TFJ's Sidewalk Cafe >

談話室 / Conversation Room

TFJ's Sidewalk Cafe 内検索 (Google)
[3494] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Dec 4 23:14:20 2016

土曜の午後、ミュージカルが夕方前には終わったので、横浜みなとみらいを展覧会巡りしてきました。

『ワンダリング・ポジション』
Yukinori Yanagi: Wandering Position
BankART Studio NYK 全館
2016/10/14-12/25, 11:00-19:00

1980年代から社会的なテーマのコンセプチャルな立体作品やインスタレーション、野外作品を制作してきた 柳 幸典 の30年の活動を回顧する展覧会。 今までも個展で観たことがあったが、個展でまとめて観るのは初めて。 薄いアクリルの箱に国旗や紙幣の模様になるよう詰めた色砂に蟻で巣穴を作らせた Ant Farm Project のシリーズなど、 このようなプロテストというか、社会的な問題へのアプローチの仕方も20世紀的と思うことしきり。 しかし、それでも、3階の新作「Icarus cell」や「Project God-zilla -Landscape with on Eye-」など良い作品もあった。

犬島アートプロジェクトのための作品という「Icarus cell」は何箇所も直角に折れ曲がった鋼鉄性の狭い通路で、その角に45度となるよう鏡が設置されている。 鏡の表面には 三島 由紀夫 の詩 「イカロス」 の一節が彫られていて、 鏡の反射で出口側の白い光を背景に詩の各節が並んで浮いているように見える。 その美しさも良いのですが、詩を読みながら歩を進めると、背景の白い光は天窓から取られたものだと、 つまり自分もイカロスのように太陽に向かって歩を進めていたことに気づかされるという。 ちなみに、帰りはフレアや黒点も見える望遠鏡で捉えた太陽の映像が背景となり、 よりはっきりコンセプトがわかるようになっていた。

「Project God-zilla -Landscape with on Eye-」は産業廃棄物というか廃材を積み上げたインスタレーション。 うす暗がりの中、大きく光る目玉を模った球が1つ埋め込まれることで、霊を吹き込まれるよう。 それが不気味でもあり、面白かった。

横浜美術館
2016/10/01-12/14 (水休; 11/4休), 10:00-18:00
Yinka Shiobare MBE, Yee I-Lann, Apichatpong Weerasethakul, UnDam Tran Nguyen, 石川 竜一 [Ishikawa Ryuichi], 田村 友一郎 [Tamura Yuichiro].

非欧米諸国出身のアーティストを取り上げ、 その出身国の社会的な問題をテーマにしたコンセプチャルな映像作品やインスタレーションを ギャラリーごとに並べていくような展示は、良くも悪くも現代美術の国際美術展という雰囲気。 少々空虚に感じられつつも、 暗闇の中に燃える扇風機の映像が浮かび上がる Apichatpong Weeraethakul の Fireworks (Fans) (2016) は美しかったし、 ホーチミンの街中でのパフォーマンスの様子を映像化した UnDam Tran Nguyen など、 ベトナムにもこういう作家がいたのかという発見はあった。

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日曜は、家事などこなしつつも、休養にあてたのでした。

[3493] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Dec 4 19:42:21 2016

土曜は昼過ぎに横浜山下へ。この公演を観てきました。

KAAT神奈川芸術劇場 ホール
2016/11/03, 13:00-15:30.
原作: 楳図 かずお 『わたしは真悟』; 脚本: 谷 賢一; 脚本・演出: Philippe Decouflé; 音楽: トクマルシューゴ, 阿部 海太郎; 演出協力: 白井 晃.
Cast: 高畑 充希 (山本 真鈴), 門脇 麦 (近藤 悟), 小関 裕太 (ロビン), 大原 櫻子 (しずか), 成河 (真悟), etc
Musician: トオヤマタケオ, Open Reel Ensemble.
企画・制作: ホリプロ.

10月に素晴らしい公演 Contact で来日した Philippe Decouflé [レビュー] が演出を手がけたミュージシャルを観てきました。 芸能プロダクションの企画・制作によるミュージカルを観るのは初めてです。 Contact のようなめくるめくスペクタルを期待しましたが、それを期待した自分が間違い。 Cie DCA のようには身体能力の高いパフォーマーが揃わないということもあると思いますが、 予想以上に丁寧にストーリーや登場人物の内面を説明する演出で、 Decouflé の持ち味である幻惑的な演出があまり見られませんでした。 例えば、真悟の内面を「〜といいます」といちいちセリフで説明するという。 こういったものは象徴的なマイム、ダンスや照明などの演出を重ねて表現して欲しいところでしたが、 これもエンタテインメントの舞台としてわかりやすく作っていたということなのでしょうか。 最も Decouflé らしく感じたのは、最後のブランコの演出。 エアリアル・パフォーマーではないのでシンプルにブランコ揺らしているだけのものでしたが、 このような宙を舞う動きを象徴的に使いたかったのだろう、と。 また、そのネタをストレートに使ったりしてはいませんでしたが、 制作中に Decouflé がロボットレストランに行った理由が、わかったような気がしました。

コンテンポラリー・ダンスの振付・演出家を使った似たような企画のミュージナルとしては、 やはりホリプロの企画制作による Inbal Pinto & Avshalom Pollak [関連レビュー] 演出の『100万回生きたねこ』 (2013) があります。 こちらは気になっていたものの観ていないのですが。やはり、こんな感じなのでしょうか。

[このレビューのパーマリンク]

KAATはよく行く劇場ですが、いつも観ている公演とは客層が全く異なり、アウェー感。うむ。

And now for something completely different...

先週末、2016 NHK杯国際フィギュアスケート競技会 が開催されていました。 そのTV中継をNHKオンデマンドに載ったのがふと目に入ったので、夕食したりしながら観ていました。 さすがに全ては観ていませんが。 家にTVが無くなってからすっかり観なくなっていたので、久しぶりです。 選手が大きく入れ替わって、知らない選手がほとんど。逆に新鮮に観ることができました。

今年夏のリオ五輪の新体操団体では [関連発言]、 Le sacre du printemps などを使った Ballets Russes テーマの演技や、 Madonna: “Vogue” を音楽に使って Vogueing な動きを取り入れた演技がありました。 それに比べると、自分が観た範囲では、全体として選曲や演出が保守的に感じられました。

そんな中で目に止まったのが、女子シングル、ロシアの Мария Сотскова [Maria Sotskova]。 ショートプログラム (SP) [YouTube]、 フリースケーティング (FS) [YouTube] 共に 音楽に Альфред Шнитке [Alfred Schnittke] の曲を使ってました。 特に SP の中盤では Concerto Grosso No. 1 (1977) が使われ、 歪みながら切り裂くような Gidon Kremer の (ものと思われる) violin の音が飛び交うなかを滑るという。 背丈があり首手足の長い Сотскова はなめらかで優美な動きも映えて、 Шнитке の音楽を使ってることを忘れさせるほどエレガントな演技になっていました。 また、同じ作曲家を使っていることからもわかるようにSPとFSで2幕物で、 第1幕が蛹からの羽化、第2幕が蝶として舞うという構成になっています。 Шнитке の音楽を使いこなし2幕物として演じることができるだけの表現力のあるスケーターだと、とても気に入ってしまいました。

しかし、ソ連時代は反体制派として迫害されていた Шнитке の曲で、 ЦСКА Москва (モスクワ中央陸軍スポーツクラブ、ex-赤軍スポーツクラブ) 所属のスケーターが滑る、 というのは感慨深いものがあります。ソ連時代は遠くになりにけり、ということでしょうか。

彼女の以前はどんな演技をしていたのだろう、と過去の映像を見てみたのですが、 去年のFS [YouTube] は Sergei Prokofiev のバレエ音楽 Romeo and Juliet で滑ったんですね。 それも、コーチではなく本人のアイデアで、「ずっと Romeo and Juliet で滑るのが夢だった」と インタビューで言っていたという話しも目にします [関連ツイート]。 バレエの素養もかなりあるんでしょうか。 エレガントな彼女の動きであれば Romeo and Juliet ではなく 19世紀ロマンチックなバレエ音楽で演技しても様になりそうです。 ちなみに、SP [YouTube] の音楽は、 Santana の “Black Magic Woman” (オリジナルは Fleetwood Mac)。 フィギュアスケートではあまり使われてこなかったような曲で、 前半はまだしも後半は曲がスピードアップして、合わせづらそうな曲をよく選んだなあ、と。 さらにその前、2013-14年のFS [YouTube] では、 映画 Pina [レビュー] のサントラを使っていました。 といっても、Pina Bausch Tanztheater Wuppertal のダンスのようにスケーティングしたわけではないですが。 やっぱり、Pina Bausch のダンスも好きだったりするのかな、と。

女子シングルに Мария Сотскова というお気に入りとなるスケーターを見つけることができましたが、 種目としてはやはりアイスダンスが好きです。 ジャンプやスピンで派手な大技があるわけではないですが、 20〜30歳代のスケーターが中心で、他の種目より表現力が感じられ、大人の美しさやユーモアが楽しめるように思います。 ペアによって持ち味の方向性が違い比較し難く、 Gabriella Papadakis - Guillaume Cizeron の美しいダンスなども好きですが、 特に、マイムも駆使してストーリー性の高い演技をするイタリアの Anna Cappellini - Luca Lanotte 組は素晴らしいです。 ほぼ道化芝居なエキシビジョン (EX) の “Tango Lesson” [YouTube] も好きですが、 フリーダンス (FD) [YouTube] が素晴らしい。 “Charlie Chaplin Medley” ということで、 音楽は Limelight (1952) のものがメインでしたが、 キャラクターとストーリーはサウンド版として作られたサイレント期の名作 City Lights (1931) に基づくプログラム。 単にコミカルなだけでなく、元の Chaplin の映画にあったロマンチックな要素や切なさまで表現していました。 2人がキャラクタを演じきっていたというだけでなく、 いかにも目が見えないという演技でではなく、前半の要所での視線の合わなさで目が見えないということを演出していました。 このような演技をエキシビジョンではなく競技でできるというのも、素晴らしいです。

競争が激しく観戦チケットを取るのが難しいと言われるフィギュアスケートですが、 アイスダンスの時の観客席には空席が目立ちました。 TVでもあまり放送されませんし、人気が無いのでしょうが、もったいないものです。 そんな人気の無さはさておき、Anna Cappellini - Luca Lanotte 組とか観ていると、 昔の日本映画の映画音楽を使って映画をオマージュするようなプログラムを作るようなフィギュアスケート選手が日本から出て来てきたらなあ、と思ってしまいます。

[3492] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Nov 28 22:22:49 2016

再び一週間空きましたが、11月4, 5日に観てきた 大道芸ワールドカップ in 静岡 2016 の話の続き、2日目です。これで完結です。

11/05 11:30〜 @ どき!どき!ランドSBS

曲も自作している日本のパフォーマーによる、 robot dance というか robot mime を物語仕立てで。 単調な日常生活を生きることはロボットのようという素朴な日常の実感を、 Jポップ 風の自作歌に乗せていたせいか、キッチュな印象。

Emily & Menno van Dyke: Juggling Tango
11/05 12:00〜 @ どき!どき!ランドSBS

フランス出身の女性バレエダンサーとオランダ出身の男性ジャグラーのデュオ Emily & Menno van Dyke。 Astor Piazolla らしきシャーブな演奏の音楽に乗って、 流れるように華麗でキレのいい tango を踊りながらのジャグリング。 オーソドックスな演出ですが、動きが美しく、引き込まれました。

11/05 12:30〜 @ 沈床園

アメリカを拠点に活動するサーカス一家出身の Fabio と Giuliano の兄弟。 静岡には2010年に出場しているとのことですが、今回観るのが初めて。 壺とかではなく人を回す足芸です。 ハイテンションな音楽に乗って超絶技見せるだけでしたが、見ごたえはありました。

うつしおみ
11/05 13:30〜 @ 富士見芝生広場

日本のカンパニー ながめくらしつ を主宰するジャグラー 目黒 陽介 と エアリアリスト 長谷川 愛実 の男女デュオ。 今年も海外のパフォーマーと混じって、エアリアルを集めたステージに登場。

当日風が強かったせいかディアボロとリングの組み合わせなどを外してきましたが、 去年 [写真] から構成を大きく変えていませんでした。

Aerial Raja
11/05 13:30〜 @ 富士見芝生広場

タイ出身の男性エアリアル・パフォーマーによるティシューのソロ。 ティシューの男女ペアや女性のソロは観たことありましたが、男性のソロは初めて。 ストーリー性などの無いオーソドックスな演出で、 最初は女性ソロと変わらない繊細な演技に感じましたが、次第にダイナミックに。

Aurélie Dauphin
11/05 14:30〜 @ 富士見芝生広場

昨年 [写真] に引き続き、 フランスのエアリアル・パフォーマー Aurélie Dauphin も登場。

昨年と同じ演目で、 イルカもしくはクジラをイメージしたと思われる海の生き物と、 彼らが海洋汚染の犠牲となる (海の塵で身動き取れずに死ぬ) というストーリーを、 ティシューのエアリアルで表現。

Trinh Tra My
11/05 15:00〜 @ 富士見芝生広場

ベトナムのバランス芸とエアリアルの女性パフォーマー。 難易度の高い技をしっかり見せるだけのオーソドックスな演出でした。 まずは地上で、トゥシューズでつま先立ちで歩きながら、 concertina を弾きつつ、口に咥えたナイフの上にグラスの塔を乗せるというバランス芸。

続いて、短剣の咥えてその剣先に長剣をバランスする芸をしながらの、ティシューのエアリアル。 強風に煽られながらのパフォーマンスには、さすがにハラハラしました。

11/05 15:30〜 @ 沈床園

日本の大道芸フェスでもお馴染み、日本のマイム・パフォーマー 山本 光洋。 ちゃんと観たのは久しぶりでしょうか [写真]。 観客2人をステージに上げて拳銃決闘をコミカルに演じさせる芸に多めの時間を割いていたように感じました。 最後は、やはり、「チャーリー山本」。このネタは大好きです。今回は吹き矢に挑戦してました。

11/05 16:00〜 @ 沈床園

スペシャルプログラム「Clown on the street 路上の道化師たち」の枠で出場した ベルギーのクラウン4人組。 破局戦争後の世界で美しい物を探して回っている部隊の4人組という設定で、 客いじりはあまりせずに、コミカルな寸劇といったところ。 ピンとこなかったのですが、後ろにいたフランス語話者な方々に大ウケしてたので、言葉や文化的背景の違いで伝わらないものがあったのでしょうか。

El Gran Dimitri
11/05 16:30〜 @ 児童公園

続けてスペシャルプログラム「Clown on the street 路上の道化師たち」の枠で出場した スペインのクラウン El Gran Dimitri こと Antonio J. Gómez。 下手くそマジックショー仕立てのクラウンショーでした。

11/05 17:00〜 @ 児童公園

日本の女性手品師による、伝統芸としての江戸手妻ではなく、和風手品。 派手な音や光の演出はなく、和装でゆったり落ち着いた優雅な動きで手品を見せました。

このような落ち着いた演出は良いと思うのですが、 これで音楽が Kenny G 風の sax の入ったスムースジャズだったりJポップバラードだったりすると、 一気にキッチュになってしまいます (このパフォーマンスに限りませんが)。 このようなキッチュな日本趣味が、 めりこと同様、セルフオリエンタリズムのように感じられてしまう一因でしょうか。

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なんとか11月中に書き上げることができました。ふう。

[3491] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Nov 27 23:22:18 2016

土曜は昼前には家を出て日本橋へ。この舞台のライブビューイングを観てきました。

『ノルマ』
Live from the Royal Opera House, 2016-09-26, 19:15-22:35 BST.
Music: Vincenzo Bellini; Libretto: Felice Romani; Director: Àlex Ollé; Set designer: Alfons Flores.
Performers: Sonya Yoncheva (Norma), Joseph Calleja (Pollione), Sonia Ganassi (Adalgisa), Brindley Sherratt (Oroveso), David Junghoon Kim (Flavio), Vlada Borovko (Clotilde), Niamh Worrell and Matteo di Lorenzo (Norma's Children), etc
Antonio Pappano (conductor), Orchestra and Chorus of the Royal Opera House, Covent Garden.
上映: TOHOシネマズ日本橋, 2016-11-26 12:20-16:00 JST.

