TFJ's Sidewalk Cafe >

談話室 / Conversation Room

TFJ's Sidewalk Cafe 内検索 (Google)
[3467] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Sep 25 23:42:18 2016

土曜も雨。そんな中、午後に高輪台へ。この展覧会を観てきました。

Christian Boltanski
Animitas - Les âmes qui murmurent
東京都庭園美術館 本館・新館
2016/09/22-12/25 (9/28,10/12,26,11/9,24,12/14休), 10:00-18:00 (11/25,26,27,10:00-20:00).
東京都庭園美術館 本館
2016/09/22-12/25 (9/28,10/12,26,11/9,24,12/14休), 10:00-18:00 (11/25,26,27,10:00-20:00).

フランス出身の現代美術作家 Christian Boltanski の個展が、東京都庭園美術館で開催されている。 越後妻有トリエンナーレでの Christian Boltanski & Jean Kalman 名義の作品 Voyage d'Ete (旧東山小学校, 2003) [写真] や 『最後の教室』 (旧東山小学校, 2006) [写真]、 No Man's Land (越後妻有里山現代美術館[キナーレ], 2012) [レビュー] など、 記憶をテーマとした大規模なインスタレーションを得意としている作家だ。 作品を観る機会はそれなりにあったが、1990年の水戸芸術館での個展を見逃しており、美術館での個展を観るのは初めて。 1933年竣工の Art Deco 様式の洋館、旧朝香宮邸である本館では、 『アール・デコの花弁 – 旧朝香宮邸の室内空間』という、 展示をするというより、その室内空間そのものを観せるという展覧会も併催。 そんな空間に Boltanski の作品がオーグメントされていた。 このような展覧会は、リニューアル・オープニング展の 内藤 礼 『信の感情』 [レビュー] と同様だ。

本館1階の南側の庭に面した部屋を中心には サウンドインスタレーション “Les âmes qui murmurent” 「ささめく亡霊たち」 (2016) が仕込まれていた。 小型の指向性スピーカーが各所に仕込まれており、特定の場所に立つと囁き声が聞こえるという作品。 場所毎に異なる言葉が聞こえるわけでなく、全て共通のものが使われていた。 2階の一部の部屋でも、 メキシコの「死者の日」を連想させるような影を投影した “Le thêatre d'ombre” 「影の劇場」 (1984) や、 赤ランプの点滅に心拍音を大きく増幅して響かせている “Le cæur” 「心臓音」 (2005) といったインスタレーションもあった。 これらのインスタレーションは、人気の無く寂れて薄暗い洋館であれば雰囲気もあって楽しめたかもしれないが、 築100年近い洋館とはいえメンテナンスが行き届いた建物の、 混んでいる程ではなくそれなりに観客がいて雨空とはいえ明るい空間ではかなり興醒めだった。 振り返って、越後妻有トリエンナーレでのインスタレーションにしても、現役ではなく廃校の校舎だからこそだったのだな、と。

2014年のリニューアル時にオープンしたばかりの新館のホワイトキューブの2つのギャラリーでもインスタレーションを展示していた。 一つのギャラリーでは、 人の目元を白黒で大きくプリントした幅約3m高さ約2mの半透明のカーテンを何枚も使って空間を細かく区切った中を歩かせるインスタレーション “Regards” 「眼差し」 (2013)。 そして、そんなギャラリーの中央に、高さ3mほどの古着の山に金色のエマージェンシー・ブランケットを被せた “Volver” 「帰郷」 (2016)。 それぞれ個別のインスタレーションとして展示されていたら良かったであろうに、 淡くモノクロームな “Regards” とどぎつい金色の “Volver” がミスマッチに感じられた。

もう一つのギャラリーでは、干藁が敷き詰められたギャラリーを二分するようにスクリーンが立てられ、 その両面にビデオが投影されていた。 一方はチリのアタカマ砂漠での風鈴を使ったインスタレーション “Animitas” 「アニミタス」 (2015)、 もう一方は瀬戸内の豊島の林の中の風鈴を使った新作インスタレーション、“La forêt des murmures” 「ささやきの森」 (2016)。 干藁の匂いの満ちたギャラリーで、高地らしい強い青色の空を背景に、もしくは日が差し込み明るい黄緑の林を背景に、チリチリと風鈴が鳴るのを聴くとほっとするものがあった。 旧朝香宮邸という Art Deco 洋館の美しさと、最後のビデオを使ったインスタレーションに救われたように感じた展覧会だった。

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雨降りだと、いろいろ歩き回ったり、買い物したりする気も失せます。 ということで、土曜は早々にいきつけのジャズ喫茶へ行って、のんびり過ごしたのでした。 日曜は久しぶりの晴れ。 しかし、出張続きの9月の疲れがどっと出たか、展覧会や公演に出歩いている間に風邪をもらったか、 日曜は体調を崩して臥せってしまいました (弱)。

[3466] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Sep 25 18:05:48 2016

休日とした金曜は夕方に横浜山下へ。この展覧会+ダンス公演を観てきました。

Chiharu Shiota: The Locked Room
KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ
2016/09/14-10/10 (会期中無休), 10:00-18:00.

La Biennale di Venezia 2015 - 56th International Art Exhibition の日本代表作家として日本館に展示した 塩田 千春 の帰国記念展だが、 その際の作品の再制作ではなく、この展覧会のための新作の展示。 小さなギャラリーでの個展よりも、 『沈黙から』展 (神奈川県民ホールギャラリー, 2007) [レビュー] のような大規模なインスタレーションが見応えある作家ということで、 それを楽しみに足を運んできた。

壁、天井、床の黒い25m × 15m × 5m 程度のプレーンな長方形のスペースに、 赤い糸を大量に使ったインスタレーションを施していた。 不規則に糸を張り絡めて部屋の中央に少々不完全で閉じていない直径5m程度の繭状の空間を作りだし、 そこへの出入りのためのような5つの扉 – 古い家から取り外してきたかのような薄汚れた白の木の扉 — が配置されている。 その繭を部屋に固定し支えるかのような膜状の構造が部屋の三面に作られ、 一番奥の一面の壁は鏡張り – おそらくスタジオ据付のもの – で、 その前に大量の古い鍵が不規則に吊り下げられていた。 糸を張り絡み上げて作り出された迷路のような空間の中を巡りながら、 もしくは、壁と赤い膜の間に開いた空間に座って、観客は作品を鑑賞することになる。

黒い空間に大量に張られた赤い糸は禍々しく、それだけでもインパクトは充分。 床には糸は張られていないが、照明が作る糸の影がその代わりのようになっていた。 床が黒いため、置かれた扉は宙に浮かび上がっているように遠目に見える。 黒い背景に赤くまだらに濃い靄が広がり、それを透かして照明が点々と光る様は、 宇宙空間に浮かぶガス星雲とその中で煌めく新星のよう。 使い古された扉や鍵の醸し出す過去の記憶の気配も控えめ。 一部屋のみの、それも、ホワイトキューブならぬブラックキューブというニュートラルな空間でのインスタレーションで、 その点を物足りなく感じたが、 視覚的に強烈な空間を楽しむことができた。

KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ
2016/09/23, 19:30-20:20.
振付・演出: 酒井 幸菜; 音楽: 大和田 俊; 照明: 櫛田 晃代; 衣裳: 北澤 哲次郎, 中村 麻希

劇場のスタジオという会場からもわかるように、 インスタレーションの中で何らかのパフォーマンスすることを前提とした展覧会。 約1ヶ月の会期中『塩田千春展×ダンス・音楽』と題した4プログラムが行われている。 そのうち、酒井 幸菜 のダンス『I'm here, still or yet.』を観てきた。 酒井のダンスはオムニバス的な公演で一度観たことがある程度 [レビュー] の予備知識しかなかったが。

会場は、鏡張りの壁は黒カーテンで隠し、残りの三面の壁沿いに観客を座らせ、壁沿いの照明を落とした状態。 モダンダンスのバックグラウンドを持つとのことだが、いわゆるダンス的な技巧はほとんど使わなかった。 電子音がピキピキ鳴る中、塩田 のインスタレーションにさらに赤い糸を張り加えるパフォーマンスから始まり、 「どこにいるの?」という言葉を口走りつつ繭のような空間の中を誰かを探すように歩き周り、小走りに走り回ったり。 後半は、マイクを手に強くなった電子音がハウリングする場所を探すように。 本人のセリフや録音されたナレーションを用いていたこともあって、ダンスというより演劇に近く感じられたパフォーマンスだった。 このような強烈なインスタレーションの中でのパフォーマンスは、あるレベル以上であれば様になるのも確か。 しかし、空間が強烈過ぎてパフォーマンスがそれに従属しているようにも感じてしまった。

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[3465] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Fri Sep 23 23:52:03 2016

秋分の日は本降りの雨ということで、家でゆっくり休養。 雨が上がった日暮れに、吉祥寺に出て、この展覧会を観てきました。

『小林 かいち』
武蔵野市立吉祥寺美術館
2016/08/13-09/25 (8/31休), 10:00-19:30.

伊香保保科美術館のコレクションから500点以上を展示した 大正末期から昭和初期にかけて京都の土産物店 さくら井屋 の絵葉書・絵封筒の木版絵師 小林 かいち の展覧会です。 小林 かいち の作品は 『大正イマジュリィの世界 —— デザインとイラストレーションのモダーンズ』 (渋谷区立松濤美術館, 2010) [レビュー] などで観る機会もありましたが、これだけまとめて観たのは初めて。 この時代のデザイン、イラストレーションの中では好みとはいえ、 絵葉書、絵手紙という限定的なフォーマットもあって単調に感じたのも確か。 その一方で数をまとめて観ることで気付かされたこともあった展覧会でした。

同時代のアール・デコや表現主義の影響を伺わせる作風で、 後ろ姿、俯き顏、シルエット等を多用し顔がほとんど描かれない細身の女性像が特徴的です。 その多くが若い女性が嘆く姿を描いていて、抒情的というよりなんともメロドラマ的。 時代的にも、まさに戦前松竹メロドラマ映画と重なる世界に感じられました。 トランプ等のモダンというか洋風の意匠の多用もあって、モガな女性を多く描いていそうと思っていたのですが、半分近くは和装の女性でした。 また、特にキリスト教信仰の文脈ではなく、むしろモダンで洋風の意匠という意味で、十字架や教会のイメージも多用していたというのも、 当時のキリスト教に対するイメージを伺わせるよう。 ゴンドラのモチーフも多く、これは「いのち短し 恋せよ乙女」という歌い出しで当時流行した『ゴンドラの唄』をうけたものとのこと。

アールデコ風のモダンな図案の絵葉書は「現代的版画抒情絵葉書」と名付けられていたのですが、 「現代的」が付かない、京の名所や舞妓を描いた「版画抒情絵葉書」も作成していたとのこと。 こちらの作品は、「市松見立舞妓」のようなモダンなデザインのものもありましたが、 木版ということもあって、むしろ浮世絵的。 ここから振り返って「現代的」なものを見直すと、モダンな意匠のようで、大胆な構図や背景のグラデーション使いなど浮世絵からの流れも感じられました。

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[3464] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Sep 22 23:36:38 2016

火曜の晩は仕事帰りに六本木へ。このライブを観てきました。

Food
Super Deluxe
2016/09/20 20:00-22:20
Food: Iain Ballamy (saxophones, electronics), Thomas Strønen (drums, electronics); guests: 巻上 公一 [Makigami Koichi] (theremin, voice, pocket trumpet). Jim O'Rourke (electronics), 石橋 英子 [Eiko Ishibashi] (flute, electronics).

2013年 [レビュー] 以来、久々の来日となる Iain Ballamy と Thomas Strønen による jazz/improv のグループ Food。 3年前に観た時と同じ会場ほぼ同じゲスト陣ということで、 同様の雰囲気を期待していたのだが、以前に聴かれた繊細なテクスチャとは違う音に感じられたライブだった。

前半は、背景に映像を投影しつつ、Food の2人に、途中から 巻上 の theremin を加えての演奏。 曲をはっきり特定できなかったが、 This Is Not A Miracle (ECM, ECM2417, 2015, CD) からの曲を演奏していたように思う。 Strønen は以前に多用していたフィンガーシンバルのような金属パーカッションの類を用いず、 標準的なドラムセットのタムやスネア、バスドラムの音使っていた。 リムショットやブラシを多用したソフトな音で looper も駆使していたが、以前のような軽いチャカポコした音から染み出してくるようなグルーヴ感は無かった。 もう一方の Ballamy は Lyricon を用いず tenor saxophone のみ。 しかし、吹きまくるというほどではなく、前回よりテクスチャを強調した演奏だった。 巻上 の浮遊するような theremin もテクスチャに厚みを加えていた。

背景に投影された映像は、Feral Music 時代の Food のアルバムのジャケットデザインも手がけていた Dave McKean によるもの。 明確なストーリーはなく、北ヨーロッパの荒涼とした風景をモノクロで捉えたものに渦やクラゲを合成して僅かな異化を加えたものや、クシクラゲを大写しにしたものなど。 音楽も合わせて、捉えどころのないような半ば抽象的なイメージを作り出していた。

後半は映像なし。 まずは、O'Rourke と 石橋のデュオから入り、Food の2人を加えて、最後に、 巻上も入っての演奏になった。 Food が加わって暫くまでは、音をコントロールしきれてないグダグダな即興演奏の感もあった。 最後は Food の曲を演奏したということもあるか、前半の音世界に戻ったようにも感じた。

開演時は台風接近し強い雨という天気で、観客が10名程度しかいませんでした。 少々コンディションの良くないライブだったかな、と。 終演した頃には、台風も急速に衰え温帯低気圧になり、雨も小降りになってました。

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最近、ライブの類から遠ざかりつつあったのですが、9月はこれで4本目。続くときは続くものです。 それも、Elena Duni Quartet, Paolo Fresu & Daniele di Bonaventura に Food と、 ECM のミュージシャンが続きました。 やはり、ECM からリリースされるクラスのミュージシャンともなると日本まで来る機会も多いということなのでしょうか。

しかし、ライブを見ると、ライブで観たミュージシャン以外についてもいろいろ聴きたくなって、CDを買う量も増えますね。 自宅や通勤途上で聴いているのとは、受ける刺激が違うなあ、と、つくづく。 やはり、忙しいと言い訳してないで、できるだけライブに足を運びたいものです。

[3463] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Sep 19 23:24:07 2016

先週末の話の続き。恵比寿で展覧会を観た後は九段へ。このコンサートを観てきました。

Paolo Fresu & Daniele di Bonaventura
イタリア文化会館 東京 [Istituto Italiano di Cultura, Tokyo]
2016/09/10, 17:00-18:30.
Paolo Fresu (flügelhorn, electronics), Daniele di Bonaventura (bandoneon).

