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PC処世術 - 雑感:パソコン学習のツボ - “取説”に見る教育問題


 先日、パソコンの習熟のハードルについて考察しながら,「現在のパソコンは『手順』のみで操作できるレベルにまで習熟のハードルが下がっている」と書いた。
 これを書いてから、またふとした疑問に突き当たった。それは、現在のPC(あるいはソフト)の説明書や入門書の内容についてである。現在のPCの説明書や入門書をパラパラとめくってみると、「ひたすらやり方(手順)だけに終始している」場合が少なくない。「漢字を入力するには」「プリンタの接続の仕方」「印刷をするには」「メールを送信するには」、、、etc,という具合だ。
 機能の要点やシステムや操作体系の概念,設計者の思想といった、操作習得のツボについては全く書かれていない。それに呼応した結果かどうかは定かではないが、PC関連の「○○のやり方を教えてください」という類の直接的だが困る質問も少なくなくなっている。当サイトの読者の皆様はどちらかというと質問を受ける側に立つことが多いのではないかと思うが、ツボを心得ない初心者への説明に苦慮された方もおられることと思う。

 その昔、「パソコン(やソフト)のマニュアルは分厚すぎる」などという批判もかなりあった。確かに、当時特段の厚さがあったOS(DOS)のマニュアルを思い起こしてみると、各種ファイルの細かい解説とファンクションコールと文字コード表が大部分を占めていて、「どうやったら使用できるのか」について知るのは難しい一面はあった。しかしながら、ワープロソフトあたりのマニュアルは操作が体系立てられて記述されており、応用が効き易い記述になっていたと思う。これと比べると、現在のマニュアルは「厚さは大して減っていないが、内容は浅薄になり,応用が効かせにくくなったような感がある。

 このような傾向は、パソコンに限った話ばかりではない。携帯電話なども、その機能が多様化するにつれてマニュアルは分厚くなったのだが、これをめくると多くはやはり「○○をするには…」になっていてさっぱり要領を得ない。「○○のやり方」からその「操作体系を類推して学習する」ことは時間がかかる上に、そもそも難しいことだ。
 更によくよく考えて見ると、これはPCや携帯といったIT関連分野だけのハナシではないことにも気付く。例えば最近の電子レンジの類には幾つものボタンがあり、アイコンらしき絵が書いてあるのだが、筆者の貧脳では「どれを押したらどんな動作をするのか」さっぱり分からない。そこで取説をめくることになるのだが、そうするとやっぱり「○○を温める場合・・・」と書いてあるのだ。そして幾つかの事例を判例集の如く読破しながら、はじめて「どういう時に解凍動作をするのか」とか「どれを押した時にオーブンとして働くのか」といったことを学ばなくてはならない。

 このようにパソコンに限らず多くの機械のマニュアルには、上述のような「やり方」の経典が蔓延している。筆者の勝手な思い込みかもしれないが、世間一般においてこのようなスタイルの説明書のウケがいいことの背景には、教育問題があるような気がしてならない。
 その昔、学校で教わったことや教科書に書いてあったことを思い出してみると、そういえばあまり体系立てられていなかったような気がする。そういえば、中学校の算数あたりでは“方程式”の次あたりに習うのが“図形の問題”でその次が“確率”だったりした。難易度の近しいテーマを順次与えて忘れた頃に続きをやるという教育方法だ。他の教科も似たようなものだったと思う。この方法は、小学生辺りには向いているのかもしれない。
 だが、ある程度問題が入り組んでくると脈絡の無いテーマが散りばめられていて、結局,場合に応じた「やり方」を教えるしかない(あるいは、自力で脈絡を見出すしかない)。そして問題が複雑になるほど覚えるべき手順の数量は指数関数的に増加するので、学習する子供達は堪ったものではないだろう。このスタイルの手法を採る限り、学習時間が減ったら覚えられる量が減って学力が低下するのも至極当然の結果だ。

 そして、我々もまたこうした教育を受けてきた。そして、特段PCなどに深い興味を抱かずに来た方々も、かような教育を施されてきたものと思う。そうすると、やっぱり教わる方としては「やり方の手順」のみを知りたがる姿勢になるのも、致し方ないことなのだろうか。それにしても昨今の拡大したPCの機能は、既に全ての“やり方”を網羅して学習することには無理があるレベルだと思う。少なくとも、筆者の貧脳では無理だ。
 これに対してパソコンに「縁遠いが利用したい」方々は、健気にも数多の手順を覚える努力に勤しんでおられるようだ。冒頭で紹介した「○○のやり方を教えてください」という質問が来るのも,ネット界で「教えて君」が後を断たないのも、仕方のないことかもしれない。

 とはいえ、質問に対して全ての手順を教えているとキリがないので、(相手と場合にもよるが)筆者は基本的に“「やり方」を教えない”という方針で対応することにしている。もちろん何も教えないとカドが立つので、筆者は「パソコン学習のツボ」だけを答えるのである。
 ツボとは何だろうか? ここで全てを明かすのは難しいが、大抵は「ファイル・フォルダの概念」であったり「ソフトの動作の背後にあるシカケ」だったり、あるいは「用語の出典」であったりだ。これらをある程度体系的に教えることで問題が解決し、電話がかかってくる頻度が減ることが多いように思う。なにぶんにも、相手は手順を暗記して正確にトレースできるほどの手練だ。「やり方」に固執しない姿勢さえあれば、大抵のことは誰でも理解できるものである。
 パソコン習熟のハードルが下がってきた昨今ではあるが、未だバリアフリーにならない原因の一つは、ユーザーに深く根ざした教育問題があるように思う。ユーザーにとって労力少なくパソコンに習熟出来るようになるには、体系立てられたマニュアルとシンプルな操作体系が必要なように思う。(28. Jan, 2005)

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