国立新美術館と、2021年に香港西九龍文化地区にオープンした美術館 M+ との協働キュレーションによる、
昭和が終わった1989年以降、2000年代にかけての日本の現代アートが作り出した表現に焦点を当てた展覧会です。
スコープは 『日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション』 (東京都現代美術館, 2024) [鑑賞メモ] と大きく被っており、
やはり1990年代半ばに興隆した街中アートイベントやそれを支えたオルタナティヴ・スペースが日本の現代アートの起点だったのだなと。
『日本現代美術私観』
よりイベントやパフォーマンスのドキュメンテーションの展示が豊富で、
現在の自分の興味からは少し外れてはいるものの、『日本現代美術私観』と比べて自分が観てきた日本の現代アートに近く感じられました。
『日本現代美術私観』では抜け落ちていましたが、ジェンダーやセクシャリティをテーマにしたフェミニズム的な展覧会が1990年代半ばに多く開催されたことに言及があり、
中でも好きだった 笠原 恵美子 [関連する鑑賞メモ] の作品が展示されていました。
街中アートイベントというと東京のものが選ばれがちですが、
『ミュージアム・シティ・福岡 1998』で制作された Navin Rawanchaikul 「博多ドライヴ・イン」 [写真, 鑑賞メモ] が展示されていて、福岡の街中を歩きまわった時のことを思い出されました。
また、今まで自分が観た国内の街中アートイベントの中でもベストと言える『水の波紋 '95』 [言及のある鑑賞メモ] の展示もありました。
そういう展示を観ながら、作品云々というより、懐かしいというか、そういう事もありましたね、という詠嘆が先立つ展覧会でした。
イタリアの高級宝飾品ブランド Bvlgari の展覧会です。
正直に言えば、展示されていた宝飾品は“not for me”で、近代的な色彩論に紐付けようとはしていましたが近代デザインの観点でも興味を引かれるものはありませんでしたが、
日本の建築ユニット SANAA (妹島 和世 + 西沢 立衛) とイタリアのデザインスタジオ FormaFantasma によるという会場デザインが面白いものでした。
上から見ると魚の鱗を連ねたような区画で、時に透明なパーティションも使い、基本構造に並進対称性がありながら単調さを排除していました。
しかし、展示されているのがせいぜい数十センチの小さなオブジェだから生きる空間構成かもしれません。
宝飾品に関する展示の他に、現代アート作品が3点展示されていました。
中山 晃子 “Echo” は、本人がライブて操作する alive painting [鑑賞メモ] ではなくインスタレーションですが、
雲母の煌めき混じりのカラフルが色面を低音で間欠的に水面を湧き立たせ、変化させた色と光を投影するという alive painting の変奏とも言える作品でした。
洗車機に使われるような巨大な回転ブラシが何本も回転する Lara Favaretto “Level Five” は、回転による風に煽られるような迫力がありました。