こちらは、街中でのパフォーマンスで、7月8日午後に三島へ観に行く予定だったのだが、大雨の予報で、残念ながら観に行くのを諦めたのでした。

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その後、夕食の時間まで余裕があったので、ガイドブックも持たずに三島市内を散策。 三島は伊豆国の国府だっただけに、由緒の古い寺社が多くあります。 伊豆一宮の三嶋大社に伊豆国分寺。 三嶋大社の門前を東西に走る東海道に対して国分寺がワンブロック引っ込んだ所にあることが不思議だったのですが、 国分寺に向かって路地を歩いていてその路地が鎌倉古道だと気付いて、 三嶋神社の南への拡張に伴い東海道が南に移動したのか、と。 由緒ある寺社だけでなく、市内は富士山からの湧水を水源とする清流があちこち流れて、それにそった緑道も整備され、 地形的にも歴史的にも散策していて面白い町でした。

夕食は三茶の行きつけの店で教えてもらったイタリアン・レストランへ。 バジリカータ州出身というオーナーもフレンドリーで、料理も美味しく、楽しい時間を過ごせました。 そんなに三島に行く機会はありませんが、行ったときは是非立ち寄りたいものです。

[3446] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jul 10 21:49:32 2016

土曜は朝から本降りの雨。 『ふじのくに野外芸術フェスタ2016 in 三島』に行く予定は中止。 外出する気も削がれがちだったのですが、雨も弱まってきた午後遅めに高円寺へ。この舞台を観てきました。

L'Apres-midi d'un Foehne - Version 1
カンパニー・ノン・ノヴァ 『牧神の午後 version 1』
座・高円寺 阿波おどりホール
2016/07/09, 15:00-15:30.
Conception et écriture: Phia Ménard, assistée de Jean-Luc Baujault.
Interprétation: Jean-Louis Ouvrard.
Création: 2011.

Cie Non Nova は元 Cie Jérôme Thomas の Phia Ménard が1998年に設立した フランス・ナント (Nantes, FR) を拠点とするコンテンポラリー・サーカスのカンパニー。 ジャグリングを中心としたレパートリーが多いようだが、 2008年より I.C.E. (Injonglabilité Complémentaire des Eléments, 「ジャグリング不可能な相補要素」) という ジャグリングによらないプロジェクトにも取り組んでいる。 L'Apres-midi d'un Foehne - Version 1 は I.C.E. の作品の一つで、その中の “Pièce du Vent” 「風の作品」三部作の第1作にあたる。 残り2作 L'Apres-midi d'un FoehneVORTEX は2作合わせて上演されるようになっている。 L'Apres-midi d'un Foehne - Version 1 は、2013年の Edinburgh Fringe や London International Mime Festival 2014 で話題になっており [The Guardian記事]、 当時から生で観たいと思っていた作品だった。

L'Apres-midi d'un Foehne - Version 1 は、 「レジ袋」としても知られるスーパーマーケット等で使われる持ち手付きのポリマー製の袋 (ポリ袋) を人の形にして風で舞い踊らせる作品だ。 直径5mほどの円形の舞台の円周を6等分する位置に6台の送風機が内向きやや下向きに角度を付けて置かれていた。 奥に「花道」が作られ、作業机と送り出し用の送風機がもう一台置かれていた。 内向きやや下向きという6台の送風機の角度が絶妙で、 これで舞台中央の上昇気流と、舞台円周の下降気流を安定して作り出し、 ポリ袋を飛び散らさせずに舞わせるることを可能にしていた。 また、足となる袋の持ち手部にウェイトを付けて袋の姿勢を安定させていた。 動画で観ていたときは、アップ中心のカメラワークもあって、 どのようにコントロールしているのかよくわからなかったのだが、 舞台全体を観てなるほどと納得。 多くのポリ袋が舞うようになった中盤、ビニール傘を持ち出し開いて舞台中央に下向きに置くと、傘の中にポリ袋が人の手を介することなく自然に収まっていった。 傘の内側だけ上昇気流が無くなるためだが、これもなるほどと思わせる面白いアイデアだった。

といっても、ポリ袋が舞い踊って面白いというだけでは、30分ももたない。構成も巧みだ。 全て既に出来上がったボリ袋の人形を躍らすのではなく、 最初の一体をハサミとセロファンテープで作ることろから見せる。 これから踊らせるのは特製の人形ではなく、どこでもあるポリ袋にちょっと手を加えた程度のものだと示すように。 そして、その最初の一体をまず踊らせるのだが、ギリギリの風量で舞うか舞わないかといったところで、 L'Apres-midi d'un Foehne の Claude Debussy の音楽が流される。 すると、まるで静かに始まる音楽に合わせてポリ袋が身を震わすように踊っているように見えるのだ。 このように引き込まれると、後はポリ袋が踊っているようにしか見えなくなった。 踊るポリ袋の増やし方も、奥から風に乗せて送りだしたり、ステージを歩きながら懐からいくつもの袋を投げ出したり。 さすがジャグラーと思わせる、その身振りや投げ出すコントロールも良かった。 踊るポリ袋を肩にのせるかのようにしたりと戯れるようなほのぼのとした展開だけでなく、 最後にはハサミなどを使って舞っていたポリ袋をズタボロにし、その残骸が舞台中央に吹寄され、殺伐とした雰囲気で終わる。 単に綺麗で面白いものを観たで終わらせない後味を残す所も良かった。

海外での公演のレビュー等を読んで期待が大きかったので、 逆に物足りなく感じるのではないかと不安だったが、期待に違わず十分に楽しめた舞台だった。

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その後は、六本木へ移動。 森美術館で 会期末になってしまった 『六本木クロッシング2016』 に滑り込み。 しかし、この手の「現代アート」への興味が自分から失せてきてしまったのだなあ、と実感 (多くは語らない)。

土曜の晩はいきつけのジャズ喫茶でのんびり。死のロード (謎) に備えて、日曜は家事、休養に充てたのでした。

[3445] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jul 3 21:16:58 2016

土曜は昼過ぎまで家でゆっくり。午後遅めに動き出して横浜山下へ。この舞台を観てきました。

La Bayadère
KAAT神奈川芸術劇場 ホール
2016/07/02, 17:00-19:00.
演出: 金森 穣; 脚本: 平田 オリザ; 振付: Noism1.
音楽: Léon Minkus: La Bayadère; 笠松 泰洋.
空間: 田根 剛 (Dorell.Ghotmeh.Tane / Architects); 衣装: 宮前 義之 (Issey Miyake); 木工美術: 近藤 正樹.
舞踏家: Noism1 & Noism2; 俳優: 奥野 晃士, 貴島 豪, たきいみき (SPAC 静岡県舞台芸術センター).

Noism は新潟市民芸術文化会館「りゅーとぴあ」の劇場レジデンシャルのダンスカンパニー。 レジデンシャルのダンスカンパニーは日本では実質 Noism のみということで、一度観てみたいと思っていましたが、観るのは今回初めて。 Noism の「劇的舞踊」シリーズの第3弾となる『ラ・バヤデール — 幻の国』は、 公共劇場専属劇団であるSPACの俳優3人が客演し、平田 オリザ の脚本 という話題性もあり、 これもよいきっかけかと、足を運んでみました。

Léon Minkus 音楽、Marius Petipa 振付で1877年に初演された ballet 作品 La Bayadère を翻案した作品でしたが、 物語もダンスも予想以上にバレエ La Bayadère でした。 原作では古代インドが舞台のところを1931-1945の満州国を舞台に置き換えていましたが、 一見関係なさそうな話を巧みに繋ぐ見立てが、面白く感じました。 前半はダンスが物語や役割を説明し過ぎるように感じましたが、 後半のアヘンの幻覚の場面から、結婚式から最後のカタストロフは、ダンス中心となって、ぐっと良くなりました。 バレエ的なイデオムの強いダンスはさほど好みではないのですが、 鮮やかながら落ち着いた色と造形の面白い衣装での群舞は、十分に楽しめました。

俳優を客演させた部分については、特に 貴島 豪 演じた特務機関の陸軍将校ムラカミが、狂言回しというより物語の説明役みたいになってしまっていました。 La Bayadère のような古典をベースに作品を作る場合は、 観客も当然あらすじを押さえて観ているという前提で大胆に説明を省いて演出してしまっても良いように思いました。 あと、舞台音楽は世界観を統一する役割があるだけに、Léon Minkus の音楽とオリジナルのエスノ・アンビエント風の音楽にギャップがあったのも残念。 頑張って Minkus の音楽だけでやるか、いっそ、舞台の満州国に合わせた雰囲気のオリジナルの曲だけでやるか、 どちらかにすると良かったかもしれません。

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この後は、お台場へ移動。 日本科学未来館『Björk Digital ― 音楽のVR・18日間の実験』 を観てきました。 パフォーマンスやオープニング・パーティが話題になってやっと Björk 来日に気づいたほどですが、 VR体験型の展示だけでも観ておこうかな、と。 新しい技術に取り組んでそれをエンタテインメントに仕上げようという心意気はわからないのではないのですが、 やはり、彼女のキャラクターで辛うじてもっていると感じてしまいました。ふうむ。

体力温存でゆっくり動き出したものの、やはり2件ハシゴは消耗します。 日曜は今年初の猛暑日ということもあり、大人しく過ごしたのでした。

[3444] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Jun 29 23:26:36 2016

土曜の晩は、池袋から横浜みなとみらいへ移動。この野外公演を観てきました。

『日輪の翼』
Miwa Yanagi: The Wing of the Sun
横浜赤レンガ倉庫イベント広場
2016/6/25. 18:30-
演出・美術: やなぎみわ
原作: 中上 健次; 音楽監督: 巻上 公一
出演者: 重森 三果 (キクノオバ), Syndi Onda (ハツノオバ, ダンスホールの歌手), ななな (ミツノオバ), 檜山 ゆうこ (コサノオバ), 南谷 朝子 (サンノオバ, ソノノイネ), 上川路 啓志 (田中さん, オリエントの康, 土木作業員), 辻本 佳 (ツヨシ, 土木作業員), 西山 宏幸 (定男 (死のう団), マサオ), 村岡 哲至 (半蔵二世 (死のう団), テツヤ), 藤井 咲有里 (道子, ララ, 他), MECAV (タエコ, 喜視, 他), 松本 杏菜 (キキ, 他), サカトモコ (空中パフォーマンス), 石蹴 鐘 (空中パフォーマンス), 嶋村 泰 (死のう団員, 楽隊), Saro (死のう団員, 楽隊), 井尻 有美 (死のう団員, 楽隊).

現代美術の文脈はもちろん最近は演劇にも積極的に取り組んでいる やなぎみわ [関連する鑑賞メモ] の最新作は、 台湾で移動式貸し舞台として使われている移動舞台車を元にしたステージトレーラーを使っての野外劇。 このステージトレーラー自体はヨコハマトリエンナーレ2014で観ているのですが、その時はピンとくるものがありませんでした。 しかし、実際にステージとして使っているところを見れば印象が違うだろうかと、足を運んでみました。

タップダンス、ポールダンスやエアリアルなどのパフォーマーを使っているということで、 原作の物語は世界観を統一して技を繋ぐ緩い枠組みとして使う、サーカスやバーレスクショー的なものを予想していました。 しかし、実際のところはセリフも多くしっかり物語って、技はディティールの一部。 以前の作品を観ていたときにも感じていたことですが、演劇のセンスの人なんだなあ、と。 原作は1980年代のものですが、ステージトレーラーのビジュアルセンスや聖と俗の混交と祝祭性というテーマも、それ以前のアングラを思わせるものでした。 梅雨時期ながら雨に降られずには済みましたが、強風のためエアリアルは無し。ステージトレーラーも半開きになってしまいました。 野外公演が天候に左右されるのは仕方ありませんが、バーレスクショー的な期待も外れたこともあって、観ていて物足りなく感じてしまいました。

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副都心線〜東横線〜みなとみらい線で乗換なし一本で行かれるので、移動はなかり楽でした。 が、やっぱり、演劇などの公演は、無理してハシゴするもんではないな、なんて思ってしまいました。 2時間の公演2本は、きついです。 ということで、日曜はゆっくり休養に充てたのでした。

[3443] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jun 26 21:37:31 2016

土曜は昼に池袋へ。この舞台を観てきました。

東京芸術劇場 プレイハウス
2016/6/25. 14:00-15:45.
Written, designed, directed and performed by Robert Lepage
English Translation: Louisa Blair; Creative Director and Ideation: Steve Blanchet; Dramaturg: Peder Bjurman; Assistant Director: Adèle Saint-Amand; Composer and Sound Designer: Jean-Sébastien Côté; Lighting Designer: Laurent Routhier; Image Designer: Félix Fradet-Faguy; Associate Set Designer: Sylvain Décarie; Associate Properties Designer: Ariane Sauvé; Associate Costumes Designer: Jeanne Lapierre
An Ex Machina production. Commissioned by the Arts and Culture Program of the TORONTO 2015 Pan Am and Parapan Am Games.