イタリアの jazz/improv の文脈で活動するサルディーニャ出身の trumpet / flügelhorn 奏者 Paolo Fresu と、 近年、Fresu と多くの作品で共演している bandoneon 奏者 Daniele di Bonaventura との duo でのコンサートを観てきた。 このデュオでのアルバム In Maggiore (ECM, ECM2412, 2015, CD) からの曲を中心にアンコール2曲を含め約1時間半。 Mistico Mediterraneo (ECM, ECM2203, 2011, CD) というアルバムもあるが、A Filetta Corsican Voices 抜きということもあってか、予想よりも地中海的な folk 色は薄め。 しかし抽象に過ぎず、歌心すら感じる演奏が楽しめた。

舞台下手の Fresu は flügelhorn のみで、柔和で美しい音を響かせ、electronics は深めの残響をかける程度。 時折、ベルに付けたマイクのあたりを叩いてカチカチとリズムを刻んだり。 前半、一度、袖から下がったと思いきや客席後方に現れ舞台に向かって歩きながら演奏することもあったし、 circular breathing によるロングトーンを聞かせたりもしたが、 派手にパフォーマンスしたり特殊奏法を駆使したりすることなく、 ほとんど椅子に座り、右足を立てて上手の di Bonaventura の方を向き、歌いかけるように演奏していた。 対する di Bonaventura も、凝ったソロを演奏するというより、Fresu の音色を生かすような伴奏的な演奏。 di Bonaventura の bandoneon は chromatic なのか、細かく蛇腹を伸縮させることなく、 ゆっくり蛇腹を引き伸ばしながらゆったりと演奏。 lullaby が多く、子守唄を唄い聞かせるようだった。

ブラジルのSSW Chico Buarque の “O Que Sera” から、 ブルターニュの音楽に着想した “Ton Kozh”、 Puccini のオペラ La Boheme からの “Quando Me'n Vo” や古楽に着想した曲まで、 多様なバックグラウンドを持つ曲を演奏しながら、統一感のある音世界を作り上げているのはさすが。 アンコール1曲目は Johann Sebastian Bach の “Minuet in G minor” で、 2曲目はチリのSSW Victor Jara の “Te Recuerdo Amanda”。 In Maggiore 収録曲だが、 最後はイタリアかサルディーニャの音楽を持ってくるかと予想していたので、意外っだった。 classical というほど堅くなく、jazz 的なスイング感やブルース感も、folk 的なアクセントも薄く、三者からの絶妙な距離を置いた、 かといって、free improv のような抽象に走らず歌心のある演奏だった。

Paolo Fresu と Antonello Salis (piano, fisarmonica), Furio Di Castri (bass) のトリオ PAF [関連レビュー] のような、 時にアウトになるくらいな演奏の方が好みだけれども、 こういう雰囲気の演奏も良いと気付かされたコンサートだった。

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翌日曜は職場で仕事してました。 今週末は土曜に出張から帰って、日曜は休養&家事、 月曜祝日は敬老の日&秋の彼岸の入りでということ墓参&親孝行で終わったのでした。 ということで、今週末は談話室向けのネタはありません。

[3462] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Sep 18 22:06:47 2016

先週末となりますが土曜の午後は恵比寿へ。この展覧会を観てきました。

Hiroshi Sugimoto: Lost Human Genetic Archive
東京都写真美術館 2階展示室・1階ホール
2016/09/03-11/13 (月休; 月祝開, 翌火休), 10:00-18:00 (木金-20:00)

2014年末からの約2年の休館、改修工事を経て、東京都写真美術館がリニューアル・オープン。 そのリニューアル・オープン及び総合開館20周年記念の展覧会として、 3階及び2階の展示室を使った 杉本 博司 の大規模な個展が開催されている。 3階はフロア全体を使ったインスタレーション、 2階は『劇場』シリーズをリニューアルした新作シリーズ『廃墟劇場』 (2013-2015) と、 京都の三十三間堂の千手観音を撮った『仏の海』 (1995) が展示されていた。

3階の展示室全体を使ったインスタレーションは『今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない』と題され、 地球が死んだ後の廃墟、というより、朽ちかけたトタン板作りの掘建小屋のような空間に 骨董趣味の延長とでもいう古物 – 化石、古代の遺物から少々古びた20世紀の大量生産品、ここ最近の物まで – に、 いくつかの自分の写真作品を交えてのインスタレーション。これもある種の侘び寂びだろうか。 33の職業の人物による「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」という書き出しではじまる世界滅亡とそれへの反省を語る文章を有名人に手書きされたものが、 インスタレーションの各コーナーのテーマのように掲げられている。 その内容のせいもあって、冷戦期の終末戦争や反近代的な終末イメージに最近口に上るようになった破局的災害のイメージを接木したような終末論趣味を、 思わせぶりなインスタレーションで飾り立てているよう。

2階は1点の骨董を除いて、大判にプリントされた白黒写真を並べた静謐な展示。 『廃墟劇場』シリーズは『劇場』シリーズ同様、映画館で映画上映の間長期露光した作品。 ただ、『劇場』シリーズとは異なり使われなくなって廃墟のようになった映画館が舞台とし、 上映された作品のあらすじが作品と組み合わされていた。 映画の選択が『今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない』同様、 冷戦期の終末戦争や反近代的な終末イメージを扱った映画が多かった。 そんなこともあり、『千体仏』 [レビュー] を 久しぶりに観て差異と細部を両立させた形式的な面白さにほっとした。 去年の『趣味と芸術―味占郷/今昔三部作』 [レビュー] が楽しめたので期待していたのだが、 今回の展覧会の終末論趣味には付いていけないものがあった。

併せて、地階で開催されていた 『世界報道写真展2016』 も観てきました。 さすが 杉本 博司 は混んでると思っていたのですが、『世界報道写真展2016』の方が混んでいました。 (2フロア使った 杉本 博司 展の方が観客数は多いかもしれませんが。) 客層はかなり異なるわけですが、報道写真は根強い人気があるのだなあ、と。

東京都写真美術館は収蔵品展も良く企画展も含めほとんどの展覧会を観に行く美術館なので、リニューアル前は長年 友の会 会員でした。 リニューアル後も躊躇無く年間パスポートを購入。 友の会 の時は、会員向けのイベントもあり展覧会案内等が送られてきたのですが、 年間パスポートはカードに署名をするものの美術館側で名簿を管理することなく、展覧会やミュージアムショップの無料・割引サービスのみ。 個人情報保護法改正もあり、個人情報を扱わないサービスが現実的ということなのでしょうか。 前の友の回からの流れか、休館中リニューアルオープン直後まで展覧会案内が送られてきていますが、 今後どうなるのでしょうか。ふむ。

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この後の話はまた後ほど。

[3461] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Sep 11 12:24:04 2016

先週末の日曜はゆっくり休養するつもりだったのですが、 夕方に気づいて、急遽、板橋……というか小竹向原へ。このライブを観てきました。

Elina Duni Quartet
安養院 瑠璃光堂 (板橋区 小竹向原)
2016/09/04, 18:30-20:15
Elina Duni (vocal), Colin Vallon (piano), Patrice Moret (doublebass), Norbert Pfammatter (drums).

アルバニアのチラナ (Tirana, AL) 出身ながら10歳の時 (1992年) にスイスへ亡命、 スイスの jazz/improv の文脈で活動する女性歌手 Elina Duni の自身の 4tet でのコンサート。 最近の ECM からの2作、 Matanë Malit (ECM, ECM2277, 2012, CD) や Dallëndyshe (ECM, ECM2401, 2015, CD) の印象もあって、 淡々と落ち着いた雰囲気のコンサートになるかと思いきや、 Elina Duni は drums と掛け合うかのように手で拍子を取りつつ半ば踊りながら歌い、 3人もバッキングに徹することなく対等に弾き合うよう。 リズミカルでスリリングな演奏が楽しめた。

曲は Duni の出身地アルバニアの民謡に基づくもので、歌詞もアルバニア語だ。 これを彼らならではの jazz/improv 流儀の演奏でアレンジしていた。 アルバニアはバルカン半島の国だが、彼らの演奏しているのは、いわゆる Balkan brass 風、Gypsy 風の曲では無い。 その jazz/improv がかった演奏もあって、 ボスニアの Amira Medunjanin が Bojan Z の伴奏で歌う sevdah [レビュー] や、 ギリシャの Savina Yannatou & Primavera En Salonico の歌う Sephard の歌 [レビュー] に近い、憂いを感じる節回しの歌だ。 同じくアルバニア出身で jazz/improv と folk の間の文脈で活動する女性歌手 Eda Zari [レビュー] と比べると、その歌い口に加え管楽器を用いアレンジもあって、 folk 的なアクの薄いすっきりミニマルに感じる音作りだ。

歌手と掛け合っているのは主に Norbert Pfammatter の drums で、 リズムを刻むというより、まるで歌うかのように様々なフレーズを空間に散りばめていく。 Duni もそんなフレーズをなぞるかのように、踊るように手を動かし、踊るように歌っていた。 Colin Vallon の piano は、歌のメロディをなぞる時もあったが、 むしろ歌に寄り添うでなく離れるでもなくキラキラしたテクスチャーを作り出していた。 そんな中、リズムの要となったのは、Patrice Moret の bass の鈍いピチカートだ。 編成からして一見スタンダードな piano trio 伴奏の女性歌手もののようで、 各パートの役割が変則的な所もスリリングに感じられた。

会場になったのは、鎌倉中期 (13世紀半ば) に創建されたといわれる真言宗の寺院 安養院。 今回のコンサートで行くのは初めて。古刹が会場ということにも興味を引かれました。 会場となった瑠璃光堂は2015年11月に落慶した薬師如来像が安置されたモダンなお堂で、 多目的ながらコンサートも開催できるよう音響設計もされているといいます。 classical のコンサートを開いていたそうですが、音を重視した jazz のコンサートも開くようになったとのこと。 音楽専用ホールほどではないとしても音は良く、ライトアップされた境内の緑を窓越しの背景に演奏する様子も、趣があります。 少々、演奏する音楽を選ぶ箱ですが、ECMからリリースされるような jazz/improv なら合うでしょう。 ちなみに、次の jazz のライブは11月23日の Bobo Stensen Trio、ECM の piano trio です。

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[3460] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sat Sep 10 12:50:59 2016

先週末の土曜の午後は竹橋へ。この展覧会を観てきました。

Thomas Ruff
『トーマス・ルフ展』
東京国立近代美術館 企画展ギャラリー
2016/08/30-2016/11/13 (月休,月祝開,翌火休), 10:00-17:00 (金10:00-20:00).

1980年代に活動を始めたドイツの写真作家 Thomas Ruff の個展。 Kunstakademie Düsseldorf で Bernd & Hella Becher に師事した Becher Schule の作家で、 Andreas Gursky [レビュー] のように かっちり構図を決めた抽象絵画のような作風を出発点としているが、 最近は既存の写真を加工した作品が中心となっている。 Becher Schule の写真の作風は好きで、Thomas Ruff の作品もグループ展やギャラリーの個展で観てきているが、 美術館での大規模な個展で観るのは初めて。 天体写真を加工した作品は好みであるもののコンセプト的にピンとくることが無かったのも確か。 しかし、初期から最近の作品まで通してみると、腑に落ちることしきり。 Becher Schule のような作風の写真家は、グループ展や画廊で数点だけ観るより、美術館での個展クラスの規模でまとめて観た方が、面白いと実感した展覧会だった。

展示は年代順というわけではないが、 初期1980年代の Porträts 『ポートレート』、 Häuser 『家』、 Interieurs 『インテリア』のシリーズは、 まだ加工は目立たず、構図をかっちり決めたいかにも Becher Schule らしい写真だ。 Becher Schule に収まりきれないと感じるのは、 新聞写真からキャプション等を除いて切り出した Zeitungsfoto 『ニュースペーパー・フォト』 (1991) や 暗視カメラで普通の街中を撮影した Nächte 『夜』 (1992)。 Becher Schule というより、1980年代にニューヨークで流行した Simulationism の流れを汲むような写真だ。 この2つのシリーズはこの展覧会で初めて観たのだが、 後の既存のイメージを加工するシリーズの原点はこうだったのかと。 イメージの加工についても、コンピュータによる加工から入ったのではなく、 その前に、光学的にポートレイト写真を合成するモンタージュ写真合成機を使った anders Porträts 『アザー・ポートレート』 (1994/1995) があったことに気付かされた。

2000年代以降の写真は Simulationism 的なセンスと Becher Schule 的なセンスが収束していくよう。 インターネットで流れていたヌード写真をそれと判る程度までにぼやかした nudes 『ヌード』や、 やはり、インターネットで流れていた jepg 形式の写真 (多くはニュース写真) を ブロックノイズがくっきり浮かび上がるほどに圧縮率を上げて劣化させた jpeg など、 イメージの持つイデオロギー性を強調して浮かび上がらせる Simulationism とは逆の方向性で、 イデオロギー性が消えて抽象的なイメージとなるぎりぎりの線を探るかのよう。 Subsrate 『基層』となると、完全に抽象化されるまで加工してしまうのだが。

2000年代の作品は、縦は3m近い、横も2m近い大判のものが多く、加工された抽象的なイメージもあって、写真的な手法で作成した抽象表現主義の絵画のよう。 惑星探査機の撮影した天体写真を加工した ma.r.s.cassini は colorfield painting のようだし、 コンピュータでサイクロイド曲線を描かせた zycles や フォトグラム的なイメージをシミュレートして作成した Photogram 『フォトグラム』は action painting を思わせる。 そんな所に Ruff の抽象的なイメージの好みを観るようだった。

最も最近の作品となると、抽象表現主義的なイメージから、既存のイメージを生かす作風に回帰しているよう。 セピア色になったビンテージ写真を反転して青っぽいネガ写真とした negatives は 仕上がりのイメージも Nächte に近いものを感じたし、 ニュース写真と掲載指示が書かれた裏書きを重ねて大判プリントにした press++ の 既存のイメージに文字を重ね合わせてスタイリッシュにその社会的文脈を浮かび上がらせるところなど、良質な Simulationism の作品と言いたくなるほどだ。 Ruff の Becher Schule 的の面だけ見ていたら意外な展開に感じたかもしれないが、 1990年代初頭の Zeitungsfoto のような作品を踏まえれば、 むしろそこへの回帰にも感じられた。

確かに、Ruff の Becher Schule 的なセンスが好きで、この展覧会でもそこを最も楽しんだ。 しかし、そこに収まりきらない、むしろ Simulationism に近いセンスも持ち合わせていて、 そこも面白いということに気付くことができた展覧会だった。

この企画展に関連して、コレクション展示においても、 negatives でも素材として使われた Karl Blossfeldt の写真や Becher Schule の源流ともいえる戦間期の Neue Sachlichkeit (新即物主義) の写真、 Bernt & Hella Becher はじめ Becher Schule の写真家の写真が展示されていた。 観たことのある作品も多かったが、好きな作風ということもあって、Ruff 展を合わせて、ますます興味深く観ることができた。

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[3459] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Sep 4 23:41:37 2016

水曜から神戸に出張していたのですが、金曜に急遽東京に戻ってひと仕事。 しかし早めにケリがついたので、夜に新宿へ。このライブを観てきました。

Daniel Herskedal vs 太田 惠資
新宿 Pit Inn
2016/09/02, 20:00-22:30
Daniel Herskedal (tuba, bass trumpet), Eyolf Dale (piano), Helge Andreas Norbakken (percussion), Daniel Wold (sound engineering); 太田 惠資 [Keisuke Ohta] (electric violin), 田中 徳崇 [Nori Tanaka] (drums).