Royal Opera House Cinema Season 2016/17 が始まりましたが、 その第一弾、オペラ Norma を観てきました。 Norma は1831年にミラノ・スカラ座で初演された Vincenzo Bellini による2幕のベルカントオペラで、 その主役 Norma は Maria Callas が得意とした役として知られます。 しかし、そういった点よりも、大規模や野外パフォーマンスを得意とするカタルーニャのバルセロナを拠点に活動するカンパニー La Fura dels Baus の Àlex Ollé による新演出、 という点に惹かれて足を運んでみました。

作品の舞台は紀元前の古代ローマ占領下のガリア、 その地のケルト人の宗教 (ドルイド教) の巫女の長 Norma を主人公とする物語です。 歌詞などはそのままに、舞台を現代に移し、宗教をカトリック (それもラテンアメリカにありそうな反政府の準軍事セクト) として翻案しての演出がされていました。 大量の十字架で森を作るかのような舞台美術は神聖さというより禍々しさを感じるもの。 第1幕は現代的なイメージというよりも、カトリックの儀式のイメージを強く出した演出で、 そのバックグランドに疎いところもあって、さほどピンときませんでした。 第1場は三角関係ローマの総督 Pollione、ドルイド教の巫女の長 Norma、Norma の侍女の巫女 Adalgisa の関係を説明するような展開で、 第2場に入って3人鉢合わせての修羅場の場面になっても、苦笑いしながら観ていました。

第2幕になると、現代的な子供部屋が舞台にあり、そこに母の帰りを待ちくたびれてソファで寝てしまった2人の子。 そこに、仕事が遅くなって疲れて帰ったかのようなパンツスーツ姿の Norma が登場。 子供を殺そうとする場面も、歌詞はそうではないのに、まるで子育てに苦悩するシングルマザーのイメージのようで、ガツンとやられてしまいました。 再び十字架の森に戻っての、その後のケルト人のローマに対する蜂起も、現代における圧政を行う政府に対する反政府組織の武装蜂起のようなイメージで演出。 物語としての整合性は別として強烈なイメージに引き込まれました。 子供に対する葛藤、裏切られた女性同士の友情、最後の自己犠牲と、これでもかと泣かせる展開にやられました。

2年余り前から戦前松竹メロドラマ映画をよく観ているいるわけですが [関連する鑑賞メモ]、 そういった映画でありがちなパターンが次々と出てきました。 三角関係の修羅場の場面はもちろん、 互いにライバル関係にあることを知らずに一方が恋心をもう一方に打ち明けてしまう場面や、 ライバルの2人の女性の間の友情など。 オペラは20世紀娯楽映画のルーツとは言われますが [関連する鑑賞メモ]、 戦前松竹メロドラマ映画のお約束パターンのルーツを観るようでもありました。

演出は期待したほどで凄いとは感じませんでしたが、 それもオペラ歌手のアップが多いカメラワークのせいかもしれません。 例えば、第1幕第2場の Norma が “Casta Diva” を歌う場面、舞台上、背丈大の巨大な香炉が吊るされ振られていたのですが、 ほとんど Norma がアップが移っていました。 薄明かりの中で香炉が煙をたなびかせつつ揺れる様を引いたカメラで見ながら “Casta Diva” が聴けたら、 もっと神聖な雰囲気が味わえたのではないか、と、思ったりしました。

この新演出 Norma は、元々 Anna Netbreko の Norma を想定して制作されていたものの、 Netbreko が降りて Sonya Yoncheva が Norma に配役されたという経緯があります [The Guardian の記事]。 オペラ俳優に詳しくないので他との優劣などは判断しかねますが、 Sonya Yoncheva は少し陰のある凛々しさを出していて、代役を感じさせない素晴らしさでした。 前半の宗教的な服装より、後半のパンススーツ姿が良かったなあ、と。

[このレビューのパーマリンク]

ちなみに、Royal Opera House Cinema Season 2016/17、次は Così fan tutte。 演出の Jan Philipp Gloger ってどういう人だろうとチェックしたら、 学生時代に Rimini Protokoll [鑑賞メモ] のアシスタントしていた、なんてこと事が書かれていて、大変に気になります。 しかし、上映が予定されている週末 (12月10,11日) は 既に (コンテンポラリーな) オペラとコンテンポラリーダンスの2本観る予定が……。うーむ。

Sonya YonchevaMetropolitan Opera: La Traviata で Violetta をやるのか。 これも、4月にライブビューイングをやるので観に行ってしまいそうだ……。

Metropolitan Opera がライブビューイング (これは和製英語なのでカタカナで書きます。 Wikipedia のエントリでは Event cinema) を始めたのは2006年。 その後、Royal Opera House や Royal National Theatre なども追随して、現在に至るわけですが、 当初は自分の守備範囲外で、 初めて観たのは2014年の Royal Ballet: The Winter's Tale。 まさか、これほど度々、ライブビューイングを観に行くようになるとは、我ながら思いませんでした。 今年はこれで7本目。 それも、バレエではなく演劇やオペラをここまで観るようになるとは。自分の趣味も変わったものです。

日曜は小雨がちの天気。無理せずに休養に充てたのでした。

[3490] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Nov 27 21:24:07 2016

水曜祝日 (勤労感謝の日) は昼に一件用事を済ませ、夕方に小竹向原へ。このライブを観てきました。

Bobo Stenson Trio
安養院 瑠璃光堂 (板橋区 小竹向原)
2016/11/23, 17:30-19:30
Bobo Stenson (piano), Anders Jormin (bass), Jon Fält (drums).

Bobo Stenson は jazz の文脈で活動するスウェーデンの piano 奏者。 1970年代の Jan Garbarek との Quartet など、 その初期から ECM レーベルに録音を残してきています。 昔に Charles Lloyd のサイドメンとして来日したことがあるとのことですが、リーダーとしては初来日。 そんな Bobo Stenson の2000年代に入ってからのレギュラーの trio での来日ライブを聴いてきました。もちろん、ライブで聴くのは初めて。 3人ともスェーデンのミュージシャンで、 Anders Jormin は1980年代から Stenson と共演を重ねてきた bass 奏者、Jon Fält は1979年生の若手 drums 奏者です。 会場は9月に Elina Duni Quartet のライブをやった安養院 瑠璃光堂 [レビュー]。 途中休憩無しでアンコール1回の2時間弱の演奏でした。

最初の2曲は繊細な piano のフレーズにソフトにリズムを添えるような展開で、少々退屈しました。 3曲目に Jon Fält が thumb piano を弾ひきつつ drums を叩くような展開になってから、 綺麗な piano の音とチューンされてない thumb piano の音にコントラストもあって、ぐっと良くなりました。 以降、Fält は割り箸をバキバキと折ったり、紐の先に笛のようなものを付けたものを回したりと、少々アウトな演奏も。 Stenson や Jormin はそれに合わせせてドシャメシャな演奏となることはありませんでしたが、 流麗な演奏に留まらず、内部奏法、特殊奏法も含めてシャーブな音出しも聴かせました。 Stenson と Jormin の演奏はさすがにベテランならではの落ち着きも感じさせるものでしたが、 Fält がいることで大物の保守的な piano trio にならずに済んでいるのかもしれない、と思ったりもしました。

Elina Duni Quartet の時と同じように予約無しで行っても大丈夫かと思いつつ、 1週間前に予約したら、100席限定のかなり後ろの方になってしまいました。 当日は会場に観客がぎっしり。 料金も Elina Duni の倍以上取っていたにもかかわらず、 Elina Duni Quartet の時の4〜5倍は入っていたでしょうか。 Bobo Stenson のネームバリューもあるかと思いますが、piano trio 人気を見せつけられたようにも感じました。 これだけの集客力があるのであれば、ちゃんとプロモーションもして草月ホールくらいの規模のホールでコンサートしても良かったのではないか、と思ったりしました。

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[3489] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Nov 20 22:38:08 2016

一週間空きましたが、11月4, 5日に観てきた 大道芸ワールドカップ in 静岡 2016 の話の続き。1日目の後半です。

11/04 16:30〜 @ 富士見芝生広場

7本バトンを得意技とするフランスの女性ジャグラー。 去年も静岡に来ていましたが観られず、今回初めて観ました。 ここでは高度な技を見せるというより、女性的なキャラクタを押し出したパフォーマンス。 上品な淑女な設定はジャグラーにしては珍しいな、と思いつつ観ていたら、 最後に衣装変わりして、ハイテンションなジャグリングでフィニッシュ。

Cie L'Arbre à Vache: M et Mme Poiseau
11/04 17:00〜 @ 二の丸
Ecriture: Léa Blanche Bernard et Louis Grison.
Jeu: Louis Grison et Macha Léon.
Direction d'acteur: Antoine Boulin.
Création 2013.

フランスのジロンド地方で2007年に結成されたカンパニーによる2013年に制作された路上劇。 老カップルのぎこちなく冴えない誕生日を描いた小一時間ほどのコミカルなマイム劇でした。 最後には男性が斃れてしまうのですが、大きな袋に入って花火を使って葬送すると、二人とも若返ってハッピーエンド。

雰囲気は楽しめましたが、客弄りはさほど行わず、屋外ならではの演出はあまり感じられず。 小劇場で上演してもよさそうな作品でした。

2001,2002年の L'Éléphant Vert: Faunèmes [写真] や、 2005年の Avanti Display: Mr. Lucky's Party [写真] など、 10年前余り前はこのような路上劇が度々来ていたのですが、近年は来なくなっていました。復活は歓迎です。

ところで、男女カップルの冴えないパーティで始まって、最後にパッと若返ってハッピーエンドいうプロットは、 Avanti Display: Mr. Lucky's Party と同じ。 一つの類型というか、お約束のパターンのようにも思われるのですが、何か元となるものがあるのでしょうか。 同じようなパターンの話でも、フランスのカンパニーとイギリスのカンパニーでは雰囲気が違い、そこにお国柄を見るようでもありました。

11/04 18:00頃 @ 富士見芝生広場前

フランス・オクシタニアのモンペリエを拠点に活動するダンスカンパニー Cie Didier Théron。 あいちトリエンナーレ2016で Air上演したその足で、静岡にも登場。 Air の格好でのウォーキング・アクト。 空気で膨らんだピンクの衣装を着て、跳ねるように踊りながら、あっというまに通り過ぎて行ってしまいました。 移動中だったのでしょうか。

11/04 18:00〜 @ メイン広場1

大道芸を主な活動場所とする日本人ポールダンサー めりこ。 井原 西鶴 『好色五人女』で取り上げられて有名になった「八百屋お七」の物語を使って、 恋仲の寺小姓との逢いたさに放火する所をファイアダンスに、磔をポールダンスとして構成。

「八百屋お七」のような古典を参照するのは良いアイデアだとは思うものの、 音楽使いや和装テイストの衣装もあってか、逆にキッチュな日本趣味というか、セルフオリエンタリズムのように感じられてしまいました。

Isaac Aborah
11/04 18:30〜 @ どき!どき!ランドSBS

西アフリカ・ガーナ出身の Isaac Aborah による皿回しならぬ大盥回し。 Highlife でも Ghana funk でもなく、guitar のリフも軽快な Congolose rumba 風の音楽にのって、ノリノリのパフォーマンス。

2007年に Ndux Malax 名義で出場していた3人組 [写真] のうちの1人だと思うのですが、確認できませんでした。

11/04 19:30〜 @ メイン広場2

アルゼンチン出身で、スペイン・カタルーニャ州バルセロナを拠点に活動するアクロバッドの男女デュオ Duo Laos。 アクロバティックにタンゴを踊る所からはじまり、そのままタンゴ仕立てで行くかと思いきや、 後半はオーソドックスな演出のロマンチックなハンド・トゥ・ハンドのアクロバット。 特に女性の姿勢、手足の動きやポーズがとても綺麗で、雰囲気も良かったです。

11/04 19:30〜 @ キッズガーデン

帰り際に夜のテントにも立ち寄ってみました。 ティシューのエアリアルのデュオもあったりと、夜の方がちょっと演目多く時間は長め。 緩く和やかな雰囲気な雰囲気は相変わらずながら、ちょっと情感も加わったでしょうか。

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2日目の話は、また、来週末でしょうか……。

[3488] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Nov 20 19:28:56 2016

土曜朝から雨降る寒い一日。雨が少し残っていたものの、 午後は大家さん方面の友人と日本民芸館へ行き、駒場界隈を散策。 一旦帰って、晩に新宿へ行って、このライヴを観てきました。

Karl Seglem Acoustic Quartet
新宿 Pit Inn
2016/11/19, 20:00-22:15
Karl Seglem Acoustic Quartet: Karl Seglem (tenor saxophone, goat horn, voice), Andreas Ulvo (piano), Sigurd Hole (bass), Jonas Howden Sjøvaag (drums)
opening act: 鈴木 生子 (bass clarinet), 原 洋子 (voice).

Karl Seglem はノルウェーの saxophone / goat horn [山羊の角笛] 奏者。 1991年にレーベル NORCD を設立し、 Terje Isungset [レビュー] との Isglem や Utla など、 ノルウェーの folk と jazz/improv を抽象化したような音楽性で活動してきた。 そんな Seglem が、ノルウェーの piano trio Eple Trio を従えた形となる Acoustic Quartet で初来日した。 この晩は、約30分のオープニングアクトの後、 アンコール1回を含めて途中休憩なしの約1時間半、 3枚のアルバムからだけでなく新曲も含めて演奏をした。

ノルウェーの folk のメロディを使いつつ、 編成からもかわるとおり jazz のイデオムの強い演奏をする quartet で、 Seglem が saxophone で folk 的なメロディをはっきり吹くときなど保守的な印象。 しかし、角笛に持ち替えたときなど、雰囲気は一転。 角笛や saxophone のテクスチャ成分の多めの音に対して、 drums と内部奏法も駆使した piano とが細かく post-techno/electronica なリズムを繰り出してくる。 そんな、2面を行き来するようなライブだった。 やはり、角笛を吹いている抽象的な folk の展開のときの方が良かったので、Terje Isungset との Isglem や、 Håkon Høgemo の hardingfele が参加した Utla などの編成を是非観てみたいとも思った。

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それ以前からちょっと怪しかったのですが、木曜にはすっかり風邪で発熱はほとんど無いものの体調不良。 土曜が少し無理だったか、日曜は使い物になりませんでした。

[3487] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Nov 16 0:28:57 2016

先週後半は出張で戻ったのは土曜。 日曜は完全休養に充てようかとも思ったのですが、昼過ぎには六本木へ。 この舞台のライブ・ビューイングを観てきました。

『戦火の馬』
New London Theatre
Based on the novel by Michael Morpurgo, adapted by Nick Stafford.
Directors: Marianne Elliott & Tom Morris.
Designer/Drawings: Rae Smith.
Puppet Design, Fabrication & Puppetry Directors: Basil Jones & Adrian Kohler for Handspring Puppet Company.
Cast: The Horses: Ashleigh Chaedle, Tasmin Fessey, Emma Thornett (Joey as a foal); Nicholas Hart (Joey head), Andrew London (Joey heart), Sam Wilmott (Joey hind), Nigel Allen (Topthorn head), Michael Taibi (Topthorn heart), Lewis Peploe (Topthorn hind); Tom Meredith (The Goose); The People: Albert Narracott (Siôn Daniel Young), Ted Narracott (Steve North), Rose Narracott (Josie Walker), Captain Nicholls (Alex Avery), Friedrich Müller (Ian Shaw), Emilie (Zoë Thorne), etc
Production: National Theatre. Premier: 9 October 2007 at the National Theatre
Originally broadcast live from the New London Theatre in London to cinemas around the world on 27 February 2014.
上映: TOHOシネマズ六本木ヒルズ, 2016-11-13 12:10-15:30 JST.

