生きるための情熱としての一人旅

「ホーカーズ! ホーカーズ! ホーカーズ!」

Part4

[第二日のその2]

イーストコースト・パークに向かうフリして

 シンガポールのバスを乗りこなすには年季が要ります。本数が非常に多い上にバスルートが複雑なので、どのバスがどの道を走っているかを把握するのは地元の人にとってすら難しい問題です。その証拠に、バスに乗ってきて「このバス、○○○に行きます?」と運転手に尋ね、「行きません」といわれて降りていく地元の人を何人も目撃しました。まあ、路線バスというものはどこの国でもそういう側面があって、「都08」のマークをつけた都営バスが上野を通るかどうか聞かれたって、私にもわかりませんけどね(調査したところ、「都08」は日暮里と錦糸町を往復している路線バスで上野は通りません)。
 
 ただ、大きなバス・インターチェンジにはバスルートの詳細な案内図版があるので、旅行者の私でも目的地に行くためにはどの番号のバスに乗ればいいかわかります。その表示によると、401番のバスが最適と判明しました。しかし、どんなにインターチェンジ内を歩き回っても、そのバスの発着所がどこにあるかわかりません。思い余ってそこらへんで休憩を取っていたバスの運転手に聞いてみました。その答え:
「確かに401番のバスなんだけど、今日は運転してないんだよね」。
 よくあるんですよねー、あるべき姿と実際にある姿が違うってこと、この国は。“どうしたらいいんでしょうか”という顔で運転手を見上げたら、「今出ようとしている19番のバスでも行くからそれに乗れ」と私を煽ったので、わけのわからぬまま飛び乗りました。

 乗ったはいいんですが、だんだん不安になってきました。バスの停留所の一覧を見てもイーストコースト何とかという名前がまったくないんですよね。こうなったら運転手に聞くしかない。
「イーストコースト・パークはどこで降りたらいいですか?」 
 この質問のしかたにご注目。ストレートにイーストコースト・シーフードセンターというのが恥ずかしかった私は、シーフードセンターのあるイーストコースト・パークという言葉でごまかしたのでした。しかし。これが大失敗。運転手さんに教えてもらって降りた場所は、確かにイーストコースト・パーク至近ではありました。しかし、イーストコースト・パークというのは、私が想像した以上に、地図で見える以上に、東西にめちゃめちゃ長かったんですよ。公園でぶらぶらしていた人に聞いたら、私がたどりついたところからイーストコースト・シーフードセンターまでは徒歩で小一時間かかるといわれました。さて私はここであきらめたでしょうか? とんでもない。チリクラブがかかっているんです。灼熱の太陽にあぶられながら歩きましたとも。


 
 歩きながら思ったことは、イーストコースト・パークというのは地元の人々にとって格好の憩いの場なんだなということ。沿岸でキャンプしている若者がいるかと思えば(写真上)、ローラースケートでコンクリート道路を滑走している少年たちもいます(ローラースケートをはいて乳母車を押している白人のヤンママを見た。アイデア賞!)。
 子供に自転車の乗り方を教えているお父さんも多かったですね。こちらでは、割と大きくなっているのに補助輪のついた自転車に乗っている子を結構見かけました。子供を自転車に乗れるようにするのは、お父さんの重要な使命みたい。
 
 遠くて暑いので、ときどき木陰のベンチで休みます。そんなとき、寄ってくるのは赤いアリ。日本のアリよりかなり図体がでかい。なのに、非常に動きがすばやく、一時もじっとしていません。ちょっとスケルトンっぽい赤い体が珍しくて、写真を撮ろうと奮闘を重ねたんですが、撮っても撮ってもブレるかフレームアウト。「そっちからチョコマカ寄ってくるくせに、写真の一枚も撮らせないなんて!」と最後は叫んでいましたから、ローラースケート少年たちは私を発狂していると思ったに違いありません。
 