Tronheim Jazz Orchestra 等、Norway の jazz/improv シーンで活動する tuba 奏者 Daniel Harskedal が Slow Eastbound Train (Edition Records, 2015) の trio で来日した。 自分が観た金曜の晩は、太田 惠資 とのダブルヘッドライナーで、前半が Daniel Hearskedal trio、 後半が 太田 惠資 - 田中 徳崇 duo、それぞれ約1時間だった。

Daniel Harskedal のトリオは、percussion と piano の音が強く、tuba や bass trumpet の繊細な音がかき消されがち。 せっかく専属の sound engineer を同伴していたのに、席を前に取り過ぎてスピーカーの音をちゃんと聴くことができなかったのは失敗。 それでも、後半の長めの tuba / bass trumpet のソロで、 マルチフォニックの倍音成分の多い音色や、高音の引きつった音色を楽しむことができた。 澄んだ丸い響きだけでなく、このような音色を多用することで、特に bass trumpet など、 Terje Isungset [鑑賞メモ] がよく使う ram's horn のよう。 かっちり作曲に基づく演奏で、Norway の folk のように感じられる時が多かったが、特に前半、オリエンタルな節回しを聴かせたのも印象に残った。

Wolf Valley や Albatrosh などのグループで活動する piano の Eyolf Dale も良かったが、 特に印象に残ったのは Helge Andreas Norbakken の percussion。 Mari Boine や Maria João のバックで知られる Norbakken だが、 bass drums や tom-tom のあるべき所に djembe を2台並べて床置きし、 cymbal の内側に自動車のホイールらしいものを2台、tom のように配置したセットを使い、口でもリズムを刻みつつ、 いかにも post-techno らしい細かい複雑なリズムを刻んでいたのが面白かった。

後半は、太田 惠資 - 田中 徳崇 の duo。こちらは即興でブレイクなし。 太田 は軽くエフェクトをかけつつ、あまり抽象的なフレージングはせずに、 時に欧州 folk の fiddle のように、時に中東の kemanche のように弾きまくり、 田中 がそれを煽るでもなく、時に脈動するかのように手数の密度を上げ、 時に一定に流れるように刻み、時間にメリハリを付けていた。 田中 の演奏は、八木 美知依 のグループ [鑑賞メモ] で聴いたことがあったが、 久しぶりに聴いてその良さを再確認。

Daniel Herskedal vs 太田 惠資 として聴きに行ったものの、 結果として、Helge Norbakken vs 田中 徳崇 として楽しんだ面が強かったライブだった。

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予定では金曜は夕方まで神戸で、このライブも直前までノーチェックだったのでした。 急遽東京に戻って、ふと今晩何かかやってないかなと調べて、このライブに気づいたのでした。

しかし、どうせ行かれないからとライブ情報をろくにチェックしなくなると、本当にライブ情報が入ってこなくなりますね。 Tokyo Jazz Festival も全くノーマークで、 Sachal Jazz Ensemble が来ていたのを知ったのも終わった後という。 これも、そもそも縁が無かったということで……。

[3458] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Aug 31 0:25:14 2016

最近、このサイトの更新が滞っていたわけですが、その一因が、 8月5日から21日にかけて繰り広げられた リオ五輪 (Rio 2016 Olympic Games)。 家にTVも無く観まくっていた程ではなく、NHKオンデマンドで後追いながら少しずつ観ていました。 それでも、趣味への可処分時間が短くなっている分だけ、影響大。

開会式の演出は映画監督 Fernando Meirelles が手がけていましたが、 ダンスの振付が Deborah Colker [鑑賞メモ] という興味もあって観ました。 アフリカ系の人がブラジルへやってくる所を描いた場面のホイールなど Colker らしかったでしょうか。 中盤の音楽ショーとなる直前、パルクールやフリークライミングを使った場面がが気に入ったのですが、あそこは Colker が振付たのでしょうか? ハードコアなものというよりポップ寄りのものでしたが、音楽に Baile Funk や Hip Hop が使われいたのも印象的。 入場行進後に Caetano Veloso e Gilbert Gil が登場したわけですが、 一緒登場した女性歌手は Anitta という若いポップの女性歌手。 これが Gal Costa や Maria Bethania だったら、などと思ってしまいました。 ちなみに、公式サイトに開会式に出演したミュージシャンを紹介する記事 Brazilianize your playlist with seven new sounds from South America's hottest music scene が載っています。

観戦スポーツの中で特に好きという程でもないですが、ダンスやサーカスを観るのが好きなだけに、 やはり、体操競技 (体操、新体操、トランポリン) や水泳の飛込競技やシンクロナイズドスイミングはつい観てしまいます。 シンクロナイズドスイミングは、競技としての結果は別として、 “Sweet Dreams (Are Made Of This)” のカバー曲 (オリジナルは Eurythmics の曲) で演技したイタリアのデュオのフリールーティンが最も気にいりました。 グループのフリールーティンも、アップテンポなハイテンションの音楽での演技が多い中、イタリアとウクライナの演技が変化もあって楽しめました。

新体操の団体はシンクロナイズドスイミングよりも音楽使いが面白く、どれも楽しめました。 特に、ロシアのフープ・クラブ は、Prélude à “L'après-midi d'un faune” な出だしから、 前半は Le sacre du printemps。 後半に使われた音楽は判りませんでしたが、テーマは Ballets Russes だったのでしょうか? ウクライナのフープ・クラブは、Madonna: “Vogue” を音楽に使って、まさに Vogueing な動きを取り入れた演技をしたのが面白かったですね。 この二つほどじゃなかったけど、イタリアとスペインの演技も、好みでした。 こういうのを観るとシンクロナイズドスイミングやフィギュアスケートの音楽使いは新体操に比べて保守的に感じますが、 今後、シンクロナイズドスイミングやフィギュアスケートでも Le sacre du printemps で泳ぐ/滑る演技も出てくるのかもしれません。

そういえば、今回はオンデマンドには馬術競技が上がっていなかったような。けっこう好きなのですが。 あまり多くは観られなかったものの球技や陸上競技、格闘技とかも楽しんで観ましたが、 普段の談話室の話題から大きく外れますし、リオ五輪の話はこのくらいにしておきましょう。

[3457] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Aug 29 22:35:30 2016

この週末土曜は朝から神保町へ。 神保町シアターで 特集 『一周忌追悼企画 伝説の女優・原節子』 が始まったので、まずは戦前から終戦直後にかけての3本を観てきました。

『河内山宗俊』
1936 / 日活京都 / 白黒 / 82min.
監督: 山中 貞雄.
河原崎 長十郎 (河内山宗俊), 中村 翫右衛門 (金子市之丞), 原 節子 (お浪), 市川 扇升 (直次郎 (広太郎)), etc

『新しき土』 [鑑賞メモ] の前年、 東宝専属になる前の 原 節子 の最初期15歳の時に出演した時代劇です。 やくざな道へ踏み外した弟 直次郎 のしでかした不始末を背負って身売りする甘酒屋の娘 お浪という役。 弟の面倒をみていた侠客 河内山宗俊 と甘酒屋に所場代を取り立てき来ていた浪人崩れの侠客 金子市之丞 がお浪を救うべく立ち上がり、 直次郎にお浪を救わせに行かすべく、大立ち回りを繰り広げて最期を遂げる場面は迫力満点。 原 節子 の顔立ちは時代劇の中では浮く程でしたが、演じる お浪 は他の登場人物とのロマンチックな場面も無く、画面に華を添えた程度でした。

『母の曲[総集編]』
1932 / 東宝 / 白黒 / 91 min.
監督: 山本 薩夫.
原 節子 (桂子), 英 百合子 (母・お稲), 岡 譲二 (父・純爾), 入江 たか子 (藤波 薫), 三島 雅夫 (田中 龍作), etc

あらすじ: 気鋭の医学博士 純爾は、家庭の事情で若い頃 職工をしていた時があり、その時に親切にしてくれた女工の お稲 を妻としていた。 純爾は上流階級の生活に戻ったが、お稲はその生活に馴染むことができないでいた。 純爾のドイツ留学中、お稲は上流階級の女性の教養を身に付けるべく勉強に励んだが、ドイツから戻っと夫はさらにその先へ行ってしまい、差は埋まらなかった。 ドイツから戻った純爾は、かつての恋人でフランス帰りのピアニストとして有名となった 藤波 薫 と偶然再会する。 そして音楽好きな娘 桂子を 薫 に弟子入りさせる。 一方、お稲が女工・職工時代の友人 田中 龍作 を屋敷に出入りさせたことであらぬ噂を立てられ、 桂子も女学校で仲間外れにされるようになってしまう。 お稲は桂子の幸せのために身を引く決心をし、夫が満州へ長期出張中に、桂子 を 薫 に託して家を出る。 純爾 は 薫 と再婚し、桂子は 薫 の愛弟子としてピアニストとしてデビューし、上流階級の男性と結婚することとなった。 一方のお稲は女工に戻り、下町の長屋で龍作と暮らし始め、 薫の愛弟子としてピアニストとしてデビューした桂子の演奏を街頭ラジオで聞き、 桂子の嫁入り姿を雨の中から遠目に見つめるのだった。

桂子の通う私立女学校の上流階級の母親たちにお稲に笑いものにされたり、 桂子が女学校で仲間外れされたりという、イジメの描写のいやらしさは 吉屋 信子 原作ならではなのでしょうか。 身分違いの男女関係というのは戦前メロドラマの基本的な構図の一つですが、 結婚適齢期の男女関係を扱うものがほとんどで、 『母の曲』のように年頃の娘のいる母親の世代をメインに据えたものは、 ありそうで観たことなかったな、と、新鮮に観ることができました。 お稲と桂子の関係を強調する一方、純爾を挟んだ三角関係はもやは愛憎を感じさせないもので、 メロドラマというより母娘ものの映画と感じられました。 原 節子 の演じる桂子は、母への思いこそ丁寧に描かれているものの、結婚することとなる男性との関係の描写は図式的。 そういう点ではロマンチックな趣に欠ける映画ではありました。

『安城家の舞踏会』
1947 / 松竹大船 / 白黒 / 89 min.
監督: 吉村 公三郎.
瀧澤 修 (安城忠彦), 森 雅之 (長男・正彦), 逢初 夢子 (長女・昭子), 原 節子 (次女・敦子), 日守 新一 (忠彦の弟・由利武彦), 清水 将夫 (新川龍三郎), 津島 恵子 (娘・新川曜子), 神田 隆 (遠山 庫吉), 空 あけみ (小間使・菊), 村田 知英子 (妾・千代), etc

あらずじ: 元華族の安城家は、終戦後に華族としての特権を失い、屋敷を手放さなくてならないほど困窮していた。 次女の敦子以外はそのことに直面できないでいた。 忠彦は抵当権を持つ新川に希望を持っていたが、新川が助けにならないと気付いている敦子は元・運転手の遠山に屋敷に買いとってもらった方が良いと考えていた。 安城家は最後の華にと舞踏会を開くこととし、舞踏会には新川や遠山も含め関係者一同が会することになった。 新川が娘 曜子と安城家の長男 正彦との婚約を破棄し屋敷を奪い取る気であることを、忠彦はやっと悟る。 遠山は屋敷を買い取る金を持って現れるが、長女・昭子への思いを告白するも拒絶され、呑んだくれてしまう。 曜子は長男・正彦に手篭めにされそうになるが、正彦と関係を持っていた小間使の菊に救われる。 敦子は遠山の持ってきた金を新川に渡し、新川父娘を屋敷から追い出す。 酔ってふらふらな状態で屋敷から出ていった遠山を昭子は追っていく。 忠彦は妾・千代を正式な妻として迎えることとする。 舞踏会が終わってがらんとした屋敷の中で、忠彦は自殺を図るがすんでのところで敦子に止められる。 敦子は忠彦にダンスを促し、二人が踊る様子を見た長男・正彦は小間使・菊の気持ちにやっと向き合うようになる。

戦前特権階級の戦後の没落を描き、1947年のキネマ旬報ベストテン第一位となった映画。 安城家のそれぞれが華族でなくなることを受け入れる様を、それぞれの身分違いの男女関係、 忠彦と妾・千代、長男・正彦と小間使・菊、長女・昭子と元運転手・遠山との関係を受け入れることと絡めて メロドラマティックに描いています。 一同に会する場として舞踏会を用意し、一気にドラマティックに解決するというのもさすが。 前年のキネマ旬報ベストテン第一位だった 木下 惠介 (dir.) 『大曾根家の朝』 (松竹大船, 1946) [鑑賞メモ] ほど生硬く感じることもありませんでした。

原 節子の演じた次女・敦子は安城家の中ではただ一人、没落に向き合っています。 彼女は現実的に対処し、家族に没落を前向きに受け入れさせていくという役柄。 妾の千代や元運転手の遠山とも対等に接する彼女は、戦後の価値観を象徴していたのでしょう。 現実を受け入れられない父に対して懇切に接する様が描かれる一方、 他の3人のような男女関係が全く描かれていませんでした。

原 節子 の演じた役は、 『安城家の舞踏会』ではロマンチックな関係が描かれませんでしたし、 『母の曲[総集編]』では最後に結婚するもののその描かれ方は図式的なもの。 その一方で、親との関係は丁寧に描かれていて、この2本の映画で 「おとおさま」 (もしくは「おかあさま」) というセリフを何十回となく聞くことになりました。 戦後の 小津 安二郎 の映画での 原 節子 の役も親孝行で結婚に行きそびれている娘が多いですが、 このようなロマンチックな雰囲気な薄い親孝行なお嬢さんというのは、それ以前からのハマり役だったのかもしれません。