イギリス軍の軍用馬として第一次大戦に従軍した馬 Joey を主人公とし、 Joey を育ててくれた少年 Albert との関係を一つの軸に、Joey の戦場でのエピソートを描いた、 1982年に出版された児童文学の舞台作品化。 2007年の初演以来、ロングランのヒットとなり、アメリカ・ブロードウェイでも上演され、 2011年には Steven Spielberg が映画化しています。(原作、映画ともに未読/見ですが。)

The Guardian 紙のレビュー欄でも度々取り上げられ、 南アフリカのパペット・カンパニー Handspring Puppet Company による実物大の馬のパペットを使ったステージという点が、気になっていました。 しかし、2014年に来日公演した東急 Theater Orb はその当時チェックしていなかった劇場で、 主にミュージカルの文脈で紹介されていたこともあって、公演に気付かずに見逃し。 今年5月に観た William Kentridge 演出の Handspring Puppet Company: Ubu and the Truth Commission は大掛かりにパペットを使った作品ではなく [レビュー]、 やはり War Horse を観たいと思っていたのでした。 そんなところに National Theatre Live のアンコール上映があったので、観ることにしたのでした。

直径10mほどの円形に近い舞台で、円形に区切られた部分は回転するようになっていました。 後方の上方には破り取られたスケッチブックの紙を模した形のスクリーンがあり、 そこに場面の象徴するようなドローイングが投影される程度。 大きな舞台装置は使わずに、パペットや俳優の演技とライティングのみで、 イングランド・デヴォンののどかな農村や地獄のような第一次大戦の西部戦線の戦場を描き切っていました。 心理描写にはストップモーションやスローモーションも利用。 特にライティングの巧みさには感心しました。 シンプルな話だけに、シンプルな演出が生きていました。 ちなみに、演出の一人は The Curious Incident of the Dog in the Night-Time [鑑賞メモ] と同じ Marianne Elliott。 今回はプロジェクションマッピングは使っていませんでしたが、身体表現を駆使して空間を描くのが巧い演出家なのでしょうか。

しかし、見所は、やっぱり実物大の馬のパペット。 馬の銅の下、前足側と後ろ足側の2名が入るのですが、人間の脚をそのまま馬の脚とはせずに、 より実際に近い形状構造で作られた四脚を操っていました。 首は横に付いた操り手が動かしていました。 その動きが巧みで、リアルというよりも、馬のセリフが無いのにもかかわらず馬が語りかけてくるよう。 登場人物も雄弁に内容を語ることなく、むしろ、accordion を伴奏とした folk 的な詠唱を随所に入れて、余韻で語るような舞台でした。 これは、やっぱり舞台で生で観たかったなあ、と、つくづく思いました。

ストーリーとしては心の交流、離別と再会といったものをテーマとした児童文学のよくありそうなもの。 もしくは、出征した青年と従軍看護婦となって彼を追いかけた恋人を主人公とした戦場メロドラマみたい、などと思いつつも、 巧みな馬のパペット使いもあって思わず感情移入して、涙しつつ観ることになってしまいました。

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[3486] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Tue Nov 15 0:01:22 2016

大道芸ワールドカップ in 静岡から戻った翌日曜は完全休養に充てたかったので、躊躇していたのですが、 結局、午後に横浜山下へ。この舞台を観てきました。

KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ
2016/11/06, 15:00-16:15.
作・演出・出演: ジャグリング・カンパニー 頭と口 (渡邉 尚, 山村 佑理)
舞台監督・照明: 渡川 知彦; 音楽: 山中 透; 衣装: 南野 詩恵; 道具製作: RADFACTOR.

頭と口 は2015年に結成したばかりの日本のカンパニー。 公演を観るのはこれが初めて。 この作品では、黒い矩形のスタジオ空間に、大道具等の舞台装置も使わず、映像などの投影もせず、白色光を基調とした照明と音楽のみ。 白のビーンバッグをたくさん並べ、それを並べ替え、積み上げ、かき集め、多様なイメージを作り出していた。 複数のビーンバックを片手で投げて床に等間隔に落とすなど、ビーンバックはよくコントロールされていた。 しかし、「ジャグリング・カンパニー」を名乗っているものの、分かり易いジャグリングの技は使わず。むしろ、ジャグリングだけでなくマイムやダンスのような身体表現も重要な役割を担っていた。 例えば、床に並べられた/ばらまかれたビーンバックをクライミング・ジムのホールドのように見立て、 ボルダリングするかのように床を這いまわっり、 身体の動きを使って水平方向に重力が働いているかのように見せたりしていた。

大道具も映像も使わず、照明や衣装の色彩も抑え、黒い空間と白のビーンバッグのみというミニマルな構成演出は、とても好みな舞台だった。 ながめくらしつ [レビュー] とは異なるシャープを感じる舞台で、日本のジャグリングの文脈から出てきた舞台作品にも多様性と深みが出て来ていることを実感。 それだけに、音楽使いが残念。 glitch のようなテクスチャを強調した electronica ではなく、ビート感を強調した EDM に近い音だったのだが、 床の上で繰り広げられる多様な動きのメリハリを殺すかのように、のっぺり単調に大音量で音楽流し続けていた。 淡々と移動しながらビーンバックを並べ替えていくような場面であればコンピューターゲームのように感じられ、これもありかなと思うこともあった。 しかし、床に這いつくばってうごめくような場面でこのBGMは少々興醒めだった。

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大道芸ワールドカップ in 静岡 2016 の話が完結してませんが、完結するのを待っていたら、 他のものが書けなくなってしまいそうなので、一旦後回しにします。

[3485] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Nov 13 22:35:46 2016

1995年に初めて行って以来、度々、足を運んでいる秋の恒例の大規模な大道芸フェスティバル、 大道芸ワールドカップ in 静岡。 今年も 11月4日(金)、5日(土) の2日間、観てきました。 今年は夜に大規模なショーが組まれていたりはしませんでしたが、 去年は雨に祟られて1日しか観られなかったので、1泊することにしました。 初日はいつものように10時過ぎに静岡入りして、11時半開始からナイトパフォーマンスまで。 二日目も11時からナイトパフォーマンスが始まる前の日暮れまで。 それでも見きれなかったと思いますが、気分的に余裕を持って観ることができました。

テーマがクラウン (道化師) ということで、大掛かりでアクロバティックなパフォーマンスがさほど目立たず、若干地味には感じられました。 今年は野外マイム劇のカンパニーが久しぶりに登場して (Cie L'Arbre à Vache)、それを楽しむことができました。 しかし、Bencha Theater、Duo Laos や Emily & Menno Van Dyke の ヴァーティカル・ダンス、アクロバット、ジャグリングの技を男女ペアのタンゴのダンスで見せるという オーソドックスな演出ながらも身体の動きの綺麗さをしっかり見せるパフォーマンスも良いものだな、と。 そんなことを再認識したりもしました。

過去の大道芸ワールドカップ in 静岡の写真集: 1999年2000年2001年2002年2004年2005年2006年2007年2008年2012年2013年2015年

以下に観たカンパニー/パフォーマの中から主なものを個別にコメント付き写真で紹介。 パフォーマー名演目名については、自分で調べられる限り、 パフォーマーの公式サイトや、海外の大道芸関係のフェスティバルのプログラム などで一般的に用いられている表記に従っています。 調べがつけられなかったものについてのみ、 会場で配布されていたパンフレットに用いられていたものを用いています。

今年も光学望遠付きのコンパクトデジタルカメラを持って行ったのですが、結局使わず。 スマートフォンのカメラで済ましてしまいました。 最近は撮影しても後で整理する余裕もないので、それなら、すぐに twitter 等に投稿しやすい方がいいかな、と。

11/04 11:30〜 @ 駿府城公園 沈床園

イギリスを拠点に活動するジャグラー/キャバレー芸人 Mat Ricardo。 お洒落なバーテンダーとでもいう設定なのでしょうか。 そんな人物設定といい、技の見せ方といい、オーソドックスな構成のキャバレー芸という感じでした。

11/04 12:00〜 @ 駿府城公園 沈床園

アルゼンチン出身のクラウン Mina Clown こと Romina Andrea Krause。 可愛いのだけどちょっとネジが外れたようなキャラクターで、 観客の中から一人の男性を選び、その一人を恋人役として、ドタバタを繰り広げました。 スカートの中から次々と大瓶を取り出したりと、下腹につけた蛇口から水を出したりと、さりげなくマジックの要素も。 毒気なくたわいないですが、こういうのもロマンチックで可愛い笑いも良いものです。

Duo Doll
11/04 12:30〜 @ 富士見芝生広場

“Duo Doll” 名義で出場していたロシア出身という少女と大人の男性というデュオ。 10歳という少女がコントーションしながらのアクロバット、というか、 大人の男性が人形のように振り回すパフォーマンス。 キッチュにカラフルな衣装とメイクで、 イケイケなビートに乗って超絶アクロバット&コントーション技を連発。 可愛いというよりもいけないものを観てしまったような気分になってしまいました。

11/04 13:30〜 @ キッズガーデン

神戸を拠点に活動している綱渡りパフォーマー 清水 ひさお 主催のサーカス・カンパニー。 2010年代に入って度々その名を見かけけて気になっていたのですが、今回やっと観ることができました。 ソロなどで観たことのあるパフォーマーもいますが。 今回初出場の静岡はフリンジ部門での参加だったのでこぢんまりとやるのかと思いきや、 テントを張って本格的な公演をしていました。

管楽器なしで doublebass と鳴り物打楽器と keyboards のみでしたが、音楽は生演奏。 30分程の時間でしたが、ポールダンス、シガーボックス、綱渡りにスウィンギングトラピースと、 本格的なサーカスアクトも含む盛りだくさんの内容。 ハイテンションの音楽で派手に技を見せ付けるような演出ではなく、大きな物語仕立ての演出でもなく、 緩いけど和やかな雰囲気のサーカスを楽しむことができました。

11/04 14:15〜 @ 旧クリエイター支援センター

約10年前に静岡に来ていたオランダのエアリアル・アクトとアクロバットのカンパニー Bencha Theater が、久々に来日 [2004年の写真, 2005年の写真]。 以前の来日の際のエアリアルはティシューでしたが、今回は、元学校の校舎の壁を使ってのヴァーティカル・ダンス。 男女ペアで空中で華麗にタンゴを舞って、さらに地上に降りてから踊るようにアクロバット。

校庭から校舎の壁は遠く、見上げるというより横から眺めるようになってしまい、 宙を舞うようなダイナミックさがあまり感じられなかったのは、少々残念。

11/04 15:30〜 @ 呉服町通り

仮面劇を主なレパートリーとするフランス・アンジェのカンパニー Groupe Démons et Merveilles によるウォーキング・アクト。 夢遊病なのか単に眠れなくてなのかはよくわからないが、 寝ぼけ眼のパジャマ姿の2人が街中を歩いて、通りすがりの人々にグリーティング。 ただそれだけなのですが、フランス流のゆるキャラとでもいう造形の可愛らしさ。

11/04 15:45〜 @ 呉服町通り

日本の大道芸フェスではおなじみ、銀色の男 un-pa。 マイム・パフォーマー 重森 一 のウォーキング・アクトでのキャラクターです。 非人間的なキャラクターと違い、周囲にSF的な違和感を作り出します。

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まずは、1日目の前半まで。続きはまた後ほど。来週末以降でしょうか……。 観た大道芸については、当日にツィートしていますので、 twilog の11月4日5日もご覧ください。

観るペースに書くペースが全くついていけていません。うーむ。

[3484] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Nov 7 0:34:10 2016

文化の日の11月3日は明け方まで雨だったものの、昼には晴れ。 久々に天気の良い家事日和の休日ということで、昼は夏布団を干してしまったり秋冬物の入替したり。 で、晩に池袋に出て、この公演を体験してきました。

東京芸術劇場 シアターイースト
2016/11/03, 19:00-20:00.
Choreographed and Conceived by Sebastian Matthias.
Visual Artists: 伊東 篤宏 [Atsuhiro Ito] (light and sound installation, live performance), 岩井 優 [Masaru Iwai] (video installation), 瀬山 葉子 [Yoko Seyama] (kinetic scruptures, costumes).
Co-choreographers, dancers: Jubal Battisti, Lisanne Goodhue, Deborah Hofstetter, Ostar Landstrom, 寺山 春美 [Harumi Terayama], Idan Yoav.
Dramaturge: 中島 那奈子 [Nanako Nakajima].
Premiere: 2016-06-02, Tanzhaus NRW, Düsseldorf.

ドイツ出身のコレオグラファー Sebastian Matthias の groove space は、 一定のコンセプトの方法論に沿って制作されているシリーズ作品。 x / groove space は、 現在 Matthias が factory artists として活動している Tanzhaus NRW のある ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州デュッセルドルフ (Düsseldorf, NRW, DE) と、 東京に共通する特徴程な性質と身体的な地学をテーマとしており、デュッセルドルフで初演されている。

作品はいわゆる体験型のダンス公演。 伊東 篤宏 の蛍光灯インスタレーションと 瀬山 葉子 のプロペラ様のキネティックな立体作品が2台が設置されただけの ブラックボックスのスタジオに観客を入れ、 伊東 篤宏 の optron 生演奏を音楽に観客を縫うように緩く観客と絡みつつ、ダンスが繰り広げられた。 やがて、黒ビニール袋十数個分はあろう紙吹雪というかシュレッダー屑が用意され、観客にも手渡しつつ、振りまき床一面にぶちまけられた。 派手な紙吹雪遊びまでには至らないものの、シュレッダー屑を蹴散らしひとしきり踊った後、 観客も使ってモップでシュレッダー屑は掃き集められ回収され、濡れモップで床拭きされた。 綺麗になったスタジオで最初の時のように再び踊って、スタジオ内でのダンスは終わった。

ダンサーに先導されるかのようにホワイエまで出ると、 作品制作のための書類を敷いて作ったスクリーンに、 シュレッダー屑がぶちまけられた上で観客が動き回りダンサーが踊るようすが、 天井から垂直に見下ろすアングルで撮影されたものが投影されていた。 そのビジュアルが抽象表現主義というか Jackson Pollock の絵画のよう。 映った自分の姿に少々気まずい気分になりつつも、そうか自分たちはアクション・ペインティングをしていた (もしくは、させられていた) のか、と気付かされた。

デュッセルドルフと東京の共通性といったテーマについてはピンとこなかったが、 ダンサーたちに促されて行った自分の行為のその時は意図はおろか意識すらしなかった – しかし、演出者には意図されていた – 意味に後で気付かされる、 そんな面白さを、そして、ちょっとした怖さも体験できた作品だった。

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体験型のダンス公演は10月の 向井山 朋子 『La Mode(ラ・モード)』 に続いて。 最近、流行っているのでしょうか。続くときは続きますね。 表現の文脈としてはダンスではなく現代美術になりますが、今まで体験した中では Tino Sehgal: This Variation が [レビュー] がベストかな、とか思ったり。ふむ。

[3483] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Nov 6 12:02:43 2016

先の週末土曜は、午後に与野本町へ。 この秋の一連のコンテンポラリーサーカス関連公演の中で最も楽しみにしていたこの公演を観てきました。

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
2016/10/29, 15:00-16:40.
Mise en scène et chorégraphie: Philippe Decouflé.
Musique originale et interprétation live: Nosfell, Pierre le Bourgeois.
De et avec: Christophe Salengro, Alice Roland, Clémence Galliard, Eric Martin, Alexandra Naudet, Stéphane Chivot, Flavien Bernezet, Sean Patrick Mombruno, Meritxell Checa Esteban, Violette Wanty, Julien Ferranti, Ioannis Michos, Lira Robert, Suzanne Soler
Éclairage: Patrice Besombes. Costumes: Philippe Guillotel. Coordination chorégraphie, Costumes et Décor: Éric Martin.
Première: 30 Septembre 2014 au Théâtre National de Bretagne.

