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PC処世術 - 雑感:2015年のPC環境を妄想する [2005年版]


本記事は、あくまでも2005年10月現在における筆者による全くの妄想でありますため、現実とはなんら関係が無いことをご承知置きください。


 時は2015年。ここ日本では既にアナログ放送が停波して4年が経過し,10年くらい前に騒がれた“放送と通信の融合”ももはや昔話となり、2015年のPC界はあの激動の64bit革命も終えてやや落ち着きを取り戻しつつある。
 革命期を過ぎて 64bit時代を謳歌しているPCの能力は,10年前には思いもよらないレベルに達している。クロック周波数こそ5〜10GHz程度に留まるものの、搭載されるCPUのコアの数は8〜16個が標準だ。OSもアプリも完全に64bit化が果たされて、メインメモリも少なくとも32GB程度を搭載していないと話にならない。またストレージに目をやると、安物PCにも 20TB程度のHDDが搭載されているし、高級機は100テラバイトなどというのを搭載し始めている。ペタバイトという単位が、個人にとっても現実味を帯びて語られるようになった。ネットワークは有線LANだと 10Gbps が可能になっており、またインターネットとも 500Mbps 程度で接続可能というご時世だ。

 そんなPCの主な役割のひとつは、リビングに鎮座している大画面薄型テレビに向かって、映し出すべき映像信号を送出することだ。今や映像コンテンツは電波だけからやってくるという時代でもなく、テレビに内蔵された地上波チューナーからやってくるコンテンツだけでは魅力に乏しく、また過疎が進んだ町村では放送すらされていない。最近の流行は、多彩な映像コンテンツを時間に縛られずに満喫するスタイルだ。かつて昭和の時代に栄華を誇ったテレビ局も“兵どもが夢の跡”で、テレビチャンネルを番号で呼んでいた時代が懐かしい。一方でネットの方も随分な変わりようで、そういえば昔は“ポータルサイト”なんて言葉があったのを思い出す。
 もちろん、通常の番組は地上波放送を除けばオンデマンドが普通なので録画する必要もあまりないのだが、どうしても残しておきたければ閲覧したコンテンツを大容量HDD内に残しておける。完全保存版を作りたい向きにはホログラム式光メディアに残すという選択肢もないではないが、なんせ40TBのHDDが8千円(100GBあたり20円)の時代なのである。経済的にリムーバブルメディアというのはなかなか成り立ち難いご時世だ。プラスチック製の円板はジリジリと上がりつづけた原油価格の影響で安くは買えない。どちらかというと高級志向の方々が使っておられるようだ。かつての“次世代DVD闘争”などというのは一体何だったのだろうか。

 そんなPCが設置されている場所は、テレビのチューナーやらビデオデッキが置かれたキャビネットの中だ。本体のサイズは10年前と比較してそれほど小さくはなっていないのだが、筐体を開けてみると内部の多くを占めるのは電源と熱交換器である。
 比較的大きな物体ではあるが、そのフロントパネルには電源ボタンがあるだけで、特に操作すべきところは見当たらない。そのためか、家人はこれがパソコンだとは認識していないようだ。テレビのチューナーなどと同じように「電源を入れないとテレビが映らない箱」だと思われている。実際問題として、ケーブルはAC電源の他にはテレビと接続されているだけなのだから仕方が無い。箱モノであるPC本体はオーディオでいうところの「アンプ」のような存在だろうか。
 どうやら一般に“パソコン”と言えば、それは昔で言う“キーボード”のことを指してそう呼んでいるようだ。勿論、マニア達は昔と同じく、上述の“箱モノ”を指してパソコンと呼ぶのだが、世間の認識とは少々ズレがあるようだ。
 現在パソコンと呼ばれているキーボードは500万画素(2560x2048)ほどの標準モニターの近くに置かれ、いきなり100Vのコンセントにつながれている。1Gbpsを下回るような低速な情報伝送は家庭内の電力線を介して行われているからだ。プリンタなどもコンセントに繋いでおけばOKだ。昔、USBだとかの別な線が要ったのとは大違いだ。

 モバイルシーンに目を向けてみよう。既に携帯電話に内蔵されるストレージは 数GB〜10GBに達している。フラッシュメモリの容量は飛躍的に増加し、小型系ノートPCではHDDを内蔵せずに数百GB程度のフラッシュメモリを搭載するのがトレンドだ。ネットワークの速度が十分高速になった現在では、特に数十TBなどという大容量ストレージを持ち運ぶ必要性は感じない。ネットワークに繋がりにくい場所で得たコンテンツ(たとえば撮影した動画など)を一時的に記録できればそれで十分という考え方が広く浸透している。

 こんな“パソコン”は、一般人から見れば日用品でもあるし、風呂釜や冷蔵庫のような存在とも言える。すなわち、生活のあらゆる場面でPCやネットの利用が不可欠になってきている。そういえば、最近のスパム禁止法改正のおかげで選挙のときの連呼宣伝もスパム認定され、ネット選挙が当たり前になったほどだ。昔からの“パソコン”を知る者にとっては過度にPCに依存する社会に不安を抱きながらも、便利になった世の中に感謝する日々である。


 繰り返しになりますが、上記記事はあくまでも2005年10月現在における筆者による全くの妄想でありますため、現実とはなんら関係がありません。(23. Oct, 2005)

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