 ・・・などと暑さにへばりながらもそれなりに楽しく歩いていた私に、運命の瞬間がやってきました。ようやく見えてきたシーフードセンター、あの赤い看板は絶対そうに違いない、しかし何かがおかしい、なんでそこでショベルカーが動いているの、頭にタオルを巻いたあのおじさんたちは何、と思いながら近づいていくと、きゃあ、出ました、恐怖のアンダー・リノベーション。一軒も営業していません。聞いてないよ、そんなこと。工事のおじさんたちに聞いてみたところ、夜はこの状態で営業するらしい。皆さん、ガイドブックをそのまま信じてはいけません。24時間営業していると書いてあっても、現地でちゃんと確認しなければいけません。私は失意のうちにイーストコースト・パークを脱出、タクシーをつかまえてブドゥッに舞い戻ったのでした。あの炎天下の行軍は一体何だったんだ。

チリクラブは幻となり果てたけど

 ノドがカラッカラッだったので、ブドゥッのホーカーセンターに着くや、ホーカー自家製ライムジュースを買って一気飲みしました。あまりに焦っていたから、このジュースだけは撮影をすっかり忘れていましたよ、そういえば。言葉でお伝えしますと、冬のプールのような濁った緑色をしていて、酸っぱさはまったくなく、うす甘いお味です。こう書くとあまりおいしくないみたいですね(笑)。おいしくないわけじゃなかったんだけど、「もう1回飲む?」といわれたら、もういいかなあ。
 


 幻となり果てたチリクラブを頭から追い払ってお昼にします。皿数を稼ぎたかったので、一品はお粥にしました。これは潮州粥です。潮州というのは中国の広東省東部の汕頭(スワトウ)付近を指す言葉。シンガポールに渡った(連れて来られた?)中国人にこの地方出身の人が多いので、潮州料理を看板に掲げる飲食店がたくさんあります。このお粥の特長は白粥で、おかずが別盛だということ。日本人にしてみると「当然じゃん、お粥なんだから」という感じですが、同じ広東省でも南の方へ行くとお粥自体に濃い味をつけて具も混ぜ込んでしまいますから、逆にこれが特長になったりするんですね。おかずは何種類も並んでいて、欲しい料理を申請します。2品取ったらいくら、3品取ったらいくらという勘定です。ナスの炒め物と青菜の炒め物と、この赤いの何だっけ? すみません、忘れました(笑)。
 


 こちらは私が大好きなロジャッです。料理というよりは、おやつというか、おつまみというか、シンガポール人のなごみのひとときには必ずそばにあるという食べ物です。たこ焼きを必ず爪楊枝で食べるように、ロジャッも必ず爪楊枝や串で食べるんですよね。
 材料は、甘くないパイナップル、葛芋、油条、ビーンカード(日本でいう厚揚げ、でもお豆腐の部分はほとんどない)、キュウリ、モヤシ、赤イカなどなどをシュリンプペースト、パームシュガー、タマリンド、乾燥トウガラシなどで和えて、砕いたピーナツをかけたものです。無理やり分類するとサラダかな。この茶色さにびっくりされると思いますが、これはシュリンプペーストの色です。味は、甘さがあって、辛さがあって、酸味もあって、醤油っぽいしょっぱさもあって、まさに複雑。葛芋というのは生で食べることができる東南アジアのお芋で、リンゴみたいなサクサクした食感が特長です。
 日本で何度かロジャッ作りに挑戦しました。茨城県の阿見町にこのお芋を実験的に作っている農家があって、そこから葛芋を分けてもらえたときが、わが家のロジャッウイーク。シュリンプペーストなど調味料は新大久保あたりに行けば全部手に入るので、近いものはできます。しかし、パイナップルとか、キュウリの種類とか、材料のいくつかが決定的に違うんですよねえ。シンガポールに来てロジャッを食べると、「これ、これ、この味。やっぱり本場」と思います。
 