2年前の Panorama [レビュー] は新作というより過去の作品からのベスト場面集という感が強かった Cie DCA - Philippe Decouflé が、新作らしい新作 (といっても最新ではなく2014年の作品だが) を携えて来日した。 新作 Contact はミュージカル。 ミュージシャンの袖で生演奏はもちろん、ミュージシャンもパフォーマンスに絡むし、パフォーマー自ら歌い楽器を演奏する場面も満載。 Goethe の長編戯曲 Faust を踏まえていたが、 その物語を演目を繋ぐために使うというのではなく、 Faust、Mephistopheles、Margarete というキャラクター設定を利用する程度。 大きな物語を描くというより細かい演目をつないでいく演出も、 ミュージカルというより、バラエティというかカバレットのよう。 様々なアイデアが次々と湧いてくるような、歌あり踊りありのハイレベルなエンタテインメント・ショー仕立ての舞台を堪能した。

舞台は閉じられた幕の前での寄席芸のようなやりとりで始まる。 続く幕を少しだけ開けての戦間期アメリカのショーダンス風のダンスが始まったあたりまでは、 正直言えば退屈な作品になるのではないかという不安も覚えた。 しかし、幕が大きく開き、舞台中央に立てられた高さ1.5mほどの箱の内外で、 男女がエロティックなコントーションやアクロバットを思わせる動きをし始めた所で、ぐっと引き込まれた。 Decouflé が好んで使う方法ではあるが、 その手足の動きをカメラで捉え、少しずつディレイを加えつつ幾つも複製してその背後して投影することで、 万華鏡のように幻惑的な映像に覆われるよう。 そしてそのような視覚的な演出がパタパタと畳まれるように収束し、 幕を閉じた寄席芸的な世界に戻り、女性パフォーマーもインチキ臭い姿消しマジックで退場した。 まるで寄席芸のいんちき臭いマジックから束の間の幻影が登場したかのような演出だ。

この後も、次々とアイデアが盛り込まれた芸が登場していく。 それらの繋ぎも、舞台の奥行き舞台装置の立体感も殺すような万華鏡のような映像を駆使した幻惑的な演出、 群舞もミニマルなダンスも生きる舞台装置で奥行きを利用したダンス的な演出、 そして、幕前の寄席芸的な演出を、 自在にシームレスに往き来するようだった。 左右に開く幕が斜めに切られていただけでなく、 その後の舞台を額縁するような装置も水平や垂直が避けられたひしゃげていた。 こういった作りも、映像を使わない時は奥行き感を狂わされるようであり、 そこに映像が投影される時は万華鏡的なモザイク感が強調されるようだった。

この作品は Pina Bausch へのオマージュでもあり、タイトルは Kontakthof [鑑賞メモ] から採られているという。 Pina Bausch を意識してか、Decouflé の舞台作品らしからぬ群舞が多く使われていた。 一列になって進むようなダンスや、横に手をつないでのダンスなどに、Pina Bausch っぽさを感じたのは確か。 ただ、それだけではなく、 ミュージカル West Side Story のオマージュと思われる場面もあれば、 Nosfell をロックスター仕立てにしたロック・オペラ/ミュージカルを思わせる場面、 Viotette Wanty がポップスター風 (Madonna を意識したのだろうか) に歌い踊る1980年代のMTVやコンサートを思わせる歌とダンスの場面もあった。 美男美女からキュートだったりファニーだったりするキャラクターまで服装も統一感無く個性的なダンサーたちが 様々なタイプの歌と踊りを展開してくれた。

もちろん、Decouflé の作品の楽しみはサーカス的なエアリアル・ダンス。 この作品ではあまり出番が無く、フロアでのダンスとの組み合わせもあって、さほど目立っていなかったけれども。 この作品では先にループが付けてある伸縮するロープを使っていた。 前半にあった女性2人のデュオも良かったけれども、 フィナーレ直前のエアリアルとフロアでのダンスの女性2人のデュオが、 届きそうで届かない距離感で組み合わされた動きと、背景に投影された万華鏡的な映像もあって、とてもロマンチックに美しかった。

音楽を担当したのは、フランスの alt rock の文脈で活動する Nosfell (voice, guitar, etc) と、 Nosfell のアルバムには必ずのように参加している Pierre le Bourgeois (cello, electronics, etc)。 歌は Klokovetz と名付けられた誰にも理解できない人造語 (Magma の Kopaïa を連想させる) も使われており、 意味がある言葉が使われる時も言葉遊びが多め。 ダンス向けの音楽ということで、le Bourgeois が cello を loop で回したり、と、 ダンサーに flute や piano を演奏させたりと、ロック的なイデオムから外れる時も少なくなかったが、 1990年代半ば以降の post-rock / electronica 的なものではなく、それ以前の rock 的なイデオムを強く感じた。 そんな音楽も、この作品にロック・オペラや1980年代のMTVを連想させる少々レトロな印象を加えていた。

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翌日曜は職場に出て仕事してました。出張がちでいろいろ回ってません……。 毎年このシーズンはそうなりがちですが、観るペースに書くペースが付いていってません。ふむ。

[3482] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Oct 30 11:58:48 2016

先の週末土曜は、体力温存して午後遅めに池袋へ。 FESTIVAL/TOKYO 2017 が始まったということで、 まずはこの長丁場の観劇をしてきました。

東京芸術劇場 プレイハウス
2016/10/22, 16:00-20:40.
Based on the novel Holzfällen by Thomas Bernhard, translated by Monika Muskała.
Adaptation, set and lighting designer and directed by Krystian Lupa.
Cast: Piotr Skiba (Thomas Bernhard), Halina Rasiakówna (Maja Auersberger), Wojciech Ziemiański (Gerhard Auersberger), Marta Zięba (Joana Thul), Jan Frycz (Actor from National Theatre), Ewa Skibińska (Jeannie Billroth), Boźena Baranowska (Anna Schreker), Andrzej Szeremeta (Albert Rehmden), Adam Szczyszczaj (Joyce), Michał Opaliński (James), Marcin Pempuś (John), Anna Ilczuk (Mira – owner of the general store), Krzesisława Dubielówna (Cook).
Premier: 2014-10-23, Teatrze Polskim na Scenie im. Jerzego Grzegorzewskiego

Teatr Polski we Wrocławiu (ヴロツワフ・ポーランド劇場) 制作によるポーランドの演出家 Krystian Lupa の演劇作品。 舞台はウィーン。昔の友人だった女優 Juana がアル中の末に自殺したことをきっかけに、 劇場付きピアニストとクラシックの歌手という Auersberger 夫妻の家でのパーティ「芸術の夕べ」の様子を、 主に20年ぶりに顔を出した作家 Thomas の視点で描いていた。 この物語は元となった小説の作者 Thomas Bernhard の実体験に基づいたもので、登場人物にはモデルとなった人物が実際に存在するとのこと。 Lupa は Bernhard の戯曲を多く取り上げてきているとのことだが、今回の作品は作品を演劇に翻案している。

昼にあった Juana の葬式の様子や、生前の Juana とのエピソードなどが、回転して転換した舞台だけでなく映像も使って途中に差し込まれるが、 パーティの始まりから終わりまでほぼ時間どおり、だらだらと4時間 (途中休憩あり) 展開する。 演劇的な発声を使う時もあるが、ぼそぼそとした発声をマイクで拾うことが多く、そういう演技も映画的に感じられた。 映像を使ったり、回転する舞台装置を使ったり、スタイリッシュに感じる所もあったが、俳優の動きも少なめで、セリフ主導のオーソドックスな演出に感じられた。

国立劇場の俳優が登場してパーティの雰囲気が次第に悪くなっていくとその様も興味深くなったが、 パーティの会話も興味を引かれるものでもなく。 Thomas の視点は「芸術の夕べ」に集う芸術家たちの俗物性を批判するような内容だったが、 舞台は時事的なテーマを絡めることもなくだらだらと進行するので、 むしろ、深夜の酔っ払ってねむくなってグダグダな会話に巻き込まれた John (Juana の自殺時のパートナーで芸術家ではない) の居場所の無さを体感したような気分になった。 「芸術の夕べ」を俗物性を台詞で批判するというより、「芸術の夕べ」の空虚さを実際の4時間を使って観客に体感させるような作品だった。

後半から登場する国立劇場の俳優は、パーティに来る直前に Henrik Ibsen: Vildanden 『野鴨』に出演しており、 老 Ekdal の役作りの大変さを自慢げに話続け、パーティの座を白けさせる。 老 Ekdal って山籠りして作るような役だっかと思いながらその様子を観ていたのだが、 それは Deutsches Theater Berlin 制作 Michael Thalheimer 演出 [レビュー] の印象が強かったからなのか、 そのようなギャップを作家としても意図していたのだろうか。 パーティのホステス Auersberger 夫人は Henry Purcell の歌を得意としているとのことで、 “The Plaint” とか一曲くらい歌うかと期待したのだが、それは無し。 舞台転換の際に “The Cold Song” が (男声の録音で) 使われていた。 実は、あれは Auersberger が歌っていると暗示していたのだろうか。 そういった所が少々引っかかった。

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終演したら21時前。で、翌日曜は朝から一日仕事。さすがにぐったりでした (弱)。

[3481] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Oct 27 1:14:28 2016

先の週末金曜の晩は、仕事帰りに六本木へ。このパフォーマンスを観てきました。

新国立美術館
2016/10/21 21:30-22:00
Année de création : 2013
Metteur en scène: Jean-Baptiste Duperray; Dessins et création des costumes: Géraldine Clément; Création musicale: Serge Besset; Artiste bricoleur: Frédéric Grand; Modélisation 3D: Jean-Marc Noirot-Cosson.
Auteurs: Hal Collomb, Jean-Baptiste Duperray & Géraldine Clément

六本木アートナイト2010に登場したフランスの Compagnie des Quidams [レビュー] が、六本木アートナイト2016に再登場。 金曜土曜の夜に、六本木ヒルズ、新国立美術館、東京ミッドタウンでパフォーマンスした。 そのうち、金曜夜の新国立美術館でのパフォーマンスを観てきた。 今回の演目は曲馬がテーマ。 高さ4〜5m程度になる白馬を象った薄い白い布製のバルーンを送風機で膨らませて操り、 1人の調教師役と6匹の馬役の7名で、ゆったり舞い踊るような曲馬パフォーマンスを見せてくれた。 台車に乗ったPAを先導にバルーンと畳んだ状態で7名が新国立美術館の西門から坂を登り、正門側の正面入口前へ。 そこでバルーンを膨らませて、ゆったりと踊り出した。 その後、正門前へ移動して踊り、再び正面入口前に戻り、そこでバルーンを萎ませ畳み、パフォーマンスは終了した。

人を馬の形にする方法は、獅子舞のように二人組で馬となるものや、 頭から足までを人が扮して胴から後ろ足をハリボテなどで付け加えるものなど、いろいろありうる。 この作品では、後足のみを人の足とし、胴からから前足、頭までをバルーンとして造形していた。 操る人の肩が馬の尻のあたり、そして人の頭が馬の尾となるようになっていた。 前足は折り曲げたような形になっており、 バルーンを水平にすると駆けているようであり、上げると後ろ足で立ち上がったようであり、下げると伏せたよう。 そんな操る人の単純な動きで馬のダイナミックな馬の動きを表現していたのが良かった。 プロジェクションマッピングのような演出は用いず、白いバルーンを内側から光らせる程度。 身体芸として凄い技を見せたわけでなないが、造形のアイデアが良く、シンプルな演出でゆったり美しいパフォーマンスが楽しめた。

カンパニーのサイトの写真にはペガサスを象ったバルーンを宙に浮かせているものもあるが、 新国立美術館のパフォーマンスではそれは無し。 2010年のときも新国立美術館だけバルーンを浮かせなかったので、 東京ミッドタウンや六本木ヒルズでは浮かべていたのかもしれない。 余力があれば東京ミッドタウンでの22時半からの回も観てもいかなと思っていたのだが、 結局観ず仕舞いとなってしまった。

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[3480] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Oct 17 23:50:56 2016

土曜の晩は渋谷宮益坂上へ。この映画を観てきました。

Небесные жены луговых мари [Celestial Wives of the Meadow Mari]
『神聖なる一族24人の娘たち』
2012 / 29 февраля (Russia) / 106min / DCP / color.
Фильм Алексея Федорченко [a film of Aleksey Fedorchenko].

ロシア・沿ヴォルガ地方のマリ・エル [Марий Эл] 共和国の主要民族マリ (旧称チェレミス [Черемис])。 フィン=ウゴル系の言語 (マリ語) を持つ民族で、そのうちマリ・エル共和国東部に住んでいる人々は牧地マリ [луговомарийский] と呼ばれています。 このロシア映画は、その牧地マリのフォークロアを女性を主人公として映像化しています。 原題は『牧地マリの天界の妻たち』の意。 マリ・エル共和国はタタールスタン共和国やチュヴァシ共和国とも接し、周囲にチュルク系の民族も多い地域ですが、 マリの人々はロシア正教化もイスラーム化もせずに伝統的な多神教というか異教 (pagan) を強く残しています。 この映画が扱っているのはそんな異教の、性的な大らかさも残したフォークロアです。

映画化にあたっては、ロシア化・近代化する以前の伝統的な風俗習慣を再現して映像化するのではなく、 伝統的な風俗習慣も残しつつロシア化・近代化を経た現代の人々の生活の中でそのフォークロアを描いています。 画面作りも、オーセンティックな伝統を描くべく深みのある落ち着いたものではなく、むしろキッチュさすら感じられるもの。 それも、フォークロアのいくつかのエピソードを1つの物語として構成して映画化するのではなく、 いかにもフォークロアらしい断片的なエピソードをそのまま映像化していて、 Оで始まる24人の女性をそれぞれ主人公とした24編からなる短編映画集のような構成。 マジックリアリズムのような不条理さは感じられず、 近代化を経た生活といかにもフォークロアな突飛な展開のギャップも幻想的でユーモラス。 断片的なエピソードもあって、異国へ旅をしているというより、不思議な夢を観ているような気分になりました。

監督の Алексей Федорченко [Aleksey Fedorchenko] は2005年デビューのこと。 原案・脚本の Денис Осокин [Denis Osokin] とはこれ以外にも Овсянки (Silent Souls, 2010) という映画を撮っています。 予告編を観た限りでは、作風はかなり異なりそうです。 2人とも、マリ人のバックグランドを持つということは特にないようです。 映画でマリの人々を取り上げたのは、ヨーロッパに残る数少ない異教の人々ということこともあるのでしょうか。 『webD!CE』に掲載された Федорченко インタビューによると、 脚本の Осокин は言語学者、民俗学者でもありマリ出身ということも、この作品を可能としたようです。 (2016/10/19訂正)

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沿ヴォルガ地方のロシア系ではない人々を描いているという所に興味を惹かれて、足を運んでみました。 最近は戦前日本映画ばかり観ていますが、たまには最近の映画を観るのも良いものです。

[3479] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Oct 17 0:49:43 2016

土曜は昼過ぎには三軒茶屋へ。軽くふらっとした後に、キャロットタワーへ。この公演を観てきました。

カンパニー デフラクト 『フラーク』
世田谷パブリックシアター
2016/10/15, 15:00-16:00.
Écriture, Interprétation: Guillaume Martinet (jonglage), Éric Longequel (jonglage), David Maillard (création musicale, régie plateau).
Mise en scène: Johan Swartvagher. Regard extérieur jonglage: Jay Gilligan. Création Lumière: David Carney.
Creé: 2014.

