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第15回
デレク・ベイリー
推薦盤「DOMESTIC & PUBLIC PIECES」

 高校生の時に、現ABS店長の石田氏と一緒に山下洋輔トリオもどきの即興演奏バンド「SLOTH」でベースを担当していた私が、フリー・ジャズからフリー・ミュージックへと興味を転回させたのが、イギリスのギタリスト/デレク・ベイリーだった。彼の初来日公演を1978年に京都・京大西部講堂で体験した。主催・司会は間章、共演は阿部薫、吉沢元治、近藤等則らだった。春としては暖かい夜だったのに、阿部薫が寒そうにオーバーコートを着て前のボタンまでとめていたこと、セッションでベイリーがもう演奏をやめている(やめようと合図をおくっている)のに、阿部薫が演奏をちっともやめなかったこと、なんかは今でもよく覚えている。でもベイリーのこの夜の演奏、その見事にバラバラに解体されたギターワークには、素直に感動した。すでに第五列などの活動を始めていた我々にとって、ベイリーはアイドルとなり、もてはやされ、そして最終的にはギャグのネタになったりもした。いつものことだが、こういった尊敬がやがてお笑いに変質するのは、いかにも関西人だなあと思うのである。
 

 ベイリーの演奏については、いろいろな意見があると思うが、私は1978年初来日あたりがピークで、その後の作品にはあまり興味がもてなかった。もっと言えば、彼の作品の中でも1976年のものが秀作であると思う。つまりイタリア・クランプスからの「インプロヴィゼーション」と、イギリス・ヴァージン傘下のキャロラインから出たオムニバス盤「ギター・ソロ2」に収録された3曲。これがフェイバリット。
 

 キャロラインの「ギター・ソロ2」はLPの形態では日本盤も発売されたが、残念ながらCD化されていない(2001年6月現在)。しかしEMANEMレーベルから発売されているCD「DOMESTIC & PUBLIC PIECES」に、「ギター・ソロ2」の3曲は収録されているので、ここで聞くことが出来る。その後のベイリーのスタイルとなったヴォリュームペダル、それにはまだ依存していない演奏が、なんだか清楚な気がして、私は好きなんだろうと思う。
 

 その3曲のうちの1曲に「THE LOST CHORD」というテイクがあって、実はこの曲の中でベイリーがギターをつま弾きながら突然歌い出すのである。これが私は妙に好きで、今の私のソロ演奏のルーツになっているように思っている。かといって今の私の演奏をイメージしてこのトラックを聞くと、がっかりすること必至で、全然似てはいない。ただ、無調+歌、というのは、ずいぶんも前にスタイルとしてあるし、ベイリーも思いつきにしてもトライしていることは面白いのではないか。
 

 そして、1978年のデレク・ベイリーの京都公演は、関西のシーンに間違いなく影響を与えたし、私の演奏スタイルもその後の数年で急速に変化した。そういった意味では間章も罪なことをしたものである。この時、間章は32才、ベイリー48才、私は18才だった。
 

JOJO広重 2001.6.14.



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