オーチャード通りへ脱出

 だんだん東南アジアへ来た気分が盛り上がってきたので、その足でブギスへ帰る道すがらにあるパヤレバに寄り、マレーヴィレッジを覗いてみることにしました。マレー料理系の食材でも見られたらラッキーと思っていたんですが、よく情報を仕入れないで行ったのがまちがいでした。ここは観光客向けのテーマパークみたいで、1900年代のマレー村落が再現されてはいるんですが、非常に人工的で、お土産屋さんしか並んでなくて、興味を引くものがまったくありませんでした。失望のあまり炎天下を長時間歩いた疲れがここでどっと出てきて、パヤレバの駅に戻るのも億劫、もう一歩も動けないぞ状態になってしまいました。本当はマレーヴィレッジのすぐ隣に、ゲイラン・サライというすばらしいマレー人向けウェットマーケットがあったんですけど、私がこれを見つけるのは三日後のことになります。
 
 バスだ、もうバスで動くしかない。ここではないどこかへ、どこでもいいから行ってしまおう。そう決心した私は、バスの停留所に行って何台もバスを見送りつつ傾向をつかむことにしました。周りに聞けばいいことなんでしょうけど、私自身どこへ行きたいかわかっていないですからね。その停留所には10路線分ぐらいのバスが走っていたでしょうかね。でも、2、3分おきぐらいに次々来るので、30分も座っていると様子がわかってきました。7番のバスに乗ればオーチャード通りに出られる。じゃあ、晩ごはんはマンダリンホテルに行ってチキンライスを食べるとするか。どこまでも食べること中心の旅程であります(笑)。
 
 オーチャード通りは、東京でいうなら銀座の中央通りです。名だたるブランドがひしめいているので、ショッピングしたい人にとってオーチャードはパラダイスでしょう。私にはもう、賑やかすぎて歩くと疲れる通りになってしまいました。



 いつも何かしらイベントをやっていて、私が歩いたときは、こんなニュースポーツ?をやっている若者たちもいました。伸縮性のある「腹がけ」をつけてボールを打ち合うというものらしいんですけど、正直いって、あまり格好のいいものではありませんでしたね(笑)。

 ニーアンシティという巨大ショッピングセンターに紀伊国屋書店が入っており、ここで「マカンスートラ」を入手しました。
 
    

 カーマスートラは愛の教義書。マカンスートラは食の教義書。マカンはマレー語で食べるという意味です。この本が画期的なのは、ホーカーセンターの店と料理をきちんと評価していることです。出ているのは決してお高いレストランばかりではありません。シンガポール人の食というものがよくわかっている地元の人が作ったレストランガイドという点で、折りのノリが効きすぎて非常に開きにくいことを別にすれば(笑)、私はとてもいい本だと思いますね。タイトルもセンスいいし。
 


 メリタス・マンダリンホテル「チャターボックス」の海南(ハイナン)チキンライス。漢字で書くと海南鶏飯。私の海南チキンライスの原点です。チキンライス、チキンライスというから、ケチャップご飯を思い浮かべていた方もいらっしゃるかもしれませんが、シンガポールでチキンライスといえばこちらです。元は中国・海南島の名物料理だったそうですが、今は本家では作られておらず、シンガポールの名物料理になっています。「チャターボックス」はその有名店。今回唯一のホーカーセンター外での食事です。でも夢に見るぐらい渇望していたメニューなので、うれしくてついビールまで頼んでしまいました(笑)。
 鶏のダシで炊いたごはんと蒸し鶏、あるいはゆで鶏。そこに3種のソースを添えます。一つはダークソイソースと呼ばれる甘くて粘度のある黒醤油、一つはにんにくと生姜をベースにしたソース、一つはチリをベースとしたソース。店によってはソースが1種類だったり、また別の調味料をベースとしたソースだったりすることもあります。シンプルな料理なんだけど、奥が深いんですよねえ。自分でも作ってみるけど、なかなかこのレベルに到達できません。
 でも、このチキンライスとビールだけで約31ドル。おっちゃんタクシー運転手のいうとおり、ホーカーセンターで1ドル、2ドルの食事をしていると、この金額がべらぼうに高く感じます。もういいな。チャターボックスのチキンライスはこれで卒業するとしよう。 

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