Compagnie Defracto は2008年に活動をはじめたフランスのジャグリング・カンパニー。 出演者のうち Martinet と Maillard は創設メンバー。 Flaque (「水たまり」の意味) は、 ジャクリング・カンパニー Cie Ea Eo で活動していた Longequel を迎えて、2014年に制作された作品だ。 出演したジャグラー2名は Festival Mondial du Cirque de Demain の受賞歴もある程だが、 ジャグリングするボールやクラブの数を増やしたりナイフやトーチをジャグリングしたりと難しさも解り易く技を見せるわけではない。 ストーリー仕立てで見せるわけでもなければ、凝った舞台装置や映像を用いるわけでもない。 むしろ、「これから始めます」などと言いつつ緩くパフォーマンスを展開していくにもかかわらず、 その動きの面白さや展開の意外さ、パフォーマーのキャラ立ちもあって、ぐいぐい引き込まれた約1時間だった。

舞台は高さを客席最前列の床のレベルまで下げられ、袖も後方もむき出しのまま。 白いテーブで約10m四方のスペースを囲み、それを主なパフォーマンススペースとして利用した。 下手後方にテーブルが置かれノートPC等の機材で音楽や照明をコントロールしていた。 ジャグリングに使うのは40個の白いボール (ビーンバッグ) のみ。 投げつけられてばらまかれたボールを Longequel は這いずり回りながら手に収めたり口に加えたり。 そんな Longequel に Martinet は直径50cmほどのスピーカーを持ちBGMを浴びせるようにする。 Maillard はノートPCやフットスイッチ等のコントローラーを使って、物音を拾ってループで回すような electronica。 奇妙で脱力気味の動きのパフォーマンスにぴったりだった。

冒頭のぐったり床に伏した動きや、ブラブラと脱力した腕を使ってのジャグリングなど、 脱力した動きというのが一つの鍵になっていた。 2人で玉を取りあってのジャグリングでも、ボールを取られるとそのまま活力を奪われるかのように倒れこんだり。 脱力して動きがコントロールされていないようで、きっちりコントロールされているという所に、意外性の面白さがあった。 もちろん、脇の下から背越しボールを投げる一つ玉ジャグリングをひたすら続けたり、這いつくばったままの移動など、脱力とはまた違う面白さもあったのだが。

音楽担当の Maillard も舞台下手で淡々とノートPCを操作しているばかりではない。 冒頭にジャグラー2人にボールを投げつける役があるだけではない。 テーブルにジャクラーが倒れ混んでくるわ、 ノートPCは放り投げられるは (ちゃんと受け止められるよう投げられているのがお約束)、 ジャグリングさせられそうになるは (結局、フットスイッチの上にノートPCを乗せて、背面投げで玉を当てさせられる)、 パフォーマンスに巻き込まれていくのも面白かった。

一旦の終演の後のアンコールでは、舞台後方の高くなった所で、 早回しのように約1時間のパフォーマンスをリプリースしたのも盛り上がった。 掴みの解りやすい演出ではなく、その魅力を言葉にし難いものがあるのだが、 まるで演出されていないかのようなミニマリスティックな演出、 確たる技術に裏打ちされたそうと感じさせない脱力したユーモラスな動き、 そして、オフビートなユーモアが楽しめたパフォーマンスだった。

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この土日の三軒茶屋は 三茶 de 大道芸。 地元ですし、Cie Defracto の公演の前後や、日曜に三茶へ週末の買物に出たついでに、軽く流して観たのですが、どうにも盛り上がりません。 比べるものでもないのですが、10月に入って毎週末、海外カンパニーのコンテンポラリー・サーカスの公演を観ているせいか、ダメな所がどうしても目についてしまいます。 うーむ。こういう時もあるでしょうか。 そういえば、日曜の午後、通りがかりの太子堂小学校で Yumirko というスペイン人男性と日本人女性のデュオを初めて観ました。 最近は大道芸フェスでエアリアルを演じる日本人パフォーマーが増えたなあ、と、感慨深いものが。

それにしても、秋のシーズンとはいえ、この秋はコンテンポラリー・サーカスの公演が多過ぎます。 10月最初の週末は Camille Boitel、翌週末は Adrien M / Claire B。 今週末は CirkVOST と Cie Defracto と2本観て、 来週末は Cie des Quidams @ 六本木アートナイト、 再来週末は Philippe Decouflé / Cie DCA @ 彩の国と続きます。 その翌週、11月頭 大道芸ワールドカップ in 静岡 です。 コンテンポラリー・サーカスは大好きですが、毎週末ともなるとキツいです。 もう少しばらけたスケジュールで公演してくれないものかと……。

[3478] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Oct 16 20:45:26 2016

金曜晩は仕事帰りに新豊洲へ。このパフォーマンスを観てきました。

シルク・ヴォスト 『エピシクル』
新豊洲特設会場
2016/10/14, 19:30-20:40.
Conception et Réalisation Structure: Patrick Clody - Side Up Concept; Mise en scène: CirkVOST et John Paul Zaccarini; Œil extérieur: Pierre Pilattel; Création musicale: Antonin Chaplain et Nicolas Forge; Création lumière: Wilfried Schick; Costumes: Solenne Capmas.
Trapézistes: Benoît Belleville, Arnaud Cabochette, Melissa Colello, Jean Pellegrini, Sara Sandqvist, Cécile Yvinec, Elie Rauzier, Sébastien Bruas, Stéphane Bourdeau; Riggers en scène: Yvan Bringard, Remy Legeay Musiciens: Nicolas Forge.
Creé: 2010.

CirkVOST は南仏オクシタニアのアレス (Alès) 近郊 La Grand Combe を拠点に活動する空中ブランコを得意技とするサーカス・カンパニー。 結成は2007年、その前身となるカンパニー Les Arts Sauts を含めると1993年から活動しているが、もちろん観るのは初めて。 テント公演が通常の上演形態のようだが、今回は埋立地の広い空地を使っての野外公演 直径20m、幅5mはあろう大きな円形の足場を立てて、その両側に客席を並べていた。 地上の舞台はなく、足場の上にもフラットな舞台状のスペースは無い。 パフォーマンスはその円形の足場の上と、円の中の空間を使い、ひたすら空中芸のパフォーマンスを1時間余り繰り広げていた。 空中芸といっても布 (tissue) の類は無し。ロープ (rope) は使ったが、メインは空中ブランコ (trapéz)。 それもブランコの上で静かに踊るタイプのものではなく、 ブランコを大きく振ってのアクロバットで、ハンドトゥハンドで飛び移ったりもする、ダイナミックなものだ。 そのパフォーマンスも迫力があったが、伝統的なブランコの形状のものは使わずにプランコで使う技を使って円形の足場の内側をパフォーマーが飛び交うようなパフォーマンスも楽しめた。

円形の足場は赤錆色の鉄パイプ製で、そのデザインとパフォーマーの衣装は、steampunk な bande dessinée 風。 音楽は生演奏だったが、繊細な electronica ではなく、musical saw や guitar などの上物も使いつつ、dubstep 風の低音が効いたサウンド。 そんな美術・衣装や音楽で世界観に統一感を出していたし、 途中で円形の足場の内側に足場となるフレームをワイヤで空中に固定したりと舞台装置にも変化を付けるなど工夫していた。 しかし、観ていて次はどうなるんだろうという展開が感じられなく、個々の技がぶつぶつに続いていたような印象。 1時間余りひたすら空中芸というのも凄いし、ビジュアルも音楽も好みだったのだが、展開が単調だったのが惜しい。

今回はVIP席ということで円形の足場の間近でリクライニングシートに横になって見上げるように観ていた。 ほとんど真下から空中を人が飛び交う様は迫力満点だが、全体としての人の配置、構成が分かりづらかったのも確か。 円形の足場を横に見る引いた位置から観た方が、展開が楽しめたかもしれない。 もしくは、音響や照明の効果が高いテント公演バージョンであれば、展開がもっと丁寧に描かれていたのかもしれない。 そんなことも思った公演だった。

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まだ十月ですが日が暮れると野外は冷えますね。テント公演かと思っていたこともあり、油断しました。 それにしても、会場が仮設過ぎて殺伐としてるとか、告知か悪くて集客が酷いとか、作品以前のレベルでいろいろ大丈夫かと思ってしまいます。 ウェブサイトの作りが、コンテンポラリー・ダンス等のアート的なものであればそういうもんだろうという覚悟で臨むのですが、 Cirque du Soleil 風のエンタテインメント的なものだったのでそういう会場作りかと思いきやそうでなく……。 そんなにマメに情報をチェックしているわけではありませんが、フライヤ等をほとんど見かけません。 Sutra や Dance New Air の公演でもらったフライヤの束の中にも、CirkVOST のフライヤはありませんでしたし。 これって、大きな機会損失のような……。

公演の前に少々時間があったので、銀座を軽く画廊巡り。 Ginza Maison Hermès Le Forum では Michel Blazy: Living room II。 草を生やしたり、動物の痕跡を使ったり、滲みが広がる様を作品にしたり。 working in progress なインスタレーションは食傷してるのだけど。 コンセプトはさておき、このビジュアルはちょっと好みかも、と。

ギンザ・グラフィック・ギャラリーでは、 ノザイナー 『かたちと理由』 (Nosigner: Reason Behind Forms)。 あの『東京防災』を手がけた 太刀川 瑛弼 のデザイン事務所の展覧会。 他にどんな仕事をしてきているのかなという興味で足を運んでみたのですが、やはり『東京防災』が圧倒投擲な存在感。 2006年設立ということで、まだ仕事の数は多くないのかしらん。

[3477] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Oct 13 1:04:04 2016

日曜の午後、表参道でダンスを観た後は徒歩で渋谷へ。この展覧会を観てきました。

Black Absorb Pol
カーステン・ニコライ 『黒の世界』
渋谷西武店A館7階 特設会場
2016/10/04-10/16 (8/31休), 10:00-21:00 (日祝10:00-20:00,最終日10:00-17:00)

1990年代後半から electronica のミュージシャンとして Alva Noto 名義で活動している ドイツのミュージシャン Carsten Nicolai は、 本名名義で現代美術の文脈でも音や映像によるインスタレーション作品を制作している。 日本でも度々展覧会に参加しており [関連レビュー]、 その作品を観る機会はそれなりにあった。 今回の個展はデパートの特設会場でのもので、売場の一角を使っての展示かと思いきや、入口も設けて隔離されたスペースを作っての展示だった。

メインの作品は “reflektor distortion”。 それぞれ白と黒に塗られた直径2mはあろ浅いパラボラ (回転放物面) の金属板が2枚、下に凸となるように置かれ、中央に薄く水が張られていた。 パラボラは回転軸を軸に回転しており、遠心力と摩擦で水は歪みながら中央を凹ませ広がっていた。 回転速度は変化しているため水の広がりや歪みは絶えず変化し、 パラボラの裏面に付けられたスピーカーが発する可聴音以下の低音が、時折、水面にさざ波を立てていた。 背景の壁はそれぞれパラボラの色と反対となるように白と黒に塗られ、蛍光灯が縦縞のように並べられていた。 水面に映る蛍光灯の光の縦縞の歪みが、水面の歪みを際立たせていた。 色彩を抑えたシンプルな形状のセッティングで水面の歪みを際立たせるミニマリズムが美しく、 つい水面を見続けてしまうような作品だった。

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デパート展覧会だろうと期待しておらず、渋谷に行ったついで行ったので、ちょっと得した気分。 侮らずに足を運ばないといかんなあ、と反省。

晩はいきつけのジャズ喫茶でのんびり。 体育の日の月曜は秋晴れを期待したのですが、曇りの一日。 9月は雨続きだったので布団干したりしたかったんだけどなあ、と。 気を撮り直して、懸案となっていた服、帽子や靴の夏冬入れ替えをしたり、シンクや風呂の掃除をしたり、と、過ごしたのでした。

[3476] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Oct 12 0:56:01 2016

日曜の午前は本降りの雨で出かける気分を削がれていたのですが、昼には表参道へ。

表参道界隈で開催されている バイアニュアルのダンス・フェスティバル Dance New Air から この2つの公演を観てきました。

東京ウィメンズプラザホール
2016/10/09, 13:30-14:10.
Conception, direction artistique, scénographie et mise en scène: Claire Bardainne & Adrien Mondot.
Danse: Satchie Noro.
Interprétation numérique: Jérémy Chartier; Interprétation sonore: Clément Aubry.
Creé: 2013.

物理エンジンを使ったインタラクティヴなアニメーション映像のプロジェクションとダンスの コラボレーションで知られるフランスのカンパニー Adrien M / Claire B。 アニメーションのソフトウェア eMotion を開発した Adrian Mondot はジャグラーでもあり、 2012年に観た Coïncidence [レビュー] では、 ジャグリングの動きとアニメーションとのインタラクションだった。 今回の Hakanaï では透明なスクリーンで4面を囲まれたスペースを作り、 アルファベットのタイポグラフィ・アニメーション、グリッド線や雨が降るような模様、ランダムなドットが投影された。 中に入った女性ダンサーが踊りながら手先でアニメーションを煽ると、アニメーションもダンスで生じた気流に乗ったかのようにたなびいていく。 白黒に色を抑え抽象度高いアニメーションを使ったミニマリスティックな演出もスタイリッシュで綺麗だった。 しかし、ジャグリングのような精度高い動きでは、物理エンジンを駆使しないとそれらしい玉と人の動きのインタラクションとならないだろうが、 Hakanaï のダンスの場合はそこまでではなかった。 予め作った映像を作ったダンス公演との差がたいして感じられなかった所が惜しく感じられた。 ちなみに、ダンスは 梶原 暁子 の出演の予定だったが、直前に健康上の理由により出演することができなくなり、Satchie Noro の代演となった。

向井山 朋子 『La Mode(ラ・モード)』
スパイラルホール
2016/10/09, 15:00-16:00.
Concept, Artistic Direction: Tomoko Mukaiyama.
Composition: Yannis Kyriakides; Choreography: Dunja Jocic in cooperation with Spellbound dancers; Set Design: Toyo Ito & Associates, Architects, Yoko Ando; Costume Design: Slavna Martinovic.
Performance: Tomoko Mukaiyama (piano), Spellbound Contemporary Ballet, Sarah Murphy (dance)
Dancers of Spellbound Contemporary Ballet: Fabio Cavallo, Maria Cossu, Claudia Mezzolla, Giuliana Mele, Violeta Wulff Mena, Giovanni La Rocca, Mario Laterza, Giacomo Todeschi, Serena Zaccagnini.
Premiere: September, 2016 National Taichung Theater (Taiwan).

アムステルダムを拠点に主に現代音楽の文脈で活動する piano 奏者 向井山 朋子 だが [関連レビュー]、 最近は現代美術のインスタレーションや、そこでのパフォーマンスを作品として制作することも増えている。 今回は、イタリア・ローマの Spellbound Contemporary Ballet のダンサーを使ってのインスタレーション・パフォーマンス。 吊るされた白い布の筒とgrand piano、そして、黒い袋が所々に落ちたているだけの何もない黒いスペースに観客は通される。 やがて黒い袋が動き出し、中から 向井山 とダンサーたちが現れる、 向井山の piano の演奏と若干の電子音に合わせて、観客たちの合間で、時には舞踏的にすら感じられる引きつったようなダンスを繰り広げた。 テーマは「モード」ということで、特に、haute couture (高級注文服) や prêt-à-porter (高級既製服) の 高級ファッションの約束事を俎上に上げるようなパフォーマンスだった。 そんなテーマよりも、触れんばかりの距離で踊るダンサーの印象が強烈。 小さなスペースでの公演でも同程度の距離感で観ることはないわけではないが、 服を脱ぎ捨て一見裸に見えるような肌色の衣装となっての引きつったような動きもあってか、 強烈な生々しさが感じられた公演だった。

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平日の晩は予定を入れづらいのでちゃんとチェックしていなかったのですが、 Dance New Air 2016 にラインナップされていた チェコの VerTeDance: Correction、 音楽が Clarinet Factory で、生演奏でミュージシャンも来日していたことに、今更ながら気付きました。 見逃し痛恨。

[3475] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Tue Oct 11 0:25:18 2016

土曜は午後に青山へ。それから夜22時近くまでこのライブを観ていました。

Jazztreffen 2016
東京ドイツ文化センター
2016/10/10 15:00-22:00
Vilde&Inga, Monkey Plot, Sun Trio, Shalosh, Mats Eilertsen & Frode Haltli, Rainer Brüninghaus.