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余力あれば4本目もと思っていましたが、勢いが付かなかったので、止めておきました。 やっぱり、原 節子 はそれほど好きなタイプの女優ではないのかな、などど。 一日映画3本というと映画館浸りだったような気がしますが、 実は Der Ring des Nibelungen 1夜分のヴォリューム感。 それと比べれば軽いものです。(基準が狂っている。)

今回の特集上映のうち戦前の映画は、土曜に観た2本のみ。 戦前の 原 節子 の映画といえば 伏水 修 (dir.) 『東京の女性』 (東宝, 1939) が観たいのですが、 今回はかからずに残念。また別の機会を期待したいものです。 今回上映された『母の曲』は 吉屋 信子 原作。 神保町シアターの次回の特集は 『吉屋信子と林芙美子 女流作家の時代』。 野村 浩將 (dir.) 『男の償ひ』 (松竹大船, 1937) [鑑賞メモ] や 清水 宏 (dir.) 『家庭日記』 (松竹大船, 1938) [鑑賞メモ] など、 吉屋 信子 原作の印象深い戦前のメロドラマは少なくないので、楽しみです。 しかし、この特集上映で戦前のものは、 林 芙美子 原作の 豊田 四郎 (dir.) 『泣蟲小僧』 (東京発声, 1938) と 吉屋 信子 原作の 石田 民三 (dir.) 『花つみ日記』 (東宝, 1939) の2本のみで、ちょっと残念。 吉屋 信子 原作のサイレント映画 川手 二郎 (dir.) 『乙女シリーズその一 花物語 福壽草』 (新興シネマ, 1935) [鑑賞メモ] と 川手 二郎 (dir.) 『乙女シリーズその二 花物語 釣鐘草』 (新興シネマ, 1935) の伴奏付き上映があったらなあ、と。 9月から出張が多くなるし、10月の終末は観劇の予定でぎっちりなので、 観に行く余裕もあまりないような気もしますが……。

[3456] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Aug 28 23:33:47 2016

先週末の土曜8月20日は、昼過ぎまでに野暮用を済ませ、午後遅めに砧公園へ。この展覧会を観てきました。

Manuel Álvarez Bravo: Mexico, Light and Time in Silence
『アルバレス・ブラボ写真展––メキシコ、静かなる光と時』
世田谷美術館
2016/07/02-2016/08/28 (月休; 7/18開; 7/19休), 10:00-18:00.

メキシコ革命とその後の内戦の混乱が沈静化した1920年代半ばに活動を始め、 晩年の1990年代末まで活動を続けたメキシコの写真家 Manuel Álvarez Bravo の個展。 活動を始めたのが1920年代ということで、作風のルーツは新即物主義的とすら感じるモダニズム。 1920年代から1930年代にかけてのメキシコは、Diego Rivera らによる壁画運動が盛り上がっていた頃。 メキシコ革命への関心もあって欧米の文化人も多く訪れていた時代。 Álvarez Bravo はそういった芸術家や文化人との交流もあり、彼らのポートレートも多く展示されていました。 しかし、Álvarez Bravo は革命やその後の社会主義の熱狂を感じさせない、むしろその対極にある淡々とした作風でした。

寓意やユーモアを感じさせる写真なのですが、1960年代末以降のナラティブな写真ほど物語性が強くありません。 モダニズムが出発点らしい抽象度の高い余白の多い画面に、 人物や物を控え目に写し込むその象徴性とちょっとしたユーモア、そしてタイトルの妙もあって、 詩情が湧き上がってくるような写真でした。 特に1940年代から1960年代の写真にそんな面白さを感じる写真が多く、楽しめました。

スライドによる資料展示でしたが、日本人で後半生をメキシコで過ごした Seki Sano (佐野 碩) の作で、 アメリカ出身でメキシコで活動した女性舞踊家 Waldeen Falkenstein 振付・出演による舞踊劇 La Coronela (1940) の様子を捉えた一連の写真が展示されていました。 佐野 碩 については桑野塾で報告を聞いたことがありましたが、 その際はどんな作品を作っていたかの話がほとんど無かったので、 その作品の様子を垣間見るようで興味深く見ました。 Álvares Bravo の写真の作風より壁画運動の方に関連性の高い表現だったのかな、と。

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この日は二子玉川の花火大会。砧公園から二子玉川へは出ずに自宅に戻って、 毎年恒例となっている大家さん宅の花火宴。 屋上から花火鑑賞した後、日付が変わるまで呑んでました。 (このせいで、日曜は使い物になりませんでしたが。) 今年の二子玉川の花火大会は去年より豪華に感じられましたが、実際はどうだったのでしょう。 宴会では『シン・ゴジラ』話で盛り上がってしまいました。 去年の夏は呑むと Mad Max Fury Road の話ばかりしていたような記憶があるのですが、今年は『シン・ゴジラ』というか。

[3455] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Aug 28 20:01:39 2016

2週間近く前の話となってしまいますが、お盆休みの8月15、16日を使って、オペラのライブビューイングを観てきました。

『ニーベルングの指環』
Composer, Librettist: Richard Wagner.
Director: Robert Lepage.
A Metropolitan Opera (New York) production in collaboration with Ex Machina Québec)
Das Rheingold
『ラインの黄金』
from Metropolitan Opera House, 2010-10-09.
Cast: Bryn Tarfel (Wotan), Stephanie Blythe (Fricka), Richard Croft (Loge), Eric Owens (Alberich), Wendy Bryn Harmer (Freia), etc.
Conductor: James Levine.
上映: 東劇, 2016-08-15 11:00-14:30 JST.
Die Walküre
『ワルキューレ』
from Metropolitan Opera House, 2011-05-14.
Cast: Deborah Voigt (Brünnhilde), Bryn Tarfel (Wotan), Stephanie Blythe (Fricka), Eva-Maria Westbroek (Sieglinde), Jonas Kaufmann (Siegmund), Hans-Peter König (Hunding), etc.
Conductor: James Levine.
上映: 東劇, 2016-08-15 15:00-20:14 JST.
Siegfried
『ジークフリート』
from Metropolitan Opera House, 2011-11-05.
Cast: Jay Hunter Morris (Siegfried), Deborah Voigt (Brünnhilde), Bryn Tarfel (Wotan), Gerhard Siegel (Mime), Eric Owens (Alberich), Patricia Bardon (Erda), Hans-Peter König (Fafner), Mojca Erdmann (The Voice of a Woodbird), etc.
Conductor: Fabio Luisi.
上映: 東劇, 2016-08-16 11:00-14:46 JST.
Götterdämmerung
『神々の黄昏』
from Metropolitan Opera House, 2012-02-11.
Cast: Deborah Voigt (Brünnhilde), Jay Hunter Morris (Siegfried), Hans-Peter König (Hagen), Waltraud Meier (Waltraute), Iain Paterson (Gunther), Wendy Bryn Harmer (Gutrune), Eric Owens (Alberich), etc
Conductor: Fabio Luisi.
上映: 東劇, 2016-08-16 17:00-22:28 JST.

『METライブビューイング アンコール2016』で、 2010年から2012年にかけてカナダ・ケベックの演出家 Robert Lepage の新演出で上演された Richard Wagner: Der Ring des Nibelungen が一挙上演されたものを観てきました。

本来は序夜から第3夜の4夜に渡って上演されるものが、2夜ずつまとめて2日間での上映。 休憩時間込みで1日目は9時間余、2日目は11時間半近くということで、観終わったときは二日間にわたる耐久レースを完走したような気分でした。 休憩時間抜きの上演時間だけで15時間余りという長さで、良い場面もあれば、退屈も場面もあります。 全体として良かったかどうか、どうでもいいような気分になる長さでした。 Das Rheingold の中盤の城の建築費の支払いを Wotan が踏み倒そうとする所など退屈したし、 Die Walküre の第一幕、第二幕など、 こんなメロドラマティックなよろめき話や夫婦喧嘩に一幕も使うなよと思ったのは確か。 しかし、英雄の成長譚 Siegfried から 愛の裏切りと激しい復讐もメロドラマチックな Götterdämmerung になると、さほど退屈することはありませんでした。

一番楽しみにしていたのは、Robert Lepage の演出。 887 [鑑賞メモ] のような一人芝居というより、 むしろ、Cirque du Soleil: Totem [鑑賞メモ] に近い演出でした。 舞台を現代に置き換えるようなことはなく、衣装も普通に中世〜近世のヨーロッパを連想させるような具体的なもので、物語の解釈は比較的オーソドックスに感じました。 見所はなんといっても重た過ぎて劇場を補強する必要があったという、回転する24枚の厚板からなる45トンの舞台装置 “The Machine”。 一枚の板は幅60cm、長さ9mで、長辺に対する中央に回転軸があります。 板は一様な厚みではなく、片面はフラットでもう片面は回転軸の所を頂点とした、三角形の断面となっています。 舞台を横に横切るように回転軸が置かれ、それぞれの板が独立に回転・停止するだけでなく、回転軸自体が上下に動くようになっていました。 板を水平気味にしてその上にオペラ歌手を乗せて演技させたり、 板を垂直気味にして背景として使ったり。 これら24枚の板の傾きの組み合わせだけで岩場に見立てたり木々や建物に見立てたりすることも十分に可能だったとは思いま。 しかし、抽象度高めなものとはいえ板の表面にプロジェクションマッピンクをすることにより、ビジュアル的に鮮やかなものになっていました。

序夜 Das Rheingold のオープニング、 Rhinemaidens (ラインの乙女) の場面では、 ほとんど立った状態の “The Machine” の板の前に3人のオペラ歌手をワイヤで吊るしてヴァーティカル・シアター的な演出をしていました。 中盤、Wotan と Loge が Das Rheingold (ラインの黄金) を求めて地底の Nibelheim へ行く場面でも、 垂直という程ではないもののヴァーティカル・シアター的な演出でトリッキーに見せていました。 それほどではなくても、 Das Rheingold では斜めの板の上を駆け登らせたり滑り降りさせたりする場面も多く、 オペラ歌手にしてはかなりアクロバティックなことをさせており、凄いと感心しながら観ていました。 しかし、第1夜 Die Walküre 以降は、 アクロバティック演出は控え目になりプロジェクション・マッピング頼りの演出になってしまったように感じました。 Die Walküre の第3幕 “Walkürenritt” 「ワルキューレの騎行」などアクロバティックな演出が楽しめるんじゃないかと期待したのですが……。 やはり、オペラ歌手にそういうことをさせるのは無理があるということになったのでしょうか。

岡田 暁生 『オペラの運命』 (中公新書, 2001) [読書メモ] を読んで以来、 クラッシク音楽への関心ではなく20世紀の娯楽映画 (例えば Star Wars シリーズ) のルーツの一つという意味で、 Der Ring des Nibelung は一度は観ておきたいと思っていたので、やっとその宿題を果たすことができました。 家でDVDで観るなんて到底集中できないと腰が引けていましたし、 Robert Lepage のような好みの演出家の演出じゃなかったら部作15時間通して観てられなかっただろうとも思います。 今回のライブビューイングでのまとめ観は良い機会でした。

このような長丁場の上映の場合、食事をどう取るかが悩ましいわけですが、今回は弁当を持ち込みました。 実は、最近よくライブビューイングへ行くようになり、弁当を持参している人がいることに気付いて、これは使えると思っていたのでした。 劇場と違い映画館では客席での飲食が可能というのも、ライブビューイングの良さかもしれません。 弁当を買いに東劇に近い銀座のデパート地下街に行ったところ、「観劇弁当」が売られているこをを知りました。 これは、おそらく歌舞伎の観客向けなのでしょうか。 これがまさにうってつけ。弁当ながら美味しい食事を楽しむことができました。

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[3454] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Aug 21 23:15:36 2016

前日土曜の上野に続いて、14日日曜の午後は白金台へ。この展覧会を見てきました。

東京都庭園美術館
2016/07/16-2016/08/31 (7/27,8/10,8/24休) 10:00-18:00 (8/5,6,12,13 10:00-21:00).

18世紀末から20世紀初頭の西洋のこども服と、同時代の日本の洋装のこども服を、 保存状態の良い資料 (実際のこども服) やファッションプレート、 当時のこどもを描いた絵画、絵本や写真などを通して辿る展覧会です。 単なるファッション展というより、近代以降の「こどもの発見」をこども服を通して見るような展覧会でした。 また、扱っている時代が 『ファッション史の愉しみ−石山彰ブック・コレクションより』展 (世田谷美術館, 2016) [鑑賞メモ] と同じということもあり、その展覧会をこども服の観点から補完するよう。 この展覧会で18世紀末から20世紀初頭のファッション史が頭に入っていたことも、理解の助けになりました。

18世紀の思想家 Jean-Jacques Rousseau の「こどもの発見」などを背景に、 大人の服と区別されるこども服が登場するのですが、その流れは一様ではなかったとのこと。 帝政スタイルのシュミーズ・ドレスは18世紀にこども服として登場し、それが大人の服として広まったとのこと。 19世紀前半は大人服のミニチュアに戻ったものが、 19世紀後半、エプロンドレスやローウェストのワンピースのようなこども服が登場するという。

日本の洋装こども服については、服の資料は少なく、絵画等の関連資料が中心。 それでも、まずは和装にエプロン (前掛け) という形から洋装がこどもへ浸透していったことや、 大正から昭和初期にかけての戦前モダン期は、大人より洋装が進んでいたことなどが伺える展示でした。 ところで、大正〜昭和初期のこども服の資料として、 絵画、写真、ポスターなどの商業美術等が使われていたのですが、映画はありませんでした。 しかし、例えば、小津 安二郎 『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』 (松竹蒲田, 1932) や、 清水 宏 『子供の四季』 (松竹大船, 1939) などのこどもを主人公とした映画は、 この展覧会の関連資料として使えそうとも思いました。

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[3453] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Aug 21 19:53:12 2016

先週末の話になってしまいましたが、13日土曜の夕方、『ポンピドゥー・センター傑作展』を観た後、 同じ美術館で開催していたこの展覧会も観てきました。

Dialogue with Trees: Five Stories of Rebirth and Renewal
東京都美術館
2016/07/26-2016/10/02 (月休;9/19開), 9:30-17:30 (金 -20:00; 8/5,6,12,13,9/9,10 -21:00; 9/23,9/30 -17:30).
國安 孝昌, 須田 悦弘, 田窪 恭治, 土屋 仁志, 舟越 桂.