カナダ・ケベック州出身の Robert Lepage が2015年に制作した一人芝居。 Lepage というと、映像やライティングを駆使したトリッキーな演出を期待するし、実際にその面も楽しんだ。 しかし、この作品では、労働者階級という自分の出自に関する個人史とケベック近現代史を絡めた語りが心に染み入った。

始まりは、La Nuit de la poésie de 1970 の40周年を記念した 2010年の La Nuit de la poésie で、 1970年に朗読された詩 Michèle Lalonde: “Speak White” [YouTube] の暗唱朗読することとなったが、 何故か覚えられない、という話。 そこから、半ば脱線するかのように自分が子供の頃の記憶の話となる — タイトルも子供に住んでいた家の住所から取られている。 そして、タクシードライバーだった父親をはじめとする家族や、住んでいた集合住宅の住人たちのエピソード、 さらに、1970年にケベックで起きたオクトーバー・クライシスなど、カナダ・ケベック州の近現代史の話へと広がっていく。 論理的に筋道立てられているわけではないが、話が飛びまくるという印象は受けなかった。 何か明確な結論や主張が伴っているわけではないし、 抑制されたユーモアはあるけれども面白おかしく脚色したりはしていなかったが、 淡々とした語りの上手さに引き込まれた。 セリフは英語とフランス語を交え日本語字幕での上演だったが、字幕であることなど忘れる程だった。

そして、広げられた話は、 Michèle Lalonde: “Speak White” の激しい暗唱朗読、そして、 その直後で最後の場面となる、祖母の死に涙する父の姿の回想で、ぐっと収束する。 子供の頃の記憶 — 労働者階級の生活やオクトーバー・クライシスに関するものなど — を関連付けることによって “Speak White” を記憶したんだと気づかされる一方、 “Speak White” は La Nuit de la poésie に出席するような名士たちのためのものではなく — Lepage の 887 を観に来るような人たちのためのものでもなく、 Lepage の父親のような政治的主張等はごくごく穏当で寡黙で勤勉に働く平凡な労働者のような人々のためにあるのだとも気付かされるという。

もちろん、映像投影を駆使して 子供の頃に住んでいた集合住宅のミニチュアを回転させたり扉状のものを開いたりすることで 現在住んでいる家の室内など様々に変化させたり、 小型カメラでミニチュアを撮影した映像をライブで投影するとこで異なる視点を挿入したり。 そういう Lepage らしい演出も楽しんだのも確か。 しかし、演出のトリッキーさの印象が残らないほど、語りに引き込まれた作品だった。

思えば、初めて観た Robert Lepage の舞台 The Far Side of the Moon 『月の向こう側』も、 米ソ冷戦と宇宙開発競争という大きな歴史と兄弟の不和と和解という私的な話を重ね合わせて語る一人芝居。 Lepage のそのような語りを作る巧さに改めて気づかされた。 それ以来 Lepage 作品の来日公演をそれなりに観てきたが、トリッキーな演出を楽しみつつも、 The Far Side of the Moon に比べて物足りなく感じていたのも確か。 887 を観て The Far Side of the Moon を観たときの感動を思い出した。 いや、それ以上のものがあったかもしれない。

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去年観た Needles and Opium も物足りないものだったので、 あまり期待していなかったのですが、予想を裏切る良さでした。 エンディングでは思わず目が潤んでしまいましたよ。 こんなことだったら、この後に予定を入れるじゃなかった。 もっと余韻に浸りたかったなあ、と。

Robert Lepage といえば、 Metropolitan Opera Live in HD の2016-17シーズンで Kaija Saariaho (comp.): L'Amour de loin 『遥かなる愛』が かかる予定。 しかし、その前に、アンコール上映2016で、 Lepage 演出の Richard Wagner の Der Ring des Nibelungen がかかります。 これは、勢いがあるうちに観ておいた方がいいかしらん、と。うーむ。

この後の話は、また後ほど。

[3442] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Jun 20 22:53:26 2016

3月以来久しぶりのCD/DL聴取メモは、フランスの jazz/improv 文脈で活動する bass 奏者率いる多国籍グループを。

(Zig-Zag Territories, ZZT100902, 2010, CD)
1)Sugar On The Ground 2)Someday 3)Monday 4)Haikool 5)Free At Last 6)Man Wo 7)Oran Nan Raiders 8)Green Power 9)Ishidatami 10)Chemistry 11)Blue Jay Way
Michel Benita (double bass, programming), Mieko Miyazaki (koto, vocals), Eivind Aarset (guitars, electronics), Matthieu Michel (trumpet, flugelhorn), Philippe Garcia (drums, sampler).
Michel Benita Ethics
(ECM, ECM2483, 2016, CD)
1)Back From The Moon 2)River Silver 3)I See Altitudes 4)Off The Coast 5)Yeavering 6)Toonari 7)Hacihi Gatsu 8)Lykken 9)Snowed In
Recorded April 2015.
Matthieu Michel (flugelhorn), Mieko Miyazaki (koto), Eivind Aarset (guitars, electronics), Michel Benita (double bass), Philippe Garcia (drums).

アルジェリア生まれで1980年代末から Label Bleu レーベルの一連の録音などフランスの jazz/improv の文脈で活動する doublebass 奏者 Michel Benita による多国籍グループ Ethics。 Benita は2000年前半 Erik Truffaz のグループで活動しており、その時の drums 奏者 Philippe Garcia も参加している。 このリズム隊に、スイス出身の flugelhorn 奏者 Matthieu Michel、 Jazzland レーベルからのリリースで知られるノルウェーの guitar 奏者 Eivind Aarset という編成は、 Mantis (Blue Note, 2001) の頃の Truffaz のグループを思わせるもの。 しかし、アラブ的な要素は無く、Huong Thanh や Nguyên Lê との共演で知られるフランスで活動する箏奏者 Mieko Miyazaki をフィーチャーしている。

2010年の1stアルバムは、Truffaz ほどビートを効かせた展開はなく、むしろゆったり浮遊感を感じさせるものだが、 electronics のテクスチャ、時にロック的な展開もあり、まだ nu jazz 色濃い仕上がり。 箏の音だけでなく、日本語での 石川 啄木の詩の朗読を入れたり、と、若干未消化にも感じられるが日本的な要素を強く感じさせる作品になっている。

ECMからの2ndアルバムは、electronics 使いがぐっと後退して、ECMらしい残響深めにアコースティックな音の響きを重視した音作り。 特に bass の音がよくて、Benita のグループなのだと実感。 ここでは、箏の音も日本文化という文脈を意識させるというより、澄んだ音を鳴らす楽器だ。 ディストーションも控えめな guitar に高く澄んだ箏のという弦の音に、 エコー深めに漂うような flugelhorn の音、ゆったり控えめに刻まれる drums。 nu jazz というより、むしろ1970-80年代のECMのよう。そんな所も気に入っている。 しかし、例えば Kenny Wheeler: Deer Wan (ECM, ECM1102, 1978) などと聴き比べると、 やはり低音の深さなどかなり深くなっており、音作りはアップデートされている。 そんな事にも気付かされたアルバムだ。

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定期的に書かなくなると、ほんとに書けなくなるなあ、と、つくづく。 しかし、書いておかないと、今年に入って聴いた新譜、何があったっけ? という状態になってしまい、いけません。 聴いてそれなりに良かったCD/DLなどは、 twitter タイトルだけツイートしているので、それを手掛かりになんとか思い出したり。 以前のようなペースで書く余裕はありませんが、たまにか書ければ、と。

[3441] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jun 19 21:24:15 2016

先週末は休めなかったので、土曜の午前はゆっくり。 昼過ぎに野暮用を済ませた後、砧公園へ。会期末となったこの展覧会を観てきました。

『竹中工務店 400年の夢 –時をきざむ建築の文化史–』
400 Years of Architectural Challenges – TAKENAKA: Master Builder in Japan
世田谷美術館
2016/04/23-2016/06/19 (月休), 10:00-18:00.

織田信長の普請奉行 竹中藤兵衛正高 をルーツに持つ竹中工務店の展覧会。 四百年の歩み、文化史という言葉がタイトルに入っていますが、 歴史を描くような面は薄く、むしろ、竹中工務店が幅広いジャンルの建築を手がけてきていることを示すような展覧会でした。

近代建築以前の寺社建築については「はじまりのかたち」のコーナーにまとめ、 それ以降は、利用目的の観点から建築を大きく6つのジャンルに分け、ジャンルごとにコーナーを作っていました。 年表も示されていましたが、建築の年代順に展示を並べてはいませんでした。 ジャンルごとに代表的と思われる建築を取り上げ、図面などの資料よりも写真と模型を中心に展示していました。 個々の建築の説明もそこそこに、ずらっと写真や模型が並ぶ様は圧巻。 ディティールに踏み込む以前に、あれもこれも竹中工務店なのか、という感慨が先に立った展覧会でした。 作家性の高い建築家を中心に据えた建築展とは異なるとっつきやすさはあったように思いましたが、 企業のPR展示を見ているような感覚に陥るときもありました。

紹介されていたのは戦後のものがほとんどで、戦前の近代建築の展示は目立ちませんでした。 初めて手がけた近代建築が三井銀行神戸小野浜倉庫 (1900) という煉瓦造りの倉庫だったというのは、戦後に手がけている建築と比べると意外でしたが、 当時の煉瓦造りの倉庫は意匠的にも工法的にも当時の最先端だったのだろうあと。 やはり興味を惹かれたのは、宝塚大劇場 (1924) や雲仙観光ホテル (1937) などで、こういうのをもっと観たかったなあ、と。

建築家の個性を押し出さずに様々な建築を手がけているだけに、 年代順に整理すれば工法やデザインの流行を浮かび上がらせることもできたのかな、とは思いましたが、 それは企業に焦点を当てた展覧会の役割じゃないのかもしれません。

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土曜は真夏日ということで、美術館・ギャラリー巡りする気にもなれずに、土曜はこれだけ。 日曜もゆっくり休日に充てたのでした。

[3440] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jun 5 23:22:36 2016

土曜の晩、東銀座でオペラのライブビューイングを観た後は、錦糸町へ移動。 このコンサートを観てきました。

The Poet Speaks
すみだトリフォニーホール
2016/06/04, 19:00-21:00.
Philip Glass (piano), Patti Smith (vocals), Jesse Paris Smith (piano, vocals), Tenzin Choegyal (overtone singing, dranyen (long necked lute), lingbu (transverse flutes)), Lenny Kaye (guitar).

1970年代半ば New York の punk シーンに登場したことで知られる女性歌手 Patti Smith と、 現代音楽、特に minimal music の文脈で知られる作曲家 Philip Glass とのコラボレーションによるコンサートを観てきました。 Philip Glass の音楽がメインのクラシカルなコンサートを予想していたのですが、 むしろ Patti Smith の色の濃いライブに近い内容でした。 メモを取ったりしていなかったので記憶も定かでなく、特に曲数に自信はありませんが、 まずは、Patti Smith の娘 Jesse Paris Smith と オーストラリア在住のチベット系ミュージシャン Tenzin Choegyal の duo を3曲ほど、 続いて、Philip Glass のピアノ伴奏による Patti Smith による詩の朗読を4曲ほど、 その後、Lenny Kaye を Jesse Paris Smith のバッキングで Patti Smith が歌う3曲ほど、 Philip Glass のピアノソロ1曲の後、 再び、Philip Glass のピアノ伴奏による Patti Smith による詩の朗読を4曲ほど 最後に、大団円での “People Have The Power” でした。 基本的に Allen Ginsberg の詩の朗読でしたが、Patti Smith の詩もあったような覚えがあります。

中でも最も良かったのは、Philip Glass の伴奏での Patti Smith の詩の朗読。 Allen Ginsberg の詩に見られる反抗や主張は今聞くと20世紀半ばという時代を感じるものでしたが、 Patti Smith の凛々しい声で聞くとそれも様になります。 反復を多用する Philip Glass のピアノも、minimal music ほど徹底したものではなく、 オーソドックスなコード進行や旋律もきこえるもの。 現代音楽らしく突き放したものを予想していましたが、感傷的に感じられました。 Allen Ginsberg の写真や手稿などをスチル映像を背景に大きく投影しながらの演奏・朗読で、 そのヴィジュアルが良かっただけに、 詩の和訳の字幕を大写ししている時間が長かったのは、少々残念。 字幕は外国語上演での演劇の際と同程度にして、スチル映像投影を続て欲しかったものです。