Jazztreffen は東京ドイツ文化センター主催のドイツおよびその近隣諸国のアーティストを招聘するジャズフェスティバル。 去年は日程が合わず Cyminology しか観に行かれなかった。今年のメインは10月8-10日の集中開催。 特に興味があったのはノルウェーのミュージシャン達だったが、いろいろ観る良い機会だろうと、最終日に丸一日観てきた。

2016/10/10 15:00-
Vilde Sandve Alnæs (violin), Inga Margrete Aas (doublebass).

2014年に Makrofauna (ECM, ECM2371, 2014, CD) をリリースしたノルウェーのデュオ。 アルバムでも聴かれるような、ボディをアルコで擦るなど特殊奏法を駆使した音響的な即興演奏を2曲ほど演奏した。 どちらも小柄な女性で、カジュアルな服装もあって子供っぽく見えるほどだったのは意外。 そんなこともあって、強面の音響の即興というよりも、ポロロンというピチカート音もお茶目に感じられる演奏に聴こえた。

2016/10/10 15:30-
Christian Skår Winther (acoustic guitar), Magnus Skavhaug Nergaard (doublebass), Jan Martin Gismervik (drums).

Hubro からアルバム2タイトルをリリースしている ノルウェーのアコースティックな jazz/improv のトリオ。 去年も来日していたが、ライブを観るのは今回が初めて。 今回は 阪東 妻三郎 主演のサイレントちゃんばら映画 『逆流』 (二川 文太郎 (dir.), 東亜キネマ等持院, 1924) を上映しながらの演奏だった。 ちゃんばら映画に合わせたのか、疾走感あるロック的なビート感を持った演奏で約20分。 それも、post-rock 的というより、1980sから活動していた Pell Mell などを思わせるインストゥルメンタルの alt rock のよう。 背景に映画を上映しているものの、映画の展開に合わせて曲調を変えることはなく、ほとんどBGV同様の扱いだった。 画面の小ささに演奏もあって、映画の世界に入れるどころか、逆に、映画の話が追えなくなってしまった。 『逆流』は名作『雄呂血』 [鑑賞メモ] の前年にほぼ同じスタッフで制作された映画。現存する数少ないサイレント時代の阪妻映画なので、 映画の世界に誘うような弁士・伴奏付きで見直したいものです。

2016/10/10 16:15-
Jorma Kalevi Louhivuori (aka J.K.L.) (trumpet, piano, electronics), Olavi Louhivuori (drums), Mikael Saastamoinen (bass).

2008年以降 CAM Jazz からアルバム4タイトルをリリースしているフィンランドのトリオ。 trumpet の音を looper, reverve 等 live electronics で加工しての、ある意味 “nu jazz” 的なライブだった。 しかし、ライブということもあるのかもしれないが、リズム隊が post-electronica の細かく刻むようなものではなく、 むしろ rock 的、fusion 的に感じる時が多かった。 Olavi Louhivuori は、Tomasz Stańko や Sussane Abbuehl、Mats Eilertsen のバンドのメンバーとして ECM のアルバムにも参加しており、 そこでのような繊細な演奏を期待したのだが、バンドのコンセプトが違ったようだ。

2016/10/10 17:30-
Gadi Stern (piano), David Michaeli (doublebass), Matan Assayag (drums).

2014年にデビューしたイスラエルを拠点に活動する piano trio。 手数を多めの強く華やかな piano の音を駆使し、時に rock マナーにラウドにリズムを刻む、 The Bad Plus などを連想させるトリオだった。 CDショップの売場構成からある程度は想像していたが、この日のラインナップの中で最も観客が多く、 piano trio の人気を見せ付けられたよう。

2016/10/10 19:15-
Mats Eilertsen (doublebass), Frode Haltli (accordion)

ECM、Hubro といったレーベルにリーダー作を残している他、2000年前後から多くのノルウェーの jazz/improv のアルバムに参加している2人によるデュオ。 共に以前の来日でライブも観たことがあるが、バンドのメンバーとしてではなくデュオのような形でじっくり演奏を聴くのは初めて。 スコアでテーマ等は決めていたようだが旋律を奏でるというより、特殊奏法も駆使して一つ一つの音のテクスチャを丁寧に聴かせていくよう。 そんな演奏の中から時折旋律が浮かび上がり、抽象的な音空間から抒情が湧き上がってくるよう。 あっというまの1時間弱で、このデュオのみの単独ライブを観たくなった。

予定では Håkon Kornstad Trio だったのだが、直前になって Håkon Kornstad が出演しないこととなり、残りの2人でのライブと変更となった。 Håkon Kornstad のライブも観たことがあるが [レビュー]、今回観られなかったのは残念。 この日の中でベストと思うほどデュオでの演奏は素晴らしかったが、それだけに Håkon Kornstad も加わってどうなっていたのだろう、とも思う。 その一方で、2人にとっても快心の演奏だったようで、 ライブの後、Haltli も「たぶん、再び Eilertsen でコンサートがあるだろう」とのこと。 このデュオでの活動が発展していくとこを期待したい。

2016/10/10 20:45-
Rainer Brüninghaus (piano)

リーダー作は多くないものの、 1970年代に Volker Kriegel や Eberhard Weber のグループのメンバーとして、 1988年以降は Jan Garbarek Group のメンバーとして活動を続ける ドイツの piano / keyboard 奏者 Rainer Brüninghaus のソロ。 さすがに、立ち振る舞いにも大物感があり、客の入りも Shalosh に次いで良かった。 Brüninghaus の参加したアルバムはいろいろ聴いてきているが、 録音も含めて piano のソロを聴くのは初めて。 最初は semi-classical な演奏でいかにもそれらしいと思ってたら、 時代にノリのいい ragtime 風の演奏になっり、そういうテイストもあったのかと気付かされた。 抒情的な展開からノリの良い演奏までメリハリもあり、サイレント映画の伴奏のようにストーリーが見えるようだった。 アンコールに2回応じるなど、60代後半という歳を感じさせない演奏だった。

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15時前から22時近くまで、休憩を入れて約7時間。さすがに疲れました。 というか、会場は多目的スペースに簡易な椅子を並べただけですので、腰にきました。 ドリンクバーはありましたが食事はなく、近所にコンビニ程度しかなく、 休憩の長さからいっていったん夕食に出るのも難しいという……。 Mats Eilertsen & Frode Haltli のような素晴らしいライブもあって良かったのですが、 一日入り浸るのではなく絞って観た方が楽しめたかもしれないと、反省したのでした。うむ。

[3474] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Oct 10 21:22:29 2016

金曜の晩はたいてい渋谷の行きつけのジャズ喫茶。途中で一旦抜け出して宮益坂上へ。 バイアニュアルのダンス・フェスティバル Dance New Air の ダンス映像作品特集上映「ダンスフィルム:コレオグラファーズ・アット・ワーク」からこのビデオを観てきました。

Dance and music - traditional & contemporary
2016 / Centre National de la Danse (France) / 47min.
Sons of Sissy, Simon Mayer, 2016; JINX 103, Jozsef Trefeli et Gabor Varga, 2014; FOLK-S, Alessandro Schiarroni, 2012; Colin Dunne, Soirée Découvertes « Danses Partagées », 2014; D’après une histoire vraie, Christian Rizzo, 2013; 9000 pas, Joanne Leighton, 2015; BIT, Maguy Marin, 2014; Sacre #2, Dominique Brun, 2014; Danses de Sardaigne filmées par Francine Lancelot, 1983; Technique Katherine Dunham et danses martiniquaises filmées par Katherine Dunham en 1936; Nkululeko, Compagnie Via Katlehong, 2009; Colin Dunne & eRikm Project, 2016.
Compilation program edited by Cinémathéque de la Dance

フランス Centre National de la Danse のシネマテークによる「伝統と同時代」をテーマとした ダンス映像集。 画質も悪く、作品全体を捉えたものではなく短い抜粋も多く、断片的でとりとめなく物足りなく感じました。 低画質低音質で良いのであれば家で YouTube や Vimeo の動画で観られるものも少なくないので、その点は残念。 そんな中では、Riverdance で有名となった Irish dance のイデオムを使った Colin Dunne や、 Alessandro Sciarrani: FOLK-S [Vimeo] のような、 ヨーロッパのフォークダンスの身体語彙を現代的なミニマリズムで取り出したようなダンスが印象に残りました。 Steve Reich: Drumming をフォークダンス化したかのような Joanne Leighton: 9000 pas [Vimeo] も気になりました。

ビンテージ映像関連では、 サルディーニャの山中でテノーレ節に合わせて踊る様子様を捉えた Danses de Sardaigne は画質最悪で、 テノーレ節の映像であればもっと良いのがあるでしょうに、むしろ Francine Lancelot が撮影したものであるということが重要ということなのでしょうか。 その一方、マルチニークの Katherine Dunham はクレジットでは1936年撮影とされてますが、トーキー初期にしては画質音質がかなり良いのに驚き。 カリブ地域のビンテージ映像集DVD Mirror to the Soul [レビュー] にも登場します。 そのDVDには無いインタビューなどがありましたが、一部重なりがあったようにも思われました。 どちらも抜粋なので、全体としてどんな映像が残っているのか、気になりました。

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[3473] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Oct 9 10:44:59 2016

水曜の晩は神保町へ。 神保町シアター『吉屋信子と林芙美子 女流作家の時代』が始まっています。 というわけで、さっそく戦前の乙女映画を観てきました。

『花つみ日記』
1939 / 東宝京都 / 白黒 / 73min.
監督: 石田 民三.
高峰 秀子 (篠原栄子), 清水 美佐子 (佐田みつる), 葦原 邦子 (梶山先生), etc

あらすじ: 東京から大阪の女学校へ転校してきた 佐田 みつる は、 浅草生まれで宗右衛門町の舞妓の置屋の娘という同級生 篠原 栄子 こと栄ちゃんと仲良くなる。 しかし、歌が上手くて女学生たちの憧れの 梶山先生 をめぐって仲違いし、二人は絶交してしまう。 その直後、栄ちゃんは女学校をやめて舞妓になってしまう。 休日に家族と行った信貴山で、みつるは舞妓姿の栄ちゃんと偶然遭うが、言葉も交わさず栄ちゃんは走り去ってしまう。 その後、栄ちゃんは病に臥せってしまう。 みつるの兄に召集が来たときいて、栄ちゃんは病をおして街中で千人針を募り、梶山先生に託す。 みつるは梶山先生に連れられ栄ちゃんを見舞い、二人は仲直りする。

原作は雑誌『少女の友』連載の少女小説 吉屋 信子 『天国と舞妓』。 当時15歳の 高峰 秀子 が主演し、戦前の乙女映画の最高峰という評判の作品で、観ておきたいと思っていました。 若干の違和感も覚えたものの、女学生2人の友情 (というかエスな関係) を丁寧に描いた乙女映画という期待に違わぬ映画でした。

主演の 高峰 秀子 も生々と好演していますが、ショートヘアもクールで可愛らしい 清水 美紗子 の方が、 そして、憧れの先生を演じた 葦原 邦子 が良かったな、と。 葦原 邦子 を意識して観たのは初めてですが、中原 淳一 夫人で、宝塚歌劇団の男役として人気で、愛称「アニキ」だったという、 いかにも乙女映画向けのバックグランド。 二人が仲良くなるエピソードの中には、中原 淳一 の絵を一緒に観る場面もありました。

『小林かいち展』を観たばかりということもあって [鑑賞メモ]、 かいちの絵葉書・絵封筒を買ってたのは、こういう女学生たちだったんだろうなあ、と思いながら観ました。 小林 かいち の描く和装の女性は「だらり帯」が多かったのですが、 栄ちゃん、みつるの普段の和装も帯をだらりと垂らすもので、 舞妓になった栄ちゃんの帯の結び方は かいち の絵の通りの「だらり帯」。 キリスト教徒ではないけど教会へ日曜礼拝へ一緒に行くというエピソードがあるのですが、 そこで映し出される玉造教会の聖堂も、かいちの教会モチーフと被って見えました。

舞台が大阪だったというのも、新鮮でした。 玉造教会はもちろん、舞台として使われた大阪女学院 などのモダンな建築、 そして、栄ちゃんの住んでいた 宗右衛門町 の伝統的な木造の街並み、など大阪大空襲で失われた大阪の街の様子がうかがわれるよう。 東宝京都の制作というのもあるのか、自然に感じられました。 単にエピソードやモチーフに時代の雰囲気を感じただけでなく、 女学生が並んで歌いながら校庭を掃除している様子を校舎の上階から俯瞰する画面といい、 宗右衛門町の置屋や梶山先生の住んでいる商家の木造の屋敷内を広く捉える画面といい、 モダニズム的な美しい画面も印象に残りました。

女学校学園物の戦前日本映画といえば、清水 宏 (dir.) 『信子』 (松竹大船, 1940) もあります。 『信子』ではエスな関係は描かれませんが、どちらも当時の女学生のモダンなライフスタイルをスタイリッシュな映像で捉えていて、共通するものも少なからずあります。 比べてみると、『花つみ日記』の栄ちゃんの置屋の娘という設定に少々違和感を覚えました。 『信子』では、女学校に赴任した信子は置屋への下宿を咎められ寮監となります。 日本初の女性弁護士誕生をうけて作られた 佐々木 康 (dir.) 『新女性問答』 (松竹大船, 1939) では、 姉が芸者をしていることを理由に主人公 志賀 時代 は大学女子部の同級生から仲間はずれにされます。 戦前のメロドラマ映画では、家の貧しさのために芸者に身を売ったり生活のために女給になるという話が多いわけですが、 栄ちゃんが舞妓になる理由はそういうわけではありません。

原作を読めば何か判るかもしれない、と、原作とされる短編小説『天国と舞妓』を読んでみて、 登場人物やその設定の一部を使っているものの、全く別の話だということに気づきました。 原作は みつる が主人公。梶山先生は出てきませんし、千人針のエピソードはありません。 みつると栄ちゃんは教会の日曜学校で知り合って友達になった小学校の同級で、 みつるは女学校に進学する一方、英ちゃんは父親が病気のために進学せずに舞妓に身売りし、最後はお座敷で客に刺し殺されてしまいます。 子供の頃に仲良くした友達が家の貧富の差によって全く違う人生を歩むことになってしまう、という話でした。 むしろ、原作の短編小説の方が戦前メロドラマ映画によくありそうな話で、 それが映画のように変えられた背景に何があったのか、気になりました。

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[3472] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Oct 5 0:12:31 2016

続けてもう1つCD/DL聴取メモ。欧米で活動するグルド系ミュージシャンを中心するプロジェクトによるアルバムを紹介。

Kayhan Kalhor, Aynur, Salman Gambarov, Cemîl Qoçgirî
Hawniyaz
(Harmonia Mundi / Lattitudes, HMC905277, 2016, CD)
1)Delalê 2)Rewend 3)Xidirê Min 4)Malan Barkir-Bêrîvanê 5)Ehmedo - Ez Reben Im
Recorded at Fattoria Musica Sounds, outside Osnabrück, late summer 2013. Mixed by Walter Quintus, 2015.
Kayhan Kalhor (kemancheh), Aynur (voice), Salman Gambarov (piano), Cemîl Qoçgirî (tenbûr).