東京都美術館開館90周年の日本人作家5人によるグループ展。 具象の木彫を3人 (須田 悦弘, 土屋 仁志, 舟越 桂) と インスタレーション2人 (國安 孝昌, 田窪 恭治) という組み合わせだが、 展覧会として分裂をさほど感じさせず、うまくまとめた展覧会だった。

それぞれの作家に個別に展示空間が割り当てられ、 強く作品間を関係付けるような展示ではなかった。 しかし、建物レベルのスケールの國安 孝昌、家具レベルのスケールの田窪 恭治、 人物大の舟越 桂、小動物大の土屋 仁志、そして、草花大の須田 悦弘、 そんなスケール感の階層が全体として生態系を作りだしているよう。

どちらかといえば、インスタレーションの方が好みで、 國安 孝昌 「CHI VA PIANO VA LONTANO (静かに行く人は、遠くへ行く)」 (2016) の陶ブロックと木材からなるマッシブなインスタレーションの迫力を楽しんだし、 田窪 恭治 「感覚細胞–2016・イチョウ」 (2016) のイチョウの緑と根元に敷き詰められた鋳鉄ブロックの鮮やかなオレンジのコントラストも良かった。

さりげなく繊細に展示された 須田 悦弘 の草花の木彫も相変わらずだった。 土屋 仁応 の作品は今までピンとこなかったのだが、この展覧会で初めて良く感じられた。 作風が変わっていたわけではないが、展示の文脈を得て、命を感じられた。

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上野で展覧会、舞台公演などを観た後はたいてい、上野動物園は閉園間際か閉園後。 ついでに立ち寄ることはないのですが、この日は、夜間開園の日。 閉園まで一時間半ほどあったので、久しぶりに入園しました。 全ての展示が観られるわけでなく、展示は開いていても寝ている動物も少なくかったですが、 あっという間に一時間が過ぎてしまいました。 たまには昼にのんびり過ごすのもいいかもしれないなあ、と。

[3452] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Aug 17 23:28:47 2016

13日土曜は昼過ぎに上野公園へ。 まずは、上野の森美術館で展覧会 Hello My Name Is Paul Smith を観てきました。ファッション展もそれなりに観てきているつもりですが、 ここまで服が展示されていないとは予想していませんでした。 Paul Smith の服飾デザインのイメージを作りだしているものを展示している、ということなのでしょうが、 造形的なインスピレーションの源泉というより、むしろ、文化的な文脈を示すような絵や写真などのイメージを集積したというもの。 Paul Smith のデザインは伝統的なスタイルにポップな遊びを入れたようなもので、 素材や造形な斬新さ、面白さを追求するようなデザインではないと思っていましたが、ここまでとは。 服飾デザインにおけるある種のポストモダニズムの極北を見た気がしました。

この後は、東京都美術館へ移動。この展覧会を観てきました。

Masterpieces from the Centre Pompidou: Timeline 1906-1977
東京都美術館
2016/06/11-2016/09/22 (月休;7/18,9/19開;7/19休), 9:30-17:30 (金 -20:00; 8/5,6,12,13,9/9,10 -21:00).

1977年フランス・パリに開館した美術、音楽、映画等の複合文化施設 Centre Pompodou のコレクションに基づく展覧会。 「ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで」という邦題副題や「20世紀の巨匠たち、ぞくぞく。」というキャッチコピーに、 著名な作家の作品がだらだらと並んでいるだけではないかと、嫌な予感がしていました。 しかし、1906年から1977年まで、1年ごとに1作家の1作品を取り上げるという縛りが効いて、 とても面白い展覧会になってしました。

20世紀初頭から戦間期にかけての初期モダニズムを感じる1906-1934、 第二次世界大戦を挟んで戦争の影響を感じさせる時代からの戦後のモダンに連なる1935-1959、 多様性に美術のモダンの終焉を感じる1960年以降という三部構成。 近現代美術の文脈の絵画や立体の作品を中心としたセレクションでしたが、 特に第一部を中心に、写真、映画、デザインや建築の分野も取り上げられていました。 特に、プレストレスト・コンクリート (prestressed concrete) の先駆者として知られる土木技術者 Eugène Freyssinet が手がけた Hangars de l'Aéroport d'Orly (オルリーの飛行船格納庫, 1923) は、 建築中の現場のドキュメンタリー映画が上映されていたのが、目に止まりました。 戦間期モダニズムを感じされる建築と映像で、こういうものがもっと多く取り上げられていたら、と。

確かに副題に挙げられているような著名な作家の作品も出ていましたが、 今まで意識して観る機会の無かった作家も多く、こんな作家がいたのかと気付かされました。 戦後は Nouveau Réalisme の作家が多く選ばれていましたが、 Yves Klein、Jean Tinguely、Niki de Saint Phalle といった Nouveau Réalisme の有名どころが軒並み外されていて (単にコレクションに無かっただけかもしれないですが)、そこに多様性と層の厚さを実感。 著名な作家にしても、必ずしも代表的な作風ん作品や有名な作品が選ばれているわけではありません。 その結果、作家性が抑えられる一方で時代性が表に出て、 「ポンピドゥー・センターの作品で描く1906-1977という時代」とでもいう内容になってました。 美術史的な面を強調するような構成ではなく、フランスの戦後美術史への理解が深まったというほどではないですが、 アメリカ中心の (MoMA的な) 戦後美術史へのバイアスに気付かされたようにも感じました。

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この後の話はまた後ほど。

[3451] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Fri Aug 12 1:35:18 2016

祝日「山の日」となった11日は、午後に川崎等々力へ。この展覧会を観てきました。

Exhibition: Drawing Manga!– Lines, Panels, Kyara
川崎市民ミュージアム
2016/07/23-2016/09/25 (月休;9/19開;8/12,9/20,9/23休), 9:30-17:00.

戦後マンガ史に沿って、描線やコマ割、キャラなど、マンガの表現技法に焦点を当てた展覧会です。 戦前からの赤本マンガにも目配せしつつ、トキワ荘の作家たちに始まり、 それ以降の劇画、少女マンガでの技法、最近の萌えキャラまで。 13名のマンガ家の表現技法を、その原画等の資料を用いて示していました。 単に技法だけでなくそのマンガ史上の展開もわかるよう、 技法だけでなくイベント的な背景もわかるような資料も補助線的に展示されていました。

マンガは熱心な読者ではないどころか、最近はほとんど読んでおらず、 展示されていたマンガの多くが読んだことがないものでしたが、 なるほどマンガはこう描かれているのか、と、興味深く読むことができました。 マンガの表現技法については、1990年代に 『マンガはなぜ面白いのか―その表現と文法』 (NHKライブラリー, 1997) など、夏目 房之介 の著書で勉強したことがありましたが、 その後の展開をフォローしていませんでした。 この展覧会で知識をアップデートできたでしょうか。

この展覧会で特に秀逸だったのが、「田中圭一の視点!」と題された解説パネル。 パロディ・マンガというかマンガの画風の模写で知られる 田中 圭一 が、 その模写などを使いつつ具体的に展示作家と関連する技法を解説したものです。 これを読んでから展示されている絵を見直すと、 なるほどこういうことかと腑に落ちることしきりでした。 このパネルは、表現技法のうち描線に若干内容が偏っていたので、 展覧会全体として描線にウェイトが置かれているようにも感じたほどでした。

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帰りはバスで武蔵小杉に出たので、そこから川向かいの大田区の多摩川駅まで夕方の散策。 先の土曜は仕事していたのですが、帰りに二子玉川ライズ109シネマで映画 『シン・ゴジラ』 (庵野 秀明 (総監督), 東宝, 2016) を観たのでした。 その中盤の多摩川防衛ラインでの対ゴジラの激戦の舞台が、武蔵小杉から丸子橋にかけて。 中学から20年近くを大田区で過ごし、今でも実家が大田区にあるので、 腰を壊して自転車に乗れなくなるまで、この界隈にはよく来ていました。 ちょっと懐かしくなったので、近くに来たついでに散策したのでした。 映画『シン・ゴジラ』は、特に前半は見慣れた街がゴジラに蹂躙されるという衝撃的な内容。 劇中での政府の意思決定プロセスや巨災対なども、あまり他人事ではなく、いろいろ思うことはありますが (多くは語らない)。

[3450] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jul 31 22:45:07 2016

土曜の晩は東池袋でこの舞台を観てきました。

Karl Stets
あうるすぽっと
2016/7/30, 18:00-19:10.

Karl Stets は1992年から活動するデンマーク出身のサーカス・パフォーマー。 2002年からはスペイン・カタルーニャ州バルセロナを拠点に活動しているという。 Cuerdo は Stets の約1時間のソロパフォーマンス。 映像や舞台装置で斬新な演出をすることはなく、 音楽もポータブルカセットレコーダーを拡声器につないで自分で操作するというもの。 劇場ならではの照明による演出はあったが、客いじりもあり、劇場以外でも上演しても楽しそうな作品だった。

踏み台にもなるような革の鞄を背に乗せて客席から登場し、 その中からいろいろ道具を取り出しつつ芸を繰り出していく。 基本はロープのマニピュレーションで、導入はちょっと遊ぶような小技を見せた後、 ロープの一端を細い糸で鞄に固定して、その張力を使ってロープを蛇のように身に這わせたり。 最後近くはローブを足や頭に巻きつけながら身体の動きで結ぶマニピュレーション。 最初にやったような小技に戻って終わるという。 細いマニピュレーションだけでなくポイのような動きのある技や、綱渡りのような大技もあった。 縄以外には、9台のネズミ捕りを床に並べて、目隠しをしてネズミ捕りに触れないように足を移動するという技もあった。

技をまとめ上げるような物語もなく、 全体として一つの独特な世界を作り出すような舞台ではなかった。 派手な大技で観客をひきつけたりすることもなかったが、 ロープを鍵となるモチーフとして、 細身のスキンヘッドで立ち振る舞いも謎めいた怪人風のキャラクターで全体をまとめていた。 そんな雰囲気も楽しめた舞台だった。

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東池袋に行く前、土曜の午後は、竹橋へ。 東京国立近代美術館『声ノマ 全身詩人、吉増剛造展』を観てきました。 詩人の展覧会ということでどんな展示をしているのだろうという興味もあったのですが、 予想以上にかっこいい展示空間。 しかし、展示内容がイマイチ入ってこなかったせいか、なんか雰囲気に騙されているような気分に。うーむ。

日曜の晩も気になるライブがあったももの、結局休養に充てることに。ううむ。

[3449] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jul 24 23:22:02 2016

1ヶ月ぶりのCD/DL聴取メモは、 ブラジル出身ながらニューヨークの jazz/improv 文脈で活動する打楽器奏者 Cyro Baptista 絡み2タイトル。

(Tzadik, TZ4014 / Spectrum 14, 2016, CD)
1)Menina 2)Trovao 3)Kong 4)Bala 5)Tarde 6)Hammer 7)Aguidavi 8)From The Belly 9)T Rex Constitution 10)Love Song 11)Under The Influence 12)Menina Interlude
Recorded 2014-2015.
Cyro Baptista (percussion, vocals), Vencent Segal (cello), Ira Coleman (bass), Tim Keiper (kamel ngoni, drum set); Romero Lubambo (guitar) on 4; Kevin Breit (mandoline archestra) on 3,6; Ikue Mori (laptop) on 9; Brian Marsella (shahi banjo, andes #25F, fender rhodes) on 5,7; Cabello (percussion) on 7; Cadu Costa (guitar, clarinet) on1,4,5; Leni Stern on 8; Amir Ziv (drums) on 9; etc.

Cyro Baptista はブラジル出身ながら1980年代以降ニューヨークで活動するパーカッション奏者。 John Zorn の Tzadik レーベル界隈を中心に jazz/improv の文脈での活動が目立つが、 よりメジャーなミュージシャンのセッションにも多く参加している。 この新作は4tetを核にしたセッションを集めたもの。 その 4tet のメンバーとしてフランスの cello 奏者 Vincent Segal が参加している。 Bumcello [鑑賞メモ]、 最近は Ballaké Sissoko とのデュオ [鑑賞メモ] で知られる Vincent Segal だが、 その独特な cello の響きが十分に楽しめる。 kamel ngoni の音色あって西アフリカ風に聴こえたり、 澄んだ acoustic guitar にブラジルっぽさを感じたり、 ゆったり弓引きの cello の曲に地中海の音風景が浮かび上がるようだったり、と、 時には percussion の中心のアブストラクトな展開もあったり。 どこかのようでどこでもない jazz/improv 的な前衛 folk/roots アンサンブルとして楽しんでいる。

New Zion w. Cyro
(RareNoise, RNR065, 2016, CD)
1)BrazilJah 2)Chalice Pipe 3)Mystics 4)Sunshine Seas 5)Growing Grow 6)Onda 7)Ranking 8)Lamb's Bread 9)Samba Jahmekya
Produced by Jamie Saft and Christian Castagno. Dub Mixes by Christian Castagno.
Jamie Saft (keyboards, guitars, electric bass), Cyro Baptista (percussion, vocals), Brad Jones (acoustic bass), Craig Santiago (drums, nyabinghi drum); Vanessa Saft (vocals) on 4.

やはり、John Zorn の Tzadik レーベル界隈を中心にニューヨークの jazz/improv の文脈での活動する Jamie Saft 率いる New Zion Trio。 彼らの3作目に、Cyro Baptista が参加している。 ジャズピアノトリオをヘビーにダブワイズな音処理を美しく合わせ込んだ音楽で知られる New Zion Trio で、 この新作でも “Growing Grow” や “Lamb's Bread” など、そういう曲も楽しめる。 しかし、この新作はピアノの澄んだ音がほとんど聞こえない展開が増え、 そういう所では Bill Laswell / Jah Wobble あたりのプロジェクトに近くなってしまったよう。 一方で、“Chalice Pipe” や Vanessa Saft の歌をフィーチャーした “Sunshine Sea” など Cyro Baptista の持ち込んだブラジル風味も生きた曲もあり、こういう曲をもっと演って欲しかった。

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土曜は動き出しが遅れたこともあって所用二件を済ませたら夕方。 その後、軽く銀座のギャラリーを巡ったのですが (多くは語らない)。 資生堂ギャラリー石内 都 『Frida is』 は Frida Kahlo の遺品を撮った写真で、 確かに 石打 都 らしい写真で美しくもあるのだけど、もう一歩ひっかかりに欠けたような……。

どうも疲れが抜けないので、日曜は大人しく休養にあてたのでした(弱)。

[3448] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Jul 21 0:10:25 2016

土曜の疲れもあって、日曜は昼過ぎまでゆっくり。 夕方に池袋へ出て、この舞台を観てきました。

『ロミオとジュリエット』
Company Derashinera: Romeo and Juliet
東京芸術劇場 シアターイースト
2016/07/17, 18:00-19:30.
原作: William Shakespeare: Romeo and Juliet. 翻訳: 松岡 和子.
演出: 小野寺 修二; 美術: 石黒 猛.
出演: 斉藤 悠, 崎山 莉奈, 王下 貴司, 大庭 裕介, 藤田 桃子, 小野寺 修二.
初演: 高知県立美術館, 2011.