ロック歌手としての Patti Smith が観られるとは期待していなかったので、それを観られたのも収穫。 確かに、彼女の歌声には衰えの感じない力を感じました。 しかし、観客の起立と拍手を促して盛り上げての大団円 “People Have The Power” を聴きながら、 NY punk の女王というより、往年のロックスター、と思ってしまったのも確か。 “People Have The Power” 自体 Patti Smith Group 時代の曲じゃありませんが、 1970年代の Patti Smith Group の Lenny Kaye を帯同していましたが、その頃の雰囲気は感じられませんでした。 かつて自分が Patti Smith Group に聴いていたのは、皆で一体となって盛り上がるようなものではなかったような、と。

Jesse Paris Smith を観るのも聴くのも初めてでしたが、 母 Patti とは対称的な帽子、スカートに赤いアクセントカラー使いもフェミニンな服装で、 少々細い声もむしろ可愛らしい部類のものでした。 母親とは似なかったのだなあ、と感慨深いものがありました。 Patti Smith のような雰囲気の女性が並ぶよりも、対称的な方が舞台としては面白いとは思いましたが。

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“People Have The Power” を歌う Patti Smith よりも、 Philip Glass のピアノ伴奏で詩を朗読する Patti Smith の方が良かった、 そんな Patti Smith のコンサートよりも、その直前に観た Patrice Chéreau 演出のオペラ Elektra (のライブビューイング) の方が 良く感じられてしまいました。 Th. Adorno が書いていたことが少しだけわかったような。 まさか、そんなふうに感じるようになる時が自分に来るとは、思ってもいませんでしたが……。

土曜に2本ハシゴしたので、日曜はゆっくり休養に充てたのでした。

[3439] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jun 5 19:36:46 2016

土曜は昼過ぎまで体力温存。午後遅めに家を出て、まずは東銀座へ。オペラのライヴ・ビューイングを観てきました。

Metropolitan Opera
『エレクトラ』
from Metropolitan Opera House, 2016-04-30.
Composer: Richard Strauss; Librettist: Hugo von Hofmannsthal.
Production: Patrice Chéreau. Set designs: Richard Peduzzi.
Cast: Nina Stemme (Elektra), Adrianne Pieczonka (Chrysothemis), Burkhard Ulrich (Aegisth), Waltraud Meier (Klytämnestra), Eric Owens (Orest), etc.
Conductor: Esa-Pekka Salonen.
World premiere: Court Opera, Dresden, 1909; Premiere of Patrice Chéreau production: Festival International d'Art Lyrique d'Aix-en-Provence, 2013.
上映: 東劇, 2016-06-04 16:00-18:00 JST.

映画監督として、そしてオペラの前衛演出で知られたフランスの演出家 Patrice Chérea のオペラは、 DVDでいくつか観たことがあり、好みに感じていました [鑑賞メモ]。 2013年に亡くなった Chéreau の最後の演出作品が 南仏 Aix-en-Provence Festival 2013 で制作された Elektra。 その作品がニューヨーク Metropolitan Opera の2015-2016シーズンのプログラムとなって、Live in HD で上映されたので、観てきました。

Sophokles [Σοφοκλῆς] による古代ギリシャ悲劇に基づく一幕もののオペラで、 Argos [Άργος] の王である父 Agamemnon [Ἀγαμέμνων] を殺した 母 Klytämnestra [Κλυταιμνήστρα] とその愛人で夫となり王位を簒奪した Aegisth [Αἴγισθος] への復讐心に燃える長女 Elektra [Ἠλέκτρα] が主人公。 復讐心を露わにしているため館に幽閉された状態から 弟 Orest [Ὀρέστης] によって復讐が遂げられるまでを描く物語に、 不協和音を多用した無調音楽寸前の音楽。 初演当時最大級の116名のオーケストラもあって、一幕最後まで息つく間もない緊張感の高い舞台を堪能しました。

コンクリート打ちっ放しに鉄扉というセットは、 古代ギリシャではなく、20世紀半ばオートメーションが進展する前の工場のよう。 衣装も、母や継父はブルジョワ工場経営者で、幽閉された Eleklra とその妹 Chrysothemis [Χρυσοθεμις]、そして侍女たちは女工というか工場労働者。 そんなミニマルというより殺風景で殺伐とした舞台美術や衣装は、凄惨な復讐譚にぴったり。 歌詞は変えられていませんでしたが、古代ギリシャ悲劇というより、 現代の小さな工場で起きた経営者スキャンダルを見ているようでした。 それだけに、カメラワークが歌手のアップ中心だったのは、少々残念。 Chéreau の演出を楽しむという点でも、舞台全景のショットをもっと使って欲しかったです。

Metropolitan Opera の live screening は、 Lulu [鑑賞メモ] に続いて2回目。 Elektra で2015-16シーズンのプログラムはおしまい。 Royal Opera House や Opéra national de Paris の live screening が 日本ではあまり上映されなくなっている中、Metropolitan Opera は着実に上映が続いて, 2016-17シーズンの上映プログラム10作品も 決まった模様。 一番の楽しみは、Robert Lepage 演出の Kaija Saariaho (comp.): L'Amour de loin 『遥かなる愛』。 これは、2015年の Festival Opéra de Québec で初演された 新プロダクションのようですね。 『コンポージアム2015』で映像付き演奏会形式で聴いたことのあるオペラですが [鑑賞メモ]、 若干不吉な予感もしないではないですが、Lepage 演出を得てどうなるのか気になります。

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この後の話はまた後ほど。

[3438] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun May 29 23:36:19 2016

土曜は昼過ぎまでゆっくり休んでいたのですが、夕方にお台場へ。サーカスを観てきました。

お台場ビッグトップ [特設会場]
2016/05/28, 16:30-18:50.
Acts: Part I: 1)High bars “Carapace” 2)Hoops Dancer Part I (The Amerindian dancer) 3)Rings Trio 4)Unicycles and bowls 5)Clown “Sad Fisherman” 6)Contorsion 7)“Monkey Business” (from Ape to Businessman With Cell Phone) 8)Chinese pole “Escalade” Part II: 9)Diabolo “Toreador” 10)Fix trapeze duo “Lovebirds” 11)Manipulation “The Scientist” 12)Clown “Waterski” (Italian Tourist) 13)The Hoop Dancer Part II (The Amerindian dancer) 14)Roler skates 15)Russian bars 16)Finale
Writer and director: Robert Lepage.
Premiere: April 22, 2010 at Montreal.

カナダ・ケベック州モントリオールを拠点とするサーカス Cirque du Soleil の Totem 東京公演を観てきました。 現代的なサーカス・パフォーマンスを目当てに自分が大道芸をよく観るようになった1990年代半ば頃から Cirque du Soleil のことは度々耳にする機会がありましたが、観に行くきっかけが無く観そびれていて、今回初めて観ました。 映像や照明でトリッキーな演出をする現代演劇の演出家 Robert Lepage [鑑賞メモ] が作・演出を手がけているということで、それが今回観に行くきっかけとなりました。

劇場公演で観るような作品性の高い現代サーカスの作品と比べると、 比較的独立性の高い個々の演目を、アクロバティックな演目とコミカルなクラウンの演目を交えつつ、 ある世界観を使って緩くまとめ上げたもの。 Lepage のような演出家を使う程なので、もっとガッチリと構成・演出された作品になっているかと構えていましたが、 普通にエンターテインメント的なサーカス・ショーでした。 照明や映像を駆使したところが現代的と言えるかもしれませんが、 最近の大規模なエンターテインメント・ショーとして見れば標準的でしょう。 緑や青、蛍光などの不自然に立体的なライティングに Lepage らしさを垣間見ましたが、 トリッキーと感じるような映像使いはありませんでした。

むしろ、Lepage というと、電話使いも象徴的な都会の孤独な男の感傷を描いた舞台という印象が強かったので、 現代社会を舞台としておらず、人類の進化と文化の多様性、それも西洋近代化以前の文化をテーマとしていたのも、かなり意外でした。 このようなハイテンションなエンターテインメント・ショーを演出できるのか、と、感慨深いものがありました。

個々の演目は、類した技を大道芸フェスや他の現代サーカスの公演で観たことがあるものでしたが、 難易度や完成度が高いものが多く、音楽や照明も良い状態です。 男性2人女性1人の吊り輪でのダイナミックにスイングさせるながらの Rings Trio や 空中ブランコ上で揺らさずに男女がハンド・トゥ・ハンド的な空中アクロバットを見せた Fixed Trapeze Duo “Lovebirds” のようなエアリアルの演目は特に、 このように演出された場で観た方が格段に映えます。 小ぶりのフープを使った女性 Hoops Dancer のダンスのキレの良さも印象に残りました。 高い一輪車の上でボウルを使った芸を見せた Unicycles and Bowls など中国雑技でお馴染みですが、 衣装や音楽を変えることでこう織り込むことができるのか、と、新鮮な印象。 完成度の高いエンターテインメント・ショーとして充分に楽しむことができました。

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土曜の晩は地元三軒茶屋の行きつけの店で呑んでいたのですが、 Cirque du Soleil を観てきたと言ったところ、行った方が良いかと訊かれてしまいました。 「普段、どんなものを観ているかによりますね……。」とはっきりしない答えになってしまいましたが……。 コンテンポラリー・サーカスの入門編にうってつけだと思いますが、 コンテンポラリーなダンスや演劇にある程度親しんでいる人なら、 やっぱり、東京芸術劇場、世田谷パブリックシアターのような公共劇場が呼んでくる現代サーカスの公演の方を薦めたいです。

自分としても、 去年観に行ったミュージカル Pippin [鑑賞メモ] と同じで、チケットが1万円強とけっこういい値段するので、 さすがに、気楽に足を運んでみるというわけにはいかないなあ、と。

日曜は完全休養日。週に1日はちゃんと休まないと辛いなあ、と (弱)。

[3437] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun May 29 21:11:23 2016

水曜の晩、仕事帰りに初台へ。毎年恒例になりつつありますが、このコンサートを観てきました。

The Music Of Toshi Ichiyanagi
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル, 初台
2016/05/25, 19:00-20:50
1)Between Space and Time for chamber orchestra 『ビトゥイーン・スペース・アンド・タイム』 (2001) 2)Piano Concerto No. 6 “ZEN” 『ピアノ協奏曲第6番《禅—ZEN》』 (2016) 3)Symphony “Berlin Renshi” for soprano, baritone and orchestra 『交響曲《ベルリン連詩》』 (1988) - 連詩: 大岡 信 [Makoto Ooka], Karin Kiwus, 川崎 洋 [Hiroshi Kawasaki], Guntram Vasper
秋山 和慶 [Kazuyoshi Akiama] (conductor), 一柳 慧 [Toshi Ichiyanagi] (piano) on 2, 天羽 明惠 [Akie Amou] (soprano) on 3, 松平 敬 [Takashi Matsudaira] (baritone) on 3, 東京都交響楽団 [Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra].

現代音楽 (contemporary classical) の作曲コンペに合わせて開催されるコンサート『コンポージアム』。 今年の審査員は 一柳 慧。 1960年代の日本への John Cage への紹介者として (そして 小野 洋子 の最初の夫として) 名を知るものの、 その音楽をちゃんと聴いたことがなかったので、聴く良い機会かと足を運んでみました。

『コンポージアム』の審査員をフィーチャーしたコンサートというと、 ondes Martenot を使った Tristan Murail (2010) [鑑賞メモ] flute / saxophone 200人のオーケストラを使った Salvatore Sciarrino (2011) [鑑賞メモ]、 和楽器の笙 [sho] を使った 細川 俊夫 (2012) [鑑賞メモ]、 percusshon 奏者のパフォーマンスも楽しかった Peter Eötvös (2014) [鑑賞メモ]、 マルチメディアアーティストの映像を伴う演奏会形式オペラだった Kaija Saariaho (2015) [鑑賞メモ] と、 通常の classical なコンサートとは一味違うものになることが多く、 それも楽しみの一つです。 今回は目に見えて特殊な楽器や編成は無く、比較的普通のコンサートでした。 Symphony “Berlin Renshi” では指揮者が時々紙を掲げつつ指揮をしていたので、 ゲームピースなのかと見ていたら、単に数字が1から順に増えていくだけでした。 これも作曲家の指示なのでしょうか。

John Cage の紹介者というイメージから、モダニスト的な抽象的な曲調を予想していたのですが、 とっつきやすいフレーズが聴こえるときもありました。 むしろ、2曲目の piano concerto での内部奏法も使った倍音成分も上手く使った piano の響きや、 Symphony “Berlin Renshi” での厚めの contrabass を使った orchestra の響きなど、 サウンドの面白さが印象に残りました。 これは、『コンポージアム』の Murail や Sciarrino を聴いたときにも感じたことですが、 特にオーケストラを使った作曲の場合、 オーケストラの響かせ方というのも重要なイシューなのだろうと。 そんなことに気付かされたコンサートでした。

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[3436] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon May 23 0:08:33 2016

土曜午後に観た公演の終演が早かったので、初台から六本木へ移動。この展覧会を観てきました。

Miyake Issey Exhibition: The Works of Miyake Issey
新国立美術館
2016/03/16-2016/06/13 (火休;5/3開), 10:00-18:00 (金10:00-20:00).

