東京芸術劇場で開催されている舞台芸術祭「秋の隕石2026東京」のプログラム2本を観てきました。
メキシコのユカタン半島西部カンペチェ (Campeche) 出身の演出家とその母による2人舞台です。 母親に取材した彼女の人生、もしくは、自身の知るカンペチェの地誌、歴史などに基づく内容を、 演劇に関しては素人の母親自身に語らせ、演じさせながら描いていく、という意味で、 典型的なドキュメンタリー・シアターでした。 植民地時代の要塞などの世界遺産でも知られるカンペチェですが、そこには全く触れず、 彼らのバックグラウンドとも言える、カンペチェ油田開発を含め独立以降の発展から取り残された地元の貧しい人々の生活に焦点を当てています。 あえて、現代的に洗練された舞台美術や演出とはせずに、そういった人々の生活の場を思わせる舞台で演じられました。
舞台で展開される物語は、母の幼い頃から、ヨーロッパに出てバルセロナで露店を開く中で見つけた夫、 夫の家族に受けた差別、そして故郷への帰還と、地元での雑貨店の開業、追ってきた父親の暴力など、母の生活史 (ライフヒストリー) とでもいうもの。 貧しい中での合理的な選択の結果として母の、そして自分の人生を受容する語りも、生活史を思わせます。 そんな、カンペチェの生活史の演劇化というか、ドキュメンタリー・シアターというよりライフヒストリー・シアターと呼びたくなる舞台作品でした。
最近ドイツ語圏演劇で注目されているという演出家による、 1990年代後半イギリスで “In-yer-face theatre” と呼ばれたタブーに触れるような過激な言葉や行為を提示する作風の演劇の文脈で知られた劇作家 Sarah Kane の作品の舞台化です。 ほとんど剥き出しの舞台で、戯曲中の4人の登場人物に、Wiebke Mollenhauer 演じる観客役というかセリフを投げつけられる役を加えての上演でした。 ビデオカメラを使ったライブ映像を使い観客役の顔を常に舞台後方に大写しにするだけでなく、その様子を含めて舞台化しており、 舞台作品を作ることについての、かつ、舞台作品を観ることについてのメタシアターとでもいう演出で、 ライブ映像使いなども Ivo van Hove の演出 [鑑賞メモ] も連想しました。
Sarah Kane については評判は耳にしたことはあったものの、戯曲を読んだことはなく、上演を観たのも初めて。 自殺の直前の作品で少々作風が変わったこともあるのか、ドイツ語訳のせいなのか、過激さはさほど感じられず、 役も抽象化され断片的なイメージを繋ぐようなセリフは、その強さも含めむしろパンク以降のポピュラー音楽の歌詞のようにも感じました。 弦楽器3人と電子楽器1人の生伴奏もあって、パフォーマンス性の高いポエトリーリーディング付きエレクトロニカのライブを観るようでもありました。
音楽はオリジナルだけでなく、中盤で観客役の激しい身振りに合わせて Britney Spears の2004年のヒット曲 ”Toxic” を使ったりという、戯曲に合った歌詞ながらポップな選曲もありました。 オープニングでは Joy Division の “Love Will Tear Us Apart” が使われましたが、 その後で台詞とイメージが合った選曲というだけでなく、 若くして自殺したミュージシャンの歌を使うことで若くして自殺した劇作家ということを暗に示すよう。 しかし、“Love Will Tear Us Apart” を使うこともベタな選曲になってしまったと、感慨深いものがありました。
しかし、ラストは、Wiebke Mollenhauer は観客役を止めてて、劇場を飛び出し、 池袋の繁華街を抜け、立教大学キャンパス内にあるプールに飛び込む様子が、彼女を追うカメラのライブ映像が舞台に投影されて終わります。 最後に、メタシアター的だったり音楽的だったりした枠組みもひっくり返す展開には驚かされました。
ライブ映像も活用した劇場を飛び出すラストも含め、メタシアター的かつ音楽的な演出などを楽しんだのですが、 その一方で、過激だと言われた Sarah Kane のテキストが予想したほど響かなかったので、観終わった後の印象は微妙なものになってしまいました。