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第10回
ニヒリスト・スパズム・バンド
推薦盤「VOL.2」

 どんなに売れない作品でも、出すのと出さないのでは、ずいぶん違う。1枚でも出せば、1回でも人前で演奏すれば、それは1+1ではなく、それ以上の意味をもつ。考えているだけで行動をおこさず、理屈をつける輩がやたら多く、特に若い連中に多いが、やらなければ、結局始まらないのだ。例えばほぶらきんのホームページを見れば、彼らが1枚のシングル盤を出すのに、いかに悩み、驚き、楽しみ、苦しみ、そして何をなしえたのか、わかる。音楽に限らず、自分の作品を世に出すという、熱意、思い、思いこみ、恥ずかしさ、素晴らしさ。そしてその後の影響。これが、彼らが思いつきのみで、仲間の楽しみにとどめ、1枚のシングル盤を出すことがなかったら、我々は日本最高の宝曲を聞くことはできなかったのである。
 

 そういったことを強烈に感じるのは、海外アーティストでは、ニヒリスト・スパズム・バンド(以下NSB)である。滋賀県で1978年に生まれたほぶらきんと、カナダ・オンタリオ州ロンドン市で1965年に結成されたNSBは、似ている。(音は似ていない) 地方都市で生まれた、この異形の2つのバンドは、作品を出すことで世界に接点を持ち、そしてアルケミーとかかわることにより、日本の多くのリスナーの耳に触れることになるのだ。例で言えば、ほぶらきんのファーストは100枚、NSBのセカンドアルバムは1000枚しか製造されていない。そんなに少ない枚数の1枚が、奇跡的に、たまたま私の耳に入り、素晴らしいと感じ、その感覚を少しでも多くの人に伝えたいと思わせ、CDを制作して、今も多くのリスナーにその音を届けてられているのである。これも奇跡的だが、もしかれらが地方都市で演奏を行っているだけのバンドだったら、おそらく私と接する機会は限りなく0%に近かったのではないか。しかし彼らが、少ない枚数でも、LPやEPをリリースしたことから、そこで私との接点が生まれている。
 

 つまり、理屈や理論ではなく、フィジカルな「行為」である。もちろん行動さえすればよいといったような、体育会&学生コンパ的な「行為」ではなく、自分の気持ちを作品にして記録し、残す(伝える)といった、その根元的な意味のある行為。それがあれば、発売や配給がメジャーでなかろうが、発売枚数が多かろうが少なかろうが、探している人には、伝わる。
 

 私がこのNSBのセカンドアルバムを聞いたのは1979年。当時このアルバムを仕入れたジャズコーナーは、日本ではディスクユニオンだけだったろう。仕入れたユニオンの担当者もエライが、それを東京まで出ていって『ヘンな名前のバンドのLPを買ってきたよ』とどらっぐすとぅあに持参した広田くんがいなければ、私の耳には届かなかった。そして。。。。手製のヘンな楽器、もちろんヘンな音、笑っている観客、ヘンな歌詞。これをまた毎週月曜日にライブをやっているという事実。当時で14年演っていたわけだが、今でも演っているから、30年以上も継続しているということ。この凄さ。
 

 持久力のない、がまんのできない、キレる若者ども。継続することの面白さはお前らには一生わからない。そしてモノを発表すること、伝えることの面白さも、おそらく一生わかるまい。いや、わからないでよろしい。2001年の4月、NSBのジョン・ボイルは来日して自作の絵画の個展を行っているし、そこに足を運ぶやつだけが接する瞬間を楽しむことができる。また、10年前にCD化を約束したほぶらきんのライブ盤「ホームラン」は2001年にようやくCD化される。待てた人こそ、聞く価値がある。なにより、このNSBのアルバム「vol.2」に収録された、1978年録音の「stupidity(馬鹿っぽさ)」は21世紀も聞き継がれてゆく。痛快じゃないか。
 

JOJO広重 2001.4.18.



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