ファッション・プランド Issey Miyake 設立者としられるファッション・デザイナー 三宅 一生 の展覧会。 1998年から2000年にかけて世界を巡回した『三宅 一生 展』 [鑑賞メモ] から約15年ぶりです。 前回同様、ブランドとしての展覧会ではなく 三宅 一生 の作家性高いプロジェクトに焦点を当てた内容でした。 前回の展覧会よりは回顧展らしい面もあって、導入部は1970年代のデザイン。 続いて1980年代からは布ではない素材を使った彫刻的な服の取り組みとして「ボディワークス」を取り上げていました。 1970年代はリアルタイムで見ていませんが、造形や素材にその後の方向性は見えつつあるものの、 まだカウンターカルチャー色濃いデザインに時代を感じました。 藤や竹を編んで作った「ラタン・ボディ」 (1981/1982) の彫刻的な衣装など、ほぼ同時代で見ており、少々懐かしく感じたりもしました。

そして、大きくギャラリー空間を取っての1990年代以降の「一枚の布」のコンセプトを強く出した仕事。 前回の展覧会でも大きくフィーチャーされていた Pleats Please と A-POC は今回も大きくフィーチャーされていました。 しかし、今回の展覧会で興味引かれたのは、 2007年に活動を開始した三宅デザイン事務所の Reality Lab と 三宅 一生 の研究開発の成果として 2009年に始めた新しいライン 132 5.。 一枚の布に切り込みを入れて折りたたんでプレスして作る平面へ折り畳み可能な立体的な造形の服。 平面的に畳めるにもかかわらず変化に富んだ立体的な造形になるという意外さもあるのですが、 単に見るだけでなく、ミニチュアの服を小さなトルソに着せることができるコーナーがあり、 布の折り畳まれ方を手に取って知ることができたのが、とても面白く感じました。

Issey Miyake の服は1980年代半ばから同時代的に見てきていて、 最近は色や素材感が好きで Issey Miyake Men の服をよく着ているのですが、 既にデザイナーの座を離れているそういったブランドの服とは違って、 三宅 一生 のデザインの本領は造形的な面白さにあるんだな、と、 132 5. の展示を観ながら 実感した展覧会でした。

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展覧会の後にちょっと呑んでいくかと寄った店が2軒とも入れなくて、 その上、夕立に遭ってしまい途中で一旦足止めを食らうなど、結局土曜の晩は無駄に過ごしてしまい残念な感じでした。 土曜は丸一日動き回って疲れてしまったこともあり、日曜は休養に充てたのでした。

[3435] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun May 22 20:59:55 2016

土曜は午前中に野暮用を済ませて、午後には初台へ。この舞台を観てきました。

高谷 史郎 (ダムタイプ)
『クロマ』
Takatani Shiro / Dumb Type: Chroma
新国立劇場 中劇場
2016/05/21, 14:00-15:10.
総合ディレクション [Director]: 高谷 史郎 [Takatani Shiro]
Adapted and directed by Peter Brook et Marie-Hélène Estienne.
出演 [Performers]: 薮内 美佐子 [Yabuuchi Misako], 平井 優子 [Hirai Yuko], Olivier Balzarini, Alfred Birnbaum.
音楽 [Music]: Simon Fisher Turner, 原 摩利彦 [Hara Marihiko], 南 琢也 [Minami Takuya].
照明 [Lighting]: 吉本 有輝子 [Yoshimoto Yukiko].
Premier: びわ湖ホール [Biwako Hall], 2012. 共同制作 [co-production]: 公益財団法人びわ湖ホール with Dumb Type Office

2012年にびわ湖ホールで初演されたダンス作品ですが、観るのは今回の再演が初めて。 小道具も最低限に映像プロジェクションと照明駆使した舞台でした。 特に、中盤で多く見られた、 フロアに抽象的な映像を投影しつつ、その上のパフォーマーをひざ下が暗くなるよう横から照明することで、 まるで床に光の水を張ったようにように見せる演出はさすが。 そんな床を光の帯を走査させると、Dumb Type らしい光学スキャナの走査光源のようでもあり、 そこで 平井 優子 が赤いドレスで踊ると、光の波打ち際で戯れているよう。

そんなスタイリッシュなダンスの演出もあり、 2012年に観た『明るい部屋』 [鑑賞メモ] よりも楽しめたのですが、 ダンスがメインではない場面では少々退屈に感じたのも確か。 展覧会を観たときにも感じたことですが [鑑賞メモ]、 テーマの「光」「色」に関連して選ばれ、ナレーションで流された西洋の古典的なテキストと 舞台上で起きていることの関係ががピンときませんでした。 むしろ、それとは対照的な俗っぽい日本語のセリフとのギャップに「西洋コンプレックス」を見るようなひっかかりを感じてしまいました。

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この後の話はまた後ほど。

[3434] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon May 16 0:02:05 2016

土曜は夕方に東京へ戻ってきて、軽く家事を済ませて、晩には新宿へ。このライブを観てきました。

Susanne Abbuehl
新宿 Pit Inn
2016/05/14, 20:45-22:00.
Susanne Abbuehl (voice), Clément Meunier (clarinet), Wolfert Brederode (piano), Øyvind Hegg-Lunde (drums), Tijmen Zinkhaan (sound engineer).

ECMにアルバム3タイトル録音を残しているオランダ出身でスイスを拠点に jazz/improv の文脈に活動する女性歌手 Susanne Abbuehl の来日ライブ。 オランダの Wolfert Brederode は変わらないものの、 最新の録音 The Gift (ECM, ECM2322, 2013, CD) での編成ではなく、 フランスの Clément Meunier、ノルウェーの Øyvind Hegg-Lunde という編成。 ECMの3タイトルからだけでなく、未録音の曲も交えて演奏した。

低音が抜けた間合いを感じる音空間に Abbuehl の低く落ち着いた歌声。 最初のうちは少々硬く感じられ、CDの方が雰囲気が楽しめるのではないか、と思いつつ聴いていたが、 ゆったりした歌声と clarinet と細かく刻む drums と piano が多層的な音空間を作る “Soon (Five Years Ago)” (The Gift 所収) から、ぐっとよくなって、引き込まれた。 続く “A.I.R. (All India Radio)” (April (ECM, ECM1766, 2001, CD) 所収) の ゆったり波打つようなグルーブ感も良った。 James Joyce: Finnegans Wake から言葉を取った “Sea, Sea!” (Compass (ECM, ECM1906, 2006, CD) 所収) の の語るような声と、piano や clarinet と静かに対話するような演奏も良かった。

バックのミュージシャンのうち Wolfert Brederode はECMからリーダー作もあるが、 Clément Meunier と Øyvind Hegg-Lunde はこのライブで初めて聴いた。 しかし、Susanne Abbuehl の過去の録音と比べて聴き劣りしない演奏。 そんなところにも、ヨーロッパのミュージシャンの層の厚さを実感した。 ちなみに、Øyvind Hegg-Lunde は Mari Kvien Brunvoll (voice), Åsmund Weltzien (synth) と Building Instrument というグループで活動しており、Hubro からもリリースがある。

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移動疲れもあっていいコンディションで観られなかったけど、十分に楽しめました。 最近すっかり疎くなってきてしまっていますが、こういうライブを観ると、またいろいろ聴きたくなってしまいます。

日曜はぐったり。ということで、休養に充てたいところだったのですが、職場に出て仕事していたのでした……。

[3433] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon May 9 0:19:50 2016

土曜の晩、ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016 で観る最後の演目として、この舞台を観てきました。

『少女と悪魔と風車小屋』
静岡県舞台芸術公園 野外劇場「有度」
2016/5/7, 18:30-19:40.
Adaptation et mise en scène: Olivier Py
Décor et costumes: Pierre-André Weitz
Musique: Stéphane Leach
Lumière: Bertrand Killy
Avec: François Michonneau (Le Père, Le Prince, L'Enfant et Le premier squelette), Léo Muscat (La Mère et Le Jardinier), Benjamin Ritter (Le Diable et Le deuxième squelette), Delia Sepulcre Nativi (La Jeune Fille puis La Princesse).
Production Festival d'Avignon, Théâtre de la Ville-Paris
Recréation 2014.

元 Théâtre de l'Odéon 芸術監督で、2014年より Festival d'Avignon のディレクターを務めるフランスの演出家による、 グリム童話の『手なしむすめ』 (Das Mädchen ohne Hände) に基づく作品。 1995年出版1997年上演の作品を、2014年に再演出したもの。 元の演出のヴァージョンは、「Shizukoka春の芸術祭2009」のプログラムとして 『グリム童話』に基づく Py の他2作品と共に上演されているが [公園情報]、 この頃はまだSPACまで足を運ぶようになる以前で、それらは観ていない。

旅回りの道化芝居の一座が上演しているかのようなシンブルな舞台装置と演出で、 俳優自ら楽器を演奏しつつ、歌い、踊り、時には手品の技も見せたり。 俳優の佇まいから雰囲気があって、アコーディオン、クラリネット、太鼓などによる音楽もぴったり。 そんな演技・演出におとぎ話に着想した物語がぴったりはまって、その世界にぐっと引き込まれた。 子供向けのお芝居のようで、実際に子供の歓声も上がっていたけど、 脚本テキストも演技も変に子供向けに分かりやすくと媚びたところは感じられなかった。 野外劇場という場所も旅回りの一座という雰囲気を盛り上げてくれた。 マルチメディアを駆使するというわけでなく奇を衒わない比較的オーソドックスな演出だと思うが、 芝居と踊りと音楽が自然に一体になった、というか、それらが分化する前とも感じられる素敵な舞台を楽しむことができた。

良質なサーカスや大道芸を観たような楽しさ面白さを感じた一方で、 最近観にいくことが増えたオペラ、バレエでも、 例えば、Alban Berg: Wozzeck [鑑賞メモ] や Igor Stravinsky: L'Histoire du Soldat [鑑賞メモ] などは、 このスタイルの演出でも面白くなりそうだ。 サーカスとかオペラ、バレエとかに限らず、様々な舞台作品を観に行く際に自分が期待しているものの一つの形が、 この作品に凝縮されていたようにも感じた。

今年の ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016 は、 静岡へ日帰りで三回行って、全7演目を観た [他演目の鑑賞メモ 1, 2, 3, 4]。 La Jeune Fille, le Diable et le Moulin, d'après les frères Grimm はフェスティバルの最後を締めくくるのにもうってつけの、楽しい作品だった。 残念な演目もあったけれども、最後にこれを観て、フェスティバル全体として楽しかったな、と。 確かに It's Dark Outside も良かったけれども、 全7演目の中のベストは La Jeune Fille, le Diable et le Moulin, d'après les frères Grimm だ。

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土曜は、当初は、彩の国さいたま芸術劇場で、 Akram Khan & Israel Galván: Torobaka を 観る予定だったのですが、Galván の怪我のため公演中止に。 急遽、静岡に行くことにしたのですが、おかげで La Jeune Fille, le Diable et le Moulin, d'après les frères Grimm を観ることができたわけで、結果としてはラッキーだったな、と。 Torobaka が観られなかったのは、やはり残念ですが。

結局、ゴールデンウィーク中は、 ふじのくに⇄せかい演劇祭の3日に、TACT/FESTIVALの1日と、久々に演劇というか舞台作品三昧。 さすがに一日観続けると疲労困憊なので、休養日を挟みつつ観たのも、いいペースだったかな、と。 それなりに充実したゴールデンウィークが過ごせたような。 観に行くと刺激になるし、公演情報も入ってくるのでも、 これで腹いっぱいというより、ますますいろいろ観に行きたくなってしまいます。うーむ。

土曜の疲れもあったし、家事もあったので、日曜はゆっくり休養日にしたのでした。

[3432] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun May 8 21:31:38 2016

土曜は昼前には静岡入り。 ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016 の会期最後の週末の公演を観てきました。まずは最初の2本を。

Sawsan Bou Khaled
Alice
静岡県舞台芸術公園 稽古場棟「BOXシアター」
2016/5/7, 12:30-13:20.
Adaptation, direction and performance: Sawsan Bou Khaled.
Set design and video animation: Hussein Baydoun.
Premier: 2013.