小野寺 修二 (ex-水と油) 主宰のカンパニーデラシネラの2011年初演の作品。 2011年にIID世田谷ものづくり学校で観ているのですが [鑑賞メモ]、 良い印象が残っておらず、 再演を繰り返していたのは知っていましたが、見切ってしまっていた感もありました。 しかし、5月の静岡の『「まちは劇場」プロジェクト ストレンジシード』での良い評判を目にしたので、 再見することにしました。

前に観たときは元学校の教室という狭い空間で、身体の動きもこじんまりとしてしまっていましたが、 劇場の広い空間を得て、ダンスやマイムの動きものびのびと、遥かによく感じました。 動きとセリフを別のパフォーマーに振り分けたり、ダンスやマイムでの象徴的な動きで場面や心理を表現しながら、 異化を狙うというより、想像が促されるよう。そこが良く感じられました。 演劇の間にダンスシーンがあるのでもなく、ダンスの合間にセリフで場面や背景を説明するのでもなく、 そんな区別のない身体的な表現を駆使した抽象的な演劇に感じられました。 海外の演劇を観ているとそう感じる作品も少なくなく、 例えば2010年に観た Runar Hodne / Nationaltheatret: En Folkefiende [鑑賞メモ] を連想しましたし、 最近観たものでは、ライブ・ビューイングですが、 Marianne Elliott / Royal National Theatre: The Curious Incident of the Dog in the Night-Time [鑑賞メモ] での鉄道や地下鉄の場面の描写を思い出しました。 カンパニーデラシネラは、こういった演劇表現に日本で最も近い所にいるカンパニーかもしれません。

この『ロミオとジュリエット』は「『劇場』ではない場所での空間の持つ特性を生かした作品」ということで、 初演は美術館のエントランスでの上演でしたし、今年5月の静岡も市役所の玄関前での上演、 今年6〜7月には全国の小中学校を回るツアーをしています。 今回は劇場での公演ということで少々変則的な所もあったのかもしれません。 しかし、ハンディライトやスポットライトを使った演出など、照明をコントロールできる劇場ならではの演出も楽しむことができました。 劇場ではない場所ならでの観客参加型の演出もこの作品の謳い文句になっていて、 確かに、舞踏会の場面での観客を舞台に上げてのダンスや、結婚式の場面で観客に祝福させたりと、観客参加が楽しめる所はあります。 しかし、作品全体から見ると観客が参加する場面は作品に不可欠な要素というより補助的なものでした。

初演から5年上演し続けていた作品ですが、ここまで練度が上がっているとは思いませんでした。 オリジナルの脚本ではなく古典的名作に基づいているということもレパートリー化に向いているのかもしれませんが、 レパートリー化して再演を重ねることの意義を見たようにも思いました。

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池袋西口広場では、恒例となった 『にゅ〜盆踊り』 をやっていましたが、そこまで気分が上がらないので、 いきつけのジャズ喫茶に直行して大人しく過ごしたのでした。

先週は月曜から金曜まで出張続きの死のロード状態。土曜も三島日帰り旅行。 日曜はまだもっていたのですが、さすがに疲れが出て、祝日の月曜は使い物にならず。 気になるイベントが無いわけではなかったのですが、休養していました……(弱)。

[3447] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Jul 18 23:54:38 2016

土曜は朝には家を出て、特急踊り子号で伊豆長岡へ。 「明治日本の産業革命遺産」を構成する近代化遺産として世界文化遺産となった 韮山反射炉を観てきました。 ミュージアムはまだ建設中で展示が充実しているとは言い難かったのですが、 反射炉ビアの直営レストランでランチしてとりあえず満足。

韮山反射炉といえば、映画 『伊豆の娘たち』 (五所 平之助 (dir.), 松竹大船, 1945) [鑑賞メモ]。 町中のロケは大仁だったと聞きますが、反射炉の近くのロケ地である、 長女 静江 (三浦 光子) と宮内 (佐分利 信) が町内の仕事の合間に二人で休んだ 韮山反射炉や蛭ケ小島を見渡せる土手でも探してみようかと思っていました。 しかし、家が立ち並んでそんな見通し良い場所がないうえ、そもそも区画整理もされたようで、すっかり景観が変わってしまっていました。 ということで、ロケ地探しは断念。

早々に三島に戻って、南口にある楽寿園駅前口広場で14時から SPAC 『古事記エピソード1 ヤマタノオロチ!』 を観ました。 SPACらしい神話を祝祭的に仕上げたパフォーマンス。 その後、軽く散策しつつ楽寿園を抜けて、中央町へ。このパフォーマンスを体験してきました。

三島市立中央幼稚園
2016/07/16, 15:20-16:20.
Concept and joint creation: Cía. Kamchàtka.
Artistic direction: Cía. Kamchàtka y Adrián Schwarzstein.
Adrián Schwarzstein, Cristina Aguirre, Maïka Eggericx, Claudio Levati, Andrea Lorenzetti, Judit Ortiz, Lluis Petit, Edu Rodilla, Santi Rovira, Gary Shochat.
Craation: 2010.

Cía. Kamchàtka はスペイン・カタルーニャ州バルセロナを拠点とする teatre carrer (street theatre, théâtre de rue) のカンパニー。 主宰の Adrián Schwarzstein は Commedia dell'Arte の学校で学んでおり、大道芸の演目 The Green Man や、 Circus Klezmer というサーカスのプロダクションもある。 Circus Klezmer は2007年の 『大道芸ワールドカップ in 静岡』 の「プレミアムサーカス」として来日している [鑑賞メモ]。 今回来日したこのストリート・シアターは、 SPAC静岡県舞台芸術センターの 『ふじのくに野外芸術フェスタ2016 in 三島』 のプログラムである。

Habitaculum (ラテン語で「住居」の意) は路上で繰り広げられるパフォーマンスではなく、 使われなくなった住居等を選び、そこにインスタレーションを施し、やってくる観客をもてなすという、サイトスペシフィックなパフォーマンス。 今回の公演では三島市中央幼稚園として使われていた建物を用い、『ライフ・アット・中央幼稚園』という邦題が付けられていた。 受付と待合室が設けられた市役所中央町別館から、3〜4名ずつの小グループで路地を会場の幼稚園の方へ向かうと、 日本の夏らしからぬ冬のジャケット姿のパフォーマーが待ち構えている。 そこは、会場に入る前の手荷物預り場でもあるのだが、言葉で丁寧に説明するのではなく、 身振りや視線で荷物を預けさせることを促すというもの。 ここが始まりで、ここから同じ班となった女性2人を荷車に乗せパフォーマーの男性と2人で引いて幼稚園へ向かった。

幼稚園の中では、6部屋でそれぞれパフォーマンスが繰り広げられており、歩き回りながら順不同でそれらを体験していく。 最初は砂を敷き詰めた部屋か、発泡スチロールの小玉を敷き詰め送風機で吹き上げている部屋。 そこで靴を脱がせられ、気づくと靴が下駄箱に隠されてしまい、あとは裸足で会場を巡っていく。 ある部屋ではバジルの葉を刻むように促され料理の真似事をさせられ、 ある暗幕で暗くした部屋では立ったまま寝るような姿勢を取らされぼんやり夢のような人形劇をみせられ、 ある部屋ではぬるま湯の入った風呂に足を付けさせられ観客同士で足をマッサージしあったりさせられる。 言葉は一切使わず、身振りや視線で観客に行動を促していく。 深くコンセプチャルな面を感じさせるようなものではなく、たわいないのだけど、 童心というかノスタルジックな遊び心を擽られ、小一時間楽しんでしまった。

カンパニーのプロフィールを見ても、所属のパフォーマーの多くが「クラウン」としてクレジットされている。 この観客体験型のパフォーマンスは、彼らのクラウニング、特に、サーカスの開演前にクラウンが観客弄りするグリーティングの技術を生かしたものだろう。 グリーティングの技をサーカス的なショーという文脈から抽出し、むしろ非祝祭的な住居空間の中でささやかな遊び心を引き出す技として使う。 コンセブチャルな面を表に出さず、観客の遊び心をうまく引き出そうという所が、観客参加型パフォーマンスの魅力だろう。

Cía Kamchàtka は、Habitaculum の他に、 2007年初演の Kamchàtka も邦題『三島の異邦人』として上演している。 こちらは、街中でのパフォーマンスで、7月8日午後に三島へ観に行く予定だったのだが、大雨の予報で、残念ながら観に行くのを諦めたのでした。

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その後、夕食の時間まで余裕があったので、ガイドブックも持たずに三島市内を散策。 三島は伊豆国の国府だっただけに、由緒の古い寺社が多くあります。 伊豆一宮の三嶋大社に伊豆国分寺。 三嶋大社の門前を東西に走る東海道に対して国分寺がワンブロック引っ込んだ所にあることが不思議だったのですが、 国分寺に向かって路地を歩いていてその路地が鎌倉古道だと気付いて、 三嶋神社の南への拡張に伴い東海道が南に移動したのか、と。 由緒ある寺社だけでなく、市内は富士山からの湧水を水源とする清流があちこち流れて、それにそった緑道も整備され、 地形的にも歴史的にも散策していて面白い町でした。

夕食は三茶の行きつけの店で教えてもらったイタリアン・レストランへ。 バジリカータ州出身というオーナーもフレンドリーで、料理も美味しく、楽しい時間を過ごせました。 そんなに三島に行く機会はありませんが、行ったときは是非立ち寄りたいものです。

[3446] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jul 10 21:49:32 2016

土曜は朝から本降りの雨。 『ふじのくに野外芸術フェスタ2016 in 三島』に行く予定は中止。 外出する気も削がれがちだったのですが、雨も弱まってきた午後遅めに高円寺へ。この舞台を観てきました。

L'Apres-midi d'un Foehne - Version 1
カンパニー・ノン・ノヴァ 『牧神の午後 version 1』
座・高円寺 阿波おどりホール
2016/07/09, 15:00-15:30.
Conception et écriture: Phia Ménard, assistée de Jean-Luc Baujault.
Interprétation: Jean-Louis Ouvrard.
Création: 2011.

Cie Non Nova は元 Cie Jérôme Thomas の Phia Ménard が1998年に設立した フランス・ナント (Nantes, FR) を拠点とするコンテンポラリー・サーカスのカンパニー。 ジャグリングを中心としたレパートリーが多いようだが、 2008年より I.C.E. (Injonglabilité Complémentaire des Eléments, 「ジャグリング不可能な相補要素」) という ジャグリングによらないプロジェクトにも取り組んでいる。 L'Apres-midi d'un Foehne - Version 1 は I.C.E. の作品の一つで、その中の “Pièce du Vent” 「風の作品」三部作の第1作にあたる。 残り2作 L'Apres-midi d'un FoehneVORTEX は2作合わせて上演されるようになっている。 L'Apres-midi d'un Foehne - Version 1 は、2013年の Edinburgh Fringe や London International Mime Festival 2014 で話題になっており [The Guardian記事]、 当時から生で観たいと思っていた作品だった。

L'Apres-midi d'un Foehne - Version 1 は、 「レジ袋」としても知られるスーパーマーケット等で使われる持ち手付きのポリマー製の袋 (ポリ袋) を人の形にして風で舞い踊らせる作品だ。 直径5mほどの円形の舞台の円周を6等分する位置に6台の送風機が内向きやや下向きに角度を付けて置かれていた。 奥に「花道」が作られ、作業机と送り出し用の送風機がもう一台置かれていた。 内向きやや下向きという6台の送風機の角度が絶妙で、 これで舞台中央の上昇気流と、舞台円周の下降気流を安定して作り出し、 ポリ袋を飛び散らさせずに舞わせるることを可能にしていた。 また、足となる袋の持ち手部にウェイトを付けて袋の姿勢を安定させていた。 動画で観ていたときは、アップ中心のカメラワークもあって、 どのようにコントロールしているのかよくわからなかったのだが、 舞台全体を観てなるほどと納得。 多くのポリ袋が舞うようになった中盤、ビニール傘を持ち出し開いて舞台中央に下向きに置くと、傘の中にポリ袋が人の手を介することなく自然に収まっていった。 傘の内側だけ上昇気流が無くなるためだが、これもなるほどと思わせる面白いアイデアだった。

といっても、ポリ袋が舞い踊って面白いというだけでは、30分ももたない。構成も巧みだ。 全て既に出来上がったボリ袋の人形を躍らすのではなく、 最初の一体をハサミとセロファンテープで作ることろから見せる。 これから踊らせるのは特製の人形ではなく、どこでもあるポリ袋にちょっと手を加えた程度のものだと示すように。 そして、その最初の一体をまず踊らせるのだが、ギリギリの風量で舞うか舞わないかといったところで、 L'Apres-midi d'un Foehne の Claude Debussy の音楽が流される。 すると、まるで静かに始まる音楽に合わせてポリ袋が身を震わすように踊っているように見えるのだ。 このように引き込まれると、後はポリ袋が踊っているようにしか見えなくなった。 踊るポリ袋の増やし方も、奥から風に乗せて送りだしたり、ステージを歩きながら懐からいくつもの袋を投げ出したり。 さすがジャグラーと思わせる、その身振りや投げ出すコントロールも良かった。 踊るポリ袋を肩にのせるかのようにしたりと戯れるようなほのぼのとした展開だけでなく、 最後にはハサミなどを使って舞っていたポリ袋をズタボロにし、その残骸が舞台中央に吹寄され、殺伐とした雰囲気で終わる。 単に綺麗で面白いものを観たで終わらせない後味を残す所も良かった。

海外での公演のレビュー等を読んで期待が大きかったので、 逆に物足りなく感じるのではないかと不安だったが、期待に違わず十分に楽しめた舞台だった。

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その後は、六本木へ移動。 森美術館で 会期末になってしまった 『六本木クロッシング2016』 に滑り込み。 しかし、この手の「現代アート」への興味が自分から失せてきてしまったのだなあ、と実感 (多くは語らない)。

土曜の晩はいきつけのジャズ喫茶でのんびり。死のロード (謎) に備えて、日曜は家事、休養に充てたのでした。

[3445] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jul 3 21:16:58 2016

土曜は昼過ぎまで家でゆっくり。午後遅めに動き出して横浜山下へ。この舞台を観てきました。

La Bayadère
KAAT神奈川芸術劇場 ホール
2016/07/02, 17:00-19:00.
演出: 金森 穣; 脚本: 平田 オリザ; 振付: Noism1.
音楽: Léon Minkus: La Bayadère; 笠松 泰洋.
空間: 田根 剛 (Dorell.Ghotmeh.Tane / Architects); 衣装: 宮前 義之 (Issey Miyake); 木工美術: 近藤 正樹.
舞踏家: Noism1 & Noism2; 俳優: 奥野 晃士, 貴島 豪, たきいみき (SPAC 静岡県舞台芸術センター).