Yo-Yo Ma の Silkroad Project などで知られるクルド系イラン人 kamancheh 奏者 Kayhan Kalhor [レビュー]、 トルコ・イスタンブールの Kalan レーベルからのデビュー作 Keçe Kurdan (Kalan, CD293, 2004, CD) の鮮烈だったクルド人女性歌手/ソングライター Aynur [関連発言]、 1996年以来 ney をワンホーンとする4tet Bakustic Jazz を率いて活動するアゼルバイジャン出身の piano 奏者 Salaman Gambarov、 ドイツ生まれのアレヴィー派のグルド人 tenbûr 奏者 Cemîl Qoçgirî。 そんな 4tet Hawniyaz のアルバムだ。

中東で広く使われる擦弦楽器 kemancheh とクルドの lute 属の楽器 tanbûr を用い、 Aynur 作の “Rewend” を除きクルド、イランの旋法の伝統的な曲を演奏しているが、伝統的なスタイルで演奏しているわけではない。 4人を結びつけているのはむしろ jazz/improv 的なもので、それが最もよく判るのが Gambarov の piano だ。 Bacustic Jazz ほど jazz のイディオムは強くなく、音数少なめに classical に響かせる演奏だ。 それに合わせて kemancheh や tanbûr も音を丁寧に選ぶような演奏で、リバーブの効いた録音もあって、疎ながら奥行き感のある音空間を作りだしていく。 時に piano / violin / guitar のようにすら感じる端正な演奏に、Aynur の少々物悲しさも感じるコブシの効いた詠唱が乗る、実に美しいアルバムだ。 このミニマリスティックなプロダクションは、まるで ECM レーベルのよう。

ドイツ・ニーダーザクセン州のオスナブリュック (Osnabrück, NI, DE) では、 2005年以来、Morgenland Festival Osnabrück という、主に classic / jazz の文脈で中近東の音楽と西欧の音楽の共演を試みる音楽祭が開催されている。 ライナーノーツによると、その2012年の音楽祭にそれぞれ別のプログラムで参加した4人が、ある一日の午前にほとんどリハーサル無しで共演したことが、このプロジェクトのきっかけという。 そこで意気投合したが、それぞれ多忙なミュージシャンで話は進まず、翌2013年に再びオスナブリュックで顔を合わせた際に、 この繊細な音楽を録音するのに向いた落ち着いて隔絶された場所を探し、街の外れにあるスタジオで奥音したとのこと。 以来、この4人でヨーロッパで公演を重ね、アンサンブル名も Hawniyaz (クルド語で「皆他の皆を必要としている。我々はそれぞれ他の者のためにそこにいる」という意味の単語とのこと) と呼ぶようになったという。

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近年は音楽趣味が低調で–まあ、趣味生活全般が低調ですが–、ライブからも足が遠のき、新作アルバムもろくにチェックしなくなっていました。 しかし、9月の頭に、偶然もあって続けてライブを観に行ったら、 特に Elina Duni Quartet や Paolo Fresu & Daniele di Bonaventura のライブを観たら、 やっぱり音楽も良いものだなあ、と。 そんな気分に乗って、ライブで観たミュージシャンに限らず、もうちょっと新作にも手を出してみると、 やっぱり良いものもあって、このサイトで紹介したいというモーチベーションも上がってきました。 ささやかながら音楽への好奇心を取り戻したのか、音楽に対して前向きな気分になれたのか。 やっぱり、良いライブを体験するというのは、音楽趣味のモーチベーションを上げる効果てきめんだなあ、と実感したこの一ヶ月でした。

[3471] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Oct 5 0:09:10 2016

2ヶ月余ぶりのCD/DL聴取メモは、シリア出身のミュージシャンによるプロジェクトによるアルバムを紹介。

The Queen of Turquoise
(JazzVillage, JV570123, 2016, CD)
1)Bedaya [Start] 2)The Queen Of Turquoise 3)Helvetica 4)Hamam [Pigeons] 5)11:11 6)Jasmine tree 7)Aleppo MusicBox 8)Ya tha elqawam 9)Waffa
Basel Rajoub (duclar, soprano and tenor saxophones), Kenan Adnawi (oud), Andrea Piccioni (percussion), Lynn Adib (vocals), Feras Charestan (quanun).

Basel Rajoub はシリア・アレッポ生まれで現在はスイス・ジュネーブ在住という saxophone 奏者。 イタリア出身の Piccioni を除きシリア出身のミュージシャンによるプロジェクトは、 “Our Syria” という意味の Soriana と名付けられている。 微分音を含むアラブの伝統的な旋法を用いた半即興半作曲の音楽を演奏している。 Rajoub は jazz の文脈でも活動しているが、このプロジェクトではjazz のイデオムは控え目。 Rajoub は clarinet のダブルリードを付けた duduk 様の管楽器 duclar を主に演奏しており、 saxophone もここでは clarinet のような柔らかい演奏だ。 曲は音数は少なく淡々としたもの。 duduk や clarinet を思わせるソフトな管楽器の音、 oud や quanon の弦の響き、frame drum 等の軽い打楽器の音を、 間合い多めに空間に置いていくような、抽象一歩手前の演奏だ。

伝統的なモードを用いているとはいえ2曲を除き Rajoub の作編曲のインストゥルメンタル曲。 民謡に着想した “Hamam” と20世紀半ばに活躍したアレッポ出身の歌手 Sabah Fakhri の歌をアレンジした “Ya tha elqawam” では、 ダマスカス出身の女性歌手 Lynn Adib をフィーチャーしている (“Hamam” は Lynn の作編曲)。 彼女のリスマも軽くさらりとハイトーンながら落ち着いた歌声は、間合いの大きい楽器の音色を生かした演奏に合っている。 このようなミニマリスティックなプロダクションは、 ECM や ENJA がリリースしてきた folk の要素を取り入れてきた jazz と通づるものがあるし、 中東〜地中海の音楽をアコースティックなアプローチで現代的に解釈した音楽という点で Accords Croisés の試みとも共通している。

ライナーノーツでは、置いてきた祖国の文化的遺産への想いを述べているが、 シリア内戦への直接的な言及は全く無い。 端正な演奏にその想いを感じることができるけど、 淡々とした展開と物悲しい duclar の響きに、内戦による惨状を思い起こさざるを得無いアルバムだ。

Saeid Shanbehzadeh, Basel Rajoub, Naghib Shanbehzadeh, Kenan Adnawi
Sound: The Encounter: New Music from Iran and Syria
(Freer and Sackler Galleries, no cat. no., 2014-09-04, DL)
1)Somraya 2)Ey Shaame [Candle] 3)T’abiyat [Nature] 4)Eshgh Bazi 5)Mina [Harbor] 6)Mawlana 7)Choupi 8)Bida’ya [Start] 9)The Encounter
Recorded live in concert at the Freer Gallery of Art on December 12, 2013.
Saeid Shanbehzadeh (neyanbân (Persian bagpipe), neydjofti (double clarinet), boogh (goat horn), vocals), Basel Rajoub (saxophone, duclar (duduk-clarinet hybrid)), Naghib Shanbehzadeh (percussion (tombak/zarb, darbuka)), Kenan Adnawi (ud).

Basel Rajoub は Soriana Project の The Queen of Turquoise 以外にアルバムのリリースは無いようだが、 アメリカ・ワシントンDC にある Smithonian Institute の2つの隣接するアジアに関する美術館・博物館 Freer and Sackler Galleries の podcast で関係するライブ音源が配信されている。 Soriana Project の Rajoub と Adnawi の2人に、 イラン出身の Saeid Shanbehzadeh と Naghib Shanbehzadeh の2人の、4人によるセッションだ。 Soriana Project でも演奏している “Bida’ya [Start]” なども演奏しているが、それほど淡々とはなしていない。 Rajoub も強く saxophone をブロウすることもあるし、 ライブらしく拍手に乗って演奏することもあり、粗めだが勢いも感じられる。 イランの伝統的な音楽というと setar, kemancheh のような弦楽器や zarb tombak のような打楽器を思い浮かべるが、 ここでフィーチャーされているのは neyanbân というイランの bagpipe。 トルコ黒海地方の tumul [関係レビュー] など、 中東にも bagpipe が分布していることは知っていたが、イランの bagpipe をフィーチャーした音源はかなり珍しい。 そういう点でも興味深いライブ音源だ。

Freer and Sackler Galleries の podcast は、 最後に更新されたのが2015年10月で頻繁に配信されているわけではないが、 他にも Amir ElSaffar Two Rivers [関連レビュー]、 Kayhan Kalhor [関連レビュー]、 Wu Man などのライブ音源が配信されている。 アジアの伝統に根付いた音楽が楽しめる podcast だ。

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[3470] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Tue Oct 4 0:44:10 2016

日曜は午後の散策がてら駒場へ。この舞台を観てきました。

こまばアゴラ劇場
2016/10/02, 14:00-15:00.
振付・演出: 高橋 淳; 音楽: 山中 透.
出演: 磯村 奈未, 小山 柚香, 長屋 耕太, 浜田 亜衣, 三橋 俊平, 久井 麻世.

ex-水と油 の 高橋 淳 (aka じゅんじゅん) のカンパニー じゅんじゅんSCIENCE の久々の東京公演。 観るのも『Triptych』 (こまばアゴラ劇場, 2012) [レビュー] 以来と、5年ぶり近い。 会場が同じで同じで、大道具・小道具の類も無し。照明と大半が電子音のみのミニマルな演出という点も相変わらずで、予想以上に変わっていなかった。 『Triptych』では報道写真に見られるような抑圧、暴力、無抵抗、悲嘆、威圧などの動作やポーズを使っていたのだが、 『街角』ではそれがさらに街を行き交う人々の様子となり、ダンス的どころかマイム的な要素もあまり感じられず、特に前半は単に歩き回っているだけのような展開が多め。 威嚇のようなどひっかかるポーズが無い分だけ、掴み所がなく退屈に感じることも多かった。 しかし、そんな中から歩き回ること自体のリズムが湧き上がってくるようで、音楽のアンサンブルのように感じるときも。 そんなときは、ミニマリスティックな演出といい、マイムというか街ゆく人々の日常的の所作で Rosas っぽいことやっているようにも感じたりもした。

しかし、舞台装置や小道具の類を用いないどころか、日常的な所作が多めのミニマリスティックな演出だからこそ、 ダンサーの身体の癖、能力が見えてきてしまうというのも、また確か。 この人は立ち姿も綺麗で幼いときからダンスを習ってきたんだろうと思わせる身のこなしだな、とか。 この人はふっと背が曲がって姿勢が悪くなることが多いな、とか。 初めて観るダンサーばかりだったが、 後半のデュオやソロを挟んでダンス的に感じる動きが多くなりはじめる頃には、既に自分の中で好き嫌いがはっきりと付いてしまう程だった。 とっかかりの少ないミニマリスティックな演出に半ば退屈したのは確かだけど、 判りやすい技や個性を表出させるような演技をさせていたわけではないのに、 歩き回っている所を見ているだけで身体の癖、能力が滲みだしてしまうものだなあ、と、 そんなとこにも気付かされたパフォーマンスだった。

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前の日曜に体調を崩して以来、なかなか戻りません。 日曜は他にも気になるイベントがあったのですが、体調からして楽しめる気がしなかったので、 昼公演を軽く覗く程度にとどめ、休養に専念したのでした (弱)。

[3469] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Oct 2 23:53:39 2016

池袋の後、土曜の晩は、渋谷でこの舞台を観てきました。

オーチャードホール (渋谷)
2016/10/01, 19:00-20:10.
Choreography: Sidi Larbi Cherkaoui; Music composition: Szymon Brzóska; Set design: Antony Gormley.
Dance: Sidi Larbi Cherkaoui, monks from the Shaolin Temple.
Live music: Alies Sluiter (violin), Olga Wojciechowska (violin), Laura Anstee (cello), Coordt Linke (percussion), Szymon Brzóska (piano).
Assistant choreography: Ali Ben Lotfi Thabet, Satoshi Kudo [工藤 聡], Damien Fournier, Damien Jalet.
A Sadler's Wells production
Premiere: 27 May 2008, Sadler's Wells.

Sidi Larbi Cherkaoui はベルギーのダンス・カンパニー Les Ballets C de la B の中心メンバーとして2000年から作品制作を始た振付家 / ダンサー。 2008年に Sadler's Walls のアソシエイト・アーティストに就任し、初めて手がけた作品がこの Sutra 『空间』だ。 巧夫 (カンフー。日本の少林寺拳法ではない) で知られる中国河南省の禅寺 嵩山少林寺の僧侶を子供1人を含む21名フィーチャーし その演武を舞台作品化ものとして当時話題になり [The Guardian のレビュー]、 それ以来一度生で観てみたいと思っていた作品だった。 初来日の Akram Khan との Zero Degrees [レビュー] など Cherkaoui の作品を観たことはあったが、 この規模の作品を観るのは初めて。その点でも、観るのを楽しみにしていた。

最も興味を引いたのは、Cherkaoui とのコラボレーションを続けている Gormley による舞台美術。 半ば抽象化された人間像のような立体作品で知られる Gormly だが、ここでは抽象的。 厚さ15mm程の合板でできた60cm×60cm×180cm程の長面が1つ開いた棺桶様の箱20台と、同サイズの金属製の箱1台を使い、 それをパフォーマー自ら動かして様々な形に並べながら、パフォーマンスを繰り広げた。 並べられた棺やチェスの駒のように、舞台前面にそびえる城壁のように、舞台奥の棚のように、開いた花のように、瓦礫の山のように、その姿が変わっていく。 それも、舞台下手に箱のミニチュアがあり、Cherkaoui や子供の僧侶がミニチュアを動かし並べ直すと、 それに合わせるかのように大きな箱も動かされ並べ直される、という演出が作品を通してされていた。 例えば、子供がミニチュアをドミノ倒しにすると、その後にパフォーマーが入った箱もドミノ倒されていくという。

このような、ミニチュアを動かすとそれに操られるかのように人や物が動くという演出は、マイムでよくあるものだ。 カンパニー・デラシネラ の – それ以前の 水と油 のときから – 作品の一部でお約束のようにこのような演出が使われる。 そもそも、パフォーマー自ら箱を動かしながら様々な形態、空間を作りだして演じていくという所からして、 水と油 『移動の法則』 [レビュー] の後半、 白壁を動かしながらのパフォーマンスを思い出させられた。 簡単な道具とパフォーマー自身の動きで空間を作りそれを動かすことにより空間を変化させつつ演じていくというのは、 例えば Simon McBurney / Complicité の演出でも見られるものであり [レビュー]、これもマイムでよく見られるものだ。 Sutra の20台の木箱の使い方には、例えば、コンテンポラリー・サーカス Vaivén Circo: Do Not Disturb [レビュー] での様々に組み合わせて使われた弧状の箱4つ、ちょうど直前に観た Camille Boitel / Compagnie L'Immédiat: L'homme de Hus [レビュー] で大量に使われていた木製のテーブル脚様のもの、など、 コンテンポラリー・サーカスとの共通点を見ることもできるだろう。

Sutra の功夫の演武以外の部分は、コンテンポラリー・ダンスというよりも、 London International Mime Festival 等にプログラムされそうなコンテンポラリー・サーカス/マイムの作品のよう。 そんなことを思いながら終演後に公演パンフレットに目を通していて、 演出アシスタントのうち Ali Ben Lotfi Thabet と Damien Fournier の2人は フランスの国立サーカス学校 CNAC (Centre national des arts du cirque) 出身だと知り、納得することしきり。