Sawsan Bou Khaled はレバノン・ベイルートを拠点に活動する俳優で、 昨年の ふじのくに⇄せかい演劇祭 で Page 7 『ベイルートでゴドーを待ちながら』 [鑑賞メモ] を演じた Issam Bou Khaled の妹。 思春期の女性の眠れない夜の悪夢を、可愛らしいくかつちょっとグロテスクに舞台化。 ディテールに違いはあるが、TACT/FESTIVAL 2015で観た Claire Ruffin: L'Imsomnante 『眠れない…』 [鑑賞メモ] と共通するテーマで、私的なようで一般的な題材。 身体的な動きで展開していくのではなく、オブジェや映像を用いてちょっとグロテスクに内面に入っていく所が演劇的に感じられた。 敷布の毛虫に食べられる場面で、敷布の毛虫の面にキューピー人形がたくさん付けられていた。 このイメージなども、初期の「怒りの時代」の Niki de Saint-Phalle [鑑賞メモ] や、 Annette Messager [鑑賞メモ] などの、女性の現代美術作家に連なるよう。 新鮮さは無かったけれども、レバノン出身というバックグラウンドを感じさせない内容は逆に興味深かったし、 フェスティバルのラインナップ中の小品として楽しめた。

『火傷するほど独り』
静岡芸術劇場
2016/5/7, 15:00-17:00.
Texte, mise en scène et jeu: Wajdi Mouawad
Dramaturgie, écriture de thèse: Charlotte Farcet
Production: un spectacle de Au Carré de l'Hypoténuse (France) and Abé Carré Cé Carré (Québec).
Créé en 2008.

Wajdi Mouawad はレバノン・ベイルート出身ながら、内戦による亡命で、フランス経由でカナダ・ケベック州を拠点に活動する俳優/演出家。 2016年にパリの Théâtre National de la Colline の芸術監督に就任するなど、フランス語圏で活躍している。 Seuls は2008年の Festival d'Avignon で上演された作品で、 Robert Lepage: The Far Side Of The Moon [鑑賞メモ] へのオマージュという面もある作品だった。 中盤過ぎまでは、ローテクな Robert Lepage とでもいうような自伝的一人芝居が続く。 のだが、終盤になって、脳内出血で昏睡状態になったのは父ではなくて、 自分が昏睡状態の中でそのような「夢」を観ていたという所で、演出スタイルが一転。 録音された他人のセリフは流されるものの、 セリフを使わずペンキをブチまけてぐちゃぐちゃになってのアクションペインティング的なパフォーマンスをひたすら繰り広げた。 このような演出スタイルが一転してめちゃくちゃになる作品というと、 FESTIVAL/TOKYO 2015 で観た Angélica Liddell / Atra Bilis Teatro: All the Sky Above the Earth (Wendy’s Syndrome) [鑑賞メモ] も連想させられたのだが、 Seuls の場合は、そうなる直前の昏睡した父親に向けられた長い独白も効果的で、 その時に使われた音楽もあって、ぐちゃぐちゃのパフォーマンスですら感傷的に感じられた。 たしかに、ぐちゃぐちゃのパフォーマンスは長く感じたけれども、そんな演出の巧さもあって、 All the Sky Above the Earth (Wendy’s Syndrome) と違って、演出スタイルの落差も楽しめた舞台だった。

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この後、もう1本観てますが、その話はまた後ほど。

[3431] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Fri May 6 2:01:45 2016

東京芸術劇場で毎年GW恒例の家族向けの演劇祭 TACT/FESTIVAL。 今年も5日に、3本を観てきました。

東京芸術劇場シアターイースト
2016/5/5, 13:30-14:40.
Created and Performed by: Bruno Rudolf and Ricardo Rodrigues.
Direction: Rodrigo Matheus
Created in 2007.

フランス出身の Bruno Rudolf とブラジル出身の Ricardo Rodrigues が ブラジル・サンパウロで2007年に結成したカンパニーによる作品。 国際空間の入国審査で引っかかって入国できず足止めを食らった二人。 そんな状況を、ユーモラスなエアリアルのアクロバットで表現した作品でした。 といっても、エアリアルの技をブランコやティッシュといったいかにもエアリアルな道具立てで見せるようなパフォーマンスではなく、 荷物のトランクを宙に吊るし、そこで宙ぶらりんな生活を始めるという、 その描写にエアリアルのテクニックを使っていました。 そんあ不条理な状況が生み出すユーモアが楽しめた作品でした。

次の公演までの時間は、ロワー広場で毎年恒例の Corpus: Les Moutons 『ひつじ』 [2010年のレビュー]、 何回も観ているので、座って遠目に観てましたが、相変わらずの盛り上がりです。 今年は、5月7, 8日に別演目 Camping Royal が予定されていて、 それも少々気になったのですが、7日はふじのくに⇄世界演劇祭2016へ行く予定。 もし余力があったら8日に観に行きたいものです。

東京芸術劇場シアターウエスト
2016/5/5, 16:00-16:50.
Conception et jeu: Clémence Rouzier et Brian Henninot.
Mise en scène: Johan Lescop.
Création 2014.

ひょろりと背が高い男性 Brian Henninot と小柄な女性 Clémence Rouzier による フランス南西部トゥールーズの凸凹2人組による、可愛らしいマイムによるコメディ。 マイムだけでなく、 あまり明確な筋は無く、派手な技やネタ無しに、反復を少しズラしていく中に笑いを仕込んでいじゅなsy。 細かな仕草の積み重ねで作り出す雰囲気も良。コメディのミニマリズムを見るようでした。 最後は、Henninot のアコーディオン伴奏で Rouzier の歌を、やはり反復で笑いと取るように。

東京芸術劇場シアターウエスト
2016/5/5, 18:00-18:50.
De et par: Jive Faury et Kim Huynh.
Création lumière et régie: Lionel Vidal.
Regard chorégraphique: Brendan Le Dilliou.
Première en mars 2011.

Cie Jérôme Thomas で活動していたKim Huynh と Jive Faury が2006年に結成したフランスの男女ペア。 男女ペアによるロープをメインとしたジャグリング、マニピュレーション、そして、マジックの要素も少し入れたショー。 女性パフォーマーの Kim Huynh は 2012年に Cie 14:20 の一員として来日して “Constellations” 『星座』という、グローボールを使ったジャグリングショーをやっていた [鑑賞メモ]。 縄を浮かび上がらせるようなライティングなど共通点はありましたが、 ちょっとワガママな女性とマイペースな男性のカップルのやりとりという形で、 技を繋いで見せていくという結構オーソドックスな演出。 それも悪くはなく、こういう雰囲気って日本のカンパニー/パフォーマーはなかなか出せないんだよなあ、と思いながら観ていました。

かっては二階のプレイハウスを会場にしての公演がありましたが、 去年に続いて今年も地階の小劇場、シアターイースト/シアターウエストが会場。 サーカス中心の演目を楽しみましたが、 各作品小粒で、全体としてもこじんまりした印象は否めませんでした。 やはり、予算が削られているのでしょうか。

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[3430] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu May 5 3:31:31 2016

5月3日は、静岡芸術劇場で Ubu and the Truth Commission を観た後、静岡市街地というか駿府城公園方面へ急いで移動。

駿府城公園, 静岡市街地
2016/5/3-5.

ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016 関連企画として開催された、演劇寄りの大道芸イベント。 大道芸の文脈で活動している演劇・ダンスの色の強いパフォーマーと、 演劇・ダンスの文脈で活動しているカンパニーが入り混じっての、野外でのパフォーマンスを繰り広げていました。

まずは、15時から静岡市役所の御幸通り側玄関前で FUKAIPRODUCE羽衣。 ミュージカル劇団ですが劇場公演は未見。 主宰の 深井 順子 ら劇団メンバー3人と静岡のゲスト5名の、 男女8名が劇中歌の『果物夜曲』と『サロメvsヨカナーン』を歌い踊りました。 庶民の人生を描いた皮肉と脱力感の「妙〜ジカル」。 レベルまではわかりませんが女優陣はバレエとか習ったことありそうで動けて踊れていたのに対して、 男優陣の身のこなしがダメだったのが、妙に印象に残りました。 このレベルの違いは、バレエのような習い事の男女間での根付き方の違いによる所もあるかな、と思ったり。

16時からは駿府城公園外堀の二の丸橋前歩道周辺で スイッチ総研。 光瀬 指絵 (ニッポンの河川), 大石 将弘 (ままごと, ナイロン100℃) , 山本 雅幸 (青年団) らによるハプニングのカンパニー。 街中に置いたオブジェに観客が触ることをトリガーに、1分弱のパフォーマンスをするというもの。 こちらも観るのは初めて。 基本的に、テンション高い口調で強引に観客を掴むようなパフォーマンスでした。

16時半から東御門・櫓ステージで、 バーバラ村田。 大道芸フェスでは一人で男女のダンスを踊る作品 (タイトル失念) [写真] のことが多いような気がしますが、 今回は静かな動きの『かたわれ〜Doppelgänger〜』。 仮面を使ったマイムですが、ずらして被った仮面で表情仕種を作るところが面白かった。

『ストレンジシード』はここまで。 この後、駿府城公園内の「フェスティバルgarden」でのプレトークの後、 この野外公園を観ました。

The White Hare of Inaba-Navajo
駿府城公園 紅葉山庭園前広場特設会場
2016/5/3, 18:00-20:00.
演出: 宮城 聰; 台本: 久保田 梓美 & 出演者一同による共同創作; 音楽: 棚川 寛子.
Cast:
制作: SPAC・静岡県舞台芸術センター.
共同制作: Musée du quai Branly.
A program commissioned by Musée du quai Branly, to mark its 10th anniversary.
世界初演.

パリにあるフランス国立のアフリカ、アジア、オセアニア、アメリカの芸術と文明の博物館 Musée du quai Branly [ケ・ブランリー美術館] の開館10執念記念として 宮城 聰 へ委嘱された作品。 付設の劇場が Le Théâtre Claude Levi-Strauss ということで、 Levi-Strauss の日本に関する著作集 『月の裏側』 (L'Autre Face de la Lune, 2011) にあるという、日本の創世神話である『古事記』中と「因幡の白兎」のエピソードと、 北アフリカの先住民族 Navajo 族に伝わる神話の類似性の話に着想した作品でした。 三部構成で第一部が『古事記』、第二部がナバホ族の神話、第三部がこれらの神話の原型を想像したものでした。 ムーバーとトーカーに 着想してイメージを広げる、というより、プロットを説明するような演出に、 『マハーバーラタ 〜ナラ王の冒険〜』 [鑑賞メモ] の祝祭性を強引にくっつけたよう。 委嘱元の劇場空間に合わせたのだと思いますが、 スクエアな舞台の後方に楽団を並べてその前で芝居をするため、 空間の奥行きがあまり使えていなかったのも残念な限り。 舞台後方の木々ライトアップして静岡県舞台芸術公園 野外劇場「有度」に近い雰囲気を作ろうとしていましたが、 「有度」が舞台だったら空間使いももっと面白くなったかもしれません。 ク・ナウカ以来のトーカーとムーヴァーを分けての演出や、 打楽器アンサンブルの祝祭的な生演奏など、 宮城 聰 らしさをそれなりに楽しみましたが。

結局3日に観た Ubu and the Truth Commission のプログラム中にはとても良かったという作品はありませんでしたが、 『ストレンジシード』もあってか、一日通して振り返ると大道芸フェスを丸一日緩く楽しむのに近い楽しさはありました。

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往復に新幹線を使っているとはいえ、静岡日帰りは疲れます。 4日はぐったり。休養に充てたのでした。

[3429] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu May 5 0:23:30 2016

4月30日 [鑑賞メモ] に続いて、5月3日も ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016 へ。 まずは東静岡へ。この舞台を観てきました。

静岡芸術劇場
2016/5/3, 13:00-14:10.
Conceived and directed by William Kentridge.
Written by Jane Taylor.
Produced by Handspring Puppet Company.
Animation: William Kentridge, Assistant animators: Tau Qwelane, Suzie Gable, Choreography: Robin Orlin.
Cast: David Minnaar (Pa Ubu), Busi Zokufa (Ma Ubu); Gabriel Marchand, Mandiseli Maseti, Mongi Mthombeni (pappeteers).
First performed in 28 May 1997 at The Laboratory, Market Theatre, Johannesburs, South Africa.

