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PC処世術 - 雑感:ユーザーインターフェイスの変遷と方向


 パソコンのユーザーインターフェイスというのも、PCの性能の進歩と共に,随分と変化してきたように見える。また、各種ITメディアの類や一般ユーザーの物言いからすると,「ユーザーI/FこそがOSの重要な機能」と錯覚させられることも多く、ユーザーI/FがPCの重要な要素となっているようだ。
 かつては、PCが起動するといきなり機械語モニタだったりBASICインタプリタで、それがユーザーインターフェイスだったりした時代もあった。記憶に新しいところでは、DOSなどに代表されるコマンドラインとCUI(Character User-Interface)インターフェイスの時代も長らく続いた。そして Windows時代を迎えてアイコン&クリックによるGUI(Graphical User-Interface)のカタチとなってきたわけだ。

 だが、よくよく考えて見ると,現在に伝わるアイコン&マウスクリックによるユーザーインターフェイスは Mac などで既に大昔から採用されていたのであり,決して MS が先進的に取り入れたインターフェイスなのではなく,その概念は Windows などよりはるか古くからあったものである。
 筆者の見るところ、当時の 16bit Intel x86 CPU を積んだ“パソコン”がなかなか GUI に移行できなかったのは,CPUが根本的に(68kと比較して)プアだったためだと思う。当時のx86 CPU の16bit アドレッシングは恐ろしいほどプアで、メモリアクセスに対する“64KBの壁”は GUI 実現に対してかなり致命的だったと思う(この壁は実際, Win9x/MEに至ってもなお随所で問題を醸していたが、多くが16bitコードであったWin3.xの頃は更に深刻だった)。そして、Windows のGUI というのも,「Windows がもたらした」といよりはPCの能力が GUIに足るところまで進歩したという理解の方が正しいかもしれない。
 要するに、ユーザーインターフェイスというのはPCのリソースがある限り常にフレンドリー(?)な方向に変化していこうとするもので,各種OSやアプリのベンダはその機会を常に伺っているようだ、というのが筆者の観察するところである。

 では、この先の時代のユーザーI/Fはどんな方向を志向するのだろうか?もちろん、筆者にもそんなことは分からない。だが、それを考えるにあたって,筆者がずいぶん昔に読んだある漫画を思い出したので、参考までに紹介しておきたい。それは、藤子不二夫による“21エモン”という作品で,筆者の朧ろげなる記憶によると、主人公(21エモン)が宇宙旅行をするというものだったと思う。今回思い出したのは、そのなかのある一話だ。
 主人公らは宇宙で二番目に科学文明が進んでいるという“ボタンポン星”へ行く。そこではどんなこと(例えばハミガキ)でもボタン一つで自動的に出来るようになっている。そして更に,主人公らは宇宙で一番・最先端という“ボタンチラリ星”を目指して旅をする。なんでも、その星ではボタンを押すどころか,チラリと見るだけで自動的に出来てしまうのだと言う。

 筆者には、現在のパソコンの GUI はだいぶ「ボタンポン化」が進んだ状態であるように映る。アイコンは“ボタン”であり、これをクリックすることで大抵の動作を行わせることが出来る。
 そして、MS社あたりのソフトウェアやOSあたりを見ていると、「ボタンチラリ化」の試みをずっと続けているようにも見える。もちろん、PCは人間の目線などセンシングしているはずもないのだが,人間の意図を見抜いて機械が先回りしようという試みが、“オフィスアシスタント”(MS-Office のヘルプシステム)などに見られるようである。筆者にはこれが「ボタンチラリ化」に映るというわけだ。(あるいは、Googleデスクトップ検索のようなものも人間の意図するものを探すと言う意味ではこれに近いかもしれない。)
 だが、やはりソフトウェアが不備なのか、あるいは高級なアルゴリズムを搭載するにはコンピュータの能力が足りないのか、残念ながらMS のこうした試みは現在のところ余計なお世話に終わっているようである。このように現段階ではまともに機能していない“ボタンチラリ化インターフェイス”ではあるが、今後PCの能力の進歩に伴って十分に実用化されていく可能性はあると思う。そういうことのために、今後PCの64bit化やマルチコアCPUの能力が割かれることになるのかもしれない。
 (真っ先にボタンチラリ化を完了して欲しいものは日本語入力IMEだ。このようなところに“賢く確実な”ユーザーインターフェイスが登場することを筆者は期待している。往々にしてユーザーI/F絡みの部分はどうでも良いところから手がつけられるのが残念だが。)

 今後、PCの進歩に伴って64bit 試行ソフトウェアの類が跋扈することが予想される。筆者はそこで提供されるソフトのユーザーI/Fがどのようなものになっていくか、興味深く見守っている。ただ、その過程では重くてお節介なだけの状態というのも当然あるだろうから、やはり導入の見極めには慎重を要することになるのだろうか。(3. Apr, 2005)

* 先の「21エモン」だが、オチがある。「ボタンチラリ星」に辿り着いた主人公らは、悲惨な光景を目の当たりにする。この星ではコンピュータの誤動作により全てのシステムが停止し、システムに頼り切っていた為に知力・体力が著しく衰えてしまった人類が、原始人同然の生活をおくっていたというオチである(科学技術依存に対する藤子不二夫氏が発した警告なのだと思うが)。
 相当久しぶりに思い出した漫画だったが、折角思い出したのでこの辺りに感じる教訓めいたものも今後の糧としておきたい。

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