そんなコンテンポラリー・サーカス的に感じられたパフォーマーと箱によるパフォーマンスを楽しんだが、 もちろん、迫力満点の功夫の演武も堪能した。 フロアを走りながら、箱の高さを使いながら、並んで順に技を繰り出していくのも良いが、 中盤の杖を使った殺陣のような乱闘の場面、ラストの功夫演武の群舞は、圧倒的だった。 演出アシスタントの一人、工藤 聡 は格闘映画の俳優・監督で知られる 千葉 真一 が設立したアクション俳優の事務所 JAC (Japan Action Club) 出身とのこと。 功夫演武の舞台作品化には格闘映画の演出のノウハウも生かされているのだろう。

音楽は生演奏。 Zero Degrees の時と同様、 舞台後方の半透明な白い幕の裏側で、時に照明でその姿を浮かび上がらせつつの演奏だった。 功夫演武だが中国をイメージさせるような楽器や音階は用いず、 piano や violin の音色に percussion (drum set を組んでいた) リズムもあって室内楽的な jazz rock。 抽象度高い舞台美術と合わせて、功夫演武を異国趣味的なものではなく動きの強さ面白さとして引き出していた。 Zero Degrees の時はセリフもあって伴奏的に感じられたが、 Sutra では生演奏ならではの功夫演武と音楽の一体感。 音楽が録音だったら、演武と関係なく背景にダラダラと流れるBGMのようになってしまっていただろう、と。

ミニマルな箱が作りだす多様な形態、強烈な功夫演武と、それと一体となった音楽という、 パフォーマー、舞台美術、音楽が一体となって動くような舞台を堪能した1時間余りだった。

一点残念だったのは、会場のオーチャードホールは客席が平坦で舞台を真横から見るような形になること。 奥行き方向が見辛く、舞台上の配置が判りづらいというだけでなく、 箱を並べて台のように使うと奥行き方向の並べ方や上面の様子がまるで判らないという。 オーチャードホールはダンス公演向きではないと以前から感じているのだが、今回改めて実感。

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以前から観たいと思っていた作品だったので、 チケット発売早々、前方中央の「アクロバット席」なるものを押さえました。 「アクロバット席」って何が違うのだろう、間近までアクロバットが迫ってきたりして、 ひょっとして「水かぶり席」みたいなものだったりして……、などと妄想していたのですが、 なんのことはない、スポンサーのベルギービールバー Brussels の 店オリジナルの瓶ビールが特典に付くというだけでした。 ベルギービールは好きなので特典自体はありがたくいただきましたが、何が「アクロバット」やら。

土曜の晩は、宴会にも誘われていたのですが、体調不良で舞台2本観るだけで精一杯。 直帰して臥せったのでした (弱)。

[3468] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Oct 2 20:12:05 2016

土曜は午後に池袋へ。この舞台を観てきました。

東京芸術劇場 プレイハウス
2016/10/01, 15:00-16:00.
Un spectacle de Camille Boitel; assistante à la mise en scène: Alice Boitel; création lumière: Laure Couturier.
Avec la participation de Camille Boitel, Michaël Phillis, Vincent Beaume, Marion Lefèvre, Meri Otoshi [大歳 芽里].
Création 2003 - Reprise 2015. Production: L’Immédiat / si par hasard.

FACT/FESTIVAL 2014 で来日したフランスのコンテンポラリー・サーカス Camille Boitel / Compagnie L'Immédiat の再来日公演は、 2003年に初演した作品を、2015年以来再演しているもの。 非常に薄暗い舞台の中、女装した Boitel が登場。 テーブルの折り畳みの脚のようなものを2組立てて、それに簀子のような天板を渡し、そのテーブルに向かって椅子に腰掛けようとするのだが、 不器用で上手くいかないどころか、脚は絡むは、椅子の座面は割れてしまうわ、と上手くいかない。 やがて、大量の脚を用意して、大混乱に陥ってしまう。 前回観た L'Immédiat [ビュー] と同様、 Boitel の好きなパターンなのだろう。 途中、大きな黒服の女性姿になっての謎のマイクパフォーマンスを挟み、最後には大量の脚も秩序をもって並べられるのだが。

不器用さとそれをなんとかしようとして混乱が拡大していく様で笑いを取るというのは、 Jacques Tati の Monsieur Hulot を挙げるまでもなく、ヴォードヴィル芸でよくあるもの。 しかし、それであからさまに笑いを取りにいくのではなく、 旧約聖書の『ヨブ記』にある「善人の受難」であるとタイトルを掲げて、 抑えた照明と控えめな音響もあって宗教的な受難であるかのような雰囲気も作りだしてしまう、そのギャップが面白かった。 脚を積み上げた所から、そして砂を被ったことにより Boitel 自身から 舞い上がる細かい砂埃が照明に当たって揺らめき広がる様も、 ドタバタの余燼が宗教的な崇高さにすり替えられたようだった。

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先週末日曜に体調を崩して以来、体調が戻らず、なんとか一週間を乗り切ったところ。 土曜は舞台2本観る予定で、観る前から耐えられるか不安でした。 やはり、体調があまりよくないときに、暗い舞台に意識を集中するのは、辛いものです。 体調が良ければもっと楽しめたかな、と。 この後は、渋谷へ移動。 行きつけのジャズ喫茶で一休みして、体力温存 & 腹ごしらえ。 次の舞台に備えたのでした。

[3467] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Sep 25 23:42:18 2016

土曜も雨。そんな中、午後に高輪台へ。この展覧会を観てきました。

Christian Boltanski
Animitas - Les âmes qui murmurent
東京都庭園美術館 本館・新館
2016/09/22-12/25 (9/28,10/12,26,11/9,24,12/14休), 10:00-18:00 (11/25,26,27,10:00-20:00).
東京都庭園美術館 本館
2016/09/22-12/25 (9/28,10/12,26,11/9,24,12/14休), 10:00-18:00 (11/25,26,27,10:00-20:00).

フランス出身の現代美術作家 Christian Boltanski の個展が、東京都庭園美術館で開催されている。 越後妻有トリエンナーレでの Christian Boltanski & Jean Kalman 名義の作品 Voyage d'Ete (旧東山小学校, 2003) [写真] や 『最後の教室』 (旧東山小学校, 2006) [写真]、 No Man's Land (越後妻有里山現代美術館[キナーレ], 2012) [レビュー] など、 記憶をテーマとした大規模なインスタレーションを得意としている作家だ。 作品を観る機会はそれなりにあったが、1990年の水戸芸術館での個展を見逃しており、美術館での個展を観るのは初めて。 1933年竣工の Art Deco 様式の洋館、旧朝香宮邸である本館では、 『アール・デコの花弁 – 旧朝香宮邸の室内空間』という、 展示をするというより、その室内空間そのものを観せるという展覧会も併催。 そんな空間に Boltanski の作品がオーグメントされていた。 このような展覧会は、リニューアル・オープニング展の 内藤 礼 『信の感情』 [レビュー] と同様だ。

本館1階の南側の庭に面した部屋を中心には サウンドインスタレーション “Les âmes qui murmurent” 「ささめく亡霊たち」 (2016) が仕込まれていた。 小型の指向性スピーカーが各所に仕込まれており、特定の場所に立つと囁き声が聞こえるという作品。 場所毎に異なる言葉が聞こえるわけでなく、全て共通のものが使われていた。 2階の一部の部屋でも、 メキシコの「死者の日」を連想させるような影を投影した “Le thêatre d'ombre” 「影の劇場」 (1984) や、 赤ランプの点滅に心拍音を大きく増幅して響かせている “Le cæur” 「心臓音」 (2005) といったインスタレーションもあった。 これらのインスタレーションは、人気の無く寂れて薄暗い洋館であれば雰囲気もあって楽しめたかもしれないが、 築100年近い洋館とはいえメンテナンスが行き届いた建物の、 混んでいる程ではなくそれなりに観客がいて雨空とはいえ明るい空間ではかなり興醒めだった。 振り返って、越後妻有トリエンナーレでのインスタレーションにしても、現役ではなく廃校の校舎だからこそだったのだな、と。

2014年のリニューアル時にオープンしたばかりの新館のホワイトキューブの2つのギャラリーでもインスタレーションを展示していた。 一つのギャラリーでは、 人の目元を白黒で大きくプリントした幅約3m高さ約2mの半透明のカーテンを何枚も使って空間を細かく区切った中を歩かせるインスタレーション “Regards” 「眼差し」 (2013)。 そして、そんなギャラリーの中央に、高さ3mほどの古着の山に金色のエマージェンシー・ブランケットを被せた “Volver” 「帰郷」 (2016)。 それぞれ個別のインスタレーションとして展示されていたら良かったであろうに、 淡くモノクロームな “Regards” とどぎつい金色の “Volver” がミスマッチに感じられた。

もう一つのギャラリーでは、干藁が敷き詰められたギャラリーを二分するようにスクリーンが立てられ、 その両面にビデオが投影されていた。 一方はチリのアタカマ砂漠での風鈴を使ったインスタレーション “Animitas” 「アニミタス」 (2015)、 もう一方は瀬戸内の豊島の林の中の風鈴を使った新作インスタレーション、“La forêt des murmures” 「ささやきの森」 (2016)。 干藁の匂いの満ちたギャラリーで、高地らしい強い青色の空を背景に、もしくは日が差し込み明るい黄緑の林を背景に、チリチリと風鈴が鳴るのを聴くとほっとするものがあった。 旧朝香宮邸という Art Deco 洋館の美しさと、最後のビデオを使ったインスタレーションに救われたように感じた展覧会だった。

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雨降りだと、いろいろ歩き回ったり、買い物したりする気も失せます。 ということで、土曜は早々にいきつけのジャズ喫茶へ行って、のんびり過ごしたのでした。 日曜は久しぶりの晴れ。 しかし、出張続きの9月の疲れがどっと出たか、展覧会や公演に出歩いている間に風邪をもらったか、 日曜は体調を崩して臥せってしまいました (弱)。

[3466] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Sep 25 18:05:48 2016

休日とした金曜は夕方に横浜山下へ。この展覧会+ダンス公演を観てきました。

Chiharu Shiota: The Locked Room
KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ
2016/09/14-10/10 (会期中無休), 10:00-18:00.

La Biennale di Venezia 2015 - 56th International Art Exhibition の日本代表作家として日本館に展示した 塩田 千春 の帰国記念展だが、 その際の作品の再制作ではなく、この展覧会のための新作の展示。 小さなギャラリーでの個展よりも、 『沈黙から』展 (神奈川県民ホールギャラリー, 2007) [レビュー] のような大規模なインスタレーションが見応えある作家ということで、 それを楽しみに足を運んできた。

壁、天井、床の黒い25m × 15m × 5m 程度のプレーンな長方形のスペースに、 赤い糸を大量に使ったインスタレーションを施していた。 不規則に糸を張り絡めて部屋の中央に少々不完全で閉じていない直径5m程度の繭状の空間を作りだし、 そこへの出入りのためのような5つの扉 – 古い家から取り外してきたかのような薄汚れた白の木の扉 — が配置されている。 その繭を部屋に固定し支えるかのような膜状の構造が部屋の三面に作られ、 一番奥の一面の壁は鏡張り – おそらくスタジオ据付のもの – で、 その前に大量の古い鍵が不規則に吊り下げられていた。 糸を張り絡み上げて作り出された迷路のような空間の中を巡りながら、 もしくは、壁と赤い膜の間に開いた空間に座って、観客は作品を鑑賞することになる。

黒い空間に大量に張られた赤い糸は禍々しく、それだけでもインパクトは充分。 床には糸は張られていないが、照明が作る糸の影がその代わりのようになっていた。 床が黒いため、置かれた扉は宙に浮かび上がっているように遠目に見える。 黒い背景に赤くまだらに濃い靄が広がり、それを透かして照明が点々と光る様は、 宇宙空間に浮かぶガス星雲とその中で煌めく新星のよう。 使い古された扉や鍵の醸し出す過去の記憶の気配も控えめ。 一部屋のみの、それも、ホワイトキューブならぬブラックキューブというニュートラルな空間でのインスタレーションで、 その点を物足りなく感じたが、 視覚的に強烈な空間を楽しむことができた。

KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ
2016/09/23, 19:30-20:20.
振付・演出: 酒井 幸菜; 音楽: 大和田 俊; 照明: 櫛田 晃代; 衣裳: 北澤 哲次郎, 中村 麻希

劇場のスタジオという会場からもわかるように、 インスタレーションの中で何らかのパフォーマンスすることを前提とした展覧会。 約1ヶ月の会期中『塩田千春展×ダンス・音楽』と題した4プログラムが行われている。 そのうち、酒井 幸菜 のダンス『I'm here, still or yet.』を観てきた。 酒井のダンスはオムニバス的な公演で一度観たことがある程度 [レビュー] の予備知識しかなかったが。

会場は、鏡張りの壁は黒カーテンで隠し、残りの三面の壁沿いに観客を座らせ、壁沿いの照明を落とした状態。 モダンダンスのバックグラウンドを持つとのことだが、いわゆるダンス的な技巧はほとんど使わなかった。 電子音がピキピキ鳴る中、塩田 のインスタレーションにさらに赤い糸を張り加えるパフォーマンスから始まり、 「どこにいるの?」という言葉を口走りつつ繭のような空間の中を誰かを探すように歩き周り、小走りに走り回ったり。 後半は、マイクを手に強くなった電子音がハウリングする場所を探すように。 本人のセリフや録音されたナレーションを用いていたこともあって、ダンスというより演劇に近く感じられたパフォーマンスだった。 このような強烈なインスタレーションの中でのパフォーマンスは、あるレベル以上であれば様になるのも確か。 しかし、空間が強烈過ぎてパフォーマンスがそれに従属しているようにも感じてしまった。

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[3465] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Fri Sep 23 23:52:03 2016

秋分の日は本降りの雨ということで、家でゆっくり休養。 雨が上がった日暮れに、吉祥寺に出て、この展覧会を観てきました。

『小林 かいち』
武蔵野市立吉祥寺美術館
2016/08/13-09/25 (8/31休), 10:00-19:30.

伊香保保科美術館のコレクションから500点以上を展示した 大正末期から昭和初期にかけて京都の土産物店 さくら井屋 の絵葉書・絵封筒の木版絵師 小林 かいち の展覧会です。 小林 かいち の作品は 『大正イマジュリィの世界 —— デザインとイラストレーションのモダーンズ』 (渋谷区立松濤美術館, 2010) [レビュー] などで観る機会もありましたが、これだけまとめて観たのは初めて。 この時代のデザイン、イラストレーションの中では好みとはいえ、 絵葉書、絵手紙という限定的なフォーマットもあって単調に感じたのも確か。 その一方で数をまとめて観ることで気付かされたこともあった展覧会でした。

同時代のアール・デコや表現主義の影響を伺わせる作風で、 後ろ姿、俯き顏、シルエット等を多用し顔がほとんど描かれない細身の女性像が特徴的です。 その多くが若い女性が嘆く姿を描いていて、抒情的というよりなんともメロドラマ的。 時代的にも、まさに戦前松竹メロドラマ映画と重なる世界に感じられました。 トランプ等のモダンというか洋風の意匠の多用もあって、モガな女性を多く描いていそうと思っていたのですが、半分近くは和装の女性でした。 また、特にキリスト教信仰の文脈ではなく、むしろモダンで洋風の意匠という意味で、十字架や教会のイメージも多用していたというのも、 当時のキリスト教に対するイメージを伺わせるよう。 ゴンドラのモチーフも多く、これは「いのち短し 恋せよ乙女」という歌い出しで当時流行した『ゴンドラの唄』をうけたものとのこと。

アールデコ風のモダンな図案の絵葉書は「現代的版画抒情絵葉書」と名付けられていたのですが、 「現代的」が付かない、京の名所や舞妓を描いた「版画抒情絵葉書」も作成していたとのこと。 こちらの作品は、「市松見立舞妓」のようなモダンなデザインのものもありましたが、 木版ということもあって、むしろ浮世絵的。 ここから振り返って「現代的」なものを見直すと、モダンな意匠のようで、大胆な構図や背景のグラデーション使いなど浮世絵からの流れも感じられました。

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