現代美術の文脈で知られる南アフリカ出身の作家 William Kentridge が1997年に演出した舞台作品。 Kentridge 演出はもちろん、 イギリスの National Theatre が2007年に制作した War Horse で実物大の馬のパペットを操ったことで知られる 南アフリカ・ケープタウンのカンパニー Handspring Puppet Company の作品ということもあり、 楽しみにしていました。

1994年にANCが総選挙に勝利してアパルトヘイト撤廃された後にアパルトヘイト時代の人権侵害に対して設置された真実和解委員会を題材にした作品。 ユビュ王は人権侵害をした政府、その妻は疑わしいと感じていたものの真実を知らされていなかった国民のメタファーといった所でしょうか。 この二人を演じる俳優による演技がメインで、 昨年 Metropolitan Opera で演出した Lulu [鑑賞メモ] ような凝ったアニメーションの投影や、 War Horse のような大掛かりにパペットを使った演出はなく、そこは肩透かし。 この舞台に使われたアニメーションは 2012年に東京国立近代美術館での個展 [鑑賞メモ] で “Ubu Tell The Truth” (1997) として観ているのですが、 アニメーションだけ観た時に感じたマジックリアリズム的なイメージを、 舞台での演技が説明してしまうような印象も受ける時もありました。

期待が大きかったので物足りなさを感じましたが、下手にドキュメンタリー的な演劇よりは良かったかな、と。 しかし、最近は、Metropolitan Opera での The Nose (2007) や Lulu (2015)、 BAM Next Wave 2015 の Refuse the Hour (2015) など、オペラをよく演出していますし、 このような最近の作品で来日して欲しかったものです。

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長くなったので、一旦話を切ります。この後の話は、また後ほど。

[3428] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun May 1 23:57:33 2016

祝日金曜に開幕した ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016。 連休初日の混雑を避けて土曜に日帰りでまずは2演目、観てきました。

静岡県舞台芸術公園 稽古場棟「BOXシアター」
2016/4/30, 13:00-14:00.
Created and Performed by Tim Watts, Arielle Gray and Chris Isaacs.
Music Composed by Rachael Dease.
Produced by The Last Great Hunt.
A Perth Theatre Company commission.
Premier: 29 June 2012, State Theatre Centre of WA.

素晴らしいアニメーションや人形を使った一人芝居 The Adventures of Alvin Sputnik - Deep Sea Explorer [鑑賞メモ] を2012年に見せてくれた オーストラリアの Tim Watts が、今回は3人による作品で再登場。 認知症の老人が夕暮れ症候群で家を出て徘徊をする様を西部劇に見立てて、幻想的に、かつ、感傷的に描いた作品でした。 家を出て徘徊する際のパートナーは持って出たテント。 西部劇ということで、まるで馬のようなパートナーに、そしてもちろん夜露をしのぐ場所としても。

老人は何故か指名手配犯として追われていて、 虫取り網を持った保安官らしき追う男との決闘シーンがハイライト。 西部劇映画というかマカロニウェスタン映画のカメラワークやモンタージュを、 ペンライトを使った影絵芝居で見事に表現。 影を使ったトリッキーな表現といえば Philippe Decouflé も連想させられたが、 Decouflé のように影の形の面白さの方に重きを置くのではなく、もっと物語的だった。

追っていた男は、実は老人を捕まえようとする保安官ではなく、 認知症で徘徊する老いた父を保護しようとする息子だったのだが、 決闘の場面の直後、そうと老人が気づいたか気づかないかというところで、老人は死んでしまうという。 その死の描写も、静かに帽子や衣服を脱がせ肉体を消失させることで直接的ではなく象徴的に、 しかし、記号的にではなく非常に感傷的に描いたのはさすが。 この場面に、思わず、涙してしまった。

確かに、この作品のキーフィギュアとなっていたテントが、馬という見立てという面が強過ぎて、 前半は少々物足りなく感じた。 映像を投影する円形のスクリーンを様々に見立ててイメージを広げていった The Adventures of Alvin Sputnik - Deep Sea Explorer の方が良かったとは思う。 しかし、それでも、ミニマルな道具立てに様々にアイデアでイメージを作り出し、 セリフを一切使わずにイメージだけで観客をその世界にぐっと引き込んで感情移入させるだけの物語る力のある、 素晴らしい舞台だった。

公演後のトークによると、制作の最初の段階にあったのは、テントを使った動きだったとのこと。 これが馬のようと感じた所から、西部劇の要素が、そして、認知症の老人の夕暮れ症候群というプロットが加わったとのこと。 最初から認知症の老人の問題を表現する、というようなアプローチで無かったことが、 結局、アイデア満載のイメージによる物語る力の強い作品として成功したのだろうか。

彼らのプロダクション The Last Great Hunt のウェブサイトに、 制作中の Tim Watts と Arielle Gray による新作 New Owner (仮題) のページがある。 写真を見ると Arielle Gray をメインにフィーチャーしたとっても可愛らしい作品そうだ。 この作品でも是非来日して欲しい。

静岡芸術劇場
2016/4/30, 16:00-18:40.
Directed by Ong Keng Sen.
作: 野田 秀樹 (1990).
Cast: 中村 壱太郎 (リチャード三世, りちゃあど), 茂山 童 (シェイクスピア, ジョージ), Janice Koh (マーチャン, シャイロク), Jajang C. Noer (ハハバイ (シェイクスピアの母), 家元夫人), I Kadek Budi Setiawan (チャボーズ, 影絵人形使い), 江本 純子 (カイロプラクティック, シンリー), たきいみき (ワルカツマー (シェイクスピアの妻), アン), 久世 星佳 (裁判長, チチデヨカ (シェイクスピアの父), 家元, ワスレガダミ)
美術: 加藤 ちか; 照明: Scott Zielinski; 衣裳: 矢内原 充志; 映像: 高橋 啓祐; 音楽: 山中 透.
主催: SPAC・静岡県舞台芸術センター.
共催: 東京芸術劇場, Singapore International Festival of Arts.
世界初演.

夢の遊眠社時代、1990年の野田 秀樹の戯曲を、シンガポールの演出家 Ong Keng Sen が演出した舞台。 日本、シンガポール、インドネシアの三ヶ国の俳優による日本語、英語、インドネシア語の三ヶ国語を交えての上演で、 各国語によるストレートな演技だけでなく、 中村 壱太郎 の歌舞伎女形、茂山 童 の狂言、久世 星佳 の宝塚歌劇の男役、I Kadek Budi Setiawan による Wayang Kulit といったものが舞台上に併置さえていた。 クラブのVJのような半ば抽象的で時にドラッギーな映像が舞台いっぱいい絶えず投影され、 アンビエントなテクノ、エレクトロニカのようなBGMがセリフを聞き取るのを妨げるようなレベルで絶えず流され、 メリハリの感じられない単調な舞台だった。 多文化的な要素も有機的に組み合わされているというより、 そんなVJ的な映像とアンビエントな電子音の上物としてサンプリングさたもののような扱いに感じられた。 1980年代後半に同時代体験した小劇場ブーム時代を思い出させる饒舌だが軽くて言葉遊びの多いセリフもあって、 ポストモダニズムの空疎さを見せつけられたようだった。

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日曜は高円寺びっくり大道芸に行っても良いかなと思っていたのですが、 家事もしなくてはいけないし、金曜土曜の疲れも残っていたので、大人しく休養日にしたのでした。

[3427] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun May 1 21:36:12 2016

ゴールデンウィーク初日の金曜は、昼前から渋谷へ。 シネマヴェーラ渋谷 の特集上映『孤高の天才 清水宏』で、この映画を観てきました。

『女醫の記録』
1941 / 松竹大船 / 95 min / 白黒.
監督: 清水 宏
田中 絹代 (夏木女醫), 森川 まさみ (本間女醫), 佐分利 信 (神谷訓導), etc

あらすじ: 夏休み中の奉仕活動として東京女子医学専門学校の女子医学生たちが女医に率いられて山あいの無医村へやってくる。 受け入れた村の分教場の訓導の神谷先生は都会出身の青年。 先生としてだけでなく、村のよろず相談事に乗り、因習や迷信に囚われがちな村人の生活を改善しようとしてる。 女子医学生や率いる女医たちは健康診断や治療を通して村の問題に直面していく。 出稼ぎに出た娘や息子が都会で結核となって帰ってくることで、村には結核が蔓延している。 衛生という概念がなく風呂に入る習慣すらない村人たちは、 金を取られると健康診断や治療をいやがり、結核を家の恥と思いツベルクリン検査を拒むが、 その一方で、祈祷をする行者を呼ぶ。 その行者は実は出稼ぎの手配師でもあり、体の弱い娘を女工として人買しようとする。 日差しと風を遮り不衛生の原因となっている家を取り囲む木を、先祖に申し訳ないと切ろうとしない。 そんな問題に、女医たちと神谷先生が、村人の抵抗も受けつつ、 抵抗する村人の立場も慮りながら、しかし時として毅然とした態度で取り組んでいく。 そして、夏休みの終わり、夏木女医は村に残ることを決心する。

近代的な医療や衛生を啓蒙するドキュメンタリー映画のような内容ながら、 暑苦しかったり、嫌味だったり感じなかったのは、 子供の視点を上手く使った淡々とそしてちょっぴりユーモラスな描写と、 ロングショットを多用したゆったりとしたテンポの美しい画面のおかげでしょうか。 「こんな所で燻って焦りは感じないのか」と問う夏木女医に 「焦りや寂しさを感じたときは尺八を吹く」と答える神谷先生。 神谷先生の身の周りの世話の仕事を子供たちから取ってしまったことを子供に詫びる夏木先生。 そういったエピソードも、夏木女医や神谷先生が、 絶対的に正しいことに迷いなく取り組んでいるというわけではないことを浮かび上がらせるよう。

夏木女医を演じた 田中 絹代 ももちろん良いのですが、 神谷訓導を演じた 佐分利 信 がとてもカッコ良いのです。 熱さを秘めた朴訥な好青年というのは、彼のハマり役の一つですね。 この二人の仲を、 これこそ『女醫絹代先生』 (松竹大船, 1937) [鑑賞メモ] のような 男女の恋仲として描くことも出来たでしょうに、 むしろ村の因習や迷信と闘う同士のように描いていたのも良かったし、 佐分利 信 の朴念仁な雰囲気が良い意味で生きていました。

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[3426] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Apr 27 0:23:38 2016

シネマヴェーラ渋谷 で4月23日から特集上映『孤高の天才 清水宏』が始まっています (5月20日まで)。 ということで、さっそくこの土日に戦前の松竹映画を3本観てきました。

『金色夜叉』
1937 / 松竹大船 / 77 min / 白黒.
監督: 清水 宏
夏川 大二郎 (間 寛一), 川崎 弘子 (鳴沢 宮), 武田 秀郎 (お宮の父), 吉川 満子 (お宮の母), 上山 草人 (鰐渕 直行), 佐野 周二 (息子 直道), 三宅 邦子 (赤樫 満枝), 佐分利 信 (荒尾 讓介), 笠 智衆 (風早 庫之助), 近衛 敏明 (富山 唯継), 高峰 三枝子 (箕輪 俊子), etc

あらすじ: 高等中学校の学生 間 寛一 と彼を養っている 鳴沢 の家の娘 お宮は、結婚を約束したも同然の仲。 しかし、富山銀行の若旦那から お宮 へ縁談の話が来ると、お宮は家のことを考えて富山と結婚してしまう。 寛一 は学校を辞め、復習のため 高利貸し 鰐渕 の手代として働くようになる。 寛一 は学生時代の友人の家にも情けをかけず取り立てに行くほど冷酷になり、 寛一 に好意を持つ鰐渕の妾 満枝 からの誘惑も相手にしない。 一方、富山銀行の経営状態は悪化し、富山は馴染みだった満江を介して鰐渕から金を借りようとする。 その手代と現れたのが 寛一 だった。 富山は金を借りるが、結局、借りた金で利益は出せなかった。 富山は寛一とお宮が密会していると誤解する一方、財産を失ってお宮を愛する資格を失ったと悟り、返済期限の直前に家出してしまう。 そして、富山の家で、寛一とお宮は、返済取立ての手代と債務者の妻として再会する。 寛一は金のために結婚したお宮を詰るが、 お宮は結婚しようとするときどうしてぶってくれなかったのかと言い、富山の子を宿していることを明かす。 寛一 は手形を破り捨てて、自嘲しながら富山の家を後にするのだった。

尾崎紅葉の小説『金色夜叉』 (1897-1902) は、数多く映画化されていますし、新派劇の古典にもなっていますが、これは1937年の映画化。 お宮 を演るのが 川崎 弘子 ということもありますが、メロドラマも得意とした 清水 宏 だけあって、松竹メロドラマらしく感じました。 特に、原作のようにはお宮を不幸な結婚生活としては描かず、 寛一が高利貸しの手代として富山へ金を貸すことで直接的に復讐するように描いていること、 そして何より、偶然を綾に寛一、お宮、富山、満江の四人の関係が手繰り寄せられていく展開など。 というか、『金色夜叉』は松竹メロドラマのルーツの一つなんだろうな、と再認識しました。

熱海の海岸で寛一がお宮を蹴飛ばす有名な場面をどう撮ったのかという興味もあったのですが、 月夜でもなく浜辺というより海を望む崖の上の道のような所で、さらりと流していました。 この映画では見せ場としなかったのか、と。

佐分利 信 と 佐野 周二 が出演していましたがちょっとした脇役。 三羽烏の中で 寛一 が最も似合いそうなのは 佐分利 信 でししょうが、 夏川 大二郎 の根から冷酷というより頑張って振舞おうとしている雰囲気も、良かった。 高峰 三枝子 がお宮の親友の役で出てくるのですが、モダンな洋装を見慣れているせいか、和装で丸髷姿に違和感覚えました。うーん。

『簪』
1941 / 松竹大船 / 70 min / 白黒.
監督: 清水 宏
田中 絹代 (惠美), 川崎 弘子 (お菊), 齋藤 達雄 (片田江先生), 笠 智衆 (納村), 日守 新一 (廣安), 三村 秀子 (奥さん), 河原 侃二 (老人), 横山 準 (太郎), 大塚 正義 (次郎), 坂本 武 (宿の亭主), etc.