Noism は新潟市民芸術文化会館「りゅーとぴあ」の劇場レジデンシャルのダンスカンパニー。 レジデンシャルのダンスカンパニーは日本では実質 Noism のみということで、一度観てみたいと思っていましたが、観るのは今回初めて。 Noism の「劇的舞踊」シリーズの第3弾となる『ラ・バヤデール — 幻の国』は、 公共劇場専属劇団であるSPACの俳優3人が客演し、平田 オリザ の脚本 という話題性もあり、 これもよいきっかけかと、足を運んでみました。

Léon Minkus 音楽、Marius Petipa 振付で1877年に初演された ballet 作品 La Bayadère を翻案した作品でしたが、 物語もダンスも予想以上にバレエ La Bayadère でした。 原作では古代インドが舞台のところを1931-1945の満州国を舞台に置き換えていましたが、 一見関係なさそうな話を巧みに繋ぐ見立てが、面白く感じました。 前半はダンスが物語や役割を説明し過ぎるように感じましたが、 後半のアヘンの幻覚の場面から、結婚式から最後のカタストロフは、ダンス中心となって、ぐっと良くなりました。 バレエ的なイデオムの強いダンスはさほど好みではないのですが、 鮮やかながら落ち着いた色と造形の面白い衣装での群舞は、十分に楽しめました。

俳優を客演させた部分については、特に 貴島 豪 演じた特務機関の陸軍将校ムラカミが、狂言回しというより物語の説明役みたいになってしまっていました。 La Bayadère のような古典をベースに作品を作る場合は、 観客も当然あらすじを押さえて観ているという前提で大胆に説明を省いて演出してしまっても良いように思いました。 あと、舞台音楽は世界観を統一する役割があるだけに、Léon Minkus の音楽とオリジナルのエスノ・アンビエント風の音楽にギャップがあったのも残念。 頑張って Minkus の音楽だけでやるか、いっそ、舞台の満州国に合わせた雰囲気のオリジナルの曲だけでやるか、 どちらかにすると良かったかもしれません。

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この後は、お台場へ移動。 日本科学未来館『Björk Digital ― 音楽のVR・18日間の実験』 を観てきました。 パフォーマンスやオープニング・パーティが話題になってやっと Björk 来日に気づいたほどですが、 VR体験型の展示だけでも観ておこうかな、と。 新しい技術に取り組んでそれをエンタテインメントに仕上げようという心意気はわからないのではないのですが、 やはり、彼女のキャラクターで辛うじてもっていると感じてしまいました。ふうむ。

体力温存でゆっくり動き出したものの、やはり2件ハシゴは消耗します。 日曜は今年初の猛暑日ということもあり、大人しく過ごしたのでした。

[3444] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Jun 29 23:26:36 2016

土曜の晩は、池袋から横浜みなとみらいへ移動。この野外公演を観てきました。

『日輪の翼』
Miwa Yanagi: The Wing of the Sun
横浜赤レンガ倉庫イベント広場
2016/6/25. 18:30-
演出・美術: やなぎみわ
原作: 中上 健次; 音楽監督: 巻上 公一
出演者: 重森 三果 (キクノオバ), Syndi Onda (ハツノオバ, ダンスホールの歌手), ななな (ミツノオバ), 檜山 ゆうこ (コサノオバ), 南谷 朝子 (サンノオバ, ソノノイネ), 上川路 啓志 (田中さん, オリエントの康, 土木作業員), 辻本 佳 (ツヨシ, 土木作業員), 西山 宏幸 (定男 (死のう団), マサオ), 村岡 哲至 (半蔵二世 (死のう団), テツヤ), 藤井 咲有里 (道子, ララ, 他), MECAV (タエコ, 喜視, 他), 松本 杏菜 (キキ, 他), サカトモコ (空中パフォーマンス), 石蹴 鐘 (空中パフォーマンス), 嶋村 泰 (死のう団員, 楽隊), Saro (死のう団員, 楽隊), 井尻 有美 (死のう団員, 楽隊).

現代美術の文脈はもちろん最近は演劇にも積極的に取り組んでいる やなぎみわ [関連する鑑賞メモ] の最新作は、 台湾で移動式貸し舞台として使われている移動舞台車を元にしたステージトレーラーを使っての野外劇。 このステージトレーラー自体はヨコハマトリエンナーレ2014で観ているのですが、その時はピンとくるものがありませんでした。 しかし、実際にステージとして使っているところを見れば印象が違うだろうかと、足を運んでみました。

タップダンス、ポールダンスやエアリアルなどのパフォーマーを使っているということで、 原作の物語は世界観を統一して技を繋ぐ緩い枠組みとして使う、サーカスやバーレスクショー的なものを予想していました。 しかし、実際のところはセリフも多くしっかり物語って、技はディティールの一部。 以前の作品を観ていたときにも感じていたことですが、演劇のセンスの人なんだなあ、と。 原作は1980年代のものですが、ステージトレーラーのビジュアルセンスや聖と俗の混交と祝祭性というテーマも、それ以前のアングラを思わせるものでした。 梅雨時期ながら雨に降られずには済みましたが、強風のためエアリアルは無し。ステージトレーラーも半開きになってしまいました。 野外公演が天候に左右されるのは仕方ありませんが、バーレスクショー的な期待も外れたこともあって、観ていて物足りなく感じてしまいました。

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副都心線〜東横線〜みなとみらい線で乗換なし一本で行かれるので、移動はなかり楽でした。 が、やっぱり、演劇などの公演は、無理してハシゴするもんではないな、なんて思ってしまいました。 2時間の公演2本は、きついです。 ということで、日曜はゆっくり休養に充てたのでした。

[3443] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jun 26 21:37:31 2016

土曜は昼に池袋へ。この舞台を観てきました。

東京芸術劇場 プレイハウス
2016/6/25. 14:00-15:45.
Written, designed, directed and performed by Robert Lepage
English Translation: Louisa Blair; Creative Director and Ideation: Steve Blanchet; Dramaturg: Peder Bjurman; Assistant Director: Adèle Saint-Amand; Composer and Sound Designer: Jean-Sébastien Côté; Lighting Designer: Laurent Routhier; Image Designer: Félix Fradet-Faguy; Associate Set Designer: Sylvain Décarie; Associate Properties Designer: Ariane Sauvé; Associate Costumes Designer: Jeanne Lapierre
An Ex Machina production. Commissioned by the Arts and Culture Program of the TORONTO 2015 Pan Am and Parapan Am Games.

カナダ・ケベック州出身の Robert Lepage が2015年に制作した一人芝居。 Lepage というと、映像やライティングを駆使したトリッキーな演出を期待するし、実際にその面も楽しんだ。 しかし、この作品では、労働者階級という自分の出自に関する個人史とケベック近現代史を絡めた語りが心に染み入った。

始まりは、La Nuit de la poésie de 1970 の40周年を記念した 2010年の La Nuit de la poésie で、 1970年に朗読された詩 Michèle Lalonde: “Speak White” [YouTube] の暗唱朗読することとなったが、 何故か覚えられない、という話。 そこから、半ば脱線するかのように自分が子供の頃の記憶の話となる — タイトルも子供に住んでいた家の住所から取られている。 そして、タクシードライバーだった父親をはじめとする家族や、住んでいた集合住宅の住人たちのエピソード、 さらに、1970年にケベックで起きたオクトーバー・クライシスなど、カナダ・ケベック州の近現代史の話へと広がっていく。 論理的に筋道立てられているわけではないが、話が飛びまくるという印象は受けなかった。 何か明確な結論や主張が伴っているわけではないし、 抑制されたユーモアはあるけれども面白おかしく脚色したりはしていなかったが、 淡々とした語りの上手さに引き込まれた。 セリフは英語とフランス語を交え日本語字幕での上演だったが、字幕であることなど忘れる程だった。

そして、広げられた話は、 Michèle Lalonde: “Speak White” の激しい暗唱朗読、そして、 その直後で最後の場面となる、祖母の死に涙する父の姿の回想で、ぐっと収束する。 子供の頃の記憶 — 労働者階級の生活やオクトーバー・クライシスに関するものなど — を関連付けることによって “Speak White” を記憶したんだと気づかされる一方、 “Speak White” は La Nuit de la poésie に出席するような名士たちのためのものではなく — Lepage の 887 を観に来るような人たちのためのものでもなく、 Lepage の父親のような政治的主張等はごくごく穏当で寡黙で勤勉に働く平凡な労働者のような人々のためにあるのだとも気付かされるという。

もちろん、映像投影を駆使して 子供の頃に住んでいた集合住宅のミニチュアを回転させたり扉状のものを開いたりすることで 現在住んでいる家の室内など様々に変化させたり、 小型カメラでミニチュアを撮影した映像をライブで投影するとこで異なる視点を挿入したり。 そういう Lepage らしい演出も楽しんだのも確か。 しかし、演出のトリッキーさの印象が残らないほど、語りに引き込まれた作品だった。

思えば、初めて観た Robert Lepage の舞台 The Far Side of the Moon 『月の向こう側』も、 米ソ冷戦と宇宙開発競争という大きな歴史と兄弟の不和と和解という私的な話を重ね合わせて語る一人芝居。 Lepage のそのような語りを作る巧さに改めて気づかされた。 それ以来 Lepage 作品の来日公演をそれなりに観てきたが、トリッキーな演出を楽しみつつも、 The Far Side of the Moon に比べて物足りなく感じていたのも確か。 887 を観て The Far Side of the Moon を観たときの感動を思い出した。 いや、それ以上のものがあったかもしれない。

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去年観た Needles and Opium も物足りないものだったので、 あまり期待していなかったのですが、予想を裏切る良さでした。 エンディングでは思わず目が潤んでしまいましたよ。 こんなことだったら、この後に予定を入れるじゃなかった。 もっと余韻に浸りたかったなあ、と。

Robert Lepage といえば、 Metropolitan Opera Live in HD の2016-17シーズンで Kaija Saariaho (comp.): L'Amour de loin 『遥かなる愛』が かかる予定。 しかし、その前に、アンコール上映2016で、 Lepage 演出の Richard Wagner の Der Ring des Nibelungen がかかります。 これは、勢いがあるうちに観ておいた方がいいかしらん、と。うーむ。

この後の話は、また後ほど。

[3442] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Jun 20 22:53:26 2016

3月以来久しぶりのCD/DL聴取メモは、フランスの jazz/improv 文脈で活動する bass 奏者率いる多国籍グループを。

(Zig-Zag Territories, ZZT100902, 2010, CD)
1)Sugar On The Ground 2)Someday 3)Monday 4)Haikool 5)Free At Last 6)Man Wo 7)Oran Nan Raiders 8)Green Power 9)Ishidatami 10)Chemistry 11)Blue Jay Way
Michel Benita (double bass, programming), Mieko Miyazaki (koto, vocals), Eivind Aarset (guitars, electronics), Matthieu Michel (trumpet, flugelhorn), Philippe Garcia (drums, sampler).
Michel Benita Ethics
(ECM, ECM2483, 2016, CD)
1)Back From The Moon 2)River Silver 3)I See Altitudes 4)Off The Coast 5)Yeavering 6)Toonari 7)Hacihi Gatsu 8)Lykken 9)Snowed In
Recorded April 2015.
Matthieu Michel (flugelhorn), Mieko Miyazaki (koto), Eivind Aarset (guitars, electronics), Michel Benita (double bass), Philippe Garcia (drums).

アルジェリア生まれで1980年代末から Label Bleu レーベルの一連の録音などフランスの jazz/improv の文脈で活動する doublebass 奏者 Michel Benita による多国籍グループ Ethics。 Benita は2000年前半 Erik Truffaz のグループで活動しており、その時の drums 奏者 Philippe Garcia も参加している。 このリズム隊に、スイス出身の flugelhorn 奏者 Matthieu Michel、 Jazzland レーベルからのリリースで知られるノルウェーの guitar 奏者 Eivind Aarset という編成は、 Mantis (Blue Note, 2001) の頃の Truffaz のグループを思わせるもの。 しかし、アラブ的な要素は無く、Huong Thanh や Nguyên Lê との共演で知られるフランスで活動する箏奏者 Mieko Miyazaki をフィーチャーしている。

2010年の1stアルバムは、Truffaz ほどビートを効かせた展開はなく、むしろゆったり浮遊感を感じさせるものだが、 electronics のテクスチャ、時にロック的な展開もあり、まだ nu jazz 色濃い仕上がり。 箏の音だけでなく、日本語での 石川 啄木の詩の朗読を入れたり、と、若干未消化にも感じられるが日本的な要素を強く感じさせる作品になっている。

ECMからの2ndアルバムは、electronics 使いがぐっと後退して、ECMらしい残響深めにアコースティックな音の響きを重視した音作り。 特に bass の音がよくて、Benita のグループなのだと実感。 ここでは、箏の音も日本文化という文脈を意識させるというより、澄んだ音を鳴らす楽器だ。 ディストーションも控えめな guitar に高く澄んだ箏のという弦の音に、 エコー深めに漂うような flugelhorn の音、ゆったり控えめに刻まれる drums。 nu jazz というより、むしろ1970-80年代のECMのよう。そんな所も気に入っている。 しかし、例えば Kenny Wheeler: Deer Wan (ECM, ECM1102, 1978) などと聴き比べると、 やはり低音の深さなどかなり深くなっており、音作りはアップデートされている。 そんな事にも気付かされたアルバムだ。

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定期的に書かなくなると、ほんとに書けなくなるなあ、と、つくづく。 しかし、書いておかないと、今年に入って聴いた新譜、何があったっけ? という状態になってしまい、いけません。 聴いてそれなりに良かったCD/DLなどは、 twitter タイトルだけツイートしているので、それを手掛かりになんとか思い出したり。 以前のようなペースで書く余裕はありませんが、たまにか書ければ、と。

[3441] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jun 19 21:24:15 2016

先週末は休めなかったので、土曜の午前はゆっくり。 昼過ぎに野暮用を済ませた後、砧公園へ。会期末となったこの展覧会を観てきました。

『竹中工務店 400年の夢 –時をきざむ建築の文化史–』
400 Years of Architectural Challenges – TAKENAKA: Master Builder in Japan
世田谷美術館
2016/04/23-2016/06/19 (月休), 10:00-18:00.