あらすじ: 舞台は夏の伊豆の山中の温泉宿。 大学教授の片江田先生、脚の負傷からの療養中の (おそらく負傷で戦地から復員した) 納村、廣安夫妻、 子供を二人連れた老人、などが夏休み中の長期滞在で同宿している。 法華講の団体客の一人として恵美はその温泉宿に宿泊する。 団体客が去った後、納村は湯船の中で簪を踏み、足を怪我する。 その後、簪を失くしたという 恵美 の手紙が温泉宿に届く。 失くした簪で客が怪我をしたと知った恵美は、お詫びに再び温泉宿を訪れる。 そのまま恵美も、納村たちと温泉宿に滞在することにする。 恵美を呼び戻しにお菊がやってくるが、恵美は妾であることは止めて東京へは戻らないという決意を伝える。 夏休みも終わりに近づき、長期滞在の温泉客も帰ってしまい、松葉杖なしに歩けるようになった納村も帰ってしまう。 東京へ戻った馴染みの客たちで「常会」を開くという納村からの手紙が、温泉宿に残った恵美に届き、 彼女は雨の温泉宿を物思いに耽りつつ歩くのだった。

伊豆山中の温泉宿を舞台としたグランドホテル形式の映画。 それだけでなく、旦那から逃れてきた妾という訳ありの女がヒロインという点でも、 『按摩と女』 (松竹大船, 1938) [鑑賞メモ] と似ています。 『按摩と女』は、訳ありゆえに互い踏み切れない 美千穂 と 真太郎 の仲や、 徳市の片思いなど、上手く噛み合わない恋心を感傷的に描いていました。 しかし、『簪』は恵美と納村の関係もさほどロマンチックには描いていません。 むしろ、気難しい片江田先生や先生にやり込められてばかりの廣安など個性的な客を多く配して、 温泉宿での生活をのんびりユーモラスに描き、 そんな生活を通して、恵美が更生する様を描くような映画でした。 片田江先生演ずる 齋藤 達雄 や廣安を演ずる 日守 新一 も面白く、とても楽しめました。 しかし、ちょっと感傷的で時にメロドラマチックですらある『按摩と女』の方が、好みでしょうか。

『子供の四季 春夏の巻・秋冬の巻』
1939 / 松竹大船 / 春夏の巻 (不完全版) 70min, 秋冬の巻 (不完全版) 72min / 白黒.
監督: 清水 宏
河村 黎吉 (父 [青山]), 吉川 満子 (母), 葉山 正雄 (善太), 横山 準 (三平), 坂本 武 (祖父 [小野]), 岡村 文子 (祖母), 日守 新一 (俊一), 西村 靑兒 (老曾), 若水 絹子 (光子), 古谷 輝夫 (金太郎), etc

あらすじ: 山あいの青山牧場の夫婦には善太と三平という二人の子がいる。 二人は祖父母はいないと聞かされて育ってきたが、 近頃、何かと二人に優しくする馬に乗った老人が現れるようになった。 実は祖父は駆け落ちした母を勘当したのだったが、孫見たさに来ていたのだった。 やがて、それをきっかけに祖父母と母は和解する。 町で工場を経営する祖父 (小野) は、善太と三平を将来の跡取りと言うようになる。 しかし、それを面白く思わない平重役の 老曾 は、 小野に伏せて青山に貸した会社の金の話を持ち出し、小野と青山を仲違いさせる。 やがて、青山は病気で倒れ死んでしまう。 善太・三平は母と一緒に小野家に引き取られることになる。 老曾 は小野の会社の乗っ取りを計るようになり、 青山へ貸した会社の金の処理をするということで、小野に大きな借金を追わせる。 小野家の屋敷は差し押さえられ、小野家と老曾の家の仲は険悪となる。 しかし、善太・三平は老曾の子 金太郎 と遊び友達。 親の関係の影響を受けて子供の間の関係もギクシャクするが、 むしろ子供の関係が、険悪となった親の関係を改善させていった。 やがて、老曾が同業他社の重役と兼務したことが明るみになり、老曾は小野会社から追放されることとなった。

清水 宏 は子供を主人公とした映画も得意としていたとは知ってたけど、観るのは初めて。 あらすじに書いた物語はむしろ背景で、善太と三平の日常をのんびりユーモラスに、 そして親たちから受ける子供たちの生活への影響をちょっと感傷的に、 強く物語ることなく、美しい絵で細かいエピソードを積み重ねていくところが良い映画でした。 メロドラマ映画とは演出や画面作りが異なり、どちらかといえば『簪』などに近い雰囲気。 見たことのある 清水 宏 の映画の中では、『信子』 (松竹大船, 1940) が最も近く感じました。 静かな中で人を探す声が響く場面など、清水 宏 得意の演出だな、と。

駆け落ちした青山の夫婦と勘当した小野家の和解をとりもつのも、 会社経営を巡って険悪となった小野家と老曾の家の間をとりもつのも、善太・三平ら子供たち。 現実にはそんな上手くいくことは少なく、子供の関係はもっと残酷なものになりうるとも思います。 しかし、それでも子供の仲が大人の世界を変える可能性を信じたくなるような、 微笑ましいユーモアと抒情溢れる映像からなる、詩的な映画でした。 良かっただけに、春夏の巻、秋冬の巻の両方とも、最終リール欠落の不完全版なのは残念でした。

2013年に東京国立近代美術館で特集上映 『生誕110年 映画監督 清水宏』 があったのですが、 それは戦前松竹映画にのめり込む半年前。 通って観なかったことを悔やんだものでした。 この特集上映は通いたいものです。

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[3425] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Apr 18 0:53:13 2016

土曜の大崎の後は吉祥寺へ移動。晩に舞台のライブ・ビューイングを観てきました。

『夜中に犬に起こった奇妙な事件』
Royal National Theatre
Based on the novel by Mark Haddon, adapted by Simon Stephens.
Directed by Marianne Elliott.
Movement Directors: Scott Graham & Steven Hoggett for Frantic Assembly
Cast: Luke Treadaway (Christopher John Francis Boone), Niamh Cusack (his Mentor, Siobhan), Nicola Walker (his mother Mrs. Judy Boone), Paul Ritter (his father Mr. Ed Boone), Sophie Duval (Mrs. Shears, Mrs. Gascoyne, etc), Nick Sidi (Roger Shear, etc), Una Stubbs (Mrs. Alexander), etc etc
Premier: 2 August 2012 at the Royal National Theatre
Originally broadcast live from the Royal National Theatre in London to cinemas around the world on Thursday 6 September 2012.
上映: 吉祥寺オデヲン, 2016-04-16 18:30-21:30 JST.

自閉症児を主人公としたイギリスのベストセラー小説を舞台作品化したもので、2012年制作の舞台ですが、 良い評判を聞くので National Theatre Live のアンコール上映を観てきました。

スウィンドンに住む数学が得意で宇宙飛行士になる夢を持つ15歳の自閉症児 Christopher は、父親 Ed Boone と二人暮らし。 ある晩、近所の Mrs. Shears の飼犬 Wellington が庭で殺された現場にいたことで警察に連れていかれたことをきっかけに、 その犯人探しをするうちに、犬殺しの犯人だけでなく両親の Shears 夫妻の秘密を知ってしまいます。 数学のAレベル試験に Christopher が合格するというハッピーエンドのようですが、 両親の離婚など苦いしんみりさせる部分も多い物語でした。

自分がこの舞台に興味を持ったのは、そういった物語の部分ではなく、 舞台装置を使わず、フロアをスクリーンに見立てた映像のプロジェクションと身体表現を駆使して空間を描く演出でした。 コンピュータで描いた映像プロジェクションを駆使した部分は、 この作品では自閉症患者から見える世界を描くという点で必然が感じられ、ギミックにぽく感じることはありませんでした。 特に良かったのは、スウィンドンからロンドンへの鉄道、そして、ロンドンの地下鉄の場面の描写。 床に車窓の風景の線描を投影して横になって演じたり、 駅の雑踏や車内の混雑の様子を数人の象徴的な動きで描いたり。 俳優をリフトすることもあり、コンテンポラリー・ダンスほどではないものの、 マイムというかフィジカルシアター的な表現は Simon McBurney / Complicité を連想させられました。 クレジットに Movement Directors というのがあるのも納得。 Movement Directors の2人 Scott Graham & Steven Hoggett のカンパニー Frantic Assembly も、面白そうです。

もちろん俳優も良く、自閉症児を演じきた Luke Treadaway も凄いと思いましたが、 いかにもイギリスのおばあちゃんという感じの Una Stubbs がツボにはまりました。 Mrs. Shears だけでなく Christopher の学校の校長先生を演じた Sophie Duval も良く、 女優が楽しめました。

フォトジェニックな舞台というか、映像で観ているからかっこよく見えているのかもしれません。 しかし、このようなフィジカルな演劇なら、できれば生で観てみたいものです。

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日曜は昼過ぎまで大荒れの天気。 風は強かったものの晴れた夕方に買物に出たりしましたが、 家でゆっくり過ごしたのでした。

[3424] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Apr 17 21:31:17 2016

この土曜は午後に大崎へ。この展覧会を観てきました。

佐藤 雅晴
『東京尾行』
原美術館
2016/01/23-2016/05/08 (月休;3/21開;3/22休), 11:00-17:00 (水11:00-20:00)

若手作家を紹介する原美術館のプロジェクト「ハラ・ドキュメンツ」の第10回。 佐藤 雅晴 [tumbler] は 実写映像や写真をトレースして制作したアニメーション映像、ドローイングを作風とするとのこと。 この展覧会で初めて観ました。

入ってすぐのギャラリー1の「Calling ドイツ編」 (2009-2010)、「Colling 日本編」 (2014) は、 作家が10年間滞在したというドイツと、戻ってからの日本の 人気の無い街などの風景の中で携帯電話や公衆電話が鳴るようすを描いたアニメーション。 人物が写っていないということもあるのか、ぱっと見、実写と感じられるような映像でした。 1970年代の絵画に Superrealism も少し連想しましたし、 1980年代の Simulationism のアニメーション版と感じられるところも。 しかし題材はポピュラーに流通するイメージのようなものではなく、 むしろ受け手のいない電話のコール音という状況から感傷的で私的な物語がほのかに立ち上るようでもありました。

「東京尾行」 (2015-2016) は、実写とアニメーションを組み合わせた映像。 アニメーション部分は「Calling ドイツ編」などと違い、むしろフラットな色面による絵。 メインの建物や人物を抜き出してアニメーション化していることもあり、フラットさが際立ちます。 都心の皇居周辺の風景などの何気無いスナップ映像を短いループで回していることもあり、 スナップ写真的な「液晶絵画」 [関連レビュー] だな、と。

「トイレットペーパー (ナイン・ホール)」 (2012-2013) トイレットペーパーの写真を元に描いた絵画 Gerhart Richter: “Klorolle” (1965) を参照したという、 現代美術らしいネタのアニメーション。 Richter のような絵画的なテクスチャを感じるものではなく、むしろフラッットな描き方でした。

実写映像の精緻なアニメーション化という所など興味深く観たのですが、 扱っている題材が少々私的に感じられ、自分の興味とすれ違ってしまったようにも感じた展覧会でした。

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先週末土曜は清澄白河へ。東京都現代美術館で 『MOTアニュアル2016–キセイノセイキ』 (5/29まで) を観てきました。 表現の規制をテーマとした展覧会ですが、 社会問題を扱った展覧会のつまらない面を見てしまったような (多くは語らない)。

翌日曜は朝から親族方面の用事、夕方からは一年間の海外滞在から戻った友人の歓迎会。 ということで、鑑賞メモを書く時間も無く、モチベーションも上がらず、先週末はこのサイトの更新をせず仕舞いでした……。

この土曜の晩の話は、また後ほど。

[3423] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Apr 3 22:41:49 2016

土曜の夕方、ライブを観た後は、この展覧会を観てきました。

『ファッション史の愉しみ−石山彰ブック・コレクションより』
世田谷美術館
2016/02/13-2016/04/10 (月休;3/21開;3/22休), 10:00-18:00.

服飾史の研究者 石山 彰 のブック・コレクションに基づく展覧会。 16世紀以降の服飾史関連資料とのことでしたが、 メインはファッション・ブックやファッション・プレート (版画) が発行されるようになった 18世紀末のフランス革命前後から20世紀初頭戦間期にかけてのフランスの上流階級の女性の服。 資料と合わせて、神戸ファッション美術館所蔵の同時代の衣装が並んでいました。 20世紀以降のファッション史については書籍や展覧会で触れる機会がそれなりにありましたが [関連発言]、 フランス (を中心とした欧米) の19世紀ファッション史は疎かったこともあり、とても勉強になりました。

盛った髪型にパニエ (panier) で横広がりの18世紀末のロココ (Rococo) の正装 Robe à a la française から、 フランス革命を経て帝政スタイル (Robe style Empire) のコルセット無しでスラリとしたシュミーズ・ドレス (chemise robe)。 王政復古期の1830年代以降、再びスカートが膨らむロマン主義時代のスタイルを経て、 そして、1950年代にはクリノリン (crinoline) で大きくスカートを広げるスタイル、 続いて、1970年代にはヒップを強調するバッスル (bustle) のスタイルへ。 そして、1890年にはアール・ヌーヴォー (Art Nouveau) のS字のシルエットとなり、 戦間期にはシンプルなアール・デコ (Art Deco) になる、という。 こういったスタイルの変遷が、資料だけでなく衣装の展示も含めて見て掴むことができたのは収穫でした。 こういう違いがわかると、今後、19世紀美術を観る際に、描かれた女性の服装をチェックして楽しめそうです。

18世紀以前の資料は服飾風俗を伝える服飾誌的なもので、これも近世の博物学と並行するものなのだろうなあ、と。 日本についても、江戸から明治にかけての浮世絵などの資料が展示されていました。 疎い分野だったこともあり、興味深く見ることができましたが、 現在の服飾デザインに通じるものとして良いと感じるのは戦間期以降だな、ということも再確認した展覧会でした。

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この後は帰って、毎年恒例の大家さん宅の花見。 寒さも忘れて、雨が降り出す23時頃まで外で呑んでました。 そんなわけで、連日の呑み疲れで、さすがに日曜は休養に充てたのでした (弱)。

[3422] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Apr 3 21:00:49 2016

金曜の呑み疲れもあって、土曜はぐったり。 午後の散策のネタ探しで展覧会情報をチェックしていたら、ライブ情報に目が止まったので、砧公園へ。 このライブを観てきました。

Sin Fronteras
世田谷美術館 講堂
2016/4/2 15:00-17:00
Sin Fronteras: Ana Karin Rossi (vocals), Carlos "el tero" Buschini (electric bass); with Olivier Manoury (bandoneon); with guest: Giovanni Guido (guitar).

アルゼンチン出身で Tango Negro Trio 等でイタリアを拠点に活動する bass 奏者 Carlos Buschini による ウルグアイ出身パリ在住の女性歌手 Ana Karina Rossi をフィーチャーしてのプロジェクト Sin Fronteras。 Sin Fronteras (Abeat, 2015) というアルバムを昨年リリースしているが未聴。 このアルバムにも参加していたパリ在住の bandoneon 奏者 Olivier Manoury を伴って来日。 イタリア・ナポリ出身で現在は東京在住という guitar 奏者 Giovanni Guido がゲスト参加している。 欧州の folk/roots 寄りの jazz の文脈で時折見る名前ということもあり、ライブに足を運んでみました。

ウルグアイのモンテビデオ (Montevideo)、アルゼンチンのブエノスアイレス (Buenos Aires) の両首都の間を流れるラプラタ川沿いの tango, milonga, candombe といった音楽を jazz をベースにミクスチャした音楽です。 milonga や candombe はMCで説明して演奏するほどでしたが、予想よりも tango 的なニュアンスは薄め。 ゲストの guitar の澄んだ音色が加わったせいか、 felmay (Tango Negro Trio をリリースしていたイタリアのレーベル) が1990年代にリリースしていた Simone Guiducci や Enzo Favata の汎地中海的な folk/roots 寄りの jazz に近い雰囲気を感じるときもありました。 Olivier Manoury のソロの時の improv 色濃くアブストラクトな展開がもっとあった方が好みだし、 女性歌手にもう一癖あった方がいいかなとは思いましたが、それはこのグループに求めるものではないかな、と。

当日の朝に気づいてふらりと行ってみた程度ですが、たまに生演奏を聴くというのは、良いものです。

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用賀駅から砧公園へ向かう通りが、普段は無いような混雑だったので、何事かと思いきや、花見客だったのですね。 花見のことなどすっかり忘れてましたよ。 曇って冬のような寒さでしたが、花見客で公園は溢れていて、すごいなあ、と。

この後の話は、また後ほど。

[3421] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Mar 27 23:25:45 2016

土曜は午前中には神保町へ。 神保町シアターで、 特集上映 『生誕110年 女優 杉村春子』 が始まったということで、さっそく、 島津 保次郎 (dir.) 『浅草の灯』 (松竹大船, 1937)。 約1年前に移動時間を使って iPad mini で観ているわけですが [鑑賞メモ]、 やはり、映画館で観るとディテールの見え方が違います。 凌雲閣のある震災前の浅草の様子が伺えることが興味深い映画ではあるのですが、 再現したセットは大画面で観るとと書割感が増してしまったようにも感じました。

一方、根津本郷にあるボカ長の下宿からニコライ堂が見えることに気付きました。 おそらく、弥生美術館のあるあたりという設定だと思うのですが、当時はあのあたりから見えたのですね。 ボカ長は麗子のことを「ドガの踊り子」というわけですが、 下宿で彼女をモデルに描いていた絵は、ドガのように踊っている様子を印象派風に描くのではなく、むしろキュビズムの影響を感じる肖像画でした。 浅草オペラは震災前で、震災後に東京は急速にモダン都市になるわけですが、この頃にキュビズム的な絵というのは早い方かもしれません。 ボカ長の下宿友達は、当時の東京帝国大学の学部による学生のカラーの違いをカリカチュアライズしてるということに気付いて、そこもちょっと面白く感じました。 ボカ長は帝大ではなくて、根津の谷を挟んで向かいの東京美術学校 (現 東京藝術大学美術学部) でしょうけど。 確かに浅草がメインの映画ですが、その対比となる根津本郷の世界も、それなりにディテールを描き込んでいたことに気付かされました。

主役の若い 上原 謙 と 高峰 三枝子 ももちろん良いのですが、 麗子の匿うための前借りを踏み倒して、麗子を逃した責を被って、新劇運動に参加すべく関西に行く劇団員 香取 を演じる 若い 笠 智衆 が飄々とした好青年で良いなあ、と見直したりもしました。

続けて、小津 安二郎 (dir.) 『晩春』 (松竹大船, 1949) も。 こちらは、生誕百年の時に観て以来ということで、 始めのの方の場面は記憶に残っておらず「ひょっとして観てなかったっか?」と思ったり。 京都での場面など見覚えがあったので、やっぱり観てるんだと思うのですが。 今回最も良く感じたのは、視線で描く能を観る場面でした。 それにしても、原 節子 の濃さはやっぱり苦手です。

『晩春』も父親役が 笠 智衆。杉村 春子 の特集上映ですが、笠 智衆 を楽しんだ2本でした。 ま、こういうこともあるでしょう。

年度末の飲み疲れもあって、日曜は休養日。 掃除というか、CDの山の整理をし始めたら、大変なことになってしまいましたが……。

[3420] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Mar 21 22:13:17 2016

珍しく2週連続になりますが、今週末のCD/DL聴取メモは、 ベラルーシ / スイス 混成の folk meets jazz なグループのアルバム2タイトルを合わせて。

Kazalpin [Казальпін]
East Side Story
(Double Moon, DMCHR71509, 2011, CD)
1)Viasná Krasná [Вясна Красна] / Lacieła Striala [Ляцела Стряла] 2)Siadzmo Mamko [Сядзьмо Мамко] / Talisman 3)Sestra [Сестра] 4)Winter / Čyrvonaja Višnia [Чырвоная Вішня] / Valsakana 5)Oj Na Dełeniko [Ой На Делеіко] 6)Minsk 7)Zinačka [Зіначка] 8)Oj Na Vialikadnia [Ой На Вялікадня] 9)Aysom Sander 10)East Side Story / Viaśnianka [Вяснянка] 11)Rości Korovaj [Росці Коровай] 12)Jungle Bells / Išła Kalada [Ішла Каляда]
Recorded 16-18 November 2010.
Irena Kotvitskaja [Ирэна Котвицкая] (vocals), Rusia [Руся] (vocals), Nadzeya Tschuhunova [Надя Чугунова] (vocals), Albin Brun (soprano- and tenorsax, swiss diatonic accordion, overtoneflute, duduk), Patricia Draeger (accordion), Claudio Strebel (double bass), Marco Käppeli (drums).
Kazalpin [Казальпін]
Śniežki [Снежкі] - Schnee
(Double Moon, DMCHR71509, 2011, CD)
1)Svatki-Bratki [Сваткі-Браткі] 2)Jechaŭ Ivańka [Ехаў Іванька] 3)Magic Circle 4)Swiss Barocco 5)Ni Žhar Zagoriaje [Ні Жар Загоряе] 6)Schnee 7)Žyto Połovieje [Жыто Половее] 8)Iskarka-Pryhaŭka [Іскарка-Прыгаўка] 9)Ararat 10)Śniežki [Снежкі] 11)Ho-Ho Kaza [Хо-Хо Кажа] 12)Kolado [Коладо]
Recorded 3-5. 12. 2014.
Irena Kotvitskaja [Ирэна Котвицкая] (vocals), Rusia [Руся] (vocals), Nadzeya Tschuhunova [Надя Чугунова] (vocals), Albin Brun (tenor- and sopranosax, swiss diatonic accordion, waterflute, duduk), Patricia Draeger (accordion, flute), Claudio Strebel (double bass), Marco Käppeli (drums, asa chan, waterphone).

Kazalpin [Казальпін] は、 ベラルーシ出身の “ethno-jazz” 女性ヴォーカル三人組 Akana [Акана] と、 スイスの jazz/improv の文脈で活動する Albin Brun の folk 的な要素を取り入れたグループ Alpin Ensemble という2つのグループが合わさってのプロジェクト。 2010年録音の1作目のみの一時的なプロジェクトと思いきや、活動を継続しており、14年録音の2作目をリリースしている。 2作目になっても作風はほとんど変わってはいない。

Akana は東方正教会キリスト教が入ってくる以前の儀式の歌をベースにしているとのこと。 ベラルーシの民謡等には疎いが、 例えば Moscow Art Trio 等で知られるロシアの Sergey Starostin [Сергей Старостин] [関連レビュー] のプロジェクトで聴かれるようなヴォーカルワークや、 kalyuka [калюка] らしき overtone flute の音色が楽しめる。 folk 的な歌い方が多いが、“ethno-jazz” と自称しているように、jazz 的な軽快なスキャットを聴かせる時もある。

もう一方の、Alpin Ensemble のアルプス地方の folk の要素は、 yodel や alphorn のような解りやすい要素は無いが、accordion や clarinet に近い sopranosax の音が folky な雰囲気を盛り上げている。 しかし、むしろ、複合拍子を多用するキレの良い contemporary jazz 的な演奏が良い。 rock 的な要素は無いが、Akana の歌声と合わさると、 Starostin や女性歌手 Inna Zhelannaya [Инна Желанная] を フィーチャーした Farlanders [関連レビュー] を連想されられるときもある。

中でも特に気に入っているのは、 “Siadzmo Mamko [Сядзьмо Мамко] / Talisman” (East Side Story 所収)。 ベラルーシの伝承曲らしい森の中から響いてくるようなコーラスラークと kalyuka [калюка] の音に始まり、 それが軽快な accordion とキレの良いリズムによって Luis Gonzaga や forró (ブラジル東北部の音楽) 思わせる曲調に繋がれ、 彼女たちの歌声もむしろそれらしい明るいスキャットとなる。 そんな中、一旦ベラルーシ民謡風に戻ったりするが、そんな展開が無理なく自然に繋がっているのが楽しい。 このグループの魅力が良く現れている曲だろう。

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月曜祝日。土日外出の疲れもあったので、ゆっくり休養に充てたのでした。