織田信長の普請奉行 竹中藤兵衛正高 をルーツに持つ竹中工務店の展覧会。 四百年の歩み、文化史という言葉がタイトルに入っていますが、 歴史を描くような面は薄く、むしろ、竹中工務店が幅広いジャンルの建築を手がけてきていることを示すような展覧会でした。

近代建築以前の寺社建築については「はじまりのかたち」のコーナーにまとめ、 それ以降は、利用目的の観点から建築を大きく6つのジャンルに分け、ジャンルごとにコーナーを作っていました。 年表も示されていましたが、建築の年代順に展示を並べてはいませんでした。 ジャンルごとに代表的と思われる建築を取り上げ、図面などの資料よりも写真と模型を中心に展示していました。 個々の建築の説明もそこそこに、ずらっと写真や模型が並ぶ様は圧巻。 ディティールに踏み込む以前に、あれもこれも竹中工務店なのか、という感慨が先に立った展覧会でした。 作家性の高い建築家を中心に据えた建築展とは異なるとっつきやすさはあったように思いましたが、 企業のPR展示を見ているような感覚に陥るときもありました。

紹介されていたのは戦後のものがほとんどで、戦前の近代建築の展示は目立ちませんでした。 初めて手がけた近代建築が三井銀行神戸小野浜倉庫 (1900) という煉瓦造りの倉庫だったというのは、戦後に手がけている建築と比べると意外でしたが、 当時の煉瓦造りの倉庫は意匠的にも工法的にも当時の最先端だったのだろうあと。 やはり興味を惹かれたのは、宝塚大劇場 (1924) や雲仙観光ホテル (1937) などで、こういうのをもっと観たかったなあ、と。

建築家の個性を押し出さずに様々な建築を手がけているだけに、 年代順に整理すれば工法やデザインの流行を浮かび上がらせることもできたのかな、とは思いましたが、 それは企業に焦点を当てた展覧会の役割じゃないのかもしれません。

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土曜は真夏日ということで、美術館・ギャラリー巡りする気にもなれずに、土曜はこれだけ。 日曜もゆっくり休日に充てたのでした。

[3440] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jun 5 23:22:36 2016

土曜の晩、東銀座でオペラのライブビューイングを観た後は、錦糸町へ移動。 このコンサートを観てきました。

The Poet Speaks
すみだトリフォニーホール
2016/06/04, 19:00-21:00.
Philip Glass (piano), Patti Smith (vocals), Jesse Paris Smith (piano, vocals), Tenzin Choegyal (overtone singing, dranyen (long necked lute), lingbu (transverse flutes)), Lenny Kaye (guitar).

1970年代半ば New York の punk シーンに登場したことで知られる女性歌手 Patti Smith と、 現代音楽、特に minimal music の文脈で知られる作曲家 Philip Glass とのコラボレーションによるコンサートを観てきました。 Philip Glass の音楽がメインのクラシカルなコンサートを予想していたのですが、 むしろ Patti Smith の色の濃いライブに近い内容でした。 メモを取ったりしていなかったので記憶も定かでなく、特に曲数に自信はありませんが、 まずは、Patti Smith の娘 Jesse Paris Smith と オーストラリア在住のチベット系ミュージシャン Tenzin Choegyal の duo を3曲ほど、 続いて、Philip Glass のピアノ伴奏による Patti Smith による詩の朗読を4曲ほど、 その後、Lenny Kaye を Jesse Paris Smith のバッキングで Patti Smith が歌う3曲ほど、 Philip Glass のピアノソロ1曲の後、 再び、Philip Glass のピアノ伴奏による Patti Smith による詩の朗読を4曲ほど 最後に、大団円での “People Have The Power” でした。 基本的に Allen Ginsberg の詩の朗読でしたが、Patti Smith の詩もあったような覚えがあります。

中でも最も良かったのは、Philip Glass の伴奏での Patti Smith の詩の朗読。 Allen Ginsberg の詩に見られる反抗や主張は今聞くと20世紀半ばという時代を感じるものでしたが、 Patti Smith の凛々しい声で聞くとそれも様になります。 反復を多用する Philip Glass のピアノも、minimal music ほど徹底したものではなく、 オーソドックスなコード進行や旋律もきこえるもの。 現代音楽らしく突き放したものを予想していましたが、感傷的に感じられました。 Allen Ginsberg の写真や手稿などをスチル映像を背景に大きく投影しながらの演奏・朗読で、 そのヴィジュアルが良かっただけに、 詩の和訳の字幕を大写ししている時間が長かったのは、少々残念。 字幕は外国語上演での演劇の際と同程度にして、スチル映像投影を続て欲しかったものです。

ロック歌手としての Patti Smith が観られるとは期待していなかったので、それを観られたのも収穫。 確かに、彼女の歌声には衰えの感じない力を感じました。 しかし、観客の起立と拍手を促して盛り上げての大団円 “People Have The Power” を聴きながら、 NY punk の女王というより、往年のロックスター、と思ってしまったのも確か。 “People Have The Power” 自体 Patti Smith Group 時代の曲じゃありませんが、 1970年代の Patti Smith Group の Lenny Kaye を帯同していましたが、その頃の雰囲気は感じられませんでした。 かつて自分が Patti Smith Group に聴いていたのは、皆で一体となって盛り上がるようなものではなかったような、と。

Jesse Paris Smith を観るのも聴くのも初めてでしたが、 母 Patti とは対称的な帽子、スカートに赤いアクセントカラー使いもフェミニンな服装で、 少々細い声もむしろ可愛らしい部類のものでした。 母親とは似なかったのだなあ、と感慨深いものがありました。 Patti Smith のような雰囲気の女性が並ぶよりも、対称的な方が舞台としては面白いとは思いましたが。

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“People Have The Power” を歌う Patti Smith よりも、 Philip Glass のピアノ伴奏で詩を朗読する Patti Smith の方が良かった、 そんな Patti Smith のコンサートよりも、その直前に観た Patrice Chéreau 演出のオペラ Elektra (のライブビューイング) の方が 良く感じられてしまいました。 Th. Adorno が書いていたことが少しだけわかったような。 まさか、そんなふうに感じるようになる時が自分に来るとは、思ってもいませんでしたが……。

土曜に2本ハシゴしたので、日曜はゆっくり休養に充てたのでした。

[3439] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Jun 5 19:36:46 2016

土曜は昼過ぎまで体力温存。午後遅めに家を出て、まずは東銀座へ。オペラのライヴ・ビューイングを観てきました。

Metropolitan Opera
『エレクトラ』
from Metropolitan Opera House, 2016-04-30.
Composer: Richard Strauss; Librettist: Hugo von Hofmannsthal.
Production: Patrice Chéreau. Set designs: Richard Peduzzi.
Cast: Nina Stemme (Elektra), Adrianne Pieczonka (Chrysothemis), Burkhard Ulrich (Aegisth), Waltraud Meier (Klytämnestra), Eric Owens (Orest), etc.
Conductor: Esa-Pekka Salonen.
World premiere: Court Opera, Dresden, 1909; Premiere of Patrice Chéreau production: Festival International d'Art Lyrique d'Aix-en-Provence, 2013.
上映: 東劇, 2016-06-04 16:00-18:00 JST.

映画監督として、そしてオペラの前衛演出で知られたフランスの演出家 Patrice Chérea のオペラは、 DVDでいくつか観たことがあり、好みに感じていました [鑑賞メモ]。 2013年に亡くなった Chéreau の最後の演出作品が 南仏 Aix-en-Provence Festival 2013 で制作された Elektra。 その作品がニューヨーク Metropolitan Opera の2015-2016シーズンのプログラムとなって、Live in HD で上映されたので、観てきました。

Sophokles [Σοφοκλῆς] による古代ギリシャ悲劇に基づく一幕もののオペラで、 Argos [Άργος] の王である父 Agamemnon [Ἀγαμέμνων] を殺した 母 Klytämnestra [Κλυταιμνήστρα] とその愛人で夫となり王位を簒奪した Aegisth [Αἴγισθος] への復讐心に燃える長女 Elektra [Ἠλέκτρα] が主人公。 復讐心を露わにしているため館に幽閉された状態から 弟 Orest [Ὀρέστης] によって復讐が遂げられるまでを描く物語に、 不協和音を多用した無調音楽寸前の音楽。 初演当時最大級の116名のオーケストラもあって、一幕最後まで息つく間もない緊張感の高い舞台を堪能しました。

コンクリート打ちっ放しに鉄扉というセットは、 古代ギリシャではなく、20世紀半ばオートメーションが進展する前の工場のよう。 衣装も、母や継父はブルジョワ工場経営者で、幽閉された Eleklra とその妹 Chrysothemis [Χρυσοθεμις]、そして侍女たちは女工というか工場労働者。 そんなミニマルというより殺風景で殺伐とした舞台美術や衣装は、凄惨な復讐譚にぴったり。 歌詞は変えられていませんでしたが、古代ギリシャ悲劇というより、 現代の小さな工場で起きた経営者スキャンダルを見ているようでした。 それだけに、カメラワークが歌手のアップ中心だったのは、少々残念。 Chéreau の演出を楽しむという点でも、舞台全景のショットをもっと使って欲しかったです。

Metropolitan Opera の live screening は、 Lulu [鑑賞メモ] に続いて2回目。 Elektra で2015-16シーズンのプログラムはおしまい。 Royal Opera House や Opéra national de Paris の live screening が 日本ではあまり上映されなくなっている中、Metropolitan Opera は着実に上映が続いて, 2016-17シーズンの上映プログラム10作品も 決まった模様。 一番の楽しみは、Robert Lepage 演出の Kaija Saariaho (comp.): L'Amour de loin 『遥かなる愛』。 これは、2015年の Festival Opéra de Québec で初演された 新プロダクションのようですね。 『コンポージアム2015』で映像付き演奏会形式で聴いたことのあるオペラですが [鑑賞メモ]、 若干不吉な予感もしないではないですが、Lepage 演出を得てどうなるのか気になります。

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この後の話はまた後ほど。

[3438] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun May 29 23:36:19 2016

土曜は昼過ぎまでゆっくり休んでいたのですが、夕方にお台場へ。サーカスを観てきました。

お台場ビッグトップ [特設会場]
2016/05/28, 16:30-18:50.
Acts: Part I: 1)High bars “Carapace” 2)Hoops Dancer Part I (The Amerindian dancer) 3)Rings Trio 4)Unicycles and bowls 5)Clown “Sad Fisherman” 6)Contorsion 7)“Monkey Business” (from Ape to Businessman With Cell Phone) 8)Chinese pole “Escalade” Part II: 9)Diabolo “Toreador” 10)Fix trapeze duo “Lovebirds” 11)Manipulation “The Scientist” 12)Clown “Waterski” (Italian Tourist) 13)The Hoop Dancer Part II (The Amerindian dancer) 14)Roler skates 15)Russian bars 16)Finale
Writer and director: Robert Lepage.
Premiere: April 22, 2010 at Montreal.

カナダ・ケベック州モントリオールを拠点とするサーカス Cirque du Soleil の Totem 東京公演を観てきました。 現代的なサーカス・パフォーマンスを目当てに自分が大道芸をよく観るようになった1990年代半ば頃から Cirque du Soleil のことは度々耳にする機会がありましたが、観に行くきっかけが無く観そびれていて、今回初めて観ました。 映像や照明でトリッキーな演出をする現代演劇の演出家 Robert Lepage [鑑賞メモ] が作・演出を手がけているということで、それが今回観に行くきっかけとなりました。

劇場公演で観るような作品性の高い現代サーカスの作品と比べると、 比較的独立性の高い個々の演目を、アクロバティックな演目とコミカルなクラウンの演目を交えつつ、 ある世界観を使って緩くまとめ上げたもの。 Lepage のような演出家を使う程なので、もっとガッチリと構成・演出された作品になっているかと構えていましたが、 普通にエンターテインメント的なサーカス・ショーでした。 照明や映像を駆使したところが現代的と言えるかもしれませんが、 最近の大規模なエンターテインメント・ショーとして見れば標準的でしょう。 緑や青、蛍光などの不自然に立体的なライティングに Lepage らしさを垣間見ましたが、 トリッキーと感じるような映像使いはありませんでした。

むしろ、Lepage というと、電話使いも象徴的な都会の孤独な男の感傷を描いた舞台という印象が強かったので、 現代社会を舞台としておらず、人類の進化と文化の多様性、それも西洋近代化以前の文化をテーマとしていたのも、かなり意外でした。 このようなハイテンションなエンターテインメント・ショーを演出できるのか、と、感慨深いものがありました。

個々の演目は、類した技を大道芸フェスや他の現代サーカスの公演で観たことがあるものでしたが、 難易度や完成度が高いものが多く、音楽や照明も良い状態です。 男性2人女性1人の吊り輪でのダイナミックにスイングさせるながらの Rings Trio や 空中ブランコ上で揺らさずに男女がハンド・トゥ・ハンド的な空中アクロバットを見せた Fixed Trapeze Duo “Lovebirds” のようなエアリアルの演目は特に、 このように演出された場で観た方が格段に映えます。 小ぶりのフープを使った女性 Hoops Dancer のダンスのキレの良さも印象に残りました。 高い一輪車の上でボウルを使った芸を見せた Unicycles and Bowls など中国雑技でお馴染みですが、 衣装や音楽を変えることでこう織り込むことができるのか、と、新鮮な印象。 完成度の高いエンターテインメント・ショーとして充分に楽しむことができました。

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土曜の晩は地元三軒茶屋の行きつけの店で呑んでいたのですが、 Cirque du Soleil を観てきたと言ったところ、行った方が良いかと訊かれてしまいました。 「普段、どんなものを観ているかによりますね……。」とはっきりしない答えになってしまいましたが……。 コンテンポラリー・サーカスの入門編にうってつけだと思いますが、 コンテンポラリーなダンスや演劇にある程度親しんでいる人なら、 やっぱり、東京芸術劇場、世田谷パブリックシアターのような公共劇場が呼んでくる現代サーカスの公演の方を薦めたいです。

自分としても、 去年観に行ったミュージカル Pippin [鑑賞メモ] と同じで、チケットが1万円強とけっこういい値段するので、 さすがに、気楽に足を運んでみるというわけにはいかないなあ、と。

日曜は完全休養日。週に1日はちゃんと休まないと辛いなあ、と (弱)。